joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

よくわからない事情

2006年10月31日 | テレビ


昨日のNHKの番組『クローズアップ現代』で、人を採用したくても応募者がいない地方の企業の現状が取り上げられていました。ちょっとネットで検索してみても、多くのブログで取り上げられています。

ある山梨の企業は、東京に近いにもかかわらず応募者が足りなく、山形に会社の機能を一部移して人確保に努めるようです。

途中からしか見なかったので事情がよく分からなかったのがもどかしかったです。この会社は製造業のようでしたが、理系の人を探しているから採用できる人がいなかったのでしょうか。それとも文系の人でもよかったのにいなかったのだろうか。

新卒採用で人を採れなければ、他に20代で仕事を探している人はいくらでもいると思います。そういう人を採らずにわざわざ山形まで本社の機能を移してまで人探しをしようとするというのは、それだけ高いスキルをもった人を探しているということなのでしょうか。

それとも、文系でもいいのに大卒者を採用できなかったのでしょうか。

「格差格差」と言われ続けているし、僕もそれに同調しているけど、日本の経済が上向きになっているのはたしかなようですね。もちろん、それが非正規雇用の数が増えたことによるものなら、人々の生活はよくならないので問題です。

ただ新卒採用の増大ということは正社員のチャンスが広がっていることなので、いいニュースなのだと思います。

「失われた十年」が出口の見えない不況のように見えたけれど、各企業の経営の方向性の調整がこの15年ほどでやっと上手くいきだしたということなのでしょうか?



この記事はあまりにも「従業員」よりの文章になりました。経営者の事情の深刻さよりも「従業員」の立場をすぐに気にすると言うのも、一つの偏向ですね。

『のだめカンターピレ』

2006年10月31日 | 映画・ドラマ
『のだめカンターピレ』を初めて、チラッと20分ほど見たけれど、上野樹里ってかわいい。この女の子が他のドラマ・映画でどんな演技をしているか知らないけれども、この“のだめ”役はきっととってもハマリ役なんじゃないでしょうか。

他でがらっと違う演技をしていたら、なかなかすごい女優さんなのかもしれない。

原作を読んだことはないけれど、きっと原作の世界を忠実に再現したドラマなんだろうな。一つ一つの演出がいかにもマンガっぽいもの。だから、原作を知っている人には物足りないかもしれないけど、息抜きにはちょうどいいかも。


涼風

安藤美姫、優勝

2006年10月30日 | スポーツ



今朝は6時間ほどの睡眠。前日に比べれば2時間ほど多く寝ているので、なんだかとてもすっきりしています。見た夢は怖い夢だったのですが、寝覚めはいいのでよしとします。あるお医者さんも、夢の内容よりも、寝覚めの心地よさの具合が健康度のバロメーターだとおっしゃっていましたし。


安藤美姫の優勝。なんだかうれしいですね。僕はテレビのほんのちょっとのダイジェストを見ただけだけど、なんだか体のキレがキレキレで、とてもシャープな感じがします。

とくにフィギュアのファンじゃないけれど、どのフィギュア選手が好きかといわれたら、僕は安藤派かもしれない。印象的に、一番親しみがもてるかんじがするというか。一番“普通の”女の子っぽい感じがするんですかね。弱さとか強さとか、その人柄が伝わってきやすいというか。スポーツ選手はみんなそうだけど、彼女の場合はそこにアイドル性が加わって、感情移入しやすいのかもしれません。

なんとなく、いいニュースを見させてもらった感じです。

涼風

曇り空の朝

2006年10月29日 | 日記



今朝も6時くらいに目が覚めました。早起きは気持ちいいけど、午前中ぐらいに眠たくなるかな?

窓からは、野球帽を被った小学校低学年ぐらいの男の子たちがリュックを背負って集まっているのが見えます。少年野球か?

子供でいることは、それが当たり前のことなので、それほど楽しくない。子供だって、大人からいろいろ「~しなさい」と言われ続けると、自分がしたいこととしなければならないことの区別がよく分からなくなります。

子供の親もまだ若いので、余裕が余りありません。余裕がある頃には、子供は大人になっている。

子供でいることは、そんなに楽しいことじゃありません。


涼風

世界に感動して家で落ち込む

2006年10月28日 | 絵画を観て・写真を撮って


少し前に、用事があって阪急神戸線の岡本駅というところで降りて歩いたのですが、狭い坂道で静かな環境で、品のよさそうな住宅が並んでいる所で、歩いていてすこし気持ちよかったのが印象的でした。

阪急沿線で降りることはめったにないのですが、駅から眺めていてもこじんまりとした、しかし昔から住宅が密集している感じで、石畳の道などもあり、とても雰囲気がよそうです。

一度、そこに出かけて写真を撮りたいなぁとよく思います。

岡本駅というのは僕の家から遠いわけではなく、最寄の駅から40分ぐらいです。でも、今まで電車に乗って写真を撮るためにわざわざそこまで出かけたということがないので、腰がすくんでしまいます。

写真を撮るなら、午前中の光があるときがいいかなぁと思うのですが、朝起きていきなり外に出て写真を撮りに行くというのが、なんだか怖い感じがするんですね。なんだか、そんなことしていていいんだろうか、とか。そんな風に時間を使っていいんだろうか、とか。そう考えると怖くなります。

そうこうしているうちに、どんどん時間が過ぎていってしまうのですが。


写真を撮っていて落ち込むことも最近はあります。緑のきれいさなどに感動してパシャパシャ写真を撮りまくっても、後から見るとなんだか退屈な感じの写真になっていると、は~っと。

その世界や環境のきれいさに感動してパシャパシャ撮っているのだから、写真の出来がよくなくてもそれはそれでいいように思うのですが、なんだか「あんなにきれいだったのに」という想いがして、それに対して“結果”としての写真がそれほどいい感じがしないのもがっくりです。

写真は楽しかったりするけど、徒労感も味あわせてくれます。


涼風

あと、こんな写真にはかないませんよ~。

バレエ 『「ジゼル」全2幕』

2006年10月27日 | バレエ

バレエの映像作品『バレエ「ジゼル」全2幕』ジャケット)を観ました。ボリショイ劇場での公演で、1990年に収録されたものです。ちょうどロシアが大変動を迎える直前の時期だと思うのですが、それでもこうやって優雅にバレエを鑑賞している人たちがいるというのも不思議です。


ジゼルを観るのは、僕は初めでだったけれど、舞台と衣装の色がとても見事です。前半のジゼルの住む森の中を現す舞台では、緑の中に淡い紅葉が混じり、村娘たちの衣装もそれに合わせたような柔らかくそして暖かい色です。

それに対して後半では一転して幻想的な夜の森を表し、暗いのに繊細な緑の森と、女性たちの白く透き通るようなドレスとが、静かで鮮やかな舞台を演出していました。

この劇は、話がとてもシンプルで、舞台もシンプルなのが、僕にはとてもよかったです。話自体を取り出すと、自分の好きな男が実は婚約していたと言う事実を知り、狂ってしまうという悲しい話なのですが、そのストーリもバレエという作品を見せるための道具立てに過ぎず、悲劇なのに美しいお話に見えてしまうのです。

とりわけ後半の女性ダンサーたちの群舞は、その幻想的な薄暗い舞台と、その中で映える白いドレスとのコントラストをより鮮やかに表現して、見ていてうっとりしてしまいます。

主役・準主役の人たちの踊りも見事でした。絶妙なコンビネーションでピタッと遭った踊りを見せ、当たり前のように高度な技(に見える)を繰り出していきます。

僕はまだまだバレエについては知らないことが多いのですが、ジゼルはとてもシンプルな構成であるだけに、とても親しみやすいバレエなんじゃないでしょうか。凝った演出もなく、鮮やかな色を見せる舞台とドレスのみで、ダンサーたちの華麗な踊りをそのままに見せてくれているように感じました。

とても楽しめた作品でした。


涼風

北海道日本ハム優勝

2006年10月27日 | スポーツ



日本ハムが日本一になりました。おめでとうございます。

ところで、「日本ハム」「日本ハム」と言っていると、「日本ハム」が日本ハムという会社のチームであることを忘れそうになりますね。

北海道という思いっきり首都圏から離れたところに本拠地がある点でも、なんだか「日本ハム」は日本ハムという会社のチームである前に、まず北海道の人たちのチームへとどんどん変貌を遂げているような印象を受けました。

福岡にしても、あれだけ東京から離れているので、企業のチームであると同時に、やはりその土地のチームであるという印象を受けます。

千葉もそういう感じがしますね。なんだか、近年になってから地方に移転したチームというのは、地元密着型チームのように見えます。

ファンの数なら、中日や阪神のほうが断然多いかもしれない。僕は阪神ファンですけど、でも、中日や阪神に比べると、日本ハムやロッテのほうがファンに愛されているチームに見えました。

僕はチームの数を減らすことには反対で、むしろ積極的に数を増やしてもいいんじゃないかと思う方です。でも、交流戦の数は増やして欲しい。パ・リーグの強いチームって魅力的に感じる。


涼風




これからいい季節

2006年10月25日 | 日記



昨日寝たのが1時過ぎ。今朝起きたのが6時半ごろ。それでも結構すっきりしています。昨日の夕ご飯後に少し寝たからかな。でも、早起きは気持ちいいですね。

今年の秋はかなり暖かいですね。10月でも、歩いていると汗が出てきます。10月というのは実は暑さが残っている季節かなぁとも思います。半袖を着るわけにも行きませんが、長袖では陽が暑く感じます。

でも、そうこうしているうちに、11月が来ます。これで本格的な秋になるんでしょうね。紅葉のきれいな季節ですね。

紅葉といえば思い出すのが、東京都の国立市の大学通りの紅葉です。以前にも何回か書きましたが、国立に住んでいたときに僕はこの大学通りを歩くのが好きで、夜などにも一人でよく歩いていました。

でも、もちろん夜だけじゃなく日中にも歩きます。その通りに植えられてある木々を眺めていると、ずんずん歩いていってもずっときれいな木々の葉が続き、とても気持ちよいものでした。

紅葉の季節では、とても鮮やかな色で通りが包まれます。最近はマンションが建ったり有名な駅舎が取り壊されたりと、いい噂を聞きませんが、今でも大学通りは気持ちいい通りだろうか。


涼風

『300万円で起業する、ゼロからの集客法』 神田昌典

2006年10月25日 | Audiobook


『300万円で起業する、ゼロからの集客法』というオーディオセミナーを初めて聴いたのは、もう半年以上前になります。話し手は経営コンサルタントの神田昌典さんで、神田さん自身がゼロから起業するためのノウハウを語っています。

このCDを聴こうと思ったのは、神田さんのCDセミナーは聴いたことがあるけれど、それは神田さんが誰かにインタビューするもので、神田さん自身のインタビューを聴いたことがなかったので、一度聴いてみたいなぁと思ったからでした。

神田さん自身の起業体験については、これまでも『非常識な成功法則』『60分間・企業ダントツ化プロジェクト 顧客感情をベースにした戦略構築法』『成功者の告白』、そして『あなたの会社が90日で儲かる!』、などで語られていましたし、このCDの内容もそれらの本と重複する部分が少なくありません。

それは逆に言えば、彼が「企業ではこれだけが絶対に重要」と考えていることは、かなりシンプルに原則化できるということなのでしょう。

とりわけ神田さんがいつも口を酸っぱくして強調するのが、「粗利」の計算の重要性。まるで、一つの商品につきどれだけ粗利を得られるかを考えなければ、ロマンを追い求めることはできても、ビジネスは成り立たないと言っているようです。

例えば、単純に考えると、商売と言うと“モノ”を売ろうと考えてしまいます。しかし、例えば千円の“モノ”を売るとき、一ヶ月の生活費を30万円として、一体何個売らなければならないか。要するに、30万円の粗利を得るには、千円のモノは何個売る必要があるのか。

粗利を半分としてみます。60万円の売り上げを月に上げるには、60万÷1000=600です。

素人が一人でビジネスを初めて、一ヶ月で千円のものを600個売るというのは、ビジネスについて知らない僕には、とても大変なことなんじゃないかと思えます。一日20個の売り上げが必要です。

しかも、生活費30万と言っても、そこから諸経費や宣伝費を引くと一体どれだけ手元に残るでしょう。その残った金額で、例えば家族を養っていけるでしょうか。

こう見ると、粗利半分というのは、ベンチャーにとってとてもきついことがわります。また、“モノ”を扱うことの大変さも分かります。

“モノ”を扱うことがビジネスとして成り立ちやすかったのは、“モノ”が昔は不足していたからなのでしょう。しかし“モノ”が溢れている現代では、他との差異をそのものがもっているかが重要になります。また、家族を養えるほどの利益を上げるには粗利を相当高く設定する必要があります。原価千円のものだと、価格を1万円にするひつようがあるかもしれません。1万円のものを月に何十個も売ることは、宣伝費なども考えると、ベンチャーには大変なことに思えます。

それゆえに、神田さんは安易に“モノ”を扱うビジネスには手を出さないことをいろいろなところで強調します。自分の熱い思い入れがあり、他とは違うモノを提供できる自信があり、かつ粗利を高く設定できるものならばビジネスとして成り立ちえます。しかし、普段から身の周りに溢れている安価な生活品などでは、それらは既存の企業がすでに市場を押さえているので、十分な粗利を得るほどの価格を設定することは困難です。

こうした考察から、神田さんは、こういうモノが溢れている時代だからこそ、自分の仕事(には限られないでしょうが)などでの経験を“知識”としてパッケージ化して売ることを提唱します。それであれば原価はただみたいなものですし、“知識”という不確定さのゆえに、その“固有さ”“特別性”をアピールしやすく、十分な粗利を得られるだけの価格を設定しやすいからです。

ただ同時に、その不確定さゆえに、“知識”を売るさいには、売る人自身の誠意が消費者によって試されます。

“知識”は、それが役に立つかどうかは、モノ以上に、それを買った人の使い方に左右されます。つまり、その“知識”自身が本物かどうかは、明確に確かめることは難しく、それだけにお客がその知識に納得するかどうかは、その知識を使った結果と同時に、それを売る側の態度・誠意にかかってきます。

そうした際に、神田さんがどういう行動をとったか、それは実際にCDを聴いてくだされば、神田さんの言いたいことがよく分かるのではないかと思います。またこの問題は、神田昌典さんと本田健さんの対談『小冊子を100万部配った、革命的口コミ術とは?』も合わせて聴くと、より興味深いものになると思います。

『300万円で起業する、ゼロからの集客法』は神田さんのかなりパーソナルな体験を語っているので、もちろんすべての人に当てはまることはないと思います。ただそれでも、ベンチャーを志す人が多い中で、気をつけておくべき点については、直截に述べられているのではないかと思います。

このCDでビジネスというものが全部分かるわけではもちろんないでしょうが、ビジネスというものの仕組みの一端が分かって興味深かったです。

SDメモリーカード

2006年10月24日 | 絵画を観て・写真を撮って


これまでカメラのことをまったく知らなかったわたしは、デジカメのメモリーカードはてっきりメーカー指定のものしかダメだと思っていました。

でも、ネットで少し調べてみると、べつに他のメーカーのものでも大丈夫みたい。

私の父が購入したデジカメはCanon IXY DIGITAL 60です。だからてっきりCanonが提示するメモリーカードでないとダメだと思っていました。

でもそれだと、容量128MBで1万2千円、512MBに至っては3万5千円前後です。なのでわたしは諦めていました。

でもどうやら純正品でなくてもメモリーカードは使えるという基本的なことを知り、調べてみると、3千円ほどで512MBのカードがありました。ハギワラシスコム HPC-SD512TP 512MB です。

3千円で割安のようだけど、わたしには低くない金額。でも、少しどきどきしましたが、衝動買いしてしまいました。

レビューをみても、IXY DIGITALとの相性もいいみたいなので、大丈夫そうです。

これでもっと高画質の写真を撮ることができます。どれぐらいの違いがでるのだろうか。

これを機に、デジカメの説明書・応用編という分厚い説明書をじっくり読んで機能を把握してみたいです。


涼風

静かな町

2006年10月23日 | 絵画を観て・写真を撮って


昨日は、新聞を見ると神戸方面は晴れということなので、写真を撮りに少し出かけてみました。家から歩いていける範囲は回ってきたので、電車で近くの駅へ。半日がかりで撮影旅行に行くのではなく、午前中に出てお昼には帰ってこれるぐらいの距離という目安で出かけました。

近くだけど今まで降りたことのない板宿駅という場所に降りたのですが、商店街や車が多くて、その日に自分のイメージしていた静かな場所と違い、すぐにまた電車に乗って帰ってきました。お昼には帰るつもりだったので、それからさらにどこかに行くことはせず、「今日はついてないなぁ」と思って諦めることにしました。

最寄の学園都市駅に下りて、ふと思ってそこから少し歩いてみました。学園都市駅のまわりは、たしか20年ほど前に開発されたニュータウンで、“近代的”なマンションや、新しい家が並びます。とは言っても、もうだいぶ時間も経つのかな。でもニュータウンらしく家やマンションや学校が秩序だって並んでいます。

私はこの辺りを歩いたことはなかったのですが、少し歩いてみます。ちょっと歩くと、マンションや住宅街に囲まれた、ちょっとした大きさの公園と遊歩道があり、歩いていてほっとしてきました。

私は“ニュータウン”という場所には少し違和感をもっていました。自然を切り開いて無理やりきれいに区画された街を作り上げた感じで、人間味がなく、息苦しくなるように思えたのです。

でも、昨日歩いた遊歩道は、土曜のお昼で静寂に包まれていて、ちょっといい感じでした。

歩いていると少し陽も差し、まわりの草や木や葉が色づき、写真を撮り始めました。

その後1時半ごろに家に帰って、食事をしてから机に座るつもりでしたが、歩いた疲れからか眠ってしまいました。


涼風

歩きにくいなぁ

2006年10月22日 | 見たこと感じたこと



わたしは神戸で生れて高校が終るまで過ごし、それから各地を転々とし、また神戸に戻ってきたけれど、それほど神戸のことを知っているわけではありません。

高校生のときまで神戸にいても、飲みに行く場所など大人が遊ぶ場所は当然知らないのです。神戸のデートスポットなんていうのも知りません。

高校生の頃に三ノ宮(神戸の中心)に行っても、いつも輸入盤が置いてあるタワー・レコード店に行き、12インチレコードをよく買ったりしていました。当時はCDとはべつに、12インチシングルというジャンルがあったのですよ。今は全部CDシングルに入っているのかな?

なので、三ノ宮でもそのレコード店以外の場所はろくに知りませんでした。今でもそんなに知らない。

「オルゼー美術館展」を観に神戸市立博物館に行くと、いわゆる「旧居留地」という場所を通ります。どういう歴史を持つ建物なのかよく知らないけど、“外人さん”が昔神戸港で仕事などをしていた場所で、“昔の洋風”な建物があります。

そう言えば、子供の頃に三ノ宮に行くと、母親に「三ノ宮には外人さんがたくさんいるのよ」と言われ、ホントに外国から来た人がたくさん歩いている場面に遭遇して、ポカンと眺めていました。

今ではそういう光景をむしろ見ないなぁ。欧米から来た学生風の人はよく見るけど、ビジネスマンは見ないような気がする。もっとも北野町なんかには欧米から来た母親と子供がよく歩いているから、お父さんも神戸で働いているのだろうけど。

先日「旧居留地」に行くと、なんだかブランド店が並ぶ場所となっていました。これはいつの頃からだろう?僕が子供の頃からあったのだろうか。それとも震災後?

いずれにしても、なんだか「旧居留地」がとても安っぽい場所になっているように感じました。それなりに高級そうなブランド店(よく分からないけど)が並んではいます。でも、こういう本来は歴史を感じさせることで魅力を醸し出すはずの場所に、おされだからという理由で資本が出店してきているのだろうけど、それによってかえって「旧居留地」という場所の魅力はなくなっているようです。

これは僕の偏見かな。ブランド店やそれを目当てに来るお客さんが多いと、「旧居留地」というのが、いい服を着たおしゃれなカップルや女性たちや親子連ればかりになってしまい、なんだかとても“ギラギラ”した場所になっているようです。欲と虚飾にまみれている感じで。みんなきれいな格好で、顔も化粧で表面は綺麗なんだけど、本当の顔が見えない感じ。やっぱり偏見かな。

でも、北野町にしても旧居留地にしても、日常とは違う雰囲気を出してこそなのに、ブランド店が占めることで、俗っぽい欲が彩る場所になっている気がする。


涼風


フラ語

2006年10月21日 | 語学



夏ぐらいからちょこちょことフランス語を勉強していました。でも、それはホントに少しずつです。でも、他のことをしているうちに時間を割かなくなり、長い間のお休みへ。昨日、久しぶりに、また少しやってみました。

こんなペースでは、初歩的な文法すら終えるのにまだまだ時間がかかる。

少しは時間をかけてきた英語やドイツ語ですら満足に使えないのに、少しぐらいフランス語を勉強してもどうするんだろう?という疑問も出てきます。疑問と言っても、誰かに強制されてやっているわけではないのですが。

どうしてしているのかというと、なんとなく気持ち悪いからですね。足の裏の米粒を取る感じというか。ドイツ語を使える人の多くは、フランス語もある程度知っていたりします。でも元来ものぐさの僕は、「まぁ、いいか」という感じで素通りしていました。このまま素通りしても誰も僕に何も言わないと思うのですが。

少し勉強しても、例えば大学の教養課程レベルの語学修得では本も読めないし、人の話を聴くこともできません。だから、本当に使いこなしたいなら、ある程度の時間を何年も投資する必要があります。それでも、上手くいくかどうか分からない。

だから、「ちょこちょこ」やって何になるんだ?という疑問も湧いてきます。

でも、まぁ、ちょこちょこやってみましょう。


涼風

『25年目のキス』

2006年10月20日 | 映画・ドラマ



昨日、テレビで『25年目のキス』という映画をしていました。ドリュー・バリモア主演の、多分1999年ごろの映画ですね。

内容は、一流新聞社で事務をしているOLのバリモア嬢が、初めて記者として仕事をするというもの。その仕事というのが新聞の一面記事を飾っている潜入取材。彼女は新聞社のトップから命じられてハイスクールに潜入することに。初めて記者として活躍できることに喜んだ彼女ですが、しだいに高校生の頃のコンプレックスを思い出します。

そのコンプレックスとは、ようするにダサくてモテなかったということ。がり勉だった彼女はまわりからいじめられ、男の子にもてず、悲惨な体験ばかりしていました。おそらくそのコンプレックスをバネに一流大学で勉強し、若くして一流新聞社の職を得たのです。

そんな彼女も高校生の頃を思い出すと、苦しくなるほど高校生のときのコンプレックスに悩まされます。

映画は、そんな彼女が高校生になりすましてやはり昔のような失敗を繰り返しながらも、学校内の美人グループ、ハンサムな男の子たちに近づいていく過程を追います。しかし、そうやって昔のトラウマを乗り越えてみると、そんな高校生の間でのグループ意識、差別みたいなものが、ちっちゃな世界のことでしかないことを悟ります。

子供たちは社会のことを知らないから、ハイスクールで周りから羨望される美人・アイドルグループがこの世の頂点のように思えてくる。しかし実社会に出ているバリモア嬢から見れば、高校生のときのそんな世界は、卒業パーティで終わりを告げる小さな社会に過ぎないのです。


学校というのは、朝から夕方まで毎日そこで生活しなければならないという意味では、とても息苦しい場所です。そこで毎日過ごしていると、世界はそこにしかないと思い込んでしまう。

そんな場所でイジメにあえば、自分のいる社会全体が自分を辱め貶めるように見え、毎日拷問の中で暮らすような感覚になるでしょう。これは、最近のニュースをみていると、僕の子供の頃から今でも変わらない傾向のようです。

大人からみれば、子供の頃は我慢しても社会に出れば自由になると言う人もいるかもしれません。

しかし大人になっても、視野が狭ければ、自分のいる会社・職場だけがこの世界と思い込みます。ひとたび今の職場を離れても、自分は思い通りに自由に生きていくことができると思える人は多くはないのではないでしょうか。多くの人は、現在は収入が安定していても、「もし今の職を離れたら、どうやって生きていけばいいのだろう・・・」という恐怖・不安をもっているように私は想像しています。

そんな思いでいれば、職場の雰囲気もどうしても苦しいものになるように想像できます。会社によっては、学校のイジメのような圧迫を加えられているかもしれません。でもそんな職場でも、学校に通う子供たちのように、その職場だけが世界だと思い込むと、自分の嫌な状況を甘受してしまうし、そこから抜け出そうという意欲をもてなくなる場合もあるでしょう。あるいは、そういう気持ちのときに強制的に外に放り出されたら・・・


高校時代のコンプレックスや学校のアイドルたちへの羨望は大人から見れば笑い話かもしれません。その頃の価値基準である「ルックス」は、大人になればそんなに大きな意味をもちません。しかしそのかわりに、「社会的威信」「収入」「身分」など別の要素が価値基準として人々の頭を占めるようになります。

そんな価値基準を、この映画の主人公のように、思い出して少し悲しくなりながらも、手放せたら、と思います。


涼風

技術と芸術

2006年10月18日 | 絵画を観て・写真を撮って


先日、三ノ宮(神戸の中心)の旧居留地街で写真を撮っていたのですが、やはりちょっと恥ずかしい。道を人が歩いていく中で、デジカメでじっと立って撮るというのは、「この人は一体何なんだ?」という感じかもしれない。

こういう時は、物欲と絡まって、「一眼レフがあればサマになるかなぁ」とか思います。プロ仕様のカメラとかをもつと、まわりの道行く人も「おっ」と思って尊敬のまなざしを向けながらよけてくれるかもしれない。

でも、私はデジカメの性能でまだまだ知らないことがあります。きのう、デジカメ入門書を読んでいると、「広角固定レンズ」とか「望遠」とか「補正」とか、よくわからない単語が出てきて、「画素数が500万では・・・」という話に至っては(・_・)…???という感じです。

しかしその本でまず印象に残ったことの一つは、

 ・デジカメを撮るときは、胸などに固定してブレを防ぎましょう。

でした。これは実践できます。

まずは、デジカメをフルに使いこなせるようになることが先決かな?説明書を読んだり機械の機能を覚えることは結構苦痛なんですけど。


デジカメでも、思いっきり使いこなそうとすると(という程大袈裟ではないけど)、バッテリーをもう一つ欲しくなります。写真を撮っているとわりと簡単に切れるんですよね。後、メモリーカードも大容量のものが欲しくなります。

でも、これだけでも揃えようとすると、充電池は一個4000円、メモリーカードは128Mで1万円以上もしますよ。デジカメと言えど、ちゃんと使おうとするとどんどん物入りになります。フォトプリンターのインクも切れたし印刷紙もなくなったし、と考えていくとあっという間に2万円近くになりそうです(・_・)・・・


涼風