ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

白人先生球界へ!?

2005-02-20 17:19:11 | 白人先生
「白人先生」カテゴリーの中の、「白人先生のふるさと、ミシガン大学人類学部」記事にコメントをいただきました。ずいぶん前の記事なので、ここで宣伝しておきますね。

そのぎゃぶ~さんのコメントに、何と白人先生がオークランド・アスレチックスへの、藪投手の入団会見で通訳をつとめていたという情報が!早速グーグルで検索したところ、おおお!!白人先生、いくつものスメ[ツ紙に紹介されているではありませんか。

sanspo.com
スャjチアネックスOSAKA
スメ[ツナビ

白人先生、こんなに有名になっていたとは!
今まで、こんなに日本のスメ[ツ新聞に紹介された人類学者はいたのであろうか?ミシガン大学人類学部出身者の中でも、出世頭といえるのでは!!
そして、こんなに通訳がスメ[ツ新聞の記事として取り上げられるのも、珍しいのでは。すごすぎます。

果たして、白人先生は本当に通訳をするのでしょうか。大学は休みをとらせてくれるのかな?もし白人先生が通訳になるなら、今後メディア登場頻度がアップすることは間違いないですね。うーん、楽しみ。

そして、人類学者としても、アメリカ球界と、日本人選手に関する研究などをするには、絶好の環境ですよね。白人先生の研究テーマになるのかどうかは知りませんが、この際だからバリバリ論文も書いてほしい!

貴重な情報を書き込んでくださったぎゃぶーさん、有り難うございました。


ヒョーショージョー

2005-02-06 07:39:52 | ニュース、時事ネタ
昨日の朝、起きてYahoo Japanをあけたら、右側の「トピックス」の中に、大相撲表彰式で「ヒョーショージョー」と場をわかせて、パンナムトロフィーを授与していた、デービッド・ジョーンズさんが亡くなられたというニュースをみつけました。

慌てて私は日本の両親に電話してみました。両親はそのニュースをまだ知らなかったようで、「えー、どこに載ってたの?」と聞く。早速Yahoo Japanを教え、朝日のサイトにも載ってることも見つけて教えたのでした。
なぜ、私がすぐ両親に電話をしたかって?両親とも、元パンナム勤務で、ジョーンズさんとはいわば元同僚の関係だったからです。「しばらく話も聞いていなかったが、ネブラスカにいたのか~」などと言っていました。もうすぐ、元パンナム日本支社旅客部員同窓会があるらしいので、その時に話題になるだろうとのこと。私自身も、たしか大好きだった高見山の引退相撲のチケットを、ジョーンズさんだか、ほかのパンナムの人だかのつてでとっていただいたようなかすかな記憶があり、間接的ですが、確かお世話になっていたのです。

幼い頃から相撲好きだった私にとって、ジョーンズさんの「ヒョーショージョー」は随一の楽しみ。千秋楽があんなに楽しみだったのは、輪島と北の湖の決戦もあったけど、ジョーンズさんだったなあ。ドキドキワクワク感、思い出します。

懐かしくなって、2ちゃんねるの関連スレッドなどを見に行ってしまいました。皆さんよく覚えているよね。パンナムトロフィーの前に「しいたけ一年分」の表彰があったとか(しいたけトロフィー、ビジュアル的に印象深く残っています。まだあれはあるのかな?)、ジョーンズさんが最後に"Pan American...」と始める英語部分がすごーく格好よかったとか(確かに)。そして面白かったのが、「パンナム」という会社についてのイメージ。「ウルトラクイズ」「兼高かおる世界の旅」と「ヒョーショージョー」がくっついてくるのね。そういえば、ウルトラクイズの決勝はパンナムビル屋上でしばらく行われていたんだった。あと、首都高にあったパンナム看板(私はなぜかあれが大好きで、通るたびにパンナム看板と騒いでいた記憶が)。

パンナムが太平洋路線を売却したのは、確か私が高校生くらいのときだったか。ある日突然、一夜のうちに親の会社がかわるという体験をしたのでした。そして、仕事から帰ってくる父親の、「ユナイテッドは本社シカゴだから田舎っぽい」的な愚痴をけっこう聞かされたのですよね。パンナムニュ<?[クだもんね。(その後、確かマイアミに移ったんだったかな。あれも衝撃的な出来事だったんでしょうね。私も父親にくっついて、マイアミに行った記憶があります。)従業員にナイスすぎて、経営も放蕩系だったと思われるパンナムがつぶれて、ずいぶんたちました。そうこうしているうちに、ユナイテッドも経営が危なくなっている今日この頃。そして、そういうシカゴに今住んでいる私。

会社がつぶれたからかもしれませんが、パンナム元社員の人たちの同窓会ぶりと、あの会社へのノスタルジアはすごいなあと思います。ちなみに、うちの父はパンナム携帯ストラップをしていたりして、母親はパンナム同窓会の幹事だそうです。ある意味、アメリカ航空産業がもっともよかった時代、新しいタイプの飛行機がどんどん出てきて、人々の移動範囲が俄然広くなった時代、そして、バブル前で、日本から誰もが海外に行かれるわけではなく、飛行機があこがれの対象だった時代を象徴しているのかも。当時は学校時代に、空港見学とかありましたもんね。これも今あるんでしょうか。

と思ったら、日本だけの現象ではなかった!アメリカ(?)にもいたようです。元パンナムを懐かしむ人が。このサイト、かなり気合いがはいっていてすごい。このパンナムノスタルジア現象、興味深いものありますね~。


東大ジェンコロ報告サイト

2005-02-05 01:53:52 | フェミニズム
12月に東京大学の上野千鶴子さん主催「ジェンダーコロキアム」への持ち込み企画「ジェンダーフリー概念から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係」の報告サイトを、一緒に企画した斉藤正美さんと作りました。まだまだ発展途上のサイトですが、ぜひぜひご覧になってください。

近く、コロキアムのテープ起こしに基づいた報告と、関連の記事など
いろいろアップする予定です。


We一月号稲邑編集長の編集後記に関して

2005-02-05 00:27:16 | フェミニズム
「ジェンダーフリー」その後(2)と題された、ミニコミWe編集長稲邑恭子さんの「編集長だより」(1月号掲載 p.63)に関する雑感。

「男女平等とジェンダーフリーのどちらかをえらぶかと踏み絵のようにされてはかなわないと思う」と書かれていらっしゃるのですが、「男女平等かジェンダーフリーか」なんていう問いの立て方は、誰もしていないと思うのです。We11月号「ジェンダーフリー・バッシングなんてこわくない!」特集での上野千鶴子さんインタビューも、私は踏み絵を何も強いているとは読みませんでした。私自身も「ジェンダーフリー」概念の歴史をひもとき、そのおかしさを書いたものの、「ジェンダーフリーか男女平等か」の2者択一を迫った覚えはまったくありません。

私としては、「ジェンダーフリー」なんていう、曖昧かつ、保守的な言葉として生まれた歴史ももち、現在意味が混乱しまくっている言葉にこだわる必要がどこにあるのかと思っています。そんなわけわからん言葉より、「男女平等」でも「性差別撤廃」でも「性別役割分担」でも、今まで女性運動がずっと使ってきた誰でもわかる言葉を使うか、あるいはそれらが不適切であるというなら、わかる言葉を作るかしたらいいと考えています。

そもそも、「ジェンダー・フリー」が浸透しているという理解って本当なのかな?これだけ意味が混乱しているわけで、たぶん私の親類縁者やら、学校時代の友人やらを考えても、
「ジェンダー・フリー」といわれてわかる人はほとんどいないと思う。。でも、「男女平等」や「性差別」なら確実に通じるはずだし、「性別役割分担」は知らなかったとしても、説明しやすいと思うんだよな~。

そして、「ジェンダーフリーはもともとバリアフリーをイメージして発案されたヒューストン論文は箔をつけるために引き合いに出されただけの話で、誤読というより、はじめに定義ありき、で、その解釈が日本的になってしまったのではないかと「推測」している。・・」と稲邑編集長はおっしゃっているわけですが、ヒューストン論文が「ジェンダーフリー」を最初に提唱した東京女性財団の報告書にすでに引用されているというのは、私が11月号でも、1月号でもすでに明記しています。最初から、アメリカの権威をもってきたわけですね。本当に誤読だったのか、それとも故意だったのか、私には知る由もありませんが、とにかくヒューストンの真意とはかけ離れた引用をされているのは事実。

そして、和製英語説を否定しているのは、ほかならぬ「ジェンダーフリー」を使ってきた多くの学者なわけです。だって、私が何でヒューストン論文を読んでみようかと思ったかといえば、フェミニズム系出版物などの類いで、「ジェンダーフリーは和製英語ではなく、アメリカ教育学で使われてきた言葉」という解説をたくさん見たから。私は聞いたことがなかったので、「それって本当?」とも思ったし、もし「ジェンダーフリー」を提唱しているアメリカ教育学者がいたとしたら(あり得ますからねえ)、その怪しい人物はいったい誰?とも思いました。で、蓋を開けたら、ヒューストンさんの主張はまったく違うものだったという展開。

「バリアフリー」という言葉でイメージされる「バリア」のイメージは、「なくすべきもの、ないほうがいいもの」ですよね。さて、「ジェンダーフリー」は?「ジェンダー」ってないほうがいいものなの?もし社会から押し付けられた性役割、としての「ジェンダー」の意味に限定するなら、それはないほうがいいでしょう。そして、日本で誤訳されているように、ジェンダーが「社会的、文化的性差」だというなら、それだって存在も怪しいものだし、ないほうがいいのかもしれません。
でも、「ジェンダー」には「アイデンティティ」としての意味もある。私が「女」として「女性解放運動」に関わっているのだって、私の「ジェンダーアイデンティティ」に基づいているわけです。ジェンダーって、私のアイデンティティの重要な一側面をなしているのです。
「ジェンダー」は必ずしも、悪いものとは限らない。アイデンティティをなす、という意味で、物理的な障害を意味する「バリア」とはまったく異なる概念だと思います。

例えば同様に社会的アイデンティティをなす、「エスニシティ(民族)」などだってそうですよね。民族に基づく差別は当然なくなったほうがいいし、「なんとか民族だからこうあるべき」なんて考え方は真っ平ごめんですが、だからといって「エスニシティーフリー」なんて言われたら、特にマイノリティにとっては自らのアイデンティティをなくさせようとしているのか、ってことになりますよね。私だって、ここアメリカで、「人種」「民族」的にマイノリティとして、woman of colorとして差別されたりする中で、「レースフリー」を目指そう!なんて言われたら、すごーく腹たつもの。アフリカンアメリカンだって、ネイティブアメリカンだって、日本だったらアイヌだって、在日の人たちだって、「エスニシティーフリー」なんてとんでもない!と考える人は多いのではないでしょうか。

それともう一点。稲邑さんは、悪意に満ちた確信犯分析などより、中間層分析をしてその人たちに届く言葉を考えたほうが有効、といったことを書かれています。これって、単に両方重要ってことではないでしょうか。確信犯分析して、その論理がいかにおかしいかを暴き、そのおかしさを「中間層」(って誰のことなんだかいまいちわかりませんが)に伝えるのも重要でしょう。そして、「中間層」ってのが、もし私の親類縁者やら、昔なじみの友人やらをさすのだとしたら、その人たちに「ジェンダーフリー」という言葉は、どう考えても届いていないんじゃないかと私は思います。
むしろ、そういう人たちに届かせないために、理解して社会変革なんかに動かないでほしいがために、行政主導で考え出した、「わけわからない」言葉なんじゃないの?という気すらします。


We掲載記事アップ

2005-02-04 23:46:17 | フェミニズム
今現在、普段使用しているApple Powerbookを修理に出しており、最近2000にアップグレード(今頃)してみた、はげしく古いwin機を出してきて使っています。このブログもそれにて書いてみているのですが、winで見ると、なんかなー、フォントがいまいちだ。
そんなこんなで、メール対応などが若干遅れ気味になっております。週末中には何とかしたいと思っていますので、私あてにメールくださった方は少々お待ちを。

さて、We1月号掲載記事ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源(2)をアップしました。
これがね、以前もちょっと書いたのですが、掲載にあたってもめまして、、本来12月号に載るつもりで書いたのですが、1月にずれこんだりしました。どうやら、私の女性学批判、行政批判がやばかったのではないかと思っています。でも、それなくしたら、この文章を書いた意味がなくなるんですよね。

別項目にて、この1月掲載の編集長稲邑さんの編集後記に関する、私の意見を書きたいと思います。