ふぇみにすとの雑感

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「男女平等教育=性別特性論」説は女性運動史を無視している

2006-06-19 01:01:30 | フェミニズム
斉藤正美さんが、「ジェンダーとメディア・ブログ」にて、日本女性学会ジェンダー研究会編『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』についての意見を書かれている。

まだ私はこの本を手にいれていないので、読み次第レビューしてみたいと思っているが、取り急ぎ一点についてのみ、簡単に述べておきたい。

斉藤さんは、ブログにて、以下のように書いている。

船橋邦子氏も木村氏と同じく「男女平等」が性別特性論を前提としているとみなす一人だ。びっくりすることに、「日本でも北京会議後、性別特性論を前提とする『男女平等』と区別するために『ジェンダー平等』という場合もでてきました」(P.169)と書くが、船橋氏は、「ジェンダーフリー」登場以前の山口彩子氏や長谷川美子氏による「性別特性論を乗り越えた」混合名簿運動をご存じないのだろうか。  船橋氏は「ジェンダーフリー」のところでも同様に女性運動史を踏まえない歴史認識を示す。「この言葉は性別特性論を不問にして男女平等は達成された、という認識が大半を占める日本の学校現場で、『性別特性論型の男女平等教育』と区別する必要性から現場で使われ、広まった言葉と言えるでしょう」(P.169) 


「男女平等教育=性別特性論」説、また出た、、という感じである。歴史を無視した議論であるという斉藤さんのご意見に、私も同感だ。

「家庭科の男女共修をすすめる会」が発足したのは、1974年。会の記録集、『家庭科、男も女も こうして拓いた共修の道』(ドメス出版 1997)によれば、発足後すぐ、1974年9月、12月に開催された2度の集会のテーマは、「男女の特性をどう考えるか」だった。1974年の時点ですでに、特性論の乗り越えはテーマになっていたのだ。この家庭科共修運動そのものが、「男女特性論の否定」をベースとした、男女平等教育運動だったといえよう。

国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会(1985年、行動する女たちの会、と改称。1996年解散)の教育分科会も、男女混合名簿運動をはじめ、教育に関わる様々な運動を行って来た団体だ。
行動する会の教育分科会が出したパンフレットには、以下のようなものがある。

男女平等の教育を考えるシリーズI  『一問一答 男女共学をすすめるために』1977
男女平等の教育を考えるシリーズII  『女はこうして作られる 教科書の中の性差別』1979
男女平等の教育を考えるシリーズIII  『つばさをもがれた女の子 教室の中の性差別』 1982 
男女平等の教育を考えるシリーズIV 『さよなら ボーイファースト 男女別出席簿を考える』1990

1970年代から1990年にかけて出版された、これらのパンフレットのタイトルを見ただけでも、教育における性差別、特性論撤廃の運動が、「男女平等教育」の名のもとにすすめられてきたことがわかる。

そして、1999年出版の、行動する会記録集編集委員会編 『行動する女たちが拓いた道』(未来社)の、教育分科会担当の第二章のタイトルは、『教育における男女平等を』である。しかし、行動する会は決して、性別特性論を前提とした「男女平等教育」などは提唱していない。この章には、家庭科共修運動、高校の男女共学運動、教科書の中の性別役割分業、教室の中の性差別撤廃、そして混合名簿運動が含まれているのだ。

家庭科の男女共修をすすめる会、行動する会教育分科会のメンバーの多くは、学校の現役教員の方々だった。この人たちは、女性運動体においてのみならず、教育現場においても、当然、性別特性論の撤廃を目指して闘って来たのだ。

この時期の女性運動の歴史が、これだけ無視されているのは、どうしたわけなのだろうか。
無視してはいけない、非常に重要な歴史であると思う。