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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

Difference in importance of words

2007年04月01日 | 映画・ドラマ

今頃になって“West Wing”(ザ・ホワイトハウス)をDVDで初めて観ました。去年に“ER”にはまり一年かけて大部分観たのですが、そのとき気づいたのは英語のドラマは英語の勉強になるかな?ということ。もちろんいきなり観てもちんぷんかんぷんですが、最初は字幕で見て後で字幕なしで観ると、内容は頭に入っているので退屈せず、所々英語がわかるとうれしくなります。まぁ、最初に字幕で見ている時点で、本格的な英語学習にはなっていないかもしれないけど。

というわけで同じ英語ドラマの“West Wing”を借りてみたわけです。これが予想以上に面白そう。シーズン1のディスク1を借りたつもりがシーズン3のディスク1だったのですが、ちょうど大統領や報道官の記者会見・スピーチの「言葉」にいかに大統領スタッフが神経をすり減らしているかが描かれています。思わぬ失言が大統領やスタッフにとって命取りになるのです。

一つ一つの言葉に政治家が神経質になるのは、それだけ揚げ足取りをするメディアが多いし、その揚げ足取りにつられる一般の人が多いから。だから揚げ足取りというのは文化的にはつまらないものです。

しかし、契約・交渉社会のアメリカにおいては、一つ一つの「言葉」の重みが日本とは違うのかもしれない。揚げ足取りが道徳的につまらないことは彼らは十分知っているのだと思います。ただそれでもつねに競争状態に置かれいるアメリカ社会では、競争相手はつねに些細な失敗につけこんできます。揚げ足取りがどれほどくだらないことであろうと、「あの時ああ言った」「こう書いていた」ということが、のちの“交渉”で取り上げられます。

それを見ると、日本の政治家がいかに「言葉」に無神経かが分かります。社会全体が、「契約書」や「発言」を元に交渉を進めるような社会ではないので、その時々の「言葉」よりも相手の「真意」を汲み取ることが大事という文化が浸透しているのでしょう。

「格差はあってよい」「公約違反は大したことじゃない」という言葉がどれだけ非常識であっても、それを発した人の「人間性」「雰囲気」に正直さが感じられれば、一般の人は許してしまうのです。

日本には一つ一つの「言葉」ではなくて、その人の「人間性」を重視するという文化が浸透しているのでしょう。与党の政治家の「機械」発言がどれほど非常識であろうと、一つの言葉で判断するのはよしましょうというムードが社会にはあるのかもしれません。

もっとも、そのような失言が繰返されると、さすがに事態は違ってくるだろうけど。

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1 Comments

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今更ながら (lint )
2019-02-18 11:30:17
10年以上前の記事なのに今見ても感心してしまいます。核心をついている。

某政治家、しかも大臣である人の発言が度々取り沙汰されています。
例にとると、白血病と診断されたオリンピック候補選手へのある政治家の言葉、、、

まさに真意をくみ取ればその発言に悪い意図はないと思われる発言内容ですが、取り上げられ強くたたかれました。
これは日本社会がアメリカの契約・交渉社会に移行しているということなんでしょう。
しっかりとそれを意識的、無意識的にできる能力を持たない人間、特に政治や公の場、リーダーシップを執る人間は淘汰される可能性が十分にある社会になるということでしょう。
大変面白い記事だなぁと思いコメントしてしまいました。
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