がじゅまるの樹の下で。

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中城グスクの起源に迫る

2019年01月15日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

 

世界遺産中城グスク、
一の郭城壁の解体工事&発掘現場解説にお誘いいただき
行ってきました!

 

現場はこちら。

 

 

正門入ってすぐの側面。

昔、ワタシが発掘体験をしたところ

 

足場が組まれているのですぐにわかります。

(ところで、今グスク観光順路、
これまでの広場のある裏門からではなく
普通に正門からになっていますね。
チケット売り場から正門まで、
カートが常時運行されていました☆)

 

到着したとたん、

なんじゃこりゃ~~~~!

 


※スマホのパノラマ撮影ゆえ湾曲してます

 

今まで見ていた城壁の中に、
古い時代の城壁が出現!

 

これまで見ていたごつごつの野面積的な城壁とは違い、
かなりきれいな布積み!

石の表面も滑らかで、石の継ぎ目も隙間なくぴっちり!

形の加工も精巧に、
上下方向の目地もまっすぐにではなく
ずらして強度が出るように組まれています。

 

スゴイ丁寧で緻密な作り!

 

 

城壁の根元部分。

岩盤に突き当たるまで土を掘って、
その上に石を積み、
また土をかぶせていく。

また加工した石の欠片などで隙間を埋めていく。

城壁の製作過程が垣間見えました。

 

この古い城壁は
13世紀末~14世紀初頭ぐらいでは?
とのこと。

グスク時代真っただ中!

 

中城グスクの築城時期が解明!?

 

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追記(2019.5)

その後の様々な検討により、
件の石垣の時期は推定14世紀前半から
推定14世紀中頃~後半に変わったようです。

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足場を登って上から。
(高所恐怖症でもこういう時はガンバル!)

 

危険なので案内(許可)なく勝手に登らないように

 

 

この部分の城壁は3つの時代にわけられるということで、
色分けしてみたよ。

 

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追記(2019.5)

その後の様々な検討により、
件の石垣の時期は推定14世紀前半から
推定14世紀中頃~後半に変わったようです。

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っていうか、これまで見ていた表面の城壁が
つい最近(近代)のものだったとは…。

古い(赤部分)城壁の上の城壁(青部分)は増築部分。
15世紀前半ごろか?とのこと。

その頃と言えば、
冊封体制のスタート・朝貢貿易の活性化、
統一に向かう三山時代終盤の時期ですね。

 

 

時代の違う城壁の境目、
石積が倒れこんで角が丸くなっているのが
気になる!

崩れた?

それとも意図的?

キニナル キニナル。

 

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追記(2021)

増築された上部分(青部分)の重さにより
崩れてきたもの。

その応急処置として、抑えの石積み(緑部分)が
新た(近代)に積まれた。
↑今まで見ていた城壁がそれ

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古い部分の城壁はこれまで見てた城壁よりも
もっと垂直に近い角度で積まれいて、
上の増築部分は角度がややゆるやかに変わります。

 

 

 

石積の角度が変わる境目部分。

ちょっとでっぱりがあるので
そこに鉄骨が組まれていました。

 

下から見てるよりも
上に登ってみると結構な高さで
怖かったのよ~~~~😂

 

 

 

奥から振り返っての図。
(逆光で写真見えにくくてすみません

古い城壁の角が!

 

 

この角が古い城壁のアウトライン!?

ということは、もしかしたら
1番古い中城グスクは
今よりもずっとずっと短い、この範囲だった…のかも!?

 

 

ところで、

最初の中城グスクの按司といえば
先中グスク按司。

護佐丸の中城移動に伴って
糸満の真栄里グスクに追いやられたと言いますが……

 

うーむ、先中グスク按司時代の
築城技術というか、
丁寧な仕事ぶりを見るに

先中グスク按司の人物像というか
能力の高さというか
そういうものも感じられました!

 

そんな彼が簡単に城を追いやられるなんて…

その真相や、いかに!?

(それだけ護佐丸がハンパなかったということか?)

 

 

 

 

刻印石も!

刻印石とは
石の表面に意図的に削られた印のある石こと。

その印の意図は不明。

職人(集団)を表すものなのか、
建築過程上の目印なのか、
まじない的なものなのか…。

現時点では
首里城と、ここ中城でしか確認されていないようです。
(座喜味グスクにもあったと言われていますが実物は未確認)

アルファベットっぽいですよね。

 

えーーーなんでこれが自然の傷ではなくて
加工された印だと分かるんだーーー???

と素朴な疑問をぶつけてみましたら、

削られた面の滑らかさが違うとのこと。

実際に触って比べてみると…
…おお、なるほど…確かに

 

 

ところで!!!

中城グスク成立時期に関わるであろう
この城壁ですが!!!

 

なんと!!!!

今月いっぱいでまた埋め戻される運命とのこと!

 

見るなら、今月しか、
あと2週間余りしかありません!

担当者さんも、
とにかく多くの人に知ってほしい!と
色んな人に呼びかけている、とのことでしたので、
私も微力ながら取り急ぎ、こうして記事にさせてもらいました。
(写真撮影・記事にすること等、確認済み)

ご都合つく方は、是非!

 

なお、私が今回記事に書いた内容は
見聞きしたことのザックリした内容なのですが、

また改めて報告(報道)もあるかもとのことでした!

(その際はこの記事にもリンク先を追記したいと思います)

 

 

*追記*

 

★琉球新報記事
「中城城跡に14世紀前半城壁 貴重な発見、定説より古く」

 

19世紀後半増築か 中城城跡の城壁 写真から推測」

 

「中城城壁 謎の刻印 築城過程解明 糸口に 作業の目印? 意思表示?」

 

 

動画(Twitter)

 

 

+ + +

 

 

 

さっきの城壁の上、一の郭。

並べられている石は体対された石。

ナンバリングされ、
また元に戻せるようになっています。

 

 

むむっ!?

一の郭に新たな石積が!!

御庭に、新しい郭か!?

 

 

滑らかな台形、

曲線、

野面積み。

 

 

後方は基壇跡のように平らな石積…。

 

なんだ なんだ!?

 

 

 

…実はこれ、解体した際に出てくる
城壁の中にある「ぐり石」を積んだもの。

 

いわば、現代人による新たな石積!

 

普通の工事のおじさんたちが積んだものらしいですが、
……立派ですね。

知らない人が見たら、
これも中城グスク城壁の一部だと思うはず(笑) 


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