空襲の恐ろしさ<o:p></o:p>
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一月二十六日 (金) 晴<o:p></o:p>
午後友人らと、学校屋上にて日向ぼっこす。(忙中閑ありですか、戦時下の学生達の身の上が、何となく憐れに思えてまいります。)空気澄みて日がかがやく。風冷やかなれど教室よりマシなり。身体暖かきがごとく寒きがごとく、陶然たるがごとく不快なるがごとく、終始黙す。みな、恐ろしくシュルンペン(憔悴)しておるなと笑う。帰宅後眠る。全身の関節なかんずく肩腰痛く、咳烈し。<o:p></o:p>
夜十時B29一機来。<o:p></o:p>
一月二十七日 (土) 晴午後曇<o:p></o:p>
昨夜にひきつづき、一時また一機、さらに三時ごろまた一機、暫時してまた一機来る。高射砲の音凄じ。(念入りな偵察でしょうか、はたまた神経戦でしょうか。)<o:p></o:p>
余起きず。高須さん必ず起きて身支度して待つ。半ば精勤、半ば臆病、頗る滑稽なり。「おまえみたいに図々しいヤツはねえ。あんな音でよく寝ておられるもんだ」という。(小生、高射砲の発射音がそんなにも大きいとは初めて知りました。)<o:p></o:p>
午前中、近傍の谷山なる医者にゆく。診察、注射、散薬二日分、診断書にて九円。流感なりという。ついでに歯医者にゆけども留守なり。<o:p></o:p>
午後一時半ごろ、敵二機先ばらいとして来る。これに続きて約七十機のB29五梯団に分かれて怒涛のごとく襲来。雲低くして雲上の彼方より轟き来り。ヘリオスのごとく頭上を翔けり去る音不気味なり。一編隊東南洋上に去らんとして次なる編隊西より進入、これいまだ帝都を去らざるに第三編隊静岡に侵入、東方に進み来るといったありさまなり。
二階に上がりて東方を望めば、京橋、日本橋より上野にもかかるべきか、ともかくも日翳りて蒼暗き家並の地平線、黒煙漠々と天を覆い、その上空の横雲、日中なるにあかねさしたる如く赤らむ…夜に入るも空なお赤し。<o:p></o:p>
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