joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

写真

2006年03月31日 | 絵画を観て・写真を撮って


写真を撮っていて想うのは、肉眼で見た世界と写真の世界とは全く違うのだということ。

僕は生まれてから自分のカメラを持ったこともなく、今もないのだけど、親が買ったデジカメで写真を最近撮っています。

撮る前は、たんに見て「いいなぁ」と想う風景とかを写真にすればその感動は残るものだと思っていました。

ふだん私たちは、何気ない風景、ありふれた道路、家々、木々とかを見て、何となく“日常の味わい”みたいなものを感じて、大きく感動しなくても「あぁ、いい感じ」と思うことが多いのだと思います。

例えば夕方の駅前。目の前に広がる道路。そんなありふれたものを見ても、そこに何がしかのよさを感じるものだと思います。

でもそういうものを写真に撮っても、何も面白くない。肉眼で見たいい風景が、デジカメで見直すとすごく退屈な写真になっているのです。

写真というのは残酷です。

涼風

近所

2006年03月31日 | 日記

父親と母親が岡山の親類のお葬式に出かけたので、昨日と今日は家で一人です。

今日は金曜日で生協が宅配に来る日でした。近所の家々が頼んだ食料をまとめて運んできてくれます。

母親に頼まれて私も家の外に出て食料をもらいに行きました。

平日に男が生協の宅配を取りに来て、周りの人にどう思われるかちょっと緊張しましたが、昔から知っている人たちなので、普通に接してくれてほっとしました。

涼風

『西欧精神医学背景史』 中井久夫(著)

2006年03月30日 | Book
精神科医の中井久夫さんの『西欧精神医学背景史』を読みました。この本はの内容は、ほとんどそっくりそのまま同じ著者の『分裂病と人類』にもおさめられています。後者には他にも「分裂病と人類」「執着気質の歴史的背景」という論文が収められ、それらがおもしろかったので「西欧精神医学背景史」も読んでみました。

この単独の『西欧精神医学背景史』は、『分裂病と人類』所収の「西欧精神医学背景史」に詳細な脚注・参考文献を施したもので、後で独立した本として出版されたものです。

「分裂病と人類」「執着気質の歴史的背景」で著者は、人類の精神構造を読み解く概念として「分裂的気質」「執着気質」「ピューリタニズム」「職人根性」などを挙げていました。

「分裂気質」は狩猟採集社会で見られ、執着気質は日本の近世に顕著な労働倫理です。「ピューリタニズム」は著者には「分裂気質」に近いものとしてとらえられており、「職人根性」は「執着気質」と区別されるポジティブな労働倫理としてとらえられていました(詳しくは以前のエントリー「分裂病と人類」「執着気質の歴史的背景」を参照)。

著者には、分裂気質とは現代では病的なものと見られているが実際にはそれが病気がどうかは時代状況に影響されます。またそれに対し執着気質は一見肯定的な労働倫理として近代社会では(とくに日本では)とらえられますが、それは時代の変化に対応できない硬直した人間性をもたらし、それが同時に刹那的な経済優先の論理をも生み出します(こうした論理展開はヴェーバーの『プロ倫』を思い出させるし、おそらく著者も強く意識しています)。

この執着気質と対置されるものとして著者はピューリタニズムの自律性・独立性・個人主義の倫理を挙げ、またチクセントミハイの“フロー”を彷彿とさせる「職人根性」という“活動”における心的現象を指摘します。

こうした問題関心をもちながら、著者は『西欧精神医学背景史』では西欧の文化と精神医学の発生との結びつきを観察しながら、古典古代における呪術的思考と脱呪術的思考との拮抗からルネサンスにおける統一的世界観(一挙に世界を把握しようとする思考)を経て、魔女狩りというヨーロッパ人による神殺しにより近代が開け精神医学が発生した過程を大胆に論じます。

著者は前半でギリシアにおける呪術的な精神治療の存在を指摘し、同時にそれらに拮抗するものとして、一切の呪術・密儀的なものを拒否する“啓蒙運動”の無視できない勢力をも示すことで、古代にすでに“モダン”(著名な哲学者たちも含まれる)が存在したことを著します。

しかし精神の治療という点ではこの“モダン”は影響力をもたず、むしろ狂気の治療において実践的な効果をもったのは呪術的な治療でした。

ここからローマの滅亡、古典古代文化のアラビア世界への継承などの過程で精神治療が辿った軌跡をみながら、著者は中世の魔女狩りをヨーロッパ文化においても精神医学の成立においても決定的と見る叙述をします。

著者は、詳細な歴史記述は省きながらも(この本は170頁で人類の歴史を描いているのだ)、魔女狩りが起こった文脈を魔女狩りという現象以外の社会変動を考慮して描き出そうとします。

まずイタリアを中心に花開いてしまったルネサンス。古典古代の哲学をアラビア経由で摂取しようとしたこの文化的動きは確かにローマ法や古代の文芸復興を目指しながらも、著者によれば同時に「魔術的、占星術的、錬金術的なものと結合した秘教的ネオプラトニズムの復興」でもありました。ネオプラトニズムとは「世界を統合的な一全体として把握しようとする試みで、しかも実例の収集枚挙や論理的分析によるのではなく、直観と類比と照応とを手掛かりとして、小宇宙から大宇宙を知ろうとする試み」です。「例えば人体は大宇宙の照応物としての小宇宙であり、人体を知ることによって宇宙を知ることができるとする。逆に、星の運行によって小宇宙すなわち人間の運命が予知可能であるとする」ものです(27頁)。

こうした彼らの試みは、当時のペストの拡大(人口の3分の一が死亡)、大公開による金銀流が引き起こしたインフレ、梅毒の流行、ルターの教会批判と宗教戦争による農村の荒廃などの大変動の時代に起こっていました。こうした大変動の時代では、論理的な推論ではなく、一挙に世界の運行を予測する思想が求められていたからです。「これらの問題を現実の平面において解決することに彼らは失敗したのであった。彼らの多くは幻想のレベルにおける解決を、占星術と結びついたネオプラトニズムを媒介として行おうとした。実際この時代ほど未来の予知が緊急の課題であったことはなかった」。そして「急激な現実の変化に対して、人々は極度の不安に陥っていた」(28頁)。集団ヒステリーがここから起こります。

こうした経済的不安、生存の不安が魔女狩りの背景にはありました。つまり、農民は農村の荒廃に疲れ果て、領主は農民の経済活動減退に怯えていました。こうした事情に、不況下での官職の不足と官僚の失業=ルネサンス教育を受けた大卒者の就職先の消失という問題が重なります。

一方では自分達の経済的破綻と悲惨な境遇の責任を求める者たち、もう一方では宇宙運行の予測の術を学びながら職のない者たち、さらに失職の恐怖に怯える官僚たち。実はこれらの者たちの欲求をとりあえず適えてくれるのが「魔女」の虐殺でした。

民衆は魔女狩りによって自分達を襲った運命の理由を見つけ出すことができ、領主は民衆の怒りの矛先を魔女に押し付けることができ、ルネサンスの中で学んだ者たちは世界を理解することを示すことができ、官僚たちは魔女狩りによって自分達の仕事を作り出すことができました。

またこの「魔女」の殺戮は、上記の者たちが行った殺戮の一つでした。すなわち、当時には「魔女」と並んでユダヤ人・アラビア人(十字軍・異端審問)もが殺戮の対象となったということです。

著者はここに、ヨーロッパ人の集団ヒステリーが「親殺し」の形をとったことに注目します。つまり、ユダヤ人はアラビアからの文化的翻訳を行いアラビア文化とギリシャ・ローマ文化をヨーロッパに伝え、アラビア人はヨーロッパの古代文化だけでなく後のヨーロッパの哲学・科学の発展を導く思想を欧州に伝えた後に虐殺の対象にされたのです。

魔女狩りとはこのような“育ての親殺し”の延長だということです。

すなわちそれは中世における女性文化であり、それは「遠く古代オリエントの地母神崇拝に始まり、エジプトにおけるオシリス崇拝、ギリシア・ローマにおけるアフロディテー・ヴェヌス崇拝を経て、一方ではマリア信仰、聖女崇拝となり、ケルト族の文化の中で聖盃伝説にうけつがれてゆ」きます(35頁)。また一方で「土俗的な女性文化」もありました。

これらの女性文化の中には農村における“薬草で治療する老婆”もおり、後のルネサンスのネオプラトニズムよりも遙かに早くその一人はすでに二世紀に「統合的な神秘体系」をつくっていました。

このように中世に至るまでヨーロッパでは女性は畏怖の目で見られていた側面があったのですが、ルネサンスの知識人たちはこれらの「治療する老婆の文化」を、それらが本質的には自分たちの思想の先人だったにもかかわらず、というよりだったからこそ、「過去を代表する、薄汚く、いかがわしいもの」とみなして抹殺しようとしました。

このような経済的・文化的な勢力覇権の争いによってヨーロッパでは「親殺し」が行われたということです。

著者はこの魔女狩りの終息によって、つまりルネサンスに先んじて統合的な世界把握を行ってきた呪術的思考がルネサンスという統合的世界把握によって排除されつくした後で、初めて精神医学というものがヨーロッパで発生したと論じます。

著者はその代表的であり先駆的な場所であるオランダに注目します。

著者によればオランダは中世においてすでに「商品経済に適合した集約的な労働が営まれ、そこに勤勉と工夫に基づく近代的な職業倫理が最も受容されやすい素地」であり、その自由な雰囲気によりユダヤ人の移住地にもなっていました(45頁)。

このこととオランダがカルヴァン派が普及した場所でもあることはおそらく結びついていました。この派の人たちは「確かにサタンの存在を深く信じる人たちであるけれども、彼らの預定救霊説によれば、サタンとの闘争は現世における勤労によってなされるべきものであり、また神があらかじめ定め給うたことに関してサタンは無力」でした(46頁)。

このようなカルヴァン派の論理と都市の商業の発展によりオランダは独特の自由の空気を生み出します。「カルヴィニズムと自由思想は現実に共存しえたのであり、この両者が相まって、まずオランダにおいて思想的寛容、世俗化、契約に基づく人間関係、現世内禁欲、勤勉と工夫による問題解決、すなわち―全体的総合により導出される解決ではなくて―現実世界の中を行動し、実例を枚挙し、困難を現実の水準での勤勉と工夫によって克服しようとする、統合主義syntagmatismから範例主義paradigmatismへというべき大きな思想的転換がなされ」ました(47頁)。

自由な雰囲気から生まれたこの勤勉が支配する「範例主義」は、測りえないものを虐殺する“親殺し”から、それらを矯正すべき病者と見なす視点を生み出します。もはや狂気を表現する人間は燃やされるべき悪魔憑きではなく、「道徳的に堕落した怠け者」へと変身したのです。

著者は論文「分裂病と人類」において、分裂気質の者とは、微分的認知の能力を失った社会において、それら能力を確保すべくこの世にもたらされた社会の貴重な人財ではないかと述べています。おそらくその記述と対応するかのように、かつてその能力で薬草で病者を癒しディオニソス的治療を行いえた者たちは、魔女狩りを経て、処刑の対象から矯正の対象へと転換していきます。それはヨーロッパ人の自らの親殺しに対する罪滅ぼしであるかのように、どこか罪悪感を伴った柔軟性のない試みだったのかもしれません。自由であるはずの雰囲気の中で、もはやルネサンス的思考にもとらわれていないにもかかわらず、ヨーロッパはその自由の中で範例主義という硬直したレンズを用いるようになります。

著者は次のように述べます。「産業革命とフランス大革命を境として、それ以前においては、―人間を集団で扱うモデルは修道院のような多様な人間集団社会であったためであろうか―精神病者は犯罪者や売笑婦、身体障害者などとともに“施設”(Institution, Anstalt)に収容されているが、産業革命による大工場制度および大刑務所の出現、フランス大革命期を契機とする国民皆兵による常備軍、義務教育などの出現によって、人間集団を統制するモデルは刑務所や兵営に変換され、精神病院も、精神病者のみを収容し、男女を区別し、しばしばし制服を着用させ、すべてを同一形式の部屋とし、同一症状の病者を同室に集めることとなる。管理上の能率を理由に数千人を収容する大精神病院が出現する」(51頁)。

またこのような矯正の対象としての精神病者が誕生がすることにより、医学教育はそれまでの講壇による教授・思弁的な錬金術的生理学・ルネサンス的解剖学などから、具体的に病人に接する「臨床教育」重視へと転換しました。そこでは「個別的な精密な臨床観察、病理解剖所見との対応、統計的方法による総合、百科事典的記載と一切枚挙的な疾病体系の建設」(51頁)という近代臨床医学の基礎が成立します。

このような精神病院の建設はそれまで癒されるべき者を迎えていた修道院の消滅と結びついていました。呪術的思考が漂っていた時代では畏怖すべきものが存在すると同時に、測りえないもの・人をそれとして許容する文化がヨーロッパにはありました。

しかし魔女狩りを通過して市民革命とカルヴィニズムの展開を経た今、すべての空間は道徳的に立派な者と劣った者が存在するだけの場所へと変わり、劣った者は秩序化された「病院」に収容されるだけになり、修道院のごとき「現世を避ける人々」を受容する場がヨーロッパから失われます。それゆえ「人々は容赦なく貨幣経済に巻き込まれ、労働か投機に身を投じなければならなかった」のです(64頁)。

著者は、産業革命と市民革命を前後する歴史的過程の中で、カルヴィニズムの勤勉の論理が支配の論理へと転化した事実を指摘します。それは多くの歴史家がしていることなのでしょう。

しかしヴェーバーと同じく著者も“なぜ両親に耳を傾ける勤勉の論理が資本の運動に身を委ねる支配の論理、あるいは政治的・軍事的征服を正当化する支配の論理へと転化したのか?”という原因の詳細な分析は行っていません。

カルヴィニズムが教会の権威を無にし聖なる者を自己のうちにのみ存すると見なしたとき、そこから世俗化がはじまったと研究者は説明します。しかし、ではなぜ権威のよりどころが自己のうちにのみ存すると見なすと、人は自己のうちにあるはずの権威をいとも簡単に忘れ去ってしまったのか?それとも、人間は弱い生き物だからそんなことは自明だというのか?

ともかく西欧の、また世界の歴史においては勤勉の論理から支配の論理への転換が至る所で観察され、日本もその岐路に立たされていると言えるかもしれません。

支配の論理が広まるところでは「勤勉は依然説かれたにせよ、それは通俗道徳としてであった。慈善あるいは福祉は、人々を堕落させるものとしてつねに強力な反対にあった」(70頁)。

読んでいて気になるのは、硬直的(に私には思える)な「範例主義」を生み出し、聖なるものをこの世界から追放したカルヴィニズムが、しかしそれが支配の論理へと転化する前は、精神病治療と幸福な関係を結びえたことを著者は指摘しています。

それは例えば、医師としての職業倫理に基づく医師が労働治療を行っている収容所を定期的に訪れる図もありました(66頁)。

あるいは「有名なテューク家」のように、イギリスの片田舎に「ヨーク退息所 (York Retreat)」を設け、軽症患者が村の街路を歩き、ときに村人の家に下宿するなどの「モーラル・トリートメント(moral treatment)」であり、そこでは治療者が家業として精神病者とともに生活する伝統が発展したということです。著者によれば、それは「積極的に天職callingの倫理」に基づき、「職人的に洗練された技能」だということです。

逆にこの様な天職の倫理をもたない医師は、この時代には「技能を技術として解」すことになり、19世紀前半までは“ジェントルマン”として、それ以降は“科学者”として世俗の支配の論理で優遇される地位を確立します(71-3頁)。


著者は上記の範例志向性による精神治療の“矯正”的性格、医療機関の組織化・官僚制化は、もちろんイギリスだけでなく、過程に違いはあろうと、フランス・ドイツにも見られるとしています。

アメリカはカルヴィニズムの勤勉の論理が最も顕著に支配の論理へと転化した地域です。著者はその原因を「西部へのフロンティア運動」にみます。すなわち、「プロテスタント的勤勉の倫理が、その他、その職に踏みとどまって努力するということを前提とするからであり、フロンティアの開放は、この倫理の規定を掘りくずし、端的な「力の倫理」に道を譲らせる強い傾向をもつ」からです。このような状況では精神病者は優勝劣敗に必然として顧慮されませんでした(82-3頁)。

(こうした「大陸」あるいは地理の感覚と人間の心性との結びつきは、専門家には自明すぎることなのでしょうか。著者は後半でロシアについて言及する際にも、その文化が端的な「量の追求」を目指すメンタリティを備えていることを重視しています)

このようにして精神医学、「正当精神医学」が範例主義・症例の詳細な記述・巨大精神病院建設などを擁し大学の医学のメイン・ストリームになったのに対し、ヨーロッパにはそれに包摂しえない精神医学、「力動精神医学」が誕生します。

この「力動精神医学」は当初大学の外で、民間の呪術的治療の技能をもった者から生まれます。後にスイスの20世紀の精神科医エランベルンジュが『無意識の発見』で詳細に記したように、患者と一対一で“ラポール”を成立させ催眠術を行う治療の発達です。18世紀には民間
の間で広まったこの治療により、人々は人間の人格には表面上の人格の裏側にもう一つの人格が存することを意識するようになります。

(この術師の代表者の一人の名前は「メスメル」といい、mesmeriz「(催眠術をかける」という言葉はここから生まれたのでしょう)

こうした呪術的治療は古典古代の時代から存在していたもので、魔女狩りによって息の根を止められたかのように見えながら、「無意識」というものの存在がまるで動かしえない事実であることを証明するかのように、再び歴史の表舞台に登場してきました。

フロイトの業績はこうしたヨーロッパのもう一つの精神医学の展開の文脈の中で理解されるべきものであり、精神分析が彼の全くの独創でもなんでもないことをエランベルジュは明らかにしています。『無意識の発見』の翻訳者の一人である中井さんも次のように述べます。「(フロイトが強調した 引用者)転移についていえば、神経症を転移神経症に変換して治療することは(…)、広い文脈においては完全本復治癒(…)を理想としつつ疾患をまず別の、より無害な、治療しやすい疾患に変換することを治療とする太古以来の医学、特に精神医学においてはおそらくシャーマニズムの成立以来の、治療手段であり、狭い文脈においても18世紀末におけるラポール発見以来の伝統に沿うものであろう」(95頁)。

著者によれば、このような力動精神医学の正当精神医学に対する対抗文化性は、力動精神医学がウィーンやパリなど大学(=正当精神医学の温床)との関わりが希薄な独特の“サロン”を発達させた都市で広まったことと結びついていることを指摘します。

つまり、16世紀に成立したヨーロッパの家屋における「個室」を舞台としたサロンにおいてこそ、広場の笑いや激論は「密室の秘めやかな忍び笑いや内省的なつぶやき」に変わり、「人間心理の細やかな襞や対人関係の微妙な感覚」といった精神分析に不可欠な要素が発達しえたということです。「この変化が、例えば英語においてself-を前綴りとする多数の単語を輩出させたことは、ピューリタニズムの一つの物質的基礎といってもよいほどであろう」(110頁)。

ウィーンでフロイトがもてはやされた当時(エランベルンジュによれば、フロイトは当時のウィーンにおいて異端ではまったくなく、むしろ経済的にも名声の点でもその栄誉を享受していた)、フロイトのライヴァルであるピエール・ジャネはフランスで催眠術を実践し、社交界の花形だったそうです(ジャネについても、『無意識の発見』では比較的詳細に紹介されています。エランベルンジュによれば、ジャネは本来フロイトと肩を並べる重要人物)。

ウィーンやパリで力動精神医学が普及したのに対し、ドイツで大きな広がりを見せなかったのは、あまりにも巨大な権威を大学が保持し、大学に対抗する文化的な場がドイツでは発展しなかったことと関連があるということです。

このように正当精神医学と力動精神医学が緊張関係にあったヨーロッパとは異なり、アメリカではそれら二つが奇妙な融合を見せます。・つまり、そのフロンティア精神により歪なまでに実践志向の精神を持つこの地では、科学的な態度と力動精神医学が結びつき、本来微妙な心理に分け入る繊細さを要求される精神分析が、きわめて論理的で簡明な言葉に翻訳され、大学でも受け入れられます。

この傾向は今日でも顕著であり、おそらくアメリカほど大衆に精神分析的志向が手軽な“ドリル”として大衆に広まった国はなく、またそのレディメイドされた心理学は“グローバル化”というキャッチなコピーにぴったりするように世界中に広がっています。

そこでは、A→Bという単線的な思考(これは本来呪術的思考と対立するのだが)が心理分析と結びつき、操作的な態度と治療とが奇妙に融合しています。



ここまで述べた歴史的過程でも中井さんはもちろん上記以外のことを豊富に述べており、その博識とバランス感覚には読んでいて溜息が出ます。

また向精神医薬の歴史についても述べられていますが、素人の私には読解するのはとても困難でした。


ともかく中井さんの関心の一つは科学的思考と呪術的思考、対人場面でのコントロール的態度とモラル・トリートメントな接触、などの歴史のおける緊張関係にあるのだと思います。

そこで大きな役割を果たすのがピューリタニズムなのですが、著者ももちろん分かっているように、ピューリタニズムは上記の緊張関係にある両者に関係しているということです。

「分裂病と人類」「執着気質の歴史的背景」でもそうだったように、中井さんの記述ではピューリタニズムは両義的な内容をもちます。分裂気質と執着気質、支配と自由、これらの両方ともがピューリタニズムと関係をもちます。

これは中井さんが混乱しているのか?それともピューリタニズムにその両者の要素があるのか?あるいは僕が誤読しているだけなのか?あるいは歴史的なほかの要因が作用してそうした混乱した印象をピューリタニズムに課しているのか?

このひじょうに興味深い論文を読んで、そんな疑問を持たされます。

ピューリタニズムは自由を産み、支配の論理を生み、官僚制を生み、モラル・トリートメントを産み、またアメリカでは科学的思考と呪術的思考との結びつき(『10分で神と交信できる!』)を産んだ原因かもしれず、いろいろな疑問をもたされます。


涼風


電話で対応してもらう。

2006年03月29日 | 日記

今日、ある公的な法人に不安なことがあり、電話をしてみました。

ある部署に電話をすると「△△に電話をしてください」といわれました。

△△に電話をかけてみると、すぐにプツリと切れてしまいます。

それで、同じ法人だけれど別の場所にある部署に電話をして事情を話すと、「今混み合っているので、直通の番号をお知らせします」と親切に男の人が対応してくれました。

その番号に電話をすると、東京にかけているのになぜか関西弁風の男の人が出て、その人も優しく対応してくれました。

しかしその人も僕の問題を解決できなかったので、また別の部署につないでもらえました。

そこで出てきた女の人も優しく丁寧に対応してもらい、私の疑問の答えも分かりました。

電話に対応してくれた人たちがみんな優しく感じる人ばかりで、少し嬉しかったです。同じような問い合わせばかりだろうに丁寧に対応してくれたことに感謝です。

涼風

クリームパン

2006年03月29日 | 日記

僕の釈然としないものの一つにクリームパンがあります。

なんだか随分と発想が安易やしないか。

パンという万人が食卓に並べるものにクリームという万人が好きそうな甘いものを入れている。

どちらも西欧発(に見える)なので、相性もいい。

これがアンパンならそうはいかない。パンという洋風とアンという和風とは本来ミスマッチであり、ミスマッチにもかかわらず食べれちゃうからこそファンを作る。そこではミスマッチであるがゆえに僕のように食べれない人間を作り出しながら、同時にファンをも作り出す。

カレーパンもそうだ。そこにはヨーロッパとアジアの出会い(のように見えるもの)がある。だからそこにある意外性が、私たちをしてカレーパンへのこだわりを生むのだ。

しかしクリームパンとはどうだ。そこには冒険がない。ただ合いそうなものをくっつけただけだ。

たしかにおいしいかもしれない。しかしそのおいしさは最初から予想できるそれであり、作り手の創造性も探究心も関与していないのだ。

その証拠に、どんな手作りパンのお店でもクリームパンだけは工夫も何も感じられない。

どうしてこんなことを言っているかというと、最近私の親が買ってきたヤマザキのクリームパンが意外にもおいしかったからです。癖になりそう。

『ロード・トゥ・パーディション』

2006年03月28日 | 映画・ドラマ
たしか2002年ごろに公開された映画『ロード・トゥ・パーディション』を観ました。多くの映画ファンが高い評価を与えている映画です。

うーん、まぁいかにもハリウッドの良質な映画という感じですね。地味ながら重厚(?)なつくりで、それでも観ていて飽きないようにテンポ良く話は進み、画面もかっこよく決まった画面が続きます。無駄がありません。

普通の商業的大作であれば、そういう映画作りでも何も思いません。しかし、こういう一見地味に見える映画でも、セット・背景に手間暇をかけ、一つ一つの場面を映画的な場面として完成させるよう計算して撮影されています。そこには破綻も逸脱もなく、ハリウッド映画の方程式の100点の解答を見せられている感じです。

だからこそと言うべきか、よけいにこの映画の欠点に目が行きます。

この映画ではギャングのボス(ポール・ニューマン)と手下(トム・ハンクス)の関係、ボス(ニューマン)とその子供(ダニエル・クレイグ)の関係、手下(ハンクス)と子供の関係が描かれています。つまり人間ドラマであり、その父子の絆を描いています。

こうした感情を描く以上、そこには繊細な描写が求められるのですが、そうした感情描写・人間描写もすべてハリウッド映画の既存の方程式を解くようにありふれた形でしか描写しませんし、それらの感情を丁寧に描くことよりも話のテンポを重視しているのです。

例えばボスのニューマンは実の子供のような愛情を手下のハンクスに抱いています。しかしそのハンクスの家族をボスの息子のダニエル・クレイグが殺してしまいます。そのことに心を痛めたニューマンは、復讐を誓うハンクスに対しあえて危害を加えず、むしろ彼を守るため国を去るよう言います。

ここには複雑な関係があり、なぜニューマンはそこでまハンクスに愛情を抱くのか、なぜクレイグはハンクスを嫌うのか、ニューマンとクレイグの父子の愛憎関係の原因は何なのか、細やかな説明が求められます。

しかし映画はこうした感情を登場人物たちにさらっとセリフを言わせることですべて説明してしまおうとするのです。

画面にこれだけ重厚な感じを作り出しておきながら、2時間にも満たない上映時間におさめたのは商業的な要請なのかもしれません。しかしもしそうなら、それによって映画自体に説明不足の印象ができてしまっています。

にもかかわらず話のテンポ自体は上手くまとめられているので、余計になんだかわからないけど感動にまで持って行かれたという印象を持ってしまいます。

涼風

春物

2006年03月28日 | 衣料・生活用品と関連して

だいぶぽかぽかあたたかくなってきました。もう春ですね。

とはいっても4月の半ば頃までは寒い日もあるのが日本の本州の通常だと思います。

今思案しているのが外に来ていく上着。私はかなりの寒がりで、冬に着る上着はコート系のものしかもっていません。しかしさすがにこの頃になるとそれではかさばってきます。

そこでフリースみたいなものが欲しいのだけど、さすがにもう売ってないだろうということ。お店に行けば「春物」(ってどういうものなんだろ?)フェアになっています。

たまに女性が「春用のコートを買わなきゃ」と言うことがあるらしいですが、なんじゃそりゃ?という感じの私にとって、春の上着は何を着ればいいのだろう?

どこかにフリースがあまっていないだろうか?

涼風

散歩で頭痛

2006年03月27日 | 日記

昨日、一昨日と少し長めに散歩したら、首と頭が痛くなってしまいました。

MDウォークマン(ソニーじゃないが)で英語を聞きながら散歩していると散歩の時間が無駄でも退屈でもないのでずんずん歩いてしまいます。

だからと言って調子に乗ってすごく遠くまで歩いたわけじゃない。往復で1時間か1時間半ほど歩いたに過ぎない。

なのに首に痛みが走っています。2年前に僕は椎間板ヘルニアになったことがあるけど、あの時の痛みの10分の一くらいだろうか。つまり、ちょっと痛いということ。

まぁ、冬の間あまり散歩していなかったから、ちょっと歩いて体がびっくりしてしまったのかもしれません。

おかげで昨日の夜は頭が痛くなり、バファリンを飲んで過ごしました。

涼風

gooブログでは画像は1MB以下

2006年03月26日 | 絵画を観て・写真を撮って


僕はどんな写真でもブログに載せられると思っていたのですが、gooブログでは1MB以下の画像しか載せられないようです。この情報量の差は、やっぱりカラーの多さや色の深さで変わるのかな?花の写真とか撮ってもブログに載せられないのです。残念。

1MB以上の写真でも載せられる方法はあるのかな?

涼風

『完全なる経営』 A・H・マズロー(著)

2006年03月25日 | Book
アブラハム・マズローの『完全なる経営』を読んだのはちょうど一年ほど前です。印象は、きれいで自己啓発・経営本に書かれてあるきれい系のことがくまなく述べられているなというものでしたが、本全体の像はそれほど残りませんでした。そこでというわけではないですが、最近改めて読み直してみました。

現代人のマズローに対する評価というものは心理学者・それ以外の学者・学者以外の人たちの間で分かれているのではというのが私の予想ですが、詳しいことは知りません。

『完全なる経営』は、きれいごとを並べ立てている訳ではありません。むしろマズローの趣旨は、きれい系の経営本を無闇に信用することへの警告にあったとも言えます。

経営を論じるに当たっても、マズローはX理論的経営とY理論的経営とを峻別します。

X理論的経営とは、権威主義的メンタリティによる経営、規則による拘束、ヒエラルヒーの固定と命令系統の強化、ボスによる部下のコントロール、自社収益中心主義、神経症的行動、怖れによる動機付け、官僚制と言えます。

それに対しY理論的経営とは、組織内における民主的対等性(ヒエラルヒーを否定するわけではない)、社員の自発性の促進、社外の状況への柔軟な対応、社会貢献の意識などと特徴づけることができます。

これだけを見れば、Y理論的経営のほうが「優れている」ことは一目瞭然です。100人の経営者に聴けば、みなY理論的経営を理想だと答えるでしょう(実践するかどうかは別として)。

しかしマズローがわざわざこの本を書いた意図の一つは、Y理論的経営の無批判的な適用は混乱をもたらすということにありました。

周知のようにマズローの欲求段階説では、低次の生命保存欲求が満たされて初めて高次の自己実現の欲求への目覚めがその人に起きるとされています。

マズローは、その会社が置かれている社会が低次欲求に支配されていれば、Y理論的経営は維持し得ないと指摘します。その例として彼は「発展途上」国の名を挙げています。

彼によれば、明日食うものに困っている状況では、短期的な利益を追い求める組織パターンが有益であり、それはY理論的経営ではないということです。

これを書いていて今思い出したのが、神田昌典さんと本田健さんとの対談『小冊子を100万部配った、革命的口コミ術とは?』

この中で、本田さんの口コミ・マーケティングと神田さんのエモーショナル・マーケティングの違いについて二人が述べています。

神田さんのエモーショナル・マーケティングとは、即効的に会社のキャッシュを増やすことを目的としたもの。そこでは、顧客の心理を吸い寄せるために、・顧客の必要・欲求の分析 ・購買手続きの簡素化(=購買までの面倒の除去) ・顧客の切迫感に訴えるチラシ(「それでもあなたは家を買いますか?」など) ・顧客の目を引いて会社の存在を知らせるネーミング(車修理会社「クルマの専門病院」、ダイエット食品「スリムドカン」等)などなど、非日常的な印象を持つ宣伝方法を用いてお客を惹きつけるテクニックを重視します(例えば『60分間・企業ダントツ化プロジェクト 顧客感情をベースにした戦略構築法』)。

そうした手法に対し本田さんは、あえて売る側がパワーを抑えることで、長期的に顧客を囲い込む方法を実践してきました。本田さんによれば、人は本来セールスされることを嫌うのだから、あえてセールスをしないことで人を惹きつけることができると、そこから口コミが広がるということです。

本田さんの意図は、無理にセールスをするのではなく、自分がしたいことをして、かつそのしたいことが消費者の欲求に合うことをちゃんと計算した上で、そこからは積極的な売込みを図らないということです。

売り込みをしないというと間違いで、むしろ正確に言えば、自分のやりたいことをなぜやりたいのか自分でつきつめて、それを人に説明することでお客を惹きつけると言ったほうがいいでしょうか。セールスではなく自分のやりたいことのシェアと言えます。

だから、そこでは神田さんが用いたようなドギツイ宣伝もなく、あくまで自然体で自分のしたいことを周りの人に説明するという感じです。そこでの目的はキャッシュではなく、自分のしたいことをして周りの人とつながることであると言えます。

こう書くと、本田さんのやり方はかなりの高等手段であると言えます。自然体と言っても、その自然体で自分のしたいことをしてかつそれが人を惹きつけるというレベルに到達していなければ、それは成功しないからです。

しかしだからこそ、一度うまく行けば本田さんのやり方では爆発的に口コミが拡がります。また本田さんのやり方ではキャッシュのためではなく自分のためというスタンスが貫かれているので、お客をひきつけるために色々とアフターケアをする必要もありません。お客さんが来たのはあくまでその人のしたいことに接したいから来たのであって、そこで期待に沿わなくても責任は売り手にないからです。

本田さんは神田さんのエモーショナル・マーケティングについて、「それは毎日閉店セールをやっているようで、疲れてしまう」とあっさり核心を衝いています。

本田さんと神田さんの違いの一つは、経営を短期的な視点で見るか長期的な視点で見るかにあります。そして、キャッシュに困っている状態で、かつビジネスの素人の場合には、おそらく神田さんのやり方が参考になります。

生きていくためにとにかくお金=生活の糧を確保すること、そういう状態では自己実現とか考える余裕は誰にもなく、とにかくお客を即効で集める必要があります。

神田さんの経営がどこまでX理論と言えるかはわかりませんが、ともかく短期的に“お金をかき集める”ことをエモーショナル・マーケティングは主眼としており、それはいまだ人類の大部分にとって必要と言えるのではないかと思います。

ただ、このX理論とY理論、キャッシュと自己実現との関係というのは、私もよく分かりません。後世の心理学者からみれば、マズローの欲求階層理論というのは科学的な根拠のないという意見もあるそうです。つまり、生命維持のための欲求が満たされなければ自己実現の欲求は湧き起らないというのは、根拠のない主張だということです。

わたしの身も蓋もない意見を言えば、マズローの欲求階層理論があてはまる人もいればそうでない人もいるというのが事実なんじゃないかな、と思うのですが。たしかに食うのに困っても自分のしたいことだけをせずにいられないという人もいるだろうし、食うのに困らなくなって初めて自己実現に目覚める人もいます。またどれだけ食うのに困らなくなっても自己実現に興味のない人もいるでしょう。

神田さんと本田さんの対談を聴いて分かることは、マーケティングも自己実現の方法も、どれが最適かはその人のパーソナリティに大きく依存するということ。

ただマズロー自身は、戦後のアメリカのよき時代に生きた彼らしく、アメリカは食うのに困らず自由で民主的な社会と彼には思え、それに対して一部の「発展途上国」は経済的に貧困で社会も独裁政権に支配され人々はY理論的経営で能力を発揮できないと考えたようです。

マズローはどこまでも「客観性」を重視した人でした。しかもその客観性は、ヴェーバーや他の社会科学者のような頭で考えた認識上の客観性ではなく、あくまで実地の検証を重ねたすえに到達する客観性です。それは理論と感覚を総合した上での客観性と言えます。

ただそのマズローにしても、かなり大きくアメリカ人的な視野の狭さを共有しているように見えます。それは上記のような、アメリカ社会は民主的であるからY理論に向いており、「発展途上国」はX理論に向いているといった言説です。

こうしたマズローの偏向は訳者も意識しており、所々彼の偏見に脚注を加えています。「自己実現」「善」などのポジティブなことを言う人にはつねに、「善」以外のものも断定することは避けられず、その際には必然的に偏見に彩られた言説が出てくる可能性があります。


ともかくマズローはY理論の経営を無条件にあらゆる状況に適用することに慎重でした。このことから彼は、ドラッカーやマクレガーを批判しています(両方とも私は未読)。

この点の強調は、マズローが当時の人間性回復運動、60年代の学生運動などに批判的であったことにつながっているのでしょう。いわゆる「ニュー・エイジ」という現象についても、彼が存命していたら、批判の眼差しを向けていたと思います。

同時に、低次元欲求が満たされている社会においては、彼は紛れもなくY理論が成功をおさめると確信していました。人間本来に備わる自己実現の欲求・善の希求という性向を、彼はお伽噺ではなく、実証に耐えうる事実とみなしていました。

その彼にとって、そうした自己実現を抑えつける権威主義的組織は成員の可能性を押し潰し、結果的に会社の業績を悪くすると考えていました。

このことはどれほど本当なのでしょうか?収益中心の組織、末端の成員にイニシアチブを与えない組織は本当に業績を上げないのでしょうか?

現実をこれと逆を示しています。派遣・契約社員の増加はむしろ補助的労働の地位を脱し得ない労働者を大量に作り出し、40代・50代になっても年収300万円を越えるのが困難な就業者を増やしています。現在の日本大企業の業績回復は、これら雇用環境の変化にもたらされたと私は予想しています。

また成果主義への支持の広がりも、マズローの予見とは反対の傾向を表わしています。

しかし同時に、これらの傾向はまだ短期的なものにすぎないと言えます。長い不況から脱する過程でこれら短期的な方策を求めた企業がこれからもそれらの措置を追及し続けるかどうかはまだ分かりません。

まず、極端に低賃金の労働者を社会に大量に放置し続けること、また業績と金銭をリンクさせる成果主義を取りつづけることは、長期的には会社自体の環境を悪化させる要因になりえること。

マズローは他の社会科学者のようにA→Bという単線的な因果関係を求める傾向を戒めていました。例えば会社の業績を挙げるという点で能率的な組織のあり方を追い求め、そこで能率的な仕事の手順の採用が採用されたとします。狭い視野の経営学ならここで分析は終わります。

しかしマズロー的な視点では、そうした手順が被雇用者の心理に及ぼす影響、被雇用者の家族に及ぼす影響、被雇用者と接する顧客への影響、その顧客が家族・地域に戻ったときに拡がる影響といった所まで考察を広げます。

例えば長時間勤務を常態としたとき、一時的な業績向上の見返りに、夫婦間の不和、家族での親の不在、子供情緒不安定、登校拒否・ひきこもりなどの発生、労働に対するネガティブな観念の発生、学校教師の負担量の増大、非行の多発、地域社会の安全の崩壊、無業者の増大、公的支出・社会保障費の増大、などなど単純に想像しても様々なネガティブな事象の発生が予想されます。

低賃金労働・不安定雇用・成果主義の増大は、少なからず社会の安定を脅かし、心理的・金銭的コストを結果的に引き起こします。

この社会安定の崩壊は、長期的には、それを招いた企業にとっては消費者の消費の減退につながり、業績悪化へと跳ね返ってきます。企業は、それを取り巻く社会環境の安定によってはじめて成り立つからです。

ここから、社会貢献とは企業にとっては単なる暇つぶしでも売名行為でもオーナーの自己満足でもなく、自らの存続にとって不可欠であることが分かります。

例えば低賃金労働者を大量に放置する体制を取り続ければ、十分な教育・視野を持たない子供が増え、企業はそれだけ優秀な雇用者の確保が困難になります。このことは中小企業にとって致命的です。

現在馬車馬のように社員を働かせることで、現経営陣は安泰かもしれませんが、企業の長期的な存続は困難になります。これは結果的に国家にとって税収の減少・社会保障費の増大へとつながって行きます。

この悪循環を断ち切るには、どこかで短期的な視野を中止し、将来的な消費の増大につながる社会の安寧を目指す体制に社会全体がスイッチを転換する必要があります。


涼風

メリット、ディメリット

2006年03月24日 | 日記

神戸市図書館に洋書の購入を頼んでみたら、「次に借りる人もいないので…」と断わられました。もちろんその場で即答されたわけではありませんが。

神戸市の図書館には日本語の本であれば大体の本が購入してもらえると思います。

公立の図書館の利用というのは習慣みたいなもので、面倒な人にとっては書店で購入するほうがいいと思えますが、一度利用するクセがつくともう駄本は買う気にはなりません。

というわけで私は重宝していてお世話にもなっているのですが、まだ洋書は買ってもらえないかな。今まで頼んだ日本語の本は買ってもらえていたので上手く行けばと思っていたのだけど。

僕の場合、なんだか気分的に「調子に乗っていると」大体途中で物事が違う方向に行き、それまでのようには進まなくなる。今回もそれと同じかな。

私の家の近くに(バスで20分ほど)は「学園都市」という所があり、四つぐらい大学があります。そのうちの一つの流通科学大学(ダイエーが創立)では一応図書館が一般市民に開放されているのですが、本の借り出しは不可能です。

国公立の大学でも市民に図書館を開放している大学というのは聞いたことがありません。しかし大学というのは公立図書館に比べたら膨大に書籍を所蔵しているので、それが市民に開放されないというのは文化利用の面で損失であるとも言えます。

大学にしてみれば構内に市民が出入りするとセキュリティの面で秩序が維持できなくなること、また図書の管理も難しくなると考えているのでしょう。


以前中谷彰宏さんはホテルに図書室を設置して本の持ち出しも無許可で自由にすることを提案しました。するとホテルの人が「そんなことをしてたくさん本を盗られたらどうするんですか?」という当然の疑問が返ってきました。

すると中谷さんは、「じゃあ、実際にどのくらい本がなくなるか、それを計測するためにも一度実施してみましょう」と提案したそうです。すると、確かにわずかに本がなくなったのですが、しかし図書館の秩序は保たれ、ほとんどの本はちゃんと図書室にもどってきたそうです。

中谷さんは、物事の悪い面・リスクだけを見ていると、その裏腹のメリットが見えなくなると言います。図書館を開放すると、かならず一定数の図書はなくなります。しかしそれと同時に図書館を利用する人が増え、「図書館」という機能が地域の中で働くようになります。

言い換えれば、一定数の本が紛失することは、「図書館」の機能が働くことにとって不可避であると言えます。

例えば、人気者になれば必ずストーカーが現れたりします。自分の意見を述べれば必ず反対・批判が現れます。自分のやりたいことをやって表舞台に立てば必ず嫉妬・攻撃が出てきます。そうしたマイナスは、自分のやりたいことをやる上で不可避だし、またそれだけ自分のパワーがまわりに放射されていることの証左にもなります。

秩序を優先して何もしなければ、わずかのリスクを怖れて、それを補って余りあるメリットを見逃すことになります。


涼風

「簡単なわけないよ。外国語なんだから」

2006年03月23日 | 語学
終わっちゃいました、「3か月トピック英会話~ハートで感じる英文法」今回も目から鱗の英文法を大西先生は教えてくださいました。

夏に放映されていた分に比べれば多少基礎的なこと以外のことも扱い、それだけに「目から鱗が落ちる」度合いは比較的低かったかもしれません。基本的な知識の盲点を突く度合いは最初の基礎編の方が多いのは当然なのでしょう。

それでも毎回面白かったです。例えば、疑問文は「倒置」という感情を強調する表現のヴァリエーションの一つであり、疑問じゃなくても感情を表わすときは倒置を使う(例“Am I glad to see you!”)ということも私は知りませんでした。

今日の最終回で大西先生が

「英語は簡単だという人がいますが、簡単なわけないよ。外国語なんだから」と言っていました。巷には『英単語1000語で話せる』みたいな題名の本が溢れかえってますが、大西先生はそういう傾向もどこかで批判していました。

そう、外国語が簡単に身につくわけないのでしょう。

大学院時代の私の恩師は英・独・仏・露・ラテン・ギリシャ語ができる語学の達人ですが、その先生が「日本にいて外国語はできない。本当にできるのはずっと現地にいて勉強している人」と言っていたのが印象的です。

夏目漱石は4年間イギリスにいて、「イギリス人のように英語の本を読むことなんて不可能なんだ」と挫折して留学を中断したそうです。

私の知り合った経験でも、語学のできる人ほど「外国語は簡単じゃない」と言います。

だからなんだというわけではないですが、NHKのテレビの語学講座で「簡単なわけないよ、外国語なんだから」とはっきり言う点でも、大西先生という人は信頼できる先生じゃないだろうか、と感じました。


涼風

『シルヴィア 』

2006年03月23日 | 映画・ドラマ
『シルヴィア 』という映画を観ました。 グウィネス・パルトロウ主演の2004年の映画です。

私は全然知らなかったけど、詩人シルヴィア・プラスの伝記映画。文学の才女だった彼女が天才的詩人の男と出会い結婚したけれど、夫と比較しての自分の才能・夫との関係に悩み人生がおかしくなっていきます。

あらすじは意外性がなく、二人の文学的天才の不幸を描くというもの。二人が出会い、夫の仕事と妻の人生との波長が合わず、元々心理的に不安定だった妻の歯車がずれて行き、しかし夫も自分をコントロールできなくなります。

これは事実の映画化であり、事実である以上そこからもっと類型的なエピソード以上のものを描き出すことが制作者たちには求められるようにも思います。

二人が送った人生は特異なようでいて、少なくない人たちが経験しているもの(僕にはそう想像できる)。だとすれば、その表面的にはありふれた話の中から、こちらの心を鷲掴みにするような心理描写があって欲しかった。

人の人生は天才でもそうでなくても、似てくるもの。要は登場人物が天才的な文学作品を生み出したという歴史的事実に寄りかからずに、最終的には人間の普遍性を深く抉るような描写をしなければ、観るものは共感できないのです。

といってもこれはおそらく高いレヴェルの要求で、文学者のふつうの伝記映画を期待する分には失望することはないのかもしれません。

グウィネス・パルトロウはなかなかの演技。個人的にはオスカーを獲った『恋に落ちたシェイクスピア』よりも、それ以降の作品のほうが彼女はどんどん演技が上手くなっているように思います。


涼風