この項続きます<o:p></o:p>
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われわれはそれを否定しない。それはよく知っている。ただし僕個人としては、アジアを占領したら諸民族を日本の奴隷化するなどいう意識はなかった。解放を純粋に信じていた。<o:p></o:p>
ただ、ききたい。それでは白人はどうであったか。果たして彼らが自国の利益の増大を目的とした戦争を行わなかったか。領土の拡大と資源の獲得、勢力の増大を計画しなかったか。<o:p></o:p>
戦争中は敵の邪悪のみをあげ日本の美点のみ説き、敗戦後は敵の美点のみを説き、日本の邪悪のみあげる。それを戦争中の生きる道、敗戦後の生きる道といえばそれまでだが、横田氏ともある人が、それでは「人間の実相」に強いて眼をつむった一種の愚論とはいえまいか。<o:p></o:p>
また平林たい子が「暗黒時代の生き方」と題して、いわゆる「転向」は「時を待つためにこの手段をとらねばならなかった、やむを得ないことであった」といっている。それならば日本人の大部分が「今」がそうではないのか。いまが偽装を必要としない真実の時代であるというのは、盾の一面しか見ないこれまた一種の愚論ではないのか。<o:p></o:p>
十一月六日(火) 快晴<o:p></o:p>
学校の事務のほうでは、飯田からの学生の荷物はことごとく送出したという。ついに絶望のほかなきか。蒲団のみならず、衣類一切中にあり。焼け出されて、辛うじて家より整えてもらいたるものなれば閉口の極に達す。<o:p></o:p>
高須さんが船橋にゆき、夕、干鰯を買って買える。三匹一円の由。船橋では何でも売っている。鰯の天ぷら三つで十円、牛乳コップ一杯五十銭、ショーチューなどもあるという。<o:p></o:p>
チエホフ短編を読む。<o:p></o:p>
十一月七日(水) 晴午後曇<o:p></o:p>
松葉に茨城から葱、里芋、大根など持ってきてもらう。このごろ芋飯に芋の味噌汁のみでビタミン欠乏症になりそうなゆえなり。<o:p></o:p>
小泉丹「生物体の機構」を読む。<o:p></o:p>
十一月八日(木) 快晴<o:p></o:p>
予想というものは、一般に希望の別名であることが多い。希望とは自分の利益となる空想である。従って、これを逆にいえば「あいつは大した人間にはなれないだろう」などとよく人は断言するが、これはその「あいつ」なるものが評者にとって不利益な人間であることが分かったときに発せられることが多い。銘々が心に振返って見るがよい。この野郎、将来小人物になるに過ぎんわい、など思うのは、たいてい癪にさわった、つまり自分の不利益になったときにきまっている。<o:p></o:p>
午前木村教雄教授、日本数学史第一回。志賀直哉「大津順吉」を読む。<o:p></o:p>
十一月九日(金) 快晴<o:p></o:p>
きょう電車の中で、前の人の肩越しにのぞいてみたら、白柳秀湖が「日本歴史より神話追放」という大見出しで何か書いているらしかった。その説はたいてい分かっている。大賛成である。
そういう意味では、戦後かなりの著名人が転向しましたね。
日本人の得意技とは、的を射てます。
小生など、終戦の玉音放送の夜には灯りをつけ、万歳の心境でした。
終戦後、転向の第一号かも知れません。