「男女共同参画のための研究と実践の交流推進フォーラム」と名前を変えた、ヌエックでのフォーラムに一泊二日で参加してきました。
本当は参加する予定はなかったのだけど、急遽行くことに。
私がこのフォーラムに行くのは6~7年ぶりくらいだと思うのですが、着くやいなや気づいたことが、「参加人数の少なさ」。募集期間も短かったし、実施ワークショップも少なければ当然の帰結なわけだけどね。土曜の午後に武蔵嵐山の駅に着いて乗った駅からの無料送迎バスには、私を含めて客は二人。(まあ変な時間についたからかもしれないが。)運転手さんに、ガイド役をしている行政の人も乗っていたのですが、なんかこれだけの人数でバス動かすのもったいないなあ、、とまず思ってしまいました。
会館では、まず本などの商品を市民団体が売るスペースの「情報のひろば」をのぞいてみたのですが、前にきたときに比べてスペースがすいていること。以前はぎゅうぎゅうづめで所狭しと本やパンフの類いを売る団体があり、見にくる人たちでもっと混んでいた気がしたのですが。
食堂なども、今までは席を見つけるのも大変なほどだったのに、明らかにすいていました。宿泊も満員で難しかったのが、今年は当日きて急遽宿泊希望しても、大丈夫だったとか。
着いた日の夜、自由交流の一環としてバックラッシュについて情報や意見を交換するインフォーマルな会を知人と呼びかけて開きました。今までだったら、そういう自由交流時間帯の呼びかけも、場所が足りないくらいにたくさんあったそうなのですが、今年は少ないこと。。なんと3つしかなかった!(写真を載せておきます)
その会にきた方々に、今年のヌエックフォーラムについてどう思うかも聞いてみました。感想としては:
ー人数が少ない。聞いたところでは、例年2~3000人の参加なのに、今年は1000人ほど。
ー参加者が例年よりおとなしめな気がする。参加者の層がかわったような気がする。
ーワークショップの枠の数が少ないので、時間的に余裕がある。参加できるワークショップの数が少ない。
ーワークショップの数も圧涛Iに少ない
ー「すいている!」
ーワークショップの応募が少なかったので、必死に関係者などに声をかけ、応募をふやしたという噂あり。
ー初日のパネルディスカッションも、内容的に引いており、いまいちだった。
ーテーマが限定されており、市民団体側もヌエックの基準にあわせてワークショップを企画したので、自由に正直に発言する場が、この夜の自由交流くらいになってしまっている。本来はこういう(バックラッシュがらみの)内容のワークショップが日中にあるべきだろうが、おそらくこれで応募したら通らないだろう。
などなど。
ワークショップも、客がよべる行政講座をどうしたら企画できるか系や、行政との協働系のものがいくつかあり、目立っていたような印象。「こうやって男性も男女共同参画センターの講座にくるように!」などと書いてあるワークショップ宣伝チラシが貼ってあったのを見ました。別に悪いことじゃないけれど、なんか本来の目的からなんかずれてきているような気がしないでもない。夜の集まりの際には、「講座名やチラシの中に、カタカナ言葉を使うと若い人がくる」といっていた、と聞きました。本当かあ!?
ヌエックのフォーラムの「官製」雰囲気がますます濃くなり、私が苦手とする雰囲気が濃くなったなあ、と正直、思いました。以前からそういうところはあったけれど、行政やそのまわりの人たちのためのイベント、って色合いが強まったような印象でした。やはり、ヌエックがワークショップのテーマを事前に絞り込んだことがマイナスになっていると思います。このために、メディア批判、教育現場、性教育やセクシュアリティ、マイノリティ関係、現在の政治的動きやバックラッシュがらみのワークショップが皆無という事態に陥ってしまった。これは重要な欠落だと思います。
せっかく行くなら、と、当日手持ちで持っていけそうな分量の『バックラッシュ!』本13冊を携えて、行商活動をしてきましたが、さしたる苦労もなく、めでたく完売!チラシも配ったので、注文がはいるといいなあ。
私が(途中からでしたが)参加した、女性ユニオンのワークショップの報告が市川房枝記念会の将来を語る会・ブログにありましたので、紹介します。ここで書かれているように、市川房枝記念会辞めた職員のかわりにボランティアを補充鵜していたこと、そして、今回も理事会はその方向にあるらしいことには、驚きあきれました。財団に資金はあるにもかかわらず、、です。女性の労働が評価されず、ただ働きになってしまうという差別的な構造を強化することを女性のための活動をするはずの団体がしているとは!本当にひどい状況だということがよくわかりました。
写真:空きスペースだらけの交流会呼びかけ用掲示板(去年はいっぱいで、空きスペースもなかったらしい)
本当は参加する予定はなかったのだけど、急遽行くことに。
私がこのフォーラムに行くのは6~7年ぶりくらいだと思うのですが、着くやいなや気づいたことが、「参加人数の少なさ」。募集期間も短かったし、実施ワークショップも少なければ当然の帰結なわけだけどね。土曜の午後に武蔵嵐山の駅に着いて乗った駅からの無料送迎バスには、私を含めて客は二人。(まあ変な時間についたからかもしれないが。)運転手さんに、ガイド役をしている行政の人も乗っていたのですが、なんかこれだけの人数でバス動かすのもったいないなあ、、とまず思ってしまいました。
会館では、まず本などの商品を市民団体が売るスペースの「情報のひろば」をのぞいてみたのですが、前にきたときに比べてスペースがすいていること。以前はぎゅうぎゅうづめで所狭しと本やパンフの類いを売る団体があり、見にくる人たちでもっと混んでいた気がしたのですが。
食堂なども、今までは席を見つけるのも大変なほどだったのに、明らかにすいていました。宿泊も満員で難しかったのが、今年は当日きて急遽宿泊希望しても、大丈夫だったとか。
着いた日の夜、自由交流の一環としてバックラッシュについて情報や意見を交換するインフォーマルな会を知人と呼びかけて開きました。今までだったら、そういう自由交流時間帯の呼びかけも、場所が足りないくらいにたくさんあったそうなのですが、今年は少ないこと。。なんと3つしかなかった!(写真を載せておきます)
その会にきた方々に、今年のヌエックフォーラムについてどう思うかも聞いてみました。感想としては:
ー人数が少ない。聞いたところでは、例年2~3000人の参加なのに、今年は1000人ほど。
ー参加者が例年よりおとなしめな気がする。参加者の層がかわったような気がする。
ーワークショップの枠の数が少ないので、時間的に余裕がある。参加できるワークショップの数が少ない。
ーワークショップの数も圧涛Iに少ない
ー「すいている!」
ーワークショップの応募が少なかったので、必死に関係者などに声をかけ、応募をふやしたという噂あり。
ー初日のパネルディスカッションも、内容的に引いており、いまいちだった。
ーテーマが限定されており、市民団体側もヌエックの基準にあわせてワークショップを企画したので、自由に正直に発言する場が、この夜の自由交流くらいになってしまっている。本来はこういう(バックラッシュがらみの)内容のワークショップが日中にあるべきだろうが、おそらくこれで応募したら通らないだろう。
などなど。
ワークショップも、客がよべる行政講座をどうしたら企画できるか系や、行政との協働系のものがいくつかあり、目立っていたような印象。「こうやって男性も男女共同参画センターの講座にくるように!」などと書いてあるワークショップ宣伝チラシが貼ってあったのを見ました。別に悪いことじゃないけれど、なんか本来の目的からなんかずれてきているような気がしないでもない。夜の集まりの際には、「講座名やチラシの中に、カタカナ言葉を使うと若い人がくる」といっていた、と聞きました。本当かあ!?
ヌエックのフォーラムの「官製」雰囲気がますます濃くなり、私が苦手とする雰囲気が濃くなったなあ、と正直、思いました。以前からそういうところはあったけれど、行政やそのまわりの人たちのためのイベント、って色合いが強まったような印象でした。やはり、ヌエックがワークショップのテーマを事前に絞り込んだことがマイナスになっていると思います。このために、メディア批判、教育現場、性教育やセクシュアリティ、マイノリティ関係、現在の政治的動きやバックラッシュがらみのワークショップが皆無という事態に陥ってしまった。これは重要な欠落だと思います。
せっかく行くなら、と、当日手持ちで持っていけそうな分量の『バックラッシュ!』本13冊を携えて、行商活動をしてきましたが、さしたる苦労もなく、めでたく完売!チラシも配ったので、注文がはいるといいなあ。
私が(途中からでしたが)参加した、女性ユニオンのワークショップの報告が市川房枝記念会の将来を語る会・ブログにありましたので、紹介します。ここで書かれているように、市川房枝記念会辞めた職員のかわりにボランティアを補充鵜していたこと、そして、今回も理事会はその方向にあるらしいことには、驚きあきれました。財団に資金はあるにもかかわらず、、です。女性の労働が評価されず、ただ働きになってしまうという差別的な構造を強化することを女性のための活動をするはずの団体がしているとは!本当にひどい状況だということがよくわかりました。
写真:空きスペースだらけの交流会呼びかけ用掲示板(去年はいっぱいで、空きスペースもなかったらしい)