うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む144

2010-06-27 04:57:21 | 日記

緒方校長断腸の弁<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

七月三十一日(火)晴<o:p></o:p>

 昨日まで茅野にありて一年の面倒を見ておられた緒方校長、飯田に来られ、きょうより入学以来はじめての校長の病理学講義始まる。<o:p></o:p>

 気分悪いと寝ているもの、三年までも吾らにまじって上郷村の天理教会にゆく。<o:p></o:p>

 病理学講義に先立って次のごとき演説をせらる。<o:p></o:p>

 「諸君は茅野にいる一年生よりはるかに恵まれていることは事実である。第一に諸君はごらんの通り、たたみに座って勉強が出きる。茅野は実に一介の寒村で、寝るのも板敷き、教場もむろん板敷き、桑の倉庫なのだから、汚いこと言語に絶し、食物はいうまでもなくお話にならない。だから雨のふる日など、みな家が恋しくてたまらないらしい。それで私なども真っ先ににぎやかにやっているわけですが、私の信念としては、この苦痛を明るくするものは、ただ勉強、勉強より外にないと考えている。<o:p></o:p>

 危急存亡といおうか、この未曾有の国難に際し、諸君にはそれぞれ煩悶があろう。学問は国家あっての学問である。国家なくして何の学問ぞや。私も、この研究が果たして何になるのか、そう考えると、夜も眠られないことがある。諸君にとってはなおさらであろう。しかしながら、現在の吾々にとって、学問するにまさる愛国の道は絶対断じてない。戦争は軍人に委せようではないか。吾々は学問しよう。研究しよう。困苦欠乏にめげず、あくまで医学にかじりついてゆこう。飯田で焼かれたら、さらに山に入ろう。私はどこの果てまでも、諸君とともにゆく。あくまで諸君を、インチキ医者ではない立派な医者に、必ず育てる。<o:p></o:p>

 日本をこの惨苦に追い込んだものは何であるか? それは決して物量などではない。それは頭だ。それはこの頭なのだ!<o:p></o:p>

 日本医学がなんで世界の最高水準などに在るものか。下らないひとりよがりの自惚れはもうよそうではないか。日本医学は決して西欧医学の水準には達していない。医学ばかりではない。工学でも物理学でも化学でもそうである。その例はあのB29に見るがよい。日本中の都市という都市が全滅してゆくにもかかわらず、なおあの通りB29の跳梁に委せているのは、物が足りないのではない。あれが出来ないからだ。あれを打ち墜とす飛行機が日本にないからだ!<o:p></o:p>

 諸君、このくやしい思いを満喫しなければならないのは、吾々の頭が招いたことなのだ。はっきりいっておくが、毛唐は日本人を対等の人間とは認めていない。黄色い猿だと思っている。この軽蔑を粉砕してやるのは、吾々の頭だ。学問だ。研究だ。不撓不屈の勤勉の勤勉なのだ。<o:p></o:p>

 諸君にはもはや私達のような学問の生活を送ることはできないだろう。この戦いのあとは惨憺たるものであろう。医者の資格さえとればそれでよい。開業すれば何とかやって、金さえ儲ければよい、とまではゆかなくても、単なる安楽な、こぢんまりした平和な生活を望んで、ただそれだけで満足してもらいたくないのだ。これから頼りになるのは、本当に自分の実力だけである。金とか親の威光などというものは何にもなりませんよ。断言しておきますが、近い将来に日本には恐ろしい変化が起こります。明治維新以上の大転回が参ります。そのときに頼りになるのは自分自身だけですよ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿