joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

曇りのときのフォトグラフ

2007年01月21日 | 絵画を観て・写真を撮って

             「遊具、銀杏の木」

晴れてくれていれば、バチバチ写真を撮りたかったところですが、あいにく今日は曇りのようです。

陽が射しているときと曇りのときとでは、もちろんが晴れのときのほうが写真は撮っていて楽しいものです。

曇りのときに写真を撮っていると、なんだか気分がすぐれないし、楽しんで写真を撮っているのか、仕方なくやっているのかわからなくなります。しかし、じゃぁ曇りのときでは自分の気に入った写真を撮ることができないのかと言うと、そういうわけではないところが面白いところです。

逆に晴れの日に、陽が射して気持ちよくカシャカシャしていても、後から見れば気に入った写真がないと言うこともあります。

写真を撮る楽しみと、現像した写真を見る楽しみは、別かもしれない。

『心的外傷と回復』 ジュディス・H・ハーマン(著) 3

2007年01月21日 | Book

             「山茶花、紅葉、緑葉」


『心的外傷と回復』 ジュディス・H・ハーマン(著) 2 からの続き

外傷性記憶を“ストーリー”に組み込み、新しい人生観を見出す

上で述べたように、外傷的出来事は“切り離された記憶”であり、それは意識に統合されていないからこそ、個人の言動の一貫性を損なう異質物として意識に侵入し個人を支配します。治療においては、この外傷の記憶にできるだけ近づいていくことが必要になります。

精神分析は元々過去の“隠された”記憶を辿る作業ですが、外傷性記憶は、それが他者による“搾取”という体験にフォーカスしているところに特徴があります。それはつねに、自分より強者である保護者・配偶者・政治家・不良グループなどによって自分の意思・期待が打ち砕かれた経験の記憶です。それにより患者は“保護されている”という感覚・外界に対する基本的信頼感を著しく失い、自分の意思で行動する能動性を奪われています。心的外傷の治療では、このような自己自身と外界への信頼を不可能ならしめた出来事の記憶にもう一度接近します。

この記憶への再接近は、自分の信頼感が打ち砕かれたという悲劇に対する感情を、それがあまりにも激しいがゆえに、もう一度再体験する必要があります。重要なのは出来事を単に語ることではなく、外傷的体験において自分の中で湧き起こり、それがあまりにも激烈であったために意識から解離させてしまった感情を、語りの中で再体験することです(p.277)。

外傷をストーリーとして再構成する作業は、その人の価値観の根本的な再編成を促します。患者は、外傷が破壊するまで持っていた価値観・人生観は、外傷の加害者が自分に行った悪の前では無意味であることを悟ります。その中で患者は、自分が経験している苦しみをも説明する人生観・価値観を見つけ出す必要に迫られます(p.278)。

このような困難な作業に付き合う治療者には、当然に社会で通用しているありきたりな価値観・人生観から自分を引き剥がすだけの客観性が求められます。治療者自身がどういう価値観をもつかは重要ではありません。そうではなく、少なくとも、既成の価値観では自分の受けた悲劇を説明できない患者が新しい人生観を見つけ出す作業に付き合うには、治療者自身も同じように既成の価値観を超える新しい価値観・人生観を人間は見つけ出すことができる(=それによってのみ、心的外傷は治癒しうる)という信念を共有する必要があります(p.279)。ハーマンは次のように治療者にアドバイスします。すなわち「治療者はまた、生存者の価値と威厳とを肯定するような、外傷体験の新たな解釈を構築する助けをしなければならない」(p.289)。

ハーマンは、この記憶の再構成の作業は、決して簡単に為されるものではなく、短期間で達成できると考えること(入院して行う「パッケージ・プログラム」など)を戒めています。また被害者によっては、その外傷の記憶を持ち続けることに意味を見出す患者(戦争詩人など)もいます。彼女は外傷性記憶の再構成作業を次のように描写しています。

「この作業の難所は記憶喪失というバリヤーの向こう側にわだかまっている戦慄恐怖horrorと面と向かって対決することであり、この体験を人生のストーリーの語りを隠すところなく全面的にくりひろげてゆく中に統合することである。このゆっくりとしか進まず手抜きができずしばしば報われるところが少ないと感じられる過程は、むつかしいジグゾーパズルに似ている。初めに輪郭をまとめ、それから新たな断片的情報をさまざまな角度からためつすがめつして全体のどこかにはめればぴったりするかを考えるのである。百年前にフロイトが、やはりパズルを解くという同じイメージを使って幼年時代の性的外傷の蔽いを取る作業のことを述べている。この忍耐強い作業の報酬は何であろうか。それは、いくつかの断片をはめる場合が突然ぴたりとキマって絵の新しい部分が見えてくる瞬間で、これが時たま訪れるブレイクスルー(一点突破・全面展開)の瞬間である。
新しく記憶を取り戻すためのこのテクニックはこれ以上単純なものはないほど単純なものであって、要するに患者がすでに持っている記憶を慎重かつ周到に探索してゆくことである。大部分の時間はこのなんとも平凡で無味乾燥な方法をやっていさえすればよい。患者がすでに知っている事実の感情的な迫力を改めて全面的に体験する毎に新しく思い出すことが自然に現れてくるのが普通である」(p.288)。


復讐幻想を手放す

外傷の記憶を自分史のストーリーに組み込む過程が困難なのは、外傷の記憶を取り戻すことは、加害者への憎悪と復讐の念を思い出すことに由来します。平和な人生観・価値観をもてるとき、人は気分の状態も安定しますが、加害者への憎悪の念が消えないとき、その人生観は闘争と復讐の念によって構成され、精神状態が安定することはありません。

患者の加害者への復讐の念は、「自分は加害者には負けていない。今からでもあいつには勝てる」という競争心に由来します。外傷的出来事という「敗北」とそれに伴う悲しみの感情を受け入れるのが怖いとき、その悲しみの感情を避けるために人は怒り・憎しみという行為を選びます。“怒る”ことによって被害者は自分の自尊心を維持できるという幻想をもちます。しかし実際には著者によれば、復讐幻想は、心的外傷体験と同様に、意識への過覚醒と戦慄恐怖と侵入力とをもち、被害者の恐怖感を強め、自己イメージを卑しいものにします (p.295-6)。

ハーマンはこのような被害者の態度に対して、次のような態度変更が癒しには必要だと述べます。

「この場合には患者の服喪追悼の位置づけを変えて、みじめな屈従のしるしではなく勇気を証しする行為であるとすることが肝要である。患者が悲しめなければ、自分自身の一部とのつながりが切れ、自分の癒しの重要な部分が脱け落ちてしまう。悲しみも含めて、感情のすべての幅を感じ取る能力を取り戻すことこそ、加害者の意図に屈することでなくこれに抵抗する行為であると納得してもらわなければならない。ただ失った一つ一つを悼むことを通じてのみ、患者は不壊の内的生命をみつけることができる」(p.295)。

著者によれば、このような「感情のすべての幅を感じ取る」ことは、復讐幻想によってはもちろんのこと、“許す”という幻想によっても為しえません。ハーマンは、復讐幻想も許しの幻想も、それらは同様に“悪魔祓い”しようとする宗教的行為であり、それを無理に行おうとしても大部分の普通の人には達成できるものではないと述べます(p.297)。

著者が勧めることは、そのような一挙にすべてが解決するという幻想を捨て、自分の中の怒りと悲しみに直面し、復讐を成し遂げることは不可能であり、外傷的出来事は変更不可能な事実であり、それまで患者が握り締めていた“勝ち負け”の世界観から言えば「敗北」したことを認めることです。

この過程で患者は、復讐の幻想・許しの幻想の両方を手放し、事実を直視するようになります。その事実の認定により、加害者のなした悪への被害者による告発は行われるかもしれませんが、被害者はもはや、復讐や許しによって外傷的出来事を“悪魔祓い”をしたり加害者に勝ったりすれば自分は救われるはずだという幻想を手放します。

このように被害者が外傷的出来事の事実を直視する状態を、著者は次のように描写します。

「外傷の再構成には過去の体験に沈潜することが必要である。それは時間が凍りついて動かない体験である。服喪追悼の中への下降は尽きない涙になすすべなく溺れてしまうのではないかという感じがある。患者はしばしば、この辛い過程はいつまで続くのかとたずねるものである。この問いに決まった答えはない。ただ、この過程を避けて通ることはできないし、速めることもできないときっぱり言うしかない。患者がそうであってほしいと願うよりも長い時間であることはまずまちがいないが、永遠に続くわけでもない。
 何度も繰り返しているうちに外傷ストーリーを話してももはや強烈な感情がかき立てられなくなる瞬間が来る。それは生存者の体験の一部となったのである。それは体験の一部にすぎない。今や外傷物語は他の記憶と変わるところのない記憶となり、他の記憶が時とともに色あせてゆくように色あせはじめる。その生々しさがうすれはじめる。外傷が人生のストーリーの中で最も重要な部分でなく、最も興味のある部分でさえないようだということに生存者は気づく」(p.306)。


新しいアイデンティティ

心的外傷の記憶に直面することで癒しが上手く起こったとき、患者は、“心的外傷”は一種の社会的暴力だとうことが分かります。戦争・家庭内暴力・幼児虐待・政治犯への拷問という“心的外傷”の事例に共通するのは、加害者が一様に何らかの社会的権力を利用して被害者の基本的信頼感を打ち砕いたということができます。

“心的外傷”という概念をどこまで広く取るかは人によって違うかもしれませんが、私の印象では、少なくともハーマンは、何らかの社会的権力・社会的偏見が作用して被害者の基本的信頼感を打ち砕いた事例を心的外傷として認定したいのではないかと思います。

それは、例えば戦争であれば「男子は勇躍戦争に赴かねばならない」という通念であり、女性は「控え目で男性に従わねばならない」というジェンダー的規範です(p.315)。これらの例は訳者の中井久夫さんが挙げている例ですが、中井さんは他の例として「解雇申し渡しの声」や「医師の厳しい精神病申告」なども挙げています。これらも、働いていない成人への偏見(現在の「ニート」「ひきこもり」「フリーター」というレッテルによる攻撃もこれに含まれる)が、患者の保護感覚を打ち砕き、余計に患者が能動的に行動することを妨げる原因となります(「ひきこもり」においては、「ひきこもる」原因以上に、いったん引きこもった後に当人が被害念慮に苛まれることの方が「ひきこもり」が長期化する要因となります)。

上に述べたように、心的外傷を被った人が回復する過程では、心的外傷の原因の一つである従来の価値観・人生観=思い込みを超える新たな価値観を見出す必要があります。従来の価値観・人生観がもはや外傷的出来事によって実現を阻止されたがゆえに、そのような外傷的出来事ですら妨害し得ない肯定的な人生観を被害者は発見していきます。この新しい価値観の創造は旧来のアイデンティティを捨てることによって起こると著者は述べます。

「自己自身の持ち主となるためにはしばしば外傷によって押しつけられた自己の一部分を排除する必要が起こる。生存者が<犠牲者である>というアイデンティティ(自己規定)を捨てるにつれて、これまでおおよそ自分の持ち前であると思ってきた自己の一部を放棄することを選ぶようになっても不思議ではない(p.320)。

旧来の価値観(例えば、「女は男に負けている」)と外傷体験による敗北感を克服する過程で、患者は、例えば女性は劣っているという価値観を放棄し、男性と女性は平等であり、自分は卑屈になる必要も(同時に傲慢になる必要も)ないということを患者は悟ります。そこから、外傷体験以前のように、男性に媚びをうったり、縮こまったりすることがないようになることがあります。あるいは戦争神経症の患者であれば、体制側の「男性は勇躍戦場に赴くべし」という考えが社会のマスキュリティに対する偏見であり、また戦争の現実は勇気やロマンが通用しないものであり、戦争の現実をより広く社会に広めるという役割を担うこともあります。

「この時期を通じて生存者は前よりも大胆に世間に出てゆくようになるが、同時に人生は前よりもあたりまえになる。自分自身と再結合するにつれて、生存者の感じ方は穏やかになり、平生心を以て人生に対することができるようになる」(p.321)。

このとき生存者は、外傷体験それ自体はマイナスが大きくとも、それにより旧来の狭い価値観に囚われない物の見方を自分が身につけていることに気づきます。

「この地点に達すると、生存者は時には、自己のうち外傷体験の中で形成された面の中にも積極的な(プラスの)面をみつけられるようになる。なるほど得たものよりも支払った代価のほうがはるかに大きかったけれども――。現在の生活力が増大したという地点から振り返れば、外傷的な状態における自らの無力性をいっそう透徹して認識するようになり、そうなれば適応に対する自分の潜在能力を前よりも高く評価するようになる」(p.322)。

「回復のこの段階においては、生存者はしばしばプライドが新しく生れ直した感じを持つ。この健康な自己讃嘆は時に被害者たちにみられる、自分は特別だという誇大的な感覚とは別ものである。被害者の特別感は自己嫌悪と無価値感との埋め合わせである。…被害者というものの特別感には自分は他の人々と別ものであり他の人々から孤立しているという感じが付きものである。これとは正反対に、生存者というものは自分の限界、自分の弱さ、自分の平凡さを余すところなく自覚している。しかしまた、自分は他の人々につながり、他の人々のおかげを受けていることを自覚している」(p.323)。


giving is receiving

このように新しい価値観・アイデンティティを獲得した生存者は、もはや外傷体験の意識への侵入には(完全ではなくとも)支配されません。むしろ生存者は、外傷を受けたことの意味を考え、外傷的出来事に対して主体的に関わろうとする人もいます。

ハーマンによれば、心的外傷の生存者の一部は、自らの悲劇を個人的な体験に終わらさず、旧来の価値観が持つ弊害を認識した者として、積極的に社会変革のために行動するようになります。それは、実際そうした行動が社会の改善に役立つからでもあり、またそうすることで生存者が自身をより癒すことにもつながるからです。

「社会的行動は生存者に力の源泉を与えてくれる。それは生存者の持ち前の能力の何倍もに拡大してくれる。それは協力と共通の目的とにもとづいた他者との同盟を与えてくれる。求められるところの大きい組織的な社会行動に参加することは、生存者にそのもっとも成熟性と適応性の高い方略すなわち忍耐、先取り、愛他性、ユーモアを要求する。それは生存者の内なる最良のものを外に出す。それを代価として、生存者は自分以外の人々の最良の部分と結びついているという感覚を獲得する(p.329)。

このような社会行動は、自分と同様の被害者への救援活動や、加害者を法廷へ引き出そうとする試みなど様々です(p.330)。

これらの活動を通じて、生存者は外傷的出来事を公衆の面前で語ります。それは同じような被害者を助けるためであり、かつて孤立無援感に陥っていた生存者自身が、そのように同じ被害者との協同を呼びかけることで、他者との結びつきを再確認する機会ともなります。

「他者に与えるのが生存者使命の本質であるが、それを実践している者は、そうするのは自分の治療のためであることを認識している。自分以外の人々のケアをしている時、生存者は自分が認められ、愛され、ケアされていると感じる」(p.331)。



これらが、この400頁近い本の中で、外傷から回復へと至るプロセスの(中で私の目を惹いた)大まかな特徴です。

読んでいて思ったのは、同様の指摘はすでに多いのでしょうが、“心的外傷”のメルクマールをはっきりさせるのは困難だろうということ。

ハーマンが挙げる「過覚醒」「侵入」「狭窄」にしても、たしかに戦闘神経症や性的虐待といった極限的事例ではその症状の度合いは大きくなるのでしょうが、そこまで悲劇的な事例ではなくとも、多くの人がこれらの症状には悩まされるものだという気もします。まさにフロイトが発見したように、すべての人が無意識の統制を受けているのだとすれば、これらの「過覚醒」「侵入」「狭窄」といった症状は誰もが持っているものです。

またハーマン自身が述べているように、心的外傷は直接的な暴力自体よりも、それによって自分が保護者・強者に裏切られ、社会的公正さや正義への信頼が揺らぐことに由来します。しかしこのような“裏切られ”の体験も、誰もが心の深層にもっているものです。中井久夫さんが「解雇勧告」を心的外傷の引き金の例としてあげているように、暴力を取り上げなくとも、“心的外傷”は日常に溢れていると言えますし、それだけ範囲が曖昧な概念だとも言えます。

ただ私自身は、これは“心的外傷”という概念の欠点ではなく、むしろ私たちの日常生活にはいかに“心的外傷”という“症状”を引き起こす危険が溢れているのかを、この概念は教えてくれているのだと思います。

「私は問題ない」と多くの人が言う中で、“正常性”という観念が失業者・無業者・低所得者を悲嘆の世界に追いやり、ジェンダーの規範が男女両方に狭い考え方を強い、それらの規範から外れたり、それらの規範を利用されて暴力の被害を受けるとき、心的外傷は発生します。

実際、ヨーロッパ各国で見られる移民失業者の暴動や、アメリカにおける貧困地域の犯罪、中国における暴動と政府による抑圧、そして日本における中高年者の自殺といじめによる自殺は、心的外傷に含まれるだろうし、それだけ心的外傷は私たちの日常に溢れているのだと言えます。

この本は、症状の専門的な記述という点では専門家には物足りないのではと思います。その感覚的で患者の心理を追う立場は、医療者というよりはお世話する隣人という趣きです。

しかしそれはむしろ、この本が、それだけ患者の置かれた意識の地平まで著者が降りていることの証しでもあります。その記述がどれだけ一般的の域を超えなくとも、それは逆にハーマンが、お薬や特殊な療法によって心的外傷は一挙に癒されることはなく、それはフロイトやジャネが発見したように、「お話し治療」として根気強く治療者が関わることによって癒されるものだからです。


心的外傷と回復

みすず書房

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『心的外傷と回復』 ジュディス・H・ハーマン(著) 2

2007年01月21日 | Book

             「陽光を受ける山茶花」


『心的外傷と回復』 ジュディス・H・ハーマン(著) 1 からの続き


切り離された記憶

ハーマンによれば、人は危険に遭遇すると、意識がその状況に注意を集中させ、飢えや渇きや痛みさえも無視し、最後には怒りによって状況に立ち向かうか、怖れによってその場から逃げようとする。これが脅威に対する人の正常な反応である。

心的外傷の特徴は、著者によれば、このような正常な反応ができなくなることにある。すなわち、状況に立ち向かうことも逃げることも不可能になるような過酷な状況である(例えば、暴行魔に監禁されたり、戦場に放り込まれたり)。そこでは、怒りや恐怖という感情を感じることも人は不可能になります(p.47-8)。

ジャネはヒステリー患者を診た際に、心的外傷のこのような特徴を、患者たちが自分を圧倒した事件の記憶を意識に統合する能力を失うこととみなしました。ジャネは催眠術により、この「外傷的記憶」が通常の意識から切り離されて「一種の異常状態において保存される」ことを発見します。そこでは、「記憶と知識と感情との正常な結びつきが切り離されて」いるのです。ヒステリー患者と同じ症状は、世界大戦により後の医師が兵士たちの間に見出すことになります(p.48)。

本来であれば危険に対して相応しい感情を感じるべきところが、状況の過酷さゆえに怒りや怖れなどの感情を感じて行動できなかった場合、本来感じるべきであった感情が記憶とともに意識の深層に押し込まれ、本人の制御がまったく効かないようになります。

その非制御の例の一つが、脅威が去った場合でもつねに危険に備えてしまう「過覚醒hyperrarousal」です。第二次世界大戦で心的外傷を被ったある兵士は、当時の医師によれば、「不安という緊急心理反応と心理的準備性とは重なり、挿間的でなく、ほとんど持続的なものとなっている。(中略)この兵士がたまたまストレス的な環境から転勤させられると若干の時間を置いてからその主観的不安は退きはじめる。しかし生理学的な現象は持続し、安全を保障された人生に対する不適応性を露呈する」ようになります。それゆえ患者は普通の人のように警戒とリラックスの状態とのバランスをとることができず、身体がつねに危険を警戒している状態になります。このことが、不眠や音への過敏な反応につながります(p.50)。

また非制御の別の例は、外傷の記憶が自分の中で上手く整理できないことにあります。ハーマンは、ジャネによる通常の記憶と外傷性記憶との次の区別を引用しています。

「〔正常な記憶は〕あらゆる生理的現象と同じく、一つの行動である。本質的にそれはストーリーを語るという行為である。(中略)ある状況をきれいに清算するには、運動という外向けの反応だけではいけないのであって、内的反応も必要であり、われわれが自問自答する言葉を介し、事件を自分と自分以外の人々に語って聞かせられるような物語recitalに組み立て、この物語をわれわれ個人の歴史の一章という座を与えて初めて清算できるのである。(中略)したがって厳密に言えば、事件の固定観念を抱えている人は「記憶」を持っているということはできない。(中略)それを「外傷性記憶」などというのは便宜上のことにすぎない」(“Psychological Healing”1919)。

言葉によって介すこともできず、他人に説明もできない記憶とは、ハーマンによれば、「生々しい感覚とイメージとの形で刻みつけられ」ており、「消去不能」になっている。そのような記憶は言語によって語ることができない断片化された感覚であり、「前後関係」を説明することもできない(p.54)。

著者によれば、このような記憶のあり方は、幼少期の体験を人が記憶することと似ているという(それだけ無力・無防備な状態にあるということか?)。外傷の記憶は、主体の能動的な語りによる加工を受け付けないため、断片的でありながら生々しい直接性を帯びている。受けた現実をそのまま覚え、その記憶が変更されることはありません。それは夢に現れる場合でも同じです(p.55)。

フロイトによって命名されたあの有名な「反復強迫」という事態が、このような症状に該当します。患者たちが望むと望まぬとに関わらず、患者たちはその記憶に突如襲われ、またしたくもない行動を繰り返し行なうようになります(自傷行為など)(p.57-59)。

ハーマンによれば、ジャネは、心的外傷は患者の心にある「孤立無援感」に由来しており、それを回復するためには「自分には力があり役に立っているのだという、力と有用性との感覚」を患者自身が持つ必要があると認識していたそうです(p.59)。

またジャネは、このように外傷の記憶が現在の意識に「侵入intrusion」してくるのは、ストーリー・“あらすじ”としての自分史の中に上手く位置づけることができない外傷的出来事を、なんとか納得して理解し、そうすることで患者はなんとか外界に適応しようと努力し続けるからだと説明します(p.60)。

自分で制御できない記憶が現在の自分の意識を支配するもう一つの例が、「解離」です。「解離」は、意識が外傷的出来事をうまく納得して自分史に位置づけることができないため、その出来事に対して主体的に関わることを完全に放棄するために起こる心的状態です。

出来事を意味づけ理解することが放棄されたため、そこでは知覚は鈍くなるか歪み、聴覚など身体の一部の感覚が麻痺したりします。またそれに伴い、「無関係感」「感情的超然(第三者感)感」「イニシアティヴの喪失」「離人症」「現実感喪失」「時間感覚の変化」などが起こります(p.62)。

このような意識の「狭窄constriction」は、患者のその後の人生の行動を文字通り狭め、危険に出会わないように積極的な行為を行なわせなくします。


外傷は直接的暴力ではなく信念体系の破壊により引き起こされる

心的外傷は、まさに身体への直接的な暴力によって引き起こされますが、それが心的外傷を引き起こす理由は、その暴力によって患者自身が持っていた信念・価値観・自尊心・基本的信頼などが根底から覆されることにあります。どれほど肉体への暴力が苛烈であっても、そこで引き起こされるのはあくまで「心的」外傷です。

例えばそのことは、戦争において暴力を受けたものだけではなく、まさに暴力を行なった者自身が心的外傷に苛まれることにも表れています。ハーマンによれば、戦争が兵士たちに心的外傷を引き起こすのは、残虐行為に関わってしまったときに顕著になります。例え自分が暴力を加える側であろうと、それにより法・正義・公平などへの信念が崩壊し、自分自身が「無意味な悪業」に関与したと意識することが、その人に心的外傷を残します(p.78)。

(参考:「加害の忘却と心的外傷 『関与と観察』 中井久夫(著) 1」

心的外傷が、暴力の直接的な影響以上に、信念体系の崩壊に由来することは、自分自身が暴力を受けた際でも、それが心的外傷につながるのは、そのような暴力に屈したことへの罪悪感・劣等感に由来するのです。このことは、人が通常の意識を持続させるには、「自分は有能である」という意識を持つことがいかに大事かを示しています。「自分は有能である」という信念を破壊されと、自分は被害者であり責任は100%加害者にあるにもかかわらず、状況に抵抗できなかった自分に責任があると考えるようになります。

心的外傷が暴力の直接的な影響以上に信念体系の崩壊に由来する別の例として、ハーマンは「外傷的事件そのものに重要な人間関係に対する裏切りの意味がある」場合を挙げています。例えばある兵士の例によれば、乗艦が撃沈された際に、安全な救命艇に乗っていた将校たちだけが先に救い上げられ、乗組員は6、7時間も水中で筏にしがみつかまされたことが(その間に何人かの乗組員は死に至っていた)、兵士の心的外傷記憶として残ってしまったとのことです。

この出来事により患者は、自分が祖国にとって消耗品に過ぎないことを知ります。患者にとっては、敵の攻撃よりも、また冷たい海水に浸ることによる身体への打撃よりも、死の恐怖よりも、また同じ水兵の死よりも、救助側が将校だけを救い上げ患者の命を尊重しなかったという事実・認識が、彼の中に心的外傷を残したのです。これにより患者の共同体への信仰は破壊されました(p.82)。


加害者の“正常性”という武器が被害者の中に心的外傷を残す

心的外傷が単に直接的な身体的暴力によって引き起こされるわけではないことと密接に関連していますが、心的外傷を起こす事例に共通しているのは、加害者側が巧妙に“マジョリティ”という権威を身につけている点です。

ハーマンによれば心的外傷の加害者は、「権威的で、秘密主義的で、時には誇大的で、あるいは偏執狂的であろうが、しかもなお、権力の実際と社会的規範とに対してきわめてよいセンスを持っている。法に触れそうになることはめったにない。彼は自分の暴君的行動が許容され、看過され、時には讃嘆されるような状況を選ぶ。彼の振舞い方は実に良いカモフラージュとなる。このようにまともにみえる男が大それた犯罪をおかすことがありうると思う人はほとんどいない」(p.113)。

ここでのハーマンの記述は夫婦間暴力の事例を指していますが、加害者が「権力の実際(practice?)と社会的規範とに対してきわめてよいセンスを持つ」という点では、児童虐待・政治犯への体制側による拷問・戦闘神経症を患った兵士に対する軍事当局の処分、さらには職場において被雇用者を追い詰める管理者や同僚、また教室でいじめを行ういじめっ子などにも当て嵌まるでしょう。

上で、心的外傷が引き起こされるのは、被害者がもっていた正義や公正などへの信念体系・価値観が崩れるときだと述べました。それに重ね合わせると、正義や公正さなどの信念体系は、まさにその正義や公正さを体現すべき“強者”がその信念体系を(被害者にとって)裏切り、また裏切っているにもかかわらず外面的には依然として“正しい”のは強者のままで、被害者は自分が“間違っている”と思わされてしまうのです。

自分の中で、正義や公正さへの信頼が強者によって裏切られたという思いと、同時に悪いのは自分であるという相矛盾する想いに被害者は引き裂かれることになります。

このような心理的支配は、根本的には相手の意思を踏みにじりながら、規則を定め細かな許可を加害者が被害者に与えることにより、完全となります。例えば家庭内で監禁されている妻や囚人となった政治犯は、劣悪な環境に置かれながら、そこでわずかながらでも排泄・食事などの“許可”を加害者に与えられることにより、加害者に感謝の情をもってしまうようになります(p.116)。いじめなどの場面で、つねに意思を踏みにじられながら、被害者は加害者と一緒にいるよう強制され、たまには一緒に笑うことも許可されることで、いじめられっ子はいじめっ子により服従します。このことは、ドメスティック・ヴァイオレンスで殴打を受けた女性が、「悪いのは自分であり、夫は悪くない」と証言することにも表れています。

このような加害者と被害者との感情的結びつきは、加害者が被害者の行動をコントロールし、被害者が加害者とコミュニケートする手段が失われることで完全になります。被害者は自分を劣悪な環境に置いた加害者自身としか人的関係を持たず、また僅かな慰め(食事や優しい言葉)をもらうことで、加害者に依存するようになります。ハーマンは加害者と被害者とのこの“奇妙”なかん軽を次のよう述べます。

「全体主義政府は被害者に服従の表明と政治的改心を求める。奴隷主は奴隷に感謝を求める。宗教的カルトはリーダーの神的意志への屈従のしるしとして儀式化された犠牲奉献を求める。家庭内暴力の加害者は被害者が自分との関係以外の人間関係一切を絶つことによって完全な服従と忠誠とを証することを求める。性犯罪者は被害者が屈従の中で性的満足を覚えることを求める」(p.114)。


大切なのは復讐ではなく、パワーを取り戻させること

「心的外傷」を被っている患者は、これまで見てきたように、「体制」「親」「保護者」「権威」「上司」といった人たちに傷つけられ、裏切られたことに強いショックを受けている。また、これら「強者」によって裏切られ攻撃されたからこそ、その心的外傷は根深いと言えます。

「心的外傷」のことを一般的な「悩み」という言葉で片付けることができないのは、このような権威との根深い葛藤がそこに表れているからです(もっとも「心の悩み」は多かれ少なかれ、親などの権威との葛藤が関係しているかもしれません)。

このような「強者」「保護者」に対する問題を抱えているがゆえに、心的外傷患者との治療関係は治療者にとって独特の問題を伴います。

治療者-患者という関係は、患者は最初から自分の弱みを相手にケアしてもらおうとしているのですから、最初から弱点をさらしています。それゆえ治療者は、相手の弱みを最初から握った立場で患者と付き合わなければなりません。

ある心理トレーナーは、すべての人間関係は競争をしていると言います。私たちは多かれ少なかれ、すでによく知っている人から未知の人まで、出会う人すべてに対して心理的優位に立とうとします。そのような人間の本性に近い傾向を、治療者は患者に対して行使しない節度が求められます。ハーマンは次のようなことが治療者に求められると述べます。

「患者は援助とケアとを求めて治療を始める。この事実のために、患者は治療者が上位にあり権力を持つという不平等な関係に身を委ねるのである。…治療者は力を乱用しようといういかなる誘惑にも抵抗して、自分に与えられた力をただ患者の回復を育てるためにのみ行使する責任がある。この誓約は、治療関係の健全性の中心課題であるが、すでに他者の恣意的・搾取的な権力行使の結果によって苦しんでいる患者の場合には特に大切である」(p.208)。

力の不平等さゆえに苦しんでいる患者に対して治療者は、患者を苦しめた外傷関係とは異なる人間関係によって患者を癒さなければなりません。しかも、すでに自分が心理的優位にある治療者-患者関係という困難な場において。ハーマンは、外傷体験によって粉砕されてしまった患者の人間関係に対する信念とは、「強制よりも説得のほうが、物理的な力よりも新しいアイデアのほうが、権威的なコントロールよりも互酬的な関係のほうが価値も効力も高い」であり、治療関係において患者に取り戻さなければならないのも、このような人間関係が本当は実現しうるという信念であるといいます(p.210)。

心的外傷患者が奪われたのは能動的に行為する力です。その体験が苛烈であればあるほど、治療者は患者の悲劇に巻き込まれ、時には弱った患者をまさに加害者と同じように攻撃してしまい、あるいは怒りに駆られた患者の悲劇性に圧倒され患者から叱責され続け、時には患者と一緒になって加害者に対して怒るなど、転移的関係に巻き込まれます。

しかし、「弱者」「患者」として存在する患者を攻撃するのはもちろん、悲劇の「被害者」として患者が加害者や傍観者である第三者(治療者も含まれる)に対して怒りを表現しても、治療者までその怒りに同調してしまっては、患者を「被害者」という立場から救い出すことはできません。治療者がすべきことは、患者の復讐の願いを満たすことではなく、患者が奪われた能動的な力を取り戻すことにあります。治療者が患者に対して示す非難も同情も、患者が「被害者」として振舞うように促す限りでは、彼or彼女に力を取り戻させることになりません。

『心的外傷と回復』 ジュディス・H・ハーマン(著) 3 に続く)



『心的外傷と回復』 ジュディス・H・ハーマン(著) 1

2007年01月21日 | Book

             「山茶花を囲む緑の葉」


アメリカの精神科医ジュディス・H・ハーマンの著作『心的外傷と回復』を読みました。図書館で借りた本ですが、定価は7千円もするんですね。うーん、ちょっと高過ぎる気もするのですが。他の本と比べて特別読まれない本じゃないだろうし、むしろ「心的外傷後ストレス障害」研究の古典といわれているのだから、もっと安くてもいい気もします。

精神医療の素人の私が読んだ感想としては、どうしてこの本がここまで話題になったのだろう?とまず思いました。

この本がよくないと言いたいのではありません。ただ私の印象としては、この本が扱っている心の病は、たしかに障害は深刻ですが、それは私たち誰もが抱える心の悩みが極端に深刻度を増しているものという印象です。つまり、この「心的外傷後ストレス障害」という病自体は、とりわけ目新しいものではないように思えるのです。

またその治療・回復の過程の記述も、心的外傷の原因となった出来事を記憶に呼び起こし、それを自分の歴史のストーリーに正確に位置づけるというもので、実際のその作業は確かに困難でも、それ自体はとてもオーソドックスな心理療法に思えます。

読んでいてわたしが思ったことは、どうしてこの本が「PTSDの古典」と言われるほどにまで有名となったのだろうか?という疑問でした。

ただ、逆に言えば私がそう思ったのは、1992年に出たこの本が、それだけ私のような素人にまで知らず知らずのうちに影響を与え、この本の見方を一般的なものにしたということであって、私たちがありふれていると見る「心的外傷」という病も、この本が出るまでは認知されておらず、またこの本によって一挙にその病の認知が広まったということでしょうか。


著者は心的外傷に陥る原因として、主に児童虐待・性的虐待・政治犯への拷問を取り上げます。「心的外傷」という概念はたんに症状のみにフォーカスする精神治療の概念ではなく、著者にとっては、児童・女性・政治犯など虐げられてきた人たちの権利を回復させる運動の一環であることが繰り返し強調されます。


戦闘神経症と治療

「心的外傷」の事例として著者が取り上げている事例の一つが、「戦争神経症」。つまり、戦争において心的ショックを受けた患者の事例です。これは第一次世界大戦で発見されました。このことは、力動精神医学が公衆に認知されたのが20世紀初頭であることと密接に結びついているのでしょう。

「戦争神経症」は金切り声、すすり泣き、金縛り、無言、無反応、記憶喪失などの症状を示す概念ですが、当初そのその病は、戦争という任務に応えることのできない「道徳的劣格者」が示す症状として非難され、電気ショックなどによって強制的に「治療」しようとする試みが主流でした。

(受験競争・企業社会から落ちこぼれる「ひきこもり」「ニート」「フリーター」を、時の政権担当者たちが非難し、彼らを「待ち組み」などとレッテル張りすることと同じ性格をもっているでしょうか?)

それに対し「人道的」治療を目指す一部の精神科医が、「戦争神経症」症状を示す患者たちに、<口をつぐまず、思い切って戦争の恐怖を自由に話し書く>ようすすめる「お話し治療」を試みてみました(p.28)。

この治療を受けたある患者は、のちに「人道的」治療を行なった医師に対し次のように感謝の言葉を述べています。

「大切なのは、私の思い出の中にある、私に友情と指針とを与えてくれた偉大な、善良な男の姿である」(p.28)。

この言葉から、「お話し治療」が単なる技法ではなく、医師の人間としての本性を発揮した他者へのケアだったことが窺えます。

(先日紹介した神田橋條治さんの『精神療法面接のコツ』の中で神田橋さんは、心理療法においては技法と同時に、患者の存在に配慮する「抱え」が必要であり、それは人間本性に内在する「利他の心」によって可能となることを述べられています)

また別のある精神科医が同じく戦闘神経症の患者を診たところ、あまり改善が見られなかった事例もありました。後にその患者が医師に例を言おうとして、治療に改善が見られなかったことから医師がお礼を拒否しようとすると、次のように述べました。

「せんせいはやってみようとなさった。私は復員軍人病院にずいぶんいましたが、誰もやってみようとしませんでした。本当の介護careもしてくれなかったのです。先生は違う、ケアをしてくださった」(p.30)。

これらの引用から、著者のハーマンが、心的外傷の共通の要素として、患者が社会的に疎外された者たちであり、それらの治療においては単なる技法を越えた感情的配慮を重視していることが窺えます。

第二次世界大戦でも戦争神経症が問題になった際には、医師たちは患者の治療においては感情的なケアが重要であることを再度見出します。医師たちは、「圧倒的な恐怖に対する最良の防衛は、兵士と同じ班員と班長とのつながりrelatednessの度合い」であること、「危険が絶え間なく存在する状況は兵士に同じ班員および班長に対する極度の感情的依存性を起こさせること」こと、「心理学的破綻に対する最強力な防衛は小戦闘単位における士気とリーダーシップ」であることを見出します(p.33)。

また兵士の治療に当たった医師は、感情的な配慮と同時に、「心理学的外傷」においては「意識の変性状態」を催眠術により人為的に起こすことにより、外傷の記憶に接近できることをつかみます。それにより、外傷の記憶とそれにまつわる怖れ、怒り、悲しみという感情を取り戻し、カタルシス的に外傷性記憶を再体験することに治療はフォーカスするようになります。この際に重要となるのは、単に外傷の記憶をカタルシス的に再体験することではなく(それでは治癒に至らない)、その記憶を“意識に統合する”ことが肝要となります(p.34)。


著者は、このように「戦争神経症」として当時の医師たちにとらえられた症状を、「心的外傷」“Trauma”という概念によって包摂します。戦争自体は人類の歴史で恐らく常態だったのですが、力動精神医学の発達とともに、(ひょっとすると)史上初めて医学の・そして公衆が取り組む課題となりました。


性的虐待による神経症

著者は、この「戦争神経症」が含まれる「心的外傷」に、性的虐待の被害者が示す症状を加えます。性的虐待も、力動精神医学の発達と同時に医学の課題として検討され始めた分野です。実際、フロイトたちのヒステリー研究は性的虐待を受けた女性たちの診察の記録であることを著者は示します。同時に、フロイトたちはせっかく診療により性的虐待を受けている女性の実態をつかみかけながら、その事実を追求することをやめ、女性被害者たちの声に耳を閉ざしてしまいました(p.14)。

20世紀のおける「社会運動」の代表例の一つが「平和運動」であり、兵士たちの心的外傷に気づくことが「社会運動」の前進に与ったとすれば、もう一つの運動の代表例が「女性解放運動」です。この「女性解放運動」も、「平和運動」と同じく、市民生活の裏でつねに性的虐待を受けている女性たちの声を医学と公衆が耳を向けることにより活発化しました。

70年代にある医師たちは、レイプを受けた女性たちが示す症状が戦闘参加帰還兵の症状と共通していることを指摘します。その症状とは、睡眠障害、吐き気、驚愕反応、悪夢、解離症候群、無感覚症候群などです(p.43)。

この二つの被害事例の共通性についてハーマンは次のように述べます。

「50年の昔、ヴァージニア・ウルフは「私的世界と公的世界とには切り離せないつながりがある。一方における圧制と隷属は他方における圧制と隷属である」と書いた。今や一方における心の傷は他方における心の傷であることも明らかである。女性のヒステリーと男性の戦闘神経症とは同じ一つのものである。このように病が共通であることを認識すれば、戦争と政治という公的世界すなわち男性の世界と家庭生活という私的世界すなわち女性の世界とを分かつ深淵を越すことも、時にはできるのであるまいか」(p.45)。


ジャネ、フロイトたちのヒステリー研究

ハーマンによれば、ヒステリー研究が公衆の脚光を浴びたのは、シャルコー(1825 - 1893)の研究からでした。それまでヒステリーは詐病とみられ、催眠術師や民間治療者に委ねられていましたが、シャルコーの取り組みによりヒステリーは公式医学により「病」として認められ研究の対象となります。

(力動精神医学が当初は大学外の民間治療者の治療技術に由来することは、『無意識の発見 上 - 力動精神医学発達史』(アンリ・エレンベルガー著)に詳しく述べられています。)

シャルコーはヒステリーの症状として、運動麻痺、感覚麻痺、痙攣、健忘が心理的なものであることを指摘し、これらの症状は催眠によって人工的に誘発でき、消去できると考えました(シャルコーが聴講者の前で女性患者を催眠状態にしたことは有名ですが、実際はそれらの患者の多くが、シャルコーの助手たちにシャルコーに内緒で患者に演技するように指示されていました)。

しかしシャルコーの取り組み方はあくまで患者の感情をカタログに記載して整理することに焦点が置かれていました。シャルコー後の医師たち、とりわけピエール・ジャネとフロイトは、ヒステリー患者の状態を“客観的”に分類・記述するだけでは治癒には至らず、「患者たちと語り合わなければならない」と認識し始めます。ハーマンは、心的外傷がつねに医師たちに軽視されがちである事実を踏まえ、皮肉を交えて当時の医師たちの取り組みを紹介します。

「科学者たちは患者たちの語るところに虚心にそして熱心に耳を傾けた。また、空前絶後のことであるが、患者が語るところに対して畏敬の念を以て聴いたのである。ヒステリー患者に毎日会うこと、そして一回数時間をかけることも少なくなかった」(p.11)。

これらの努力によりジャネとフロイトは、外傷的な出来事に対する耐え難い情動反応が一種の変性意識の誕生を起こし、この変性意識がヒステリー症状を生んでいるという結論を得ます。ジャネはこの意識内に起こる変化を「解離dissociation」と呼び、フロイトとブロイアーは「二重意識Doppelbewusstsein」と呼びます(p.11)。

ジャネとフロイトはともに、ヒステリーが示す身体症状は、「強烈な心理的混乱を起こす事件が記憶から追放され変装して現れたものだ」という結論に到達します。ジャネはヒステリー患者は「意識下の固定観念」に支配されていると考え、ブロイアーとフロイトは「ヒステリー患者とは主として想起を病む者である」と考えます(p.12)。

また二人は、ヒステリー症状は「外傷的記憶とそれに伴う強烈な感情とを取り戻させ、それを言語化させればヒステリー症状が軽快すること」に気づきます。ブロイアーとフロイトはこの治療法を「除反応abreaction, Abreaktion」「カタルシスcatharsis, Katharsis」と名づけます。しかし著者のハーマンは、より適切な名前は、患者であるアンナ・Oが名づけた「お話し治療talking cure」であると言います。なぜならこの治療は、あくまで患者と医師の間の「親密な対話」によって可能となるからです(p.12)。

この「お話し治療」による患者と医師との共同作業は、患者の過去を入念に「さぐり求めるquest」という形を採ります。ジャネは、治療が進み最近の外傷の記憶を取り戻すと、次第に幼年時代の出来事を探ることに向かうことを指摘します。「(ヒステリー性)妄想という表層を除去することは、彼女の心の底の底にまだ棲みついている古い、しつこい固定観念が(表層に)現れる手助けをしたことになる。次に後者が消失すると格段に患者はよくなる」(p.12)。

フロイトはこのような患者の過去の探求により、ヒステリー患者の多くが性的虐待を受けていることを突き止めます(p.13)。

しかしハーマンによれば、このような観察結果は、当時の中欧の中産階級において幼児性的虐待が蔓延しているという結論にながるが、フロイトはその事実を受け入れることができず、女性ヒステリー患者の症状は、患者たちの欲望の表れと見なすようになります。「精神分析」が体系的に確立されたのは、このようにヒステリー研究が脇におかれた時期に符合するということです。そこでは、ヒステリー患者の訴える虐待の事実は、患者たちの妄想として退けられます。


『心的外傷と回復』 ジュディス・H・ハーマン(著) 2へと続く)