中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

時間

2008-10-08 22:12:09 | 雑記
 「老いらくの 月日はいとど 早瀬川 かへらぬ波に 濡るる袖かな」 (大僧都覚弁)

 いやいや、まだそれほどの歳ではありませんが、確かに若い頃と比べると時間が過ぎるのが速い速い。特に三年生の息子と話していると感じます。

 「ついこの間行ったばっかりだろ」
 「ちがうよ、ずっと前じゃん!だってぼくがまだ二年生の時だよ!」

 「時間が過ぎるのが速い」というのは、まさに「感じ方」が変わっていくことなんですね。

 しかし不思議な事に、いくら歳をとってきても、退屈な時間や苦痛を伴う時間は実にゆっくりと過ぎます。

 重い買物カゴを持ってレジに列んでいる時、前の人が大量の買物をしてようやく計算が済んだと思ったら、大きなバッグの中を財布を探していつまでもゴソゴソと…。あげくのはてにお金が足りなくて、今度は返す商品をノロノロと選んだりしている間は、永遠にも思えます。しかし実際はたいした時間じゃない、という事はよくありますよね。

 これの原因は、イライラする事でしょう。ストレスから解放されるのを「待ち遠しく」思う事が、まさに「遠い」距離感を創りだしてしまうのでしょう。

 逆に嫌な事(死ぬ事はその最たるものでしょうが)は、待ち遠しくないので、遠さが感じられずにそれまでの時間が短く思われるんでしょうね。それで冒頭の和歌のような心境になるわけです。つまり幸せな人生をおくってきた人なんですね。

 
 上の絵はクノップフの「時間」という絵の中の時間の女神です。鐘を鳴らそうとしていますが、少し冷酷な顔をしています。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 観音さま? | トップ | 宝泉寺2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雑記」カテゴリの最新記事