ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

「書く」ことのスキルとジャンル

2007-11-26 22:57:26 | 大学関係
今教えている授業で、本来はエッセイスタイルの試験を3回(小さいテイクホームエッセイ型の中間試験2度と、期末試験1度)を予定していた。そのほかに、フィールドリサーチプロジェクトに基づくペーパーもある。先週、学生たちに、「学期末の試験をカットして、そのぶんフィールドリサーチに力を注ぎたい」という妙に説得力のある意見をいわれ、確かにそうかもなと納得してしまい、学期末のエッセイ試験をやめてしまうことにした。そのかわり、フィールドリサーチペーパーのページ数を若干長くすることに。

take-homeのエッセイ型試験は、今まで学んだ教材を自分の頭のなかでまとめて、何らかの議論をつくりあげるという訓練にはとてもよい。教える側からしたら、読んでいなかったかもしれないリーディングを確実に学生に読んでもらうことにもつながる。というわけで、ある意味便利で、マークシート方式よりは考える力を養うことにつながるとは思うのだけれど、自分自身の経験をふりかえってみても、エッセイスタイル試験でその場で考えても、試験が終わればすぐに忘れ果ててしまったりする。反面、自分でリサーチをしたペーパーの内容は、何年か時がたっても、少しはおぼえているものだ。とくに、フィールド調査がからんでいた場合は、かなり印象に残っている。

今学期、当初は1度にしたかった中間試験を2度にしたのは、新しい大学で、どの程度いわゆる「アカデミック」なライティングスキルを学生たちがもっているのかわからなかったので、早めにそれを知っておきたいということもあった。だが、この「エッセイ試験に対応できる、いわゆる『アカデミック』なライティングスキル」というのは、多様なライティングのジャンルのなかで一種類のものでしかない。そして、それはトレーニングを今まで受けてきたかきてなかったかで、単純に差がついてしまう。

比較的一定した「エリート」層がはいっている大学だと、高校などでそういったトレーニングをがっちり積んできている。というか、そういったトレーニングをつめる幸運な、裕福な環境にあった学生たちが多い。そして、大学にはいってからも、少人数教育でカリキュラムもしっかりくんであったりして、ライティングなどのスキルのトレーニングを受ける機会がたくさんある。

だが、今いる地元密着型州立大学(しかも、オープンアドミッション方式で、成績をとわずとりあえずは入学させるシステム)の場合、生徒たちの背景はあまりに多様だ。しかも大学では、ライティングのクラスは一つは必修だが、それ以上は選択。サメ[トがしっかりある状況とはいえない。そんな中、いわゆる「アカデミックライティング」のスキルでは、それまで高校などでどんな教育を受けてきたかの差がモロにでてきてしまう。例えば、田舎の過疎地域で教員も(学生数も)非常に少ない高校出身だとか、経済的に苦しい階層出身だとか、マイノリティであるとか、、単純にそういった理由で、ライティングのスキルを身につける機会がなかったということがある。でもそれは、授業内容がわかっていないとか、能力が低いとかいうことにはつながらない。

一生懸命授業に取り組み、わかっているのに、単にライティング(しかもある意味特殊な「アカデミックライティング」といわれる分野)のスキルをトレーニングする機会がいままで得られなかったというだけで、成績が低くなってしまうというのには、ちょっと問題も感じる。そういうことを考えると、エッセイスタイルの試験だけで力をはかる、ということも問題があるなと思うのだ。

かといって、マークシート方式にすると、考える力より記憶力ばかり養われてしまうし、そもそもひっかけ問題が多くなる方式では、わかっていてもひっかかかってしまうのは、言語力にハンディがある外国人だったり、移民だったりする。それではエッセイよりマズい。

フィールドリサーチのペーパーは、エスノグラフィーを書いてもらう宿題なので、いわゆる「アカデミック」ライティングよりもっとクリエイティブなスタイルで自由に実験してみることを推奨してみている。そして、エスノグラフィーの宿題で学生たちが書いてくるものは、エッセイ試験よりも圧涛Iに生き生きしていることが多いのだ。これだと、単純な高校時代やそれ以前のトレーニングの有無が単純に反映されるということにも、少しはなりにくい気もする。

エスノグラフィータイプのペーパー宿題を出してみて気づいたのは、実は昨今の学生たちは必ずしも「書くのが苦手」と片付けられないことだ。たしかに、アカデミックペーパーのライティングスキルはくらくらするほどダメだったりすることも多いのだけれど、違うジャンルでは、意表をつくような面白いものを提出してきたりすることもある。

今は、私が大学生だった頃より、ネットの普及で、メールにしろ、ブログやSNSにしろ、日頃の生活の中で「書く」機会はむしろ増えているように思う。私が大学生だったときにはまだネットは普及しておらず、友達に書く機会は手紙のみ。当時手紙などで書いていた文章量と、今、ネットが日常的に使われる環境で書いている文章量とは圧涛Iに違うと思う。「書く」ことだけなら、今の学生は実はそう違和感なくできる人が多いのだ。問題はジャンルと質なのか。

そんなこんなで、エッセイ試験のパーセンテージが若干減り、フィールドリサーチペーパーのほうを増やすことになった。さて、どんなフィールドリサーチがでてきて、どんな書き方スタイルを学生たちが実験してくるのやら。。





犯罪学に取って代わられるアメリカ社会学?

2007-11-24 01:18:51 | 大学関係
「アメリカ社会学」といっても、研究の最先端とか、一部エリート大学の社会学部のことではなく、地元密着型州立大学や、いわゆる「エリート」大学ではない私立大学の教育現場の話。

私が今いる大学は、地元密着型州立大学といえるだろう。そして、所属する学部は社会学と人類学がいっしょになっている学部なので、私自身の分野は人類学でも、社会学側の話も日常的によくでてくる。

私の学部の社会学サイドは、近年、犯罪学(Criminal Justice)専攻をやめる決断をし、プログラムがなくなった。しかし、これは全米的にみると、かなり珍しい決断のようだ。なぜ犯罪学専攻のプログラムを廃止したのか、という話を聞くなかで、私の大学のみならず、全米で起きている状況がみえてきた。

私の昨年の就職活動を通じても、よく聞いた話だが、社会学が犯罪学にどんどん浸食されている状況があるというのだ。「社会学・人類学・犯罪学部」のように、複数分野がいっしょになっている大学の場合、人類学も社会学も両方、犯罪学に浸食されてしまう状況があるらしい。

たしかに、社会学の就職募集をみても、犯罪学のャWションが圧涛Iに多い。そして、例えば「社会学・人類学・犯罪学部」のような学部で、社会学者や人類学者が引退したりほかの大学に移ったりした場合、このャWション自体が犯罪学になってしまうこともよくあるらしい。

なぜかといえば、犯罪学が大人気で、学生数が簡単に集まってしまう分野になっているからだ。明らかに、テレビ番組のCSIや、ちょっと古くはX Filesなどの人気の影響がでているようだ。とくにCSIは、CSI ニューヨークだの、CSIマイアミだの、スピンオフ番組もできている。これらの番組に影響された学生たちが「犯罪学を専攻すれば、格好いい捜査官になれる」と思ってしまうことがあるのだろう。

また、現実的には、地元密着型大学を卒業して、大学院などにも行かない/経済的に行かれない学生たちに考えられる、確実に身分が安定しうる数少ない考えられる職業のひとつが、警察官であることもある。とくに、ここモンタナのように、若者の仕事がなかったり、あっても給与が非常に低かったりする土地においては、警察というのは魅力的な就職先なのだろう。私の学部の教員によれば、スピードや駐車違反でつかまってみたら、担当警察官が元生徒だった、ということもよくあるとのこと。(これは避けたいな。。)

犯罪学の隆盛で、危機感を覚えている社会学者たちは多い。犯罪学に「犯罪を(上から)取り締まる」という観念を求めてくる学生たちが多く、よくジョークで聞かれるのは、「『手錠の装着方法』を学びたい学生たちが来ちゃうからねー」といったようなこと。犯罪捜査でよくでてくる、ステレオタイプに基づいた人種プロファイリングに興味があったりとか。これと、社会学的なアプローチー階級、人種問題などを扱い、社会の下層に置かれて差別されている人たちや、社会運動に親和的な視点をもったりーと根本的にずれるといってもいいからだ。求めるものがあまりにずれてしまっている犯罪学専攻の学生たちを教えている社会学の教員たちは、かなり苦労しているようだ。

しかし、ビジネス化がすすみ、とにかく儲けを第一に考えたい大学にとっては、学生が集められる犯罪学のほうが、社会学や人類学よりも魅力的なのだろう。結果、どんどん犯罪学の教員が雇われ、犯罪学以外の社会学がそのあおりを食っている状況があるという。同じ学部にいても、どんどん犯罪学プログラムばかりが巨大化して、社会学や人類学が小さくマイナーなプログラムになってしまっていることもあるようだ。一部のエリート大学なら、こんなことを心配せずとも、社会学のいい教員も、興味をもつ学生も集まってくるのだろうが、、

こういった傾向は、犯罪学/社会学のみならず、人類学にもある。近年、やはりテレビ番組の影響で、Forensic Anthropology(法医学人類学)がやたらと人気になってしまっているのだ。人類学といえばforensicと勘違いしている学生たちもいたりする。テレビ番組をみて法医学人類学にあこがれてしまうのだろうが、犯罪学に比べてももっとひどいのは、実際大学4年でたり、修士をとったくらいでそんな仕事ができる人たちは誰もいないという現実があることだ。そして、犯罪学同様に、法医学人類学を専攻したがる学生たちが求めるのは、簡単なhow to 的な知識であるという問題もある。このままいったら、社会学のように、生物人類学がForensic Anthroにとってかわられてしまいそうという問題も起きてきそうだ。


気温が一気に下がった

2007-11-23 02:50:42 | 日々の出来事、雑感
昨日から気温がぐっと下がって、摂氏でいうとー15℃くらいになってしまった。現在の坊主マンの気温は、weather.comだと5°F(華氏だぞー)、accuweather.comだと0°Fと書いてある。accuweatherによると、今晩の最低気温の予報は≠X°F。これは寒い。

全米の気温マップみても、このへんが一番寒そうだ。寒い地域のはずの、メインとかミネソタなんかより、全然気温が低いじゃないか。まあこの寒気は東のほうに移動していくのだろうけれど、それにしても、、11月でこれとは、先が思いやられるような。

へんなカタログが届いた

2007-11-22 08:22:02 | 日々の出来事、雑感
そろそろクリスマスショッピングシーズンで、家にもいろいろな通販カタログが届いているのだが、今日は今まで、カリフォルニアでも、ミシガンでもシカゴでも受け取ったことがないカタログが届いた。

"Military Issue" というタイトルで、カタログの裏側には"The Military Lover's Favorite Place to Shop!"と書いてある。
中身をみてみると、戦車や軍艦、戦闘機模型とか、軍人フィギュアとか、戦争/軍テーマのャXターなどが商品として売っているようだ。歴史上の戦争別にページが構成されている。

中身閲覧、ということで、いくつか写真を撮ってみた。

まずは表紙。(ちょっと光ってしまったが)




日本がらみのページ。日本兵士人形、エノラゲイの模型やら、沖縄戦関連やらのグッズもある。



そして、テーマ別ページの最後には、イラク戦争もの。


このカタログ、ミリタリーオタクと、あとは帰還兵で昔を懐かしむ系の人たちがターゲットなんだろうか。愛国心丸だしの、アメリカ軍礼賛系かと思えど、ナチスのバッジや、日本兵人形まで売っていて、政治的スタンスがとくにはっきりあるようにも見えない。単にミリタリーに関連するグッズを集めたがる人たちが相手なのか。。しかも、このカタログはホリデー特集号で、これらの商品はクリスマスプレゼント用カタログという位置づけのようなのだ。うーん。。(クリスマスプレゼントに、ナチスバッジや日本兵人形あげる人って、かなり浮「気がするぞ。)

まあ、こういうのが好きな人たちも世間にはいるのだろうから(個人的には気持ち悪いが)、こういうカタログが存在すること自体は驚かないまでも、謎なのはなぜこんなカタログが私にきたのか、ということだ。今まで一度もこんなの来たことなかったからな、、、もしや、モンタナという土地柄のためなんだろうか!?


追記:その後カタログをぱらぱらめくっていたら、George W. Bush Pilot Figureがセールになっているのを発見!$39.95が$19.95、なんと50%オフ!でもいらないなあ。。





グッドタイミング!

2007-11-20 23:51:34 | 日々の出来事、雑感
一昨日、ウィンタータイヤにとりかえたと思ったら、昨日雪が降った。午後から降り始め、道路の除雪も全然できていない状態。(大通りではない通りはそもそも除雪やる気もないのかもしれない。)夕方~夜にかけて出かける予定もあったので、タイヤをとりかえて本当によかったぞ。。。運転中に路側にすべってしまったのか、けん引されている車も途中で見かけたりした。

今朝、アパートの窓からみえる風景。




と、ここまでアップしてふと外をみたら、、また雪が降り出している!今日は授業もなく、出かける必要もないので、家でおとなしくしていたほうがよさそうだ。。