ずーっと書こうと思って、気になっていたことのひとつに「ジェンダー・バイアス」などの言葉で使われる「バイアス」という概念がある。去年、東大ジェンコロで「ジェンダーフリー」についての集会を開いたときの配布資料の最後につけたしのような形で、実は「ジェンダーバイアス」という言葉もバラバラの意味合いで使われているという問題提起をしたのだが、つっこむ時間はなかった。しかし、先日「ジェンダーバイアス」という言葉の解説をいくつかウェブで見てみたら、なんだか「バイアス」を「偏見」とか「固定観念」と説明しているのが多いのですよね。(たとえばこちらやこちら。これもそうですね。)。そして、「ジェンダーフリー」の正しい言い方は「ジェンダーバイアスフリー」だとか何とかで、その意味は「ジェンダーに基づく偏見から自由になること」となるらしい。
オンライン版American Heritage Dictionaryで"bias"という単語をひいてみると、以下のような定義が出てくる。
1. A line going diagonally across the grain of fabric: Cut the cloth on the bias. 2a. A preference or an inclination, especially one that inhibits impartial judgment. b. An unfair act or policy stemming from prejudice. 3. A statistical sampling or testing error caused by systematically favoring some outcomes over others. 4. Sports a. A weight or irregularity in a ball that causes it to swerve, as in lawn bowling. b. The tendency of such a ball to swerve. 5. The fixed voltage applied to an electrode.
上記のうち、この場合に関係するのは2の定義なのだが、英語の、それも教育において使われる"gender bias"という表現には、2aの定義だけでなく、2bの定義"An unfair act or policy stemming from prejudice"ってのがはいっているのですよね。この"unfair act or policy"ってのが、よく見る日本語の「バイアス」ー偏見、固定観念という定義ではすこーんと抜け落ちている気がする。これも、「ジェンダーフリー」という言葉から見えてくる、「意識」ばかりを問題視しようとしている現象と重なるのよねえ。
要するに、「ジェンダーフリー」から「ジェンダーバイアスフリー」に言い換えればいいという単純な問題ではないようにも思うのです。
でも、英語の"bias"という言葉自体も、「客観性」や「中立性」そのものを疑問視してきた、フェミニストの認識論的立場を考えると、フェミニスト教育学で使うのはちょっと矛盾しているんではないかなと考えたりもしています。("unfair act"って定義に限っては、そう問題感じないんだけどね。)しかしこれは長くなりそうなので、この「雑感」ブログには書ききれないぞ。。そのうちちゃんと何か書けたらいいなと思ってます。
オンライン版American Heritage Dictionaryで"bias"という単語をひいてみると、以下のような定義が出てくる。
1. A line going diagonally across the grain of fabric: Cut the cloth on the bias. 2a. A preference or an inclination, especially one that inhibits impartial judgment. b. An unfair act or policy stemming from prejudice. 3. A statistical sampling or testing error caused by systematically favoring some outcomes over others. 4. Sports a. A weight or irregularity in a ball that causes it to swerve, as in lawn bowling. b. The tendency of such a ball to swerve. 5. The fixed voltage applied to an electrode.
上記のうち、この場合に関係するのは2の定義なのだが、英語の、それも教育において使われる"gender bias"という表現には、2aの定義だけでなく、2bの定義"An unfair act or policy stemming from prejudice"ってのがはいっているのですよね。この"unfair act or policy"ってのが、よく見る日本語の「バイアス」ー偏見、固定観念という定義ではすこーんと抜け落ちている気がする。これも、「ジェンダーフリー」という言葉から見えてくる、「意識」ばかりを問題視しようとしている現象と重なるのよねえ。
要するに、「ジェンダーフリー」から「ジェンダーバイアスフリー」に言い換えればいいという単純な問題ではないようにも思うのです。
でも、英語の"bias"という言葉自体も、「客観性」や「中立性」そのものを疑問視してきた、フェミニストの認識論的立場を考えると、フェミニスト教育学で使うのはちょっと矛盾しているんではないかなと考えたりもしています。("unfair act"って定義に限っては、そう問題感じないんだけどね。)しかしこれは長くなりそうなので、この「雑感」ブログには書ききれないぞ。。そのうちちゃんと何か書けたらいいなと思ってます。