「雀百まで踊り忘れず」ということわざがありますね。「三つ子の魂百まで」と同じような意味で、どちらかといえば「悪い癖はいつまでも治らない」みたいな、あまり良くないニュアンスで使われることも多いようです。
でも私はこの言葉を、「幼い頃から体にたたき込まれた芸事は、何歳になっても体が無意識に動いて、むしろ自然体の芸になっていく」というような、夢のあることわざだととらえたい。歳を経ることで、その芸からは作法や様式のようなものが削ぎ落とされていって、心技体の「心」がストレートに相手に伝わるような境地に入っていく、というような。
もちろん実際の芸事を、若い頃と同じかそれ以上の水準をキープして歳を重ねるには、想像を絶する努力とたゆまぬ修練が必要で、それは「忘れず」などという生やさしいものでないわけです。・・・私も、年齢よりも精進を重ねなくては、と思う今日この頃でございます。
さて、明日と明後日は山響の定期。ベートーヴェン「運命」をメインに演奏します。
指揮者はドイツのM.ポンマー氏。チラシを見てびっくり・・・なんと1936年生まれ。大巨匠ですね。
しかしリハーサルでの指揮ぶりや立ち居振る舞いを見るかぎり、とてもそれほどの年齢には感じられません。その音楽はむしろ「若々しい」。と同時に、無駄な脂が落ちて浄化されたような、澄んだ歌心にあふれています。
・・・時々いるんです。異国の老紳士だと思っていたわるように弾こうとすると、「なんだ大人しすぎる!もっと強く弾け、大きく鳴らせ!」とばかりに外国語のほえ声をあげる外人指揮者が。そういう時、やっぱり肉食人種は凶暴だと感心するわけです。
が、今回のポンマー氏はそういうことはありません。豊かな歌が、汲めども尽きない感じ。棒も高圧的でなく、自然で楽しそうに流れます。音楽家として「尊敬できる歳のとり方」をしていらっしゃるようにお見受けしました。
二夜の演奏会を、一緒に楽しみたいと思います。
でも私はこの言葉を、「幼い頃から体にたたき込まれた芸事は、何歳になっても体が無意識に動いて、むしろ自然体の芸になっていく」というような、夢のあることわざだととらえたい。歳を経ることで、その芸からは作法や様式のようなものが削ぎ落とされていって、心技体の「心」がストレートに相手に伝わるような境地に入っていく、というような。
もちろん実際の芸事を、若い頃と同じかそれ以上の水準をキープして歳を重ねるには、想像を絶する努力とたゆまぬ修練が必要で、それは「忘れず」などという生やさしいものでないわけです。・・・私も、年齢よりも精進を重ねなくては、と思う今日この頃でございます。
さて、明日と明後日は山響の定期。ベートーヴェン「運命」をメインに演奏します。
指揮者はドイツのM.ポンマー氏。チラシを見てびっくり・・・なんと1936年生まれ。大巨匠ですね。
しかしリハーサルでの指揮ぶりや立ち居振る舞いを見るかぎり、とてもそれほどの年齢には感じられません。その音楽はむしろ「若々しい」。と同時に、無駄な脂が落ちて浄化されたような、澄んだ歌心にあふれています。
・・・時々いるんです。異国の老紳士だと思っていたわるように弾こうとすると、「なんだ大人しすぎる!もっと強く弾け、大きく鳴らせ!」とばかりに外国語のほえ声をあげる外人指揮者が。そういう時、やっぱり肉食人種は凶暴だと感心するわけです。
が、今回のポンマー氏はそういうことはありません。豊かな歌が、汲めども尽きない感じ。棒も高圧的でなく、自然で楽しそうに流れます。音楽家として「尊敬できる歳のとり方」をしていらっしゃるようにお見受けしました。
二夜の演奏会を、一緒に楽しみたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます