joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

変化への倦き

2006年07月31日 | reflexion

本を読むスピードが遅くて泣きたくなる。ページをめくるのが遅くてどれだけ時間をとっても1冊を読み終わらない。

こういうストレスにぼくはよくやられます。それには何が原因があるかもしれず、なんらかの読書テクニックを身につければ克服できて、ひょっとしたらもっと早く本を読めるようになれるのかもしれません。

ただ、もうこれまでも長い間本を読んだりしてきたのだから、何かこれから急激に変化すると考えないほうがいいようにも思います。根拠もなく奇跡を期待しないということです。

速読を普及させている人なんかは、「私はこれで人生が変わりました!」と言います。それは本当にそうかもしれない。速読でなくても、自己啓発テクニックなどで「人生変わりました」とアピールする人はいるし、そういう人の中には怪しい人もいるけど、正直に本当のことを言っているように感じる人もいます。だからそういうことを言う人たちのことを疑う必要はないです。

ただ、変化ばかり追い求めても疲れるのも事実です。


涼風

冷や汗

2006年07月29日 | 日記


昨日は夜にお腹をこわしてしまいました。

僕の部屋(と言う程明確に区切られているわけではないのだが)は二階にある。一階の台所や居間は夏でもわりと涼しいのだけど、屋内の熱が全部上に来てしまい、二階はとても熱い。

昨日は、さすがに午後に一時クーラーを使いましたが、それでも氷水で冷やしたタオルを長時間体にあてたりしてやりすごそうとしました。

しかしそれが冷やしすぎになったのか(もちろん暑いのは暑いのだけど)、夜に下痢になってしまいました。

幸い昨日のうちにお腹は治りましたが、何事も急にやりすぎるのはよくないですね。


涼風

“sea~海” 高垣直美

2006年07月26日 | Music


今日は太陽も出て陽射しもきつそうですが、湿気も多くなかなか蒸し暑い日になりそうです。昨日寝たのが2時ごろで6時過ぎに目覚めたので、睡眠不足で蒸し暑いというのはちょっと頭がクラクラしてきついですね。

この季節になると私はよく“sea~海”というアルバムを聴きます。

これはデラというヒーリング・サウンドをたくさん扱っているレーベルのCDです。デラのアルバムは、レコード店だけでなく本屋や雑貨屋にもよく置いていますので、見かけたことのある人も多いと思います。

ヒーリング・サウンドというとちょっと宗教がかったものを想像する人も多いかもしれませんが、デラのCDは純粋にリラクゼーションのための心地いい音を追求したものが多いです。最近は新しいものを私は聴かないけど、前はよくこのレーベルのCDを聴いていました。

ピアノやシンセなど使う楽器は最小限にとどめ、基本的にメロディーをシンプルにし、心地いい反復が基調で、それに自然の音を織り交ぜたものが多いです。この“sea~海”も静かな海のさざ波とシンプルな音から成っています。

作曲者は高垣直美さんという人です。かなり気持ちいいCDなので夏にはピッタリですよ。


涼風

「ワーキングプア ~働いても働いても豊かになれない~ 」

2006年07月24日 | テレビ
昨日24日の夜にNHKスペシャルで「ワーキングプア ~働いても働いても豊かになれない~ 」という番組が放映されていました。低所得で長時間労働を強いられている人たちの現状を取材した番組です。個人的にはショッキングなドキュメンタリーで、激しく感情を揺さぶられる映像でした。

その中で印象に残ったことの一つに、ある大学教授が低所得できつい労働を強いられている人の映像をスタッフに見せられて、次のように述べていたことです。

「こういう映像を見て、じゃあ可哀想だから福祉にお金をつぎこみましょうという風に考えては駄目なんです。国家の予算には限界があるんですから。だから規制緩和をして稼げる人にいっぱい稼いでもらって、その人に税金を払ってもらえるのがいいんです。そういう風に全体を見なくては駄目で、可哀想だからという理由で困っている人にお金を支出してはいけないんです。」

「子供の教育には税金を投資すべきです。機会の平等を保証して、子供がやりたいことを目指して挑戦できる社会になる必要があります。ただ、挑戦して失敗した人たちを国家の財政で助けてはいけません。」

他の識者が深刻な表情で低所得の人たちの問題を指摘し、ドキュメンタリーもその状況の深刻さを強調する映像を流す中で、この大学教授の方だけが明るくハキハキと上記のような趣旨の発言をしていたのは印象的でした。


彼の言う「規制緩和」というのが非正規雇用による労働環境の悪化を放置するものだとしたら、それは結局は富める者とそうでない者との差を固定化するだけになります。

規制緩和によって結果的に国家予算が増えるとしても、それが子供への教育には使われても、現状の労働環境の改善につながらないのであれば、必然的に“敗者”を作り出すシステムを志向することになります。


大雑把な議論ですが、“チャンス”というものは子供にも大人にも与えられるべきです。そのためには、予算は子供の教育だけでなく、中高年の人たちがチャレンジする機会の提供のためにも使われたほうがいいでしょう。「失敗した人たちに対して国家が面倒見てはいけません」という彼の意見は、だから社会のためにはならないのではないかと思います。

低所得の人たちへの支出は福祉依存を生むのではないかという怖れを上記の財政学の教授はもっているのかもしれません。しかし、福祉依存が問題であるとして、依存させないために放置するというのも、その考え方自体が問題です。

一つの方向性は、中高年の人たちでも、若い人と同じようにチャレンジできる機会を提供することです。それは依存ではなく、自立のためのチャンスを誰にでも、一度失敗した人にでも与える考えです。


ただ、これがいわゆる“第三の道”と呼ばれる(呼ばれた?)「新しい福祉社会」の基本的な構想なのですが、こう書いていてもどこか私には違和感が残ります。

国家財政でできることという視点で議論を考えるために、一方では「弱者を救うのは二の次」という意見が出て、もう一方では「いや弱者にも援助とチャンスを」という意見が出ます。両者は対立するように見えますが、「弱者」の問題を国家財政・官僚制度との関連で考える点では同じです。

しかし、必要なことの一つは、学者・識者としてではなく、一人の人間として自分は「弱者」のことをどう考えているのかを、誰もが内省することのように思います。そうしなければ、「弱者側」に付くと妙に深刻な表情で現状を嘆いたり、「財政健全化側」に付くと妙に元気になって“強者”を擁護する意見を述べるようになります(テレビに出てきた人たちがそうだったという意味ではなく)。

「弱い」立場にある人たちを目の当たりにして、自分はどういうように感情を揺さぶられているのかを見つめない限りは、どれだけ奇麗事を言っても、聴く人の気持ちに訴えることのない上滑りした言葉しか出てこないように思います。


『不変の経営・成長の経営―伸びる会社はどこが違うのか』北尾 吉孝(著)

2006年07月23日 | Book

今日、図書館で何気なく『不変の経営・成長の経営―伸びる会社はどこが違うのか』という本を手に取りました。30分ぐらいで全部読める分量です。

ライブドアとフジテレビの闘争で突然表舞台に踊り出たソフトバンク・インベストメントの北尾さんが2000年に出した本です。経営者のあり方についてさらっと語りおろしたという感じです。

北尾さんと言えばライブドアや楽天の敵対的買収にかなり批判的なスタンスを取っていたのですが、この本を読むと彼は企業買収やベンチャー志向といった最近の日本の「市場原理主義化」に必ずしも反対ではなく、むしろそうした方向性を推進すべきと考えているんですね。ただ敵対的な買収や株式の一万分割・会計粉飾といったアンフェアなことが許せないだけで、インターネットを通じた企業や時価評価額を基にした企業価値の向上といったここ数年の新しい日本経済の方向性自体にはとても肯定的であることがkの本を読むとわかります。以下、彼の主な主張を抜き出すと・・・


・日本の経営者は感情論ばかりで、合理的な基準をもたない

日本の経営者には「会社と労働者が一体になった企業」とか「社会貢献をする企業」といった抽象的で感情的な目標を掲げる人が多いそうです。ライブドアや楽天に批判的な北尾さんも、私はそうした道徳的なことを語りたがる人なのかなと思っていたのですが、この本を読むと、むしろ彼はそのような情緒的なことを目標にする経営者を批判し、それでは企業は明確な目標をもち得ず、行動の基盤がはっきりしないと言います。

そのような労使協調が日本の企業共同体の特徴だったのですが、むしろそこに生まれた停滞的な閉鎖社会の弊害や、変化への対応に遅れた日本の大企業の欠点を見ます。

むしろ北尾さんは、企業ははっきりと株式の時価評価額の向上を目指すべきと説きます。企業は株主のチェックを受けることで、利益(キャッシュ・フロー)の増大という明確な目標ができ、合理的な行動ができるようになります。また株式の価値を基準にすることで、会計粉飾や反社会的な行動がダイレクトに株価に反映されるため、企業は今まで以上に社会と調和した行動を取るようになります。


・日本の経営者は学問を経営に取り込まない。

上記のことと関連しますが、日本の経営者は「社会貢献」とか「労使協調」とか“志”ばかりを大事にして、結果的に大企業は社会の変化に対応した合理的な行動をしない。そのような惰性の行動の背景には、最新の学問の成果を経営に取り入れようとしない企業風土がある。

それに対してアメリカではビジネス・スクールが発達して、MBAをもつ若者たちがそこでの学問の成果を生かしてつねに新しい経営手法を実践しようとする。


・若者に開かれた利益獲得のチャンス

これも上記のことと関連しますが、企業価値が経営判断の基準となることで、アメリカの企業には、日本の企業のようなサラリーマン経営者・官僚経営者ではなく、若くても能力のある人に経営に参画するチャンスがどんどん与えられる。株価が唯一の基準となることで、年齢と出世が関係しなくなる。

大企業の経営に参加できれば、その企業の大量の株も与えられ、(億、数十億単位の膨大な収入が有能な人には与えられる。

それに対して日本ではたとえ一流大学を出ても大企業に入り、せいぜい50代・60代で経営者になれるだけで、多くは短い任期でやめなければならないため、自分の任期の間は新しいことをやろうとしないサラリーマン経営者ばかりが生まれてしまう。


・資本の最適な再配分

これも上記までのことに関連しますが、そのように株式の所有、株式の公開による膨大な報酬の獲得ということがエリートの成功例となることで、新しいビジネスチャンスにつねに新しい才能と資金が投入されます。そのことにより経済全体が活性化します。

それに対してこれまでの(少なくとも20世紀までの)日本の大企業では株式の持ち合いが主流だったため、資本市場が発達せず、資本が新しい事業に配分されるスピードが遅くなっていました。


このように見ていくと、北尾さんの経済観というのは、ひじょうにオーソドックスな「新自由主義的」「市場原理主義的」で、資本主義のいい側面を強調しようとすることが分かります。

北尾さん自身は、これまでの労使共同体的で官僚主義的な日本の企業ではなく、利潤を基準とした合理的な企業経営が主流となるべきで、そこでは若い人が富豪になるチャンスが生まれ、新しい事業が生まれ、それにより社会が活性化すると考えているのでしょう。

堀江さんや三木谷さんに対しては非常に批判的だった北尾さんですが、株式価値の向上・新しい分野での起業・若くしての成功といった点では、北尾さんの新しい経営者のモデルに前二者はとても近かったように思います。ただ最初のボタンを二人は掛け違い、敵対的な強引な買収や株式の一万分割といったアンフェアな行為で利益を追求したことが許せなかったのであって、株価・企業価値を基準とした合理的な経営という点では、北尾さんと堀江さんや三木谷さんはとても近いものを持っていたのだと思います。

いまや多くの人にとって北尾さんが述べていること自体に目新しいものはないでしょう。それはまさにヒルズの人たちが宣伝してきた標語だからです。

しかし、重要なのは、堀江さんや村上さんのように「犯罪」が発生してもなお、これらの企業価値を基準とした優勝劣敗の経済競争・新しいリッチ層の誕生といった北尾さんが描く日本経済の新しいビジョンが出現するかどうかであり、それが本当に社会全体に富を還元させ、社会にダイナミズムをもたらすのか、あるいは富裕と貧困の階層的固定化をもたらすのかです。


雨の公園

2006年07月23日 | 日記


今日は明石にある県立図書館と明石市立図書館へ、借りた本の返却と延長のために行ってきました。合計で10冊近くはあるぐらい。その殆どを貸し出し期間で読むわけではもちろんなく、ほとんどは延長して何週間もかけて読みます。あるいは借りたけど読まずに返したり。

図書館に行くと、ついついあれもこれもと借りてしまいます。そのため行き帰りの荷物がとても重くなる。そのため今年初めにキャスター付きのキャリー・バックを買いました。それでもやはり重いとゴロゴロ転がすのも一苦労です。腕の筋肉は結構ついたかもしれない。

今日の明石は夕方頃に雨が降ってきました。雨の中をキャリー・バックを引いて帰ることを思うと憂鬱でしたが、図書館を出て出口に向かって公園の中の坂を下りていくと、少しの雨の量と濃い緑がマッチしていい雰囲気でした。雨が降ることで自然が世界を支配する雰囲気が高まったのでしょう。「この日のために雨が降ってくれたのね」という知り合いの昔の言葉を思い出しました。

図書館は休日のためか比較的多くの人が来ていました。いつも感じることだけど、図書館にいる人の顔・雰囲気というのはあまりいいものではありません。何か独占欲・収奪欲がとても強い欲深い顔をみなしているように思います。

本を読むというのは元来エゴイスティックな行為です。(物理的あるいは心理的な)閉鎖的な空間に独りでこもって快楽を得ようとしたり、「役に立つ」知識を仕込もうとしたり、と。そうしたエゴイストたちが集まっているのですから、図書館の風景というのはあまりいいものにはならないのかもしれません。

図書館と言えば、先日神戸市立図書館に洋書のペーパーバックを頼んだら、購入してもらえました。価格が千円か二千円ぐらいであれば、購入を検討してもらえるのかもしれません。洋書は利用度が引いという理由でこれまであまり公立図書館では購入されてこなかったかもしれませんが、逆に言えば蔵書が少ないから図書館での要所の利用が少なかったのかもしれません。

これからも英語を読む人は増えるわけですから、洋書の購入を図書館に頼む人が増えれば、より多く購入してもらえるのかもしれないですね。

また日本に滞在している外国の人の利用ももっと増えるかもしれません。現在の公立図書館で海外の人の顔を見かけることは殆どないし、アジアの言葉を聞くこともありません。


涼風

晴れ間

2006年07月21日 | 日記


大雨はまだまだ続きそうですが、今日は神戸・明石では少し晴れ間がのぞいています。気温も低めで心地いいですね。蝉も静かに鳴いています。

こういう日が続いてくれるといいのですが。


涼風

視聴覚コーナー

2006年07月21日 | 日記

昨日、おとといと神戸市立中央図書館の視聴覚コーナーを利用してみました。DVD鑑賞です。これまで使ってみたことはなかったけれど、意外と使い心地はよかったです。

ボードで区切られたスペースにテレビと椅子が置いてあるのですが、使う前は窮屈なんじゃないかと思っていました。でも使ってみると、椅子に座っても(一人なので)思い切り足を伸ばせるし、わるくありません。

近くの児童図書コーナーから子供たちの騒ぎ声が聞こえてきますが、まぁそれも大して気になりません。子供の「おかあさん、おかあさん」という声は、不快なものじゃないですからね。

ここではCDやDVD、LDを視ることができます。映画はそれなりにストックがあるみたい。これなら、近くに住んでいる人はレンタルで借りるよりも図書館をよく利用しているんじゃないだろうか。

私が見たのはバレエのDVDでした。昨日見たのはルドルフ・ヌレエフ振り付け・主演の『白鳥の湖』(1966)で2時間近くの内容。初心者には2時間のバレエを休憩入れずにぶっとおしで見るのは不安でしたが、見てみると(それなりに集中力を要したけれど)あっという間でした。

初めて利用した図書館でのDVD鑑賞ですが、なかなかよかったです。


涼風

QBハウス

2006年07月19日 | 店舗を観察して


朝方はもう何もする気が起きず、嫌な感じを感じながらも布団で臥せっていました。気分の悪さを引きずって。昼頃に起きると昨日までの調子の悪さがだいぶ抜けていたように思います。

外は大雨の間の曇り空。昼頃に起きたために、なんだか手持ち無沙汰で何をすればいいのやら。

食事をして、他の所用もあったので髪を切りに三ノ宮駅のQBハウスへ。ここは1000円でカットしてくれるお店で、最近は色んな所で見かけます。多くの男にとって髪を切るというのはただただ早く時間が過ぎて欲しい時間です。べつに凝ったスタイルなんていらないから短くしてくれればOKです。そういう人たちにとってはたしかにQBハウスの登場は衝撃だったと思います。なんだか吉牛の感覚で散髪屋が登場したみたいです。

僕がいつも利用する三ノ宮駅のお店では、店員さんも親切に対応してくれます。また、だからと言って個人店のような親密な空間でもなく、無理に店員さんと会話する必要もありません。

シャンプーもなく、時間はたしかに10分ぐらいですみます。待つ時間を合わせれば、大体20分以内でしょうか。

こういう場所は有難い反面、こういう場所で働くことは店員さんにとって幸せだろうか?とも思います。とても狭い空間の中で、とにかく大量のお客さんの髪を切っていきます。それだけ細かいセットをしなくていいので、技術的には簡単なのだと思いますが、こうしたフランチャイズ店で一生働きたいと店員さんに思わせているでしょうか?

もちろん、お客のニーズを満たしているという点では、いいアイデアのビジネスなのだと思います。ただ、それが働く人をもし“道具”“材料”と見なすことにつながり、社員・アルバイトのライフ・デザインを無視したビジネスであり続けると、それは結果的に社会にマイナスの作用をもたらすことになります。

QBハウスにせよ、牛丼屋にせよ、格安商品を扱うチェーン店・フランチャイズ・ビジネスはたしかに消費者にとって便利なのですが、こういう場所で働いている人に幸せをもたらしているのでしょうか。もしそうだとしたら、消費者にも、また社会全体にもいい作用をもたらす活動だと思います。


涼風

だるくて眠い

2006年07月18日 | 日記
相変わらず疲れています。症状としては、ある程度睡眠時間(多分7時間ぐらい)取っているのに、日中も眠くて体がだるく、昼寝で一、二時間寝てもいまだに体がだるく眠いこと。眠いと言っても寝ることはできないのですが。気分も悪く鬱鬱としています。

「過眠」というのも一つの病気だそうですね。こんなことで病院に行く気にはなれませんが、どうすれば治るだろうか。


涼風


『書く英語・基礎編』松本亨(著)

2006年07月18日 | 語学
今年に入ってから毎日少しずつの時間をとって松本亨さんの『書く英語・基礎編』をやっていました。最近になってほぼ終りました。

僕は英作のトレーニングをからきしやったことがないので、なんだか気持ち悪いのでやってみました。英作を勉強すれば多少英語が口から出やすくなるんじゃないかという願望もあって。

最後まで通してやった感想としては、果たして半年もかけてやる価値があったかどうかは分からないというのが本音。レベルがちょっと易しすぎて、応用力がついたかどうかも分かりません。やる前と果たしてどれだけ英語力が変わったのか?です。

英作文の問題を解いた際には、ついでに対応する独作文も書きました。独作は以前は結構していたのですが、最近はかなり忘れています。そこで復習のために英作ついでに独作もやりました。英語にしても独語にしても基本単語を思い出す訓練になったかもしれませんが、半年以上も時間をかける価値があったのかどうか・・・

まぁ、外国語を話す機会はないので、どれだけ語学力が向上したのかはわかりませんが、英作をまともにトレーニングしたことがなかったので、「英語に少しは慣れた」ということでよしとします。次からは有名英語講師が高校生のために書いた英作文の参考書を使ってみます。これで多少は力の向上が実感できればいいのですが。


涼風

疲れてます。

2006年07月17日 | 日記
なんだかここ数日の暑さのためか、体がぐったり疲れている。今日は涼しかったのに。夕方に1、2時間寝てだいぶ疲れがとれた感じだけれど。

暑いときは、なるべくクーラーを使わずに、アイスノンや冷たい水を浸したタオルなどを顔・体に当てたりして過ごそうとしています。

それは、クーラーでかかる電気代を抑えられたらなぁということ。それと、ここ数日のようにあんまり暑いときは、どれだけクーラーを使ってもキリがないということもあります。

クーラーはたしかに涼しいのですが、一、二時間つけて切れると途端に温度が元に戻って暑くなります。すると一日中クーラーをつけていなければならなくなるのですが、電気代のことと同時に、ちょっとそういうのは異常のような気がする。

ということでなるべくクーラーを使わずに済ましたいと思っています。毎年この時期には「今年はクーラーをあんまり使わないぞ」と思い、それでも暑くなると結局使いたいだけ使っているのですが、今年の決意は例年より強い感じがする。

ただ、昨日や今日はとても体が疲れているのですが、これって、クーラーを使わずに暑さに耐えているために体が疲れているのかもしれない。やっぱり無理はいけないのかな。

しかしクーラーがなければまともに日常を過ごせないというのも、おかしな気がする。これも社会学が言う“created enviroment”ってやつか?ちがうか?

今の家電メーカーに求められていることは、クーラーのように電気代がかからず、しかし(クーラー程ではなくても)ある程度涼しい製品を開発することだと思う。ジャパネットたかたが去年に宣伝していた「冷風扇」のような製品は、あんまり涼しくないそうですね。たしかに涼しい風は出るらしいのですが、その製品自体がすごく熱くなるそうです。難しいですね。メーカーの開発に期待です。


涼風

図書館の趣旨

2006年07月15日 | 日記
神戸市で一番大きい公立の図書館「神戸中央図書館」には本だけではなくDVDやCDも置いてあります。と言っても貸してくれるわけではなく、館内に設置してある「視聴覚コーナー」の机に座ってヘッドフォンで視たり聴いたりできます。

そこでバレエのDVDが置いてあるか検索したら結構あるので、初めて使ってみようと思いました。

じつはバレエのDVDについては、TSUTAYA某店舗にリクエストを出したのですが、一ヶ月以上経っても連絡が無く、お返事ボードで入荷が無理だった旨の連絡も無く、あきらめていました。

図書館でDVDを見るというのもなんか窮屈ですが、一枚一枚DVDを買うのも高価なので、一度「視聴覚コーナー」を利用しようとしました。しかし今日行ってみると満席で使えませんとのこと。やっぱり土曜日は混んでるのかな。最終の5時から7時半までの時間帯なら空いていると思ったのだけど。

でも、図書なら貸し出しできてDVDやCDは貸し出しできないというのは、多分合理的な理由は無く、質問しても「そういうものだから」という返事しか返ってこないと思う。以前にあるCD-ROM形式のオーディオブックの購入を頼んだことがあるのですが、「図書館の趣旨にそぐわない」という理由で断られました。

紙の文字を読むという行為と音で言葉を聴くという行為と映像を見るという行為には、情報を得るという点では違いは無いのですが、私たちはどうしても「本」という情報源が何か高尚で特別だという意識があるのかな。

「高尚」というのは違うかな。むしろ、紙の文字による情報の吸収は「勉強」であり「真面目」だという観念なのかもしれない。

でも、それも違うかもしれない。世の中では毎日のようにいろいろな場所でじつに沢山の「シンポジウム」「講演会」なるものが開かれ、パネラー、講演者として呼ばれた人たちの発言を聞きにわざわざ外出する人が世の中には多くいます。

でも、1時間か2時間で人が話せる情報量なんて少ないし、人の話を聴くというのはとても骨の折れる作業です。それにいつもと違う慣れない場所で慣れない椅子に座って話者の話を聴いてそれを手を動かしてメモを取るなんて行為は、情報を得るという当初の目的に比べれば非効率的に労力を強いるものだと思う。

だから、本当はシンポジウムとか行くよりも本を一冊でも読めばより多くの情報を得られるのですが、それでも私たちはなぜか人の話を聴きに行きます。

しかし、図書館では「聴く」という行為は図書館の本来の趣旨とが少し違うと思われているから、CDやDVDの貸し出しは行われていないのだろうか。


涼風

暑い暑い

2006年07月13日 | 日記
今日(もうすぐ昨日)の神戸は異常な蒸し暑さでした。生きているのがやっとという感じです。私は水を500ml、お茶を500ml以上持って出たのですが、どちらも全部飲み干してしまい、さらにアイスコーヒーとミックスジュースとミックスフルーツジュースを外で飲んでしまいました。

今日のような暑さを体験すると、あのワールドカップでの日本代表を批判することなんでできません。もちろんドイツはこんなに蒸し暑くないでしょうが、それでも暑さの中で90分ぶっ通しで走り続けるのですから、プレーするだけで頭が下がります。


涼風