joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『まなざしに管理される職場』 大野正和(著)

2007年01月31日 | Book

             「阪急夙川駅の下の川」


経営学者の大野正和さんが2005年に出された『まなざしに管理される職場』(青弓社)を読みました。教えられることの多い本でした。

この研究が目的としているのは、日本的な仕事の倫理と思われている「相互配慮」の精神が90年代以降アメリカやイギリスの職場にも移植されている実態を追い、そのことが米英の職場の人々の心理にどのような影響をもたらしているのかを明らかにすることです。またそれにより、そのような「相互配慮」に基づく職場の雰囲気が、それまでの欧米の職場の雰囲気といかに異なるかを説明し、欧米的な経営管理と日本的な経営管理との違いを明らかにすることです。

著者は、日本的経営を解説する上で「ピア・プレッシャー」という概念を紹介します。「ピア・プレッシャー」とは、管理者の部下に対する管理ではなく、労働者自身による相互的な「管理」です。それは「管理」と呼べるかどうかも曖昧な事態です。

欧米による管理が、管理者による部下への命令・統制という形を採るのに対し、日本の職場の特徴は、労働者たちが職場の成員全体を「チーム」と認識し、各人が「チーム」に対して貢献することを求められるし、また実際に労働者たち自身が「チーム」に貢献しようとします。

著者は、このような日本的な職場のあり方が90年代以降に米英の職場にも積極的に移植された実態を追います。

管理者と労働者という対立図式が描かれていたかつての欧米の職場では、労働者にとって管理職・会社とは“敵”であり、労働者の目的はどれだけ会社から利益の分け前を取るか、また上司の目を盗んでどれだけ自分の労力を節約するかでした。

しかし職場を「チーム」とみなし、同じ職員同士が互いの仕事をチェックしあうという体制を取ると、労働者の目標は敵である管理者と闘うのではなく、同じチームの仲間に“どれだけ迷惑をかけないか”になると著者は指摘します。

この著書で再三取り上げられているエピソードですが、工場のラインの各部門で「チーム」が編成され、その「チーム」の業績にチームの成員全体が責任を負います(まるで「五人組」のように)。そこで怠業などを行うと、それは“敵”である管理者に一矢を報いるどころか、同じ仲間である「チーム」のメンバーに“迷惑をかける”ことになります。

(“ご迷惑をおかけして申し訳ありません”という言葉は日本独特の挨拶言葉だと思います。あるいは欧米にもあるのでしょうか。“I’m sorry to disturb you.”とか)

引用されている例では、チーム制が採用されることにより、もはや労働者は“敵”である経営者ではなく、いかにまわりの人間に迷惑をかけないかに労働者が腐心するようになるかが描かれています。

ある働くシングルマザーのシャロンの例では、彼女が遅刻をすることがどれだけまわりに迷惑をかけるかを自覚していないかを示す発言をしたとき、職場の人々が彼女を叱責する場面があります(p.74)。

真面目に仕事をしないことを叱責することは、管理者でも、というより管理者こそすることで、欧米でもこれまでも頻繁に見られたことでしょう。しかし「チーム」という日本的な労働体制が独特なのは、シャロンに対する次のメンバーの言葉です。

「チームは、彼女の傷を癒すように態度を変えた。彼らは、彼女の気分を害するつもりはないが、シャロンの行いがいかにみんなに影響するかわかって欲しいと話した。…この事件の最後にチームは、「みんな、本当に君を頼りにしている。ここには君が必要なんだ」と彼女に告げた」(p.74)。

チームのメンバーのこの言葉は、本心からのものでしょう。誰も彼女を泣かしたいとは思っていない。ただ同時に、この言葉には、この言葉を発したメンバー自身の焦り・恐怖もあるように思います。

「シャロンの行いがいかにみんなに影響するかわかって欲しい」と彼(彼女)が言うとき、その影響とはもちろん工場の生産が滞ることを言うのですが、それによりこのチームは、会社にも、また納品先にも、ひいては「お客様」にも“迷惑をかける”ことになります。

「チーム」という体制は、すべてを自律的に決定できる体制になるわけではありません。例えば、作りたい商品を考えることができるわけではありません。一定の与えられた課題をこなすことでは旧来の工場と変わらないでしょう。ただそのノルマを果たす際に、一人でやるのではなく、「みんな・チームでする」という事態・心理状態が生まれる点が異なります。

労働者と管理者が対立図式にあるとき、上で述べたように、労働者の団結とは会社からいかに分け前を多く取るか、また労力をどれだけ節約するかに関心が向けられます。しかし「チーム」が生まれるとき、「みんなでする」という行為自体が自己目的化します。労働者VS管理者という対立では金銭的な分け前の取り合いが焦点になるのですが、「チーム」が生まれると「みんなでする」「みんなに迷惑をかけない」という金銭以外の目的が入り込みます。

心理学者のチクセントミハイは、人がその人の技能・適性に合った行為に没頭する状態を“フロー”という概念で説明しました(チクセントミハイについての過去のエントリーは“Good Business”  “Flow” 『楽しみの社会学』 「自己と“流れ”」 『フロー体験 喜びの現象学』など)。彼はそのようなフローの例の一つとして工場のライン労働も含めています。マルクス経済学者から見れば「搾取」にしか見えない労働も、それが労働者にとって喜びの源泉となりうるのです。

そのような“フロー”の特徴を元ソニー取締役でCDに開発者天外伺朗さんは、金銭とか名誉とかにリンクされていない活動と定義しています(『フロー経営の極意』)。また成果報酬と結びついた労働が生産性を生まないことを経営学者の高橋伸夫さんも指摘しています(『虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ』))。

では、この著書で大野さんが取り上げている工場の事例は、“フロー”な状態に当て嵌まるのでしょうか。たしかに金銭以外の目的が労働者のエートスに入り込んできている点では、それまでの欧米の労働と異なるのかもしれません。「みんなでする」「チームワークでする」という行為も、それ自体が自己目的化する行為としては相応しい目標だと思います。

自分ひとりだけの世界を超えてまわりの人間と協力して何かをやり遂げるという体験は、自分ひとりだけではすべてがコントロールが効かないため、様々な相互作用を生み、予想外のトラブルも生じ、それだけに達成感も大きなものになります。

会社経営者の本田健さんは、現在の自分の会社を作るとき、社員にとってその会社で働くことが喜びとなるような会社、社員がその会社で働いて一番幸せになれるような会社を作ろうと思ったそうです(『小冊子を100万部配った、革命的口コミ術とは?』)。仕事自体の面白さもさることながら、会社が一つ家族としてまとまり、その場にいることが社員にとって楽しくなるような会社ですね。本田さんの会社では役職による上下関係もないそうです。

ただ、では大野さんが追跡している工場労働に、そのような“フロー”な雰囲気があるかというと、答えは微妙です。

著者が強調することの一つは、日本的な管理・「ピア・プレッシャー」が導入されたところでは、労働者は職場に心理的に一体化します。課題がチーム単位で与えられるため、業績は個人ではなくチームの成果として現れます。

そのため労働者は自分ひとりの仕事だけではなく、チームの仕事の成り行き全体に注意を向けるようになります。ここから、職場を離れてもつねにチームの仕事のことばかり考えるという態度が生まれます(p.93)。これはかつて日本の「社員」についてよく言われた特徴ですが、著者は今はそれが欧米でも見られることを、しかもそれが日本的経営が移植されたことによって生じていることを指摘します。

この日本的経営は、肯定的な面としては、次のある労働者の言葉に見られるように、かつては欧米の職場に見られなかった家族的な一体感を労働者にもたらしています。

「チームがうまくいっていれば、自分もいい具合に思う。そして、仕事がうまくいかなくて出荷が遅れて残業しなくちゃならないときなんか、お互いに周囲を見回して困っている仲間をかわいそうに思う。そういう羽目になったときは、自分たちのすることに責任を持つ、それが私は好きなのよ。
 そして、わたしたちはゆがんだかたちでの家族みたいなものよ。ここで働いている人たちと一緒にいればそうなるわ。ほかの人がしようとしていることがわかるようになるし、彼らも私がしたいことがわかる。(略)ちょっといやなやつもいるけれど、全体として私たちはとっても親しい関係にある」(p.99-100)。

「ゆがんだかたちでの家族みたいなもの」と言っていることを考えると、これは完全に理想的な職場の姿とは言えないかもしれない。かと言って、単に「規律の内面化」とか「見えない形での経営者によるコントロール」というように割り切るのも難しい事態です。実際著者は、日本的経営を経営者VS労働者という対立図式で考える管理論では日本的経営を考察する際には限界があることを絶えず強調します。

著者は、「ピア・プレッシャーには二面性がある。お互いの仕事を厳しく監視し合う側面と、困ったときには仲間同士として力づけあう協調の側面である」と述べ(p.12)、この書の目的は、日本的経営に対して一面的な判断を下すのではなく、それがどういうときに労働者にとってプレッシャーとなるのかを明らかにしたいと述べます。

それでは、この「お互いの仕事を厳しく監視し合う側面」と「仲間同士として力づけあう協調の側面」とをそれぞれ生み出す条件の違いは、実際にどのようなものなのでしょうか。

本を読んだ印象から伝わってくる欧米の職場は、これまで紹介してきたように、日本的な「一致団結」の精神で、「和」を尊び、まわりと協調し合う労働者の姿が浮かびます。

ただ私には、「お互いの仕事を厳しく監視し合う側面」と「仲間同士として力づけあう協調の側面」が、日本的経営という同じコインの裏表とは考え難いのです。これは現場を知らないものの感想です。もっと正確に言えば、「仲間同士として力づけあう協調の側面」という肯定的な側面は、必ずしも「お互いの仕事を厳しく監視し合う側面」と結びつくものではないと思えるのです。

「お互いの仕事を厳しく監視し合う側面」として、周りの労働者が一人の労働者を問い詰める場面がこの本では紹介されます。それは「仕事の厳しさ」として不可欠な態度だと言えますが、同時に“ミス”というものを極端に恐れる労働者たちの恐怖心から発しているようにも思います。

このような一つのミスを極端に恐れる心性は、精神の健康度という点から言えば健全とは言えないものです。まして、そのミスをめぐって一人の労働者をまわりの人間が問い詰めるというのも、一種の集団的なヒステリーにも見えます。

しかし、例えばチクセントミハイが言う“フロー”の状態は、そのような他者に対する罪悪感とは異なるものです。“フロー”の状態においても、行為者は自らの仕事に厳しい規律を課しますが、あくまでそれは自分が納得して設定するハードルです。しかし大野さんの著書で紹介されている工場労働では明らかに、工場・会社によって他律的に設定されたハードルに、チーム全体がおびえている姿がうかがえます。

著者は労働者が極端に“ミス”を気にするのは、その労働者が絶えず他人の目を気にするからだと指摘します。

「ここでは、仕事の良し悪しが職場の人間関係のなかで評価され決まってくることに注意しなくてはならない。仕事とは、いつでも他人との関係において遂行されるべきものであり、彼らがそれをどう見るか、どう受け止めるかが大事なのである。職人気質や天職観念にみられるような、ある絶対的なものを志向する仕事観ではなく、他者との相互依存関係のなかで自分の仕事を位置づける相対的な観念が求められる」(p.80)。

ただ私の想像では、「チーム」として、他者と協力して何かを成し遂げる際にも、ちょうど「プロジェクトX」が紹介していたように、職人気質や天職観念にのっとって仕事が行われることがあるのではないかと思います。

天外伺朗さんは人材は「不良(ハミダシ)社員」からさがせ―画期的プロジェクト成功の奥義』の中で、「集団」という観念に押しつぶされずに、いかに社員を自由に行動させるかが経営にとって大事かを述べています。「チーム」として「プロジェクト」を進めることは不可欠なのですが、その際にディレクションを多く与えてミスを恐れさせることは、必然的にチームの動きを阻害していくのです(“Good Business” by Mihaly Csikszentmihalyi)。

おそらく「チーム」が労働者にとってプレッシャーとなるのは、そこで指示が多く与えられるときです。もちろん「チーム」でなくとも、指示を多く与えられることは、指示を受ける人のミスを誘いやすいでしょう。「~をしてはいけない」と強くいうことは、まさにその「~」をするように人を仕向けてしまう結果になるからです(『四つの約束 』 ドン・ミゲル ルイス (著))。ただ、ミスが「チーム」全体に迷惑を及ぼすとき、それは「五人組」のように、それまで欧米ではあまり知られていなかった罪悪感を生じさせるのかもしれません。

罪悪感とは人に対して感じるもので、幼いころの親に対する罪悪感がそのまま成長しても持ち越され、それがまわりとの人間関係に投影されます。「チーム」制は、それがミスに対する懲罰を協調する際には、その人間関係への罪悪感をよりダイレクトに労働者に意識させる制度です。

「チーム」として働くこと自体は、それが必然的に労働者を心理的に追い詰めることにはならないでしょう。問題は、経営者がその「チーム」にミスの防止を義務付けるとき、それは個々の労働者に個別に指示を与えるよりも、より罪悪感を労働者に多く生じさせ、心理的なプレッシャーになるのではないかと思います。


参考:大野正和さんのHP「〈私〉と過労死の日本的経営論」

カメラが変わると / 写真を選ぶ

2007年01月31日 | 絵画を観て・写真を撮って

             「水面にうつる人々」


「カメラが変わると」

以前誰かがネットで、カメラを換えると撮る被写体も変わると言っていました。今の僕は日常の風景ばかり撮っているけれど、それはコンパクトデジカメを使っているからかな。一眼レフを使うと、もっと大自然の風景を撮りたくなるのだろうか。

大自然の写真を見ても、僕は感動することは少ない。それは、大自然の写真はあまりにも多いので見慣れているからだと思う。大自然の写真で、でも人を感動させる写真を撮ることは可能なのだろうか?あるいは、大自然の写真で、人を感動させる写真を撮っている人はいるのだろうか?僕は写真家で知っている人は少ないから、きっといるとは思うけど。

あるいは、カメラをもっといいカメラにすると、同じ日常の風景でも、もっと今とは別な様に撮るようになるのだろうか。

コンパクトデジカメのいいところは、外出しているときに、ふと気づいた場面を手軽に撮ることができる点です。でも、一眼レフだと「さぁ、これから写真を撮りに行くぞ!」と気合を入れるのだと思う。そうすると自然に撮る被写体も変わってくるだろうか。それとも、日常的に一眼レフとレンズをいつも持ち歩いている人っているのだろうか。仕事や別の用事で外出していても、いつも一眼レフを持ち歩いている人って。


「写真を選ぶ」

現像したりネットにアップする写真を選ぶとき、以前のパソコンに取り込んだ写真を見直します。撮ってすぐ「これはいいぞ」と気に入った写真は当然ネットにアップします。

面白いのは、撮ったときは気に留めなくても、大分経ってから見直しているときに「これはいいかも」と思い直して、よく見るとますます気に入って、最初「これはいいぞ」と思った写真よりも気に入るようになることがあること。

撮った直後で見るときの感覚と、大分経ってから見るときの感覚が違うのです。

どちらがいいとは言えないけれど、時間が経ってからじわじわ「これはいいなぁ」と気に入るようになる写真があるのです。


『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 2

2007年01月30日 | Book

             「白い花と濃緑の葉」


『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 1 からの続き)


「神経症」を癒す「もう一人の自分」

ユングによれば、外面的な成功や既成の常識にとらわれることは神経症となりやすく、彼らは結婚、地位、名声、あるいはお金を求め、それを手に入れても不幸かつ神経症的な状態のままです。そのような人たちに本来必要なのは、その人たちの意識が知らないもう一人の自分が教えるメッセージを読み取り、本来の自分=個人となることです。「もし彼らがもっと広い高邁な人格へと発達できるのなら、神経症は一般に消失する」(上p.204)。

ここでユングは、神経症とは「現代」の病であり、神的なものとつながっている「もう一人の自分」との接触を多くの人が失い、社会的・人為的なレール(ヴェーバーが「鉄の檻」と呼ぶもの)が強固になったために生じていると言います。彼によれば、その人々が神話によって「祖先の世界」とまだ繋がっていたり、「真に体験され単に外側から見られたのではない自然」との繋がりもまだもっているような時代と環境に生きていたら、「自分自身との分裂」を経験せずにすんだだろうと指摘します(上p.209)。

ユングは、夢などで語りかけてくる“もう一人の自分”のメッセージを治療に応用する際に大切なのは、夢などを通じた無意識によるメッセージを人格化することによって自分自身と区別し、同時にそれらを意識と関係づけることだと言います。それにより無意識的な内容はその存在を認知され、意識と統合され、その力を失うといいます(上p.267)。


主観と客観を統一する“創造”

“個人”としての本来の自分を患者ではなく自身の中に見つめようとした際、ユングは自分の幼児期の記憶を辿り、積石の玩具で家や城を建てた経験を思い出します。彼はその記憶が「相当な情動」を伴っていることに気づき、次のように呟きます。

「これらのものは未だ生きながらえている。少年は未だ存在していて、現在の私に欠けている創造的な生命を所有している」(上p.249)。

彼は自分の中の「少年」にもう一度接触するために、石を拾い集め、城や家をこしらえ村を作ろうとしました。彼は、その活動が、自分の中の“何か”に触れることを可能にし、それを手助けとしていくつかの論文を書いたことを記しています(上p.250)。

後年にユングはあの有名な「ボーリンゲンの塔」と言われる物を石で作ったが、彼にとって石との接触とそれによる創造活動は内面の外界へのあらわれであり、内面と外面とが容易には区別しえないことを表現しているものでした。つまり創造とは内面の“何か”に突き動かされることであり、同時にその内面が外的な形となってあらわれることです。その創造の結果である物には、内面と外面の区別を超越した世界の法則が表れます。ユングはそのボーリンゲンの塔に、かつて彼が石に感じたような世界の根源的なものを感じます。

「時には、まるで私は風景の中にも、事物の中にまでも拡散していって、私自身がすべての樹々に宿り、波しぶきにも、雲にも、そして行き来する動物たちにも、また季節の移り変わりにも、私自身が生きているように感じることがあった。塔のなかには何一つとして十年の歳月を経ぬものはなく、また私とのつながりをもたないものはなかった。そこではすべてのものが、私との歴史を共有し、その場所は引き篭もりのための無空間的な世界なのである」(下p.38)。


宇宙との合一

このように自分の存在が万物と溶け合う感覚は、ユングが繰り返し経験していることで、また彼はその経験をとても重視しています。ユングはインド洋のベンガル湾沿岸を訪れた際に、岩石の中をくりぬいて作られた礼拝堂に入ったときの経験を次のよう述べますが、それは彼が石との語らいに関して上に述べたようなものと同じ経験です。

「私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。私はすべてが脱落して行くのを感じた。私が目標としたもの、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。…それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったことのすべてで、それらのすべてがまるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、わたしがそれらそのものだといえるかもしれない。いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っていた。私は私自身の歴史の上に成り立っていることを強く感じた。これこそが私なのだ。「私は存在したもの、成就したものの束である。」(下p.126)。

この記述の後でユングは、上記のような経験と関連する、心筋梗塞による意識喪失・譫妄状態に陥った際に見た幻像ヴィジョンについて説明しています。ユングによるその幻像の細部にわたる具体的な描写は省きますが、この幻像体験を彼は次のように述べます。

「まるで私は恍惚状態エクスタシーにいるようであった。私は、あたかも宇宙空間を浮遊しているように、また宇宙という子宮のなかで安心しきっているかのように感じた。――そこは途方もない真空状態であったが、しかしあらんかぎりの幸福感に満たされていた――」(下p.130)。

「これらの経験はすべて荘厳であった。夜ごとに私は至福状態にただよい、「森羅万象の心像に、取り囲まれていた」」(下p.132)。

「このような経験がありうるとは、想像すらできなかった。それは想像の産物ではなかった。幻像も、経験も、本当に現実であった。それらについて主観的なものは何もない。それらはすべて、絶対的客観性を持っていた」(下p.133)。

これは、わたし(たち)のような人にはどのような体験なのか分かりづらい。いや、想像はできるけれども、それが誰にでも訪れる経験とか、その経験が客観性をもつということは信じるのは簡単ではないユングの体験です。しかし彼にとってこの経験は、人の心の病の治療に携わってきた経験から、心の解放をもたらすものです。彼は次のように述べます。

「この夢や、幻像のなかで私の経験した客観性は、完成していく個性化の一部をなしている。この個性化とは、価値判断とか感情的結合と呼ばれているものからの離脱を意味している。感情的結合は人間にとって、一般的にはきわめて重要なのだが、しかしそれは投射を含んでいて、自分自身や客観性に到達するためには、この投射を棄て去ることが肝要である。感情関係は、強制と圧迫との入り混じった、欲望の関係であって、その関係では他人から何か期待されていて、それが他人も自分自身をも窮屈にしている。客観的な認識は感情関係の背景に隠れ、その認識は中核的な秘密であるように見える。客観的認識によってはじめて現実的な合一が可能である」(下p.135)。

神秘的体験による癒し

ユングの体験がオカルト的で妄想にすぎないとしても、彼の体験を共有できない人にとって重視すべき点があるとすれば、彼の神秘的体験には、彼の言う「感情的結合」「価値判断」という多くの人を悩ませている心の動きから、人を解放させる作用があるという点です。「オカルト的体験」を支持する人と、それを拒否する人ととの間で対話が成り立つとすれば、その体験の客観的な正しさだけではなく、その体験が当事者にどういう影響をもたらしたかを見ることが重要なのでしょう。

そのような「オカルト的体験」により“教祖”が“信者”を金銭的・心理的に搾取したり、その「オカルト的体験」を信じない人を「地獄に落ちろ」と脅したりすることがあれば、それはまさに妄想であり、恐怖支配です。

逆に恍惚体験により他者への寛容さが増したり、自らの人生の苦しみを受容できたりするのなら、その体験はその人にとって大きな価値を持ち、また他者が耳を傾けるべき体験となります。

ユングは自ら恍惚の体験が自分にもたらした変化について次のように述べます。

「…病気によって私に明らかになったことがあった。それを公式的に表現すると、事物をあるがままに肯定するといえよう。つまり、主観によってさからうことなく、在るものを無条件に「イエス」といえることである。実在するものの諸条件を、私の見たままに、私がそれを理解したように受け入れる。そして私自身の本質も、私がたまたまそうであるように、受け取る」(下p.136)

 「病後にはじめて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。このようにして私は、どんなに不可解なことが起こっても、それを拒むことのない自我を鍛えた。つまりそれは真実に耐える自我であって、それは世界や運命と比べても遜色がない。かくして、敗北をも勝利と体験する。内的にも外的にも、かき乱すものは何もない。それは自己の持続性が、生命や時間の流れに耐えているからである」(下p.136)。

 「私はまた、人は自分自身の中に生じた考えを、価値判断の彼岸で、真実存在するものとして受け入れねばならないと、はっきり覚った。もちろん、真偽という評価の範疇はつねに存在しているが、しかしそれらには拘束力はなく、副次的なものである。したがって思惟の存在が、われわれの主観的判断よりも重大である。しかしこれらの判断も決して抑圧されてはならないのであって、判断もまたわれわれの全体性の現れに属している」(下p.136)。

こういったことを“言う”ことは比較的簡単であり、実際にこのようにすべてを受け入れることは難しいものです。またユングがその境地に達したかどうかは、ユング以外の人にはわかりません。ただ重要なのは、他者がこのような境地に達することを人間の理想と考える場合には、そこに至る道を考える上で、ユングの考えは無視できないものである可能性があります。

このような超心理学的な言説が科学的な論証に耐ええないことを彼は認めます。ただ同時に、治療に携わった経験から、神話などを用いた無意識の探求が患者にとって価値を持つことをたえずユングは強調します。例えば「死後の生」という考えについても、それが合理的な反論には耐ええないことを認めつつ、多くの人は「死後の生」を信じることで、「より意義深く生き、よりよく感じ、より平穏」になることを指摘します(下p.140)。

ユングは、「死後の生」のような神秘的な考えがもつ意味について、次のようにも述べます。彼は母親が死ぬ前日に彼女が死ぬ夢を見ます。悪魔のようなものが彼女を死の世界へとさらっていったのです。しかし彼女をさらった悪魔は、じつは高ドイツの祖先の神・ヴォータンでした。ヴォータンはユングの母を、彼女の祖先たちの中に加えようとしていました。この高ドイツの神・ヴォータンはユングによれば「重要な神」「自然の霊」であり、あるいは錬金術師たちが探し求めた秘密である「マーキュリー(ローマ神話の神)の精神」として、「われわれの文明」の中に再び生を取り戻す存在でした。しかしその「マーキュリーの精神」は歴史的にキリスト教の宣教師たちにより悪魔と認定されていました。

ユングにとってこの夢は、彼の母の魂が、「キリスト教の道徳をこえたところにある自己のより偉大な領域に迎えられたこと」を、そして「葛藤や矛盾が解消された自然と精神との全体性の中に迎えられたこと」を物語っていました。

母の死の通知を受け取った日の夜、ユングは深い悲しみに沈みつつも、心の底の方では悲しむことはできなかったと言います。なぜなら彼は、結婚式のときに聞くようなダンス音楽や笑いや陽気な話し声を聴き続けていたからです。彼は一方では暖かさと喜びを感じ、他方では恐れと悲しみを感じていました。

ユングはこの体験から、死の持つパラドックスを洞察します。母の死を自我の観点から見たとき、それは悲しみになり、「心全体」からみたとき、それは暖かさや喜びを感じさせるものになります。

ユングは「自我」の観点からみた死を、「邪悪で非情な力が人間の生命を終らしめるものであるようにかんじられるもの」と述べます。

「死とは実際、残忍性の恐ろしい魂である。…それは身体的に残忍なことであるのみならず、心にとってもより残忍な出来事である。一人の人間がわれわれから引き裂かれてゆき、残されたものは死の冷たい静寂である。そこには、もはや関係への何らの希望も存在しない。すべての橋は一撃のもとに砕かれてしまったのだから。長寿に価する人が壮年期に命を断たれ、穀つぶしがのうのうと長生きする。これが、われわれの避けることのできない残酷な現実なのである。われわれは、死の残忍性と気まぐれの実際的な経験にあまりにも苦しめられるので、慈悲深い神も、正義も親切も、この世にはないと結論する」(下p.158)。

しかし同時に夢は、母をヴォータンの神が死を通じて祖先たち下へつれていったと教えます。死は、母にとって、またユングにとって、喜ばしいものであると夢は教えます。

「永遠性の光のもとにおいては、死は結婚であり、結合の神秘である。魂は失われた半分を得、全体性を達成するかのように思われる」(下p.158)。

このような夢や神話を用いた想像は、それを合理的な世界観によって完全に切り捨ててしまうとき、人は「教条主義的な固さの餌食」となります(本来、合理性とは教条主義から脱するための一つの方法だったのですが)。また同時に、安易に神話や夢・暗示に頼りすぎると、漠然とした暗示を実体的な知識ととりまちがったり、たんなる幻を本質として考えたりします(下p.158)。

ユングがこのような神話や夢を重視する理由の一つは、それらが既存の常識や価値観ではない方向性を人間が手に入れるための手段となりうるからです。ひょっとすると、20世紀初頭においてますます強固となっていた官僚制社会において、それらに対抗する価値観を求める気持ちから、夢や神話に重要性を付与したのかもしれません。

ですから、夢や神話を絶対視すること自体は、おそらくユングにとって本意ではないはずです。「オカルト」として夢や神話が一つの権威となり、それらに従うことがルールとなるとき、まわりの価値観ではなく自身の内的なものが示すものにヒントを得るというユングの最初のモチーフは裏切られることになります。

重要なのは、(完全に達成することは不可能だとしても)どれだけ既存の常識を疑い、自分の中の静かな声に耳を傾けることができるかです。夢や神話に頼りすぎる人にとってはリアリスティックな物の見方が必要となることもあるでしょうし、その逆もあります。ユングが言うように、ユングにとって役に立つ治療法は、彼以外の人には全く役に立たないこともあるのです。夢や神話は、それ以外の価値観に振り回されている人にのみ、またそういう人が多い時代においてのみ、役に立つのかもしれません。つまり大切なことは、自分が見失っているものをたえず発見し続ける意欲です。

そのように自分が見ていなかったものを見続けることにより、またそれら既存の価値観や夢や神話が何を自分に教えているのかを問い続けることにより、その人は自分の“個性”に耳を傾けていることになります。

こにユングの自伝を読んでいると、彼があまりにも神話を重視し、夢の解釈に没頭している様に戸惑います。普通の人には彼のように夢を解釈する発想はもちえないし、その方法をマスターできるのも、すべての人ができるというわけでもないでしょう。

ただ、“内的”なものに耳を傾ける作業をする際には、夢や神話を頼りにせざるを得ないのでしょう。それら夢や神話は根拠がなく、不確実であり、それが教えるものを読み取る作業は誰も失敗に失敗を重ねるのでしょう。ユング初心者にとって不満があるとすれば、この本にはそのような解釈の失敗を彼が多く述べていないことにあります。

夢や神話を参照すればそれでいいわけではなく、そのような不確実なものを使いつつも、人はたえず自分の人生にあう方向性は何かを問い続けざるを得ません。むしろ“個性化”は、そのような解釈の失敗を重ねながら、相貌を見せてくるようなものではないかと想像できます。

そういう私の印象に比べれば、ユングはあまりにも自分が見出した“元型”“神話”に自信を持ち、それがすべての人にあてはまると考えているようにも読めます(そのことを否定してはいるけれど)。

私の今の印象では、彼の思想を継承する人はつねに表れながらも(ニューエイジのように)、ユングの思想が完全に人々に受け入れられることはこれからもこないと思います。またすべての人がユングの世界の説明を受け入れる必要ももちろんないのでしょう。

ただ、そのような偏向がもしユングにあったとしても、不確実なものに耳を傾けることの大切さを説いたことは、目に見えるもの・確実なものだけで議論することは他者への非寛容を強める危険があるゆえに、今の私たちにとっても重要なのではないかと思います。


『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 1

2007年01月30日 | Book

             「雑草」


スイスの精神科医カール・C・ユングの自伝『ユング自伝』(みすず書房 1972)を読みました。

たとえ心理学好きでなくとも、「ユングぐらいは」読んでいる人は日本にはとても多そうです。でも、私はこの本を読むまではユングを読んだことがなかった。今回初めて読みました。ホントならもっと早く読んでいてもよさそうなものだけれど。

読んでみると、わたしに合う部分があり、またついていけない部分もあり、という感じです。

鹿児島在住の精神科医の神田橋條治さんは『精神療法面接のコツ』の中で、精神療法の修練を積む上では誰か師匠について、その師匠のいいところも悪いところもすべてひっくるめて自分に取り込み、その上で自分のやり方を模索していくのがいいとおっしゃっています。そう指摘した上で神田橋さんは、「フロイトやユングのような人たちが歩んだコースは精神療法家としては稀な道で、凡人は真似しないほうがいい」と確かおっしゃっていたと思います。

フロイトは一時フランスの医師シャルコーに弟子入りしていたそうですが、それもごく短期間の話で、明確に師匠と呼べるような人はいなかったと思います。ユングも同じく、この自伝を読む限りでは、師匠と呼べるような人をもたなかったみたいです。


フロイトとの違い

フロイト自身はユングを自分の正当な継承者とみなしたかったようです。幼児の頃に抱く性欲とその挫折がその後の人間の心理状態を規定するという理論が、ユングのような秀才によって受け継がれることを夢見ていたそうです。

しかしユング自身は、20歳近く年上のフロイトを最初から師匠とは見なしておらず、一人の友人として付き合いたかったみたいです。

ユングは、精神分析を科学にすると言いながら、人間の心理状態がすべて性欲に起源があるとするフロイトの考えは、明らかに証明しえない独断だと見ていました。

「ちょうど心理的に強い力が「神的」あるいは「悪魔的」な属性を与えられるように、(フロイトの提唱する)「性的リビドー」が秘密の役割を肩代わりしたのである。この変換のフロイトにとっての利点は、明らかに、彼が、新しいヌミノース(神秘的)な原理を科学的にみて非難の余地がない上に、あらゆる宗教的色彩から解放されているとみなすことができるという点にあった。しかしながら実際は、ヌミノースムつまりヤーウェと性欲という二つの理性的には比較しえない反対物の心理学的性質は全く同じままであった。…つまり失われた神は、いまや上にではなく、下に求められなければならなくなったのである。しかし、…一体そのことがあのより強い力に対して、究極的にはどんな違いをもたらすというのだろうか」(上p.219)。

人間(自分自身)の“心理”とは何かと考えるとき、そのときすでに人はそれを何か蠢くもの、動的なものとして構想せざるをえません。“心理”とは何かと考えるのは、何か“心理”と言い表しえるものが自分の中に存在すると考えることであり、言い表しえるものが存在すると考えるのは、それが何か自分の中で動いていると感じているからです。

フロイトはその動きを“性的リビドー”という概念ですべて説明できると考えました。しかしユングからみれば、それはただ名前・言い方の問題であって、本当にそれが“性的リビドー”かどうかは証明し得ません。もし“性的リビドー”を“力”と言い換えても、言っていることは同じです。ユングは次のように言います。

「エロスと力の衝動は、ある意味では同じ父親で意見を異にする息子たち、あるいは単一の心的原動力の産物であるが、経験的には、正負の電気のように正反対の形を取って現れてくるようなものであり、エロスが受け手として、力の衝動は動因として現れたり、その逆になったりするということが解りはじめてきた」(上p.221)。

対象によって欲望を挫折させられる経験にフォーカスすると、欲求の挫折こそが人間の心的状態を規定するとみなし、「性欲リビドー」が人間の心理の根源だとみなすようになります。逆に対象を克服する人間の意志の強さの経験にフォーカスすると、「力」が人間の根源にあると見なします。

この考察からユングは、一つの根源から心理を説明しようとすると、力とその挫折、意志とその挫折という両極端に振られることに気づき、その二元論からの脱却に救いを求めます。

「ヌミノースム(神秘、超自然)の体験によって、こころが激しく揺り動かされているところはどこでも、危機一髪の状態に陥る危険がある。もしそんなことが起こったら、ある人は絶対的な肯定へ落ち込むだろうし、またもう一人は同等に絶対的な否認へ傾くことになる。Nirdvandva(両極端から解放されていること)はこれに対する東洋の救済策であり、私はそのことを忘れずにきた。心の振り子は意味と有意味の間を揺れ動いているのであって正邪の間ではないのである。ヌミノースムは人を両極におびきよせるものであるがゆえに、危険きわまりないものであり、したがって中庸の真理が本当の真理と見なされ、小さな誤りも宿命的な誤りと同等視される。過ぎ去ったものはすべて――昨日の真理は今日のペテンであり、昨日の偽りの推論は明日の啓示かもしれない」(上p.222-3)。

フロイトのように心理を科学的な体系にすることは不可能であり、心理を一つの要因で説明することは一つの宗教的教義にすぎないというユングの洞察は、しかし神秘的体験等を否定するものではありません。むしろユングは、世界に神秘性を感じ、その神秘性を最大限守りたいがゆえに、フロイトのように、あるいは聖書原理主義のように、概念による因果図式で世界を説明すること(これはユングを含めてすべての人が避けることができない)は一つの暫定的結論にしか過ぎないことにつねに注意を促そうとしました。


父との違い

言語で世界を説明することへの違和感は、おそらく彼の父との関係でも表れていたのでしょう。この本の中でユングは繰り返し、牧師であった父への不満を述べています。ユングは、どれほど父が敬虔なキリスト教徒であろうと、父は世界の神秘にじかに触れようとせず、聖書と教会で事足れりとする性質で、神秘的な経験に関しては突っ込んだ議論をしようとはしない人だと思えました。

それに対してユング自身は、キリスト教の教義を越えて、また後には精神分析の硬直的体系を超えて、世界の不思議に素手で手に触れようと試みました。少なくとも本人はそう思っていました。

石との語らい

自伝の中の「幼年時代」という章で、ユングは世界に存在する物に感じた自分の経験を述べています。

「この壁の前に、突き出た石――それは私の石だったが――の埋まった坂があった。一人の時、しばしば私はこの石の上にすわって、次のような想像の遊びを始めた。「私はこの石の上にすわっている。そして石は私の下にある。」けれども石もまた「私だ」と言い得、次のように考えることもできた。「私はここでこの坂に横たわり、彼は私の上にすわっている」と。そこで問いが生じてくる。「私はいったい、石の上にすわっている人なのか、あるいは、私が石でその上に彼がすわっているのか。」この問いは常に私を悩ませた。…この石が私にとってある秘密の関係に立っていることは全く疑う余地がなかった。私は自分に課せられた謎に魅せられて、数時間もの間そのうえにすわっていることもできたのである」(上p.39-49)。


論理への違和感

このように「神秘的経験」に注意を向ける傾向は、周知のようにユングの中で幼い頃から晩年まで失われずにいました。それは「確か」であり「目に見える」ものへの疑いと、しかしより確固としたものを求める傾向です。「論理的」で「明確」なものはユングにとって、幾らかも確かには思えませんでした(私もそうだ)。彼は数学を学んだ経験について次のよう述べています。

「中でも私を悩ませたのは、次のような命題だった。つまり、a=bで、b=cなら、a=cであるとする命題である。定義に従えば、aはbとは異なる何物かを意味し、従って別のものであり、bと等しいとはできない。Cは勿論のことである。にもかかわらず、上述の等式を成立せしめるのだ。…ところが、a=bは、私にはまっかな嘘偽りのように思えたのである」

「先生が、平行線の定義を、無限大でまじわると大ぴらに言ったとき、私はまた同じほどに侮辱されたと感じた。これは、私には素人の心をつかむための、ばかばかしいトリックにすぎないと思われ、私はそんなトリックには全くかかわることができなかったし、またかかわりをもとうとも思わなかった」(上p.50)。

(数学に対しておそらく一定の人々はこうした違和感をもつということは、もっと公けの場で議論されて良いと思う。単に科学立国のために数学教育を充実させようとするだけではなく。僕には、これはもう持って生まれた感覚の違いだと思う。おそらく頭のよしあしに関わらず、数学の世界観について行けない人がいるのだと思います。どれほど勉強しようとも。あるいは数学嫌いの人の多さを考えると、実はそういう人のほうが多いのかもしれない。多いのだけれど、そうした人が数学を嫌いというと、「勉強が足りない」ということになり、「もっと数学教育を充実させねば」という議論になる。

私たちの世界は理系の人の努力で成立しているのだろうし、それには尊敬を払う必要があるけれど、ひょっとする多く人は数学に違和感をもつのかもしれず、数学に違和感を持たない人は元来少数派かもしれないのです。その少数派の感覚を基準にして頭の良し悪しを議論することは避けたほうがよいように思えます)


外面的なものを越えた“何か”への関心

このような論理的なものへの違和感と同時に、規則正しい学校生活を送らなければならないという規範を守る中で、ユングはそのような人為的な取り決めから逃れたいという衝動をつねにもっていたそうです。それは、既成のレールを歩く表面的な自分と、もう一人の別の自分との葛藤だとユングは表現します。

「背景のどこか深いところで、私はいつも自分が二人の人物であることを知っていた。一人は両親の息子で、学校へ通っていて、…。もう一方の人物は、おとなで――実際年老いていて――疑い深く人を信用せず、人の世からは疎遠だが、自然すなわち地球、太陽、月、天候、あらゆる生物、なかでも夜、夢、「神」が浸透していくものすべてとは近かった」(上p.73)。

学校生活、聖書原理主義的な牧師の父などの俗世との葛藤の中で、ユングはつねにその俗世的なもの・明確なもの・目に見えるもの以外のものが自分とこの世界には存在し、自分はその何かに耳を傾けるべきではないのかと問い続けます。

「後になって母は私に、そのころ私がしばしばふさぎ込んでいたと言った。本当はそうではなかった。むしろ私は、秘密のことを考えていたのである。そんな時、私の石の上に座ると、奇妙にも安心し、気持ちが鎮まった。ともかく、そうすると私のあらゆる疑念が晴れたのである。自分が石だと考えた時はいつでも、葛藤は止んだ。「石は不確かさも、意志を伝えようという衝動も持っていず、しかも数千年にわたって永久に全く同じものである」が、一方私はといえば、すばやく燃え上がり、その後急速に消え失せていく炎のように、突然あらゆる種類の情動をどっと爆発させるつかの間の現れにすぎない」のだった私が私の情動の総体であるにすぎないのに対し、私の中に存する他人は、永久不滅の石だったのである」(上p.70)。

聖書の教える神やイエスの物語を受け入れられない一方で、ユングは神的なものがこの世界に存在することを絶えず意識していましたが、それは例えば上記のような石などの自然物の存在に、善悪を超えた“存在”の神秘を感じることなどに表れています。彼は次のようにも述べます。

「「神の世界」の地上のあらわれは、それからの一種の直接的なコミュニケーションとしての植物界から始まった。それはまるで、観察されずに自己を省みながら玩具や装飾物を作っている造物主と肩を並べているかのようであった。人間および本来の動物は、他方、すでに独立してしまっている神の小片であった。それが、彼らが独力で動きまわり居所を選ぶことのできる理由であった。植物は善かれ悪しかれその場所に縛られていた。植物は自らの意志をもたず、また逸脱することもなしに神の世界の美しさや思想を表現していた。樹木はとくに神秘的で、私には生命の不可思議さを直接的に体現しているもののように思われた。そのために、森は私がその最奥の意義と畏敬の念を起こさせる働きとを、最も身にしみて強く感じた場所であった」(上p.105-6)。

外界の中にこのような神秘性を感じるユングの感覚は、目に見える世界は私たちが通常考えるような表面的で意味も中身もない物体や空間・時間ではないという洞察につながっています。

「空間、時間、因果律の限られた範疇をこえる出来事があるのかもしれないという考えには、なんら非常識なところも世間を驚かすようなところもなかったのである。動物が嵐や地震を予知しているということは衆知の事実だった。ある人の死を予知した夢や、死の瞬間にとまった時計や、危機に粉々にわれたガラスなどがあった。これらはすべて、私の子供のころの世界では当然のことと考えられていた」(上p.151)。


外面的なものを越えた世界の動きを把握する“心”

この後の叙述でユングは、ありえない割れ方で大きな音を出して割れたテーブル、食器テーブルの中で置いておかれたナイフがつんざくような音を出して粉々に割れたこと、などの話を引いています。彼には、そして同じく霊感の高い彼の母には、それは通常の科学的考えでは把握しきれない世界の動きの反映だと思われました(上p.157)。またユングにとっては、このような常識的な考えでは把握しきれない世界の動きの論理を、“心”は自我とは異なり把握しているのです。ただ、その“心”を自我であるわたしたちがよく知らないだけで。


「本当の道」を教える“心”

超感覚的世界に対して生じる感受性や、夢は、そのようなわたしたちが把握し得ない心の動きが、自我の抑制から解き放たれて、世界の論理を私たちに教えようとしていることの表れだということになります。ユングにとって医者の仕事は、この“心”の(誰も完全に正確には知りえない)メッセージを読み取る手助けだということになります。そこでは意識が語る話だけではなく、ときには「連想検査」や「夢の解釈」、「その個人との長く忍耐強い人間的な接触」が必要となります。

「治療においては問題はつねに全人的なものにかかわっており、決して症状だけが問題になるのではない。私たちは、全人格に返答を要求するような問いを発しなければならない」(上p.173)。

この「全人格」とは、意識上の、左脳的な論理・言語を超えた、存在を存在ならしめるような「神秘的」なものも含めたものになります。

例えばユングが診た一人のアルコール中毒患者の男性は、家業である会社を継ぐよう母親からプレッシャーをかけられ、そのプレッシャーから逃れるために酒におぼれていました。ユングは、その飲酒癖は母親との葛藤が原因であることを見抜き、彼の「本当に」望む道を歩み、家業を継ぐという既成のレールを外れない限りは、飲酒癖は治らないとみなしました。ユングはその母親に、「息子のアルコール中毒は彼を満足に仕事ができないようにしてしまうという意味の診断書」を書き、医者の権力を用いて彼を家業から離れるように仕向けます。しかし実際は、満足に仕事ができないために飲酒癖に陥っていたのですから、これは診断書の偽造でした。ユングはそのような危険を犯しても、患者の中の「本当の彼」に道を開く必要を感じたのです。彼は患者の姿の中にもう一人の彼を見、彼の表面上の言動を超えたところに彼の本当の望みがあるとみなしました。家業を継げないようにされた患者はユングに怒りを表したということですが、後に彼の妻は、その後彼が別の道で成功を収めたことでユングに謝意を表したということです(上p.177-179)。


示唆、兆候が教えるものを読み取る

このように、明確なものの奥にかすかに感じるものを感じ取ること(中井久夫さんが言うところの「微分的認知」(『分裂病と人類』)か?)の重要性を、分裂病患者の治療の経験を通じてユングは述べます。

ある「特徴的な誇大妄想を伴ったパラノイア型の早発性痴呆」に20年ほど罹っている60歳近くの女性の患者の例をユングは挙げています。彼女の発する意味不明な言動を、当時の医者たちは「意味をなさない最も狂気じみたこと」ととらえていました。しかしユングは、その意味不明な言動に隠れた意味があることを発見していきます。例えば「私はソクラテスの代理だ」という言葉は「私はソクラテスのように告発されている」であり、「私はとても高級なバター製のゲルマニアでヘルベルチアだ」は彼女の自己評価の増大・劣等感情に対する補償を表しているように(今の私たちには、それほど大胆な解釈には見えないけれど)。

ユングはこの経験から次のような原則を引き出します。

「私がパペットや他のそういった事例に熱中していくにつれ、従来我々が無意味だとみなしてきたものの多くが、そう思うほどにはおかしくないものであるということが納得できるようになった。一度ならず私はそんな患者たちにさえ、その背後にきっと正常と呼ばれるに相違ない人格が残っているということをみてきた。それはいわば傍観しているのだ。時折り、この人格が通常は声や夢になって気のきいた注釈を加えたり異議を唱えたりするのである」(上p.185)。

あるときユングは、胸部中央に神の声が聞こえるという婦人を診て、その「神の声」が指示するとおりに聖書を彼女に読ませるという診療を七年続けたといいます。ユングはその診療の過程で、その神の声の指示による聖書の朗読により、婦人は注意力の鋭敏さが保たれ、「統合を崩すような夢に深く沈まずに」すむことを見出します。それが本当に神の声がどうかはともかく、その婦人の知らないもう一人の彼女が、彼女にとって最良の治療方法を知っていたということです。これらの経験からユングは次のような洞察を得ます。

「患者とともに働くことを通じて、私はパラノイア的観念や幻覚が意味の兆しを含んでいることを理解した。ある人格、生活史、希望や欲望のパターンが精神病者の背後に横たわっている。…患者たちはのろまで無力なように、あるいはまったく馬鹿にみえるかもしれないが、患者の心の中には外見よりももっと多くのものがあり、意味のあるものももっと多いのである」(上p.186)。

この「もっと多くのもの、意味のあるもの」とは、たいていは外面的な成功や既成の常識とはかけ離れており、それゆえ多くの人はその「本当の自分」に直面することを拒否します。しかしユングの元に来るのはすでに「患者」であり、つまり「問題」を抱え自分を変えなければならないという自覚をもった人たちばかりです。その場合人は、既存の思い込みをもっていてもすでに病に陥ることを知っているので、新しい考えを受け入れる用意が普通の人より整っているといえます。


『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 2 へ続く)

粘土遊び

2007年01月29日 | 日記

             「紅い葉と雑草」


子供のころ、多分幼稚園ぐらいのとき、いつも粘土で遊んでいました。粘土で恐竜を作っていたのですが、作ってもそれを残すことはなく、作っては壊し作っては壊ししていたのです。

不思議と、新しい粘土を買ってくれとか、いい粘土を買ってとかを、親に頼んだ記憶はありません。粘土に関しては、とりあえずその時に持っていたもので満足していたのです。いや、満足するということすら意識していなかったと思う。その粘土を使うことがあまりにも当然だったので。

例えば友達と遊んで笑ったりしたときには、後から振り返って「あれは楽しかったなぁ」とか思ったりもできます。

しかし粘土遊びに関しては、「あれは楽しかったなぁ」とは単純には思いません。

だからと言って、他にすることがないから仕方なしにやっていたというのとも違います。

粘土をこねることは、喜びとか幸せとか楽しみとかではなく、分からないけどついついやっていた、という感じのものです。

僕が本を読んだり写真を撮ったりブログを書いたりするのも、それと同じこのような気がする、と最近ふと思いました。

でも、カメラはもっと大きなものが欲しいなぁ。コンパクトデジカメをずっと使っていると、小さいボディで酷使していると、無理している感じがする。

映画 『ディパーテッド』

2007年01月28日 | 映画・ドラマ

             「雑草と階段」


映画『ディパーテッド』を観て来ました(公式サイト)

ふぅ。久しぶりに映画館で映画を見たけれど、やっぱり映画は映画館がいいなぁ。隣に知らない人が座ったりして最初は落ち着かなかった。隣に座った人は映画の初めではジュースを飲んだりお菓子を食べたりして、僕はとてもイライラしてしまいました。だけ、映画に見入ってくるとそんなことは忘れてしまいます。

映画は、マーチン・スコセッシ監督に出演はレオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソン、あの『ブギー・ナイツ』のマーク・ウォールバーグ、『アビエイター』にも出ていたアレック・ボールドウィン、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』でディカプリオと共演していたマーティン・シーンという、個人的にはよだれの出そうなおいしいメンバーです。

わたしはオリジナルの香港映画『インファナル・アフェア』を見ていなかったので、違和感なく最初から最後まで見ることができました。

あらすじはディカプリオ演じる警察がマフィアになりすましてボスのジャック・ニコルソンを逮捕しようとし、マット・デイモン演じるマフィアが警察に入り込みニコルソンの逮捕を防ごうというもの。

映画は、マフィアのボス役のジャック・ニコルソンが周りのすべての人を恐怖で震え上がらせる圧倒的な迫力で映画を支配していきます。

彼のこの迫力により、映画の間中は、主役のはずのレオナルド・ディカプリオとマット・デイモンは、ニコルソンに睨まれてビビりまくっている若者二人という感じになります。

この映画はまるでタランティーの映画みたいに、子供じみた理由で人間が殺され、その子供じみたマフィアの残忍さをこれでもかと見せていきます。スコセッシはテンポのいい場面展開と俳優たちの子気味いいセリフ(“Fuckin'…!”の連続)で、ラップ・ミュージックのようなノリで映画をすすめて行きます。

このノリにもっとも合っていたのがマーク・ウォールバーク。警官役の彼は敵味方関係なくかかわる人間すべてに悪態をつき相手を侮辱する言葉をマシンガンのように浴びせ続けます。

そのような恐怖を知らない男たちに囲まれながら、ディカプリオは、一方で相手を恐怖で震え上がらせる迫力を出しながら、もう一方では自分の死を怖れる人間味をきちんと表現していきます。

たしかに映画自体は、ニコルソンの迫力に支配されています。観客はいつ登場人物たちがニコルソンによって殺されるのかハラハラします。警官であれ味方のマフィアであれ、彼の思惑一つで消されてしまいそうなのです。

しかし、ニコルソンのその迫力をもっとも観客に伝えているのは、実はディカプリ尾の演技なのです。恐怖を内面に持ちながら、身元がばれないように必死にマフィアになりきる過程でディカプリオの精神は病んでいくのですが、その焦りが体と顔全体で表現され、観客はディカプリオを見ることで、彼がいかに極限状態に追い込まれ、またニコルソンが恐ろしい人物であるかを認識することになります。

それに比べれば、マット・デイモンはディカプリオほど内面がうまく描かれていない。

これはデイモンの責任というよりは、デイモンとスコセッシが合わなかったからかもしれない。ラップのようなノリで次々と場面を展開させ暴力を見せていくスコセッシの映画では、目で演技をするデイモンの繊細さが消され、単なるひ弱な青年にしか見えないのです。

彼が大ヒットに導いたスパイ・アクション映画『ボーン・アイデンティティ』『ボーン・スプレマシー』は、暴力も銃もふんだんに出てきますが、同時にデイモンは高度な頭脳とサイボーグのような肉体を駆使し、同時に自分の暴力性に悩む繊細をあわせもつ一人の青年です。そのようなデリケートな場面においてこそ、一見静かなたたずまいのデイモンの良さが生きてきます。

これは彼をスターダムに押し上げた『グッドウィル・ハンティング』(興味のある人必見)でも同じで、超一流の数学の才能をもちながら、恵まれない生い立ちにより傷ついた心を持ち、周りに対して攻撃的になる青年という複雑な役柄だからこそ、デイモンのよさが発揮されました。

それらの映画に比べればスコセッシの映画は、一見頭脳戦の体裁を取っていても、強調されるのは生身の暴力であり、それが醸し出す原始的な恐怖であって、繊細な心理描写とは違うものです。

ディカプリとデイモンの共演ということで喜んで観にいったけれど、結果としてはスコセッシ映画に合う演技と合わない演技の違いが出てしまったように思いました。


時間は2時間20分ほどで、見ている間中は心臓がドキドキし、見終わった後でも興奮がなかなか鎮まらないような映画でした。脈拍が普通より相当上がっていたのではないだろうか。観ている間も、観終わった後も、緊張が続いてしまう映画でした。


ディパーテッド
サントラ, ロジャー・ウォーターズ, ヴァン・モリソン, ザ・バンド, ビーチ・ボーイズ, ザ・ローリング・ストーンズ, ロイ・ブキャナン, ジ・オールマン・ブラザーズ・バンド, バッドフィンガー
ワーナーミュージック・ジャパン

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Can't they move?

2007年01月27日 | 店舗を観察して

             「円いベンチ」


キーワード:大手は、ゲリラ的な新規参入者の価格低下に、当面追従できない。

解説:大手は速いスピードで動けない。価格低下をすれば、大手が追従することもあるが、大手はその低価格品を売っても、社内で誰も評価しないため、販売に真剣になることはない。

--「仕事のヒント」神田昌典365日語録--  No.194


写真の現像で、最近は二度ほどDPONEというネットのお店を利用してみました。

この店の特徴はその安さ。L判1枚10円で5ポイントつくので、次回ものこのお店を利用すれば実質1枚5円になります。

元々わたしはcanon selphyを使って家でプリンしていました。これだとでインクと紙を買って1枚20円強です。それでも写真屋さんで現像してもらうよりは安いかもしれませんが、110枚の用紙入りのインクセットを買うのに毎回2千円以上かかるので、一回や二回ならともかく、ずっと買い続けるのは結構キツイです。

それに対して上のお店だと1枚実質5円なので、家でプリントするよりも4分の1安くなります。送料も80円です。またポイントを使えるのは二回目からですが、初回利用時には200ポイントが同時に利用できます。

質のほうは、元々画質にこだわらない私には、ちょっと補正が効き過ぎているのかな?という感じの、くっきりした濃い目の色合いになりますが、とりあえずは満足です。

同じネットサービスでも、フジカラーの料金を見てみると、L判1枚37円。DPONEの7倍の値段です。しかし大手のメーカーに7倍の画像のよさがあるかというと、ちょっとそれは想像できません。

どうしてここまで値段の開きが出てしまうのだろう?

そもそも1枚5円で運営している会社があるということは、それだけの値段でも利益は出るぐらい、インクと紙の単価は本来安いということなのでしょうか?

だとしたら、これまで一枚30円強で商売してきた大手メーカーは、このビジネスはかなりの利益率を上げていた部門だということになります。

もともと大手のフィルムメーカーは町の写真屋さんと提携していて、それら町の写真屋さんの店舗維持費用もかかったから、1枚40~50円が必要だったのかもしれない。

でもネットではそのような店舗維持のコストが消えるので、1枚5円でも通用するのかな。

しかしだとしたら、大手メーカーの1枚30円強という値段は、プリントメーカーのインク代も含めて、ネットを通じた現像サービスの時代に生き残るのはかなり難しいように思う。

どうしてここまで値段の差が開くのだろう?また差が開いている状態が続いているのだろう?大手メーカーはどういう考えをもっているのだろう?



料理教室におどろく

2007年01月27日 | 店舗を観察して

             「青い空 黄葉をつけた木 白い建物」


昨日、高層ビルの最上階に行ったとき、同じフロアにある料理教室の中の人の多さを見てびっくり。外からも何をやっているかが筒抜けになる大きなガラスで囲われているのですが、たくさんの女の子が夕方から料理をしているのです。この人たちはみな学生さん?それとも花嫁修業の家事手伝い?

そういえば三ノ宮のジュンク堂書店に隣接しているクッキング・スタジオも、ここは中の様子はそれほど見えないけど、いつも生徒さんで混雑している印象があります。一体何なんだろう?といつもいぶかしく思っていたのだけど。

この料理教室は株式会社 ABC Cooking Studioという会社らしく、全国に85箇所の教室を展開しているそうです。料金を見ると、標準的なコースで1年12回で41580円。一回4千円ですが、これが高いのか安いのか。

もっとも僕は料理教室なんて行ったことがないから驚いているだけで、料理教室自体は前からたくさんあったはずです。ただ、この会社のように外から見えるガラスで区切られたスペースでホントにたくさんの女の子が料理しているのを見ると、今の女の子ってそんなに料理に熱心だったの?と思っビビってしまうのです。


参考:チャレンジ体験 THE LIFE IS ETERNAL。

   ABC初体験 気ままに綴るDiary
 
   +++ 久しぶりにABCクッキングスタジオで料理をしました +++ トモエ生活

画集 『J.M.W.ターナー』 ミヒャエル ボッケミュール (著)

2007年01月26日 | 絵本・写真集・画集

             「海に浮かぶ船」             

画集『J.M.W.ターナー』(ミヒャエル ボッケミュール (著) タッシェンジャパン )をみました。

ターナーといえば「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」(1884)が有名で、僕でも知っているくらいです。でもその他の絵は知りませんでした。

ターナーは印象派の先駆者と言われているそうですが、彼は1775年生まれなんですね。そんなに昔の人だとは想像しにくいくらい、素人の僕にも(だから?)彼の絵はとても斬新なものにみえます。

イギリスの人というのはやはり絵に影響しているのでしょうか。フランスで活躍したいわゆる印象派の人たちの絵よりも、線が細い印象を受けます。一つ一つのタッチが繊細なのです。

他の画集と同じようにこの本でも画家の絵がほぼ年次順並べられています。解説は詳しく読んでいないのですが、最初は流行の風景画家だったターナーは、ある時期を境に、40代を過ぎてから、現在よく知られている“ターナー風”“印象派風”の絵を描くようになったそうです。その感覚重視の絵は、やはり当時の評論家には受け入れられなかったそうです。

今のわたし(たち)からみると、初期の一つ一つの描写がはっきりしたターナーの絵はとても退屈なものに見えます。

その退屈な絵を見ていて思ったのですが、写真を撮っていて気づくことは、肉眼でどれだけいいと思った風景も、写真に撮ってみると自分が注意を向けていなかった物が入ってきて、とても退屈な写真に見えるということです。

惹かれる被写体に出会ったときは、その被写体にだけ注意を向けているので、それだけで画面を思い描きます。おそらく注意を集中的にある焦点に向けているので、その被写体の特徴だけが頭のイメージで強調されているのです。その強調されたイメージは、撮る者の頭の中で「現実」から離れた理想化された絵です。

しかし写真を撮ると、その強調されたイメージ以外の「現実」も画像に入り込んでいます。その想定外の余分なものが画像に入ることで、撮る者が見たのは、強調された理想的イメージではなく、退屈な現実だったことを思わされます。

ターナーの後期の絵にせよ、印象派の絵にせよ、そのぼやけたイメージは、写真が映すような退屈な現実とは異なる、彼ら自身が見た現実です。


おそらく、印象派のような純化された感覚を描くのではなく、現実を描こうとする芸術家がいるとすれば、それはしかし退屈な現実ではないはずです。

そうではなく、その現実を描こうとする芸術家は、現実によって自分の中で喚起されたイメージを、抽象派のように感覚に頼らずに、輪郭は現実と同じようにハッキリさせながら、しかし焦点は自分の惹かれた被写体にあわせ、その被写体が喚起したもの以外のもの=退屈な現実は画像・キャンバスに入り込まないようにするのではないかと思います。





J.M.W.ターナー

タッシェンジャパン

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絵本 『はやくあいたいな』 五味太郎

2007年01月25日 | 絵本・写真集・画集

             「石の道」(on “Flicker”)


五味太郎さんの絵本『はやくあいたいな』をよみました。

この本は、以前もう5年以上前に本屋で見かけて思わず引き込まれてしまった絵本です(買わなかったんだけど)。この本で遅ればせながら「五味太郎という人ってすごいなぁ」と、日本を代表する絵本作家のことを認識しました。今回あらためて読んでみて、そのときのことを思い出しました。

他の絵本では、どうしても絵と文は別々になっています。文を読むときは絵を見ていないし、絵を見ているときは文を読んでいない。

でも五味さんの絵本は、文と絵を一緒に読み見ることができるんですね。独特のリズムで文と絵が一体化してぐいぐい読むものを引っ張ってくれるのです。

本の中に登場してくるよおちゃんとおばあちゃんは、お互いとても好き合っている。もう好きで好きでしょうがないので、相手のことを思うといてもたってもいられない。その二人を広い画面で眺めている私(たち)は、二人の仲のよさを見てとても暖かくて嬉しい気持ちになります。

とっても面白い絵本ですよ。



はやくあいたいな

絵本館

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絵本 『ノエルのひみつ』 グレゴアール・ソロタレフ(作・絵)

2007年01月24日 | 絵本・写真集・画集

             「灰色の空の下のイルミネーション」(on “Flickr”)

『ノエルのひみつ』(祐学社 1990)という絵本を読みました。絵と文はフランスの作家グレゴアール・ソロタレフ。訳は末松氷海子さんという方。

赤い服を着ている男の子ノエルが森で大きな赤い袋を見つけました。その袋は魔法を使える三人の小人が運んできたものです。小人はノエルにあるお願いをし、その願いを聞いてくれたらノエルのためにあることをすると約束します。

クリスマスの絵本で、12月にこの絵本を読み聞かせしてくれる図書館もいくつかあるみたいです。

なんだか、あたたかさとさびしさが混ざったような絵とお話です。どこにも淋しい感じはしないのに、とても淋しい感じもします。

12月の冬の、雪の積もった森で、男の子が一人で森を歩き、そこで小人に出会います。小人はこびとであって、人間ではありません。そこにいる人間は男の子だけです。それがとても淋しい感じを抱かせます。

その小人に出会って、男の子の話は展開していきます。その展開も、世界の子供たちを喜ばせる話のはずなのですが、私はこの男の子がなんだかとても淋しい人生を送っているような気にさせられました。これでこの男の子ノエルは本当に幸せだったんだろうか、と思ってしまいます。いや幸せだったのです。ノエルは自分の人生を見つけたのです。だからよけいに読んでいて淋しくなるのです。

作者のソロタレフさんの絵は、太い線でシンプルに絵を描いていきます。それが暖かみと同時に、キーンとするような冷やっとするものを読んでいて感じさせられます。

お話の展開は単純ですが、なにか人の世界の奥行き、読んでいる自分の奥行き、今まで知らなかった自分の心の奥にまで道を広げられたような感じがします。


Specialized bookstores

2007年01月23日 | 店舗を観察して


このブログでも本をご紹介するときはアマゾンのページにリンクしていますが、絵本を紹介するときは、最近は「絵本ナビ」というお店のページにもリンクしてみました。

僕はまだこのお店のことを全然よく知らないけど、おすすめサイトNo.1に選ばれたりと、有名なサイトなのかもしれない。

会社概要を見てみると、ベネッセやオリックスが出資者となっているみたいなので、まったくの一個人が始めた事業ではないのかもしれません。絵本に限るとはいえ、本の注文を全国から受けて配送するわけなので、最初から在庫のためのそれなりのスペースを備えた会社でなければ対応できないと思う。

ユーザーがレビューを書き込むだけでその人にポイントが溜まるシステムというのも、最初から資金がなければ実現できないアイデアだと思う。

ただ、一消費者としての感情としては、何から何までアマゾンを使うというのも、あまりいい気分ではないので、色々な本のショップができて欲しいとは思います。

アマゾンが嫌いなわけではありませんが、本を買うのも、ブログでリンクを貼るのも、いつもいつもアマゾンというのでは、何かアマゾンにコントロールされている気がしてきます。アマゾンが悪いわけじゃないけれど。

アマゾンがココまでネットユーザーに浸透しているのには、アマゾン自身の企業努力が背景にはあるわけですが、やはりいつも同じ会社ばかり利用するというのは、消費者として精神衛生上よくないと思うのです。

アマゾンがここまでシェアを広げている以上、規模でアマゾンに対抗する会社の出現は難しいように思えます。ただ、本やCD、DVDなどではあらゆるジャンルをカバーするアマゾンに対し、個別のジャンルに特化したコンテンツサイトが生存する余地はあるのかもしれません。「絵本ナビ」のように。

アマゾンはジャンルが広いだけに、一つ一つの商品の情報量はそれほどでもありません。またユーザーのレビューも、評価というより悪口のようなレベルのものも少なくありません。

それに対して、個別ジャンルに特化したサイトであれば、そのジャンルに詳しかったり愛情があったりするユーザーが集うので、建設的な意見や愛情のある意見が多くなりそうに思う。そうなれば、「このジャンルのorCDorDVDはここで買おう」というようになるかも(あるいはすでにそうなっている?)。

絵本以外でそういう可能性のあるジャンルってあるかな?やはり、1500円以上の商品は配送料無料にするというのは、一商店では難しいかな?

医学書専門の本屋さんって多いけれど、ウェブでもあるのかな?「医学書」で検索するといくつかあるみたいです。

他に何があるかな?

『思うとおりに歩めばいいのよ』ターシャ テューダー (著) リチャード・W. ブラウン (写真)

2007年01月23日 | 絵本・写真集・画集

             「神戸、北野」


アメリカの絵本作家ターシャ・テューダとの語らいの中で拾った彼女の言葉を一つ一つページに載せたのであろう、『思うとおりに歩めばいいのよ―ターシャ・テューダーの言葉』
を読みました。

でも、読みましたというより、本当は見ましたというほうが正確かもしれない。ターシャ・テューダの透明感のある素顔や彼女の美しい庭を切り取ったその写真はとても素晴らしいものです。できれば、もう少し陽の当たった日に取った写真を見たかったけれども。

でも、この写真を撮ったリチャード・W・ブラウンという人の写真はとてもいい。何がいいのだろう。ターシャ・テューダやお庭が生き生きととても生命感のあるものに感じられる。

ターシャ・テューダ自身はすでに高齢なのでゆったりとした感じだし、お庭も混沌の中に秩序を見出しているようなたたずまいです。アメリカの田舎(バーモント州、NYの北っかわか?)の一軒家と広いお庭を撮った写真です。静かなはずのそのお庭が、とても動的な感じがします。

そういえば、エリザベス・キューブラー=ロスも、晩年で田舎で一人暮らしをしていたと思う。キューブラー=ロスがいたのは西海岸の近くの田舎だけど、同じような感じなのかな。

そういえば、イタリアの作家スザンナ・タマーロも、イタリアの田舎で一人暮らしをしていたと思います。


「わたしは想像の世界で暮らしています。
 もしかしたら、臆病なので、
 頭を隠して世の中の現実を見ないようにしているのかもしれないわね。
 でも、それも楽しい生き方ですよ」

彼女のお庭も、家も、彼女の美意識が強烈に反映されたものなのだと思います。

整然としていないし、むしろ混沌としているのですが、それは彼女がお気に入りのものをすべて自分の手元においておきたいので自然にそうなったという感じです。

彼女は自分の美意識に優越感も劣等感ももたず、ただ好きなものを好きだと表現することができるのです。これは簡単なようで簡単じゃないかもしれない。私(たち)の美意識は、その裏に自分の美意識にそぐわないものへの蔑視を含んでいるからかもしれないから。

ターシャ・テューダは、自分の好きなものに囲まれて安らぎ、それに満足でき、好きなもの以外のことを考えなくていいところまで来ています。

それは他者を排除するのではなく、彼女にとって自分と他者の区別はなく、ただすべてが自分の世界となっているので、他人を排除する必要がないのです。

「庭はわたしの自慢なの!
 謙遜なんかしないわ。
 うちの庭は、地上の楽園よ!」

僕はターシャ・テューダのことはまだよく知らないけど、彼女に多くの人が惹かれるのは、都会の喧騒や世の中の雑事から離れて(もちろん彼女は絵本作家として印税で自活しているので、雑事にもまみれているのだろうけど)、田舎で暮らしているというところにあるのではないように思う。

そういう部分ではなく、あるいはそういう部分だけではなく、彼女の自分自身への満足感や安らいだ印象に、人々は人間の理想を見出すのではないかと、そう想像してしまいます。

自分の価値観・美意識に満足すること。それでいながら、他人を嫌悪したり排除したりしないこと。ただ、自分の世界はこう、と宣言できること。

「女らしさは女性の大きな魅力です。それをどうして捨ててしまうの?
 女性が長いスカートを履かなくなったのは、たいへんな間違い。
 半分しか見えないのは、全部見えるよりずっと神秘的で、楽しいものです」

「わたしは絶対、1830年代の人間の生まれ変わりだと思います。
 だから、死んだから、迷わず1830年代に戻ります。
 わたしは1800年から1840年のイギリスのイプスウィッチに行って、
 船長の奥さんになりたいわ」
 

多くの人がターシャ・テューダの生き方にあこがれるけど、もちろん誰もが彼女のように田舎で一人で暮らせるわけじゃないし、またそうする必要ももちろんないでしょう。また彼女のような庭を誰もが作る必要もないし、山羊を飼う必要もありません。

でも、彼女のように、自分自身の価値観・美意識をもてることは、とても憧れます。



思うとおりに歩めばいいのよ―ターシャ・テューダーの言葉

メディアファクトリー

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天使と悪魔 「百日咳」『ER Ⅹ』

2007年01月22日 | 映画・ドラマ

             「公園を歩く夫婦」


先週土曜日夜の『ER 緊急救命室Ⅹ』「百日咳」では、診療部長のケリー・ウィーバーが、事故で亡くなったロバート・ロマノの顔をかたどった像をみんなの前でお披露目していました。ウィーバーはその像を前にして、「ロマノ氏の長年の功績を讃えて、ここにゲイ・レズビアンのためのクリニック、「ロマノ・センター」の設立を…」と発表していました。

しかしこのロマノ氏は、ERファンの人はみんな知っているように、性差別主義者で人種差別主義者だったので(そう割りきれない面もあるのだけど)、ゲイ・レズビアンのためのクリニックに彼の名前を付けて、かつ死んだ彼の顔の像をみんなの前に出すというのは、死んだ者へのウィーバーの攻撃みたいです(ウィーバーはレズビアンです)。

まるで悪魔みたいな人ですね、ウィーバーは。

ロマノもウィーバーも悪魔みたいな人です。

ロマノはレズビアンを嫌いだという理由で研修医に悪い点をつけたり、医師を解雇したりした人です。

また自分の気に入らない別の医師を解雇して、おまけにその医師の再就職を妨害したりしました。

あるいは、自分の指示に従わないウィーバーを停職処分にもしました。

ウィーバーもウィーバーで、自分のイライラを若い研修医にぶつけて彼を解雇したり、自分のミスを別の医師になすりつけたりする人です。

ウィーバーもロマノも自分の出世や立場を守るために他人を犠牲にするような人です。

でも、『ER』というドラマのリアルなのは、そうした悪魔みたいな人たちも、その悪魔のような側面と同じような深さの慈愛をもっていることを見せてくれるところです。

そう、ロマノもウィーバーも、他人に優しいときはとても優しい。いや、ふだん強烈に他人に毒を与えるからこそ、同じような強さと深さで他人に優しく接することができるのだと思う。

それはロマノやウィーバーに限らず、私の経験でも、そういう人はこれまでにもたくさんいました。

他人に対して攻撃的で相手を深く傷つけようとする人ほど、人に優しくするときはとても深い愛情を見せるのです。

人は悪魔にも天使にもなります。

徹底的に悪魔になる人ほど、別の時には徹底的に天使になります。

誰もが悪魔になるときもあれば、天使になるときもあります。

悪魔になるときもあるけど、誰の中にも天使がいます。

悪魔にならざるを得ないときもあるけど、天使になれるときを誰もがもっています。

すべての人の中に天使がいます。

これはうれしくなるような事実だと思います。


絵本 『ポヤップとリーナ沖縄へいく』 たちもとみちこ(さく・え)

2007年01月22日 | 絵本・写真集・画集

             「花壇の中の二人の女性」


たちもとみちこさんが沖縄を旅行した経験を絵本にした『ポヤップとリーナ沖縄へいく』を読みました。ポヤップとリーナという二人の主人公が沖縄に行って、沖縄の様々な動物、植物、特産物を現地の人に紹介してもらうというもの。

ここでもたちもとさん独特の色彩感覚が生かされて、沖縄のカラフルな植物・特産物・動物が鮮やかな色合いで表現されています。

僕は沖縄に行ったことがないけれど、その印象は、他の地域とちがってどこかゆったりとした時間軸が流れているというもの。この絵本では、そういう沖縄の印象が、たちもとさんの貼り絵のような絵によって表されて、どこか近いけれど異世界のような場所に行っている気にさせられます。

ポヤップとリーナが最初沖縄についた頃には、沖縄の色いろなものを現地の人や動物に教えてもらって、ポヤップとリーナはそのもの珍しさに驚いておおはしゃぎしているようです。

それがページが進むにつれ、カンムリワシに乗せられて西表島に行った頃から、どこかより異次元の世界にいるような雰囲気になります。平和だけれど、静かで、自然の神秘の世界に触れているようなのです。表面上は他の世界と変わらないようでも、何かより世界の奥に入っていっているような。このあたりから、絵本からもポヤップとリーナのはしゃぐ声は少なくなり、彼らも静かになって沖縄のより奥の世界でじっとおとなしくしている感じがします。

これはたちもとさんもそう感じたからかな。



ポヤップとリーナの旅えほん(1) ポヤップとリーナ沖縄へいく

ワニマガジン社

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