joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「ニベアソフト・スキンケアクリーム」

2005年11月30日 | 衣料・生活用品と関連して

冬になるとぼくはクリームが手放せません。すぐに手が荒れてアカギレができるのです。トイレに何度も行きたくなる性質なので、手を水で洗うごとにもう一度クリームを塗ります。なんだか一日中クリームを手に塗っています。

それでもアカギレができて、今も3箇所に絆創膏を貼っています。

なやましい冬です。

今使っているクリームは「ニベアソフト・スキンケアクリーム」です。メーカーは花王。

そういえば今日紹介した天外さんの『人材は「不良(ハミダシ)社員」からさがせ―画期的プロジェクト成功の奥義』では、画期的開発を生み出す良い事例として花王の研究現場が取り上げられていました。

1988年の著書の話ですが、花王の研究所では各個人の机というものがなく、みんながチームとして動く雰囲気が作られているそうです。さらにその研究所のモットーが、「上司の言うことを聞いてはいけない」というもので、研究員の立場はみな平等で、すべての人が階層を越えて研究所の長にモノが言える体制が採られているそうです。



涼風

人材は「不良(ハミダシ)社員」からさがせ―画期的プロジェクト成功の奥義』

2005年11月30日 | Book

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┃--「仕事のヒント」神田昌典365日語録--

 No.135
キーワード:
依存させることによって、その人をコントロール
したいという自分のエゴに気づけ。

解説:
多くの経営者が、人を依存させることで
社員をコントロールしようとしている。
ほとんどの会社が年商10億円を超えられない理由
がここにある。年商8億円までいった会社が、
来期は10億円を目指すぞと言ったとたん問題が起こり、
年商5億円に逆戻りする。そんなことが頻繁に起こる原因は
社長が社員を依存させようとする無意識の行動パターン。



 No.136

キーワード:
家業から企業に成長させたいなら、
社員を依存させるというゲームをやめること。

解説:
ゲームをやめると、自分が育つかわりに、社員が育つ。
社員は自ら工夫をして、自らの方法で目的を達成するようになる。
一級のマネージャー(管理者)が育ち、社長は出社する
必要がなくなる。自分で決断し、自分で実行したことが
うまくいくことで社員は急速に成長する。

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『人材は「不良(ハミダシ)社員」からさがせ―画期的プロジェクト成功の奥義』という本を読みました。最近は著者の天外伺朗さんの本をよく読みます。

この本が書かれたのは1988年。ちょうどバブルの時代ですね。ただこの本にはそんな浮ついたところはなく、むしろ大企業の問題点があぶりだされています。現在のソニーの困難を天外さんは分かっていたのかもしれません。

話は分かりやすく、自身のソニーでのコンパクト・ディスク、コンピュータのワーク・ステーション「NEWS」の開発を通して、どのような社員・管理者・チームが画期的開発を成し遂げるかを説明したものです。いや、正確にはどのような人が画期的発明を妨げるのかを告発したものです。

単純に言えば、上司や会社の方針に沿って言われたことをマジメにこなす大企業特有の優秀社員ほど、革命的な開発の妨げになるそうです。なぜなら、会社全体の円滑な運営を第一にする「いい子」社員は、その運営から外れるプロジェクトの意義を見出せないからです。

しかし、会社、それも大組織が考える方向性とは、自然に「大きな損失を出さないもの」となります。それは組織に損害を出しては多くの人に迷惑がかかるということもあるし、組織で出世するには大きなミスを犯してはいけないと考えるからです。

ただ、そのような方向性からは当然「画期的」な商品は出てきません。リスクを犯していないところから革命的な発想は出てこないからです。

きっと組織が大きくなるほど、中にいる人は「組織」「集団」という観念を抱え込み、その観念につぶされて自由な発想ができなくなるのでしょう。

こういう話は大企業に対する一般的なイメージですが、まさにそのイメージ通りの病が大企業に実際に存在することを著者は指摘します。

それに対して、当然のごとく画期的開発を成し遂げるのは、会社全体の方向性・上司の目を気にしない「不良社員」ということになります。著者によれば、「NEWS」を開発した9人はその「不良社員」だったということです。

この「不良社員」のチーム運営に関する叙述で著者は興味深いことを言います。このような技術者集団が画期的プロジェクトを進めいていると、必ず「いい子」社員がそのプロジェクトを妨害してきます。それは目に見える形のときもありますし、表面上協力的でいながら妨害することもあります。

その表面上協力的というのは、たとえば「いい子」社員がそのプロジェクトのリーダーとなったとき。彼は画期的開発を進める「不良社員」チームのリーダーなのですが、その開発に様々な“指示”を出します。この指示は、本人はチームのためと思ってやっているのですが、外から見れば単にその開発がどういう方向に進むかが不安なことが原因となっています。

天外さんは、指示を多く出す人ほど視野が狭いと言います。つまり、他人の行動を縛るのは他人の行動がつねに自分の視野の中になければ不安だからです。本来は開発とは、そして会社運営とは、会社の外の環境に向かってどういうメッセージを発信するかが重要です。つまり本来であれば世の中全体を広い視野で見て、そこから情報をつかみ、その上で会社として・チームとしてすることを決めていきます。

しかしチーム内で部下に多くの指示を出す人は、視野がチーム内ばかりに行って、その開発が社会全体の動きとどう関係するのかが目に見えていないのです。これこそまさに衰退する大企業の問題なのでしょう。

それに対して天外さんは、優秀なリーダーとは、走る車の上を飛ぶ鳥のようなものと言います。走る車には「不良」の技術者達がやりたいようにやっています。しかしそに上の鳥は、車と一緒の方向に飛びながら、つねに目の間に拡がる大地と空をすべて見渡しています。彼は車と同じ方向に飛びながら、視野は世界全体に向かっているのです。

他人に“指示”を出すことは、視野が自分だけに向いていることを意味する。むしろ大切なのは、チームの人たちと同じ方向を行きながら、チームは車で、しかし自分は空を飛び、チームの車の環境を観察する。

それができるのが優秀なリーダーだと天外さんは指摘されています。

人とともにチームを作ることは、チームのメンバーの動きを手放し、自由に車を運転させ、かつ一緒の方向に飛び、しかし自分はチームの環境全体を見渡すこと、それがカギとなるみたいです。


涼風

政治家の野心

2005年11月29日 | Book
塩野七生さんが小泉さんへの公開書簡という形で雑誌でエールを送っていました。

一定年数議員を務めた人に毎月特別に支払われるお金を小沢さんや土井たか子さんがもらっている一方で、97年に小泉さんはその制度はよくないとの理由で断ったそうです。その件をあげて彼にはブレがない、と彼女は小泉さんを支持しています。

そのさいに塩野さんは、政治家には野心と虚栄心があり、その二つは誰でももっている。だから当然小泉さんにもその二つはある。虚栄心とは小泉チルドレンに囲まれてニヤニヤしてる姿であり、野心は郵政民営化に象徴されるような政策の一貫性です。その一貫性と実行力を褒め称えていました。

また、彼女は小泉さんの続投も望んでいます。

なかなか興味深い記事でした。

野心と虚栄心の区別というのは、「そういう考え方もあるのか」と思わされました。政治家の勇気と残虐性を冷静に見つめてきた彼女の視点だなぁと思わされます。物事の「悪」と言われる部分を単純に悪とはみない塩野さんらしい視点です。

昔、吉本隆明さんが、政治というのはゴミ当番のように輪番制にするのが理想と言っていました。その言葉を思い出すと、それは政治家の虚栄心だけではなく野心をも彼は否定的に見つめていたのだと気づきます。

政治家の野心は「国民全体」というものを想定して、力ずくの行動でその全体を動かそうとすることを指します。その動きの大きさに私たちはロマンを感じます。野心が持つロマン。

吉本さんは戦争時の体験を戦後に徹底的に振り返り、国家の行動にそのようなロマンを見る情緒を徹底的に拒否したのだとわかります。


涼風

「二段モーション」基準説明…足が違反、腕は対象外に

2005年11月29日 | スポーツ
「二段モーション」基準説明…足が違反、腕は対象外に (読売新聞) - goo ニュース

大分混乱していたようですが、今回の規則改正は国際ルールに合わせるというのが最初の目的だったはず。それなのに日本のルールしか知らない日本の審判にフォームのチェックを行わせたのがそもそもの混乱の原因だったんじゃないでしょうか?

「国際ルール」に合わせることが目的なら、まず国際な野球連盟に世界中の審判の召集を要請して、そこでルールを提示してもらったほうがもちろんいい。

ただその時間がないのであれば、とりあえずアメリカの審判に来てもらいチェックしてもらうのが現実的なように思います。プロの世界大会が開かれる際には、よくないことだけれど、アメリカの意向が強く反映されることは明らかだからです。

ここ数年のあいだは混乱が続くのかもしれないですね。


涼風

オーディオ媒体の変化

2005年11月27日 | 家電製品にかかわること


その昔ぼくが音楽にのめりこんでいた時期にコンパクト・ディスクが発売され、若さの勢いでなんの躊躇もなくぼくはCDに乗り換えました。それに対して姉たちがそれからしばらくの間もレコードを聴き続けていたのは少し不思議だったけど、でも習慣だからと思っていました。

今ぼくは音楽を聴くときはCDorCD-Rで聴いているけれど、音楽媒体の変化には全然ついていっていない。mp3とは何のことかさっぱり分からないし(なんで「3」がつくんですか?)、ネット配信で曲を購入したこともないし、デジタル・オーディオももっていない。さすがに時代にとり残されているなぁと感じます。

でも、デジタル・オーディオってそんなにいいのかな?ipodやウォークマンに何千曲も入れていると、故障したら全部パーになるんでしょ?パソコンのHDに保存していても壊れたらどうするんですか?それにパソコンに音楽をたくさん入れていると容量が狭くなる気がして心配になり、ほとんど全部消してしまいました。

なんだか、「1枚のCDは1枚のディスクに入るべき」という観念があって、CD-Rに入れておかないと気がすまないのです。そもそもこの「ディスク」という形態と音楽を結び付けている時点で発想が古いんでしょう。おまけにMDも使っていたりするし。

たしかにCD-Rとかに保存しているとかさばるし、DVD-Rだと容量が多い(らしい)けど僕のパソコンではDVD-Rは使えないと思うし(ちゃんと調べていない)。

なんだかとっても遅れている。

でもCDを扱うときの神経を考えると「MDって便利だなぁ」とか思うこともあります。化石化しているのかな。

まぁ、ヘンに時代を追いかけても疲れるだけなので、自分のペースで変化していこうと思います。

もちろんそれでもipodって魅力的にみえるんですけど。それに対して今のウォークマンの垢抜けなさはなんなんでしょう。


涼風

紅茶を何度も飲んでみる。

2005年11月27日 | 衣料・生活用品と関連して
 
先日買ったステンレスボトルですが、今日は紅茶を作って入れています。容量は3.5ℓなので、2、3杯飲むことができます。

元々ぼくは紅茶のティーバックは一回だけ使って捨てていました。でも最近はなんだかもったいないと思い始めて2回使っています。人によっては3回使うらしいですね。

でもやっぱり2回目・3回目の紅茶はおいしくないですね。だからとにかく何か飲みたいときだけ2回目を使い、おいしく紅茶を楽しみたいときは、1回目から時間の経っている2回目のティーバックを使わずに捨てるときがあります。

今回ボトルに紅茶を入れたのは、1回目のティーバックで作った紅茶をそのまま使えると思ったからです。ただ3.5ℓもあるので、やっぱり薄くなりますかね。

とにかく飲んでみたいと思います。


涼風

『福祉を変える経営~障害者の月給1万円からの脱出』

2005年11月26日 | Book
  

先ごろ亡くなられたヤマト運輸の元会長・小倉昌男さんが書かれた『福祉を変える経営~障害者の月給1万円からの脱出』を読みました。

障害をもつ方の経済的自立を指南する目的で書かれた本です。しかし、障害をもたれた方がビジネス・リテラシーに乏しいという前提に書かれているので、図らずもそれ以外の一般の人たちにとっても一からビジネスの仕組みを教えてくれる内容になっています。

この本の内容は大まかに分ければ、

 1 福祉行政のいい加減さとそれにより貧困に追い込まれる「障害者」の方々の状況

 2 素人から一から起業して成功するための方法

に分けられます。

福祉行政については、障害をもつ方を集め作業所を設置するためには認可が必要であり、認可を受けた作業所には手厚い資金援助がなされ、無認可の作業所には僅かなお金しか支払われません。その認可にかかる手続きには土地の所有の有無など障壁があるため、資産をもつ人しか認可を得ることができません。

それは障害をもつ人の作業所だけではなく老人ホームについても言え、資産家が税金逃れや土地・資産の有効活用のために老人ホームを建設することはできても、お金がない善意の人には老人ホームを作るのが困難な制度になっています。

またそうした手続きの困難さに加え、認可を受けた作業所も利益を得る仕事を真剣には考えず、ただボランティア的な仕事しか働く人に与えていない状況です。「障害者」に対する福祉行政は、「障害者」の経済的自立ではなく、単にデイケアセンターとしてのみ作業所の役割を考え、真剣に働き利益をもたらすということを考えていません。それゆえ結局は障害者の作業所は国のお金を使って福祉に携わる人たちの善意を満たす場所にはなっても、「障害者」自身の経済的利益にはなっていません。

だからといって作業所を全面的に否定することはできないし、それまで障害をもつ方の仕事にかかわってきた福祉行政の人たちの声について小倉さんは触れていないのでフェアに判定することはできないのですが、とにかく小倉さんは金銭という生存に関わる問題について福祉行政は真剣に考えず、単に国からお金を取ってきれいな建物を作っているだけで、障害をもつ方々の役には立っていないと論じます。

そこから小倉さんは、どうすれば障害をもつ人たちでも利益を得るチームを作ることができるか、すなわち起業して成功するためのチーム作りの方法を説明します。小倉さんはそうしたセミナーを全国で行い、実際に一部の障害をもつ方々のビジネスを成功に導きました。

小倉さんの説明はシンプルです。

・ビジネスとは、収入-支出=利益であることを理解すること。

これは小学生でも分かることですし、先日ご紹介した川本裕子さんも著書で何度も繰り返されています。神田昌典さんも、同じ事をつねに強調しています。

ただこの式がどんなに簡単であろうと、これを守れないから多くの人が失敗し、また借金を重ねてしまいます。

また借金がなく一見収入の数字が多いミドル・クラスの多くがじつは経済的不安を抱えているのも、この式を実践できていないからです。ミドル・クラスの多くは、家のローンなどを抱え、つねに働かなければ破産する状況にあります。

それだけ上記の式を実践するのは難しく、それだけにつねに意識していなければならないということなのだと思います。

・これからのビジネスとはサーヴィスであること。

これは小倉さんがヤマト運輸を成功に導いた要因ですね。

産業は、材料を作る・採集する=一次、製品を作る=二次、商品を売る=三次と分類されます。何十年も前から言われているように、先進国の産業構造は次々に三次産業の比率が多くなっています。

これは消費者の趣向の変化に伴っていますよね。私たちは基本的な欲求が満たされるほど、驚きや安心感など感覚の充足を伴う消費を求めます。それには単にいいモノではなく、その商品を買うことで得られる満足感という感情・感覚の充足がポイントになります。

ヤマト運輸が成功したのも、いつでも荷物を取りに来てくれて、面倒な梱包もしてくれて、スキーや冷凍食品を取り扱い、それらを希望の曜日に届けるという、それまで考えられなかった物流を実現したからです。またドライバーをサーヴィス・セールスマンと位置づけ、彼らにお客に喜ばせることを第一目標とさせます。たとえ一時的な損失が出ようと、その場その場でお客のニーズに応えることを徹底させ、ヤマト運輸は成功しました。

消費者がお金を払うのは、そのサーヴィス内容それ自体以上に、そのサーヴィスをいかに売り手が売っているかに左右されていっています。商品の内容以上に、対面する売り手が消費者に与える印象がより重要になっています。これはインターネットでも変わりません。

・よいビジネスとは、よい商品を作ることではなく、よい商品を売ること

これは上記のサーヴィスの重要性と同じなのですが、つまりビジネスとは商品を作る(製品を作ったり、技能を磨く等)以上に、その商品を売ることが重要です。小倉さんはこの視点が障害者の作業所には決定的に欠けていることを指摘します。その福祉にかかわる人たちはみな善意なのですが、どれほどマジメに商品を作ろうと、それが消費者に届かなければ在庫の山となってしまいます。

そうした作業所の商品はバザーなどで売られるのですが、それでは在庫をちゃんとさばくほどの消費者に届けることはできません。また本当に消費者を喜ばせる商品を造ることができません。バザーでは買うほうも欲しいからではなく善意で買うからです。


これらのことを指摘した上で小倉さんは、まず商品の質を確保するために、どうすれば障害者の方でも一定の質をもつ商品を作れるかを考えます。その成功例として、冷凍したパンを作っている会社と契約を結び、そのパンを解凍しておいしい状態で消費者に届けるプロセスを担う会社を障害者の方々を中心にして作ります。

その会社が「スワンベーカリー」です(「スワンベーカリーは、多くの障害者の自立と社会参加を支援するために、ヤマト福祉財団 、ヤマト運輸 が中心になって設立されました」)。

他にも色々な障害をもつ方々の起業モデルを小倉さんはあげています。

ポイントは、

1 品質を絶対に確保すること。つまり善意ではなく消費者が本当に欲しい!と思える商品を提供することに決めること。

そして

2 そういう商品・サーヴィスを障害をもつ人たちが提供するにはどうすればいいかを考えること。

この順番は絶対に守らなければならず、それを崩すとビジネスにはなりません。そのためにはある程度の商品製造は他の業者に任せ、部分的なプロセスを担うようにするなどの工夫が必要です。

またそれを売るためのプロセスも、障害を持つ方で不可能な部分は、たとえば他の業者に任せて店頭に並べてもらったり、コンサルタントを利用したりする必要があります。そのプロセスでは福祉に携わる人たちのアイデアが絶対に必要です。


書いていて時間がかかったわりにこの本の良さを伝えられなくてもどかしいのですが、普通「起業」というと華やかな成功物語を追いかけます。しかしこの本で扱われているのは、成功のためではなく、生きるため・生活のための起業の方法です。そのために、流通コストを下げること、コンサルタントを利用すること、消費者の需要を掘り起こすことの重要性など、小倉さんの地に足のついてメッセージがとても印象的な本です。

ひょっとしたら、起業による成功物語を追いかける(執着する)人たちにとってもよい参考になるのではないか、そう思わされた本でした。


涼風

ひとつの時代批判 『人生の旋律 ~ 死の直前、老賢人は何を教えたのか?』

2005年11月25日 | Book
   
神田昌典さんの『人生の旋律 ~ 死の直前、老賢人は何を教えたのか?』を読みました。

アマゾンの書評では散々に言われていますが、わたしには神田さんのモチーフは分かるような気がします。大切なのは、この本は偉人伝として読んでいはけないということです。

この本の主人公・近藤トウタは、大正から軍国主義の時代を経て戦後の日本を生き抜いた人です。著者はこの人の人生から、ちょうど軍国主義前の日本はバブル期のように経済が好調で西洋趣味が国民の間に浸透し海外渡航する日本人が珍しくなかったことを指摘します。

私たちはメディアによる「歴史的ニュース映像」から昭和初期以前の日本には現在と比較して貧しいイメージを植えつけられていますが、それは軍国主義下の日本のイメージをそのまま時代を下って拡張したものであることをこの本から知ります。

それは同時に、日本の軍国主義が、当時の人々の頭を洗脳し、現在の私たちまでにも影響を及ぼしていることを意味します。その時代から日本はいきなり質素倹約・勤労と皇国への奉仕がイデオロギーとして浸透していき、その前まで時代を謳歌していた経済発展とバブルに踊る人々は、急激な世間の価値観の転倒の中で、国家から迫害されていきます。

こうした価値観の転倒がいかにその時代を生きる人々を翻弄し悲劇をもたらすか、そのことについて歴史的に見直そうとしたのがこの『人生の旋律』です。近藤という人がすごい人からどうかということは二の次と言ってもよく、彼はその価値観の転倒の犠牲者の一人であるということです(著書では、アメリカ留学をした近藤さんが軍国主義下の日本では受けた様々な悲惨ともいえる出来事と、にもかかわらず生き抜いた彼のストーリーが詳しく描かれています)。

また近藤という人自身について見ても、偉人でもなんでもなく、自己のエゴに突き動かされて行動し、しかし必然的にそのエゴが壁にぶち当たり、人生を見つめなおし、最後には安定した平和を見出したふつうの人です。ただそのエゴが強烈だった分、行動が極端で、その反動による体験も尋常ではなかったということであり、彼自身の内面の変遷の道筋は多くの人が体験しているものだと思います。またそれゆえに、つまり近藤さんのその普通さのゆえに、読者である私たちは彼から生き方を学ぶことができるのだと言えます。

『人生の旋律』は、私たちが当たり前だと思っていることが時代によって思い込まされた価値観に過ぎないこと、その価値観が変化する時代には私たちは気づかずに誰かを被害者にしているかもしれないこと、そのことを教えてくれる本です。

またこの本を今この時代に出版した神田さんには、強烈な時代批判・国家批判・社会批判の意図があることも分かります。

この本から読み取ったほうがいいのはそのことではないかとわたしは思いました。


涼風

ステンレスボトル タフスリム SV-GE35(ブルーシルバー)

2005年11月25日 | 衣料・生活用品と関連して

外出先でぼくはよくコーヒーを飲みたくなります。前はドトールやスタバによく入っていたのですが、お金がもったいないし別にいつもソファやイスでくつろぎたいわけでもないので、最近は行きたいというモチベイションが上がりません。

でも缶コーヒーは嫌いです。噂では「殺人的」(江国香織『神様のボート』より)な量の砂糖が入っているというし、それに実際においしくありません。

そこで家で作った暖かいコーヒーを魔法瓶に入れて飲もうと思い、「ステンレスボトル タフスリム SV-GE35(ブルーシルバー)」を買いました。

でも象印に問い合わせると、ステンレスボトルにコーヒーを入れてはいけません、と言われてしまいました。1880円もした買い物だったのに初期の目的を達成できなくてとてもつらいです。お金を無駄にしたような気がします。

こうなったらメーカーに許可されているお茶とお湯を持ち歩いて使い倒してやる、という気にかられました。


涼風

“Mind Mapping” Michale J. Gelb(著)

2005年11月24日 | Audiobook

“Mind Mapping: How to Liberate Your Natural Genius”というCDを買ったのは6月か5月ぐらいだったと思います。きっかけは、神田昌典さんの『お金と英語の非常識な関係(上)』に付いていた英語の対談CDに出ていたウィリアム・リードさんがマインド・マップの公認トレーナーで、この本のことも触れられていたからです。オーディオブックを買ったこともなく英語に自信もなかった私は、それでもこの対談CDがなんとなく聴き取れたので「えいっ」と思って買ってみました。

マインド・マップは今ブームなのでご存知の方もかなり多いかと思います。最近は創始者のトニー・ブザンさん公認の翻訳も出て、アマゾンでトップセラーリスト入りしていますね。

マインドマップとは、じつは僕はちゃんと実践していないのですが、本の内容や出来事を記憶する際に「イメージ」と「キーワード」を意識的に用いることです。

たとえば本を読む際に通常の観念では一文字一文字一行一行“順番に”読んでいき、内容を思い返す際にもその順番を思い返しがちです。

それに対しマインドマップでは、その本の内容から自分の印象に残った「キーワード」や、その内容から受けるイメージを取り出し、書かれた文字の順番ではなく、それらキーワードやイメージをつなぎあわして内容を自分の頭の仲で復元します。

つまり、書かれた文章の順番という“規範”を模倣(=服従)するのではなく、その文章からインパクトを受けたイメージを自分の頭の中でつくり、そこから自分なりのイメージ・キーワードの結びつきを意図的に作り出します。

これは必ずしも新しい記憶法・解釈法ではなく、マインドマップを提唱している人たちからみれば、普段人が自然に行っていることを意図的に再現している方法だといえます。

わたしたちは物事を記憶する際に、必ずしもその出来事を時間軸や順番に沿ってそのまま頭に残しているわけではなく、イメージで記憶しています。しかし一般的な観念として、文章や出来事を“正確に”“規則的に”追わなければならないという規範があるため、人間の脳が本来持っている自由なイメージ力が阻害されています。“Mindmapping”の著者でありナレーターであるマイケル・ゲルブは、そうした規範への囚われを「官僚的」と表現しています。

こうしたイメージのつなぎ合わせでは、書かれた文字の忠実な再現ではなく、自分の頭の自由な発想を駆使します。インスピレーションですね。だからマインド・マップをするさいには、かなりこれまでの思い込みを振りほどく必要がありそうです。

マインドマップとは、そうしたキーワードやイメージの自由な発想に基づいて独自の方法でメモを作ることです。そのメモの形態は、最近出版されたトニー・ブザンの著書『ザ・マインドマップ』を読めば分かると思います(わたしはまだちゃんと読んでいないのですが)。

じつはこの方法は、必ずしもトニー・ブザンさんが発明したものではなく、中井久夫さんが1980年ごろに書かれた『分裂病と人類』にまさにマインド・マップ的なメモが記され、その著書の内容が理解できるように中井さんによって整理されています。つまり、幅広い知識を整理する能力をもっていた人たちは昔から使っている、自然な方法なのでしょうね。それに“マインド・マップ”という商標を与えたのがトニー・ブザンさんということなのだと思います。とはいっても、トニー・ブザンさん自身も独自の道筋でその考え方にたどり着いたのだと思います。

私は上に書いたようにマインド・マップをちゃんと実践していないのですが、このCDを聴いているだけでもその考え方には共感できました。言っていることは、物事を考えるときには、規則や順番には囚われずに、自分の脳の働き・発想を信頼して、その脳の自由なイメージの組み合わせを信頼しましょう、ということだと思います。

元々規範や観念に囚われた私には実践するのはやさしくないのですが、脳の力の可能性を垣間見せてくれる本でありCDだと思います。

こういう自己啓発的な内容の本は、文字だけで読んでも「ああ、もう分かっているよ」で済ませてしまいがちです。でもCDを通して耳で聞くと、シンプルな考え方の大切さがより理解できるのではないかと思います。

著者が自ら吹き込んでいるこのCDは、声もとてもクリアで英語も平易です。初めて英語のオーディオブックを聴く人にはとてもいいんじゃないかと思います。


涼風

これから私が聴いているオーディオブックも紹介していきたいと思います。オーディオ学習は今ビジネスマンの間でもブームかもしれませんし、私が見つけた中では、

『CD、テープを聴いて勉強しよう!!』

がとても詳しくオーディオブックを紹介されていて、楽しい情報がいっぱいのブログです。一日のアクセスも500か1000ぐらいあるそうです。管理人のムギさんは証券アナリストで、同時にワーキング・マザーを支援する活動で“Wall Street Journal”にも紹介されたそうです。すごいですね、

マインドマップについては、

【マインドマップでビジネス書評&セミナー評】

というブログで管理人のsmoothさんが読書記録として自身が作成されたマインド・マップを掲載されています。とてもきれいなマップですごいなぁと思います。


参考:“Mind Mapping” Michale J. Gelb(著) 2 joy - a day of my life -

『日本を変える―自立した民をめざして』

2005年11月23日 | Book
   

『日本を変える―自立した民をめざして』という本を読みました。読んでからもう1ヶ月近くたつかもしれません。今になって感想を書こうと思いました。著者は、コンサルタントを経て大学で経済をおしえられている川本裕子さんという方です。

内容はマスコミで断片的に伝えられる「構造改革」のポイントについて最初から丁寧に整理しているというものです。

日本の国家財政は莫大な赤字を抱えていること。ヨーロッパの水準に比べても日本の社会保障支出は低くないこと。だから支出を抑えるべきということ。

お金はもっている分だけ使うべきであって人からたくさん借りてまで支出してはいけない。こうした「当たり前のこと」をちゃんと当たり前のこととして守るべきである、そう著者は繰り返します。現在の国家財政を考える上で難しい議論をすべきではなく、シンプルで大事なことを守りましょうと繰り返し訴えます。そこから必然的に、道路公団を初めとする特定法人の健全な民営化を主張されています。

その際に会計基準の採用方法や国財政の資料などを提示されていますが、しかしこの著書の基本は、そうした細かなデータの正確性以上に、お金は入ってくる以上に使ってはいけないこと、そのためには倒産の可能性のある民営化が特定法人や銀行に求められること、それによって経済は円滑に運行すること、このことです。

あまりにも「当たり前なこと」を言うので、読んでいるこちらが戸惑うほどです。ただ、これだけ当たり前なことを書いていても嘘に聞こえないのは、著者の誠実さが伝わってくるからです。特定の利害関心からではなく、「客観的」な視点で経済運営を考えていることが読んでいて分かります。


ただ、利害関心にとらわれない視点で「民にできることは民に」を主張しているがゆえに、かえって民営化論に感じる違和感も読んでいて増幅されます。おそらくその違和感は、「民にできることは民に」という主張が、その先にある社会ヴィジョンを提示しないことにあります。

「民にできることは民に」という議論は、国家財政の肥大化に対するアンチテーゼとしてのみ本来は機能する議論です。

なぜ国家財政は肥大化するのか?歳入よりも歳出が多いからです。「民にできることは民に」論は、この原因を歳出の肥大化としてとらえます。つまり国家の財布の開け閉めとしてとらえます。

国家の財布の開け閉めとしてとらえると、経済の議論が政府と行政という社会のピラミッドの頂点にのみ関係する議論となります。財布をもてるのはごくごくごく一部の人だけだからです。

いわば、社会の(国家の)中のごく一部だけの改善によって社会全体が変わると考えることになります。もちろんその一部は比較的大きな影響力をもつのですが、国家財政を少なくすれば社会はよくなるという議論には明らかな飛躍があります(著者がそう言っているわけではないけれど)。

国家財政支出を少なくし、特定法人の民営化を進め、銀行のリテールビジネスを活性化させ、産業構造の転換を進めるべきというのが著者の主張です。

こうしたまっとうな議論に違和感をもつのは、では著者が考える健全な市場経済・健全な企業運営・そして働く人にとってよい職場環境と国民にとってよい生活環境とはどういうものなのだろうか?という疑問です。

「市場原理主義」というレッテルに著者は反発していますが、では市場の力を肯定することが単なる感情論でないのであれば、おのずとよい市場経済・よい企業のあり方・よい働き方・よい生活の仕方についてなんらかの考えを著者はもっているはずです。それを提示しないかぎりは、「民にできることは民に」論は、社会主義経済のアンチテーゼとしてしか機能しません(それが著者達にとって本意ではなくても)。

「構造改革」論者の中には、「構造改革に反対する人たちは対案を出さない無責任な人たちだ」と言う人がいます。しかしわたしから見れば、「構造改革」論自体が、これまでの財政支出主導型の経済にアンチテーゼを出しているだけの、言わば「反対論」だけを提示している議論です。

現在の経済の不況の原因は何なのか?それは消費者の趣向の変化に供給側が追いついていないためだと私は思います。その視点から見れば、最も改革すべきなのは商品の提示に関する企業の姿勢です。これは、それこそ民の感性にかかわるがゆえに最も困難なことです。単に国家の財布の紐を締めることとは難しさが桁が違います。

言い換えれば、国家の財布の紐を締めるという作業は、そう発想すること自体は難しいことではありません。もちろんその過程では一部の官僚や利害段階からの反発があるという困難さはありますが、踏むべき手順自体は比較的容易に思いつくことができると思います。

しかし企業によるサーヴィス供給の際の発想の仕方の改革は、それこそひとりひとりの感性・生い立ちにかかわることであり、単なる経済活動だけではない、人々の生き方そのもののに関する根本的な再検討が迫られます。

市場万能論を唱えているようにみえる川本さんも、まさか過労死にいたるまで働かされることを肯定しないでしょう。コンサルタントとしての経歴が長い彼女から見れば、むしろ、よい企業とは、よい働き方とは何かについてつねに(自身の経験を振り返りながら)考え続けたのだと思います。ひょっとする別の著書や大学の講義ではそうした考えについて頻繁に述べているのかもしれません。

ただ『日本を変える―自立した民をめざして』という大風呂敷を思わせる題を掲げる以上は、そうした人の働き方・生き方を含めた包括的な社会論のほんの一端でも示唆して欲しかったというのが、読者としての私の欲求です。

過労死・強引なM&A・構造的に不平等な国際貿易体制・富の格差などなど、市場経済の問題をあげればキリがありません。「民にできることは民に」論の人たちは、過去の問題を指摘しても、今ありこれからも直面すべき問題については触れません。

著者はイギリスのサッチャー政権を賞賛し、改革でイギリス経済が甦ったことを指摘します。しかしそのイギリスの新自由主義により経済格差がより拡大したことは周知の事実です。「民にできることは民に」でビジネスの才能のある者は豊かな生活を享受していますが、その裏で多くの人が今もイギリスでは貧困にあえいでいます。国際的コンサルタント会社にいた著者がその状況を知らないはずがないと思います。また、そうした新自由主義の反省に立って(著者が否定する)「第三の道」がイギリスから出てきたことも著者は知っているはずです。

アメリカとイギリスが新自由主義の後にどういう社会になったかは私たちはわかるはずです。にもかかわらず、これらの国を単純に模倣するだけなら、「民にできることは民に」論はやはり責任ある議論とは言えないと思います。


涼風

『サイドウォーク・オブ・ニューヨーク』

2005年11月20日 | 映画・ドラマ
  
『サイドウォーク・オブ・ニューヨーク』という映画を観ました。製作されたのは2001年のアメリカ映画です。

軽いタッチの恋愛映画。といってもポイントは恋愛そのものよりも恋愛とセックスが人々の人生にとってどういう重みと意味を与えていくかを、男女十人近くの登場人物の糸の絡まるような関係を通して描いています。

ひとつひとつのエピソードはとても類型的。でもそれだけにどれかのエピソードは自分にも当てはまると感じる人はとても多いのではないかと思います。

この映画の個人的な発見はヘザー・グラハムの演技でした。彼女はその容姿からどうしても“かわい子ちゃん女優”に見えてしまう。その彼女は今回24歳でセックス経験の少ないままミドル・クラスの歯科医と結婚した29歳の人妻を演じています。

お嬢さんで自分を守ってくれそうな男と結婚したけれどどこか満たされない、そんな人妻のよくある雰囲気が出ていました。今まで見た彼女の映画の中では異色の役柄。他の映画ではいつも活発な女の子の役ばかりだけど、若くて美人だけど欲求不満な女性を上手く演じています。これは彼女の出演作ではかなりリアルな演技だと思います。この映画が撮られたのはもう4年前。その後のキャリアでは『キリング・ミー・ソフトリー』『踊るマハラジャ★NYへ行く 』といった非現実的な映画を観ると、彼女の容姿をそのまま利用したような安易な映画にばかり出演している(この二つともそれなりに彼女の魅力は出ているのだけれど)。

でも本当は、この『サイドウォーク・オブ・ニューヨーク』のような普通の日常(?)を描いた映画のほうが向いているのじゃないだろうか。


涼風

『あなたにも書ける恋愛小説』

2005年11月19日 | 映画・ドラマ

『あなたにも書ける恋愛小説』を観ました。

意外や意外におもしろかった。期待してはいけないけれど、期待しなければ面白い映画だと思います。

お話は、借金で困った小説家が小説を仕上げるためにタイピストに口述筆記をさせます。最初は反発しあう二人が恋愛小説を仕上げていくうちにできちゃうというもの。その小説執筆の試行錯誤がそのまま劇中劇として挿入され、二人もその中に。さらにはその劇中劇の中だけにいるはずのもう一人の女性が実は・・・

まるで40・50年代のハリウッドコメディのようなチープだけどクラシカルな雰囲気をもっています。それは撮影の上手さと同時にヒロインのケイト・ハドソンの存在感によるのだと思います。彼女は必ずしも万人受けする美人顔じゃないけれど“大物感”が漂っていて若くしてすでにスターという感じ。一生懸命「頑張っている」他のアイドルとは歴然と違う感じです。

彼女をスターダムに押し上げた『あの頃ペニー・レインと』の方が映画としてのできはいいかもしれないけど、ケイト・ハドソンの魅力を楽しむならこっちの方がいいかな。スーツ姿もカジュアルな衣装も、派手さは全然ないのにスクリーン女優のオーラがバンバンに出ています。

ソフィー・マルソーも脇役でいい味出しています。脇役の方がじつは向いているのかな。


涼風

マーケットプレイスで赤ペンを引いた本が売れました。

2005年11月19日 | ネットでの取り引き


アマゾン・マーケットプレイスに赤ペンでいっぱいの本を出品したらさっそく買い手がつきました。1680円の本を580円で出品です。

他にも880円ぐらいでいい状態の出品があるし、どうして私の商品を選んだのか謎です。もちろん買っていただいて有難いです。

同じような過去のケースで、私は一応確認のメールを出して「よくない状態の商品ですけどいいですか?」とたずねます。でも返事は返ってこない場合が多いので、二日後には発送してしまいます。トラブルは今まではありません。


アマゾンのいいところはカード引き落としだから面倒な手続きが要りません。なのにわざわざ確認願いのようなメールをもらってもウザイだけなのかな?

アマゾンで商品を買うとワクワクします。それはお店に行かなくても商品が翌日には自分の家に来ているという魔法のような出来事だからですよね。サイトでの商品紹介やレビューもそこそこ充実しているし、商品発送の迅速さが企業イメージを高めています。一度シェアを占めているのでブランドも確立しています。

でもこういう言い方でアマゾンでのショッピングでのワクワク感を表現しきれているだろうか?


涼風


関連:ニュース Amazon.co.jp、「スポーツ」ストアを開設~600ブランド10万点を販売 (INTERNET Watch) - goo ニュース

サティでお買い物

2005年11月18日 | 店舗を観察して

今日、サティに部屋で着る上着を買いに行きました。

スウェットの上からでも羽織れるような大きくて厚手のカーディガンを探していたのですが、そういうものはなく、結局renomaのフリースにしました。

このフリースには色々な色があったのですが、見た目が一番映えていたのはとても白に近いベージュでした。

買う前も買った後も、「これでよかっただろうか?」という罪悪感が出てきました。白は汚れが目立つし、家の中で食事とかするときに着ると汚れがついてすぐに汚くなるように思えたのです。

そうした罪悪感は結局「親に叱られるんじゃないか」という想いにつながっているように思います。

昔遠足のおやつを買いに行ったときに好きなものを買っていたらチョコレート系のものばかりになっていました。家に帰って兄弟と親がそのことで文句を言いました。食べるのは僕だし予算内の買い物だったのですが、「いけないことをした」という罪悪感に凄くとらわれた出来事でした。そうした経験はたくさんしていると思います。

そういうものが積もり積もって、お金を使う買い物にはどこか罪悪感がつきまとい、「賢明に買い物しなければ」という想いが出てきます。好きな色を買うよりも親に叱られない買い方をしなくてはいけないと思っているのです。こういうのは多くの人が案外持っているんじゃないかと思います。


そのサティは兵庫県の大久保というところにあります。神戸・大阪の通勤圏内で新しいマンションが立ち並ぶだだっ広い平面な土地で、サティを経営するジャスコ系の建物が5つぐらいドーンと立ち並んでいます

中に入ると商品は安いものが中心ですが何か華やかさがあります。ドトールに通ずるような華やかさと安さの混合ですね。裏はともかく表をきれいなカラーにしたような店造りです。

これはどこか薄暗いダイエーとは大きな差です。サティも必ずしも業績はよくないのですが、それでもお店の醸し出す明るさの雰囲気は大きく違います。簡易なオシャレ感が出ているので、消費欲が旺盛な若い夫婦や家族などはサティに流れているんじゃないでしょうか。

どういうコンセプトをもてばこんなにダイエーと大きな差がでるのだろう?


涼風


参考:「マイカル、スピード再建 当初計画7年前倒し 更生手続き12月終結」