joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

暑い

2007年11月30日 | 日記


今日はとても暖かい一日でした。

ダウンジャケットでは暑いくらい。

12月は例年まだまだ暑いですからね。

病院

2007年11月30日 | 日記
身内が倒れて病院に運ばれてから2週間になりました。

倒れたときの症状の重さから一時はどうなるかと不安になりましたが、幸い意識は入院時からしっかりしており、集中治療室の中でも言葉を交わせるほどでした。

それから何日かは点滴を打って安静にしている必要があったのですが、頭のほうはかなりしっかりして、お見舞いに来てくださった人たちと話すと、倒れる前と同じように話していて、こっちが驚いてしまいました。

そうこうするうちにリハビリも始まりました。現在の病院はもうすぐ退院で、今度はリハビリ専門病院です。

これまで入っていた病院は、大病院でもなく小さな診療所でもなくと言う感じで、だからか「程よい」という印象の病院です。でも前にも書きましたが、その分野では全国でも指折りに数えられるほどの病院だそうです。近所の人と話していても、「あそこでよかったねぇ」と言われました。

やはり高齢の人は人間が罹る病気の知識を豊富に持っていて、同時にどういう病院がよい病院かもみんな知っているんですね。

そういう知識を私も最初から持っていれば、倒れた家族をかかえたりせず、すぐに119にかけていたかもしれません。もっともその時間は10分ほどで、他の家族がすぐに電話してくれたのですが。

救急車で運ばれて診察をしてくれたお医者さんの説明は丁寧でした。もちろん専門的なことはわかりませんが、それは仕方ありません。

入院中の看護婦さんたちの対応もみな親切でした。家族も「普段聞かないような丁寧な言葉を使ってくれる」と言っていました。

部屋の日当たりもよく、環境としてとても恵まれていたと思います。

これはこれから気をつけて観察していきたいですが、病院というのは大きすぎると、職員の数の多さや建物の巨大さに患者が心理的に圧迫される危険があるのではないでしょうか。それを考えると、大学病院というものが社会にとってどれほどいいものかはわかりません。もちろんこれはすべていい加減な印象です。

また逆に小さすぎると、「新しい設備がない」といった素人の不安が頭をもたげてしまいます。

「程よい」大きさ、というものがどれくらいかは議論が分かれるでしょうが、大きすぎもせず小さすぎもせずという病院が患者にはベストのような気がします。病院建築について書かれた本があったらまた読んでみたいと思います。

なんという病院か宣伝してもよさそうですが、すでに毎日外来が山ほど来ているので、逆にじゃまになりそうです。


はぁ。

2007年11月29日 | 日記
人の期待を裏切るのってツラい。

人を失望させるのってツラい。

そんなことにならのなら、最初から出会わなければいいのに、って思う。

人を失望させ、お互いに気まずい想いをさせてしまう、そんな出会いに意味があるのか?

はぁ。

手袋

2007年11月28日 | 衣料・生活用品と関連して
昨日は手袋を買いました。

財布などを開けるときに手袋を脱ぐのが面倒なので、指の先が出るものをさがしていました。1000円ほどであるかなと思っていたけど、1500円と1900円のものがあり、デザインで選んで結局1900円のものを選びました。

私は自分でもうんざりするぐらい手袋をなくします。毎年手袋を買っている。

今回買ったものは、色はグレーでよいのですが、先っぽが橙色でちょっと恥ずかしい。まぁ、誰も気にしないんですけどね。

ロフトと東急ハンズで探したのですが、置いてあるものは一緒でした。そんなものかな。

このブログのアクセス数

2007年11月25日 | 日記
このブログの一日のアクセスIP数は大体100を超えたぐらいです。この数字は、実は2年ほどぐらい前からずっと変わりません。

IPというのはパソコン1台に割り当てられるアドレスなので、およそ一日に100人強の人がこのブログを訪れてくれていることになります。総アクセスは、最近は200から300ぐらいです。

このブログは書評や映画評がメインという位置づけで書いてきたのですが、最近はあまりそういうものは書きません。

毎日つぶやきみたいなものをボソッと書いているのですが、それでもアクセス数は減りもせず増えもせずという感じです。以前ほど毎日のように頻繁に更新はしませんが、それでもアクセス数にさほど変化は見られません。

一般的にブログのアクセス数がどれぐらいなのかは知らないのですが、何か特別な情報を提供しているわけでもないのに見てくださっているというのは、有り難いことだと思います。




救急病院

2007年11月25日 | 日記
今日も某病院へお見舞いに行ってきました。

その病院は少し辺鄙な場所にありますが、全国でもその専門領域でかなり名高い私立病院です。

最初は「どうしてこんなところに病院を建てたのだろう?」と訝しがってました。働く人たちはやはり都会に近い病院に勤めたいものなのではないか?と思ったり。

しかし、そこは確かに辺鄙な場所ですが、国道沿いで救急車が出入しやすいのです、きっと。考えれば、都会の真ん中に救急病院があっても救急車は入れません。そこまで考えて建てたんですね、きっと。

おかげで車でその病院へ行くのも我が家から30分ほどです。

2007年11月24日 | 日記


お見舞いがてら、クルマをちょっと伸ばすと、とてもきれいな海が広がっていました。今日はとても暖かく、バーベキューをしている人もいました。

少し辺鄙な場所にあるので、誰もが知っていて誰もが来るという場所ではないのかもしれません。しかし休日でこの天気の良さなのに人が少なすぎるようにようにも思います。

もっと人に知られていいスポットでした。

掲載依頼

2007年11月21日 | 絵画を観て・写真を撮って
今日も「フォトライブラリー」を通じて、新しい会社を起こそうとしている人から、HPを作成するに当たって私の写真を利用したいとの連絡をいただきました。

最近はあまり写真を撮っていないのですが、それだけ自分は写真に執着していないのかなぁとも思うことがあります。

でも、自分がまわりの人を一番喜ばせることができるのは写真かもしれないというのは、不思議な気分です。

きれい

2007年11月21日 | 日記
秋なのに、というより秋だからこそ、晴れると空気が澄んでとてもきれいですね。

昨年の今頃はいつもデジカメを持ち歩いていました。

今はデジカメでは物足りないし、かといって一眼レフをいつも持ち歩くのも、他の荷物も持っているので、億劫になって、いつもカメラをもっているというわけではありません。

でも、外を歩いていると、あぁカメラをもっていたらなぁと思わされることが多いです。

紅葉

2007年11月18日 | 見たこと感じたこと
公園を歩いていると、木々の間にきれいな陽射しが射していました。

紅葉はもうピークを過ぎてしまったのでしょうか。こんなに紅葉に気づかなかった年は珍しいかもしれません。

今年ももう終ろうとしています。年の始まりが冬で年の終わりも冬なので、年の始まりがなんだか昨日のようです。

ウーン

2007年11月16日 | 日記
今日は人がたくさんいる場所へ。

前に座っている女の子たちが「私87年生まれなんです」という会話をしていたり、おじさんに「大人なんだから一回言っただけで覚えてくれよ」と言われたりして、ウーンとこころの中で呟いてしまいそうでした、と今振り返ると言いたくなりました。

怒り

2007年11月16日 | 日記
随分と胃の痛いことが起きている。

相手を怒鳴りつけたくなるところだけど、本当は分かっているのです。私は私に怒っているのだということを。

でもそれを認めてしまうと、悪いのは私だということになり、罪悪感と恐怖に直面しなければなりません。

『西洋絵画の巨匠 ピカソ 』

2007年11月13日 | 絵本・写真集・画集
画集『西洋絵画の巨匠 ピカソ 』をみました。

いつものように、画集を見るときはその解説には殆ど目を通しません。なので、その場で「思ったこと」しか言えないのですが。

美術評論とか絵画史とか、それなりに読み応えのある本ってあるのかな?もちろん研究者は多いだろうし、それなりに(どころか、大きな)研究史の厚みもあるのだろうけど。

僕は美術にはずぶの素人です。その僕が思うには、ある絵に感動するとき、その絵がうまいということはさして重要ではなく(うまい人はたくさんいるのでしょうから)、そこに描く人自身の何かが描かれているように感じるとき、その絵に感動するのでしょう。

例えばゴッホの絵に感動するのは、彼が「上手い」からではもちろんなくて、その絵の中に私たち人間の内面の深部が描かれているように感じて、ゴッホの絵に感動するのです。


しかし、ピカソの絵を観て思うのは、美術に疎い人間が言うのもなんだけど、このピカソという人は美術の天才なんだな、ということ。

どのような画家も、その絵にその画家の個人的な何かが描かれているから素晴らしい絵になるのだと思う。

しかし、私にはピカソの絵には、ピカソ自身の思い入れを超えて、絵画というジャンルの中で、絵画の歴史を前進させるために表れた一人の天才というイメージが浮かぶのです。

ピカソ自身は自分の個人的な衝動に突き動かされて絵を描いたかもしれませんが、しかしそこには絵画史を発展させる何かがつねに現れているように思うのです。

ピカソという人はなぜこれほどまでに多様な技法・モチーフに取り組んでこれたのか?ピカソの絵の特徴を一言で言うことはできません。その手がけた題材が広く、絵の雰囲気がそれぞれ違うから。

しかもそのどれもが、何かそのジャンルで圧倒的なクオリティをもつ絵に見えるのです。

ピカソ個人の事情以上に、何か〈絵画の才能〉というものを感じさせられます。