翌二十一日、雨の中、おまけに脱肛の出血を抑えながら歩きます。これもひとえに懐都合で休めないわけです。流浪行乞の宿命でしょうか。それでも道中の道筋、丘また丘、むせるような若葉のかおり、そして農家を囲む蜜柑のかおりと褒めるゆとりはあるようです。「今日はよく声が出た、音吐朗々ではないけれど、私自身としてはこのぐらゐものだらうか。」多少元気が戻ってきたようです。<o:p></o:p>
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おどつてころんで仔犬の若草<o:p></o:p>
ふるさとの言葉のなかにすわる<o:p></o:p>
密柑の花がこぼれるこぼれる井戸のふた<o:p></o:p>
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☆同宿三人、何という善良な人だろう。家の無い人間は、妻も子も持たない人間は善良々々。<o:p></o:p>
☆故郷の言葉を旅人として聴いているうちに、いつとなく誘い入れられて、自然と故郷の言葉で話し込んでいた。<o:p></o:p>
☆まさに蚤のシーズンである。彼等はスポーツマンだ。<o:p></o:p>
☆どうも夢を見て困る。夢は煩悩の反影だ。夢の中でも泣いたり腹立てたりしている。……<o:p></o:p>
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五月二十二日 危ない天気だが休めない。行乞しつつの四里は辛かった、身心の衰えを感じると言います。切なさが滲んでまいります。特牛港は三国屋です。この宿が遊郭の中にあり、おまけに巡査駐在所の前にあると面白がります。もっとも四五軒の遊郭に過ぎないとのことです。<o:p></o:p>
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けふは霰にたたかれてゐる<o:p></o:p>
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五月二十三日 行程六里、小串町(山口県)、むし湯。久しぶりの天気晴朗、身心も軽快どしどし歩きます。久玉、二見、湯玉といったところを行乞し小串で宿を求めますが、明日は市が立つとかで断られ、この蒸湯を教えられて来たのですが、事情を話してやっと泊めてもらいます。<o:p></o:p>
今日は。
嘘のような本当の話というわけです。若い警官なんてそうだったかも知れませんね。帰りには倅共々敬礼したりして…。