「老いらくの 月日はいとど 早瀬川 かへらぬ波に 濡るる袖かな」 (大僧都覚弁)
いやいや、まだそれほどの歳ではありませんが、確かに若い頃と比べると時間が過ぎるのが速い速い。特に三年生の息子と話していると感じます。
「ついこの間行ったばっかりだろ」
「ちがうよ、ずっと前じゃん!だってぼくがまだ二年生の時だよ!」
「時間が過ぎるのが速い」というのは、まさに「感じ方」が変わっていくことなんですね。
しかし不思議な事に、いくら歳をとってきても、退屈な時間や苦痛を伴う時間は実にゆっくりと過ぎます。
重い買物カゴを持ってレジに列んでいる時、前の人が大量の買物をしてようやく計算が済んだと思ったら、大きなバッグの中を財布を探していつまでもゴソゴソと…。あげくのはてにお金が足りなくて、今度は返す商品をノロノロと選んだりしている間は、永遠にも思えます。しかし実際はたいした時間じゃない、という事はよくありますよね。
これの原因は、イライラする事でしょう。ストレスから解放されるのを「待ち遠しく」思う事が、まさに「遠い」距離感を創りだしてしまうのでしょう。
逆に嫌な事(死ぬ事はその最たるものでしょうが)は、待ち遠しくないので、遠さが感じられずにそれまでの時間が短く思われるんでしょうね。それで冒頭の和歌のような心境になるわけです。つまり幸せな人生をおくってきた人なんですね。
上の絵はクノップフの「時間」という絵の中の時間の女神です。鐘を鳴らそうとしていますが、少し冷酷な顔をしています。
いやいや、まだそれほどの歳ではありませんが、確かに若い頃と比べると時間が過ぎるのが速い速い。特に三年生の息子と話していると感じます。
「ついこの間行ったばっかりだろ」
「ちがうよ、ずっと前じゃん!だってぼくがまだ二年生の時だよ!」
「時間が過ぎるのが速い」というのは、まさに「感じ方」が変わっていくことなんですね。
しかし不思議な事に、いくら歳をとってきても、退屈な時間や苦痛を伴う時間は実にゆっくりと過ぎます。
重い買物カゴを持ってレジに列んでいる時、前の人が大量の買物をしてようやく計算が済んだと思ったら、大きなバッグの中を財布を探していつまでもゴソゴソと…。あげくのはてにお金が足りなくて、今度は返す商品をノロノロと選んだりしている間は、永遠にも思えます。しかし実際はたいした時間じゃない、という事はよくありますよね。
これの原因は、イライラする事でしょう。ストレスから解放されるのを「待ち遠しく」思う事が、まさに「遠い」距離感を創りだしてしまうのでしょう。
逆に嫌な事(死ぬ事はその最たるものでしょうが)は、待ち遠しくないので、遠さが感じられずにそれまでの時間が短く思われるんでしょうね。それで冒頭の和歌のような心境になるわけです。つまり幸せな人生をおくってきた人なんですね。
上の絵はクノップフの「時間」という絵の中の時間の女神です。鐘を鳴らそうとしていますが、少し冷酷な顔をしています。
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