以前、マット・デイモンが、
「アカデミー賞は10年後にやればいいと思う。
2008年の最高の映画は、2018年にやればいいんだ。
10年たってはじめて映画の価値はわかるんだ。
毎年選ばれているアカデミー賞の映画はたいていつまらないよ」
という内容のことを言っていた。
たぶん、あたっていると思う。
あたっているが、もしそうしたら、アカデミー賞は盛り上がらないだろう。
単に、10年前の映画だから盛り上がらないと言っているのではない。
いい映画ばかりが選ばれて、盛り上がらないと思うのです。
本当にいい映画。本当にいい本。本当にいい音楽。
こういったものには、人を黙らせてしまう力があります。
私たちの浮ついた態度をシュンとさせてしまうものがあります。
いいものは、必ずしもお祭り騒ぎに向きません。
「アカデミー賞は10年後にやればいいと思う。
2008年の最高の映画は、2018年にやればいいんだ。
10年たってはじめて映画の価値はわかるんだ。
毎年選ばれているアカデミー賞の映画はたいていつまらないよ」
という内容のことを言っていた。
たぶん、あたっていると思う。
あたっているが、もしそうしたら、アカデミー賞は盛り上がらないだろう。
単に、10年前の映画だから盛り上がらないと言っているのではない。
いい映画ばかりが選ばれて、盛り上がらないと思うのです。
本当にいい映画。本当にいい本。本当にいい音楽。
こういったものには、人を黙らせてしまう力があります。
私たちの浮ついた態度をシュンとさせてしまうものがあります。
いいものは、必ずしもお祭り騒ぎに向きません。
ツィッター、何がそんなに面白いのかわからない。
僕には合わないかな。
ツィッターとブログとの違いは、ツィッターはブログ以上に意味がないところだと思う。
意味がないからこそ、その人の日常の頭の中に、ブログ以上に迫れるからではないか。
思考を披歴し、また他人の思考に触れるという点では、ホームページともブログとも変わらないけど、ブログ以上に肩肘張らない。が、
「現在のWebの最大の特徴のひとつとして、同一のWebサイトという置き場所にデータが常にとどまっているような静的な状態から、無数のWebサイトをまたぐようにデータが流れていく動的な状態への変化を確認しています。このことをわれわれはソーシャルストリームと呼んでいます。
Twitterは、Webを”サイト”という静的な固まり、場所的あるいはリスト的な概念から、”ストリーム”という動的な流れ、時間的な概念に変えつつあるのです。」
「ソーシャルメディアマーケティングの主役に躍り出たTwitterー小川浩」
“流れ”。
これが僕に合わない点だと思う。
社会の流れに乗って人と一緒にワイワイやるというのが苦手な人には、ちょっと…
唯我独尊タイプの人にはツイッターは向かない。
僕には合わないかな。
ツィッターとブログとの違いは、ツィッターはブログ以上に意味がないところだと思う。
意味がないからこそ、その人の日常の頭の中に、ブログ以上に迫れるからではないか。
思考を披歴し、また他人の思考に触れるという点では、ホームページともブログとも変わらないけど、ブログ以上に肩肘張らない。が、
「現在のWebの最大の特徴のひとつとして、同一のWebサイトという置き場所にデータが常にとどまっているような静的な状態から、無数のWebサイトをまたぐようにデータが流れていく動的な状態への変化を確認しています。このことをわれわれはソーシャルストリームと呼んでいます。
Twitterは、Webを”サイト”という静的な固まり、場所的あるいはリスト的な概念から、”ストリーム”という動的な流れ、時間的な概念に変えつつあるのです。」
「ソーシャルメディアマーケティングの主役に躍り出たTwitterー小川浩」
“流れ”。
これが僕に合わない点だと思う。
社会の流れに乗って人と一緒にワイワイやるというのが苦手な人には、ちょっと…
唯我独尊タイプの人にはツイッターは向かない。
ベストセラーになった本の中には、マーケットプレイスで1円という価格で売られる本がある。
それに対し、同じようにベストセラーなのに、定価より少ししか安くならない本もある。
ベストセラーが本当に良書だったのかどうかを見分ける基準だ。
それに対し、同じようにベストセラーなのに、定価より少ししか安くならない本もある。
ベストセラーが本当に良書だったのかどうかを見分ける基準だ。
03:44 from web
3000円のホンを書くには、1000円の本を書くよりも10倍以上の労力がかかるに違いない。なのに、購買心理で、1000円前後の駄本を大量に人々は買ってしまう。
by vergebung2004 on Twitter
3000円のホンを書くには、1000円の本を書くよりも10倍以上の労力がかかるに違いない。なのに、購買心理で、1000円前後の駄本を大量に人々は買ってしまう。
by vergebung2004 on Twitter
人生は一度きりなんだし。
その人生を、怒りと憎しみで埋めてしまうと、
それは憎しみと怒りという作品を残してしまうことになる。
人は一つの作品しかこの世に残していくことはできない。
だとしたら、どういう作品を自分は残していきたいだろうか。
怒りと憎しみは、誰もが持っている。
でも、それに振りまわされたままの人と、
その怒りと憎しみを冷静に見つめることができる人のあいだには、
多くの違いがある。
わたしはどちらを選びたいかといえば、
決まっています。
その人生を、怒りと憎しみで埋めてしまうと、
それは憎しみと怒りという作品を残してしまうことになる。
人は一つの作品しかこの世に残していくことはできない。
だとしたら、どういう作品を自分は残していきたいだろうか。
怒りと憎しみは、誰もが持っている。
でも、それに振りまわされたままの人と、
その怒りと憎しみを冷静に見つめることができる人のあいだには、
多くの違いがある。
わたしはどちらを選びたいかといえば、
決まっています。
国語読解攻略法の本を読むと、
「国語は、文章を味わう科目ではありません。論理的に正解を導き出すことが可能な科目です」
と書かれてあります。
これは間違いではないけど、完全に正しい言い方ではありません。
正確にはこう言います。
「国語は、論理的に正解だと説明できるものだけを正解とすることによって、点数をつける科目として成り立ちます。論理的には説明できない部分まで重視してしまうと、○×をつけられないし、点数化できないのです」
では、なぜ国語に論理的な読解が必要なのか?
まぁ、ここからは多くの人にとってなじみのある議論になります。
論理的に文章を理解し、説明できなければ、社会の成員同士の共通了解が成立しないからですね。
しかし、物語や随筆について共通了解などというものが必要かというと、そういうことはないでしょう。
「国語は、文章を味わう科目ではありません。論理的に正解を導き出すことが可能な科目です」
と書かれてあります。
これは間違いではないけど、完全に正しい言い方ではありません。
正確にはこう言います。
「国語は、論理的に正解だと説明できるものだけを正解とすることによって、点数をつける科目として成り立ちます。論理的には説明できない部分まで重視してしまうと、○×をつけられないし、点数化できないのです」
では、なぜ国語に論理的な読解が必要なのか?
まぁ、ここからは多くの人にとってなじみのある議論になります。
論理的に文章を理解し、説明できなければ、社会の成員同士の共通了解が成立しないからですね。
しかし、物語や随筆について共通了解などというものが必要かというと、そういうことはないでしょう。
象は鼻が長い
この文章に主語はないということは、インターネットの中でも多くの人が解説してくれている。
でも納得できない。
この文章に主語はなくて、主題があるというのもよくわからないなぁ。
主語と主題という区別なら、英語の文でもできると思う。
Elephants are what has a long nose.
…
やっぱり三上章の本を直接読むしかないかな…
この文章に主語はないということは、インターネットの中でも多くの人が解説してくれている。
でも納得できない。
この文章に主語はなくて、主題があるというのもよくわからないなぁ。
主語と主題という区別なら、英語の文でもできると思う。
Elephants are what has a long nose.
…
やっぱり三上章の本を直接読むしかないかな…
『三上文法から寺村文法へ―日本語記述文法の世界』を買って読んだのだけど、半分ぐらいで読むのをやめました。
ちょっとこれはなぁ・・・
専門の概説書でもなければ、初心者への入門書でもない。
これは研究史に関する学者の研究ノートみたいなもので、論文にも著作にもならない、大学の紀要に載せるようなものじゃないだろうか?
わずか150ページほどのこの本が1600円というのはないんじゃないのかなぁ・・・
殆どの文章で専門的語彙(ジャーゴン)が使われているが、著者自身が言葉をかみ砕いて何かを説明している部分というものがないので、わずかなページ数のなかで著者自身が言いたいことというものが何もない印象がする。
これは同じ専門分野の研究者にメールか手紙で知らせるようなもので、とても一般の人に読まんでもらうレベルではないと思うのだけれど。
私は、この本の内容が高度で理解できないと嘆いているのではない。
そうではなくて、この本は、結局何も言っていないのではないかと思えてきて、そういう本のために時間とお金を使ってしまった自分にうんざりしているのです。
きっとこの本の言っていることで目が啓かれる人もいるにちがいない。しかし、それはごくごく狭い領域の人でしかない。
どんなに薄い新書でも、何かを言おうとはしている。でも、この本は、この本だけで何かを伝えようとせず、専門領域の研究者の共通理解に乗っかって、雑談をしているだけのように思える。
著者に罪はないが、とても時間を悔いてしまう。
こういう本を一般書のような装いで流通させるのはやめてほしい。
ちょっとこれはなぁ・・・
専門の概説書でもなければ、初心者への入門書でもない。
これは研究史に関する学者の研究ノートみたいなもので、論文にも著作にもならない、大学の紀要に載せるようなものじゃないだろうか?
わずか150ページほどのこの本が1600円というのはないんじゃないのかなぁ・・・
殆どの文章で専門的語彙(ジャーゴン)が使われているが、著者自身が言葉をかみ砕いて何かを説明している部分というものがないので、わずかなページ数のなかで著者自身が言いたいことというものが何もない印象がする。
これは同じ専門分野の研究者にメールか手紙で知らせるようなもので、とても一般の人に読まんでもらうレベルではないと思うのだけれど。
私は、この本の内容が高度で理解できないと嘆いているのではない。
そうではなくて、この本は、結局何も言っていないのではないかと思えてきて、そういう本のために時間とお金を使ってしまった自分にうんざりしているのです。
きっとこの本の言っていることで目が啓かれる人もいるにちがいない。しかし、それはごくごく狭い領域の人でしかない。
どんなに薄い新書でも、何かを言おうとはしている。でも、この本は、この本だけで何かを伝えようとせず、専門領域の研究者の共通理解に乗っかって、雑談をしているだけのように思える。
著者に罪はないが、とても時間を悔いてしまう。
こういう本を一般書のような装いで流通させるのはやめてほしい。
『イングロリアス・バスターズ』を観た。
神戸ではもう上映していなかったので、大阪で観ました。
とてもタランティーノな映画。前編が無意味な話なのに、その無意味さが、意味に依存する私たちの欺瞞を暴いていく。
ただ、『キル・ビル』のようなショッキングなシーンはない。
むしろ、とても安定している。どの場面も、タランティーノ・ファンにとっては想定内にある映像だ。
映画代を払ったことは後悔しないけど、すごいものを観たというほどでもない。
それでも、やはりこの映画は、タランティーノしか作れないものだ。そのオリジナリティに触れることによる満足感がある。
印象的だったのは、二人の美人女優。どちらも輝いていた。
神戸ではもう上映していなかったので、大阪で観ました。
とてもタランティーノな映画。前編が無意味な話なのに、その無意味さが、意味に依存する私たちの欺瞞を暴いていく。
ただ、『キル・ビル』のようなショッキングなシーンはない。
むしろ、とても安定している。どの場面も、タランティーノ・ファンにとっては想定内にある映像だ。
映画代を払ったことは後悔しないけど、すごいものを観たというほどでもない。
それでも、やはりこの映画は、タランティーノしか作れないものだ。そのオリジナリティに触れることによる満足感がある。
印象的だったのは、二人の美人女優。どちらも輝いていた。
James Brownを聴こうと思ったきっかけは、このビデオ。
Prince, Michael Jackson, James Brown dance compilation
僕が観ていて楽しいのはもちろんプリンスのダンスなんだけど、冷静にみるとプリンスのダンスはJames Brownのコピーだ。
それに対してマイケルのダンスはオリジナリティがあるように思う。まぁ、ぼくがダンスの歴史を知らないだけなんですけどね。
でも、案外音楽もそうかもしれない。
聴いていて興奮するのはプリンスの音楽だけど、オリジナリティは意外にマイケルの方があるのかもしれない。
Prince, Michael Jackson, James Brown dance compilation
僕が観ていて楽しいのはもちろんプリンスのダンスなんだけど、冷静にみるとプリンスのダンスはJames Brownのコピーだ。
それに対してマイケルのダンスはオリジナリティがあるように思う。まぁ、ぼくがダンスの歴史を知らないだけなんですけどね。
でも、案外音楽もそうかもしれない。
聴いていて興奮するのはプリンスの音楽だけど、オリジナリティは意外にマイケルの方があるのかもしれない。
ジェームス・ブラウンの JB40: 40th Anniversary Collection を聴いているのですけど、これはすごい。まだ2枚目だけ聴いているのだけど、ちょっとこんなに革新的な音楽をなぜ知らなかったのだろう?
これを聴くと、プリンスなんてJBをただコピーしているだけに思えてくる。
これを聴くと、プリンスなんてJBをただコピーしているだけに思えてくる。