世代のせいでしょうか?「科学」という言葉のイメージは「ボタンを押すと電気の力で手間が省ける」というものなんですが、これは私だけでしょうか。
だから、科学の最たるものはテレビのリモコンです。コタツから外に這いだしてスイッチをひねって、さらにその「ひねり具合」で音量を調節して、「ガチャッガチャッ」とチャンネルのツマミを力を込めて回して、一つおきの映らないチャンネルの騒音を我慢しつつ選局し(さらにUの場合、ラジオのように砂嵐の中からポイントを探す)、コタツへと這い戻る。戻ってから「ちょっと音が大きかったな」といってはまた這いだして調節し、「なんだこりゃ、もっと面白い番組はないのか?」といってはまた這いだしてチャンネルを回す・・・この作業がリモコンのボタン操作ひとつで、コタツから出ることなく、スピーディーにできる。これこそまさに「科学の力」です。
当たり前のことですが、今の子供たちは、これを何とも思わない。家の息子も、顔色一つ変えずにリモコンで録画予約してます。こういう世代に「科学のすごさ」を感じさせるにはどうしたらいいんでしょうね?どんどんすごい機能のついた電気製品が出てますから、そういうものにもあっと言う間に慣れてしまうんでしょう。なんだかキリがないし、生活の中で「科学」が実感からかけ離れていってしまうような気がします。
そういう問題意識があったからでは全然ないんですが、息子と甥をつれて、科学技術館に行ってきました。ただ何となく、外は暑いしどこかへ連れ出さないとエネルギーが余って実家がこわれそうになるという理由だけです。涼しくて放し飼いにできそうな所を探してたどり着きました。車をとばして皇居の近くの、日本武道館の辺りです。
昔は、科学博物館や「宇宙博」みたいなところでも、何か展示してある前についているボタンを押すと、簡単な実験のようなものが目の前で「自動で」始まるようなコーナーが人気でした。聞けば科学技術館とは、そういうのを特化したような博物館だそうなので、まさにうってつけかと。
行ってみると・・・さすがに夏休み。子供であふれかえってる。カオス状態。
しかし展示のほうはさすが。1階から5階まで、子供の興味をひくようなコーナーが無数にあって半日では回りきれないほど。どれもが「ただ説明を読む」のではなくて、触ったり動かしたり、要するに「いじれる」ようになってます。滑車が組み合わせてあるひもをひっぱると車が持ち上がったり、強力な吸盤でぶら下がることができたり、中にはいると錯覚で床が動くように感じられる部屋があったりと、とにかく飽きさせない。
でも・・・やっぱり今の子供はこういう「科学」には慣れっこになっています。「うわっ、すげぇ!」という驚きはそれほどなくて、パッパとうまくいじってすぐに次へ走って行きます。一番ながいこと夢中になるのはやはり、テレビゲームに近い作りになっているやつです。
「あまり心に残りそうもないか・・・」とあきらめかけた時に、フロアのかたすみで「ワークショップ」が始まりました。白衣を着て青白くもっさりした、理科系の学生みたいなのが出てきて、実験を見せてくれたのです。メタノールを爆発させてロケットを飛ばすという、エンジンの仕組みを簡単にして見せるという企画でした。
やはり実際に目の前で「はい、次は火が出るから下がって。あぶないよぉ。」などと脅かして実際に炎を見せたりすると違います。あっと言う間に黒山のひとだかりができました。またその青白い学生がなかなか上手い。
「これからやるのは、すごく危険な実験です。だから、僕の話をきちんと聞ける人だけに手伝ってもらいます。そして一人ずつ実際に火をつけて爆発を起こします。すごく大きな音が出ます。怖がってやり方が悪いとケガをしてしまうかも知れません。だから勇気のある人だけにやってもらいます。」
などと、今時の飽きっぽい(小賢しい)子供たちをひきつけます。さっきまで無秩序にそこらじゅうをいじりたおしていた子供たち(餓鬼どもと言いたくなるような)が、固唾を飲んで見守っています。
やっぱり、子供に感動を起こさせるのはボタン一つの「科学の力」ではなくて、結局大人がかけてやる「手間ひま」なんです。特に今の子供はそうでしょう。空き缶のなかで起こる爆発に、いちいち本物の歓声があがりました。息子もこの日の「日記」に、この実験のことを書いていました。心に残るものは、手間をかけて作ってやらないといけないものなんです。
「まったく最近の子供は・・・」と言う前に、もう少し大人が頑張らないといけませんね。
だから、科学の最たるものはテレビのリモコンです。コタツから外に這いだしてスイッチをひねって、さらにその「ひねり具合」で音量を調節して、「ガチャッガチャッ」とチャンネルのツマミを力を込めて回して、一つおきの映らないチャンネルの騒音を我慢しつつ選局し(さらにUの場合、ラジオのように砂嵐の中からポイントを探す)、コタツへと這い戻る。戻ってから「ちょっと音が大きかったな」といってはまた這いだして調節し、「なんだこりゃ、もっと面白い番組はないのか?」といってはまた這いだしてチャンネルを回す・・・この作業がリモコンのボタン操作ひとつで、コタツから出ることなく、スピーディーにできる。これこそまさに「科学の力」です。
当たり前のことですが、今の子供たちは、これを何とも思わない。家の息子も、顔色一つ変えずにリモコンで録画予約してます。こういう世代に「科学のすごさ」を感じさせるにはどうしたらいいんでしょうね?どんどんすごい機能のついた電気製品が出てますから、そういうものにもあっと言う間に慣れてしまうんでしょう。なんだかキリがないし、生活の中で「科学」が実感からかけ離れていってしまうような気がします。
そういう問題意識があったからでは全然ないんですが、息子と甥をつれて、科学技術館に行ってきました。ただ何となく、外は暑いしどこかへ連れ出さないとエネルギーが余って実家がこわれそうになるという理由だけです。涼しくて放し飼いにできそうな所を探してたどり着きました。車をとばして皇居の近くの、日本武道館の辺りです。
昔は、科学博物館や「宇宙博」みたいなところでも、何か展示してある前についているボタンを押すと、簡単な実験のようなものが目の前で「自動で」始まるようなコーナーが人気でした。聞けば科学技術館とは、そういうのを特化したような博物館だそうなので、まさにうってつけかと。
行ってみると・・・さすがに夏休み。子供であふれかえってる。カオス状態。
しかし展示のほうはさすが。1階から5階まで、子供の興味をひくようなコーナーが無数にあって半日では回りきれないほど。どれもが「ただ説明を読む」のではなくて、触ったり動かしたり、要するに「いじれる」ようになってます。滑車が組み合わせてあるひもをひっぱると車が持ち上がったり、強力な吸盤でぶら下がることができたり、中にはいると錯覚で床が動くように感じられる部屋があったりと、とにかく飽きさせない。
でも・・・やっぱり今の子供はこういう「科学」には慣れっこになっています。「うわっ、すげぇ!」という驚きはそれほどなくて、パッパとうまくいじってすぐに次へ走って行きます。一番ながいこと夢中になるのはやはり、テレビゲームに近い作りになっているやつです。
「あまり心に残りそうもないか・・・」とあきらめかけた時に、フロアのかたすみで「ワークショップ」が始まりました。白衣を着て青白くもっさりした、理科系の学生みたいなのが出てきて、実験を見せてくれたのです。メタノールを爆発させてロケットを飛ばすという、エンジンの仕組みを簡単にして見せるという企画でした。
やはり実際に目の前で「はい、次は火が出るから下がって。あぶないよぉ。」などと脅かして実際に炎を見せたりすると違います。あっと言う間に黒山のひとだかりができました。またその青白い学生がなかなか上手い。
「これからやるのは、すごく危険な実験です。だから、僕の話をきちんと聞ける人だけに手伝ってもらいます。そして一人ずつ実際に火をつけて爆発を起こします。すごく大きな音が出ます。怖がってやり方が悪いとケガをしてしまうかも知れません。だから勇気のある人だけにやってもらいます。」
などと、今時の飽きっぽい(小賢しい)子供たちをひきつけます。さっきまで無秩序にそこらじゅうをいじりたおしていた子供たち(餓鬼どもと言いたくなるような)が、固唾を飲んで見守っています。
やっぱり、子供に感動を起こさせるのはボタン一つの「科学の力」ではなくて、結局大人がかけてやる「手間ひま」なんです。特に今の子供はそうでしょう。空き缶のなかで起こる爆発に、いちいち本物の歓声があがりました。息子もこの日の「日記」に、この実験のことを書いていました。心に残るものは、手間をかけて作ってやらないといけないものなんです。
「まったく最近の子供は・・・」と言う前に、もう少し大人が頑張らないといけませんね。
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