「山茶花に囲まれた石の道」
絵本作家の五味太郎さんは、小説家の江国香織さんとの対談で次のようにおっしゃっています。
「職業的につらいなんていう人って、全然俺信用してないもん。飛行機の操縦ほんとに苦手なんです、っていう人の操縦する飛行機なんて乗りたくないもん。だから俺、メーデーって大嫌い。基本が違うんだよねっていう感じ。労働者がつらいから、なんてさ」
「女房子供のために一生懸命働いているんだよ、っていう言い草が通るようじゃ、いつまでたっても楽な社会はこないよね。つまり、正義がつらぬける社会ってことだけど。だってそんなの嘘でしょ。当人のためでしょ。少なくとも、女房子供を食わせたいという自分の欲望のためでしょ」
「でもこの構造を変えるとしたら、それは社会の運動じゃなくて個人だろうなと思う。個人の運動だろうな、と」
(「十五歳の残像」 江國 香織 (著) )
目の前にいる江国香織さんは、この五味さんの言葉を聞いて、「私は五味さんの手厳しさに感動する」とおっしゃっています。
たしかに五味さんの言っていることはキツイ。キツイけれども、どこかで五味さんの言うような社会になればいいのにな、とも思います。
もちろん、この五味さんの言葉を聞いたからといって、誰もが急に今の仕事をやめて“好きなこと”をしても、上手く行かないと思います。
本田健さんは「幸せな小金もち」シリーズの本を書いていて、一番よく受ける相談は、お金のことではなくて、「私やりたいことがわかりません」という質問だったそうです。
そう、自分のやりたいことというのは、わかりやすそうで、普通の人にはとても見つけるのが難しいのだと思う。
“ワクワク”幻想に乗せられて、昔弾いたギターを引っ張り出して弾いても、一週間で飽きたという人の話を本田さんもおっしゃっています。
本田さんは、その人のライフワークは、静かな情熱をもてるもの、と言います。妙な“ワクワク”幻想とは無縁で、静かに長く打ち込めるもの(「「ライフワーク」で豊かに生きる 」)。
同じことだと思うのですが、宝彩有菜さんは、その人にとって本当に向いているものは、他人に対して優越感も劣等感ももたないもの。自分にとってはできて当たり前だから、それが実はすごいことだとは気づかないようなものだとおっしゃっています。
「本当に得意な分野は、そんなに楽しくはないかもしれませんが、
疲れるということは絶対にありません。
ですから、わざわざ練習したり、習いに行ったりしようとも思いませんから、
案外自分で得意分野に気づかない可能性もあります。
この基準で自分の「やりたいこと」「本業」を探してみてください。
基準とは、
「やっていて疲れないもの」
もっと言えば、
「楽にできるもの、それは何か?」です。
それは、自分では苦労もなく簡単にできるので、
馬鹿にしてあまり熱心にやらないものだったりします。
あるいは、そんなことは楽にできるのだから、きっと誰でもそうだろうと思って、
まさか自分の才能だとは思っていなかったりします。
(宝彩有菜著『人生が楽しくなるちょっとした考え方』)
でも、難しいですね、そういうものを見つけるのは。
宝彩有菜さんは、上のように言った後で、つぎのようにおっしゃっています。
「でも、あせらないでくださいね。準備に時間がかかるものもありますから。
本当の自分を見つけるまで神様はいろいろと「回り道」を用意してくれています」
そう、すべてはこちらの計算どおりには行かないし、それぞれの人がそれぞれの人生の流れに身を任せていることも重要なのだと思う。
五味太郎さんも次のように言っています。
「何の根拠もないけど人生の本番は40代がいいと思う。20代で決まるのは不幸だと思う。10代で度胸決めて、20代で情報収集して、30代で始めて40代でいいなって感じが絶対いい。周りを見ていて思うもん。
オレも本気になったのは40代だし。寿命が長くなったのも加味してんだけどさ。35くらいから本番が来ていいし、それより前に来ないし、来たら嘘だと思う。たんなる実感だけどさ。」(「Mammo.tv 今週のインタビュー」)
いい社会を完全に計画することはできないのでしょう。個人がその人の人生を生きて、多くの人が試行錯誤の中で何かを見つけてって、そういうことが多くなったとき、社会は自然に良くなっているのかもしれない。