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がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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冊封使の棺

2018年10月08日 | ・琉球史散策/第二尚氏

中国皇帝の名代として
琉球に来る冊封使。

大変名誉なことに違いありませんが
その海路は命がけ。

冊封使に任命されたにも関わらず
何かと理由をつけ
なかなか琉球に出発しようとしなかった
冊封使(=呉時来)もいたほど。

(で、結局彼は罷免されるわけですが…。
代わりに冊封使になったのが郭汝

 

 

さて、その冊封使たちが琉球に行く時の船には
なんと、棺が載せてあったのだそう。

 

 

「使職要務」

船の中には船室が数区画あり、
棺を二つ保存してある(正使用と副使用)。

その棺の前には「天朝使臣之柩」と刻んであり
蓋には銀牌若干両が釘付けされている。

それはもし嵐に遭い、どうしようもなくなった時は
冊封使はその棺の中に仰臥して、
鉄の釘で蓋を閉じてもらう。

船が転覆し、棺が漂流してどこかに流れ着いた時、
誰かが棺を見つけ、その棺の中の人の正体を知ることができる。
銀牌は棺を拾った人が棺(遺体)を保管・保護するための必要経費、
また礼として用いてもらう。

そして次の使者が来た時に、
その使者の船で棺(遺体)を持って帰ってもらえるようにするのだ。

 

 

このエピソードは
昔、ネットだったか本だったかで読んで(両方かな?)
びっくりしたことを覚えています。

 

©いらすとや


でもね。


最古の(琉球)冊封使記録である「使琉球録(1500年代)」で
作者の陳侃はこの棺についてこんなことを書いています。

 

 

渡琉に際して参考にした過去の文献、
「使職要務」にはこのような(※上記↑)棺の記述がある。

しかし考察するに、
棺を準備し、銀牌を釘付けにするということは、

もともとそんなためしはない。

あったとしても、何の益もない。

それで、担当の官吏に言って
棺と銀牌は準備させなかった。

(経費削減だー!)

 

陳侃、棺の記述を真っ向否定!

また、
元々ない
なんて書いてる。

これってどういう事!?

 


棺の記述がある「使職要務」という文献には
冒頭に


洪武(1368-1398)、永楽(1403-1423)の時に、

 

とありました。

陳侃の時代よりも100年前です。

その昔はあったけど
陳侃の時代には廃れきってた風習…だったとか?

 

この間に冊封使が来琉してを冊封を受けた琉球王は

武寧(冊封使・時中)

のみ。

 

時中さんが乗ってきた船には棺があったんだろうか…。

 

とにかく三山時代や第一尚氏時代の
冊封使記録がないのが惜しいですね。

(このことに対しては陳侃さんも文句言ってます(笑))

 

 

参/『陳侃 使琉球録』『郭汝霖 重編使琉球録』(原田禹雄訳注)


冊封使たちの台風体験談

2018年10月04日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

台風24号の復旧がまだ完全ではない中、
続けての25号

ただ今その真っ最中です。

何事もなく過ぎ去ってくれますように…。

 

 

さて、今日は台風つながりで

冊封使の台風体験談

をお送ります。

 

 

琉球に来る冊封使は季節風の関係で
4・5月頃に来琉し、9・10月頃に中国に帰ります。

 

その滞在期間中、
彼らはおそらく大陸ではなかったであろう台風を経験し、
めっちゃビビっています。

そりゃ、ビビるよね。

最も古い(琉球)冊封使記録である陳侃の『使琉球録』(16世紀)には
こんな記録があります。

 

 

 


夕刻、台風と大雨が突然やってきて
茅葺の家は全て吹き飛ばされて、
扉も窓も四方とも跡かたもなくなってしまった。

もちろん安心して寝ることもできない。

港に停泊中の封舟が心配になって使いをやったが、
「牛か馬かもわからないほど真っ暗で、道すらわかりません。
今は嵐が過ぎるのを待つしかありません」
とのことで、強行させることもできなかった。

未明になって(嵐のピークが過ぎて)港に行ってみると
すでに王(※尚清)が法司官を使わし
琉球人数百人を指揮して船を守らせていた。

船員に尋ねると
彼らは(嵐の最中の)夜半にはやってきたとのこと。


法司といえば琉球の高官ではないか。

役人らの住む首里と(私たちがいる)那覇は遠いのに
避けようともしないで来てくれたというのか!

中国の人だったら、風雨が激しくて真っ暗な夜は
窓をふさぎ、戸を閉めて、風雨を避け、

雨風にぬれて行く人がいても
それがたとえ肉親であっても
うろたえて家に入れないだろう。

なのに、危険を顧みず
他人のことをまるで自分の事のように行動できるなんて、
そんな人々が中国にいるであろうか。

琉球の君臣のことを、肝に命ずるべきだ。

と感嘆した

 

参/「陳侃 使琉球録」(原田禹雄訳注)※一部意訳

 

 

 

 

台風の中、港に大集合して冊封使の船を守る琉球の人々。

そーがさい。

台風慣れしてたぶん、
まだアクティブに動けたのでしょうか。

 

陳侃の次の冊封使・郭汝霖も
滞在中の台風について記録していて、

 

王(※尚元)は法使官に数百人を指揮させて
封舟を守らせ、少しの間も離れることはなかった。

その後も、暴風のたびに王はただちに官員を使わして巡視させた。
その気配りは(先代の陳侃が述べているように)まことで、
かりそめのものではない


と書いています。 

 

参/「郭汝霖 重編使琉球録」(原田禹雄訳注)※一部意訳

 

 

そういえば、台風(暴風)の時に
危険を顧みずに船を助けにいくという琉球人のエピソードは
尚真の叔父(伝)にもありますね。

尚宣威じゃない金丸の弟

 

 

さて、

陳侃は帰りの海上でも台風に遭ってしまいます。
(実は行きの航海でも風に流され揺られて恐れおののいていますが、この時は「台風」という記述はありません)

その様子については

陳侃 使琉球録と創作琉球短編小説第3弾!?

 

写真は過去記事の使いまわし。


解明!?大北墓の右三つ巴の謎

2017年12月01日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

久々に家紋ネタを書くことにします。

琉球で家紋と言えば、
尚王家の家紋「左三つ巴」
(俗に、左御紋(ひじゃいぐむん))

 

現代版組踊でも首里を現す文様としてお馴染みですね。

 

三つ巴には、

  

 

があり、

それぞれしっぽの流れる向きで
左か右かが判断できます。

詳しくは過去記事→ 

 

さて、その三つ巴について、

私がずーーーーーっと気になっていたことが
ついに解明…か!!??

 

 

問題の現場こちら。

今帰仁村運天港のすぐ近くになる
「大北墓(うふにしばか)」

第二尚家の一族であり、
代々今帰仁看守を務めた
家の墓として知られています。

 

その墓前には立派な石碑があります。

 

 

碑文には尚真様第三之御子云々と書かれています。

詳しくは過去記事→ 

 

で、この石碑の上に三つ巴が彫られているのですが…

 

 

なんと、これが

左三つ巴ではなく
右三つ巴なのです!!!

 

 

え!?なぜ!!???

 

尚家は左三つ巴だけど
派生した向家は右三つ巴なのか?

 

という疑問に関しては…

 

一応、右三つ巴、ありました。
参/「沖縄家紋集」(那覇出版社)

 

 

向家も圧倒的に左三つ巴が多いではあるけど、
右三つ巴も全くないというわけでもない。

 

では、
大北墓の今帰仁看守、
今帰仁王子朝典を祖とする
向氏具志川御殿(具志川家)の家紋が
右三つ巴なのかと調べてみると…

 

「丸に左三つ巴」なのです。

 

 

右じゃない!!

 

やっぱりこれは石工さんの間違い!?

でも王族の墓でこんな間違いってアリ!?

 

と、

依然として腑に落ちない部分がありました。

(石碑は大正期に改築されてるらしいですが、
それでも元のものと同じように作るはずだし
元のものを無視して間違えたとしたらそれこそアリエナイ)

 

 

月日が流れ、ある日の事。

 

別件で沖縄大百科事典で調べ物をしていると…

ふと目に留まった「巴紋」の項目に
こうありました。

 

 

【巴紋】

尚王家の家紋。
俗に〈左御紋〉と称されているが、
玉陵上面の瓦当に記された巴紋を見ると
三つ巴の左巻きと右巻きが
ほぼ半々になっている。

それは王家の紋は
左右どちらでもよい
ことを示すものと思われる。

 

 

……え、マジで!?

 

い、いや、個人的には
瓦の巴紋と家紋としての巴紋が
果たして一緒とみなしていいのか
という疑問はもっているのですが(→

でも、左右の差別化・固定化したのは
近世後半になってからで
それ以前の時代の巴紋は
左右の向きなど気にしていなかった
…というのはいかにもウチナーンチュっぽくて
確かにあり得そう…!

 

 

同じく沖縄大百科事典の
【家紋・紋章】の項目を見てみると

 


起源は尚家など一部の名門を除けば
諸行事などが定着する
尚穆末年から尚灝初年(18世紀末から19世紀初頭)
にかけてのことだろうと言われる。

1762年の「大島筆記」には
家紋が一般的でなかったこと、
道具紋であったことが記されている。

 

 

大北墓の建造はいつだっけ…!?

……1761年!!

琉球で家紋が意識され始める前だ…!!

 

 

なるほど…

 

琉球で家紋文化が広まっていくことで
細かいところまで差別化・固定化が
必要となってくるのは当然ですね。

その時に「王家の三つ巴」が「左オンリー」と
強く意識していったというのは確かに想像がつきます。

向きを意識した「左御紋」という俗称が
いつの文献から使われているのかを調べてみたら
また見えてくるのがあるかもしれないけど。
さすがにそこまではワタシでは調べつくせないので
(でも「球陽(1745)」では巴紋という言い方止まりっぽい?)

 

 

ということで
私なりの仮説。

 

大北墓の右三つ巴は、
間違いというわけではなく、
その当時、
左右の区別は特に意識してなかったから

 

としておこうと思います。

 

18世紀前期までの史料で
右三つ巴になっている例がもっとあれば
確信持てるんだけどね。

 

うーむ。

 

 

 

*オマケ*

 

四つ巴なんてのもある。


涙石、リベンジ

2017年10月27日 | ・琉球史散策/第二尚氏

2度目の久米島旅行関連記事。

書く書く詐欺で3週間近くたってしまいました…

(やっぱり状況が落ち着くのにはまだまだかかりそうです…)

 

というわけで、

前回の旅ではいけなかったけど
今回は行けた史跡、その1!

 

「涙石(なみだいし)」

 

 

google先生と、
前回にはなかった(と思う)
標識も建っていたおかげで
無事にたどり着くことができました!

(結構分かりにくい場所にあります。
墓地エリアに車は止め、徒歩で行きます)

 

涙石とは、
現代版組踊で主人公になった
笠末若茶良(ガサシワカチャラ)関連史跡。

粟国島に追放された母を想い、
この丘から粟国島を眺め
流した涙がこの岩の穴に溜まり
枯れることがかった…

と言う伝説の岩。

 

 

この細長い穴。

奥にすこーしだけ水が残っていました。

舞台でもこの岩が登場していましたね。

粟国島が見えるかな?と思ったけど、
残念ながら見えませんでした。

 


↑クリックで拡大

 

岩の下に蛇の抜け殻があって
うひょっ!となったら、
すぐそばの藪にガサガサと蛇が入っていくのを
目撃してしまいました…。
(ハブかどうかは不明ですが)

 

公演に合わせてか、
前の畑はきれいに草刈りがされていて
ありがたかったのですが、
いつもそうだとは限らないと思うので
コンディションが悪い時は
どうぞお気を付けください。


蔡温の肖像

2017年07月16日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

iPad+Appele Pencel

おかげさまで順調に活用中です。

 

筆慣らしに色々描いていたものの中の1つ、
蔡温(さいおん)です。

肖像画とされるものが残っているので
それを元にして描きました。

 

蔡温は尚敬王に仕えた
近世琉球を代表するもっとも偉大な政治家。

現在の沖縄の風景は
蔡温が作った、と言っても過言ではないかもしれないほど
多くの分野で改革・実績を残しました。


命どぅ宝と尚泰

2017年06月22日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

琉球王国最後の国王「尚泰」を描いてみました。

写真が残っているので
それを元にしたものです。

 

背景に書いた琉歌は
琉球処分で尚泰が首里城を去る際、
嘆き悲しむ人々に向かって
尚泰王が詠んだものとされるものです。

 

そうです。

 

ウチナーンチュなら誰もが知っている
『命どぅ宝』というフレーズ・スローガンの元ネタです。

慰霊の日を前にして、
このフレーズを耳にすることも
多い今日この頃ですね。

 

 

戦さ世(ゆ)ん済まち
弥勒世(みるくゆ)ややがて
嘆くなよ臣下
命(ぬち)どぅ宝

 

戦の世も終わり
やがて平和な世が来る 
臣下たちよ嘆くでない 
命こそ宝なのだ

 

 

でも本当に尚泰が詠んだのではなく
後のウチナー芝居の中で
尚泰(役)が詠んだもの、
というのが実際の所なのだそう。

 

どちらにせよ、
ウチナーンチュの心に響き、
受け継がれてきた大切な言葉であることには
違いはないのですが。

 

【追記】
私が直接読んだ本はなんだったのか忘れてしまったのですが(汗)
レファレンス共同データベースに
「命どぅ宝」の出典についてあったので、参考文献代わりに載せておきます。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000272626

 

 

さて、尚泰の写真はもう一つあります。

せっかくなので
そっちもイラスト化してみましたよ。

(敢えて元写真を反転させました)

 

写真写りのせいなのか、
ちょっと目つきが悪い尚泰様です(^^;)

断髪後なのか、襟足の所が丸いです。

 

 

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開かずの墓(アカン墓)

2016年10月10日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

今帰仁村今泊にある津江口墓、
通称、アカン墓。

開かない墓、ということで
アカン墓。

 

 

葬られているのは
3代目の(第二)今帰仁看守、向和賢


今帰仁グスクには首里から遠いこともあり
看守職が置かれていました。

第二尚氏時代の第二看守・初代として
派遣されたのが尚真王の3男である尚韶威。

死後も代々今帰仁看守を継ぎ、
その3代目が和賢。

向姓は王族の一員なので
身分はかなり高いです。

その彼がなぜこんな寂しい場所に、
封印されたかのように
開かない墓に葬られているのでしょう。

 

 

伝えによると、


彼は悪病を患い、
この津江口に住まいを移していたが
35歳で亡くなり
海岸近くのここに葬られた、

とのことです。

 

身分も高い北看守一族は
運天の大北墓に葬られていますが
彼一人だけがここに葬られている…

というのは少し寂しいですね。

 

一方で

墓口を漆喰で塗り固めたのは
中に大事な宝物や遺品があるためだ
という伝えもあるようで
ひとつの謎になっているようです。

 

お墓にまつわるミステリーは多いですね。

 

参/「門中拝所巡りの手引き」(月刊沖縄社)


 

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澪之助がFMよみたんで
「琉球浪漫*旅絵巻」という
新番組をスタートさせます。

毎週月曜日19:00~20:00
Ustreamでも聞けるので良かったらどうぞ!
詳細→ 


糠中城の民話

2016年10月06日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 以前、キラキラ化シリーズで
奄美の糠中城を描きました。

チビキャラバージョン。

 

 

 

彼に関する民話があるのでひとつ。

 

 

与湾大親と息子の糠中城。

人望厚き彼らを邪魔に思っていたのが
我利爺。

 

我利爺はまず、 
怪力の糠中城を取り除こうとし
弓の腕比べ大会を開催する。
勝ったものには娘(美女)を嫁にやる、と。

糠中城をおびき寄せ、
罠を仕掛けて討つつもりだったのでしょう。

しかし、糠中城を見た娘は
一目で恋に落ちてしまいます。

糠中城を討つという
父の企みを知った娘は
糠中城が定めた最後の的に

自ら飛び込み自害する。

死をもって父に
「争いはやめてください」
と訴えたのだった。

そして死ぬならせめて
愛した人の矢にかかって
死にたい、と。


企みがバレた我利爺は
すぐさま糠中城を討とうとするが
敵わず降参した。

 

参/「琉球王国秘話」(長田昌明著)

 

という話。

 

 


…死ぬことないじゃん?

と思うのですが…。

 

最後の的に的中させたら
仕掛けられた時限爆弾が作動する
というものなら
娘が身を挺して糠中城を守った
と分かりますが

我利爺が弓大会で
どんな罠を仕掛けるつもりだったのか、
娘が死ぬことの意味が
イマイチ腑に落ちない民話です…。

(もっと調べたらそこんところ詳しくわかるかなぁ?)

 

ちなみに、

いったんは降伏した我利爺ですが
やっぱり根に持っていて
その後、王府に讒言をする…

という流れになるようです。

 

 


キラチビキャラも。

2016年09月21日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

琉球史人物キラキラ化シリーズ
第3弾は現在ガンバッテ制作中!

つーか、メジャーキャラむずっっ!(゚Д゚;)

もともとイケメン系だっただけに
さらにアレンジするの、
難しいわ!

 

第3弾ではちょっとした企画と
タイアップしてますのでお楽しみに♪

 

 

というわけで、
既にキラ男子化させたものの中から
チビキャラアレンジ。

これが誰だか覚えてる方は…
…果たしているのか…。

 

ビジュアルと年齢設定を
一番ぶっ飛ばしたのがこの人でした。

ちなみに、両サイドで三つ編みしてますが、
後ろもまとめて1つ結びにしている、という設定。

完全に
「魔法使い」枠です(笑)

 

 


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【描いてみた】琉球史マイナー人物、を、20【キラ男子】第2弾終了

2016年09月14日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

琉球史マイナー人物を
乙女ゲーム風キラキラ男子で描いて
遊んでみようシリーズ。

 

あれよあれよと
20人目達成です!

 

第2弾を締めくくるのは
久米島のヒーロー!

笠末若茶良!
(がさしわかちゃら)

 

久米島旅行の際に
色々歴史と史跡を調べて
彼のことを知った時、

 

イケメンで

頭も良くて

強くて

優しくて

人望もあって

独身で

神にも祝福されてる


とゆー
パーフェクトすぎるヒーロー像

思わず笑ってしまいました(笑)


しかも、

実の父親に殺される

という
最後は悲劇なのです。

こーゆー要素のもまた
アレなんだよねぇ…。

参考過去記事→   久米島攻防譚

 

 

なので、
絵ではとにかく癖のない
オーソドックスな主人公っぽくしよう
ということで
こんなビジュアルにしてみました。
(でも普通が1番難しくて苦労した…
もうちょいワイルドでもよかったかな~?)

 普段はいたって穏やかだけど
怒らせたら怖いタイプ(笑)

 

 

イメージ台詞
「父上!何をなさるのです!」

 

 

だな…。

(絵の表情とは合ってないけど…)

 

髪は明るめの茶色。

 

 笠末若茶良の現代版組踊もあるけど
まだ見たことはありません。

アトラクションは1回あるけど。

(那覇公演に行く予定だったけどぎっくり腰で断念)

チラシなどの雰囲気を見る限り
どこか護佐丸っぽいけど、
どうなんだろね?

 

いつか観たいですね。

 

 

 


【描いてみた】琉球史マイナー人物、を、17【キラ男子】奄美より!

2016年09月10日 | ・琉球史散策/第二尚氏

琉球史マイナー人物を
乙女ゲーム風キラキラ男子で描いて
遊んでみようシリーズ。

 お気づきの方もいるかもしれませんが、
現在、古琉球の人物に絞ってお送りしてます。

 

古琉球!

ということで今回は初チャレンジ!

古琉球では琉球の一部だった
奄美大島のキャラを描いてみました!

 

 


糠中城
(ぬかなかぐすく)

です。

 

イメージ台詞
「人は見捨てても 天が見捨てるはずはあるまい」

 

 

もし現代版組踊で奄美チームができたら
絶対主人公はこの人(と与湾大親)だろう、
と思う人物。

 

 

時は16世紀。

与湾大親(よわんうふや)は
人格に優れ、善政を敷き、
とても人望があった。

その息子が糠中城。

彼は力持ちで弓の使い手。
その腕前は100発100中であった。

この親子の人気を嫉んだ
我利爺(がりじい・がりや)は
二人を陥れようと
首里王府に讒言する。

「与湾が謀反を企てていますよ」

と。

その訴えを聞いた尚清王は
奄美に軍勢を派遣。

与湾大親は王軍を見て
「私は罪もなく今死なんとしている。
真実は天のみぞ知る」

と自害。

息子である糠中城は捕らえられ、
首里に連れていかれる。

しかし後に
我利爺の讒言だったことが明らかとなり
糠中城は首里で重職に就く。

近世の四大氏「馬氏※」がその子孫である。

 

 


「琉球王国秘話」(長田昌明著)
「琉球王統史6」(与並岳生著)

※沖縄大百科事典によると
尚真時代にすでに馬氏から三司官が出ていることから
馬氏が糠中城の子孫であることには疑問
とあります。

 

 

奄美版・護佐丸阿麻和利の乱のような出来事です。

 

奄美と琉球の関係や
糠中城の別エピソード(民話?)は
長くなるので
また別でご紹介できたらと思います。

むしろ我利爺もおいしいキャラなんだよね…。

 

キャラとしてはちょいワイルドに、
サイド刈り上げのポニテです。

身長も高いイメージ。

髪は金髪。
刈り上げ部分は茶色かな。

数年前の録画みてたら
的場浩司さんがこんな髪型してて
そのまま取り入れてみました。

 

 



【描いてみた】琉球史マイナー人物、を、16【キラ男子】

2016年09月09日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 イメージ台詞
「南山復古とか、もう時代遅れじゃね?
むしろ中山の中枢に入り込むほうが早いっしょ」

 

 

はい、

ちょっとやさぐれた感じのお兄さんが
今日のキラキラ男子

 

こんな感じだけどワタシ的には
超頭が良くて、一見クールだけど
物事や人の心のツボを押さえるのが上手な
頼りになる兄ちゃんっていうイメージ。
(理由は後述)

 

このキャラはちゃんと描くのは初めてですね。

 

南山王の血を引く男、

守知
(しゅち)

にしてみました。

 

 

彼の叔父は
尚巴志に滅ぼされた南山王・他魯毎

爺ちゃんは
その前の南山王・王応祖です。

 

きっと南山滅亡の話とか
尚巴志(第一尚氏)への恨みとか
いつか南山のために…とか
実際に南山戦から逃れてきた父・守忠から
色々聞かされて育ったんじゃないかなぁ。

 

ちなみに絵的には
南山キャラ特有の天パやくせっ毛も
だいぶ薄まっているという感じ。

でも父ちゃんの守忠は直毛系だから
隔世遺伝子か?(笑)

※ワタシのキャラ上の設定です

 

 

さて、守知は後々、
尚真王の養父に抜擢されます。


更に、孫娘(華后)は尚真の側室に。
(ちなみに尚真の正妃は尚宣威の娘)

尚真と華后の間に生まれた子供(尚清)が
尚真の跡を継いで王となります。

 

これまでの説明の
 イラスト相関図はこちら↓
(クリックで拡大)

 

守知関連過去記事はこちらも
  

 

というわけで、
尚清以降の第二尚氏の王たちには
尚巴志(第一尚氏)が滅ぼした南山王家の血が
入っているということになります。
(例外の王様もいます)

 

 


【描いてみた】琉球史マイナー人物、を、14【キラ男子】

2016年09月07日 | ・琉球史散策/第二尚氏

琉球史マイナー人物を
乙女ゲーム風キラキラ男子で描いて
遊んでみようシリーズ。

 

14人目は宮古島のヒーロー

この方!

 

仲宗根豊見親
(なかそねとぅゆみや)

 

琉球戦国列伝では
晩年をイメージして
こんなおじいに描いてしまったので…

 

 

りゅうPON「人ものがたり」で描いた
最盛期のイラストも。

チビキャラですけど。

 

まぁ…どちらにせよ
特にイケメンをイメージして
描いているわけではありません(^^;)

 

 

というわけで、

 

南の太陽を浴び、
優しい島風に吹かれる
さわやかニーセー(青年)に

キラキラアーーップ!

 

 

 

 

 

イメージ台詞
「私はこの美しい宮古島を守りたいだけだ」

 

まぁ、武将らしくはなくなりましたわな。

結構いいトコ生まれみたいなので
島のワイルド男と言うよりは
ちょっと上品っぽく。

 

髪はオレンジっぽい茶色!

 

 

 

*仲宗根豊見親*

 

1500年、
当時対立していた
石垣島のオヤケアカハチを
首里王府に援軍を要請して討伐。

与那国も一度失敗するものの
再び攻め落とし、
先島の天下を捕った人物。

 


【描いてみた】琉球史マイナー人物、を、13【キラ男子】

2016年09月05日 | ・琉球史散策/第二尚氏

イメージ台詞
「兄上は私にとっては父も同然。
兄上をお支えすることが、私の使命なのです」

 

 

琉球史マイナー人物を
(またはかっこ悪い印象のあるキャラを)
乙女ゲーム風キラキラ男子で描いて
遊んでみようシリーズ。

 

さて、今回はこんな人。

 

 琉球戦国列伝ではなぜか描いてなかったので、
更にさかのぼって
NHKテンペスト特番用に描いた彼がこちら。

 

 

(うひー懐かし~(^^;))

 

 

分かった人いるかなー。

 

はい。

 

答えは

尚宣威
(しょうせんい)

でした。

 

 

 5歳で両親と死別。
9歳で兄・金丸と共に伊是名島を脱出。

時はたち、
尚円として王となった兄の死後、
まだ少年だった王子(尚真)の代わりに
王位を継ぎます。

…が、
即位の儀式で神に否定され
わずか半年で自ら王位を退きます。

※息子を即位させたかったオギヤカによる陰謀との説が有力

失意の中、
隠居先の越来グスクで亡くなる

 

…という、なんだかかわいそうな人。

 

詳しくはこちらをどうぞ。

 

 

きっと感受性が豊かな文化人
だったのだろうとイメージして
政治や争い事とかよりも
書とかお茶とか読書とかの方が好きな
そんな感じにしてみました。

文化人だからやっぱ髪はまじめに黒かな。

 

ちなみに、彼の即位は48歳の時なんですが、
もちろんここはキラキラ超法規的措置です。

安里大親なんかおそらくあのセリフの時80近いからね(笑))

 

 


【描いてみた】琉球史マイナー人物、を、11【キラ男子】

2016年09月02日 | ・琉球史散策/第二尚氏

琉球史マイナー人物を
(またはかっこ悪い印象のあるキャラを)
乙女ゲーム風キラキラ男子で描いて
遊んでみようシリーズ。

今回から11人目、ということで
第2弾に突入です。

第2弾ではマイナーキャラの程度を少し上げて
ややメジャーどころも入ってきたりもします。

相変わらずマイナーキャラもいるかもしれませんが。

もしよければ
第2弾もおつきあいください

 

 


では、11人目はこの人!

 

 

 

 

 

 

盛親。
(もりちか、せいしん)

 

イメージ台詞
「父上のことは知らない。
誰も何も教えてくれないんだ」

 

 

護佐丸の遺児で有名な、
あの盛親です。

乳母に連れられ、
逃れた幼き盛親は
追手の目をごまかすために
女児の衣装を着せられていたようです。

 

異本毛氏由来記では

"髪を角立て…"

とあったので

角髪(みずら・つのがみ)のこと?

ということでこんな髪型で
中性的でかわいい系にしてみました。

色は普通にこげ茶かな。

 

8歳9歳くらいの設定。

(ちなみに12歳の時に
尚円によって無罪放免となります)


乙女ゲームに子供キャラはいるのかわからないけど…

少年愛好家(ショタ)な人向けに
一人くらいいてもいいかな…みたいな…(笑)