考えるための道具箱

Thinking tool box

読み終えた、このぶ厚い2冊をどうするか。

2005-04-24 21:36:10 | ◎読
これにてすみやかに『告白』や『ディスコ探偵水曜日』などに移行できるわけなんだけど、『半島を出よ』については、その前にちゃんと書いておいたほうがいいのかなあ。もし、書くとしたらけっこう長くなるだろうなあ。書きたいことはたくさんあるんだけど、たぶんそのほとんどが、文学的な立ち位置からみたときの批判的な物言いになりそうな気がする。で、おそらくその視点からみた課題は、ちょっと小説を読んでいる人にとってはものすごくわかりやすいものなので、あえて書くほどのことはない、という考え方もあるわけだ。逆に、論をまとめるより、思いついたときにチクチクとエントリーをアップしていくって方法もあるかも。もしくは、渡部直己が、なにかを書いた後、『五分後の世界』をべた褒めした彼の評点の揺らぎなどを反面教師として、そこをついていくような後だしジャンケンっていう手もある。

これらのことを考えると『半島を出よ』については、自明の批判をおこなうより文芸批評的な視点からプラス面を吸い出す作業をおこなったほうが面白いかもしれないし、なにか発見があるかもしれない。

たとえば、「新しい小説」の形と見做した場合はどう?たとえば、ポリティカルでエコノミカルなテーマを文学として着地させるという形式。もちろん、すでに経済小説というエンターテイメントのジャンルはあり、しっかりとしたファクトに基づいて書かれているものも多い。それらのビジネス・シミュレーションと『半島』はどこが異なるのか?なにか生きていくうえで大切な箴言や教訓のようなものが散在しているところか?それとも、ナショナルな課題を謳いあげるマッチョなネオ・イデオロギーか?もし、このことがうまく作用していれば、ドン・デリーロの『アンダー・ワールド』『マオⅡ』のようになっていたかもしれないが、どうやらそれとは違う。もちろん『神聖喜劇』とも違う。なにかすっきりしすぎているのだ。これを考えると「新しい小説」には、やはり数センチ届いていないのか?

その「すっきりしすぎている」という印象を好意的に捉えるっていう方向はどうだろう。つまり、文章・言葉の力という点でみればどうか?『半島』は基本的にはその物語の巧拙が批評の対象になるだろうが、小説を駆動していくのはなにも物語だけではないと考えたとき、記号として(もしくはオブジェクトとして)有意味&無意味なテキストを膨大に羅列していくという形式は新しいのか?余計な比喩や紋切り型をほとんど使わず緊張感のある文体を持続するスキルは、もはや驚くほかないのだが、はたして、ワン&オンリーのものか?じつは情報の羅列を除けば、そうとう読みやすい文になっているが、はたしてそれは善なのか?過去、龍が生み出した息継ぎのない輝くようなすばらしい長文(たとえば『トパーズ』)は、どこかにあったか?
また、異様な量のリアルな情報を文学のことばとしてまとめあげた結果リアリティを減速させていく手法はその功罪を見極める必要があるが、はたしてそこに『なんとなくクリスタル』を越える斬新性はあるのか?

さらに、主体や視点にについては?これだけの膨大な登場人物とシーンを力技でまとめているところをみると、主体(語り口)や視点について描き方については、かなり詳細に分析すれば、なにか技巧がみつかるかもしれない。たとえば、内閣危機管理センターでの円卓会議の場面とかね。ただし、いま群像劇といえば『シンセミア』で、そこで多元視点について揺るぎのない答えが出ている以上、なにか違う答えを出さなければならない。さて、新しい手法はどこかにあったか?

そして。そして、これは龍の集大成と読んでいいのか?おそらく、これにてしばらく龍は小説を書かないだろうことが予測されるが(外伝的なものは別として)、場合によっては最後の小説になるかもしれない『半島』は、代表作たりえるのか?たしかに、過去の作品の多くの「書くべき」ことが満載されているのだが、それは焼き直しにすぎないのか、再統合がはかられたものなのか?たとえば、高麗軍殲滅後、九州が日本政府を拒絶し独立をめざすくだりは、どこかでみたあの独立とどう異なるのか?それとも進化した洗練された独立の形なのか?

いやあ、なんか書いているうちに、楽しくなってきちゃいましたねえ。じつは、いま過去の作品なんかも読み直してみたりしてるんだけれど、ちょっと村上龍ブームになりそう。この「マイノリティ」を書くことをテーマとしながら「メジャー」になってしまった不協和小説について、床屋談義するのはなかなかによいトレーニングになる。これは、間違いなくゴールデンウィークのお楽しみだ。って、GWがヒマだったらの話ね。


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2 コメント

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お初です。 (ishmael)
2005-04-25 18:47:29
こちらにコメントさせてもらうのは初めてですね。毎日楽しみに読ませてもらってます。実は僕もuratさん同様、村上龍の『半島を出よ』には、相当てこずっている口です。しかし決定的に違う点は、僕はuratさん程今回は付き合えなかったという点です(笑)。どうも、やっぱりしんどいです。というのもuratさんが今日書かれている点のその全てに「結局全部失敗していないか?」という疑問を感じてしまうのですね。最終的にその原因は、小説的なリアリティが龍氏の求めるリアルと齟齬をきたしているとしか、おもえない点なんです。かといって、別個のものとして見たとしても、そうしたリアルな情報部分以外の場所に目新しさを見つけられるかというと、どうも焼き直し以上のものは見出せないのじゃないか、そんな風に感じる。今、下巻の真ん中あたりで随分長いストップがかかっていて、なんだか凄くしんどい状況だったのですが、uratさんの文章を読ませてもらって、ちょっと片付けるかと少し勇気を頂きました(笑)。しかし、すごいです、そこまであの『半島を出よ』にstick toしていけるuratさんは。

 最初っからヘヴィな書き込みになりました、すみません。いつもはサイレント・ビジターですが、これからもちょくちょく寄らせてもらいますね。
>ishmaelさま (urat2004)
2005-04-25 22:37:08
ありがとうございます。同じくわたしも連日訪問させていただいていて、最近のishmaelさんの加速的増量に驚愕しているしだいです(笑)。



『半島』は、おそらくたくさんの批判が寄せられるから、逆張りしようかと思って、良いところ吸出し運動を始めましたが、すでにお気づきのように、吸い出そう引き出そうとしても、すべてアイロニカルになっちゃったわけです。いちばんのポイントは、ishmaelさんの指摘にもあるように、リアリティの問題で、これを突き詰めていくと、またぞろ「文学の限界」みたいな議論がぶり返されそうなので、防御線として、「新しい形式」みたいな対論をぶっつけみたらどうか、と単純に思ったわけです。でも、考えれば考えるほど、また最近の若手作家を読めばよむほど、分が悪いですね。



まあ、市井の読者としてはstick toする必要はほとんどないわけなのですが、このあたりはishmaelさんの基本思想(せっかくぶ厚いの読んだんだからなんか残さないと)に通底しているという感じですか。だからGWに考えるとか、言っていますけど、あまり本気でないかもしれません。



ただし、『半島』は「物体」としては(そこにつぎ込まれた尋常ではないエネルギーも含めて)たいへん価値のあるものだと認識していますので、論点を「幻冬舎マーケティング文学」とかに変えていくかもしれません。っていうか、これも皮肉ですね。



これからもよろしくお願いします。

愉しませてください。

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