ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

千葉管理教育その4:体育編

2006-06-05 22:13:20 | 千葉県管理教育関連
千葉県管理教育シリーズその4は、体育編。
今までの記載から、いかに私の小学校で体育ばかり行われていたか、ご想像つくと思う。

一日のスケジュールを見るだけで、朝の運動、業間体育、昼休み(雨でない場合、ほぼ強制的に外に出て「遊ぶ」ことが求められた)、そして正規の体育とあるわけだ。高学年のときには、業間体育の後の3時間目はなだれこみ体育となることも多かった。現在、学校のカリキュラムにゆとりがありすぎだか何だかといって批判が出ているようだが、当時、少なくとも私の学校では、カリキュラムがどうであろうが全く関係なく、通常授業をつぶして体育にするということが堂々と行われていた。どうやら、私の行った小学校は、地域の体育モデル校的学校だったらしい。そして私は運動音痴。たまたま近所にあった学校がこんなところだったという、この不運。。

その証拠に(?)なんと、私の小学校はほぼ毎月運動会があるという、恐るべき学校だった。普通の運動会というのは、「大運動会」と呼ばれ、春に開かれた。その他に、種目別の「小運動会」と称するものがほぼ毎月。マラソン大会、なわとび大会、相撲大会、樗n大会、一年に数回あったリレー大会などがあったように思う。球技もあったかもしれない。「小運動会」は学年ごとのクラス対抗システムで、これに勝つかどうかで教員の格に影響が出るという説もあり、とにかくこの「小運動会」のために、様々な授業がつぶされて体育と化したり、放課後に居残りで練習させられたりしていた。

樗nひとつとっても、ゆるゆると歩くわけではない。あくまで「競争」なので、樗nで走るのだ。そのせいで落下したりして、複雑骨折で入院した人をはじめとして、怪我人もかなり出ていた。なわとび大会は、一定時間とばせて、ひっかかった人の数で勝敗が決まる。ひっかかっると責任著しく重大ということだ。「全員リレー」に至っては、速い子はスターだが、遅い子にとっては最悪である。クラスが負けたら、居場所がないことこの上ないわけだ。

この他、「公開研究会」なるものも秋頃あった。これは、日頃の体育訓練(=ほとんど軍事訓練)の成果を、様々な地域から来る学校の教員らに披露するというもので、教員の気合いも違った。たしかクラスごとに、力をいれる種目というのが決まっていて、私のクラスはマット運動だった。全身いろいろなところを打ちつけ、青あざだらけになりながら、「腕立て前方転回」なるマット運動の種目を練習させられた。これもグループの中でできない子がいると、そのグループ全体が怒られたり、立場が悪くなるという、連帯責任ワールドだ。そしてマスゲームの練習もこれに付随したように思う。「まわれ右」だの何だのを、手足ぴったり延ばして、他の子どもから少しでもずれないようにこなさねばならない。間違えたりしたら怒りの鉄拳が待っている。
この他に、市内の学校対抗の大会みたいなのもあった。そのためのマスゲーム練習も気合いがはいりまくっていた。そういう場にいって、「私の学校、こんなにぴったりそろった演技ができててすごいだろう」と子ども心ながらに思ってしまっていた自分。。恐ろしすぎる。

この他にも、小学校時には、市が作った「八千代ふるさと音頭」(歌は森昌子!)や「ラジオ体操」をいかにぴったりそろってできるか、異様な熱心さで練習させられたりした。これも、マスゲームのノリである。そして、私が高校生になるかならないかくらいの頃、千葉県民体操の「なのはな体操」が開発された。県立高校だったからか、高体連の事務所が学校の敷地内にあったからかわからないが、この「なのはな体操」もひどく熱心に練習させられた。マスゲーム好きも変わらずで、「お花畑の朝」だかという、学校に伝統的に伝わるという恥ずかしい名前のマスゲーム風ダンスを体育祭のためにかなり練習させられた。なぜか体育で「やり投げ」の授業があったのも覚えている。女子校だったためか、体罰を伴う軍事教練的色彩は小学校よりはかなり薄れていたとはいえ、どこかに片鱗が感じさせられるのだった。

次回はクライマックス、体罰編に行く予定。

ケンシロウ議員は毎日スキヤキ?

2006-06-05 01:47:00 | 社会問題
annntonioさんのブログに、松浪健四郎議員のトンデモ発言が紹介されております。
http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20060603

露骨なアナクロ性別役割分担意識とか、女性教員の存在をどう考えているのか、とか、まあつっこみどころ満載なわけですが(annntonioさんのエントリにコメントやトラバされている方々の鋭いつっこみもぜひご覧ください)、細かいことなれど私が気になってしまったのは、松浪議員による「スキヤキ」に関する一節。

私の家は、相撲部屋のチャンコ鍋よろしく、毎晩のごとくスキヤキを中心とするナベ料理ばかりだった。男4人兄弟の食事なんて、量が問われたうえ、全員が格闘技に打ち込まされたから相撲部屋そのもの。


毎晩のごとくスキヤキ中心って、、しかも、量が多いという。「家はリッチだったんだぞ~」と威張りたいのかな?ついでに、育児への「大変な努力」を楽しむべきというコンテクストで、鍋料理ばかりというのが紹介されているっぽいんだけど、鍋料理って材料切るだけでいいし、いちばん「大変な努力」を必要としない料理ともいえるんだよなあ。。「大変な中で知恵を出す」という例が鍋料理?わけわからん。。

ああ、しかしこんなのが国会議員で、しかも教基法特別委員会の委員ですか。。