joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

Communicate your feelings to the others

2007年03月31日 | 日記

          公園の木陰




あるコンサルタントの方が、会社で新人をポテンシャル採用する際に、応募者のどういう部分を見るかについておっしゃっています。

「コンサルティングファームの採用面接って何を見てるんですか?」 クリスチャン女性中間管理職のLOHASライフ

それは要するに、その場での相手の興味・気持ちなどを読みながら、上手く対応できるかどうかということみたいです。「相手の反応を確認しながら、言葉遣い、話すスピード、体の動かし方を合わせていくことが出来るかどうか」が大事だということです。

その中で、例えばプレゼンでは、「聞き手である私の表情、メモをしている箇所、どこに興味を持って、どこに飽きていたのか、どこで「分からないなあ」「同意できないなあ」という素振りをしていたのか、こういった点」をちゃんと注意しながら話すことができているかどうかも重要だと述べられています。

少し前に、春から始めようとしたけどやめになったことがあるとこのブログで書きましたが、それは少人数でも人前にたってすることでした。そのことを練習している際にも、教えてもらっている人に「声を出すときは相手に伝えるように声を出すこと。それは実は声が大きいか小さいかとは関係ない。相手の気持ちに伝わるように意識して声を出そうとしているかどうかが大事だ」とよく言われました。

私はとても声が小さいし、またとてもあがり症なので、人前で話すときは感情を遮断して棒読みをしてしまいます。でもむしろ人前で話すときに重要なのは、人前に立ちながらも自分のことではなく相手の関心にフォーカスできるかどうかなんですね。そのとき話す人は、その場の空気に合わせて話し方や話す内容を変えたりでもできるのだと思います。

Forgiving anyone is accepting yourself.

2007年03月30日 | reflexion
宝彩有采さんは著書で、人を恨むというのは、現状の自分は不幸だと言う認識が最初にあり、その不幸な状況を誰かのせいにしたいがために、過去の人を攻撃すること、と説明されています。

そうした言葉を思い出しながら、昨日思ったのは、許しというのは最終的には自分が自分を受け入れること、ということでした。

人が他人を恨むのは、その他人のおかげで自分は不幸になったと思い込んでいるからだと思います。そのときわたし(たち)は、実際は、その他人ではなく、不幸になった自分に怒っています。こうありたいという自己イメージとは程遠い、負けた惨めな自分です。

そんな悲惨な自分の状況を直視したくないので、目を逸らすために他人を攻撃します。でも本当はわたし(たち)は自分に怒っています。他人に負け、勝つことのできなかった不甲斐ない自分に。

だから、許すとは、本当は他人を許すのではなく、そのような“負けた”自分を受け入れることのように思います。





『フラ語入門、わかりやすいにもホドがある!』 清岡智比古

2007年03月29日 | 語学

去年からフランス語を少しずつ、ホントに少しずつ勉強しているのですが、『フラ語入門、わかりやすいにもホドがある!』をとてもなが~い時間かけて読んでみました。

たしかにこの本は入門書としてよくできているのかもしれませんが、僕みたいにこんなに何ヶ月もかけていては実になっていないかもしれない。左脳的にゆっくりゆっくり読むよりもスピードを大事にしてたくさん吸収したほうが語学にはいいとよく聴くし。

まぁ、必要性があって勉強しているわけじゃないので、割く時間も限られてくるわけです。

この本はやはり基本の文法を説明してある本なので、多少は退屈です。これは避けられないのでしょう。やはり大西泰斗さんのような面白い英文法の本は、退屈な文法の知識があって初めて理解しやすいのかもしれない。

でも語り口が親切なので、文法書だけど読みやすいと思います。ドイツ語にはこういうポップな先生は聞かないですね。教えている人は多いはずなのに。

こんなにゆっくり勉強してなんになるんだという想いもありますが、のりかかった船ですから続けてみたいと思います。

“Even So” Bonnie Pink

2007年03月29日 | Music

          公園の木漏れ日



僕はボニー・ピンクの音楽を好きだと自分では思っていたのだけど、“Let go”(2001)以来ずっと彼女の音楽を聴いていなかった。

一つの原因は、その“重さ”に合ったと思う。それまでの彼女の音楽はツボにはまれば最高に興奮するけど、アルバムの途中から重く激しくなりすぎるきらいがあったと思う。よく言えば感情がダイレクトに表れているのだけど、そのガンガンした音と激しいシャウトに聴いていて疲れることがありました。

基本的にはどれも素晴らしい曲ばかりなのに彼女から遠のいてしまったのは、そんなことが積もっていったからだと思う。

久しぶりに彼女の音楽を聴きました。“Even So”(2004)です。“Let go”から“Even So”の間にも二枚ほどアルバムがあるから、どういう変遷を経てきたのか分からないけど、とても軽くってなっている。

歌や楽曲自体は、前から僕の大のお気に入りで、そのクオリティは“Even So”でもしっかり維持されています。でも今回聴いていて思ったのは、アルバム一枚スムーズに通して聴けるということ。以前のアルバムでは途中からとても音が重くなっていたのに。

べつにアップテンポの音楽や明るい音楽が多いわけではありません。にもかかわらず、音から重みが抜けているので、ラクに聴けるのです。

これだけでも、彼女の音楽にじつは大きな変化が起きたのだと思いました。

絵本 『なんだかうれしくなってきた』 五味太郎

2007年03月28日 | 絵本・写真集・画集

          木陰


五味太郎さんの『なんだかうれしくなってきた』を読みました。

とても楽しい絵本です。

主役は男の子だけど、出てくるお父さんとお母さんもなんだか印象的です。クールで優しい細身のお父さんと、スタイルがよくていつもお化粧をしておしゃべりが好きそうなおしゃれなお母さんです。

男の子はたくさんの友達に囲まれてとても楽しそうです。

こういうような、波状攻撃のように楽しいことが次々と起こるということが子供たちにはよく起こります。次から次へと楽しいことが起こるので、笑わずにはいられないし、うれしくてうれしくて仕方ないのです。

You shuold row with the current.

2007年03月28日 | reflexion

             青い空と白い雲の下の道路


昨日は頭の中がパニックだった一日ですが、一日寝るとだいぶ落ち着きました。なんだかほっとする。天気もいいし。今日は晴れだ。とてもおだやかですね。

ある対談で七田眞さんは、「“これ”しかないなんて思うことはないよ。人生には色んな道があるから一つの道にこだわる必要はないよ」と言って子育てをした経験を話されています。

うーん、本当はそうなんだろうな。本当はそうなんだけど、悩んでいるときは「これしかない。これがだめならもうだめだ」と思ってしまいます。

「これがだめならもうだめだ」というのは、世界がとても小さく見えてしまっているんですね。あるいは、広い海で泳ぐのが怖くて、岸の小さな筏につかまっているようなものなんでしょうね。

「私たちは、問題が解決するよりも問題のある状態を好む」という話を心理学の先生から聞いたことがあるけれど、それも同じことなんでしょう。この場合では、広い海に浮かぶことが解決なのに、海に浮かぶのが怖いから、岸の小さな筏につかまり続ける。でも実際は、その筏は沈みかかっているのに。

浮かんでいる勇気が欲しいですね。

音読・暗記

2007年03月26日 | 語学
これは幼児右脳教育の七田眞さんが対談テープや著書などでよく述べられているエピソードですが、七田さんが子供のころに満州にいたとき、同級生で一年間で中国語をマスターした子供がいたそうです。その子は教科書を丸暗記して中国語をマスターしたそうで、そのときの体験から七田さんは文章を丸暗記すれば脳が自然に言語をマスターすることを知ったそうです。七田さん自身も英語で講演などをされるようなので、より自分の考えに確信をもっているのだと思います。

その経験から七田さんは、『七田式超右脳英語トレーニング』『超右脳つぶやき英語トレーニング』といった初心者向けの英語の本などで、「このテキストブックを一冊丸暗記すれば英語が自由に使えますよ」とおっしゃっています。

ただ僕自身の経験では、それらの本を読むだけでは英語はあまり上達しなかった。見えない部分で役立っているのかもしれないけど、明らかに英語の上達に役立つとは感じなくて、それ以来七田さんの英語勉強法を実践することもありませんでした。

それでも最近また七田さんのやり方を試してみようかなと思っています。

そう思ったのは、一つには谷川俊太郎さんの「これはのみのぴこ」という絵本を読んで人間の記憶力はやっぱりすごいんじゃないかと思ったこと。

もう一つは、大分前に読んでいた『英語達人読本』という本を読んで、以前よりも文章を覚えやすくなったと感じたから。

この『英語達人読本』は、名文と言われている文学やエッセイの一部を取り出していて、ネイティブに朗読者が吹き込んだCDが付いています。全体の3分の1ほどしか読んでいなくて放っぽりだしていたけど、久しぶりに読んだら前よりも文章を覚えやすくなっていた。

完璧な暗記を目指すのはしんどくても、文字を読まずにCDに続いて自然に言葉が出るぐらいに読み込めば、頭の中にふっと朗読したフレーズがよぎったりすることがあります。そういうことがあると楽しくなります。とりあえず最初から読み直して、全部読んで頭に入れてみたいと思います。


こういう方法を試したいのは、例えTOEICで「高得点」を取っても英語を自由に使えるわけではないから。800点取れればいいと思って受けた試験ですが、結果は800点台半ばでした。ここから900点を目指すというのも一つの道ですが、なんだか試験勉強のために英語を勉強してもちっとも英語力の上昇につながらないように感じるのです。これは、TOEICで「高得点」を取った人の多くが感じる空しさなのだと思います(800点台は最近では「高得点」とは言わないかもしれませんが)。

上記の方法で語学力に変化があればまた報告したいと思います。

絵本 『コーネリアス』 レオ・レオニ

2007年03月26日 | 絵本・写真集・画集

             公園の隅の自転車


1984年に出版されたレオ・レオニの絵本『コーネリアス たってあるいたわにのはなし』を読みました。

この絵本を読んで本当に子供が面白いのだろうか。子供たちに一度ぜひ聞いてみたい。

そう思うのは、もうこれは大人のために書かれたように思えるから。

優れた絵本はどれもそうかもしれないけど、絵本というものは子供のために書かれるものではないかもしれない。そうではなく、作家が何かを表現するときに、それに最適な表現方法が絵本だったということではないのだろうか。

わざわざ「子供」の目線に立とうとしている時点で、それは「大人」が描いた絵本になってしまう。しかし、人がただ描きたいものを描いているとき、それは子供の遊びとなる。その遊びが絵になる人もいるし、写真になる人もいるし、小説や映画になる人もいるし、そして絵本になる人もいる。ただそういうことじゃないのだろうか。

『コーネリアス』を読んで子供が面白いと思うかどうかは分からないけど、多くの大人ははっとして、また身につまされるような気持ちになって読むことになると思う。


You had better think for yourself.

2007年03月25日 | reflexion

             チューリップ


大分前の話ですが、あるサイトで「わたしに合う一眼レフカメラってどんなものですか?」という質問をしました。

何人かの人が答えてくれたのですが、最初に返事をくれた人は、具体的な機種名は挙げずに、「あなたの写真は画角は何mmだからそれに合うレンズがいい。写真のファイルにも色々な情報が載っているので、それに合うカメラを探せばいい」という答えでした。

私としては明確に「○○社製の△△」と機種を指定してくれるような答えを求めていたので、そういう返事を書いてくれた答えがとても有り難いと思いました。

でも今そのときのQ&Aを読み返してみると、もちろん具体的なメーカーやレンズの型番を紹介していただいた答えも有り難いのですが、そのように具体例は出さずにカメラ・レンズの選び方を教えてくれた最初の答えも、じつに的確にこちらのニーズに答えてくれていたものだと分かります。

私自身が自分で考えてカメラやレンズを選ぶには、具体的な機種名だけでなく、選ぶ際の基準だけを示してくれて後は自分で選ぶように促してくれる答えというのも実はとても有り難いものだと思います。

私(たち)が人に質問するときは、大抵の場合明確で具体的で分かりやすい答えを望みます。それは、私(たち)が欲しているのは、自分で問題を解決するよりも、相手に具体的な答えを教えてもらうことでこちらが安心したいだけから。要するに、自分がしがみつけるようなガイドラインが欲しいだけなんですね。そのときは、自分自身で考えるという態度は置き去りにしています。

言うは易し行うは難しですが、自分で考えるようになりたいものです。

図書館の効用

2007年03月25日 | 日記

             水仙             

久々に更新された経済評論家・会計士の勝間和代さんのブログ『日々の生活から起きていることを観察しよう!!』から。「ものぐさのコスト」という記事がエントリーされています。

勝間さんが紹介されているのは、「ものぐさ」だとmp3を使って音楽をパソコンに取り込むよりも携帯で音楽をダウンロードしたがるのですが、それだと料金がとても高いこと。またウン万円もするジョーバは実は数百円のバランスボールと同じ機能だということなどです。

僕は携帯もバランスボールも使わないのですが、自分の中で思い当たるのは本代。以前はよく本を買っていました。専門書から駄本まで本屋でよく買っていました。無駄遣いと言えば無駄遣いですが、「これは知的投資だ。ケチっては頭がよくならない」「今本を読まなくてどうする」「借りた本では線を引けない」とか理由をつけて(私からすれば)一杯本を買っていました。

ただある時期をきっかけに図書館を使うようになると、もう本を買うことも少なくなりました。私の市の図書館では区ごとに図書館があり別の区の本を取り寄せてもらえるし、図書館にない本の購入を申し込めば多くの場合は買ってくれます。洋書でも英語であれば購入してもらえます(他の言語は試したことなし)。

もちろん本が届くまでに時間がかかるし、購入してもらう場合には一ヶ月以上待たなくてはなりません。ですから「今すぐ読みたい」という方にはオススメできません。

でも、思うのですが、本当に「たった今読まなければならない」という本はホントに多いのだろうか?と自分に問うこともあります。論文や記事を書く上で参照しなければならないのならともかく、それ以外であれば、その読みたい本と同じテーマを扱っている本は過去にもあるものだと思います。私は速読を身につけていないので、たくさん本を読むこともできないので、本を取り寄せてもらっている間は別の本を読むことで事足りています。

こういうこともそのときの習慣や気分の状態に左右されるのだと思います。本屋にいることが楽しくて仕方ない時もあるし、収入が多い人は図書館で本を借りるなんてまどろっこしいので買うとなると思います。

ですから(当たり前だけど)人それぞれなのですが、少なくとも今の私には図書館という存在はとても有り難いです。

そういえば最近は本屋に行くこともなんだか嫌になりました。以前は大好きだったのですが。お気に入りの通りと本屋があって、毎日のようにそこを通り、また近くの喫茶店に入っていました。

その場所にもう住んでいないこともあるけれど、今では本にいても全然ときめかなくなった。なんだか新刊書のタイトルがどぎつくて人の不安を煽ることで消費者の恐怖感を駆り立てて焦らせて本を買わせようとしているように思えるのです。「社会は不安定になっていて、あなたも危ないですよ」とささやくような本が増えているように思う。あるいはそういうタイトルの本に僕が敏感になっているのかもしれない。

社会の嫌なことから目を背けることはよくありませんが、他人に言われるがままに情報を吸収しようとしても上手くいきません。けばけばしいタイトルの本が並ぶ本屋にいては、そのとき自分に合った情報と必ずしも出会えないように思います。

(そういえば、ブックマークからポータルサイトのアドレスを外したので、最近は「ニュース」をインターネットでも見なくなりました。新聞もスポーツ欄以外はろくに読みません。つまらない情報を目にすることがずいぶんと減ってきたように思います)。

もっとも本屋と言っても、落ち着くような本が並ぶコーナーもあります。新刊コーナーをさっさと通り過ぎてそういう場所に行ければと思います。



えっ?!

2007年03月24日 | スポーツ

パ・リーグ開幕してたんですか?

サッカーとかスケートとかシンクロとか(どれもロクに観ていないけど)でテレビが騒いでいるのでまったく気づかなかった。

注目度を高めようとしてセ・リーグよりも日にちをずらしたのだろうけど、スケートやサッカーを相手にするならセ・リーグを相手にしたほうがよっぽど注目されやすと思う。

Helping move out

2007年03月24日 | 日記

             緑に囲まれた通学路


今日は家族の引越しの手伝い。荷物は少ないし、近くへの引越しなので、レンタカーを借りて家族総出で作業しました。

でも荷物が少ないと言っても、運んでいるとやっぱりしんどかった。冷蔵庫やタンスなんかは持ってみると重い。僕はすぐに握力がなくなり、荷物を運ぶのに四苦八苦でした。

以前引越し手伝いのアルバイトをしたときも思ったけど、引越し屋さんというのが本当にすごい。どこからあの力が出てくるのか不思議だ。元ヤンキーっぽくて本気で怖かったけど、お客さんに対する腰の低い態度やテキパキとした仕事ぶりは、今思い返してもやっぱりプロは違うという感じです。

久しぶりにカラダを思い切り動かしたので、早くも背中が痛い。普通筋肉痛は次の日かその次の日に出るものだと思うけど、当日に早くも痛むというのは黄色信号なのだろうか。

引越し作業中にアクシデントもあり、ちょっと嫌な気分にもなりましたが、とりあえず終ってホッとしています。