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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『パリ・オペラ座バレエ 「ジュエルズ」』

2008年06月07日 | バレエ
今年の二月ごろにNHK-BSで『パリ・オペラ座バレエ 「ジュエルズ」』が放送されていました。

「エメラルド」
「ルビー」
「ダイアモンド」

という三部構成のバレエです。振り付けはジョージ・バランシン

「エメラルド」では緑、「ルビー」では赤、「ダイアモンド」では白の衣装をダンサーが着ています。振り付けもそれぞれでガラッと変わります。

「エメラルド」と「ダイアモンド」が静かな感じ(何と言うボキャブラリーのなさ)なのに対して、「ルビー」だけはとてもにぎやかな。

個人的にはこの「ルビー」が面白くて、録画したビデオを何度も観てしまいました。マリ・アニエス・ジロがとにかくかっこいいですね。彼女が中心にいて男性ダンサーが取り囲んでいる様子は、まさに女王蜂という感じです。

振り付けもとてもユーモアにあふれていて、とても楽しい。

他の二つが(きれいだけれど)少々たいくつだけど、この「ルビー」を観るだけでも、見る価値のあるバレエだと思います。DVDも発売されています。


パリ・オペラ座バレエ『シルヴィア』(全2幕)

2007年07月07日 | バレエ
先日NHKで放映された「パリ・オペラ座バレエ『シルヴィア』(全2幕)」を観ました。これは、振付家ジョン・ノイマイヤーという人が1997年に振付けたものだそうです。

お話は、月の女神ディアナに仕えるシルヴィアという女性が、アミンタという羊飼いと出会うことで、恋愛の感覚に目覚めてしまうというもの。ディアナへの忠誠心から最初はアミンタへの思いを断ち切ろうとしますが、愛の女神(?)オリオンに導かれることで、徐々に新しい世界へと踏み込んでいきます…

これをモダン・バレエというのか?でも、私にはとても分かりやすいバレエのように思いました。

まず衣装がとてもかっこいい。月の女神ディアナに仕える女たちはみんな黒の半ズボンに狩人が着けるヴェストに帽子をかぶって、弓矢を振り回します。この女たちの群舞がとても華麗なのです。

普通、バレエの群舞というと、一糸乱れぬ調和した動きを想像します。しかし、このノン・マイヤーの振り付けでは、意図的にそれぞれのダンサーの振り付けが異なっているか、あるいは同じ振り付けでも時間差があります。そのような異なる動きが同じ舞台上で複数のダンサーたちによって踊られることで、全体の動きに不思議な調和が生まれているのです。

これは振り付けの人に、空間と時間の差異が全体にどのような効果を生むのかということに関する研ぎ澄まされた感覚を要求しているはず。

ノイマイヤーという人の群舞の振り付けは、一人ひとりのダンサーの踊りがまるで花火の火の粉が次々と飛び散っているような躍動感を演出しています。

群舞に至るまで一人ひとりのダンサーに独自の動きが要求され、それが全体の調和を生み出す、というこのバレエは、きっと出演者に対してとてつもない満足感・充実感をもたらしているのではないでしょうか。


このバレエを観ていて気づいたことの一つが、衣装が体型をダイレクトに表すようなものなのですが、主役を張るエトワール(バレエ団の最高位)たちの体型は、必ずしも理想的なプロポーションではないということ。


シルヴィアを演じるオーレリ・デュポンは、意外に背の小ささが目立ちます。他のダンサーが背も高く足も長く体が細く見えるのに対し、それに比べれば背が低く足も長くは見えません。むしろ下半身ががしっとした印象を与える。

アミンタを演じるマニュエル・リュグリも、男性ダンサーとしては背は低いし、首は太いし、モデルのような体型ではありません。

オリオンを演じるニコラ・ル・リシュは、体は大きいですが、同時にお尻も大きく、太ももも太い。

ディアナを演じるマリ・アニエス・ジロは、背がめちゃくちゃ高いのに、顔がめちゃくちゃ小さい。それがカッコイイといえばカッコイイのですが・・・

何を言いたいのかというと、やはりバレエも、プロポーション以上に、その人の持っている踊りの感性が、そのダンサーのダンスを表現するのだなぁということでした。

これは、現代風のダンスほど、そのことが言えるのかも知れない。

日本人にはクラシックよりもそっちの方が合っているとは言えないのかな。

このバレエを観て、ジョン・ノイマイヤーという人の振りつけたバレエをもっと観たいと思うようになりました。この人はハンブルグ州立バレエ団というモダン・バレエの最高峰に所属する人だということですが、そこには最近テレビに出ていた服部有吉という人が最近までソリストとして活躍していたそうです。


パリ・オペラ座バレエ「シルヴィア」(全2幕)

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『カナダ・ロイヤル・ウィニペグ・バレエ「魔笛」』

2007年06月07日 | バレエ



先日NHKで『カナダ・ロイヤル・ウィニペグ・バレエ「魔笛」』を見ました。モーツァルトのオペラ「魔笛」を、あらすじを拝借して衣装などは1960年代のアメリカ若者文化風にしたものです。

舞台ではなく、セットの中でダンサーは踊っています。当然、一発撮りではなく、テレビ放送用に何度も撮り直して後で編集されているのでしょう。

私はバレエ鑑賞自体がまだまだ素人ですが、やはりカナダのバレエ団ということからか、あるいは衣装がそうだからか、踊る人たちの醸し出す雰囲気がヨーロッパのバレエ団とは違いますね。顔つきもヨーロッパのダンサーとは違っているし、だからこそ現代風に衣装やセットをアレンジしたこのバレエも、踊り手たちととても合っている。ジーンズを履いているダンサーが踊る姿というのも、なかなかカッコイイ。

例えば日本人が古典的なバレエの衣装を着て踊っていると、見ている側はどこかで「やっぱり日本人にはバレエは似合わないかなぁ」という想いがよぎりそうです。しかし、もし衣装を現代風に変えると、それも無理にアメリカン風なものではなく、現代的な日本のファッションに身を包むと、その上で振り付けはクラシックバレエから借用しても、意外とフィットするのかもしれない。

このウィニペグバレエ団の振り付けも、それほどクラシックバレエとかけ離れているようには感じませんでした。それでも、衣装が現代的になるだけで、バレエ=ヨーロッパという図式とはまた異なるバレエを見せてもらった感じです。

なかなか面白かったです。

バレエ 『ラ・シルフィード』 パリ・オペラ座

2007年04月18日 | バレエ



先日NHKで放映されていた、パリ・オペラ座によるバレエ『ラ・シルフィード』を観ました。私は『ラ・シルフィード』を観るのがそもそも初めて。

『ラ・シルフィード』と言えば漫画家・山岸涼子さんの『アラベスク』で、主人公がコンクールで踊った題材です。ラストのこのシーンは、同じ作者の『日出処の天子』文庫版・第4巻の厩戸の王子のシーンに匹敵する、神がかり的な描写です。

その『ラ・シルフィード』ですが、たしか20世紀初めから主流となった「古典バレエ」「ロマンティック・バレエ」の源流と言われていたはず。『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』などですね。と言っても私はその特徴を言えるほどには詳しくないのですが。

おはなしは、村の若者ジェームスは同じ村の娘エフィーと結婚を控えています。しかしその彼のもとに妖精シルフィードが現れ、彼を誘惑します。ジェームスはシルフィードに惹かれ、エフィーを放って妖精のいる森の中へと入っていきます。・・・

この『ラ・シルフィード』を観ていると、踊りがとても繊細な振り付けだということ。『白鳥の湖』のように、これでもかというほど見せ場が連続するのではなく、むしろ踊り手の表情や手・身体の動きによる繊細な感情表現がキーとなっています。

群舞も、群舞独特のダイナミックな振り付けではなく、あくまでストーリーに沿った静かな踊りです。

この舞台では、主役の一人ジェームス役のマチュー・ガニオが輝いています。彼は当時19歳で、ちょうどこの頃にオペラ座の最高位エトワールに任命されたそうですが、立ち居振る舞いからしてサラブレッドのような気品が漂っているのです。一目彼の動きを見た途端に、この人は本物だ、そう呟いてしまいます。

私は他のバレエの種類も、またマチュー・ガニオという人の他の舞台も見たことないけど、それでもこの『ラ・シルフィード』はこのダンサーにとってはまり役なんだなと思わされます。

そのマチュー・ガニオを含め、もう一人の主役シルフィード役のオーレリ・デュポンと、準主役でエフィー役のメラニー・ユレルが三人で踊る踊りは圧巻!静かな踊りですが、息を呑んでしまいます。

オーレリ・デュポン演じる妖精シルフィードは妖精だけあって空を飛べるという設定なのですが、マチュー・ガニオが手で支えてジャンプするシーンなどは、本当に身体に重さがなく宙に浮いているよう。この軽さを演じることができるのが、主役である人の力量のすごさなのでしょう。

個人的には、とにかくマチュー・ガニオが光り輝いている舞台だと思えます。この人の踊りを観ていて、私は例えばロジャー・フェデラーのテニスを連想してしまいます。

私はテニスについては詳しく知りません。それでもフェデラーのプレーする姿を見ていると、フェデラーがテニスをしているのではなく、テニスがフェデラーの身体を借りてプレーをしているのではないかと思えてきます。玄人の人がどういう感想を持つのか知りませんが、フェデラーのプレーは、いい意味で個性がなく、まさにテニスそのものだ、と感じるのです。

マチュー・ガニオの踊りにも同じものを感じます。素人から観れば、マチュー・ガニオの踊りはいい意味で個性や癖がなく、その踊りがすべての人にとって理想のように思えるのです。

この若いダンサーの踊りを観ることができたのは、とても幸せなことだった、そう思ってしまいます。


「ラ・シルフィード」(全2幕)

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バレエ 『パリ・オペラ座 「カルメン」/「若者と死」』

2007年02月03日 | バレエ

             「電線と太陽」


先週NHKで放映されていた『パリ・オペラ座バレエ 「カルメン」/「若者と死」』を観ました。同じ内容のものがDVDでも発売されています。

2005年7月にパリで行われた公演ですね。主演は、ニコラ・ルリッシュとヒロイン・カルメン役にクレールマリ・オスタ。三人の密輸業者にドロテ・ジルベール、アレクシス・ルノー、マルタン・シエといった人たち。と言っても、私は初めてその踊りを観る人たちばかりだけど。

「カルメン」は、私は知らなかったけど、有名なお話なのでしょう。ある女と出会って恋に落ちた青年が、その女カルメンに唆されて強盗殺人を行い、挙句に女に捨てられるというお話。

この作品は面白かったです。まず目を見張るのが、主役のニコラ・ルリッシュという人の体型。超三角形の体型で、とても背が高く肩幅も広いのに(パットしているだろうけど)、足がむちゃくちゃ長くて細いのです。しかもその細さはヒョロヒョロではなく、がっしりしていながらふくらはぎから足首にかけて急激に鋭く細くなるという感じ。いくら向こうのダンサーのスタイルがイイと言っても、ここまで映える体型の人は少ないんじゃないだろうか。

ダンスもとてもいいです(なんか、他に書きようがない)。

ヒロイン・カルメン役のクレールマリ・オスタは、体型はダンサーという感じはしません。小柄で幼児体型です。ただそういうダンサーでも踊りはちゃんと踊るから(という言い方は失礼だけど)見ていて不思議です。

この人はバレエ団の最高位のエトワールなので、観る人が観れば、その偉大さがきっとわかるのでしょう。ただ素人の私は、踊りそのものでとくに気づくことはありませんでした。

でもこの人は、踊りよりも、顔から滲み出る気位の高さといったものが印象的です。もちろん役作りもあるでしょうけど、自分の存在に対する自信といったものが表情から感じ取れるのです。この人の人間性自体に何か無視できないものがあるという感じです。

こういう人には、カルメンという悪女役は確かに合っていたのかもしれない。

でも女性ダンサーなら、僕にはむしろ密輸業者役の一人ドロテ・ジルベールという人の方がより印象的でした。

最初主役たちが出てくる前に大勢のダンサーが踊るシーンがありますが、その中でこのドロテ・ジルベールが颯爽とステップを踏んで前に躍り出るシーンはとても強く心に残ります。

その後はほとんどが主役二人が出ずっぱりなのですが、その短いシーンだけでも、とても満足です。


「若者と死」は、「カルメン」と同じく主役のニコラ・ルリシュと、マリー=アニエス・ジロ。若い芸術家とある女性のお話です。出てくるのもダンサーは二人だけ。

このバレエでは、「カルメン」と同じかそれ以上に、ニコラ・ルリシュというダンサーの凄みを感じさせます。体と表情から滲み出る表現力が圧倒的で、苦悩する若者という役にぴったり。

二回印象的なジャンプのシーンがありますが、それはまさに「空を舞う」「宙に浮かぶ」という表現がぴったりのジャンプです。空中で止まるみたいだ。人間はここまで空高く飛べるのだ、と思えます。

でもそれは、単にこの人の運動能力が高いだけではなく、やはりこの人の苦悩と情熱を表現する力が強くて、それが観る者に空を飛んでいるように思わせるのでしょう。

ヒロインのマリー=アニエス・ジロとの息もぴったりです。


この二作品は合計で1時間20分ほどですが、とても満足度の高いバレエでした。


パリ・オペラ座バレエ 「カルメン」/「若者と死」

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バレエ 『白鳥の湖』 マリインスキー劇場バレエ団(2006年6月)

2007年01月02日 | バレエ

             “Sidewalk along the School”


先日、NHKでバレエ『白鳥の湖』が放映されていました。マリインスキー劇場バレー団が2006年6月にロシアで公演したもので、時間は2時間ほど。

バレエのDVDは定価では5千円前後しますし、レンタルにもほとんど置いてありません。私はたまに図書館の視聴覚ブースで視ることがあるのですが、それも最近は予約者が一杯で利用できないし、やはり図書館ではリラックスはできません。

なので、こうやって自宅のテレビでバレエを観ることができるのはとても貴重な機会です。ちゃんとビデオに録画もしました。

主役のオデット(オーディール)を演じたのは、ロバートキナというダンサー。とても有名な人だそうです。

見ていて感動したのが、群舞のきれいさ。最初のジークフリート王子の誕生会では、シンプルな舞台で飾りつけなどはほとんどなく、肌色の光が舞台を覆います。そこに、軽い感じの肌色の長く細いドレスを着たバレリーナたちが踊るのですが、そのドレスのシンプルできれいなシルエットが群舞で余計に映えてきれいに映ります。

湖で踊る白鳥役のダンサーたちも、本当にすべてのダンサーが主役の輝きで、見ているこちらも夜の湖にいるような気分にさせてくれるのです。

ロシアのバレリーナはみんな華奢なのかな。女性のダンサーたちはみな小柄で、腰が驚くほど細く、見ていて折れてしまいそうなのですが、そのダンサーたちがみな素晴らしいステップを踏みます。


以前ある振り付け監督が、周りと調和して踊る群舞にこそバレエの醍醐味があると言っていました。ダンサーたちにとってはそれでも主役をやりたいのでしょうが、見る者にとっては、いつも群舞は楽しみです

また宮廷の場面では、キャラクターの役割で道化師を演じる男性ダンサーがいるのですが、彼の踊りも見事でした。体型はずんぐりむっくりで、見た目にはバレエダンサーには見えないのですが、それだけに舞台では目立ち、キャラクターとして非常に目立ちます。

他に印象的だったのが、悪魔役のダンサー。とても力強くてダイナミックな踊りをします。彼と主役の王子との対決では、勝つのは王子なのですが、悪魔や役の人の一挙手一動がとても迫力があります。


私は『白鳥の湖』はヌレエフとマーゴ・フォンティンのものを見たことがあるのですが、おそらくテクニックの面ではやはり現代のものの方が上なのだと思います。

ただ、役へのなりきりという点では、ヌレエフのほうが情熱的・陶酔的に王子になりきっていたように思います。

これは、最後悪魔との対決に破れ姫と別れなければならない旧来のバージョンと、最後にハッピーエンドで結ばれる今回のバージョンの違いかもしれません。こちらの先入観として『白鳥の湖』は悲劇だという思い込みがあるのですが、今回のバージョンのように最後に王子が白鳥と結ばれるという設定では、悲劇性が薄れ、それだけドラマとしてこちらが感情移入できる側面が薄れているように思えます。

ただ、主役のロバートキナと王子役の男性は、どちらもスタイルが9頭身ぐらいありそうな完璧な体型で、詳しいことは私には分かりませんが技術的にも完璧なのだと思います。とても美しい踊りを披露してくれます。

とりわえロバートキナは、振り付けが他のダンサーと違うということもあるのでしょうが、一つ一つの手の動き・脚の動きが、人間とは違う本当の白鳥に見えてきます。

超一流のバレエ団ですから、どんなに端役の人でもすごい技術を持っている集団だと思うのですが、やはりロバートキナは立ち居振る舞いにしても、単にじっと立っている姿にしても、オーラが出まくりなのです。


涼風

バレエ 『「ジゼル」全2幕』

2006年10月27日 | バレエ

バレエの映像作品『バレエ「ジゼル」全2幕』ジャケット)を観ました。ボリショイ劇場での公演で、1990年に収録されたものです。ちょうどロシアが大変動を迎える直前の時期だと思うのですが、それでもこうやって優雅にバレエを鑑賞している人たちがいるというのも不思議です。


ジゼルを観るのは、僕は初めでだったけれど、舞台と衣装の色がとても見事です。前半のジゼルの住む森の中を現す舞台では、緑の中に淡い紅葉が混じり、村娘たちの衣装もそれに合わせたような柔らかくそして暖かい色です。

それに対して後半では一転して幻想的な夜の森を表し、暗いのに繊細な緑の森と、女性たちの白く透き通るようなドレスとが、静かで鮮やかな舞台を演出していました。

この劇は、話がとてもシンプルで、舞台もシンプルなのが、僕にはとてもよかったです。話自体を取り出すと、自分の好きな男が実は婚約していたと言う事実を知り、狂ってしまうという悲しい話なのですが、そのストーリもバレエという作品を見せるための道具立てに過ぎず、悲劇なのに美しいお話に見えてしまうのです。

とりわけ後半の女性ダンサーたちの群舞は、その幻想的な薄暗い舞台と、その中で映える白いドレスとのコントラストをより鮮やかに表現して、見ていてうっとりしてしまいます。

主役・準主役の人たちの踊りも見事でした。絶妙なコンビネーションでピタッと遭った踊りを見せ、当たり前のように高度な技(に見える)を繰り出していきます。

僕はまだまだバレエについては知らないことが多いのですが、ジゼルはとてもシンプルな構成であるだけに、とても親しみやすいバレエなんじゃないでしょうか。凝った演出もなく、鮮やかな色を見せる舞台とドレスのみで、ダンサーたちの華麗な踊りをそのままに見せてくれているように感じました。

とても楽しめた作品でした。


涼風

バレエ 『チャイコフスキー: 《白鳥の湖》』

2006年08月19日 | バレエ
DVDの『チャイコフスキー:バレエ《白鳥の湖》』を観ました。

映画『エトワール』を観て以来、バレエ関連の映像をちょこちょこ観てきたのですが、本格的な、つまり一幕から最後までの作品はやっと初めて観ました。

この『白鳥の湖』は主演がルドルフ・ヌレエフマーゴ・フォンテイン。ヌレエフは旧ソ連時代に1961年に西側に亡命した伝説的なダンサーということです。

白鳥オデット役のマーゴ・フォンテインという女性は、ヌレエフの亡命後に彼とコンビを組んで数々の名演を残したそうですが、びっくりなのがその年齢。ヌレエフ亡命時に彼が23歳だったのに対し、彼女はそのときすでに42歳。

バレエ団のパリ・オペラ座を取材した『エトワール』では、女性ダンサーは40歳で引退することになっていると団長が語っていましたが、このフォンテインと言う人は、普通なら引退を考える年齢でヌレエフとコンビを組み始めたそうです。

このDVDは1966年の舞台ですから、ヌレエフ28歳、フォンティンは47歳です。

この舞台でヌレエフは主演だけでなく振り付けも担当しているそうです。おそらく一流のダンサーが集う劇団で、主演を務めるだけでなく、振り付けも行うのですから、28歳の青年が何十人も参加するプロジェクトをコントロールしているんですね。

よほどずば抜けた才能を彼がもっていたということなのでしょう。

技術的に他のダンサーよりどれほど凄いかは僕には分かりません。ただ素人でも、あるいは素人だからこそ、ヌレエフとフォンティンには一種の“華”があり、オーラが漂っていることが分かります。

またヌレエフの鋼のような肉体が踊るとき、触れると切れそうなその動きは限りなくシャープで、空気を切り裂いていくようです。

『白鳥の湖』はダンサーの教科書のような作品なのでしょうが、観ていても、時々ドラマの展開とは関係なく、“バレエとはこういうもの”というような踊りを、とりわけ群舞で見せてくれているような気がします。

私はとくに第四幕での白鳥たちの群舞の動きと、そこに絡むオデット姫とジークフリート王子の踊りが好きになりました。

66年の映像ですが、DVDだからか、とてもクリアな映像で違和感は全然ありません。私は映像も音響も全然気にしない性質ですけど、チャイコフスキーの音楽も聴いていて弾む感じでとてもよかったです。


涼風


バレエ 『ピーターラビットと仲間たち ザ・バレエ』

2006年07月13日 | バレエ
映画『エトワール』を観て以来、少しずつバレエのビデオを借りたりして観ているのですが、先日は英国ロイヤルバレエ団の『ピーターラビットと仲間たち』のビデオを借りました。

DVDでも出ているんですね。『ピーターラビットと仲間たち ザ・バレエ』『ピーターラビットと仲間たち ザ・バレエ BOX』の二つ(内容は同じ)が出ているんですね。値段は少し高めです。私がよく行くレンタル店にはビデオが置いてありました。

内容は、ご存知ベアトリクス・ポターの『ピーターラビット』のいくつかのお話をバレエにしたもの。私が知っているお話もいくつかありました。

よかったですよ。最初観た時はごつい被り物を着たダンサーがたどたどしく踊っているように見えたのですが、二回、三回と見ているととても計算され洗練された踊りをダンサーがしているように見えました。

私はバレエに関しては素人なのですが、こういう被り物を着たダンサーの踊りを見ることは、逆にバレエのよさが素人の私にも伝わりやすいんじゃないかと思いました。

ほら、バレエって素人のイメージだと8頭身の美男美女が踊るというイメージがあって、踊りと同時のその容姿にも目が行くんですが、このビデオのようにネズミやら豚やら帰るやらリスやらの被り物を着たダンサーの踊りを見ていると、それらダンサーの細かなしぐさやダンスに注意が向いて、踊りそのものを楽しめたように思います。

細かい手足の動きがすごくユーモラスに計算された動きをして、ポターの絵とお話の世界観をすごく上手く伝えているように思います。30年前以上前に作られた映像ですが、当時大ヒットしたのも頷ける内容です。バレエをよく知らない人が見ても楽しめると思います。私も楽しんだんですから。

一週間のレンタル期間で三回観たけど、見るごとに細かな動きが理解できて楽しめました。もっと観ればもっと楽しめるかもしれません。バレエってそういうものなのかもしれません。音楽と同じように、観れば観るほど発見があって感動する。映画のDVDは買う気になったことはほとんどないけれど、バレエというのは音楽と同じで観れば観るほどどんどん楽しめるジャンルなんでしょうね。


涼風

『キーロフ・バレエの栄光 』

2006年05月20日 | バレエ


パリ・オペラ座のドキュメンタリー映画『エトワール』(とても哀しい映画)をみてバレエを観てみたいと思ったので、『キーロフ・バレエの栄光 』というビデオを観ました。

バレエのビデオを観ていて分かるのは、一本丸々通してみるのは忍耐が必要だということ。やはりバレエに慣れていないとずっと見るのは苦痛です。

ぼくは一度だけバレエを観に行ったことがあります。アムステルダムに旅行で行ったときに、たしか12月24日で『くるみ割り人形』をしていました。値段は2階席で結構舞台に近い場所で3千円ぐらいだっと思う。

そのバレエ団がどれほど権威があるか分からないけど、オランダの首都のシアターのバレエ団なのでオランダでは名門だとは思うのだけど。

主役は、べつに僕に合わせてくれたわけではないですが、日本の女性でした。

やはり日本の女性だからか、体型は8頭身には遠く、スタイルだけなら他の白人女性ダンサーの方がいい。しかしまわりがそんなダンサーばかりなので、逆に主役の彼女だけが小柄であることで目立っていました。

はじめて見るバレエの印象は、「バレエというのはとてもドタドタしたものだったんだ」というもの。テレビで観ていては分かりませんが、近くで見ているとやはりジャンプで着地するときに「ドタ!」という音が毎回しているもんなんですね。これは超一流でもそんなに変わらないんじゃないでしょうか。

それでも生で見るバレエは迫力があって面白かった。

しかしそのバレエもビデオでみると、結構苦痛で退屈してくることもあります。苦痛とは言い過ぎだけど。

ただ同時に、それだけバレエ鑑賞とは理解能力が要求されるので、何度も見ていくうちに楽しくなるという経験もあります。

このプロセスはサッカーに似ているかもしれない。サッカーだって初心者には退屈だろうけど、一試合丸々観る体験を重ねるうちに、90分の点が入らない中での攻防に複雑な心理戦があることが分かってきます。

そういうものを理解するプロセスは、観る側の内面の複雑化を伴っているのでしょう。

ある人が引きこもりの人たちへのアドバイスとして、ただ漫然とだらだらテレビを見るのはやめて、もし観るのならミュージカルを見るといいですよ、と言っていました。

その意味も、だらだら中毒のように見るのではなく、内容を主体的に理解するプロセスの中で内面の秩序化と複雑化が起きるので、だらだらした鑑賞とは違うことが観る者に起こるからだと思います。

『キーロフ・バレエの栄光 』は、過去の秘蔵フィルムを集めたオムニバス。私には誰が誰だか分からないですが、きっと有名な人たちばかりなのだと思います。

イリーナ・コルパコワという人は、同じ名前が山岸涼子の『アラベスク』にも出ていたけど、実在の人だったんですね。とってもきれい。

まだ3度ほどしか観ていないのですが、元々バレエに関しては素人の僕には、個々の技術の程度やダンスの性格・特徴はわかりません。

その中で思ったのは、有名なバリシニコフのダンスは他のダンサーと違うということ。技術的に上手いとか下手とかではなく、バリシニコフのダンスはとても人間くさいのです。

他のダンサー達がまるで精密機械のように超人間的な技を繰り出している印象があるのに対し、バリシニコフだけはとても人間くさく、大地の土を表現しているようです。まわりが貴族の中で彼だけは農場の青年みたい。

ぼくはバリシニコフという人のダンスをはじめて見たけどそれが彼の特徴なのかな。他の彼のダンスも見てみたい。

私の行きつけのレンタル店にも他の店にも、バレエのDVDというのは多くありません。先日三ノ宮のTSUTAYAであるバレエのDVDをリクエストしてみました。入荷してくれると有難いのだけど。他のTSUTAYAのお店から取寄せるみたい。


涼風

『エトワール』

2006年05月03日 | バレエ
2002年に日本で公開された『エトワール』という映画を観ました。パリのオペラ座という伝統あるバレエ団に3ヶ月間密着して、バレエ・ダンサーたちが普段想っていることをインタビュー形式で取材したもの。その合間に練習風景や公演中の舞台裏を撮った映像が流されます。

題名の「エトワール」とは、ダンサーの中で最高峰の階級を表わすもの。横綱みたいなものです。バレエ団のダンサーは、それぞれの能力別に下から「カドリーユ」「コリフェ」「スジェ」「プルミエ・ダンスール(女性はプルミエール・ダンスーズ)」と分けられます。これらの階級は定期的な昇級試験で振り分けられるのですが、「エトワール」だけはバレエ団総裁からの任命で選ばれます。このあたりも、相撲界の横綱に似ているのかもしれません。

階級の最高峰を表わす「エトワール」が題名に持ってきたのは、この映画が必ずしもバレエ団の主役であるエトワールの華麗な演技を見せるためではなく、むしろバレエダンサーを区分する階級システムと、その階層の中でつねに周りと競争しなければならないダンサーたちの孤独にこそこの映画の焦点があるからです。

エトワールやプルミエ・ダンスール(女性はプルミエール・ダンスーズ)たちの発言は、どちらかと言うと、自分にとってのバレエとは何か?どうすればレベルを維持できるのか?バレエ団を代表する地位にある自分達の責任というものへの考えを表現しています。とても高度な内容の悩みですね。自分の才能を輝かせ一定の地位をおさめた人たちが、それでも最高の芸術を追求するときに直面する悩みみたいなものです。

それに対して「カドリーユ」「コリフェ」といった“下層”のダンサーたちが吐露する内面や表情は、とても寂しいもの。バレエは好きだけれど、競争社会の中で勝ち抜いていない自分へのふがいなさとひがみ・諦めといったものが漂ってきます。

彼女(彼)たちは舞台に立てても群舞(コールド)止まりで、代役にも回されます。

舞台から外された女性ダンサーは「こんなの慣れてるわ」と寂しくつぶやきカメラから消えていきます。舞台に立てることになった男性ダンサーは「舞台に立てるんだ」と喜びます。代役のダンサーたちはいつでも舞台に立てるように練習をし、ノートの舞台の構成をメモします。

個人的には、この「カドリーユ」「コリフェ」たちをとらえた場面の方が興味深かったです。パリのオペラ座という世界一流のバレエ団にいるだけでも、おそらく彼らはプロのバレエダンサーの中でもトップ・レベルにあるのでしょう(映画では、正規の団員ではないダンサーが“契約”でバレエ団に所属していますが、それも契約が更新される保証はありません)。

にもかかわらず、階級システムのなかで下層に位置づけられている彼らが見せるひがみと寂しさが入り混じった表情は、私達一般人ととても似通っています。どれほど素晴らしい技能をもっていても、自分より上の者とつねに比較される環境の中にいることで、そのことが彼らの内面の陰をあぶり出し、弱い部分を白日の下に曝していきます。

バレエ団の総裁(元エトワール)は、「ここには弱者がいる場所がないの」と平然と(そう見える)つぶやきます。

パリのオペラ座は付属の学校を持ち、8学年(10学年だったかも)で150人の学生を抱えています。つまり1学年で平均15-20人程度。それも昇格試験で学校に残れるかどうか分からないみたい。少数精鋭の厳しい世界。26歳でエトワールになったダンサーが、「子供にはつらすぎる世界」「本当には他のダンサーと深く関わりあうことはない」と、バレエ団がいかに孤独な世界かを指摘します。

それだけ厳しい世界を勝ち抜いてオペラ座の団員になれても、「カドリーユ」「コリフェ」どまりになることもあるのでしょう。

エトワールでない女性ダンサーが妊娠したことを嬉しげに語り、「エトワールになるという夢は果たせなかったけど、母親になるという夢を実現した」と喜んで語るとき、どうしてもそこに一抹の寂しさも読み取ってしまいます。

エトワールですらバレエ団の生活を「練習・稽古・舞台の繰り返しで普通の世界じゃないわ。これで人生いいのかしら」とつぶやきます。

ましてや下層にいるダンサーたちは厳しい練習と節制を強いられ、にもかかわらずスポットライトの当らない場所に何十年もいなければなりません(女性は40歳、男性は45歳が定年。その後は年金が支給される)。

そうした場所で、どうやって自分の内面と向き合い続けなければならないのか、想像を絶する世界です。

興味深い世界を堪能できる映画ですが、ダンサーたちの華やかさではなく、孤独や寂しさが強調された映画です。


涼風