ふぇみにすとの雑感

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女性学会本(4):船橋氏の「男女平等教育」関連の記述について

2006-06-24 11:36:40 | フェミニズム
コメント欄に書こうとしたが、字数多すぎでャXトしづらくなってしまったので、新たなエントリをたてて、以下にHAKASEさんとdebyu-boさんのコメントをうけての、船橋氏の文章のコンテクストと、氏の主張への私の疑問点をまとめたものをャXトします。

HAKASEさんがいわれているのは、船橋氏による議論に私が言及した部分だと思います。この文がでてきたコンテクストは、「男女共同参画/ジェンダーフリーができるまで」という題がつけられており、まず女性差別撤廃条約(CEDAW)の解説、CEDAWと第二波フェミニズム運動の関係が解説されています。ここで、船橋氏は、「女性差別撤廃条約は、それまでの男女の違いを認めた上で男女は平等という男女平等論とは異なる新しい平等論に立脚したものだといえます」(166)と書いています。ちなみに、女性差別撤廃条約を日本政府が署名したのは1980年、批准は1985年です。

その後、『「ジェンダー」という概念導入の歴史』というセクションが始まり、その中で、ジェンダー概念が日本の女性学において広く使用される契機となったのが1989年、NWECで開催された女性学国際セミナーでのデルフィの発言だと解説され、その後、「ジェンダー」概念が国連文書で採用されるようになったのも、1990年代に入ってからのことだ、と書かれています。そして、北京会議において、「ジェンダー」という言葉が多様されているという説明があった後で、ここで問題になっている箇所の「日本でも北京会議後、性別特性論を前提とする『男女平等』と区別するために、「ジェンダー平等」という場合も出てきました」という一文が出てきます。(169) 

 そして、「ジェンダーフリー」は国連文書には登場しないが、「この言葉は性別特性論を不問にして男女平等は達成された、という認識が大半を占める日本の学校現場で、「性別特性論型の男女平等教育」と区別する必要性から現場で使われ、広まった言葉といえるでしょう」(169)と書かれています.

私が疑問に感じたのが、

1)女性差別撤廃条約が、「男女の違いを認めた上で男女は平等という男女平等論とは異なる新しい平等論に立脚したもの」と述べている。そして日本政府はこの条約をすでに85年の段階で批准している。女性運動は、この条約を政府に署名、批准させるために、運動をすすめた歴史をもつ。にもかかわらず、北京会議後、「性別特性論を前提とする『男女平等』と区別するために」というのは、どういうことなのか? 北京会議以降、「性別特性論を前提とする『男女平等』」を唱えていたというのは誰で、そのために「ジェンダー平等」をいったのは誰かなど、主語がないのでいったい誰が主体なのかがわからない。

2)「性別特性論を不問にして男女平等は達成された」という認識が大半を占める日本の学校現場で、「性別特性論型の男女平等教育」・・」と書かれている箇所によれば、どうやらこの「性別特性論型の男女平等教育」というのは「現場の大半」の人々が行っていたらしい、ということになる。「現場の大半」とは、どういう状況にあり、現場のどのような人々が「性別特性論型の男女平等教育」を行っていたということになるのか、書いてないのでよくわからない。これはすなわち、 「日本の学校現場」の大半が、(男女平等はすでに達成されたと認識していることから)何もしていなかったといいたいのか、それとも「性別特性論型の男女平等教育」というジャンルがあって、それを実践していたということなのか、についてもわかりづらい。
 そして、「性別特性論に基づかない男女平等教育」を実践してきた人たちはいたわけなのだが、この人たちの役割はどこへ行ってしまうのだろうか。

3)上記をみると、「性別特性論型の男女平等」を唱えているのは、教育現場の人たちになるようだ。だが、東京大学のジェンダーコロキアムでの船橋氏の会場からのご発言では、「性別特性論型の男女平等」は行政が唱えてきたもの、というご意見だったように記憶している。
 あるいは、HAKASEさんが言われるような、一般の人たちに関するものだという読みも、ありうると思うし(バッシング派も、少なくとも「建前上」は「男女平等」に反対しづらいらしい状況を考えると、本音は別として、「建前上は」バッシング派の主張、ということもありうるか)debyu-boさんが言われるような、「性別特性論型の男女平等」をとなえるフェミニストがいる、という解釈も、この文章からは可能な気がする。

 ということで、船橋氏は同趣獅フご発言をいろいろなところでされているようなのですが、いづれの場合も、具体的に「誰が」主張し、実践しているのか、というところがはっきりしないままなのです。そして、曖昧なままに氏のような主張が一人歩きしていくと、教育関連の女性運動の歴史がそこから漏れ落ちてしまうのではないか、、という危機感はもっています。
 ということで、ありとあらゆる解釈が可能といえば可能かと。。もっと具体的に何を示しているのかについて書いてくれないと、議論も積み重ねていかれないのではないかと思うのです。