がじゅまるの樹の下で。

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尚家家紋、左三つ巴を考える【1】

2010年06月12日 | ・琉球歴史/文化風景

家紋好きの美術人としては、どうしても気になる、
琉球国王、尚家の家紋「左三つ巴」の由来。

なぜこれが尚家の家紋に?

いつから?

そんな疑問を薩摩侵攻ツアーの際に、
講師の先生にぶつけてミタ。

結論としては、
はっきりとした資料は残されておらず、
この左三つ巴が尚家の紋として分かるのは江戸時代(?)ほどになってからだとか。

三つ巴の形自体はもっと前(第一尚氏王統)から琉球にありはしたが、
それがそのときから王の家紋とされていたかは疑問。

なぜならば、

阿麻和利の時代(第一尚氏・尚泰久王)にも三つ巴の瓦が発掘されている。

そのとき王家の家紋とされていたら、
王族以外が使用するのはご法度なはず、

と。



↑こちらが、勝連城跡から発掘された瓦。

はっきりと左三つ巴の形が確認できます。


うーん。

なるほどー。



・・・


・・・


・・・


でも、この瓦の三つ巴のデザインと、いわゆる家紋の「三つ巴」は
完全にイコールなんだろうか?

という新たな疑問。


というのも、
この「巴」がなんであるのかは諸説あるようですが、

この形は「水」をあらわしており、
「防火」のまじない紋として、神社仏閣の瓦に利用されている、

というのは多く見られるからです。
(この話はおととしの夏に、京都の紋上絵師の方に直接伺ったお話です)


たとえば、



京都の建仁寺。



高台寺。



新撰組で有名な、壬生寺。



ご存知、清水寺。



京都の本願寺。



分かるかな?

京都での将軍宅、二条城。



鎌倉の大仏のある高徳院の三つ巴は
さらにうねった感じ。



鎌倉、本覚寺。



東京、浅草寺にも。



寺のみならず、
高知県、高知城にも。

山内家の家紋、三つ柏も見えます。



山内家下屋敷長屋にも。


過去の旅行写真をざっと見繕っただけでも
これだけありました。


家紋や社紋、神紋は別にありながら、
この三つ巴をかたどった瓦を利用している。

高台寺とかは、家紋である桐紋瓦もありつつ、
この三つ巴瓦も使っている。



↑ 高台寺 ↓



うーん。

ってことは、瓦の三つ巴は、家紋の三つ巴とは
別物とみなしていいのか????

阿麻和利の時代、
勝連が京や鎌倉に例えられて称えた歌があるくらいだから、
京や鎌倉の慣わしが入ってきてても不思議じゃない、よねー。



で、こちらが首里城、守礼の門の瓦。

首里城の建物の中で、
唯一見つけた「三つ巴」の形。


琉球王家、尚家の家紋「左三つ巴」を考える。
まだまだ続きそうです。


うんちくがたっぷりの小説『百十踏揚』にも
この三つ巴についての記述があります。

次はそちらの引用からも考えてみます。




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