ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

久々のソープオペラニュース

2005-01-29 11:50:31 | メディア、テレビ
またしばらく更新をサボっていました。先週、先々週の週末と、
振り回される出来事が連続して勃発し、はげしくバタバタしたのでした。
ああ、やっと週末のんびりできる・・

デイタイムソープオペラ、All My Childrenの主役、Erica Kane役で有名なSusan Lucciが、ハリウッドのWalk of Fame入りしたというニュースが、今朝ネットを開けたら目につきました。日本ではほとんど知られてないかもしれないが、Susan Lucci、アメリカでは超有名人なのですよ~。

私は実は、ここしばらく、ソープオペラをほとんど見ていません。やっぱり、24時間ソープオペラチャンネルの、Soap Netは重要だ!いつでもソープが見られ、見逃しても週末にまとめて視聴できるソープネット!シカゴのケーブル会社のComcast、これがチャンネルラインナップに入ってないというのが許せん。

ま、でも、しばらく見ていなくても、たまに見ればすぐにストーリーラインがわかるのが、ソープオペラのいいところ。そしてインターネットのおかげで、spoilerサイトなんぞを見れば、ストーリーの展開や来週の予告なども細かくわかるようになっている。abc.comのデイタイムソープについての広告メールにも、来週のあらすじが書いてあるし。これ、たぶん以前、「ソープオペラの俳優と一緒に朝食を食べよう!懸賞」に応募した(思い切り外れたけど・・)とき以来、広告が届くようになった様子。でもabc,com広告は、けっこう楽しく読ませていただいています。
てなことで、ストーリーは見ていなくても何気にフォローしている私。でも、最近ストーリーいまいち面白くなさそうなのよね。で、ビデオ撮りまでする気力がわかないという・・

ところで、abcのプライムタイムのドラマ、"Desparate Housewives"がヒットしたせいだろうが、最近スパムメールにやたらと、セクシーなハウスワイフがどうこう、、って類いのが増えた気がする。このDesparate Housewives、私は一度ちらっとしか見た事ないんだけど、まあ不思議なトーンの妙なドラマだったこと。しかし、流行っていると聞くと、下らなさげながらも、一度はちゃんと見てみないといけないかな。


私の母校と別学共学論争

2005-01-20 10:31:31 | フェミニズム
別学か、共学か。埼玉の件は注目を集めましたよね。

私は実は、千葉県でいまだに県立別学校として残る、「千葉女子高校」の卒業生です。当時、なぜ千葉では比較的珍しい県立女子校で、同じような偏差値レベルの学校がいくつか家のもっと近所にあったにも関わらず、女子校を選んだのかといえば・・

「校舎がきれい」(たまたま改築直後だった)という単純明快な理由が大きかったなあ。でも、何となく「女子校」というものに憧れがあったり、共学で自分が押し付けられていたような気がして、もっとのびのびできると思ったこともあったかもしれません。とにかく、私は、自ら選んで女子校に行ってしまったのでした。そういう同級生たちはけっこう多かったような。当時、校内暴力が花盛りな時代で、暴力的な学校環境に嫌気がさして、女子校だったらそれはないだろう、、と思って選んだ、という友人もいたのを覚えています。

で、埼玉の件がニュースになったとき、私は「女子校に行きたい」という私のような子もいるだろうし、女子校だからこそ、女が活躍できる基盤があったりもする。ある意味、レズビアン的サブカルチャーもあったりもする。確かに私自身ものんびりできた。けっこう貴重な場なんだから、他にチョイスがあるならいいんじゃないかなと思ったりしました。

ただ、埼玉の場合は、トップレベルの学校というのがすべて別学、という、ジェンダーの他に、学歴やら階級的問題も絡んでいるという問題があるため、もっと問題は複雑だと思います。千葉のように、とくに私の出身校のレベルがどんどん落ちているという状態では、他に共学の選択肢がいくらでもあるのですが、そういう状態ではないわけです。

そしてもちろん、女と男、という「生物学的性」に無理に分けるということから、そのカテゴリーにはまらない、はまりたくない人たち、生物学的性と、性自認が異なる人たちを排除する、という問題は、県を問わずしてあります。

まあ、これらの問題を抜かしても、例えば千葉的なところの場合、一校くらい女子校あってもいいじゃん、みたいに適当に考えてました。ただ、そんなこんなで、ネットをみたら、やっぱり私の出身校でも、共学化への波が来ているようで、それへの反対運動なんかもある様子だというのがわかったのです。

しかし、その反対している理由ってのが、なんかねえ。中途半端なエリート意識 ー 千葉の県立女子校の中では(ってほとんど残ってないけど)、伝統もあって、トップレベルだし、部活動も強い(?)んだから、残す価値がある、とかいうものだったり。こういう気持ちの悪いエリート意識には、正直いって、反発感じますねえ。

考えてみれば、高校の時に死ぬほど教員たちに言われた「伝統」とか「女子校生としての誇り」とか何とかいういのが、私は大嫌いだったのだ。「清純」とかいう教育目標だって、冗談かと思ったよ。(まだあるのかな?OGとして、あの教育目標と、トーンが高すぎてラッキーなことに私は歌えなかった、時代錯誤甚だしい歌詞の校歌は廃止していただきたい、と思う。)

もちろんトップとか何とかいえるような教育をしているとは(現場の方には失礼ながら)当時も思えなかったし。むしろ、「女だから」こうしろ、ああしろ、服装には気をつけろ、(なぜか)スヌーピーの模様の鞄はけしからん(ミッキーマウスだったかな?忘れた。他の柄ならいいのか?と不思議に思った記憶あり)、浪人はするな、女だし、短大か、教育学部が素晴らしい(当時は短大人気時代)などなど。埼玉トップの女子校や、他のもっとエリートな女子校はたぶん違うのかなと思うのですが、私の出身校ははっきりいって、「良妻賢母教育」丸出しでした。「千葉の母を育てる」とか、校長がスピーチしていたのを思い出します。そういう意味では、私なんか母校教育の再失敗例ですね。ある意味、私が後にフェミニズムに惹かれたのは、あの学校の良妻賢母教育への反発という面があったようにも思っています。「伝統」も大嫌いになったからこそ、大学は「伝統」のない、戦後設立のところを選んだのだった。「伝統」という言葉が、どれだけの新しい動きを阻み、人々を押さえつける働きをしうるものなのか、高校時代に痛感したのです。

そんなこんなで、少なくとも自分の母校に関しては、最初は「県立では珍しい女子校だし、経済的に私立には行かれないけど、女子校行きたいって人もいるかもしれないし、選択肢として残しておいてもいいかな」なんて思っていましたが、考えれば考えるほど、さっさと妙な「伝統」は廃止して、共学化を進めた方がいいんじゃないかと思えてきました。社会に出れば、やっぱり女も男も含め、いろいろな人がいるわけで、あの、千葉県の中流階級子供が揃う女子校環境は、確かに異様だった。とくに私の母校の場合は、当時は何だか他の学校からも孤立していただけに、なおさら。私も大学にいって、再適応にはげしく苦労したのでした。

自ら選んで、作り上げた女だけの世界(女性運動とかね)だったらいいけど、おしきせの「女だけの世界」で、それもトップはほとんど男で、男の力で結局動かされてしまう構造の女だけの世界ってのは、いらない。今はそう思っています。


混合名簿

2005-01-20 10:05:28 | フェミニズム
ずいぶん前の混合名簿についての書き込みに関してコメントいただいたみたい。今ちょっと時間ないので、一言だけ書きますね。

混合名簿の運動が「ジェンダーフリー」の一環として出てきたというのは、歴史認識的に間違いです。混合名簿運動は80年代から、女性運動、そして教員組合などの中で地道な運動として始まっています。90年に行動する女たちの会が「さよならボーイファースト」というパンフを出し、それが売れたり、報道されたことなどもあって、少しずつ着実に広がって行ったもの。

それにひきかえ、「ジェンダーフリー」という言葉が東京女性財団によって「発明」されたのは95年のことです。行政主導、それに学者が乗っかって「ジェンダーフリー」という言葉を作り出し、行政のプロジェクトなどを通じて、なぜか「混合名簿」は「ジェンダーフリー」運動の一環のように語られる言説が作り出されていった。でも歴史的事実からしたら、「ジェンダーフリー」などよりよほど前から、混合名簿運動というのは存在し、着実に進んでいたわけです。

混合名簿がいかに学校現場において多大な影響を与えてきたか、ということは、12月に東大で行ったジェンダーコロキアム「ジェンダーフリー概念からみえてくる女性学・行政・女性運動の関係」の中で、具体的な現場経験に基づく報告もありました。この会の報告については、ウェブで発表することにしていますので、お楽しみに。


We記事第2弾

2005-01-17 20:02:11 | フェミニズム
ちょっと遅くなりましたが、1月号のミニコミ誌Weに、私の「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源(2)」が掲載されています。
1月号の宣伝はこちら。

いちおう、私の記事は特集テーマ「続・バックラッシュを打ち負かせ!」の中に配置されているんですが、なぜか上記の宣伝には載っていません。はて、これはどうしてなんでしょう?

おそらく皆さん、ご想像つくことと思いますが、この私の記事の続編に関して、すったもんだがありました。。実は、これ、本当は12月号に掲載予定で書いていたんですね~。でも1月にずれこむことになり、それをめぐる経緯も大変でした。

時期がきたら、この記事、また私のサイトにアップしますね。その時に、私のこの記事を書いたことに関する感想なども書いて行きたいと考えています。







Genderの訳語

2005-01-14 00:54:52 | フェミニズム
MLやら新聞記事などでよく見かけるが、日本語の「ジェンダー」訳には「文化的・社会的な性差」と訳されていることが多いようだ。学者の方々も堂々と書いているので、これが共通理解みたいになっているんだろうか。

だが、英語のgenderって言葉は、「文化的・社会的な性のありよう」みたいな意味合いであって、「性差」という意味じゃないと思うのだよね。「性差」っていうと、「性の間にある違い」ってな意味ですよね。これは「ジェンダー」とは違うよねえ。
これも、一種の「誤訳」なんではないだろうか。ジェンダーは「性差」じゃないよ~!と、声を大にして言いたい。