joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

家の周りの見えない線

2007年01月06日 | 絵画を観て・写真を撮って
              “Bicycle on the ground in the evening sun”


写真を撮っていると、住宅街、それも比較的裕福そうな住宅街というのは、歩いていてとてもつまらなく感じます。

以前、東京のある高級住宅街の近くに住んでいたとき、僕はその周りを歩くのが好きでした。それは、大通りが気持ちが晴れ渡るようにすっきりした場所だったというのもあるし、その小奇麗な住宅街を歩いていると、豊かさを感じて楽しかったからです。

でもカメラを持ちながら歩いていると、高級(とまではいかなくても、少なくとも中流の)住宅街は、見るべきものもなく、ただ退屈です。また、歩いていると、家と道がはっきりと区分けされているように感じて、そのような住宅街に面した道はとても寂しく感じます。

それに比べて、それほど裕福じゃない家々や、寂れたコンクリートの団地は、歩いていて、家と周りの世界との間の敷居が低く感じます。

これは、お金をもっている人とお金を持っていないように見える人への僕の偏見なのだろうか?お金を持っている人には疎外感を感じ、お金を持っていないように見える人には上から見下ろしているような態度を取ってしまっているのだろうか?


お金がある人の家が集まっている所は、すべてがきれいに区画され、建物がしっかりしているので、建物と庭が“私有地”となっていて、その家と世界との間にはっきりとした見えない線が引かれています。

お金がなさそうな家々は、その家と別の家との間の境界が曖昧に感じて、草や花もレディメイドされたものではなく、自然に生えたものが多く、それだけ世界の一部のように感じます。


この感覚は何なんだろう。


涼風