がじゅまるの樹の下で。

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大北墓、三つ巴の謎

2010年07月11日 | ・琉球史散策/第二尚氏

まだまだあるある、
薩摩侵攻史跡めぐりの番外編。

こちらも運天港のすぐそばにある、
「大北墓(うふにしはか)」



北山の拠点である今帰仁グスクは、
尚巴志により落城されました。

その後、今帰仁グスクは北山地域を監視するために
「北山看守」が任命され
以後、使用され続けることになります。
(ちなみに、初代の北山看守は護佐丸らしいですよ。臨時だったそうですが)



この墓は、その北山看守たちとその一族のお墓。

主に第二尚氏、尚真王時代の頃からのものっぽいです。
碑文に「尚真様第三之御子」ってある。

 
                                                 碑文解説、クリックすると拡大します↑


そうとう古い、歴史を感じる碑文ですが、
よくよく見ると…


…あっ、

左三つ巴の御紋!





…じゃなくて、右三つ巴…か!?
(巴のしっぽの流れる方向で決まります)

ありっ!?
まさかのフェイント!?


写真、右に見えるよね…!?
まさかの、今気づいた事実!
(案内文の碑文イラストでも右三つ巴に見えるしー)


な、なんで?

まさか石工さんの間違い?





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右も左も混在してたりして?
うちなーんちゅのてーげー精神で(^皿^


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2 コメント

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Unknown (とらひこ)
2010-07-17 16:28:51
これは・・・何ででしょう??

大事な王家の紋章を間違えるはずもないでしょうし・・・

石碑は大正時代に改築されたみたいだから、その時に間違えたのかな?

う~ん・・・わかりません。ぜひ謎を解明してください
返信する
とらひこさんへ (和々)
2010-07-17 21:56:49
こんにちは。
思わず叫んでしまった叫びにコメントありがとうございます(笑)

何ででしょうね~~~~。

他にもこのような例がないかどうか、
今度から注意して見てみるようにします。


昔は右も左も特に細かいこだわりはなかったとか?

新撰組の土方さんの家紋もこの三つ巴なんですが、
左が一般的だけど、土方家の古い墓石は右だったとか。
で、最近新築して「左」に改めたとか。

昔のはけっこう右も左もゆるかったという仮説を立ててみました。
(百按司墓の三つ巴は左ですね…)
返信する