joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

甲子園

2006年05月30日 | 日記


子供の頃に何度か父に甲子園に連れて行ってもらったことがある。

一番最初は小学校低学年のときで、相手は中日だったと思う。

そのシーズンは田淵が驚異的なペースで本塁打を重ねていて(しかし結局は怪我で途中でリタイア)、僕も田淵のホームランを期待していた。

一塁側の内野席後方のシートで、試合は3-0の快勝。ピッチャーは古木という名前だったかもしれない。

なんだか当然のように田淵はホームランをその試合でも打っていた。

テレビで見るホームランはたいてい高く上がる放物線のようだったが、そのときに実際に見たホームランは、低いライナーであっという間のスピードでレフトスタンドに飛び込んでいった。

それは流れ星のようなものと思えばいい。

ドラマやアニメで見る流れ星は、その動きを多少観察できるかもしれない。

しかし実際に目撃する流れ星はあっけないほど一瞬に消え去ってく。

その後も何度か甲子園には父に連れて行ってもらった。

最後に行ったのは小学校六年のときだから、中学以降は父にどこかに連れて行ってもらった経験はない。

甲子園に行くときの父は、私の隣をずんずんと歩いていて、普段はそういうことはないので、わたしはワクワクしていた。

父は皮のバックをいつも肩にかけていたように思う。

わたしたちは球場で今の観客のように旗を振り回すこともなかったし、大声で声援を送るということもしなかった。席に座ってじっと見ていた。

最初に甲子園に行ったときに、私はテレビで聴いていた声援を自分でもしてみようと思ったが、気持ちがひるんでなにもできず、一言「打て」と中途半端に叫んだことが一回ある。

甲子園に行ったときは、父にジュースも食べ物もあまり買ってもらわなかった。父親は私が頼めば何か買うつもりだったと帰宅して母に言っていたが、わたしは何か買ってもらうようにせがむのはいい子ではないと思っていたと思う。


涼風

夜店の帰り道

2006年05月29日 | 日記

私が父との思い出で強く憶えていることの一つは、

夜店に家族で出かけた帰り道に、

もう時間が遅いので父が私を肩車して帰ったときのことだ。

私は親や大人に抱えてもらうときは背中に抱っこしてもらうほうが好きだった。

それだとからだを密着させ両腕で大人の肩をがっしりとつかめるので安心感があった。

しかしその夜店の帰り道では父親は私を肩に乗せ、しかも走り出した。

父にしてみれば(当時の)からだの小さなわたしを肩車するのは重荷でも何でもなかったろう。

また時間も遅かっただろうから、その方が走りやすく早く帰れてよかったのかもしれない。

しかしわたしは父の肩に乗っていても、走る父のからだが揺れ、また肩の上では腕でつかめるものは何もなく、かろうじて彼のあたまに手を添えることしかできなかった。

つかめるものはなにもなく、

自分のからだは地上から数メートル上で空中に浮いているようで、

さらに前へ前へとずんずん進んでいくので、

空を飛んでいるような恐怖を感じていた。


涼風

地デジはCATVで見る必要があるのか?ないんじゃないだろうか。

2006年05月28日 | 家電製品にかかわること

今日、大手ケーブルテレビの訪問販売員が我が家に来て、地上デジタルに合わせて契約してくださいとセールスに来ました。

対応したのは父親。ぼくは玄関近くの部屋で何となく断続的に話を聴いていました。

要するにその会社によれば、ケーブルテレビに加入してくれれば、地デジが安く見れますよという話。しかし横で聞いていてもなんだかおかしいと感じます。

今その会社は屋外のケーブルの工事をしていて、それに合わせて家庭内の配線工事もついでに我が社に任せてくださいと言っています。その工事が始まるのは6月からで、それに合わせて5月以内に加入すれば、地デジを見れる体制を整えるというものです。

しかも今日は28日で、明後日はすでに営業日ではないと言います。ということはこちらに考える猶予は30日までの2日だけ。しかも30日は予定があって来られないから、今すぐ契約して欲しいとのこと。

この時点でなんだかおかしいと感じます。5月以内に契約しなければ地上デジタルの家庭内工事ができず、しかもその工事がお得だというのなら、もっと早くから各家庭にセールスに来るはずです。それを一日しか考える猶予を与えず、しかも実際には対面セールスで即時契約してくださいと迫るのは、よく検討すれば不便なサービスを無理やりこちらに売ろうとしているように思えます。少なくとも僕はそう疑う。

しかし父親はあまり値段交渉にシビアな性格でもないし、そのセールスウーマンと話していてほとんど99%サインしかけました。そこで僕は強引に玄関に出てきて二人の間に割って入りサインを止めさせ、「明日もう一度来てください」と言って今日のところは帰ってもらいました。

地デジに関しては僕も無知に近いので、最初から訪問販売員を疑うのはよくないでしょう。しかしなんだか疑わしいので強引にセールスをやめさせたわけです。彼女にしてみればほとんど契約を取れたのに腹立たしかったことでしょう。

父親は怒りはしなかったけど、その訪問販売員が帰った後も、ケーブルテレビと契約すれば以下にお得かについて、彼女が父親に語ったとおりの説明を僕にしてきました。

我が家の生活は父親と母親のお金で成り立っているし、彼らのお金の使い道について僕にとやかく言う権利はないかもしれない。たとえ損をしても数万円単位のことだから、それで親が生活苦になるわけでもないだろうし、ほっといてもいいのかもしれない。親にしてみれば自分達のことは自分で考えると言われたら言い返す言葉もありません。

なのですが、とりあえず強引に父親にサインを止めさせ、ネットで地デジについて調べることにしました。

調べて分かったことは、

・地デジの送信方式としては 1.パススルー方式と2.トランスモジュレーション方式があるということ(例えば「普及の起爆剤となるか? ケーブルテレビの再送信」)。

・その某ケーブルテレビ会社は2.トランスモジュレーション方式を採用していること。

・トランスモジュレーション方式には「セットトップボックス(STB)」という装置が必要なこと。それはそのCATVからリース。

・STBのリース料を含め、月々の契約料は5000円。受信できるテレビを1台増やすごとにSTBのリース料2千円が加算されます(つまり受信テレビを増やすごとにSTBが必要)。しかし訪問販売員の彼女は「私からその2千円はとらないように言っておきます」と父親に口約束した。

といったことでした。

彼女によれば、半年の契約で計3万円を払ってもらえれば、地デジに必要な家庭内の工事(分配など)をするとのこと。半年後に契約解除してもらってかまわない。つまり「3万円で地デジがみれますよ」ということです。

ここで僕の気づいた素朴な疑問は

・半年後に契約解除すれば、STBも返さなくちゃならないんでしょ?だったら地デジはそれで見れなくなっちゃうじゃん。

本来、ケーブルテレビを通さずに地デジを見るには、* UHFアンテナ * 地上デジタル対応受信機(テレビ、チューナー)必要になります。また、これを家庭内に配線する際には工事費がかかります。アンテナやブースターの設置代などを合計すればたしかに3万円を超えてもおかしくないです(例えば「デジタル放送の受信」NHK)。

しかしケーブルテレビを解約すれば、いずれにしてもこれらの費用はかかるわけでしょう? 一体何を根拠に彼女は「半年で解約してもらっていいです」と言って、ケーブルテレビと契約したほうが自分でUHFアンテナを建てるよりラクだと言ったのだろうか?

などなどネットで調べてもどうも怪しいので、その後父親に止めておいたほうがいいのではないかとかなり強い調子で説得し、父親も「まだまだ先のことだからべつに契約せんでもいい」と言ってくれました。

なんとなく強引に父親を押し切って契約させなかった感じ。

そもそもセールスということ自体に僕が拒否感を感じて、最初からその訪問販売員のことを怪しいと思い、「この契約はあやしいのではないか」という前提でネットを調べたので、公平に分析したかどうかは分かりません。しかし考える猶予を一日しか与えないその会社もすごーくおかしいと思う。

人をコントロールした後ろめたさや他人に疑いを持つことの嫌な感じやなど、いろいろ感じさせられました。


涼風

参考:もう2年以上も前の記事だけど。「「地上デジタル トラモジか、パススルーか、それが問題だ」“ITmedia”

『スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐 』

2006年05月27日 | 映画・ドラマ
今頃というか、公開から一年経って『スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐 』を観ました。公開から一年経って商業的には成功した作品を僕が心配する必要はないのだけどそれでも心配してしまうような印象です。

これはエピソード1・2・3に共通することだけど、まずこれでもかと出てくるCGが白々しくてそれだけで興醒めしてきます。これではほとんどアニメと実写の合成という感じで、SF映画の有り難味というものが全然ない。最初の戦闘場面でもヘンに小技にこだわって、せっかくジェダイが戦闘機に乗っているのにスリルも何もありません。

こうした画面の薄っぺらさと新3部作の物語としてのつまらなさはきっと結びついているのでしょう。

言うまでもなく『スター・ウォーズ』の中心的テーマは“フォース”という概念にあります。それは人間がもつ負のエネルギーである「怒り」「憎しみ」「嫉妬」といったものを手放したときにその人に備わる力です。単なるオカルト的な超能力ではなく、個人のエゴを越えたところに、外面的な物体の動きにとらわれない力を手に入れるというエピソードは、私達にとって、信じられる事柄と信じられない事柄の境界に触れるようで、とても興味をそそられるのです。

超能力というもの自体は単なる胡散臭い話です。しかし、個人の人間的成長(エゴの超越)によって感覚が研ぎ澄まされるということ自体は、多かれ少なかれ多くの人が経験しているし、だからこそ私は“フォース”という概念に真実味もいくらか感じます。

またこうした考えは、昨今のヒーリング、心理学、右脳開発などの普及ともつながっているでしょう。私達の時代の雰囲気と『スター・ウォーズ』の世界観には通底するものがあります。

1977年の『スター・ウォーズ』第一作と79年の第二作は、そうしたテーマをじつにうまくSF物語と結び付けていました。個人の人間的成長と超感覚的能力の発達という人間的・超人間的テーマが、うまく劇として成立していました。超感覚的世界をテーマにしながら、それを生身の人間の世界のお話として通用させていたからこそ、荒唐無稽であるにもかかわらずそこにはリアルさがありました。だからこそ最初の二作は傑作になりえたのです。

そう、最初の二作の『スター・ウォーズ』は人間的生々しさがあり、その生なましさをもつ人間が成長することで超人間的な能力をもつようになる過程がリアルに描かれていたのです。

それに対し三作目の『ジェダイの帰還』(1983年)が駄作だったのは、“フォース”という概念を深く掘り下げることもなく、また戦闘もののお話としてもメリハリの内容になっていたからです。

それから20年近くたってエピソード1・2・3がこうやって完結したわけですが、この新3部作は次の点で面白くならなかったのだと思います。

それは、あまりにも表面的にしか“フォース”について語ろうとしなかったこと。

たしかに“フォース”は個人的な怒りや憎しみを克服することで得られる力です。そうしたレッスンは、私達一人一人にとって日々の生活で求められていることでもあります。

しかし、いくらそれが普遍的なテーマであっても、それをそのまま役者のセリフを使って直截に語っても新味はありません。

怒りを手放すこと、それは大事なことですが、今さらそれを言葉や分かりやすい映像にされても、分かりきったことを言われているだけで退屈になるだけです。

重要なのは、そうした怒りや憎しみといった人間の負のエネルギーを、これまでにはなかったような形で私達に気づかせてくれることです。いかに私達が「正義」という美名の下に攻撃・怒りを発散させようとしているか、自分達でも気づかないうちにエゴを爆発させ、それに気づいていないのか、新しい角度でアプローチすることで、あらためて私たちは人間の感情の負のエネルギーを手放すことの大切さを知ります。

しかし新3部作はそうした語る努力をせずに、たんに「怒り・憎しみはよくない」と分かりやすく言っているだけです。そんなことは小学校の道徳の授業でも言われています。

その小学校の道徳の授業でも言われている退屈な言葉を、退屈ではなくあらためて「やはり怒りを手放すことは大事なのだ」と思わせる形で言って欲しかったのですが、そうした努力の形跡が新3部作には見られないのです。

最初の二作が素晴らしかっただけに、残りの四作品の出来が余計に物足りなく感じられる、そんなシリーズになってしまった印象です。


Takeshi NAKANISHI

『パリ・オペラ座 バレエ「ラ・シルフィード」』を見逃す

2006年05月27日 | 日記
昨日の夜2時ごろにnhkで『パリ・オペラ座 バレエ「ラ・シルフィード」』が放映されていました。睡魔に負けてすぐに寝てしまったけれど、朝起きるとものすごくおしいことをした感じでとても残念です。

こういうときはHDDレコーダーを持っている人がとても羨ましいです。

主演の女性は映画『エトワール』の中でインタビューに応えていたバレエ団の中心的存在のダンサー。背が高く8頭身か9頭身のモデルのような美人ですが、そういう人が「ラ・シルフィード」の妖精役に相応しいのかどうか私には分かりません。この妖精は正統派美人よりは女の子っぽい女性の方が合うのかなぁという印象があったので。といっても僕は「ラ・シルフィード」について全然詳しくなく、山岸涼子の『アラベスク』のお話ぐらいしか知らないのだけど。

再放送してくれないかな。


涼風

“Good To Great” by Jim Collins

2006年05月26日 | Audiobook


“Good To Great: Why Some Companies Make The Leap...and Other's Don't”というオーディオブックをこの2月ぐらいからずっと聴いていました(毎日というわけじゃないけど)。ビジネス書ですが、とてもとても面白い内容です。

これは知っている人はご存知のように、日本でもベストセラーになった『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』の原書です。アマゾンのレビューを見るとビジネスマンの間では知らない人はいない本だったんですね。私は全然この本のことを知りませんでした。しかし聴いてみるとたしかにベストセラーになるのも頷ける充実の内容です。

オーディオCD版はCD8枚で約10時間。つまり原書が全文朗読されています。それもナレーターは著者のジム・コリンズ本人なので、彼が何を強調したいのかがよく分かります。英語がとてもゆっくりと話されているので、英語に自信のない方でもとっつきやすいんじゃないでしょうか。プロのナレーターとは違って彼の声は少し濁声(だみごえ)ですが、何度も聴いているとそのクセも気にならなくなりました。


メモを取りながら聴いたわけではないのですが、印象的だった内容について。

この本は、数ある企業の中から、70年代から90年代にかけて(目安は15年)、「そこそこ」の業績だった企業(“Good Company”)から驚異的なパフォーマンス(約3倍の業績)を示す企業(“Great Company”)へと変貌を遂げた企業11社(だったと思う)を選び、それら“Good To Great Company”を、「そこそこ」の業績しかずっと上げることのできなかった企業(“Good Company”“Comparison Company”)と比較することで、“Good To Great Company”の特徴(原因とはちがう)というもの。

“Good To Great Company”の例としては、HP、Phillip Morris、Walt Disny、Johnson & Johnson、Kimberly-Clark などが挙げられています。

・15年間で当初より3倍以上の利益を上げた企業

15年という単位を筆者が重視したのは、数年で急成長した企業でもその後急落するという例がよくあるから、それなりの期間成長し続けている企業の方がバブルであっという間に巨大になった企業よりも、筆者にとっては企業の理想型として分析に値するということです。

そう考えると日本で言えば楽天だってまだ10年経っていないし、グーグルなんて5・6年の企業なので、持続的に発展し続けるかどうか分からないんですね。アマゾンにしても赤字を脱したのはこの1・2年です。ソフトバンクは今でも赤字を続け、さらに2兆円という巨大な借り入れを行いました。これらの今をときめく企業は“Good To Great Company”には含まれないんですね。


・Not charismatic leader

著者が反面教師として何度も挙げるのはクライスラーの経営者だったアイアコッカ。そのカリスマチックな魅力でクライスラーの業績を回復したアイアコッカは、破格のボーナスや退職金をもらい、本を出すなど“スター”になりました。しかしクライスラーはアイアコッカが退職すると同時に彼がクライスラーに来るよりももっと業績が落ち込んだそうです。

要するにカリスマ的なリーダーシップで一時的に組織を立て直したよう見えても、それはその場限りの利益獲得にはつながっても、組織運営の継続的な改善にはつながってなかったということですね。リーダーが去ればまた組織が崩れるというのは、それだけその元リーダーが組織の組み立てを行わずに短視眼的にしか経営を行っていなかったことを意味します。

経営者が恰もスターのようにメディアに登場する傾向は、日本では堀江さんで頂点に達したし、私達国民は彼によって会社経営・株式市場というものへの関心を呼び起こされました。その点では堀江さんがもたらした影響には教育的なものもあったと思います。彼のおかげで、誰もが“ビジネス”というものに興味を持ち、それに対して自分はどういう思い込みで生きてきたのか反省させられました。あまりよく考えずに大学に入り組織に入る人生が当たり前と私たちは思っていましたが、そうではない人生があることを彼は教えてくれました。

キヨサキさんや本田健さんがソフトに広めた社会構造のお話(「従業員」「自営業」「ビジネスオーナー」「投資家」という社会の分類)を、もっと派手な形で堀江さんは教えてくれたわけです。

しかしかれの逮捕によって、その負の面も知るようになりました。ライブドアの企業パフォーマンスは株式の時価評価に依存し、ビジネスの実体は貧弱だったこと。ポータルサイトのショッピング・ビジネスや広告ビジネスもヤフーや楽天のニ番煎じで大きな業績を上げていたわけではないことに私たちは気づきます。

また頼みの時価評価額も、会社の実体を伴わずに、株式分割で不当に吊り上げられ続られていたに過ぎないこと。

まぁこれらのネガティブな情報もあくまで二次的情報として伝わってきているので、これ自体も信憑性が確かかどうかは検討の余地があるのですが。

いずれにしても、ライブドアが、そして他のネット企業が強烈な一人のパーソナリティに引っぱられて急成長したのは事実ですが、それは“Good To Great”の重要な条件ではないということです。

一人のカリスマがいなくなると同時にその企業の業績が下がれば、そのカリスマは企業と株主にとって本当には貢献をしていなかったことになります。その点では、カルロス・ゴーンが本当に偉大な経営者だったかどうかは、これから明らかになるということですね。

それは現在の自民党にも言えることでしょう。旧来の自民党の支持基盤を破壊して一時的に驚異的な議席を獲得しましたが、それは自民党が浮動票頼みの組織に変わったことを意味します。

元々政策の一貫性ではなく時流におもねることで躍進したのですが、昨年の選挙で完全に組織としてはあやふやな考えの議員で固められるようになったのではないかと思います。

実体のない話(「郵政民営化が構造改革である」)を争点にしたからこそ、よけいに幻想が膨らんだわけで、しぼむときはあっという間にしぼむでしょう。

いくら小泉さんでも同じ手を何度も使えないし(実際、小泉さんが選挙で勝利を収めたのは昨年の選挙だけだった)、彼ほどの天才的な劇場演出力がなければ、次の首相はかなり苦労する気がします。

もし次の首相が政策運営・国会運営・選挙で苦戦するようなことがあれば、それは現在の首相が組織を根本的に改善せず、場当たり的に“利益”を求めていたにすぎないからだという議論もできます。


著者のジム・コリンズは“Good To Great Company”の経営者は決してアイアコッカやジャック・ウェルチのようにメディアの表に出ることもないし、カリスマ的な魅力をもっていたわけでもないと言います。

むしろそれら“Good To Great Company”の経営者に共通するのは謙虚humbleなことでした。

彼らは自分の力で成し遂げたことを語るのではなく、いかに自分が恵まれていたか(“Good Luck”)を語る。なんだかみも蓋もない人生訓のようですが、そうした傾向が“Good To Great Company”のCEOには共通しているみたいです。

また必ずしもハードワークで一日3時間しか寝ないような生活をするのではなく、つねに家族との生活を大事にするなど。こうして、通常わたしたちが思い描くアングロサクソン的なエリート・ビジネスマンとは対照的な、むしろ控えめで私生活を大事にし、周りの社員と協調し、といった特性が著者によってクローズ・アップされます。

こういう箇所を聴いていると、アメリカ人自身もどこかでアメリカのビジネス競争社会が狂っていること、外部から来たCEOが何万人というレイオフを行い、同時に何億という退職金を手にして、決して下からは入れない上流社会を形作っていることの異常さを感じているのではないかと思わされます。

むしろ著者は、“Good To Great Company”の経営者は従業員との一体感があること、またその会社のよき文化が守られること、そのためにも優れたCEOはその企業内部からしか生まれないことを説きます。


・最初に重要なのはバスをどこに走らせるかではなく、誰をバスに乗せるか

上記のような経営者像を語られると、反アングロサクソン的なキレイ系のビジネス書のようにも見えるかもしれません。しかし同時に著者は人の採用・解雇についてシビアなことも指摘します。

それは、「最初に重要なのはバスをどこに走らせるかではなく、誰をバスに乗せるか」という原則。これは要するに、どういう経営戦略を採るかよりも、どういう人を会社のメンバーにするかが大切だということ。

この「誰をバスに乗せるか」に関して大切なポイントは、決してその人をモチベイトする必要がないこと。ビジネス書のコーナーに行けば最近ではコーチングの本が溢れかえり、またそれ以前にも部下のヤル気を引き出すためのマニュアル本はたくさんあったのでしょう。

しかしジム・コリンズは、大切なのは社員のヤル気を引き出すことではなく、ヤル気を引き出すような必要のない人を会社に入れることだと言います。つまり最初からその職務に適した人をそのポジションにつけることが大切なのであって、採ってから教育することは無駄であるということ。

この内容について著者は詳しく語っているわけではありませんが、こちらからモチヴェイトしなければ動かないような人は最初からそのポジションにつけてはいけないということでしょう。

むしろ著者は、モチヴェイトしなければいけないような人はそのポジションの適性がないのだから、その人のために「バスから降ろす」(降格?解雇?)べきだと言います。なぜなら自分の適性にあっていない仕事をやらされることは、その人の人生にとってもマイナスだからだと言います。

この点を著者はさらっと言います。そんなこと言われても実際に降格や左遷されたら当人はとても打ちのめされると思いますが、むしろ著者は楽天的に誰にでもある種の適性があり、それにあった仕事に就くべきだと思っているのでしょう。

ともかく会社運営で必要なことは「正しい人」を会社に引き入れ、彼らが熱くなり過ぎることのないよう気をつけることであって、彼らを熱くすることではありません。そんな無理なモチヴェイトをする必要が生じている時点で運営の失敗の目が出ているということです。

・得意なことを磨く(“Hedgehog Concept”)

必要なのは適性のある社員を入れることという考えとつながっているかもしれませんが、会社にとって大切なのは、「その会社が世界で一位になれるのは何か」を見出すことだとも著者は言います。

このように「世界で一位」になれる得意なことを磨くことを著者は“Hedgehog”(ハリネズミ)と喩え、それを“Sly Fox”と対比させます。“Sly Fox”とはたしかに優秀なのですが、やることに焦点がなく、いろいろ優れた戦略をもっていますが、その会社独自の強みがなく、そのため飛躍的に成長できない企業のことです。

著者は“Hedgehog Concept”とは“Sly Fox”とは違いもっと単純なコンセプトにのっとって行動することだと言います。強みを磨くことは、シンプルな得意技をかいはつすることなのでしょう。

“Hedgehog Concept”の説明で著者は、偉大な思想家は皆そうした単純なコンセプトをもっていると言います。アダム・スミスの「分業」、マルクスの「階級闘争」、フロイトの「無意識」etc…。どの偉大な思想家も単純な原理で社会を説明し、それゆえ後世の平凡な小秀才達からは批判されます。しかし彼ら偉大な思想家が偉大であるのは、単純でありながらたしかに社会や人間の説明として通用する原理を発見し、その原理をバージョンアップさせ続けたからです。20世紀アカデミズムの社会科学の細分化は、そうした“Hedgehog Concept”をもつ思想家を生む土壌を傷つけてきたのではないかと思います。

・文化をもつこと

またこの本では会社がどういう文化・理念をもつのかは重要ではなく、文化・理念・価値観を持つこと自体が重要であると述べ、フィリップ・モリスという企業を擁護します。こうした明らかに有害な薬物を販売する企業の存在が本当に望ましいのかは議論が分かれるところですが、著者は明確にフィリップ・モリスを支持します。

薬物がもたらす中毒症状ということを考えれば、インターネットやゲーム、映画、音楽などの産業だって中毒をもたらします。ポイントは対象の使い方にあるのであって、対象それ自体(タバコなど)ではないのかもしれません。神田昌典さんは、どんなビジネスをしたってすべての人を満足させることはできないし、絶対に批判は出てくると言いますが、それは実際にビジネスをしているから言えることなのでしょう。私には理解するのが難しい点です。



この本が出版されたのが2001年。その後の変化にこの本で取り上げられている企業がどれだけ耐えているのかは私はよく調べていません。この本ではその会社独自の文化を大切にするためにも、経営者は内部から生まれることが望ましいとされていますが、HPは外部からやり手経営者を迎え入れたことで話題になりました。

ただ、この本が指摘した“Good To Great”な会社に流れている原則は、単純に成果主義で競争を志向することでもないし、また単純に従業員主義の完全雇用・年功序列を目指しているのでももちろんありません。

聴いていて感じるのは、会社が伸びる原則として挙げられている点は、そのまま個人にも当て嵌まるように思えること。得意なことを磨くこと、無理にヤル気を出さなくてもできることをすること、幸運に感謝すること、周りの人や家族との時間を大切にすること、規律の意識をもつことetc…。これらはそのまま人生論として通用します。それだけ著者は企業というものを“生き物”として分析する視点を明確に持っていることなのでしょう。

その点では社会科学的な分析を期待する人には物足りないかもしれませんが、会社が伸びる原理の説明として、読む者(聴く者)の感覚にとても訴えてきて、いくつかの事例が挙げられただけで「そうそうそうだよなぁ」と頷いてしまう説得力があります。本能的にこの著者の言っていることは正しいのではないか、いや正しくあって欲しい、そう思ってしまいます(それはこの本の議論が必要な点でもあるかも)。

いずれにしても、時代が変化して一部の経営者が脚光を浴びる中で、より冷静に会社を見る視点を与えてくれる本であることは間違いありません。


参考:「Good to Great (邦訳ビジョナリーカンパニー2)~人生に生かしたい「Hedgehog(ハリネズミ)」の概念」『CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ』

イヤフォンあれこれ

2006年05月26日 | 家電製品にかかわること
またまたイヤフォン・ヘッドフォンのお話。

前にも書いたかもしれませんが、ポータブルMDを聴きながらウォーキングするのが日課になっていたら、聴き過ぎからか耳の中が痛くなりました。音がチクチク突き刺してくる感じです。

今ipodのブームでイヤフォン難聴が若い人たちのあいだに広がることがお医者さんにも懸念されているみたいです。

それで性能のいいイヤフォン・ヘッドフォンだとチクチクがないのかなと思って量販店でいくつか試してみました。

よくここでも取り上げていますが、BOSE製の「Triport」「QuietComfort2」はやはりいいですね。前者が2万円、後者が4万円とお高いですが、それに見合う性能なのでしょう。

今回店頭で試してみたのは今流行っているらしいカナル型イヤフォン。私がつけてみたのは「Etymotic Research ER-6I」。

カナル型という技術の原理はわかりませんが、普通のイヤフォンと違って耳栓のように耳の奥まで差し込んで音が出るのが、騒音の遮音性が高く、音も小さいボリューム数値でわりときれいな音が出ていました。たしかに普通のイヤフォンとはモノが違います。

これをつけたあとにもう一度BOSEのTrioportをつけてみると、Triportの方が音がこもって、かつヘッドフォンの側圧が感じられる分重い感じがするほど(Triportはヘッドフォンの中では破格の軽さなのですが)。

たしかに耳栓を入れているときの違和感はありますが、それを補う音のクリアさが「Etymotic Research ER-6I 」にはあります。

試しに隣にあった3万円台の「Etymotic Research ER-4P」もつけてみたら、これがさらに音をクリアに耳に伝えていました。これも値段相応の品質なのでしょう。

お金のある人or音にこだわりのある人なら、たしかに欲しくなる品です。

今回もう一つ試してみたのが、今年から店頭に並び始めたらしい骨伝導ヘッドフォン。これも原理は良く分からないのですが、通常のヘッドフォンは空気を伝わって音が届くのに対し、骨を音が伝わる仕組みらしいです。

直接耳に付けるのではなく、こめかみ寄りにつけるみたい。この付け方も素人が一人でやっていてはよくわからない。私は店員さんに教えてもらっていましたが、それでも上手くつけていたのかよくわかりませんでした。

また、つけてみてもこれが全然聴こえない。店員さんも、じつはこれは非常に個人差があり、上手く聴こえる人もいれば聴こえない人もいるとのこと。聴こえないときにボリュームを上げれば少しは聴こえますが、それはもう骨ではなく普通のヘッドフォンと同じで空気を伝って耳に届いているだけになるそうです。

私に対応してくれた店員さんはとても正直な人で、ニュアンス的には、実際のところは骨伝導で音を聴き取るのは難しいし、周りに雑音が多ければなおさら聴きにくいとのこと。

宣伝では骨伝導は難聴防止によいことを謳っているので、私は今回一番期待していたのですが、ちょっとこれは、という感じでした。まだ店頭に出始めたばかりなので、これからの技術なんでしょう。

どれもお値段が結構するのでポンと購入することもできませんでしたが、色々な新技術がでているんですね。

問題は、店頭でつけて心地よくても、本当に長時間つけていても耳の中が痛くならないのかということ。私の推測では、どうも僕の耳は音に強いわけではなさそうだし。

とりあえずは、今は私は耳を休めたいと思います。


涼風

バレエ

2006年05月24日 | 日記
先日紹介した『キーロフ・バレエの栄光』は昨日レンタル店に返したんですが、結局通して四回見ました。

そのなかで、一回目よりも二回目のほうが面白く、二回目よりも三回目のほうが面白く、三回目よりも四回目のほうが面白いことを発見しました。それは僕がバレエに慣れていないこともあるだろうけど、映画とかと違って、見れば見るほどバレエというのは味わいが分かるものかもしれない。

映画のように内容を直接的に伝えるものではないので、それだけ何度も見ることでこちらの理解も深まるんでしょうね。音楽も、見るほどに理解していきます。

バレエを理解するのは音楽を理解するのにも似ているかもしれない。要するに、最初はちょっとわからなくても、何度も見ることで理解できていくものなのかな。


涼風

ロシツキー、アーセナルへ

2006年05月24日 | スポーツ
ドイツのサッカークラブチーム・ドルトムントのMFロシツキーがベンゲルのアーセナルに行くことになりました。

「ロシツキー、小さなサッカー大国から世界へ」

なあんて書くとまるで僕が海外サッカー通みたいですがもちろんそんなことはありません。

ただロシツキーのことはちょうど僕がドイツに滞在していた時期にテレビで何度か観る機会があって印象に残っています。

何が印象に残っているかというとよくボールに絡むこと。相手ボールに暗いつくし、自分でドリブル突破をするし、パスをするし、もちろんシュートもするしと、画面に良く顔を出すプレーをしていました。

テクニックが十分一流なのに、かつ泥臭いプレーをしてよく走ってボールに絡む、そんな感じです。

彼の年齢はおそらく小野や中村と同じかそれより若いはず。にもかかわらず、(当時の)小野や中村のようにきれいなプレーだけをするのではなく、ピッチ全体を走り回る姿が印象的だったのです。「本場の一流プレーヤーというのはこういうものか」と思わされました。たとえ天才的な司令塔でも、中盤で「でーん」と座っているということはないんだな、と思いました。

そのロシツキーがアーセナルに行くということで、今のアーセナルの状況はよく分からないのですが(以前はダイジェストでよく見ていて、それはまぁ華麗なサッカーをしていたけど)、ベンゲルの下で効果的なプレーを連発するんじゃないでしょうか。ベンゲルにすれば、小野や中村(や中田?)よりもロシツキーの方が眼中にやっぱりあったのかなぁ・・・


涼風

午後の雨

2006年05月23日 | 日記

夕方の今はもう雨がやんだみたいだけど、今日は雨がずっと降っていました。

ときおりは外から雨音が聞こえるぐらい激しく降っていた。

それでも今日の午後は、そして今も、とても静かな時間だったと思う。

中途半端に曇り空でいるより、雨が降ってくれたほうが同じ曇り空でもひんやりと心地いい空気が漂っている。外から見ても、学校への通学路に植えてある木々が生きているような感じが伝わってくる。

とても静かなときというのは、緑の息が聴こえて来るように感じます。雀の声もとても涼しく感じる。

陽射しがきれいに差しているときは、それら緑から命が出てくるようになっている。

単なる曇りで空気が濁っているときは、こちらの感覚がイライラしている。

外に出ようかなと思ったけれど、聴きかけのMDを聴くことにしたので、結局出ませんでした。

近くに学校があるので、長い間いた“学校”(小学校から大学院まで)という場の雰囲気を思い出しました。平日の静かな夕方というのは、学校にいる者にとって、特権的な贅沢なのかもしれない。会社で働いている人たちは、そういうものを感じることがあるのかな。あるいは、彼らには彼らの、また別の楽しみを知っているのかな。


涼風

『人生は廻る輪のように』 E. キューブラー・ロス(著)

2006年05月22日 | Book


著名な精神科医の E. キューブラー・ロスが1997年に発表した『人生は廻る輪のように』を読みました。ひさしぶりに一気に全部読んでしまった本でした。

これは著者初の自伝。2004年に彼女は亡くなったそうですが、この本の出版当時には病で床に伏す状態だったらしく、彼女の精力的な活動の大まかな経過はこの本で知ることができるのだと思います。

彼女の名前は有名すぎるくらい有名ですが、私が彼女の本を読んだのは始めて。ただ、言い方がどうかと思うけど、類似の本はかつて熱心に読んだことがあったので、なんとなく懐かしい気がしました。

19・20世紀的な“科学”的な見方が支配的だった西欧医学において、彼女は外科・内科などあらゆる病気においてこころの問題が患者にとって中心的であることを説いた一人でした。とりわけそれは、“死”という考えを前にして日常の人々(医師も含めて)が目を背ける中で、思い病に罹った患者達は“死”と直面せざるをえないこと。それゆえ医療者・看護者に最も求められるのは、身体の科学的な分析以上に、“死”を目前にした患者に共感し、私たちは“死”をどう迎えるべきか、“死”をよく迎えるためには“生”をどう生きるべきか、一体“死”とは何なのか、ということを考え抜くことだと著者は語ります。

実際に“死”を目前にした患者を看護してきた著者は、これらの患者は“死”が迫っているがゆえに、自分は自分の人生において何をすべきかを鋭く意識していること、そしてほとんどの患者は“死”を迎える前にその“人生のレッスン”を明確に意識し、すべきことを終えてあちらの世界に行くこと、などを患者から学びます。

これらの認識は、医療とは病の身体を“治し(直し)”、“死”を遠ざけるものと考える近代医療の根本的前提を覆すものであり、それゆえ多くの医者が考えないようにしてきた問題でした。それまでの医療者にとっての任務は身体の“おかしい”部分を“治し(直し)”、身体を“正常”に戻し、“死”を遠ざけるものとすることだったからです。

それに対し著者は、“死”を人生の一部として考え、よりよく“死ぬ”ための過程の一部として“生きる”ことを考えます。死を目前にした人たちは、より一層自分の“死”との関連で自分の“人生”をどうすべきか・どうとらえるべきかを考えます。これらの人々から著者は、“死”と“生”とのあいだに境目はなく、それは同じ一つのことのプロセスにすぎないことを学びます。

こうした経験をしている患者たちにとって必要なのは、科学的治療(だけ)ではなく、“死”をむかえて、よりよく生きるためにともに考え・ともに感じることになります。それは安易にマニュアル化できることではないのでしょう。

キューブラー・ロスの記述の中で最も議論が分かれるのが、おそらく“臨死体験”に関する記述だと思います。

彼女は仕事のパートナーと一緒に、死を前にした多くの患者の中で一部の少なくない人たちが共通の経験をした事実に着目します。それは一種の幽体離脱であり、“あちら側”のそばまで行くこと、光に包まれた経験、すでに他界した親しみのある人たちとの接触、あちらの世界はとても心地いいこと、しかしもう一度この世にもどるよう促されて生き返ること、などです。

同じような記述をした本は多いでしょう。著者は「私はカリフォルニア生まれでもないし、グルもババもいない。だけどこのような体験をした」と言いますが、たしかに類似の記述はいわゆる“ニュー・エイジ”の本を紐解けば難しくないでしょう。

死を目前にすると人は「なぜ自分はこの世界に生まれたのかに気づく」ということ、自分が学ぶべきレッスンが明確になること、そのレッスンをちゃんと学ばなければもう一度この世界に戻ってくることになること。こうした“ストーリー”は、私も一時熱心に読んだことがあります。

今の私は、こうした話がホントか嘘かにはあまり興味がありません。死後の世界があるのか、レッスンを学ばなければもう一度生きることになるのか、という問いを真剣に考える気にはならないのです。

こうした思想を熱心に説く人がいれば、そしてその人の目が少しおかしいと感じれば、「あぁ、ニュー・エイジにかぶれているんだな」と思うかもしれません。

しかし同時に、目に見えないものの存在をまったく信じず、宗教性の世界をまったく信じない人を前にすれば、「あぁ、このひとは単に視野が狭い人なんだな」とも思う気がします。

ようするに、どっちつかずであり、どちらの世界にも距離を取ってしまいます。

見えない世界が存在するのかしないのか。これらの問いには答えることができません。死後があるのかないのかも同じです。この世界に死後の世界を見てきたことを証明できる人はいません。それは死ななければ死後の世界があるかどうかわからないからです。

しかし同時に、仕事の世界がないと決めつけることも間違いです。私たちは死んだことがないのだから、死後の世界がないことや生まれ変わりがないことを断言することはできないのです。

死後の世界があるという人もない人も、それらの人を信頼できるかどうかは、その人が自分を疑う用意があるかどうかということ。また自分の考えを疑っていなくても、自分とは違う考えの持ち主を偏見と批判・嘲笑の眼差しで見ないことにかかります。

これは死後の世界のことだけではなく、あらゆる問題に当てはまります。

その点では、キューブラー=ロスは、彼女は自らの体験を疑っていないでしょうが、死後の世界にまつわる議論に関して、狂信的な態度ももたず、自分と違う考えの人々を断罪もしません。ただ自分の信じていることにのっとって淡々と自分のすべきことを行っているだけです。

死後の世界が存在するのかどうか私には分かりません。しかしそんな人でも、病を持つ人が本当は死について語りたがっていること、そのことを発見し彼らに考えを述べる機会を与え、“死”という人生最大の問題に直面した人がショックから自分の人生を受容するプロセスを見つめ、人々を癒す作業をしてきた彼女の人生には感動を覚えます。



「啓蒙主義の宗教的起源」 H.R.トレーヴァー=ローパー(著)

2006年05月21日 | Book


以前、イギリスの歴史学者H.R.トレーヴァー=ローパーの「宗教・宗教改革・社会変動」という論文を紹介しましたが、この論文と並んで『宗教改革と社会変動』に収められている「啓蒙主義の宗教的起源」という論文を読みました。単行本で60頁弱ほどの論文。

私がこの本を読んでいるのは、中井久夫さんの『分裂病と人類』という著書で、ピューリタニズムと精神医学の脱呪術化との関連を論じるさいにこの本を参考文献に挙げているからです。

読んでみると、中井さんが(ヴェーバーと同様に)ピューリタニズムと思考・方法の世俗化・技術化・合理化をわりと素朴に結び付けていたのに対し、トレーヴァー=ローパーはこの本で、「ピューリタニズム」という概念で近代化をすべて語り尽くそうとする当時(1970年ごろ)の知識人の傾向を戒めていることが分かります。

「宗教・宗教改革・社会変動」では、経済的発展とピューリタニズムとの関連はそれほど一義的ではなく、むしろ一つの社会運動になる以前のローマ教会への反抗の精神が企業家の間に広がっていたことに注目し、それは必ずしもピューリタニズムに限定されるものではないと指摘します。

この論文「啓蒙主義の宗教的起源」でも同じく著者は、近代啓蒙主義がピューリタニズムによって生まれたと考える通説を批判し、むしろピューリタニズムは反宗教改革と同じく強烈な権威主義により人民の自由を抑圧したのであり、啓蒙主義はローマ教会と主流派ピューリタニズム・カルヴィニズムへの抵抗によって生まれたことを指摘しています。

僕がこうした議論に注目するのは、やはりヴェーバーが切り開いた経済的エートスという問題を考えたいんでしょうね。ヴェーバーの議論が歴史的検証に耐えられないとしても、彼の問題設定はいまだに多くの人が共有しています。

現在の社会も経済的領域が社会全体に与えるインパクトに振り回され続けていることは事実です。ドラッカーの言うように「自由は社会の中心的領域確保されてこそ初めて意味をなしうる」のだとしたら、重要なのは投票の自由(だけ)ではなく、労働世界における「自由」です。その「自由」の意味をどうとらえるかというのは議論が必要だとしても。

この論文は啓蒙主義の宗教的起源を扱っていますが、トレーヴァー=ローパーは彼の分析するその起源と企業家のエートスとの関連を想定しているのだと思います。

端的に言えば上でも言ったようにトレーヴァー=ローパーは啓蒙主義の起源をピューリタニズムに求めることに疑問を呈しています。彼はピューリタンの代表者の文献を見ることではなく、むしろ社会勢力としてのピューリタンを見て、その権威主義と非寛容を指摘します。

まず著者によれば、16・17世紀の宗教改革に伴ったヨーロッパの内戦状態(「へルール族やヴァンダル族やフン族さえ一度も知らなかった野蛮」)が啓蒙思想を生んだわけではないこと。むしろ「ヨーロッパの旧い正統思想を打ち倒した新しい思想」は、「平和の温かさ、自由で思いやりのある国際的討論の物静かなやりとりのなか」で生まれたこと。それに対し、戦争の熱狂や革命の緊張のような状況下では、「人々は因習的防衛的姿勢をとり古くさいスローガンを繰り返すだけ」だったこと(83頁)。

では、その「戦争の熱狂や革命の緊張」を生み出したピューリタニズム・カルヴィニズムは啓蒙思想とどう関係するのかorしないのか。

著者は、「カルヴィニズム」という言葉で同一普遍の実体を指すことはできず、それは発生から一定の勢力を得るまでに性格の変化を被っており、また欧州各地に伝播する過程でも土地々々で異なる役割を担っていたという、当たり前の事実に目を向けます。

それによれば、カルヴァン派の創始者たち(カルヴァン、ベーズ、ブキャナン、ノックスなど)の著作には冷酷さとともに、「英雄性」「文学的迫力」「力強い知性」が認められました。

それに対し彼らの弟子達である17世紀カルヴァン派の「大学者」たちに見出せる性格とは、冷酷とともに「貧弱」「不寛容で偏狭な信仰者」「小心な喧し屋」「臆病で保守的で空疎な教義の防衛者」「新しい思想とかリベラルな思想とかの一切に対する抑圧者」「査問官」「魔女処刑執行人」などでした。

このカルヴァン派の小心な権威主義者達の生息した場所としてはオランダ(リヴェートゥス、フート)スコットランド(ベイリー、ラザフォード)フランス(デマレ、ジュリュー) スイス(フランソワ・トゥレッティニ) アメリカ(コットン・メザー)などがあり(カッコ内は代表的なカルヴァン主義者)、そのどれもが初期啓蒙思想の中心地として言及されてきた場所です。ここからトレヴァー=ローパーは、啓蒙思想とは、カルヴァン派が生み出したのではなく、むしろ「カルヴァン派教会の支配を打ち破ろうとしたり、そこから逃れようとした異端―真正カルヴァン派ならできれば焚刑にしたかった異端から生まれた」(86頁)と推測します。

例えばオランダでは、リベラルな思想は真正カルヴァン派ではなく、カルヴァン派への対抗の中でアルミニウス派ソッツィーニ派から生まれたとされます。

またイングランドでも同様の真正カルヴァン派とアルミニウス派との闘争が、長老派と独立派との戦いという形で起きました。独立派としてのアルミニウス派は「自由意志、宗教的寛容、教会に対する俗人の統制」を信じており、彼らの長老派に対する勝利は「聖職者に対する俗人の勝利」を意味しました。

同じ時代にスコットランドでも同様の闘争が起きるが、ここではカルヴァン派は一時全面的に勝利し、アルミニウス派を駆逐する。イングランドでの王政復古・国教のスコットランドへの普及に対する防衛のためにカルヴァン派は一枚岩となり固まる。しかしイングランドとの統一によりスコットランドには平和が訪れ、カルヴァン派の団結は弛緩する。そして「1712年英国のトーリーのつくったパトロニジ法によりスコットランド教会の聖職者指名権は教養ある俗人のパトロニジに委ねられ、教会はついに17世紀にみられた偏狭な信者から解放される保証をうる」(97頁)。スコットランド啓蒙はここから生まれました。

フランスではユグノーがその自律性を失うとともにプロテスタンティズムの聖職者は「偏狭で頑迷」「文芸を憎悪する者」となります。ここでは俗人は聖職者への服従を余儀なくされ、一部のアルミニウス派が残るにすぎませんでした。しかしこの異端としてのアルミニウス派は、ナントの勅令の廃止をきっかけに国外に移住せざるをえなくなることで、オランダのアルミニウス派・ソッツィーニ派やイギリスの広教派latitudinarianと交わるようになり、かえって真正カルヴァン派が失った独立の精神を再発見することになります(92頁)。

スイスではジュネーヴとローザンヌにおいて真正カルヴァン主義とアルミニウス派との闘いが行われ、異なる過程を辿りながら「知的には」アルミニウス派・ソッツィーニ派の思想が浸透します。

このように真正カルヴァン主義とアルミニウス派という対立軸でみるとき、例えばイギリスの清教徒革命も通説とは違った形で見えてきます。

長老派と独立派という比較では、わたしたちはイングランド国王を処刑した独立派を急進的・狂信的革命派と見なしてしまいます。

しかし実際には独立派はアルミニウス派の勢力であり、より穏健な形で教会を国に定着させ、俗人のコントロール下に置こうとする運動でした。その姿勢は長老派よりも英国国教会派の王党派と近いものだったといいます。独立教会主義とは「以前英国国教会派に実現されていたリベラルな伝統を新しい政治的基礎の上に継承するもの」であり、そのためには狂信的・非寛容なカルヴァン主義を代表する長老派に対抗しなければなりませんでした(103頁)。

トレバー=ローパーは、このアルミニウス派が見せた寛容・俗人による教会のコントロール・自由といった思想の特徴は決してカルヴァンから導かれたものではなく、それ独自の源流を持つものであり、したがって啓蒙主義がピューリタニズム・宗教改革によって生まれたとする説を斥けようとします。彼によれば「カルヴィニズムは寛容ではなく、根本主義的スコラ主義的であり決定論をとるのに対し、エラスムス主義は寛容であり、懐疑的神秘主義的であり、リベラル」でした(107頁)。

では外部にはなぜこの二つの派が同じカルヴィニズムとみられ、アルミニウス派はその中での異端とみなされたのかという問いが出てきます。それに対して著者は、二つはカトリック教会というより動かしがたい権威の前では同じ抵抗派であり、エラスムスの流れを汲むアルミニウス派は、自己の保存のために一時的にカルヴァン主義の下に逃げ込んだと指摘します。

他者への非寛容という性格を持ちながらも、「聖書に還れ」という看板を掲げる以上は、アルミニウス派の思想はカルヴァン主義に同化しやすかったというわけです。カトリックの弾圧から逃れるには、より大きな抵抗勢力の下に同化することが得策でした。著者は、ここで二つの異なった思想が同じ傘の下に緊張関係を保ちながら同居していたと言います。

「カルヴィニズムそのものはエラスムス的な根をもっていたのである。ルター主義とは違ってカルヴィニズムは改革された可視的原始的教会を前提していたし、また厳密で学者的学問的でもあった。最初それはエラスムス主義と同じ地域の同じ階級の人々―ラテン・ヨーロッパの教養ある官吏と商人階級に訴えていた。カルヴィニズムに服したときでもエラスムス主義者たちは、カルヴィニズムを自分達の運動から別個に発展したものというよりむしろ共通の起源をもつものとみていた」(107頁)。

このようなエラスムス派の思惑から彼らのカルヴァン派への同化がおこります。「1550年代ローマ法王庁が盲目的反動の立場をとったように思われ、エラスムスの全著作が禁書目録に載せられたとき、ヨーロッパのヒューマニストたちは左翼に移行せざるをえなかった。いかに代償が高かろうが、自分達の哲学がいくらかでも保持できるように庇護してくれそうな唯一の組織に身を委ねざるをえなかった」(108頁)。

しかし著者によれば、この同化は結局外面的なものにとどまり、真の同化・融合が起こったわけではないと言います。「教義に鼓舞された都市職人層にその現実的社会的力をおいていた」カルヴィニズムの中の「二つの知的要素」―武力を統制する牧師(カルヴァン派)と単に引きつけられたにすぎないヒューマニスト(エラスムス派)―の間にはつねに緊張状態があったといいます。

この緊張状態が、欧州諸国における教会と国王との争いを説明します。エリザベス女王(イギリス)、オラニエ公ウィレム1世(オランダ)、カトリーヌ・ド・メディシス(フランス)などの「啓発された独立の俗人」がいる君主制の国ではカルヴァン派教会は大きな力を持ちえませんでした。

それに対し教会に対抗できる力をもつ俗人がいない小国(スイス・スコットランドなど)では、教会が権力を握ります。

また「貴族の無政府的自由が支配的な東ヨーロッパ」では、エラスムス主義はカルヴィニズムから自由を保ち、それゆえポーランドやトランシルヴァニアからエラスムス思想を継承したソッツィーニ主義が生まれることになりました。

このように二つの思想が溶け合わないのは、エラスムスの思想があくまで権威に頼らずに聖書の現実への適用を自らの良心という基準にのみしたがって行ったからでした。そのような考えはつねに一つの権威・流派からの異端としてのみ存在します。トレヴァー=ローパーはこのエラスムスの思想はプロテスタントのみではなく、カトリックの中にも存在したこと、しかし異端への弾圧がカトリックではより強かったことを指摘します。

そのようなカトリックの中のアルミニウス的思想家として、パオロ・サルピジャック=オーギュスト・ド・トゥ、リシャール・シモン、モンテーニュといった名前が挙げられています。また著者は、これら思想家達が折に触れ、そのヒューマニズムの思想をカトリック教会の圧制の中で保持するために、カルヴィニズムとの知的協力を試みた事実を指摘します。

このようなエラスムス派・アルミニウス派の思想にとってカルヴィニズムは、ローマ・カトリック教会の反宗教改革の動きに対する防波堤という役割以上のものではなく、カルヴィニズムの思想自体には後の啓蒙思想につながる要素は見当たらないと断言されます。ただ、それでもカルヴィニズムが啓蒙思想に寄与したその防波堤の働き自体は啓蒙思想の発展に不可欠であり、その点ではたしかにカルヴィニズムには歴史的役割がありました。しかしそこにそれ以上のものはなく、カルヴィニズム自体は著者によれば「抑圧的・対抗的・中世スコラ主義の復活・予定説の狂信者」でしかありませんでした。権威に抵抗する者自体の中には強力な権威主義の要素があるという事実を例証したのがカルヴィニズムの実態でした。

読んでいて思うのは、では著者が再三再四啓蒙主義の起源として認めるエラスムス派・アルミニウス派・ソッツィーニ派の思想とはどういうものなのだろうかという疑問。これは著者が説明不足なのではなく、ただたんに僕がキリスト教思想に不勉強だからです。

著者によればこれらの思想はカルヴィニズム・カトリックの両権威の中に隠れな紆余曲折を経ながらも生き続けます。

「イデオロギー的平和(宗教戦争によるイデオロギー闘争が中断・終焉した時期 引用者)の時代には、グロチウス、ド・トゥ、ベーコンのような錚々たる人物がこれらの思想を再統合し、それらが元々有していた尊厳を回復し、それらを一層発展させようとした。君侯や高僧は再びこれらの思想に耳を傾ける。しかし、宗教戦争の再発は正統派のうちの急進派、オランダではグロチウスを断罪したカルヴァン派、イタリアではガリレオを断罪した修道士に権力を与えることになる。再統合されたかもしれない運動はまたしても分裂する。統一的な社会では正統派となりえたものも、分裂した教会では異端となった。18世紀啓蒙主義がやってきたとき、それはすべての異端の統一、宗教革命により妨害され変容させられたが破壊されなかった運動の再統合となるであろう」(123頁)。


著者が言うように、ピューリタニズム自体は単なる権威にすぎなかったと考えるとき、「革命」「改革」というものを訴える運動は、知的に見れば非寛容・抑圧・権威主義・怠惰でしかないという事実をあらためて私達に確認させます。それは宗教改革にせよ、学生運動にせよ、グローバリズムにせよ、現在の日本の改革にせよ、です。

しかし同時に、これらの知的怠惰と傲慢という態度を示す運動の中にはつねに、前の時代にあるものを内面の良心に照らして改善していこうという良質な保守主義の思想が含まれているものなのかもしれません。問題は、こうした良質な思想は政治的には無力であり、現実の行動においてはやはり狂信的な改革思想が前面に出てくることです。

ピューリタニズムには近代官僚制と自由企業家の両方のエートスがあったという矛盾したことを社会学者言うとき、この二つには正当カルヴァン主義とエラスムス派の二つの違いが実際は存在していたのかもしれない、そう思わされました。このエラスムス派の思想と企業家のエートスとの深い結びつきを示そうとしたのが、同じ著者の「宗教・宗教改革・社会変動」という論文でした。

トレヴァー=ローパーのこの議論は現代の最前線の学者達にはどうとらえられているのか、それも知りたくなります。


『キーロフ・バレエの栄光 』

2006年05月20日 | バレエ


パリ・オペラ座のドキュメンタリー映画『エトワール』(とても哀しい映画)をみてバレエを観てみたいと思ったので、『キーロフ・バレエの栄光 』というビデオを観ました。

バレエのビデオを観ていて分かるのは、一本丸々通してみるのは忍耐が必要だということ。やはりバレエに慣れていないとずっと見るのは苦痛です。

ぼくは一度だけバレエを観に行ったことがあります。アムステルダムに旅行で行ったときに、たしか12月24日で『くるみ割り人形』をしていました。値段は2階席で結構舞台に近い場所で3千円ぐらいだっと思う。

そのバレエ団がどれほど権威があるか分からないけど、オランダの首都のシアターのバレエ団なのでオランダでは名門だとは思うのだけど。

主役は、べつに僕に合わせてくれたわけではないですが、日本の女性でした。

やはり日本の女性だからか、体型は8頭身には遠く、スタイルだけなら他の白人女性ダンサーの方がいい。しかしまわりがそんなダンサーばかりなので、逆に主役の彼女だけが小柄であることで目立っていました。

はじめて見るバレエの印象は、「バレエというのはとてもドタドタしたものだったんだ」というもの。テレビで観ていては分かりませんが、近くで見ているとやはりジャンプで着地するときに「ドタ!」という音が毎回しているもんなんですね。これは超一流でもそんなに変わらないんじゃないでしょうか。

それでも生で見るバレエは迫力があって面白かった。

しかしそのバレエもビデオでみると、結構苦痛で退屈してくることもあります。苦痛とは言い過ぎだけど。

ただ同時に、それだけバレエ鑑賞とは理解能力が要求されるので、何度も見ていくうちに楽しくなるという経験もあります。

このプロセスはサッカーに似ているかもしれない。サッカーだって初心者には退屈だろうけど、一試合丸々観る体験を重ねるうちに、90分の点が入らない中での攻防に複雑な心理戦があることが分かってきます。

そういうものを理解するプロセスは、観る側の内面の複雑化を伴っているのでしょう。

ある人が引きこもりの人たちへのアドバイスとして、ただ漫然とだらだらテレビを見るのはやめて、もし観るのならミュージカルを見るといいですよ、と言っていました。

その意味も、だらだら中毒のように見るのではなく、内容を主体的に理解するプロセスの中で内面の秩序化と複雑化が起きるので、だらだらした鑑賞とは違うことが観る者に起こるからだと思います。

『キーロフ・バレエの栄光 』は、過去の秘蔵フィルムを集めたオムニバス。私には誰が誰だか分からないですが、きっと有名な人たちばかりなのだと思います。

イリーナ・コルパコワという人は、同じ名前が山岸涼子の『アラベスク』にも出ていたけど、実在の人だったんですね。とってもきれい。

まだ3度ほどしか観ていないのですが、元々バレエに関しては素人の僕には、個々の技術の程度やダンスの性格・特徴はわかりません。

その中で思ったのは、有名なバリシニコフのダンスは他のダンサーと違うということ。技術的に上手いとか下手とかではなく、バリシニコフのダンスはとても人間くさいのです。

他のダンサー達がまるで精密機械のように超人間的な技を繰り出している印象があるのに対し、バリシニコフだけはとても人間くさく、大地の土を表現しているようです。まわりが貴族の中で彼だけは農場の青年みたい。

ぼくはバリシニコフという人のダンスをはじめて見たけどそれが彼の特徴なのかな。他の彼のダンスも見てみたい。

私の行きつけのレンタル店にも他の店にも、バレエのDVDというのは多くありません。先日三ノ宮のTSUTAYAであるバレエのDVDをリクエストしてみました。入荷してくれると有難いのだけど。他のTSUTAYAのお店から取寄せるみたい。


涼風

退屈

2006年05月19日 | 日記
季節外れの雨空。もう梅雨に突入した感じ。

最近はお腹が空きやすく昼間にパン類をばかばか食べている感じ。

なんだか何をしても楽しくない。何もする気が起きない。

今一番したいことって何だろう?ドトールのミルフィーユが食べたいな。

あと『間宮兄弟』が明日から始まる。佐々木蔵之助と監督の森田芳光がシネ・リーブル神戸に来ます。この映画館は三ノ宮にある、ミニ・シアター系の趣味のいい映画ばかりを上映する映画館です。観客席もとても少ない。

外は雨と風。ちょっと耳が痛くてイヤフォン・ヘッドフォンでオーディオブックを聴くのも気が引ける感じ。

テレビで面白い番組もない。もう10時なので今からレンタル・ビデオに行く気にもならない。本でも読むしかないかな。

甘いお菓子を食べたい。たらふく。ケーキとか。少しは気が紛れるかも。


涼風

“3121” Prince

2006年05月18日 | Music
プリンス『3121』を遅ればせながら5月の初めに聴きました。なんとアメリカのチャートでは初登場1位だったみたい。前作あたりから再評価の気運で世界的に盛り上がっているみたい。“Lovesexy”の派手派手ライブツアーで破産の危機に陥ったことを知っているファンとしては隔世の感です。

アルバムの内容としては、まぁ、80年代から彼を知っている者としてはあいかわらず複雑な気分にさせてくれるものです。この複雑な気分は90年代からずっと新譜が出るたびに味わっているんですけど。

要するにプリンスという人は80年代の傑作3部作(“Around the world in a day”“Parade”“Sign of the times”)で生きる伝説になってしまったので、その後にどれだけいいものを作っても、絶頂期との比較で聴いてしまうのです。

いくらプリンスという人が天才だろうと、あの3部作を作っていた時期というのは本人が作っていたというより音楽の神様が彼の身体を通して流れ出たものだったのでしょう。

なぜそんなことを言うかというと、傑作3部作以降の彼の作品はどれもテクニックの面では1流の音楽だと思うのですが、どこかプリンス自身の気負いが感じられるものだからです。

「プリンス」という個人・エゴ・パーソナリティを超越して才能の流れに身を任せることが出来たからこそ、上記の歴史的傑作ができたと思うのですが、それ以降の彼の作品には「俺はまだまだこんなすごい音楽が作れるんだ」という気負いが感じられて、クオリティ自体は高いのに、何かプリンス自身が純粋に音楽を楽しんでいない雰囲気がありました。

その落差を目の当たりにして、ファンとしては、その姿が痛々しいものに映っていました。

中には“Emancipation”“Rainbowchildren”のように、自分のテクニックを誇示するような気負いから解き放たれて純粋に音楽を楽しもうとするアルバムもありました。それ自体はファンとしてはとても楽しめる音楽だったのですが、そのように純粋に音楽を楽しもうとするとなぜかプリンスは天上人のようになってしまって、なにか悟りを開いてしまったような、チャートとも音楽シーンとも無縁の仙人のような雰囲気をその音で醸し出していて、それはそれで寂しくもなっていました。

90年代のプリンスの音楽は概ね80年代の傑作との比較で低評価されたのだと思いますが(少なくとも僕は)、しかしライブの評価はいつも高評価でした。

アルバムが不満を抱かせるものなのにライブが素晴らしくなるのは、スタジオと違いライブでは観客に直接向き合うので、プリンスはへんな気負いや諦念から解放されたんじゃないかと思うのですが。

逆に言えば、彼は90年代は、彼自身の中でもつねに「‘Housequake’のような曲を自分は作れるだろうか」という疑いとどこかで多々感じていたんじゃないでしょうか。

そうした80年代の傑作の呪縛から解き放たれ始めたのが21世紀以降のプリンスの傾向のように思います。純粋に音楽を楽しむ姿勢とそれをファンと共有しようとする開放的な感覚が上手く溶け合うというか。

技術的な部分では90年代の作品だって十分に高水準だったし、この“3121”と同レベルだったのだと思う。しかし“3121”がなぜ大衆に受け入れられているのかといえば、時の巡り合わせという部分もあるだろうし、同時にプリンス自身が自然に「今自分がやれること」に満足していることが大きいのだと思う。

彼の絶頂期を知っている者としては、その彼がかつての生き生きとした感覚を取り戻していることは嬉しい。しかし同時に、なにかそれは、「リハビリの回復が順調」とでも言うような(辛辣だろうか)、やはりかつての音楽との比較で彼を見てしまうのです。

“3121”はこれまでの彼の90年代以降のどのアルバムよりも、彼の絶頂期の雰囲気を取り戻している。まるで、彼のかつてのシングルに収められた傑作のB面や、ペイズリーパーク・レーベルで彼がプロデュースしていた女性ヴォーカリストの曲のような。

自分以外の何か大きなものの力によって20代で伝説的な音楽を作り出したものがそれでも後の人生を生きることを強いられるという例はプリンス以外にも多くあったでしょう。中には自分が成し遂げたことの重みに耐え切れなくてリタイアしてしまった人も多いし、かつての栄光と比べればファンを落胆させる音楽を作ってしまう人も多い。

プリンスはそのプレッシャー(を本人がどこまで感じていたかは分からないけど)に潰されずに、なんとかトンネルを抜けた。そこが、何か「リハビリで上手く切り抜けた」という印象をもってしまう。これは昔からファンゆえの評価だろうか。