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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 2

2007年01月30日 | Book

             「白い花と濃緑の葉」


『ユング自伝』 C・G・ユング(著) 1 からの続き)


「神経症」を癒す「もう一人の自分」

ユングによれば、外面的な成功や既成の常識にとらわれることは神経症となりやすく、彼らは結婚、地位、名声、あるいはお金を求め、それを手に入れても不幸かつ神経症的な状態のままです。そのような人たちに本来必要なのは、その人たちの意識が知らないもう一人の自分が教えるメッセージを読み取り、本来の自分=個人となることです。「もし彼らがもっと広い高邁な人格へと発達できるのなら、神経症は一般に消失する」(上p.204)。

ここでユングは、神経症とは「現代」の病であり、神的なものとつながっている「もう一人の自分」との接触を多くの人が失い、社会的・人為的なレール(ヴェーバーが「鉄の檻」と呼ぶもの)が強固になったために生じていると言います。彼によれば、その人々が神話によって「祖先の世界」とまだ繋がっていたり、「真に体験され単に外側から見られたのではない自然」との繋がりもまだもっているような時代と環境に生きていたら、「自分自身との分裂」を経験せずにすんだだろうと指摘します(上p.209)。

ユングは、夢などで語りかけてくる“もう一人の自分”のメッセージを治療に応用する際に大切なのは、夢などを通じた無意識によるメッセージを人格化することによって自分自身と区別し、同時にそれらを意識と関係づけることだと言います。それにより無意識的な内容はその存在を認知され、意識と統合され、その力を失うといいます(上p.267)。


主観と客観を統一する“創造”

“個人”としての本来の自分を患者ではなく自身の中に見つめようとした際、ユングは自分の幼児期の記憶を辿り、積石の玩具で家や城を建てた経験を思い出します。彼はその記憶が「相当な情動」を伴っていることに気づき、次のように呟きます。

「これらのものは未だ生きながらえている。少年は未だ存在していて、現在の私に欠けている創造的な生命を所有している」(上p.249)。

彼は自分の中の「少年」にもう一度接触するために、石を拾い集め、城や家をこしらえ村を作ろうとしました。彼は、その活動が、自分の中の“何か”に触れることを可能にし、それを手助けとしていくつかの論文を書いたことを記しています(上p.250)。

後年にユングはあの有名な「ボーリンゲンの塔」と言われる物を石で作ったが、彼にとって石との接触とそれによる創造活動は内面の外界へのあらわれであり、内面と外面とが容易には区別しえないことを表現しているものでした。つまり創造とは内面の“何か”に突き動かされることであり、同時にその内面が外的な形となってあらわれることです。その創造の結果である物には、内面と外面の区別を超越した世界の法則が表れます。ユングはそのボーリンゲンの塔に、かつて彼が石に感じたような世界の根源的なものを感じます。

「時には、まるで私は風景の中にも、事物の中にまでも拡散していって、私自身がすべての樹々に宿り、波しぶきにも、雲にも、そして行き来する動物たちにも、また季節の移り変わりにも、私自身が生きているように感じることがあった。塔のなかには何一つとして十年の歳月を経ぬものはなく、また私とのつながりをもたないものはなかった。そこではすべてのものが、私との歴史を共有し、その場所は引き篭もりのための無空間的な世界なのである」(下p.38)。


宇宙との合一

このように自分の存在が万物と溶け合う感覚は、ユングが繰り返し経験していることで、また彼はその経験をとても重視しています。ユングはインド洋のベンガル湾沿岸を訪れた際に、岩石の中をくりぬいて作られた礼拝堂に入ったときの経験を次のよう述べますが、それは彼が石との語らいに関して上に述べたようなものと同じ経験です。

「私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。私はすべてが脱落して行くのを感じた。私が目標としたもの、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。…それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったことのすべてで、それらのすべてがまるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、わたしがそれらそのものだといえるかもしれない。いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っていた。私は私自身の歴史の上に成り立っていることを強く感じた。これこそが私なのだ。「私は存在したもの、成就したものの束である。」(下p.126)。

この記述の後でユングは、上記のような経験と関連する、心筋梗塞による意識喪失・譫妄状態に陥った際に見た幻像ヴィジョンについて説明しています。ユングによるその幻像の細部にわたる具体的な描写は省きますが、この幻像体験を彼は次のように述べます。

「まるで私は恍惚状態エクスタシーにいるようであった。私は、あたかも宇宙空間を浮遊しているように、また宇宙という子宮のなかで安心しきっているかのように感じた。――そこは途方もない真空状態であったが、しかしあらんかぎりの幸福感に満たされていた――」(下p.130)。

「これらの経験はすべて荘厳であった。夜ごとに私は至福状態にただよい、「森羅万象の心像に、取り囲まれていた」」(下p.132)。

「このような経験がありうるとは、想像すらできなかった。それは想像の産物ではなかった。幻像も、経験も、本当に現実であった。それらについて主観的なものは何もない。それらはすべて、絶対的客観性を持っていた」(下p.133)。

これは、わたし(たち)のような人にはどのような体験なのか分かりづらい。いや、想像はできるけれども、それが誰にでも訪れる経験とか、その経験が客観性をもつということは信じるのは簡単ではないユングの体験です。しかし彼にとってこの経験は、人の心の病の治療に携わってきた経験から、心の解放をもたらすものです。彼は次のように述べます。

「この夢や、幻像のなかで私の経験した客観性は、完成していく個性化の一部をなしている。この個性化とは、価値判断とか感情的結合と呼ばれているものからの離脱を意味している。感情的結合は人間にとって、一般的にはきわめて重要なのだが、しかしそれは投射を含んでいて、自分自身や客観性に到達するためには、この投射を棄て去ることが肝要である。感情関係は、強制と圧迫との入り混じった、欲望の関係であって、その関係では他人から何か期待されていて、それが他人も自分自身をも窮屈にしている。客観的な認識は感情関係の背景に隠れ、その認識は中核的な秘密であるように見える。客観的認識によってはじめて現実的な合一が可能である」(下p.135)。

神秘的体験による癒し

ユングの体験がオカルト的で妄想にすぎないとしても、彼の体験を共有できない人にとって重視すべき点があるとすれば、彼の神秘的体験には、彼の言う「感情的結合」「価値判断」という多くの人を悩ませている心の動きから、人を解放させる作用があるという点です。「オカルト的体験」を支持する人と、それを拒否する人ととの間で対話が成り立つとすれば、その体験の客観的な正しさだけではなく、その体験が当事者にどういう影響をもたらしたかを見ることが重要なのでしょう。

そのような「オカルト的体験」により“教祖”が“信者”を金銭的・心理的に搾取したり、その「オカルト的体験」を信じない人を「地獄に落ちろ」と脅したりすることがあれば、それはまさに妄想であり、恐怖支配です。

逆に恍惚体験により他者への寛容さが増したり、自らの人生の苦しみを受容できたりするのなら、その体験はその人にとって大きな価値を持ち、また他者が耳を傾けるべき体験となります。

ユングは自ら恍惚の体験が自分にもたらした変化について次のように述べます。

「…病気によって私に明らかになったことがあった。それを公式的に表現すると、事物をあるがままに肯定するといえよう。つまり、主観によってさからうことなく、在るものを無条件に「イエス」といえることである。実在するものの諸条件を、私の見たままに、私がそれを理解したように受け入れる。そして私自身の本質も、私がたまたまそうであるように、受け取る」(下p.136)

 「病後にはじめて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。このようにして私は、どんなに不可解なことが起こっても、それを拒むことのない自我を鍛えた。つまりそれは真実に耐える自我であって、それは世界や運命と比べても遜色がない。かくして、敗北をも勝利と体験する。内的にも外的にも、かき乱すものは何もない。それは自己の持続性が、生命や時間の流れに耐えているからである」(下p.136)。

 「私はまた、人は自分自身の中に生じた考えを、価値判断の彼岸で、真実存在するものとして受け入れねばならないと、はっきり覚った。もちろん、真偽という評価の範疇はつねに存在しているが、しかしそれらには拘束力はなく、副次的なものである。したがって思惟の存在が、われわれの主観的判断よりも重大である。しかしこれらの判断も決して抑圧されてはならないのであって、判断もまたわれわれの全体性の現れに属している」(下p.136)。

こういったことを“言う”ことは比較的簡単であり、実際にこのようにすべてを受け入れることは難しいものです。またユングがその境地に達したかどうかは、ユング以外の人にはわかりません。ただ重要なのは、他者がこのような境地に達することを人間の理想と考える場合には、そこに至る道を考える上で、ユングの考えは無視できないものである可能性があります。

このような超心理学的な言説が科学的な論証に耐ええないことを彼は認めます。ただ同時に、治療に携わった経験から、神話などを用いた無意識の探求が患者にとって価値を持つことをたえずユングは強調します。例えば「死後の生」という考えについても、それが合理的な反論には耐ええないことを認めつつ、多くの人は「死後の生」を信じることで、「より意義深く生き、よりよく感じ、より平穏」になることを指摘します(下p.140)。

ユングは、「死後の生」のような神秘的な考えがもつ意味について、次のようにも述べます。彼は母親が死ぬ前日に彼女が死ぬ夢を見ます。悪魔のようなものが彼女を死の世界へとさらっていったのです。しかし彼女をさらった悪魔は、じつは高ドイツの祖先の神・ヴォータンでした。ヴォータンはユングの母を、彼女の祖先たちの中に加えようとしていました。この高ドイツの神・ヴォータンはユングによれば「重要な神」「自然の霊」であり、あるいは錬金術師たちが探し求めた秘密である「マーキュリー(ローマ神話の神)の精神」として、「われわれの文明」の中に再び生を取り戻す存在でした。しかしその「マーキュリーの精神」は歴史的にキリスト教の宣教師たちにより悪魔と認定されていました。

ユングにとってこの夢は、彼の母の魂が、「キリスト教の道徳をこえたところにある自己のより偉大な領域に迎えられたこと」を、そして「葛藤や矛盾が解消された自然と精神との全体性の中に迎えられたこと」を物語っていました。

母の死の通知を受け取った日の夜、ユングは深い悲しみに沈みつつも、心の底の方では悲しむことはできなかったと言います。なぜなら彼は、結婚式のときに聞くようなダンス音楽や笑いや陽気な話し声を聴き続けていたからです。彼は一方では暖かさと喜びを感じ、他方では恐れと悲しみを感じていました。

ユングはこの体験から、死の持つパラドックスを洞察します。母の死を自我の観点から見たとき、それは悲しみになり、「心全体」からみたとき、それは暖かさや喜びを感じさせるものになります。

ユングは「自我」の観点からみた死を、「邪悪で非情な力が人間の生命を終らしめるものであるようにかんじられるもの」と述べます。

「死とは実際、残忍性の恐ろしい魂である。…それは身体的に残忍なことであるのみならず、心にとってもより残忍な出来事である。一人の人間がわれわれから引き裂かれてゆき、残されたものは死の冷たい静寂である。そこには、もはや関係への何らの希望も存在しない。すべての橋は一撃のもとに砕かれてしまったのだから。長寿に価する人が壮年期に命を断たれ、穀つぶしがのうのうと長生きする。これが、われわれの避けることのできない残酷な現実なのである。われわれは、死の残忍性と気まぐれの実際的な経験にあまりにも苦しめられるので、慈悲深い神も、正義も親切も、この世にはないと結論する」(下p.158)。

しかし同時に夢は、母をヴォータンの神が死を通じて祖先たち下へつれていったと教えます。死は、母にとって、またユングにとって、喜ばしいものであると夢は教えます。

「永遠性の光のもとにおいては、死は結婚であり、結合の神秘である。魂は失われた半分を得、全体性を達成するかのように思われる」(下p.158)。

このような夢や神話を用いた想像は、それを合理的な世界観によって完全に切り捨ててしまうとき、人は「教条主義的な固さの餌食」となります(本来、合理性とは教条主義から脱するための一つの方法だったのですが)。また同時に、安易に神話や夢・暗示に頼りすぎると、漠然とした暗示を実体的な知識ととりまちがったり、たんなる幻を本質として考えたりします(下p.158)。

ユングがこのような神話や夢を重視する理由の一つは、それらが既存の常識や価値観ではない方向性を人間が手に入れるための手段となりうるからです。ひょっとすると、20世紀初頭においてますます強固となっていた官僚制社会において、それらに対抗する価値観を求める気持ちから、夢や神話に重要性を付与したのかもしれません。

ですから、夢や神話を絶対視すること自体は、おそらくユングにとって本意ではないはずです。「オカルト」として夢や神話が一つの権威となり、それらに従うことがルールとなるとき、まわりの価値観ではなく自身の内的なものが示すものにヒントを得るというユングの最初のモチーフは裏切られることになります。

重要なのは、(完全に達成することは不可能だとしても)どれだけ既存の常識を疑い、自分の中の静かな声に耳を傾けることができるかです。夢や神話に頼りすぎる人にとってはリアリスティックな物の見方が必要となることもあるでしょうし、その逆もあります。ユングが言うように、ユングにとって役に立つ治療法は、彼以外の人には全く役に立たないこともあるのです。夢や神話は、それ以外の価値観に振り回されている人にのみ、またそういう人が多い時代においてのみ、役に立つのかもしれません。つまり大切なことは、自分が見失っているものをたえず発見し続ける意欲です。

そのように自分が見ていなかったものを見続けることにより、またそれら既存の価値観や夢や神話が何を自分に教えているのかを問い続けることにより、その人は自分の“個性”に耳を傾けていることになります。

こにユングの自伝を読んでいると、彼があまりにも神話を重視し、夢の解釈に没頭している様に戸惑います。普通の人には彼のように夢を解釈する発想はもちえないし、その方法をマスターできるのも、すべての人ができるというわけでもないでしょう。

ただ、“内的”なものに耳を傾ける作業をする際には、夢や神話を頼りにせざるを得ないのでしょう。それら夢や神話は根拠がなく、不確実であり、それが教えるものを読み取る作業は誰も失敗に失敗を重ねるのでしょう。ユング初心者にとって不満があるとすれば、この本にはそのような解釈の失敗を彼が多く述べていないことにあります。

夢や神話を参照すればそれでいいわけではなく、そのような不確実なものを使いつつも、人はたえず自分の人生にあう方向性は何かを問い続けざるを得ません。むしろ“個性化”は、そのような解釈の失敗を重ねながら、相貌を見せてくるようなものではないかと想像できます。

そういう私の印象に比べれば、ユングはあまりにも自分が見出した“元型”“神話”に自信を持ち、それがすべての人にあてはまると考えているようにも読めます(そのことを否定してはいるけれど)。

私の今の印象では、彼の思想を継承する人はつねに表れながらも(ニューエイジのように)、ユングの思想が完全に人々に受け入れられることはこれからもこないと思います。またすべての人がユングの世界の説明を受け入れる必要ももちろんないのでしょう。

ただ、そのような偏向がもしユングにあったとしても、不確実なものに耳を傾けることの大切さを説いたことは、目に見えるもの・確実なものだけで議論することは他者への非寛容を強める危険があるゆえに、今の私たちにとっても重要なのではないかと思います。


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