joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 2

2007年01月30日 | Book

             「白い花と濃緑の葉」


『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 1 からの続き)


「神経症」を癒す「もう一人の自分」

ユングによれば、外面的な成功や既成の常識にとらわれることは神経症となりやすく、彼らは結婚、地位、名声、あるいはお金を求め、それを手に入れても不幸かつ神経症的な状態のままです。そのような人たちに本来必要なのは、その人たちの意識が知らないもう一人の自分が教えるメッセージを読み取り、本来の自分=個人となることです。「もし彼らがもっと広い高邁な人格へと発達できるのなら、神経症は一般に消失する」(上p.204)。

ここでユングは、神経症とは「現代」の病であり、神的なものとつながっている「もう一人の自分」との接触を多くの人が失い、社会的・人為的なレール(ヴェーバーが「鉄の檻」と呼ぶもの)が強固になったために生じていると言います。彼によれば、その人々が神話によって「祖先の世界」とまだ繋がっていたり、「真に体験され単に外側から見られたのではない自然」との繋がりもまだもっているような時代と環境に生きていたら、「自分自身との分裂」を経験せずにすんだだろうと指摘します(上p.209)。

ユングは、夢などで語りかけてくる“もう一人の自分”のメッセージを治療に応用する際に大切なのは、夢などを通じた無意識によるメッセージを人格化することによって自分自身と区別し、同時にそれらを意識と関係づけることだと言います。それにより無意識的な内容はその存在を認知され、意識と統合され、その力を失うといいます(上p.267)。


主観と客観を統一する“創造”

“個人”としての本来の自分を患者ではなく自身の中に見つめようとした際、ユングは自分の幼児期の記憶を辿り、積石の玩具で家や城を建てた経験を思い出します。彼はその記憶が「相当な情動」を伴っていることに気づき、次のように呟きます。

「これらのものは未だ生きながらえている。少年は未だ存在していて、現在の私に欠けている創造的な生命を所有している」(上p.249)。

彼は自分の中の「少年」にもう一度接触するために、石を拾い集め、城や家をこしらえ村を作ろうとしました。彼は、その活動が、自分の中の“何か”に触れることを可能にし、それを手助けとしていくつかの論文を書いたことを記しています(上p.250)。

後年にユングはあの有名な「ボーリンゲンの塔」と言われる物を石で作ったが、彼にとって石との接触とそれによる創造活動は内面の外界へのあらわれであり、内面と外面とが容易には区別しえないことを表現しているものでした。つまり創造とは内面の“何か”に突き動かされることであり、同時にその内面が外的な形となってあらわれることです。その創造の結果である物には、内面と外面の区別を超越した世界の法則が表れます。ユングはそのボーリンゲンの塔に、かつて彼が石に感じたような世界の根源的なものを感じます。

「時には、まるで私は風景の中にも、事物の中にまでも拡散していって、私自身がすべての樹々に宿り、波しぶきにも、雲にも、そして行き来する動物たちにも、また季節の移り変わりにも、私自身が生きているように感じることがあった。塔のなかには何一つとして十年の歳月を経ぬものはなく、また私とのつながりをもたないものはなかった。そこではすべてのものが、私との歴史を共有し、その場所は引き篭もりのための無空間的な世界なのである」(下p.38)。


宇宙との合一

このように自分の存在が万物と溶け合う感覚は、ユングが繰り返し経験していることで、また彼はその経験をとても重視しています。ユングはインド洋のベンガル湾沿岸を訪れた際に、岩石の中をくりぬいて作られた礼拝堂に入ったときの経験を次のよう述べますが、それは彼が石との語らいに関して上に述べたようなものと同じ経験です。

「私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。私はすべてが脱落して行くのを感じた。私が目標としたもの、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。…それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったことのすべてで、それらのすべてがまるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、わたしがそれらそのものだといえるかもしれない。いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っていた。私は私自身の歴史の上に成り立っていることを強く感じた。これこそが私なのだ。「私は存在したもの、成就したものの束である。」(下p.126)。

この記述の後でユングは、上記のような経験と関連する、心筋梗塞による意識喪失・譫妄状態に陥った際に見た幻像ヴィジョンについて説明しています。ユングによるその幻像の細部にわたる具体的な描写は省きますが、この幻像体験を彼は次のように述べます。

「まるで私は恍惚状態エクスタシーにいるようであった。私は、あたかも宇宙空間を浮遊しているように、また宇宙という子宮のなかで安心しきっているかのように感じた。――そこは途方もない真空状態であったが、しかしあらんかぎりの幸福感に満たされていた――」(下p.130)。

「これらの経験はすべて荘厳であった。夜ごとに私は至福状態にただよい、「森羅万象の心像に、取り囲まれていた」」(下p.132)。

「このような経験がありうるとは、想像すらできなかった。それは想像の産物ではなかった。幻像も、経験も、本当に現実であった。それらについて主観的なものは何もない。それらはすべて、絶対的客観性を持っていた」(下p.133)。

これは、わたし(たち)のような人にはどのような体験なのか分かりづらい。いや、想像はできるけれども、それが誰にでも訪れる経験とか、その経験が客観性をもつということは信じるのは簡単ではないユングの体験です。しかし彼にとってこの経験は、人の心の病の治療に携わってきた経験から、心の解放をもたらすものです。彼は次のように述べます。

「この夢や、幻像のなかで私の経験した客観性は、完成していく個性化の一部をなしている。この個性化とは、価値判断とか感情的結合と呼ばれているものからの離脱を意味している。感情的結合は人間にとって、一般的にはきわめて重要なのだが、しかしそれは投射を含んでいて、自分自身や客観性に到達するためには、この投射を棄て去ることが肝要である。感情関係は、強制と圧迫との入り混じった、欲望の関係であって、その関係では他人から何か期待されていて、それが他人も自分自身をも窮屈にしている。客観的な認識は感情関係の背景に隠れ、その認識は中核的な秘密であるように見える。客観的認識によってはじめて現実的な合一が可能である」(下p.135)。

神秘的体験による癒し

ユングの体験がオカルト的で妄想にすぎないとしても、彼の体験を共有できない人にとって重視すべき点があるとすれば、彼の神秘的体験には、彼の言う「感情的結合」「価値判断」という多くの人を悩ませている心の動きから、人を解放させる作用があるという点です。「オカルト的体験」を支持する人と、それを拒否する人ととの間で対話が成り立つとすれば、その体験の客観的な正しさだけではなく、その体験が当事者にどういう影響をもたらしたかを見ることが重要なのでしょう。

そのような「オカルト的体験」により“教祖”が“信者”を金銭的・心理的に搾取したり、その「オカルト的体験」を信じない人を「地獄に落ちろ」と脅したりすることがあれば、それはまさに妄想であり、恐怖支配です。

逆に恍惚体験により他者への寛容さが増したり、自らの人生の苦しみを受容できたりするのなら、その体験はその人にとって大きな価値を持ち、また他者が耳を傾けるべき体験となります。

ユングは自ら恍惚の体験が自分にもたらした変化について次のように述べます。

「…病気によって私に明らかになったことがあった。それを公式的に表現すると、事物をあるがままに肯定するといえよう。つまり、主観によってさからうことなく、在るものを無条件に「イエス」といえることである。実在するものの諸条件を、私の見たままに、私がそれを理解したように受け入れる。そして私自身の本質も、私がたまたまそうであるように、受け取る」(下p.136)

 「病後にはじめて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。このようにして私は、どんなに不可解なことが起こっても、それを拒むことのない自我を鍛えた。つまりそれは真実に耐える自我であって、それは世界や運命と比べても遜色がない。かくして、敗北をも勝利と体験する。内的にも外的にも、かき乱すものは何もない。それは自己の持続性が、生命や時間の流れに耐えているからである」(下p.136)。

 「私はまた、人は自分自身の中に生じた考えを、価値判断の彼岸で、真実存在するものとして受け入れねばならないと、はっきり覚った。もちろん、真偽という評価の範疇はつねに存在しているが、しかしそれらには拘束力はなく、副次的なものである。したがって思惟の存在が、われわれの主観的判断よりも重大である。しかしこれらの判断も決して抑圧されてはならないのであって、判断もまたわれわれの全体性の現れに属している」(下p.136)。

こういったことを“言う”ことは比較的簡単であり、実際にこのようにすべてを受け入れることは難しいものです。またユングがその境地に達したかどうかは、ユング以外の人にはわかりません。ただ重要なのは、他者がこのような境地に達することを人間の理想と考える場合には、そこに至る道を考える上で、ユングの考えは無視できないものである可能性があります。

このような超心理学的な言説が科学的な論証に耐ええないことを彼は認めます。ただ同時に、治療に携わった経験から、神話などを用いた無意識の探求が患者にとって価値を持つことをたえずユングは強調します。例えば「死後の生」という考えについても、それが合理的な反論には耐ええないことを認めつつ、多くの人は「死後の生」を信じることで、「より意義深く生き、よりよく感じ、より平穏」になることを指摘します(下p.140)。

ユングは、「死後の生」のような神秘的な考えがもつ意味について、次のようにも述べます。彼は母親が死ぬ前日に彼女が死ぬ夢を見ます。悪魔のようなものが彼女を死の世界へとさらっていったのです。しかし彼女をさらった悪魔は、じつは高ドイツの祖先の神・ヴォータンでした。ヴォータンはユングの母を、彼女の祖先たちの中に加えようとしていました。この高ドイツの神・ヴォータンはユングによれば「重要な神」「自然の霊」であり、あるいは錬金術師たちが探し求めた秘密である「マーキュリー(ローマ神話の神)の精神」として、「われわれの文明」の中に再び生を取り戻す存在でした。しかしその「マーキュリーの精神」は歴史的にキリスト教の宣教師たちにより悪魔と認定されていました。

ユングにとってこの夢は、彼の母の魂が、「キリスト教の道徳をこえたところにある自己のより偉大な領域に迎えられたこと」を、そして「葛藤や矛盾が解消された自然と精神との全体性の中に迎えられたこと」を物語っていました。

母の死の通知を受け取った日の夜、ユングは深い悲しみに沈みつつも、心の底の方では悲しむことはできなかったと言います。なぜなら彼は、結婚式のときに聞くようなダンス音楽や笑いや陽気な話し声を聴き続けていたからです。彼は一方では暖かさと喜びを感じ、他方では恐れと悲しみを感じていました。

ユングはこの体験から、死の持つパラドックスを洞察します。母の死を自我の観点から見たとき、それは悲しみになり、「心全体」からみたとき、それは暖かさや喜びを感じさせるものになります。

ユングは「自我」の観点からみた死を、「邪悪で非情な力が人間の生命を終らしめるものであるようにかんじられるもの」と述べます。

「死とは実際、残忍性の恐ろしい魂である。…それは身体的に残忍なことであるのみならず、心にとってもより残忍な出来事である。一人の人間がわれわれから引き裂かれてゆき、残されたものは死の冷たい静寂である。そこには、もはや関係への何らの希望も存在しない。すべての橋は一撃のもとに砕かれてしまったのだから。長寿に価する人が壮年期に命を断たれ、穀つぶしがのうのうと長生きする。これが、われわれの避けることのできない残酷な現実なのである。われわれは、死の残忍性と気まぐれの実際的な経験にあまりにも苦しめられるので、慈悲深い神も、正義も親切も、この世にはないと結論する」(下p.158)。

しかし同時に夢は、母をヴォータンの神が死を通じて祖先たち下へつれていったと教えます。死は、母にとって、またユングにとって、喜ばしいものであると夢は教えます。

「永遠性の光のもとにおいては、死は結婚であり、結合の神秘である。魂は失われた半分を得、全体性を達成するかのように思われる」(下p.158)。

このような夢や神話を用いた想像は、それを合理的な世界観によって完全に切り捨ててしまうとき、人は「教条主義的な固さの餌食」となります(本来、合理性とは教条主義から脱するための一つの方法だったのですが)。また同時に、安易に神話や夢・暗示に頼りすぎると、漠然とした暗示を実体的な知識ととりまちがったり、たんなる幻を本質として考えたりします(下p.158)。

ユングがこのような神話や夢を重視する理由の一つは、それらが既存の常識や価値観ではない方向性を人間が手に入れるための手段となりうるからです。ひょっとすると、20世紀初頭においてますます強固となっていた官僚制社会において、それらに対抗する価値観を求める気持ちから、夢や神話に重要性を付与したのかもしれません。

ですから、夢や神話を絶対視すること自体は、おそらくユングにとって本意ではないはずです。「オカルト」として夢や神話が一つの権威となり、それらに従うことがルールとなるとき、まわりの価値観ではなく自身の内的なものが示すものにヒントを得るというユングの最初のモチーフは裏切られることになります。

重要なのは、(完全に達成することは不可能だとしても)どれだけ既存の常識を疑い、自分の中の静かな声に耳を傾けることができるかです。夢や神話に頼りすぎる人にとってはリアリスティックな物の見方が必要となることもあるでしょうし、その逆もあります。ユングが言うように、ユングにとって役に立つ治療法は、彼以外の人には全く役に立たないこともあるのです。夢や神話は、それ以外の価値観に振り回されている人にのみ、またそういう人が多い時代においてのみ、役に立つのかもしれません。つまり大切なことは、自分が見失っているものをたえず発見し続ける意欲です。

そのように自分が見ていなかったものを見続けることにより、またそれら既存の価値観や夢や神話が何を自分に教えているのかを問い続けることにより、その人は自分の“個性”に耳を傾けていることになります。

こにユングの自伝を読んでいると、彼があまりにも神話を重視し、夢の解釈に没頭している様に戸惑います。普通の人には彼のように夢を解釈する発想はもちえないし、その方法をマスターできるのも、すべての人ができるというわけでもないでしょう。

ただ、“内的”なものに耳を傾ける作業をする際には、夢や神話を頼りにせざるを得ないのでしょう。それら夢や神話は根拠がなく、不確実であり、それが教えるものを読み取る作業は誰も失敗に失敗を重ねるのでしょう。ユング初心者にとって不満があるとすれば、この本にはそのような解釈の失敗を彼が多く述べていないことにあります。

夢や神話を参照すればそれでいいわけではなく、そのような不確実なものを使いつつも、人はたえず自分の人生にあう方向性は何かを問い続けざるを得ません。むしろ“個性化”は、そのような解釈の失敗を重ねながら、相貌を見せてくるようなものではないかと想像できます。

そういう私の印象に比べれば、ユングはあまりにも自分が見出した“元型”“神話”に自信を持ち、それがすべての人にあてはまると考えているようにも読めます(そのことを否定してはいるけれど)。

私の今の印象では、彼の思想を継承する人はつねに表れながらも(ニューエイジのように)、ユングの思想が完全に人々に受け入れられることはこれからもこないと思います。またすべての人がユングの世界の説明を受け入れる必要ももちろんないのでしょう。

ただ、そのような偏向がもしユングにあったとしても、不確実なものに耳を傾けることの大切さを説いたことは、目に見えるもの・確実なものだけで議論することは他者への非寛容を強める危険があるゆえに、今の私たちにとっても重要なのではないかと思います。


『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 1

2007年01月30日 | Book

             「雑草」


スイスの精神科医カール・C・ユングの自伝『ユング自伝』(みすず書房 1972)を読みました。

たとえ心理学好きでなくとも、「ユングぐらいは」読んでいる人は日本にはとても多そうです。でも、私はこの本を読むまではユングを読んだことがなかった。今回初めて読みました。ホントならもっと早く読んでいてもよさそうなものだけれど。

読んでみると、わたしに合う部分があり、またついていけない部分もあり、という感じです。

鹿児島在住の精神科医の神田橋條治さんは『精神療法面接のコツ』の中で、精神療法の修練を積む上では誰か師匠について、その師匠のいいところも悪いところもすべてひっくるめて自分に取り込み、その上で自分のやり方を模索していくのがいいとおっしゃっています。そう指摘した上で神田橋さんは、「フロイトやユングのような人たちが歩んだコースは精神療法家としては稀な道で、凡人は真似しないほうがいい」と確かおっしゃっていたと思います。

フロイトは一時フランスの医師シャルコーに弟子入りしていたそうですが、それもごく短期間の話で、明確に師匠と呼べるような人はいなかったと思います。ユングも同じく、この自伝を読む限りでは、師匠と呼べるような人をもたなかったみたいです。


フロイトとの違い

フロイト自身はユングを自分の正当な継承者とみなしたかったようです。幼児の頃に抱く性欲とその挫折がその後の人間の心理状態を規定するという理論が、ユングのような秀才によって受け継がれることを夢見ていたそうです。

しかしユング自身は、20歳近く年上のフロイトを最初から師匠とは見なしておらず、一人の友人として付き合いたかったみたいです。

ユングは、精神分析を科学にすると言いながら、人間の心理状態がすべて性欲に起源があるとするフロイトの考えは、明らかに証明しえない独断だと見ていました。

「ちょうど心理的に強い力が「神的」あるいは「悪魔的」な属性を与えられるように、(フロイトの提唱する)「性的リビドー」が秘密の役割を肩代わりしたのである。この変換のフロイトにとっての利点は、明らかに、彼が、新しいヌミノース(神秘的)な原理を科学的にみて非難の余地がない上に、あらゆる宗教的色彩から解放されているとみなすことができるという点にあった。しかしながら実際は、ヌミノースムつまりヤーウェと性欲という二つの理性的には比較しえない反対物の心理学的性質は全く同じままであった。…つまり失われた神は、いまや上にではなく、下に求められなければならなくなったのである。しかし、…一体そのことがあのより強い力に対して、究極的にはどんな違いをもたらすというのだろうか」(上p.219)。

人間(自分自身)の“心理”とは何かと考えるとき、そのときすでに人はそれを何か蠢くもの、動的なものとして構想せざるをえません。“心理”とは何かと考えるのは、何か“心理”と言い表しえるものが自分の中に存在すると考えることであり、言い表しえるものが存在すると考えるのは、それが何か自分の中で動いていると感じているからです。

フロイトはその動きを“性的リビドー”という概念ですべて説明できると考えました。しかしユングからみれば、それはただ名前・言い方の問題であって、本当にそれが“性的リビドー”かどうかは証明し得ません。もし“性的リビドー”を“力”と言い換えても、言っていることは同じです。ユングは次のように言います。

「エロスと力の衝動は、ある意味では同じ父親で意見を異にする息子たち、あるいは単一の心的原動力の産物であるが、経験的には、正負の電気のように正反対の形を取って現れてくるようなものであり、エロスが受け手として、力の衝動は動因として現れたり、その逆になったりするということが解りはじめてきた」(上p.221)。

対象によって欲望を挫折させられる経験にフォーカスすると、欲求の挫折こそが人間の心的状態を規定するとみなし、「性欲リビドー」が人間の心理の根源だとみなすようになります。逆に対象を克服する人間の意志の強さの経験にフォーカスすると、「力」が人間の根源にあると見なします。

この考察からユングは、一つの根源から心理を説明しようとすると、力とその挫折、意志とその挫折という両極端に振られることに気づき、その二元論からの脱却に救いを求めます。

「ヌミノースム(神秘、超自然)の体験によって、こころが激しく揺り動かされているところはどこでも、危機一髪の状態に陥る危険がある。もしそんなことが起こったら、ある人は絶対的な肯定へ落ち込むだろうし、またもう一人は同等に絶対的な否認へ傾くことになる。Nirdvandva(両極端から解放されていること)はこれに対する東洋の救済策であり、私はそのことを忘れずにきた。心の振り子は意味と有意味の間を揺れ動いているのであって正邪の間ではないのである。ヌミノースムは人を両極におびきよせるものであるがゆえに、危険きわまりないものであり、したがって中庸の真理が本当の真理と見なされ、小さな誤りも宿命的な誤りと同等視される。過ぎ去ったものはすべて――昨日の真理は今日のペテンであり、昨日の偽りの推論は明日の啓示かもしれない」(上p.222-3)。

フロイトのように心理を科学的な体系にすることは不可能であり、心理を一つの要因で説明することは一つの宗教的教義にすぎないというユングの洞察は、しかし神秘的体験等を否定するものではありません。むしろユングは、世界に神秘性を感じ、その神秘性を最大限守りたいがゆえに、フロイトのように、あるいは聖書原理主義のように、概念による因果図式で世界を説明すること(これはユングを含めてすべての人が避けることができない)は一つの暫定的結論にしか過ぎないことにつねに注意を促そうとしました。


父との違い

言語で世界を説明することへの違和感は、おそらく彼の父との関係でも表れていたのでしょう。この本の中でユングは繰り返し、牧師であった父への不満を述べています。ユングは、どれほど父が敬虔なキリスト教徒であろうと、父は世界の神秘にじかに触れようとせず、聖書と教会で事足れりとする性質で、神秘的な経験に関しては突っ込んだ議論をしようとはしない人だと思えました。

それに対してユング自身は、キリスト教の教義を越えて、また後には精神分析の硬直的体系を超えて、世界の不思議に素手で手に触れようと試みました。少なくとも本人はそう思っていました。

石との語らい

自伝の中の「幼年時代」という章で、ユングは世界に存在する物に感じた自分の経験を述べています。

「この壁の前に、突き出た石――それは私の石だったが――の埋まった坂があった。一人の時、しばしば私はこの石の上にすわって、次のような想像の遊びを始めた。「私はこの石の上にすわっている。そして石は私の下にある。」けれども石もまた「私だ」と言い得、次のように考えることもできた。「私はここでこの坂に横たわり、彼は私の上にすわっている」と。そこで問いが生じてくる。「私はいったい、石の上にすわっている人なのか、あるいは、私が石でその上に彼がすわっているのか。」この問いは常に私を悩ませた。…この石が私にとってある秘密の関係に立っていることは全く疑う余地がなかった。私は自分に課せられた謎に魅せられて、数時間もの間そのうえにすわっていることもできたのである」(上p.39-49)。


論理への違和感

このように「神秘的経験」に注意を向ける傾向は、周知のようにユングの中で幼い頃から晩年まで失われずにいました。それは「確か」であり「目に見える」ものへの疑いと、しかしより確固としたものを求める傾向です。「論理的」で「明確」なものはユングにとって、幾らかも確かには思えませんでした(私もそうだ)。彼は数学を学んだ経験について次のよう述べています。

「中でも私を悩ませたのは、次のような命題だった。つまり、a=bで、b=cなら、a=cであるとする命題である。定義に従えば、aはbとは異なる何物かを意味し、従って別のものであり、bと等しいとはできない。Cは勿論のことである。にもかかわらず、上述の等式を成立せしめるのだ。…ところが、a=bは、私にはまっかな嘘偽りのように思えたのである」

「先生が、平行線の定義を、無限大でまじわると大ぴらに言ったとき、私はまた同じほどに侮辱されたと感じた。これは、私には素人の心をつかむための、ばかばかしいトリックにすぎないと思われ、私はそんなトリックには全くかかわることができなかったし、またかかわりをもとうとも思わなかった」(上p.50)。

(数学に対しておそらく一定の人々はこうした違和感をもつということは、もっと公けの場で議論されて良いと思う。単に科学立国のために数学教育を充実させようとするだけではなく。僕には、これはもう持って生まれた感覚の違いだと思う。おそらく頭のよしあしに関わらず、数学の世界観について行けない人がいるのだと思います。どれほど勉強しようとも。あるいは数学嫌いの人の多さを考えると、実はそういう人のほうが多いのかもしれない。多いのだけれど、そうした人が数学を嫌いというと、「勉強が足りない」ということになり、「もっと数学教育を充実させねば」という議論になる。

私たちの世界は理系の人の努力で成立しているのだろうし、それには尊敬を払う必要があるけれど、ひょっとする多く人は数学に違和感をもつのかもしれず、数学に違和感を持たない人は元来少数派かもしれないのです。その少数派の感覚を基準にして頭の良し悪しを議論することは避けたほうがよいように思えます)


外面的なものを越えた“何か”への関心

このような論理的なものへの違和感と同時に、規則正しい学校生活を送らなければならないという規範を守る中で、ユングはそのような人為的な取り決めから逃れたいという衝動をつねにもっていたそうです。それは、既成のレールを歩く表面的な自分と、もう一人の別の自分との葛藤だとユングは表現します。

「背景のどこか深いところで、私はいつも自分が二人の人物であることを知っていた。一人は両親の息子で、学校へ通っていて、…。もう一方の人物は、おとなで――実際年老いていて――疑い深く人を信用せず、人の世からは疎遠だが、自然すなわち地球、太陽、月、天候、あらゆる生物、なかでも夜、夢、「神」が浸透していくものすべてとは近かった」(上p.73)。

学校生活、聖書原理主義的な牧師の父などの俗世との葛藤の中で、ユングはつねにその俗世的なもの・明確なもの・目に見えるもの以外のものが自分とこの世界には存在し、自分はその何かに耳を傾けるべきではないのかと問い続けます。

「後になって母は私に、そのころ私がしばしばふさぎ込んでいたと言った。本当はそうではなかった。むしろ私は、秘密のことを考えていたのである。そんな時、私の石の上に座ると、奇妙にも安心し、気持ちが鎮まった。ともかく、そうすると私のあらゆる疑念が晴れたのである。自分が石だと考えた時はいつでも、葛藤は止んだ。「石は不確かさも、意志を伝えようという衝動も持っていず、しかも数千年にわたって永久に全く同じものである」が、一方私はといえば、すばやく燃え上がり、その後急速に消え失せていく炎のように、突然あらゆる種類の情動をどっと爆発させるつかの間の現れにすぎない」のだった私が私の情動の総体であるにすぎないのに対し、私の中に存する他人は、永久不滅の石だったのである」(上p.70)。

聖書の教える神やイエスの物語を受け入れられない一方で、ユングは神的なものがこの世界に存在することを絶えず意識していましたが、それは例えば上記のような石などの自然物の存在に、善悪を超えた“存在”の神秘を感じることなどに表れています。彼は次のようにも述べます。

「「神の世界」の地上のあらわれは、それからの一種の直接的なコミュニケーションとしての植物界から始まった。それはまるで、観察されずに自己を省みながら玩具や装飾物を作っている造物主と肩を並べているかのようであった。人間および本来の動物は、他方、すでに独立してしまっている神の小片であった。それが、彼らが独力で動きまわり居所を選ぶことのできる理由であった。植物は善かれ悪しかれその場所に縛られていた。植物は自らの意志をもたず、また逸脱することもなしに神の世界の美しさや思想を表現していた。樹木はとくに神秘的で、私には生命の不可思議さを直接的に体現しているもののように思われた。そのために、森は私がその最奥の意義と畏敬の念を起こさせる働きとを、最も身にしみて強く感じた場所であった」(上p.105-6)。

外界の中にこのような神秘性を感じるユングの感覚は、目に見える世界は私たちが通常考えるような表面的で意味も中身もない物体や空間・時間ではないという洞察につながっています。

「空間、時間、因果律の限られた範疇をこえる出来事があるのかもしれないという考えには、なんら非常識なところも世間を驚かすようなところもなかったのである。動物が嵐や地震を予知しているということは衆知の事実だった。ある人の死を予知した夢や、死の瞬間にとまった時計や、危機に粉々にわれたガラスなどがあった。これらはすべて、私の子供のころの世界では当然のことと考えられていた」(上p.151)。


外面的なものを越えた世界の動きを把握する“心”

この後の叙述でユングは、ありえない割れ方で大きな音を出して割れたテーブル、食器テーブルの中で置いておかれたナイフがつんざくような音を出して粉々に割れたこと、などの話を引いています。彼には、そして同じく霊感の高い彼の母には、それは通常の科学的考えでは把握しきれない世界の動きの反映だと思われました(上p.157)。またユングにとっては、このような常識的な考えでは把握しきれない世界の動きの論理を、“心”は自我とは異なり把握しているのです。ただ、その“心”を自我であるわたしたちがよく知らないだけで。


「本当の道」を教える“心”

超感覚的世界に対して生じる感受性や、夢は、そのようなわたしたちが把握し得ない心の動きが、自我の抑制から解き放たれて、世界の論理を私たちに教えようとしていることの表れだということになります。ユングにとって医者の仕事は、この“心”の(誰も完全に正確には知りえない)メッセージを読み取る手助けだということになります。そこでは意識が語る話だけではなく、ときには「連想検査」や「夢の解釈」、「その個人との長く忍耐強い人間的な接触」が必要となります。

「治療においては問題はつねに全人的なものにかかわっており、決して症状だけが問題になるのではない。私たちは、全人格に返答を要求するような問いを発しなければならない」(上p.173)。

この「全人格」とは、意識上の、左脳的な論理・言語を超えた、存在を存在ならしめるような「神秘的」なものも含めたものになります。

例えばユングが診た一人のアルコール中毒患者の男性は、家業である会社を継ぐよう母親からプレッシャーをかけられ、そのプレッシャーから逃れるために酒におぼれていました。ユングは、その飲酒癖は母親との葛藤が原因であることを見抜き、彼の「本当に」望む道を歩み、家業を継ぐという既成のレールを外れない限りは、飲酒癖は治らないとみなしました。ユングはその母親に、「息子のアルコール中毒は彼を満足に仕事ができないようにしてしまうという意味の診断書」を書き、医者の権力を用いて彼を家業から離れるように仕向けます。しかし実際は、満足に仕事ができないために飲酒癖に陥っていたのですから、これは診断書の偽造でした。ユングはそのような危険を犯しても、患者の中の「本当の彼」に道を開く必要を感じたのです。彼は患者の姿の中にもう一人の彼を見、彼の表面上の言動を超えたところに彼の本当の望みがあるとみなしました。家業を継げないようにされた患者はユングに怒りを表したということですが、後に彼の妻は、その後彼が別の道で成功を収めたことでユングに謝意を表したということです(上p.177-179)。


示唆、兆候が教えるものを読み取る

このように、明確なものの奥にかすかに感じるものを感じ取ること(中井久夫さんが言うところの「微分的認知」(『分裂病と人類』)か?)の重要性を、分裂病患者の治療の経験を通じてユングは述べます。

ある「特徴的な誇大妄想を伴ったパラノイア型の早発性痴呆」に20年ほど罹っている60歳近くの女性の患者の例をユングは挙げています。彼女の発する意味不明な言動を、当時の医者たちは「意味をなさない最も狂気じみたこと」ととらえていました。しかしユングは、その意味不明な言動に隠れた意味があることを発見していきます。例えば「私はソクラテスの代理だ」という言葉は「私はソクラテスのように告発されている」であり、「私はとても高級なバター製のゲルマニアでヘルベルチアだ」は彼女の自己評価の増大・劣等感情に対する補償を表しているように(今の私たちには、それほど大胆な解釈には見えないけれど)。

ユングはこの経験から次のような原則を引き出します。

「私がパペットや他のそういった事例に熱中していくにつれ、従来我々が無意味だとみなしてきたものの多くが、そう思うほどにはおかしくないものであるということが納得できるようになった。一度ならず私はそんな患者たちにさえ、その背後にきっと正常と呼ばれるに相違ない人格が残っているということをみてきた。それはいわば傍観しているのだ。時折り、この人格が通常は声や夢になって気のきいた注釈を加えたり異議を唱えたりするのである」(上p.185)。

あるときユングは、胸部中央に神の声が聞こえるという婦人を診て、その「神の声」が指示するとおりに聖書を彼女に読ませるという診療を七年続けたといいます。ユングはその診療の過程で、その神の声の指示による聖書の朗読により、婦人は注意力の鋭敏さが保たれ、「統合を崩すような夢に深く沈まずに」すむことを見出します。それが本当に神の声がどうかはともかく、その婦人の知らないもう一人の彼女が、彼女にとって最良の治療方法を知っていたということです。これらの経験からユングは次のような洞察を得ます。

「患者とともに働くことを通じて、私はパラノイア的観念や幻覚が意味の兆しを含んでいることを理解した。ある人格、生活史、希望や欲望のパターンが精神病者の背後に横たわっている。…患者たちはのろまで無力なように、あるいはまったく馬鹿にみえるかもしれないが、患者の心の中には外見よりももっと多くのものがあり、意味のあるものももっと多いのである」(上p.186)。

この「もっと多くのもの、意味のあるもの」とは、たいていは外面的な成功や既成の常識とはかけ離れており、それゆえ多くの人はその「本当の自分」に直面することを拒否します。しかしユングの元に来るのはすでに「患者」であり、つまり「問題」を抱え自分を変えなければならないという自覚をもった人たちばかりです。その場合人は、既存の思い込みをもっていてもすでに病に陥ることを知っているので、新しい考えを受け入れる用意が普通の人より整っているといえます。


『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 2 へ続く)