ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

米核政策の変化に反対する勢力が日本政府内に?

2009-07-30 00:57:00 | 原爆・核・原発問題
「米核政策の「チェンジ」へ、鍵を握るのは日本」というタイトルのビデオを紹介。

アメリカの「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラキー氏が、7月に来日したときに日本の市民に 強く警鐘を鳴らした。オバマ政権の核政策の転換に関し、日本の防衛省、外務省官僚を先頭に反対する勢力が政府内にいて、それを理由として米政府内にも反対する勢力がいるとのことだ。

被爆国である日本の政府内に反対する勢力がいるとは、ひどすぎる。

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Mac不調

2009-07-23 10:04:00 | 日々の出来事、雑感
メインで使っているiMacが昨日からどっと不調に。キーボードで「と」とうつと、なぜかフリーズするようになってしまった。それ以前から、アクセス権がおかしいからソフト更新できない、といわれてみたり(アクセス権修復してみてもだめ)いろいろ不調だったので、今日になって重い腰をあげて、ようやくOS再びインストールしてみた。その後、ためしにこのブログエントリを書いてみているが、今のところ問題はないようだ。ふう。

最近の坊主マンは毎日晴れていて、水分が足りないのかせっかくわりと緑がある感じだった世間が、枯れっぽい色になってきた気がする。山火事シーズンもそろそろ到来か。いやだなあ。

反オバマムードにあふれるモンタナのGun Showに行ってみた

2009-07-14 12:47:00 | アメリカ政治・社会
先週の金曜日、生まれて初めて、アメリカのGun Showというものに行ってみた。銃の展示即売会で、アメリカの様々な都市で開かれているイベントだ。たまたま先週の金曜から日曜まで、坊主マンでのGun Showが開かれていたのだった。

金曜、土曜と、日本からの新聞記者の方が、坊主マンでの原爆展をめぐる顛末を取材するためにいらしていた。そしてアメリカの保守の人たちの原爆に関する意見が聞いてみたいということだったが、なかなかアモェとれない状況があったので(テーマがテーマなのであまり話したがらない人がいるのにプラスして、夏のために、単純に街にいない人も多いのだ)、保守系の人が集まる場、ということでたまたま開かれていた、一年に一度のGun Showという場に行ってみたのだった。

モンタナという州は、「銃をもつ権利」を主張する人たちがたいそう多い州である。民主党の候補すら、それに対して反対の意見を表明してしまっては、絶対に当選しないといわれるところで、実際のところ銃をもつ権利を支持していますと明言する民主党の候補だらけだ。民主党ですらそうなのだから、共和党とあってはもっとそうである。そして、共和党の大きな支持母体である、NRA(ナショナルライフルアソシエーション)会員が当然ながら多く集う場が、このgun showだろう。軍出身者も多く集まるはずである。そんなこともあり、gun show(しかもただでさえ保守的なモンタナ開催)にはバリバリ保守の人たちが多く集まるだろうことは自明の状況なのだった。

Gun Showなんていうものには長年のアメリカ生活でも行った事がなく、今回初めて行ったのだった。そして、かなりのカルチャーショックを受けた。展示のブースには、ライフル銃や、ハンドガン、銃弾などが盛大に売られており、ライフルも安いので150ドルくらいからあった。これでは気軽に買えてしまいそうな値段である。銃じたいに柄がついていたりとかして、デザインも多種多様である。また、アンティークの高いのになるとかなり高かったりしている。ミズーラという街にある、モンタナ大学のキャンパスで8月に開かれるgun showはもっと規模が大きいとかで、アンティークがもっと充実しており、「第二次世界大戦にナチスが使った銃とかも手にはいるよ」とアンティーク銃を売っていた人に言われた。また、銃のほかにもアーミーナイフなども売っており、ナイフをふりまわしている、うすらでかい白人男性なんかもいたりして、けっこうコワいものがあった。そして、どの展示即売系のショーにもありがちだが、まぎれてアクセサリーだの髪飾りだの、直接的には無関係なものを売っているブースもあったりした。

会場の様子の写真。










このように銃が売っているだけでもかなり強烈であり、しかも会場は白人オンリーって感じで、アジア人である記者さんと私はかなり浮いてしまっていたのだった。

それに加えて、もっと強烈だったのが、会場で盛大に売っていた以下のバンパーステッカーである。
メッセージがある程度、写真でも読めると思うので、アップしてみる。










内容がとにかくすごい。オバマがとにかく憎い、大嫌いだというメッセージにあふれており、オバマのミドルネーム、「フセイン」を強調し、オバマが自由を奪う独裁者だとかテロリストだという印象をもたせるとか、経済が悪くなっているのも(前のブッシュ政権の遺産)すべてオバマのせいになっていたりとか、銃をもつ権利や、軍や戦争についてのメッセージとか、「アメリカ人は生まれたときからチョイスでヘテロセクシュアル」なんていうのがあったりとか。
リベラル系のバンパーステッカーの類いは、店(私が行く類いの)で売っているのを見たりすることはよくあるけれど、こういう保守系のバンパーステッカーをこれだけまとめて売っているのを見たのは初めてだ。
そして、会場外に駐車してある車にも、同様なバンパーステッカーの貼ってある車がとまっていたりもした。そのうちの一台。見えづらいと思うが、窓がホコリで汚れているところに、指で、"OBAMA SUCKS"(オバマ最低)と書かれている。



一般的に報道される、人気の高いオバマ大統領というイメージとは全く違う世界である。これだけ、何でもかんでもオバマが悪いとなっているというのには、予想できた面もあるとはいえ、目の前にこれだけ一気にバンパーステッカーをみてしまうと、驚きもした。

そんな中、記者氏が原爆および、オバマが4月にプラハで行った、核廃絶にむけての決意をあらわすスピーチについての、人々の意見を聞いてみたいのだという。そして、記者さんは英語があまりできないので、結局実際にインタビューをしなくてはいけないのは私。いわば「街角インタビュー」的なことをしなくてはいけないのだが、この場所に、来ている人たちに、そしてこの、彼らがもっとも嫌いそうな、原爆とオバマという2大トピック。自分の仕事柄、インタビューをすることには慣れているはずの私も、正直いえば、「浮「よう」という感じだった。でもやむをえない、話かけるくらいはしてみなくては、と勇気をふるって数人に話しかけてみた。

最初に話した人は、gun showにきていた客で、若そうな男性(大学生くらいの年齢層か?)。その人はむこうから話しかけてきて、どこから来たのかとか聞いてきたので、ちょっとだけ会話をしてみた。しかし、「ところで、いろいろなアメリカ人の原爆に関する意見を聞いてみたいのだけれど、、」と話しかけたとたん、表情がかき曇り、寡黙になって、「じゃあ」といって逃げられてしまった。

建物の入り口近くで、柄付きのライフル銃と本を売っていた中年女性がいたので、話しかけてみた。まず、銃の柄に興味がひかれたということで話をはじめてみて、その女性が長年狩猟をやっている人であり、狩猟でとれた動物(シカなど)をつかったレシピを紹介する料理本を書いている人なのだいう。どこからきたのだ、という話もしたりして、なんとなくの会話の発展という形で、「ところであそこにあるバンパーステッカー、、」と、反オバマのメッセージのバンパーステッカーについて話をふってみた。するとその女性、「ああ、あれ私大嫌いなの」という。「え、大嫌いなんですか」というと、「このショー会場にいる中で、オバマに投票した人は、きっと私と、そこにいる私の夫二人だけだと思う。とにかく、ここの人たちとはオバマの話なんて浮ュてできないのよ。」と言うのだ。そうか、この人たちはgun showでは超珍しいオバマ支持者だったのか。「オバマについてとか、原爆についてとか意見聞いてみたいと思って、日本からの記者をつれてきたのだけれど、、」というと、それは大変だみたいに言うので「怒っちゃったりしますか?」と聞くと、「ありえるけれど、まあ頑張ってやってみたら」と言う。うわあ、やっぱりこれは緊張するぞ。「最初にあなたから話が聞けてラッキーでした、よかったです、ありがとう」といってその場を去った。

次に話しかけた年輩のブースで銃を売っていた男性。明らかにこちらは共和党支持者っぽかったが、やはり「広島」とか「核兵器」という話題になると、とたんにドン引き。反応がなくなってダメである。見るからにアジア系の見かけの我々が「核兵器」とかいう話題をいきなり持ち出すのは悪いストラテジーであるということがよーくわかった。いきなり核心をつくような質問をしては、ドン引きされて終るだけなのだ。

銃売りブースで暇そうにしていた男性がいた。比較的若そうに見える男性で、彼のブースでは数枚、アンチオバマのバンパーステッカーが売っていた。ステッカーに興味があるかのように、それを手に取ってみていたところ、その男性「そのステッカーに興味あるの?」と話しかけてきた。「はい」みたくいったら、「じゃあ、それあげるよ」と言うので、記者さんがそのステッカーをもらうことになった。それをきっかけとして、ハンティング歴だとか、どのくらいこの銃売り商売しているのかとかの背景に関して質問しだしてみたら、彼の従軍経験の話が始まった。イラン革命の頃、イランで従軍し、そこでかなりの負傷をおって、今は身体はボロボロだという。顔は若くみえるのだが、実はその人は50代だということがわかった。沖縄にも返還の一年ほど前に行っていたことがあるらしい。海兵隊からはじめ、その後陸軍にうつって、かれこれ10年くらい軍にいた。今は身体ボロボロで大変だ、と何度も繰り返していた。当時のリーダーに対し、相当な怒りを感じているようだった。

その怒りと、このアンチオバマステッカーはどう関わるんだろうと思い、「あなたはオバマについてどう思いますか?このステッカー売ってるけれど」と聞いてみたら、「オバマになってから最低だ。暗黒の時代になった。憲法で保障された個人の自由とか権利なんてないも同然だ」ととうとうと語り始めたのだった。従軍経験の話をかなり聞いた後だったからか、ちょっと心を許してくれたのか、オバマ政権へのやり場のない怒り、しかし今の共和党も情けないから非常に怒っているのだといった話をしてくれた。「オバマが4月に核兵器廃絶するとかいうスピーチしたけれど、、」といったら、そのことは知らなかったけれど、「下らない。最悪だ。そんなの不可能に決まっている。イランとか北朝鮮とかどうするんだ」という、アメリカ人からよく聞かれるパターンの答えがかえってきた。だいぶ時間をかけて、何気ない会話からはじめて、ようやくここまで話をしてもらうことができたが、さすがに「原爆」についてストレートには聞けない雰囲気もあったりして、そのあたりで「いろいろお話ありがとう」とブースを離れたのだった。

これでもって、すっかり疲れてしまい、これ以上話をきくパワーは残っていなかったのだが、少なくとも一人だけはそれなりに話を聞くことができたし、記者さんが雰囲気だけでも感じ取ってくれたらよかったと思う。

しかし、やはりいかに「原爆」「核兵器」というテーマがいまだにタブー状態であり、そして、アメリカのガチ保守の人たちが、いかにオバマ政権が誕生したことに対して憤りやら、やり場のない怒りを感じているか、というのが肌で感じられたことで、私としてもいろいろ考えさせられる面はあった。

日本では、オバマの4月の核廃絶にむけてのスピーチが各紙一面トップの扱いだったということだが、アメリカではほとんど報道されておらず、そのことを知っている人はひじょうに少ない。知っている人は、ニューヨークタイムズなど、いわゆるインテリ層がよく読むメディアを読んでいる人たちくらいだろう。(それと、私のように日本語メディアも読む人と。)ここモンタナでは、ニューヨークタイムズを購読することはできないし、オンラインであえて読むという層も限定されるだろう。結局、地元紙やテレビが扱わない限り、誰も知らない状態になる。そして、いまだに「核」や「原爆」を批判的に語ることがタブーという状況のアメリカの保守地域の現状と、今、日本で(とくに広島などで)アメリカに対してもたれているという「オバマ政権だからこそ、今、一気に核廃絶の動きへ」という期待はかなりずれてしまっている面がある。

そんなこんなで初めてのGun Show経験、かなり濃いものだった。あまりの濃さに、長大エントリになってしまったぞ。

原爆展関連の取材

2009-07-09 22:12:00 | 原爆・核・原発問題
私にしては珍しくも、取材する側ではなく、取材される側にまわる数日間がはじまる。全米原爆展および、今のアメリカでの核問題に関する市民たちの考えなどを取材するために、朝日新聞の記者さんが今日、明日と坊主マンを訪れ、明後日からはシカゴにいって、NHKラジオの取材というものを、シカゴベースで原爆問題を扱っている大学教員のひとたちといっしょに受けることになっている。(シカゴ、とくにシカゴ大学というのは、マンハッタンプロジェクトがはじまった場所でもある。偉そうに記念碑みたいなものもたっているのだ。)

とはいえ、取材される側と言い切れるものでもなくて、朝日の取材のためのアモニり活動を昨日は一日やっていたりして、取材にもすべて同行して通訳などやることになっているし、なんだか私自身の取材みたいな感じがしてきてもいる。自分自身も普段は取材屋さんなので、ほかの業界で、でも同じ取材屋さんをやっている人の取材ってのを間近にみられるのは、それはそれで興味深い面もあるのだが。

で、なぜ坊主マンか。こんなマイナーな田舎町なのに、あえて日本の全国紙の記者さんがやってくるわけは、もちろん、坊主マンで、原爆展への反発があって、しかもそれが表にでる形で起きたからだ。で、実は坊主マンは、反発が表立ってでてきたという面で、全米原爆展が開催された都市でも珍しい存在になってしまった。まったく喜ばしくない展開である。

具体的には、保守コラムニストの反発コラムが地元新聞に掲載されたり、某所で行った被爆体験トークが教育委員会で問題にされてしまったりということが起きた。本来は、地元新聞に反対意見の手紙を送るなどして対抗したいところだったが、その余波が別のところ(原爆問題トークの主催者)のほうへの反発となっていき(もともとの地元のぐちゃぐちゃした政治状況が背景で絡んでいたようだ)、主催者の職の維持が危ぶまれるという事態が危惧されることとなってしまったので、実際にトークにいらしたゲストや、私からの表立った反対がしづらい/できない状況になってしまった。バッシングが自分に直接くるなら対抗しようもあるけれど、他者にいってしまうと、とくにこういう小さいコミュニティでは表立って動けなくなってしまうということがあるというのを実感した。いかにも、保守的な田舎町ならではの展開だったかもしれない。そんなことがあり、地元では本当に残念ながら扱いづらい状態なのだが、いつかきちんとどこかで発表したり、取材してもらわないとと思っていた事案だったのだ。だから、取材には全面協力したいのだ。この、坊主マンでの原爆展をめぐる展開については、私自身もこのアカデミックイヤー中に何度かアメリカの学会やら集会にて発表をするつもりなのだが、そのうち自分でもきちんと書いてまとめたいと思っている。

今回は新聞記者さんからの取材依頼が急にきたので、アモニりもちょっと苦労があり、とくに今学校が休みの時期なので、街にいない人も多く、どこまで取材できるか未知数だ。今日もまた、いくつかアモニり活動をしなくてはいけない。そしてお昼には記者さん到着、明日までの取材同行がはじまる。そして明後日にはシカゴ。帰ってきてからすぐに、原爆展関連仕事モードにどっとはいっており、シカゴから帰ってくるまでは忙しい日々が続く。