ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

「教育のツールとして馬を使う」ワークショップに行ってきた

2015-10-25 14:32:00 | 日々の出来事、雑感
Using Horses as Teaching Tools (教えるツールとして馬を使う)というタイトルのワークショップに行ってきた。大学の教員や、コミュニティの人達が対象のワークショップだ。

なぜ行ったかといえば、ティーチングのツールとして馬!?という意味がさっぱりわからなかったからだ。なので、だったら行ってみようと思った。セラピーなどで馬が使われるという話は聞いたことがあったが、教育、というのは知らなかったからだ。そして、これが大学の教員用のセミナーとして開かれているということは、普段の自分の授業にも生かせるという前提なのだろうか、と思われたからでもある。でも、私が教えるような人類学とか日本研究は関係あるんだろうか、というと謎だ。いづれにせよ、いかにもモンタナ的なワークショップではありそうなので、ほとんど観光気分で行くことにした。

Miller Pavillionなる大学の施設でワークショップが開かれるというが、それがどこかすら知らない。ネットで探して、案外自宅から近かったことがわかった。

施設の入り口。


施設の中。大学のロデオチームの練習場所はここだったのか!この施設では、ロデオのほか、馬術のチーム、ャ高フチームなども使っているそうだ。そんなに色々あったのか....


ビデオ録画担当の人がマイノリティっぽかったが、参加者は私を除いて白人だらけ、しかも大部分が女性だった。最初に、講師の一人が、参加者の馬の経験について聞いた。「ゼロから少しだけ」というところで勢いよく手を挙げた私だったが、他にいないのではないか....少し、って感じの人たちはほんのちょっとだけいたが、ゼロは私だけだったのかも。さすがモンタナ。半数以上が「馬経験すごく多い」カテゴリで挙手していた。

ワークショップは前半が数人の講師が10分ずつくらいの講義を行い、後半が実践型、ということで、全部で3時間。

最初に農業教育の教員が、教えたり学んだりする際に馬を使うのはなぜかについてトーク。馬は、セラピー、ライフスキルのトレーニングも含め、様々な教育場面に使われているそうだが、なぜ馬かといえば、馬によって自身の置かれた状況や立場について考えることができるから、なのだという。馬はすぐ人間に応答してくれるから、人の鏡の存在として、馬を見ることができるんだそうだ。要するに、馬の反応などを見て考えることで、人間は自分自身について学ぶことができるのだ、という。馬は餌動物なので、自らの安全や生き残りについて常に考えている。なので、私たちが馬にどう見られているか、馬はすぐフィードバックをくれる存在。コミュニケーション能力を高めるのにも役立つのだそう。こうして馬と共に学んだことを、日常生活の状況に応用していくのが重要、という話だった。

その後、馬を使ったセラピーのプログラムについて、3人ほどがトーク。ざっとまとめると、馬セラピーには、EAGALAとPath Int'l という流派があるらしい。これらの団体が資格を出しているのだという。
EAGALA 1999年に設立
Path Int'l 前身は1969年に設立された、NARHAで、2011年に現在のPath Int'lに改称

EAGALAの方は、人間は乗馬するわけではなく、地面での馬とのアクティビティを通じて、どう馬が反応するかなどに着目しつつ、自身について見つめるというものらしい。必ずEAGALAモデルでは、セラピストと馬のスペシャリストが組んでセッションを行うのだという。馬との関係性から、リーダーシップ、パートナーシップなど関係性づくりのライフスキルを学ぶのだそう。Pathの方もやはり馬を使ったセラピーだが、こちらは乗馬もするらしい。ワークショップでは、ぜひ資格を取りましょう!でもどちらの資格を取るかは、よく考えて決めましょう!と呼びかけていた。とはいえ、馬経験ゼロの私にそんなこと言われても....という感じではあった。

EAGALAの人がセッションやってる最中に、Pathの資格持ってるという人が質問して、EAGALAの人が「あなたはPathの人だからそういうのよ!」とちょっとイラっとした感じで答えていたのが印象に残った。おそらくこの2つの流派、ライバル関係にあったり、中の人たち同士で微妙な対立もあったりするのかなあと。とはいえ、両方の資格を持ってる人たちもいるのだろうが。

その後、馬の科学を専門にしているという大学教員の話。動物を使っての学びというのを専門しており、特に馬なのだという。同じように学びやセラピーで使われる動物に犬もいるが、犬は元々は捕食動物。馬は餌動物な分、より周りの状況に反応しやすく、そのために正直で、かつすぐにフィードバックをくれるがために、素晴らしい教育のツールとして馬が使えるということなのだと、熱を入れて語っていた。アメリカの西部といえば馬だ、カウボーイ文化だ!フリーダムの価値観だ!馬の匂いも何もかもが自分は大好きだ!馬は自分の生活の一部みたいなもので、自分も馬に人生のいろいろなことを教えてもらった、馬すごい!みたいな発言が相次ぎ、とくかくこのひとは馬が大好きなのねえ、、という感じ。と同時に、モンタナという土地柄がにじみ出ているなあとも思った。



この人曰く、昨今の馬業界には革命とも言える大きな変化が起きたのだという。以前の、馬にいろいろなことをさせて、その結果馬が壊れるかもしれないが、とにかく働かせる的な文化から、馬を尊敬し、ケアして、馬との関係性を築くことをまず重要視し、社会を良くするために馬を活用するといった方向性なのだとか。これには、馬関係業界に、女性が非常に増えたことが関係しているとこの教員は言っていた。女性は自然にケアに向いているし、、などのこの人の発言からは本質論的なものも感じてちょっと違和感は正直あったが、それでも女性が業界に増えた結果、カウボーイ文化的なものから、馬との関係性がより尊敬すべきパートナーとしてのものに変わったというのは興味深かった。

現在、12の大学で、馬を使った学びに関するプログラムが開設されており、27≠Wの大学では授業が開講されているという。この数は過去4年くらいの間に急増したらしい。馬は、リーダーシップ、コミュニケーション、チームワークを学ぶのに最適なのだということだ。



その後、ついに馬が登場。沢山出てきた。まずは馬の振る舞いなどを観察しろと言われ、ひたすら見る。馬がどんな音を出しているか、馬が何をしているか、馬がどういった場所とりをしているか、他の馬が走り出すと沢山走るのはなぜか、など、説明を聞きながら馬を観察した。また、周りの環境も常に観察しろと言われた。馬はゴールを持っているのか、それはどういった場合で、馬の振る舞いにどういう影響を与えるのか、リーダーはいるのか、この中ではどの馬がリーダーなのか、馬ー人間の関係では人間がリーダーにならないといけない、馬は繰り返しによって物事を学ぶので、人間が間違えたことを繰り返してしまってはいけない、馬の表情は豊かで、いろいろなものを伝えてくれる、などなど。



その後、EAGALA方式らしい、馬をつかっての実演エクササイズを、オーディエンスも参加して行った。私も後半のチームで馬が通るところにちょっとした障害物を置いた上で、紐でつないだ馬を障害物を避けて通るみたいなエクササイズには、全員参加だったために参加。

私が参加しなかったのは、子ども用のセッションとして、アルファベットが書いてあるボールがバラバラと地面に置かれている中で、ある単語のスペルに当てはまるアルファベットのボールを拾うというものが一つ。これもやはり、人間が紐を持って馬を連れながら、ボール探しに行って、それを持ってきて集めるという感じ。もう一つは、そうした馬の状況を観察して、クリエイティブライティングとして何らかのストーリーを考えて書く、というもの。






こうしたエクササイズそのものより、それを通じて、また馬とのふれあいを通じて、自分自身がどう感じたか、どんな問題が見えてきたか、などに重点がおかれている感じだった。

3種類のエクササイズが終わった段階で、ワークショップも終わり。

馬はその辺によくいる土地柄なので、遠くからは毎日のように見ているが、近くに寄って触ったりということはないので、私にとっては牧場見学に行ったような気分で楽しかった面もある。ただ、セラピー的な「どう思ったか感情をシェアしましょう」といきなりあの人工的に作られた環境で言われてもなーというところもあり、なんとなくセッションそのものはイマイチわからなかったというか、苦手感も正直あった。

とはいえ、この辺では、元米兵らのPTSDなどのセラピーなどとしてもよく使われているものらしい。元米兵用のプログラムの紹介もされており、リーフレットももらってきた。Forgotten Soldier Programというもので、様々なセラピーを実施しているようだが、そのうちの一つがこの馬を使ったセラピーのようだ。

結局、私の人類学の授業にはどう使えるのかは謎のままだった。まあでも、この馬大好きな人たちのコミュニティは興味深いかもとは思ったし、「観察」という面からは人類学にも共通する面はあるので、工夫すれば使いようはあるのかも?