翌日純な苦味生さんと連れ立って荒尾海岸を散歩しております。そこで余人には滅多できないお膳立てをします。捨て草を焚いて酒瓶を温め、貝殻を拾ってきて別杯を交わすのです。なんとも言えぬ情緒だったと端然とした物言いですが、この世の情景とは思えぬ幽玄の境地か、唖然としつつも羨ましい気持ちが湧いてまいります。またその後が凄い、この日<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="43:熊本県熊本市;" Address="熊本市">熊本市</st1:MSNCTYST>彷徨と書いてますが、さて今夜はとの思案ですが、もう遅くて泊まる宿はない、あっても私の泊まれるような宿はない。宿はあっても泊まる金がないと念を入れます。
「ままよ、一杯ひつかけて駅の待合室のベンチに寝ころんだ、ずゐぶんなさけなかつたけれど。……」
あてもなくさまよう笠に霜ふるらしい
寝るところが見つからないふるさとの空
火が燃えてゐる生き物があつまつてくる
起きるより火を焚いて
磯に足跡つけてきて別れる
夕べの食へない顔があつまつてくる
霜夜の寝床が見つからない<o:p></o:p>
こうみますと、俳人仲間が全て宿を提供してくれるとは限らないようです。例えば旦那が俳句にのめりこんでいて、山頭火を尊敬していても家人はそうとは限りません。正直なところ薄汚い雲水としか見ない場合だってあるわけです。そう思います。「こんど熊本に戻ってきて、ルンペンの悲哀をつくづく感じた、今日一日は一句も出来なかった。」しみじみと語っています。
今日は。
出家の身でありながら俗臭ぷんぷん、悩み苦しみ反省の日々に生きる姿が身近に感じます。
海岸でのお酒 美味しそうです。焚火の焼き芋なんか好きですから 楽しく 弾んじゃいますね。生き方も楽しんでもいるようですが・・?
今晩は。
海岸てのお燗酒、見事な演出です。なかなか真似する機会はありませんけど。