joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『宗教とビジネスの・・・目からウロコの関係!』 日下公人(話し手)

2007年01月08日 | Audiobook

             “Stone Pavement”             


オーディオブック『宗教とビジネスの・・・目からウロコの関係!』を聴きました。お馴染み神田昌典さんによるインタビューCDで、話し手は大学講師で東京財団会長の日下公人さん。なかなか興味深いCDです。

内容は、西洋と日本のビジネス風土の違いは、背景となる宗教の違いに由来するというもの。端的に言えば、西洋のビジネス風土は宗教改革を起こしたカルヴァン派に源流を辿ることができ、神と自分との関係を重視し、人間間の関係を軽視するプロテスタンティズムの思想が、現在の弱肉強食・契約文書重視の西欧のビジネス風土を作っているということを、丁寧に説明されています。

西洋人の行動様式、とりわけビジネスでの行動パターンがプロテスタンティズムに由来するという議論は、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーが広めた議論で、社会学者の間では新しいものではありません。だから、上記のことをアカデミズムの人が言っていたら、僕は「あぁ、またか」と思っただけかもしれません。

しかし同じ内容でも、おそらくビジネスの現場に立会い国際的に活動してきた日下さんの、物事を一つ一つ噛みしめるように説明する日下さんの語り口を聞いていると、それが本当に今の西欧の社会の特徴を現しているように聞こえてくるから不思議です。こういうところが、肉声によって情報を仕入れることができるオーディオブックの良さでしょうか。

日下さんが語っていることは、

 ・西欧で資本主義を発達させたのはプロテスタントであり、またユダヤ人たちであること。

 ・彼らの多くは、ヨーロッパ中の土地で排斥されたため、オランダに流れ着いた集団であること。その彼らが中心となってビジネスを行い、オランダが商業的に栄えたこと。

 ・彼ら、とりわけユダヤ人は、常に周りの人々から排斥されていたため、自分たちを守るためにも、“契約”という社会習慣を重視したこと。契約を取り決めることで、その後いかなる状況変化が起きようと、その契約を盾に取り自分たちを守ろうとする習慣がついたこと。

 ・一神教であるユダヤの人や、教会ではなく神との関係を重視するプロテスタントの人たちは、自分たちが神によって天国に入ることができることを予定されていると信じ(予定説)、その信仰を確証するために日々の行い、とりわけビジネスに精を出し、それが資本主義の発展につながったこと。

 ・このように神との関係を重視するメンタリティにより、紙に選ばれていることを重視するため、ビジネス上の成果のみを重視する現在の西欧のエリートビジネスマンたちのメンタリティが作り出されたこと。そこでは他人との関係や、他人の感情などは重視されない。

といったことなどです。

このような西欧のビジネス(この言葉も、“商業”とは違うのだろうか?)が“成果”を重視するのですが、おそらくその成果は数字によってのみ示されるのだと思います。数字という明確な形を取ることによって、自分が神に選ばれていることを確証できるからです。

それに対し日下さんは、日本のビジネスの特徴は、“質”を大事にすることにあると言います。それはよく言われる“ものづくり”の良さであり、とにかく質の高いものを作ります。日下さんによれば、音の出ないクルマ、スポーツ選手の汗を鮮明に写す液晶テレビなどを作ろうという発想は、絶対西欧の人からは出てこないと言います。

それは金銭の数字のみを重視する“ユダヤ的”(実際のユダヤの人がそうであるかどうかはともかく)な発想と、同じ共同体内の顧客へのサービスを重視する日本人との違いとも言えます。

一人ひとりがバラバラな存在で、ただ神とのみつながっていると信じている西欧社会の人々では、ビジネスとは他者との闘争の中で自分が生き残るための手段にしかすぎません。またそうしなければ、いつ自分が迫害されるか分からないという恐怖があります。そのような状態では、ビジネスにおいて重要なのは自分を守るための地位・収入を確保する手段となります。

それに対し、共同体の内部にいさえすれば生きていける日本では、そこにいる安心と引き換えに、共同体のメンバーへの奉仕を重視します。そこから、顧客に徹底して尽くす態度が生れ、ビジネス上の合理性だけでは生れない発想をもち、精巧な質を持つモノ・サーヴィスを作り出します。それは例えば上記のクルマやテレビであり、高級旅館であり、料亭などのサーヴィスに現れていると日下さんは言います。彼によれば、欧米で一流といわれているレストランやホテルは、みな日本風だと言います。

もっともそこには影の側面もあり、共同体からいったん排除されると、もはや生きていくことはできないという日本社会の現実があります。そう考えると、現在の派遣・パート・アルバイトに追いやられている人たちの深刻な経済不安という現実は、決してアメリカ流のビジネスが入り込んできたからではなく、元々共同体内部の者(ex.正社員)以外を排除しようとする日本人の心性の典型的な表れかもしれません。

そう見ると、欧米にも日本にも同様に他者を排除する習慣があることが分かります。ただ、欧米では、排除されたユダヤの人たちが資本主義を発達させる原動力となったため、彼らユダヤ流の業績主義・契約主義の行動様式がエリート層の行動様式となりました。

欧米のドラマなどをみていると、必ずしも向こうの人たちが、成果主義や容易な解雇という慣行に順応しているわけではなく、彼らにとっても終身雇用権は喉から手が出るほど欲しいものであり、他人との関係・感情ではなく業績のみを追い求めるビジネス人には違和感をもっていることが分かります。私たちが“アングロ・サクソン系”ビジネス行動様式と考えるものは、必ずしも欧米の人全体に受け入れられているわけではなく、むしろ大衆の大部分はそれに対して反感をもっています。

ただ日本との違いは、優勝劣敗・弱肉強食・契約絶対主義を当然とするメンタリティをもつ層が、最初に資本主義勃興の立役者となり、そのままエリート層となったため、欧米で成功するにはそのような“ユダヤ流”(という言い方は民族差別につながりそうで危険だけれど)、プロテスタント流のメンタリティを身につける必要が生じたのでしょう。

それに対し資本主義後発国の日本は、日本的な共同体主義のメンタリティを残したまま、資本主義的生産様式と技術革新をそのまま欧米から移植してくることが可能でした。組織形態や技術だけは欧米流なのですが、人と人との付き合い方は、それまでの日本的な共同体主義が存続したのです。それゆえ、組織の内部にいる者には、平等に手厚い保護を与えてきましたが、組織外にいる者には差別的な眼差しを向けてきました。

高度成長期の戦後においても、名前の通った大企業とそうでない中小企業にいる人の間の心理的な溝、大企業と社員と系列企業社員との間の心理的な溝、企業社会に入ることができた者と落ちこぼれたものとの間の溝。またそれら溝を境にして、上にいる者が下にいる者を蔑視するメンタリティは、日本においてはつねにありましたし、今もあるでしょう。

集団から排除されたものがビジネスを支配できたがゆえに、弱肉強食が状態となった欧米に対し、集団の中の者を保護し共同体の外にいる者を排除するメンタリティを残したまま資本主義を移植できた日本との違いはここにあります。

このCDでは、日下さんは日本は欧米流のビジネスをしなくてもいまのままでいいんだよと説きます。しかし私には逆に、この話を聞くことで、日本社会の欠点をより意識するようになりました。日本のビジネスが誇るモノ・サービスの高い質が、共同体の外にいる者を排除することで成り立っているとしたら、まだまだ日本社会には改善すべき問題が山積みだということになるからです。

日本の経済成長は常に共同体外の者を過酷な状況に追いやることでしか達成できず、また排除される人たちも共同体の秩序を守るよう規範を内面化されていれば、問題が表面化しないまま、悲劇は静かに進行して行くようになります。


涼風