ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

ガソリン高すぎ

2006-04-30 21:34:54 | 日々の出来事、雑感
ところで、ガソリン高すぎなんですけど・・。ガロンゆうに3ドル超えですよ。最近、ガソリンいれるのが恐浮ナす。まあ近所の買い物くらいにしか今は乗ってないけど、長距離ドライブは辛いよね。飛行機代とかもますます上がるんだろうなあ。あああ、ブッシュめ。

大失敗、見逃した!

2006-04-30 21:24:56 | メディア、テレビ
ああ勘違い。今日だとばかり思っていた、一年に一度の大イベント、Day Time Emmyが実は昨日で、テレビ放送を見逃すという大失態!毎日のように見ていると、お友達のような気分に陥ってくるお気に入りのソープオペラアクター&アクトレスたちのドレス&タキシード姿、見たかったぞ。でも、ネットで受賞者チェックしたら、私のお気に入り番組関係者はほとんど賞とってなかったみたいなので、今回は見逃してもよかったかも。。最近、ソープオペラもあまり見ることができてなかったし・・。

花満開

2006-04-29 07:38:07 | 日々の出来事、雑感
ますます緑が増え、花も咲き乱れ、シカゴはきれいです。
我が家の駐車場の前にある木、花が咲き乱れてきれいなので、写真撮ってみました。


こちらはハイドパークエリアのメインストリート、53rd Stの風景。リブ屋さんがうつっているのが
シカゴらしいかな?


行政の評価&女性運動の歴史はどこへ?:伊田氏ブログ感想

2006-04-23 09:01:36 | フェミニズム
投稿字数制限にひっかかったので、前のエントリの続きとして書いたものを新しいエントリとして載せます。やはり、斉藤正美さんのブログでの議論に刺激されてのものです。

伊田氏のブログのほうもちょっと覗いてみた。そして、ちょっと待て!という感じを受けたので、それについても記しておきたい。

堂々と男女共同参画社会への道を進んでほしい。この数年後退してきたジェンダー平等政策へのスタンス(性教育やジェンダーフリーへのしり込み、不使用、本質主義への妥協)をふたたび、王道に戻していただきたいなと思う。


王道に戻すって、、行政の施策を高く評価しすぎでは?行政がある程度の成果を挙げたことは否定はしないし、それがここ数年後退してきたことは事実だとしても、でもただ戻せばいいってものじゃないと思うのですが。『男女共同参画』という腰がひけた概念、少子化対策としての『男女共同参画』という意味あいが含まれてしまっている基本法の前文などを見ても、「王道」ではないでしょう。行政が啓蒙に偏った政策をしてきた歴史も問い直されるべきでしょう。。
行政はそれまで「王道」に基づいた素晴らしいことをやってきたのに、バックラッシュによってすべてが壊れたというような歴史観なのでしょうか。

私の考えでは、バックラッシュの背景にはいろいろなものがありますが、一つの側面として、フェミニズム側がこうした諸論点で十分深めてこなかったがゆえに、上記の点での「常識的な、保守的な意識」が根強く出てきているのだという面があると思っています。まさにこれからジェンダーフリー、ジェンダー平等、男女共同参画が本格的にすすむかどうかが問われているのだと思います。


上記で書いた「王道」歴史観と今度は違って、フェミニズムは議論を深めて来なかったので限界があった、けしからん、という歴史観がでてきています。行政の「男女共同参画」は「王道」だけど、フェミニズムは違うのだろうか?

今までのフェミが一定程度進展してきたのは、まだまだ今までの社会の根本的な改革に手をつけず、イメージや部分的改良(一般理念)にとどまって、リベラルフェミニズムの枠内であったという側面がある(シングル単位的な具体的制度改革や男女二元制に手をつけてこなかったから容認されてきた)とおもっています。
私のシングル単位社会化は、それをより本格的に実質的なジェンダー平等をすすめるものなので、そうなると、労働システム・結婚制度・異性愛男女2分法主義といった根幹への変革を求めるがゆえに、抵抗勢力は反逆に出ます。それがバックラッシュの一面です。


どうも、今までのフェミニズムというのはリベラルフェミニズムで、社会の根本的な改革に手をつけてこなかった・・といいたいようです。リベラリズムの最たるものであると思われる『男女共同参画』は王道だというのに、はて?
そして、最大の問題点。1970年代のウーマンリブ運動による、社会の根本変革につながる性差別の告発、性についての問い返しといったものは、まるでなかったことになっているのでしょうか。75年以降、行動する女たちの会などの女性運動が、具体的にマスコミや教育における性差別撤廃にむけて闘い、男女特性論の最たるものであった家庭科男女別修を共修に変え、労働を見直して「男なみを求めるのではなく、男も女も」という平等法運動をやってきたことは、あれは何だったということになるのでしょうか。
女性運動の歴史を無視し、「自分のやっていることだけが、ラディカルで素晴らしいのだ」といったような歴史認識は、とても受け入れられません。