joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

そうそう

2008年01月11日 | 語学
2005年にNHK教育で放送された『ハートで感じる英文法』が月曜の夜に再放送され始めました。

学校で教わった英文法で英語が嫌いになったという人にぜひ見て欲しい番組です。私はこの番組の講師の大西泰斗さんの本を読んで、英語の勉強を再開しました。

すでに英語はできるという人にも面白いと思います。

英英辞典

2007年10月16日 | 語学
とりあえずどの単語でもいいのですが、手元にある単語帳から一つ単語を選び出して見ます。

・entreat 嘆願する 懇願する

Their parents entreated them to drive more carefully. (両親は彼らにもっと慎重に運転するよう懇願した)

少なくとも僕にとっては、entreatというのは馴染みの薄い単語です。

でも、それを「懇願する」と聞いても、確かに意味は分かりますが、この単語のニュアンスはホントに伝わるのでしょうか?

「懇願」という言葉自体、日常的に使われる言葉ではありません。人によっては、国語辞典で調べる人もいるかもしれません。そういう言葉を訳語として当てられても、結局entreatの意味は分からないということになるでしょう。

今度は、この単語を英英辞典で引いてみます。

entreat: to ask somebody to do something in a serious and often emotional way(真剣な、かつしばしば情緒的な仕方で、誰かに何かをするよう頼む)

これは英英辞典なので、無理に単語に「日本語訳」を当てようとはしません。そうではなく、その言葉のもつニュアンスを伝えようとしているのです。

言葉の学習としては、やはり「訳語」よりも、英英辞典の方が、その言葉のもつイメージを生き生きと伝えるのだと思います。

そこでふと思ったのだけど、英英辞典を日本語訳したものって出ないのだろうか?

英英辞典のよさは、「日本語訳」を当てるのではなく、その言葉がもつ意味を色々な言葉を使って説明しようとしていることです。

entreatが英和辞典では「懇願する」のに対し、英英辞典では「真剣な、かつしばしば情緒的な仕方で、誰かに何かをするよう頼む」になるのです。それは、単に日本語の辞典と英語の辞典という違いではなく、言葉の説明のしかたの違いだと言ってよいでしょう。

だとしたら、英英辞典のように単語を説明する辞典を日本語訳で出してもいいのではないだろうか?あるいは、日本人でそういう辞典を新たに作ってみてもいいのではないだろうか。


「出張! ハートで感じる英語塾」が今日から始まる

2007年10月04日 | 語学
今日のNHK教育23時10分から、英語学者・大西泰斗さんの「出張! ハートで感じる英語塾」が始まるみたいです。

大西さんはすでに有名な英語の先生ですが、まだ彼の話を聴いたことがない人は是非見てみてください。

大西先生の、言葉と人間の感覚との深い関連についてのお話は、英語のみならず他のヨーロッパ言語を理解するうえでも大きな参考になるのではないでしょうか。

さらには、日本語を初めとして、そもそも言葉とは何なのか?ということを考える上でも大きな示唆を与えてくれるのではないかと思います。

Nodame Cantabileでお勉強 part5

2007年09月23日 | 語学
“Nodame Cantabile 6”では、Shinichiは大学4年を終えて大学院に行くことになり、Masumiちゃんはプロのオーケストラに行くことになり、Mine君はまだ進路が決まらず、Sオケのみんなは音楽の道を諦めて家業を継いだり、みんなそれぞれの道を歩もうとします。

そんな中、名古屋フェスで知り合ったヴァイオリニストのKiyoraが、NodameやShinichiたちの音大の大学院に来ることになりました。Kiyoraは彼女の師匠もその音大で教えることになったので、ついて来たのです。

KiyoraはShinichiの才能に惚れ込み、一緒にオーケストラを作ろうと誘い、Shinichiも即答でOKします。Shinichiは指揮ができる場所を探していたのです。

Kiyoraは自分の人脈で優秀(そう)なプレーヤーを集め、Shinichiと一緒にどうやってオーケストラを作るか作戦を練ります。その光景に微かな満足感を感じながらShinichiはこころの中で呟きます。


 This orchestra is being made from scratch.(“Nodame cantabile 6”p.188)

(今まさにオーケストラがゼロから作られようとしている)

・from scratch で、「ゼロから」「最初から」という意味になります。これはポピュラーな表現なんですかね。

scratchというと、「引っ掻く」という言葉ですけど、「最も初期の段階」という意味もあるんですね。



Nodame Cantabile 6 (Nodame Cantabile)

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ENGLISH@HEART講演会 「体感の文法」

2007年08月21日 | 語学


先日、英語学者・大西泰斗先生の講演会に行ってきました。

大西さんの〈イメージで理解する英文法〉については、『ネイティブスピーカーの英文法』など、研究社のネイティブスピーカー・シリーズでおなじみだと思います。また、NHKで放映され、DVDも出ている『ハートで感じる英文法』も書店の店頭でよく見かけます。

その大西先生が講演会で私の地元まで来ると知ったときは、やはり生で見たい!と思った。普段、講演会とかには興味は湧かないのだけど、大西さんの場合は著書も殆ど読ませてもらっているし、テレビで放映された番組もおもしろく見させててもらっていたので、一度ライブでお話を聴きたかったのです。

講演会の内容は、『ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力』でも取り上げられていた、SVOやSVOOなどの文型がもっているイメージについて話されました。つまり、具体的な単語や個々の文法がもつイメージではなく、もっとも基本的な英語の文章の形式がもっているイメージについてです。

その話は、知識としては自分は知っているつもりだったけど、やっぱり著者の話をライブで聴くと、先生が何を伝えたかったのかがよりはっきり分かった気がします。講演会に行ってよかった。

英語の話し以外で印象的だったのが、大西先生が、自分は今は何をするにしても「これは幸せかどうか?」を基準にして行きたい、講演をするにしても強制的に集められたのではなく自分から話を聴きたいと思って集まった人の前で話をしたいんだ、ということをおっしゃっていたこと。

あと、英文法をできるだけ専門外の人が分かる形で伝えて、多くの人の苦しみを取り除きたい。それが職業人としての自分の使命なんだという意味のことをおっしゃっていました。それは、自然に多くの人をよりハッピーにしたいという意味なのだと思います。

英文法という一つの専門の世界に打ち込んでいても、その狭い専門という道を通してできるだけ広い世界の多くの人に貢献したいということなのだと思います。

そういう生き方は、とても羨ましく、素晴らしいもののように思えました。

大西先生、スタッフの皆様、ありがとうございました。

Nodame Cantabileでお勉強 part4

2007年07月23日 | 語学
今日もNodameはChiakiの部屋に入り浸り、彼のパソコンを使っています。

そんなNodameをしぶしぶ受け入れているChiakiですが、まんざらでもないんでしょう。

二人の学校に行く時間。雨が降る中をふたりが玄関から出て行きます。


Nodame: Wow. It rains cats and dogs. (どしゃぶりの雨だ)

(“Nodame Cantabile 4”)

英語の世界では、犬と猫が「犬猿の中」とされているらしく、cats and dogsで騒々しい諍い(いさかい)がイメージされるそうです。というわけで、「騒々しく雨が降る」→「どしゃぶりの雨」となるんですね。

他にも

lead a cat-and-dog life (喧嘩ばかりして暮らす)

という表現があるそうです。


英語の発想 日本語の発想 2

2007年07月07日 | 語学

「自然の中で過す」

を日本語にするとすれば、わたし(たち)は、

live in nature

とか言ったりします。

でも、それは英語としては通じません。

適切な言い方は、

“spend times outdoors” “spend time in the mountains”

など、ということです。

(『竹岡広信の英作文〈原則編〉が面白いほど書ける本 (単行本) 』 p.29)

英語の発想 日本語の発想 1

2007年06月29日 | 語学
「視点を変える」という日本語を英語にするとどうなるでしょうか?





change viewpoints

とするのは、竹岡広伸さんによると、「日本語の発想であり、最悪」ということです。

その最悪の発想に近い発想をしてしまいました、私は。

より適切な英語は、

look at ... from a dififfernt point of view (differents point of view)

だということです(『竹岡広信の英作文〈原則編〉が面白いほど書ける本』p.24)。

あるいは

look at ... in a different way

など。

ヘルツで感じる独文法 1

2007年06月20日 | 語学
おこがましいタイトルをつけましたが、批判・補足・訂正大歓迎。

bestehen

・辞書の一番初めに載っているbestehenの訳は「存在する」です。

Das Geschaeft besteht schon fuenfzig Jahre.(その店はもう50年も続いている)

単に「存在する」というよりは、「持続する」というイメージですね。私には、この言葉には、何かこう、ドリルがぐりぐりと土の中を掘って進んでいるというイメージがあるんです。つまり、何もしなくても存在するのではなく、何かの力が働くことで存在している、というか。

このぐりぐりというイメージが生かされているのが、次の使い方。

・Japan muss staendig einen harten Exportwettkampf bestehen.(日本は絶えず厳しい輸出競争に打ち勝っていかねばならない)

bestehenが4格(~を)の目的語をとると、このように勝ち抜く・生き残るという意味合いが出てきます。やはり、bestehenは単に「存在する」のではなく、意志なり力が働いて存続しているのです。

このbestehenが前置詞と共に使われると、意味が広がります。しかしそこには、同じようにこのぐりぐりのイメージが生きています。

・auf et3 bestehenで「…に固執する」。

Er bestehet auf seinem Recht.(彼は自分の権利を主張して譲らない)

上記の文章でも「彼の権利」にぐりぐりとしがみついている様が見て取れるでしょう?

・in et3 bestehenで「…に(本質が)ある」。

Meine Arbeit besteht im Uebersetzen der deutschen Texte ins Japanische.(私の仕事はドイツ語のテキストを日本語に翻訳することです)

これも、単に「ある」「存在する」のではなく、in「~の中に」足場をつかんで存在しているというイメージです。

・aus et3 bestehenで「…から成り立つ、…で構成されている」

Wasser besteht aus Saerstoff und Wasserstoff.(水は酸素と水素から成り立っている)

「存在する」という言葉が、なぜこのように 「…から成り立つ、…で構成されている」という意味にもなるかと言うと、aus以下の構成物の力を借りる、あるいはaus以下の要素によって初めてぐりぐりと存続しているというイメージをこのbestehenが持っているからではないでしょうか。


では最後にもう一度。bestehenという単語を見かけたときは、これまで見てきたようなぐりぐりという感覚をその文章から読み取ってください。


(参照 『表現と作文 ドイツ重要動詞50』 白水社)

『竹岡広信の英作文〈原則編〉が面白いほど書ける本 』

2007年06月16日 | 語学
『竹岡広信の英作文〈原則編〉が面白いほど書ける本 』という本をしてみました。著者の竹岡広信さんは、『ドラゴン桜』の教師のモデルにもなったそうです。

私は英語のアウトプットに自信がなかったので、今回鍛えるべくやってみました。去年の夏から始めて、二回通してしてみました。一年かかったわけです。

この本の特色は、模範解答をできるだけ平易な英語を使って作っていること。難関大学の英作文の問題も扱っていますが、単語はおそらく中学生でもわかるようなものを使っています。

著者の竹岡さんは、ネイティブでなければ書けないような英語を学ぶのではなく、知っている単語を使って言いたいことの50%でも表現できるような、そういうトレーニングを与えることをこの本で目指したそうです。

簡単な英語を使って作文するというのは、日本語を英語に翻訳する際に、できるだけ英語の論理に置きなおすということを意味します。日本語の問題文につられて、そのまま当て嵌まるような英単語を探すのではなく、知っている簡単な英単語でも実は日本語で考えていることを英語で表現できるということを学ぶわけです。

だから、使われている単語自体は簡単でも、英語の発想を学ぶという点ではとても有益な本なのではと思います。

例えば、「一つ一つの文化財は、それを維持するために尽くしてきた数多くの人たちの多年の努力の結晶である」という文章を英語にしようとすると、「AはBである
」という文章の構造になっているので、私たちは A is B という文章で英作しようとします。この文章で言えば、「文化財+is+結晶」という文を作ろうとします。

しかしそのような発想は竹岡さんによれば英語の論理とは違うとのこと。彼の模範解答によれば、例えば

we should not forget that a lot of people who have been maiking great efforts to preserve many traditional buildings around us for a long time

という形がより英語の発想から見て適しているとのことです。

これは一例で、英語の形としてより適切な表現を作るための情報が、この本にはぎっしり詰まっています。あまりにも情報が多すぎて、真面目な受験生が一からこの本を読もうとすると途中で倒れてしまうのではないかと思います。それとも、若さでこの本を全部吸収してしまうのだろうか?

私は二回通して問題を解いてみましたが、それでも模範解答以外の情報にはあまり目を通しませんでした。受験生が書いてしまいがちな誤答の例も問題文ごとに書かれているのですが、そこまでも読んでいられませんでした。

この本がどれぐらい私の身につき、またどれくらい役に立つのかはまだ分かりません。とりあえず通してやってみて、それでもまた見直してみないと身につかないのではないかと思うぐらい、情報が詰まっているのです。

ただ、竹岡さんの意図とは違うのでしょうが、私自身は、この本は、細かな情報で止まらずに、模範解答をどんどん読んで、自分なりに英語になれるというようにすればいいのではないかと思います。

受験生であれば「間違い」に気をつけなければなりませんが、私たちの多くはすでにそれから解放されているわけですから、「間違い」を気にせずに、自分で英文を作ってみて、竹岡さんの模範解答を見て、自分の知識・感覚にフィットする回答を自分なりに作っていって、またそれを英語を使う場面で使ってみるというようにすればいいのではないかと思います。

Nodame Cantabileでお勉強 partt3

2007年06月13日 | 語学
Nodame Cantabile の3巻では、ドイツから来た有名指揮者シュトレーゼマンからchiakiがついに教えを受けること認められます。シュトレーゼマンは音大の学生たちから自分で学生をチョイスして「Sオーケストラ」を組織しますが、そこに千秋もアシスタントとして参加することになりました。

「Sオケ」のメンバーたちがが音大の試験で苦しんでいる時、千秋はほとんどの試験を終え、シュトレーゼマンの前でピアノのレッスンを受けています。しかし、早く六本木のクラブで遊びたいシュトレーゼマンは、さっさとレッスンを切り上げようとします。


Stresemann: I get bored waiting for everyone to finish the exams.(みんなが試験を終えるのを待つのは疲れました) Let's go up kick our heels... ...at Club One More Kiss!

Chiaki: Is a teacher supposed to say that...? (それが教師の言う言葉ですか?) 

(p.8)

kick up one's heels とは、「ふざけ回る;楽しく時を過す」という意味ですね。シュトレーゼマンは千秋を夜遊びに誘っているわけです。


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コントラバスのさくらは、お父さんが会社経営に失敗してビンボーになったため、学費のためにバイトをしなければなりません。しかし、音大の学費を稼ぐためにバイトをしているために、音楽の練習ができないという状態です。

さくらの家は借金を抱え、母親もパートに出ており、両親はさくらにも働いて欲しいと思っています。しかしさくらは、コントラバス奏者になるという夢を諦めることができません。さくらはのだめに自分の本当の夢を語ります。


Sakura: My parents want me to get job. But I want to study abroad. (親は私に働いて欲しいのだけど、でも私は外国で勉強したい) Truth be known.

(p.57)

最後の文章は、if (the) truth be known [told] (「本当のことを言うと」)という成句の省略形ですね。

ここではtruthに対するbe動詞の現在形 is も、あるいは過去形 was も使われていません。つまり時制による限定が文章に加えられていません。

時間という限定を受けないということは、この truth be known 「真実が知られる」ということが、実際に起こった出来事ではないからなのでしょう。

そうではなく、純粋に仮定として、「…なら」と言いたいので、原形beが使われているのだと思います。

「もし過去にそうなっていたら・・・」と言いたいときは仮定法過去(or過去完了)を使います。また「将来にそのことが起きるなら」というニュアンスを込めたいときは、if節の中に現在形かwillあるいはbe going toを使います。

しかし truth be known と言うときは、「真実が知られる」ということがそのように実際に起きるということを全く考えずに、純粋な仮定(一般論)というものを話者は表現したいのだと思います。


“Nodame Cantabile” でお勉強 2

2007年06月11日 | 語学


“Nodame Cantabile”の2巻では、MasumiちゃんとNodameが、Chiakiをめぐってバトルすることになりました。クリスマス・イブにChiakiとデートした方が勝ちです。

Masumiちゃんは有名な指揮者(Inzaghi)のコンサートチケットを手に入れ、それを友達のヴァイオリニストMineに見せます。

Mine: Wow,impressive! This is a premier ticket, right?

Masumi: This is special so I went all out! I wonder if Chiaki-sama likes Inzaghi?

Mine: Yes! Of course! He has a soft spot for great performers.

Nodame Cantabile 2 p.27)


・ go all out (to do)は、「(…しようと)全力を挙げる」という意味。

・ have a soft [weak] spot [place] for … は、「…が大好きである、…には弱い」という意味になる、とのこと。soft spotには、「感じやすさ」というニュアンスや意味があるそうです。

『フラ語動詞、こんなにわかっていいかしら?』 清岡 智比古 (著)

2007年06月03日 | 語学
『フラ語動詞、こんなにわかっていいかしら?』を読みました。

この本は、フランス語の動詞の活用を説明したもの。「説明」と言っても、何か論理的な法則を解説しているわけではなく、フランス語の主な動詞を活用に応じて分類して、それぞれの活用のパターンを紹介しています。

それだけだとよくあるタイプの語学の入門書なのですが、この本が他と違うのは、その活用の覚え方を音読させることで読者に効果的に身につけさせるところ。

いくつかの活用のパターンがフランス語の動詞にはありますが、そのややこしい印象が、音読することで薄れていくから不思議です。声に出して何度も読むことの力を思い知らされる本です。

私もフランス語の動詞に対して心理的な敷居をとても低くしてもらった感じです。

興味のある方は是非手に取ってみてください。

“Nodame Cantabile”でお勉強

2007年05月23日 | 語学



洋書でペーパーバックの“Nodame Cantabile 1 ”を読んでみました。

ひー、面白い。こんなに面白いマンガだったのか。

日本語で読んだほうが大笑いできたのかもしれませんが、英語でも十分面白さが伝わってきます。

これは英語版です。

英語でマンガを読んだのは初めてですが、これは語学学習の教材としてかなりのスグレモノなんじゃないでしょうか。

なんと言っても、日常会話の英語の生き生きとした感覚を読んでいてとても感じるのです。

僕は英語圏で暮らしたことがないけれど、読んでいて「あぁ~、生の英会話ってこんなんだろうな」と思いました。

「英会話」のための学習書を読んでも大抵つまらないですよね。そういう人には是非お薦めです。笑いながら、どういう場面でどういう言葉が使われるものなのかが分かります。

to+動詞の原形の謎

2007年05月18日 | 語学
英語の to+不定詞 と、~ing との違いを、大西泰斗さんは次のように説明しています。

I like playing with my kids.
I like to play with my kids.

日本語に訳せば、どちらも「子供と遊ぶのが好きだ」になります。

しかし、playing with my kids は、まさに生き生きと子供と遊んでいる姿を思い浮かべるときに使う言葉なのです。~ingとは、「進行形」ですが、この「進行形」は、まさに今その場所で動作が行われている臨場感を表現します。

たとえばbe動詞 + ~ing とは、be動詞という「事実」を表す動詞と、~ingという「ワシャワシャワシャ」とした臨場感のある動きのある表現を結びつけて成り立っています。

I like playing with my kids.

は、そのように子供と遊んでいる情景をリアルに思い浮かべるときに使う表現だといえます。

それに対して

I like to play with my kids.

のto play with my kids には、大西さんに拠れば、playing~のような臨場感を話者は感じていません。

to+不定詞 は、もっと無気質な、具体的な情景とは結びつかない、「一般論」というニュアンスを帯びています。「そもそも子供と遊ぶこと」というニュアンスです。

このようにplaying with my kidsもto play with my kidsも、どちらも訳は同じなのですが、では何が違うかというと、その言葉を使っているときの話し手の感覚に違いがあると言えます。

これが大西さんの説明なのですが、最近私はある方が書いた文法書で次のような説明をみかけました。その方の説明によれば、

to+不定詞と~ingとの違いは、to+不定詞の場合、それは「未来」に行われることを表現しようとしているのに対し、~ingは自分が経験したことのあることを表現している、ということです。例えば

It's very hard to cook it.
Cooking is very hard.

これも、日本語訳は同じになります。しかし、その方の説明によれば、

「to+動詞の原形」は、主語のときは「これから~するとすれば」を意味する。

「動詞ing」は、「これまでやってきた動作」と「これまでやってきた動作をこれからも~すれば」を意味する。

とのことです。

この説明を読んだとき、私は「おお、そうかぁ!」と思いました。

大西さんの説明も分かりやすいのですが、もう一人の方の説明を読んだとき、私はingとto動詞原形との違いがより分かった気がしました。

上の説明では、「主語のときは」という限定がついていますが、主語以外のとき、例えば「主語みずからが動いて~する」「~して~する」を意味する動詞で「動詞+to不定詞」の形を取る場合も、to不定詞は、「これから~する」という意味を表現します。例えば

Please remember posting the letter.

上の文章では、「手紙を出したことを覚えていて」となるのに対し、

Plaese remember to post the letter.

では、「手紙を出すことを覚えていて」となります。

別の例としては、

I stopped eating hamburger.

は「ハンバーガーを食べるのをやめた」となるのに対し、

I stopped to eat hamburger.

は「ハンバーガーを食べるために、立ち止まった」となります。

ここでも、動詞ingが、「それまで行っていて、それ以降も続くであろう動作」を表現しているのに対し、to動詞の原形は、「これから行うこと」を表現しているのです。


しかし大西泰斗さんは、『英文法をこわす』の中で次のようにおっしゃっています。「しばしば「toは未来志向である」という主張が見られる。…しかしこの議論はいささか乱暴だ」と。

例えば 

I want to go to the zoo.

のto goを「未来の出来事」と呼ぶことはできます。しかしこれがそう見えるのは、wantの「~したい」という意味自体が、未来を指し示すからであって、to goそれ自体に「未来」の意味があるわけではないとのこと。

例えば上に上げたもう一人の文法書を書いている方は、先ほど述べたように、「自動詞+to不定詞」は「~して、これから~する」という「未来」の意味を表現すると説明されています。

例えば、come, go, run, swim, walk, forget, remember, climb, start, stopなどにto不定詞が続いた場合ですね。その場合に「~して、これから~する」の意味が出てくるのは、二つの動詞をtoで関連させることによって、その二つの動詞の因果関係をハッキリさせているためです。

I remember to see you.
Dont't forget to do homewok.
He is running to catch the train.
She starts to date with him.

どれもto不定詞は「未来」を表現しています。ただ、これらが「未来」を表現するのは、come, go, run, swim, walk, forget, remember, climb, start, stopなどの動詞が自動詞として最初に主語の動作を表現しており、to不定詞はその最初の動作を主語に行わしめている原因を表したり、あるいはその動作を補足して説明する機能を担っているからです。

何を言いたいのか、読んでいる人は分かりにくいと思うのですが(書いている私も分からなくなってきた)、私には、大西さんの言い分は正しいように思えるし、もう一人の方の言っていることも正しいのだと最初は思いました。

ただ、大西さんが、to不定詞の機能一般を説明しようとしているのに対し、もう一人の方は、to不定詞が主語になる場合、あるいは「自動詞+to不定詞」の場合のto 不定詞の機能を説明されようとしています。

大西さんが言うように、

He is easy to please.
It is kind of you to take care of us.
I was shocked to hear the news.

などの表現では、to不定詞は「未来」を表しているは言えません。

あっ、It is kind of you to take care of us.では、to以下の文章は主語だけれど、to以下は「未来」というよりも、過去に行われた事実を表現しているな。