ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

Chicago White Soxの試合を見に行った

2006-06-27 06:35:54 | 日々の出来事、雑感




皆様、コメントをたくさんありがとうございます。
ここ2日ほど、ほとんど出かけていたので、レスが遅れておりますが、また後ほどつけさせてください。

昨日は、シカゴに来てから初めて、シカゴ・ホワイトソックス対ヒューストン・アストロズの野球の試合を見に行きました。行ってみたら、球場は家から車で10~15分くらいという近さで、びっくり。

私がシカゴに来たばかりの頃は、弱小ホワイトソックスの野球チケットをとるのは楽勝と聞いていたのですが、昨年ワールドシリーズに勝って以来、簡単ではなくなってしまったようで、だいぶ上のほうのいまいちな席しかとれませんでした。昨年のワールドシリーズと同じカードということもあったのかな?しかし、そのすぐ後に控える、同じシカゴベースのカブス戦になると、すべてチケット売り切れ状態。そのほかのカードもやはりよい席はうまっている様子。様変わりしたんでしょうね。

試合は、9≠Qでヒューストンリードだった時はあまりの一方的な展開と、雨が降って来た事もあって、一瞬帰ろうかと思いましたが、その後、井口が3ランと満塁と2本ホームランをうつという活躍ぶり。帰らなくてよかった。9回裏2死満塁から一気に同点になって、延長にもつれこみ、4時間以上になる長い試合でした。

あまりに長過ぎたので、延長途中で家に帰り、テレビをみたら、残念ながらホワイトソックスは負けてしまいました。まあでも、これだけエキサイティングな試合というのも滅多にないことだろうし、堪能しました。

大活躍だった井口選手。だが、人気ぶりはまだいまひとつだったかも。何より驚いたのは、球場にいた時間、誰もアジア系の客を見なかった事。以前、デトロイトタイガーズの試合を見にデトロイトのスタジアムに行った時は、マリナーズ戦だったこともあって、日本人の姿をそれなりに見たんですが、昨日はゼロ。まあ、もっといい席に座っているのかもしれませんが、、井口目当てのシカゴツアーなんて、ないのかもねえ。どこか地味な井口選手、球場内では井口名前いりシャツも売ってないし、声援も他のスター選手に比べると弱かったです。これから活躍するにつれ、知名度もあがって人気出るのかもしれませんが、、「タダヒト」という彼の名前は、アメリカ人にはひどく発音しづらいと思われ、球場アナウンスも「タダイト・イグチ」と化していました。このファーストネームの呼びづらさが、声援が少ない原因のひとつかも?

シカゴのミツワ(日本食マーケット)のパン屋に彼のサインがはってあったので、井口選手、たまにはミツワに買い物に来ることもあるのかもしれませんね。

上のほうの席だったので、デジカメで選手の姿を撮るのは不可能な状況でしたが、球場の様子だけ撮ってきました。



『女性ニューズ』休刊!?

2006-06-26 02:20:26 | フェミニズム
ファイトバックの会のブログに、『女性ニューズ』休刊というニュースが掲載されていました。

非常に経済的に苦しいという噂は聞いていましたが、まさか休刊(実質上の廃刊?)とは・・ファイトバックの会ブログで書かれているように、これは衝撃的な大ニュースです。『ふぇみん』とならび、女性運動関係のニュースを流してくれる貴重な新聞のうちの一つでした。私も女性団体で働いていた頃は、『女性ニューズ』の記者さんに、取材のお願いをしたり、記者会見にいらしていただいたりしたのをおぼえています。

地味だけれど、女性運動についてニュースを流してくれる、本当に貴重な媒体でした。「『女性
ニューズ』のようなメディアを支えられなかった日本の女性運動、女性学って何だったのでしょう。」という、ファイトバックの会ブログの言葉、本当に考えさせられます。

時代はネットにうつっているということなのか。。。でもまだまだ、ネットはすべての人たちが使う媒体ではなく、日本の草の根女性運動団体になると、正直いってネット使わない人のほうがまだ大半を占めるかもしれません。私も女性団体のML管理やサイト、ブログ作成などに関わってきていますが、メールを使うだけでも本当に一騒動。ウェブやブログを見たり、書いたりする人たちもまだまだ少ない。FAXすら持っていない人もいたりして、そういう場合は連絡は郵便か電話です。
やはりパソコンは、ある程度のスキルも、財力も必要になる媒体ですしね。女性運動を担う層が高齢化しつつあることも、またひとつの原因かもしれません。
女性運動ももっともっと、ネットのリソースを使っていかなくては、、といつも思うのですが、なかなかうまくいかない現状もあります。

そんな過度期ともいえる中ですが、「女性ニューズ」は本当に貴重な情報発信や交換の媒体でした。関係者の方々、本当に大変だったことと思います。お疲れさまでした。そして、復刊することを本当に願っています。


『バックラッシュ!』ついに発売日!

2006-06-25 10:37:50 | フェミニズム
『バックラッシュ! ジェンダーフリーはなぜ叩かれたのか?』(双風舎)が、ついに今日発売。書店に並ぶのは明日以降になるそうです。ぜひぜひご購入をよろしくお願いいたします。

私もすぐに読みたいのですが、アメリカにくるのはいつになるのかなー。

昨晩は、発売記念チャットに少しお邪魔してきました。といってもたいした貢献はできなかったのですが、普段ブログなどでお話させていただいている皆さんがたと、生チャットできたのは、とても楽しかったです。

『バックラッシュ!』本は、アマゾンでもご購入できます。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4902465094/ref=dp_toc/249-9762539-7941914?ie=UTF8&n=465392

本のキャンペーンブログはこちら。
http://d.hatena.ne.jp/Backlash/



女性学会本(4):船橋氏の「男女平等教育」関連の記述について

2006-06-24 11:36:40 | フェミニズム
コメント欄に書こうとしたが、字数多すぎでャXトしづらくなってしまったので、新たなエントリをたてて、以下にHAKASEさんとdebyu-boさんのコメントをうけての、船橋氏の文章のコンテクストと、氏の主張への私の疑問点をまとめたものをャXトします。

HAKASEさんがいわれているのは、船橋氏による議論に私が言及した部分だと思います。この文がでてきたコンテクストは、「男女共同参画/ジェンダーフリーができるまで」という題がつけられており、まず女性差別撤廃条約(CEDAW)の解説、CEDAWと第二波フェミニズム運動の関係が解説されています。ここで、船橋氏は、「女性差別撤廃条約は、それまでの男女の違いを認めた上で男女は平等という男女平等論とは異なる新しい平等論に立脚したものだといえます」(166)と書いています。ちなみに、女性差別撤廃条約を日本政府が署名したのは1980年、批准は1985年です。

その後、『「ジェンダー」という概念導入の歴史』というセクションが始まり、その中で、ジェンダー概念が日本の女性学において広く使用される契機となったのが1989年、NWECで開催された女性学国際セミナーでのデルフィの発言だと解説され、その後、「ジェンダー」概念が国連文書で採用されるようになったのも、1990年代に入ってからのことだ、と書かれています。そして、北京会議において、「ジェンダー」という言葉が多様されているという説明があった後で、ここで問題になっている箇所の「日本でも北京会議後、性別特性論を前提とする『男女平等』と区別するために、「ジェンダー平等」という場合も出てきました」という一文が出てきます。(169) 

 そして、「ジェンダーフリー」は国連文書には登場しないが、「この言葉は性別特性論を不問にして男女平等は達成された、という認識が大半を占める日本の学校現場で、「性別特性論型の男女平等教育」と区別する必要性から現場で使われ、広まった言葉といえるでしょう」(169)と書かれています.

私が疑問に感じたのが、

1)女性差別撤廃条約が、「男女の違いを認めた上で男女は平等という男女平等論とは異なる新しい平等論に立脚したもの」と述べている。そして日本政府はこの条約をすでに85年の段階で批准している。女性運動は、この条約を政府に署名、批准させるために、運動をすすめた歴史をもつ。にもかかわらず、北京会議後、「性別特性論を前提とする『男女平等』と区別するために」というのは、どういうことなのか? 北京会議以降、「性別特性論を前提とする『男女平等』」を唱えていたというのは誰で、そのために「ジェンダー平等」をいったのは誰かなど、主語がないのでいったい誰が主体なのかがわからない。

2)「性別特性論を不問にして男女平等は達成された」という認識が大半を占める日本の学校現場で、「性別特性論型の男女平等教育」・・」と書かれている箇所によれば、どうやらこの「性別特性論型の男女平等教育」というのは「現場の大半」の人々が行っていたらしい、ということになる。「現場の大半」とは、どういう状況にあり、現場のどのような人々が「性別特性論型の男女平等教育」を行っていたということになるのか、書いてないのでよくわからない。これはすなわち、 「日本の学校現場」の大半が、(男女平等はすでに達成されたと認識していることから)何もしていなかったといいたいのか、それとも「性別特性論型の男女平等教育」というジャンルがあって、それを実践していたということなのか、についてもわかりづらい。
 そして、「性別特性論に基づかない男女平等教育」を実践してきた人たちはいたわけなのだが、この人たちの役割はどこへ行ってしまうのだろうか。

3)上記をみると、「性別特性論型の男女平等」を唱えているのは、教育現場の人たちになるようだ。だが、東京大学のジェンダーコロキアムでの船橋氏の会場からのご発言では、「性別特性論型の男女平等」は行政が唱えてきたもの、というご意見だったように記憶している。
 あるいは、HAKASEさんが言われるような、一般の人たちに関するものだという読みも、ありうると思うし(バッシング派も、少なくとも「建前上」は「男女平等」に反対しづらいらしい状況を考えると、本音は別として、「建前上は」バッシング派の主張、ということもありうるか)debyu-boさんが言われるような、「性別特性論型の男女平等」をとなえるフェミニストがいる、という解釈も、この文章からは可能な気がする。

 ということで、船橋氏は同趣獅フご発言をいろいろなところでされているようなのですが、いづれの場合も、具体的に「誰が」主張し、実践しているのか、というところがはっきりしないままなのです。そして、曖昧なままに氏のような主張が一人歩きしていくと、教育関連の女性運動の歴史がそこから漏れ落ちてしまうのではないか、、という危機感はもっています。
 ということで、ありとあらゆる解釈が可能といえば可能かと。。もっと具体的に何を示しているのかについて書いてくれないと、議論も積み重ねていかれないのではないかと思うのです。


女性学会本の感想(3)フェミ誤解仲間、突然激増の謎

2006-06-23 12:50:54 | フェミニズム
女性学会本のQ33(伊田広行氏執筆項目)を読んでみた。

この項目では、ジェンダーフリーを「使わないほうがいいという人」(153)による、様々なジェンダーフリー概念への批判が挙げられ、それに対する反論が書かれている。この概念への批判として、この章内で挙げられているものを以下に箇条書きにしてまとめてみた。

1)ジェンダーフリーという概念が、バーバラ・ヒューストンの論文の誤読に基づくものだということを根拠にして、この概念を使うべきでないという意見がありますが・・(153)

2)ジェンダーやジェンダーフリーの意味が曖昧だから、バッシング派につけこまれているとみる人もいますが・・(153)

3)「日本語・日常用語としてはわからないのでカタカナ・外来語は使うべきでない」「ジェンダーフリーなど使わず、男女平等、性別役割分業批判を使えば十分だ」というのは・・(154)

4)ジェンダーフリーという概念は、「制度変革を言わずに個人の心のよちようだけに矮小化するもの」「行政が上から民間に押し付けた、保守的なもの」ととらえる人もいますが(154)

5)(ジェンダーやジェンダーフリーを)「お勉強しなければわからない」等と揶揄する必要はないでしょう。(155)

6) ジェンダーフリー概念には、抵抗(批判・反発)があるという意見もあるようですが・・(155≠U)

7) 文句を言われたからある言葉を使うのをやめる・・というのは、、(156)

8)ジェンダーフリーは、「行政と、行政に密着した学者が発案した概念」などという批判もありますが(156)

9) ジェンダーフリーを、ジェンダーレス、つまり「ジェンダーがないこと」「人間の中性化」「ジェンダーを無視すること」「ジェンダーというものを考えないこと(考慮にいれないこと)」であるというようにとらえて、この概念がダメだという人もいますが(157)

10) 「ジェンダーフリー概念には『性別秩序自体の廃棄』という過激で多くの人の賛同を得ない究極状態を述べているので、反発を受けやすい。したがって今はこの概念は言わないほうがよい」という意見もあります。(158)

へええ、いろんな人がいるんですねえ。いったい誰がどこでこんなことを言っているのか、書いてないのでわかりませんー。
あれれ、でも、ほとんどが、聞いた事あるような気がするのはなぜかな?

 この中の、全部ではないが、かなりの項目(6、7、9と10は違う気がする。しかし、私たちの主張が曲解されているような気もするな。でも9については、そういう捉え方をする人が英語圏に多いのは事実だと思う)が、斉藤正美さんと私による批判のことを言及しているように思われる。しかも、斉藤さんや私くらいしか、おそらく公的には表明してないような主張が多いような?
 しかし、いかにも最低でも10人くらい、あるいはもっと多くの人たちがこのような批判をしているかのように読んでしまう人もいるだろう。

  斉藤正美さんが「自らへの批判は匿名とし、批判をズラしたり、曲げたりと加工して不正確に持ち出す点が見られる。」とブログで書いているように、いったいこれらの批判が、誰がどこで行った批判なのかが、まったく明確にされていないのだ。

 突然と邪神デビューボパワ≠≠ムて、斉藤さんと私は分裂して、人数が増えてしまったのか!?ってことはないわけで。あるいは私たちが知らないだけで、どこかにこのような主張をする人たちが隠れているのか。だったら誰なのか、知りたいぞ~!