考えるための道具箱

Thinking tool box

◎Time The Conqueror

2008-08-20 21:27:57 | ◎聴


Time The Conqueror is Jackson Browne’s first studio release in 6 years. Recorded with his longtime band, Kevin McCormick (bass), Mark Goldenberg (guitars), Mauricio “Fritz” Lewak (drums) and Jeff Young (keyboards and backing vocals), this album adds two members to the band, Chavonne Morris and Alethea Mills, two vocalists Jackson met in early 2001 while working with Washington Preparatory High School located in SouthCentral Los Angeles.

Track Listing:
1. Time The Conqueror
2. Off Of Wonderland
3. The Drums Of War
4. The Arms Of Night
5. Where Were You
6. Going Down To Cuba
7. Giving That Heaven Away
8. Live Nude Cabaret
9. Just Say Yeah
10. Far From The Arms Of Hunger
#
TIME THE CONQUEROR WORLD TOUR 2008-2009

20 November, 2008
Jackson Browne
Geijutsu Hall
Osaka, JAPAN
Tickets: On Sale TBD

22 November, 2008
Jackson Browne
Hitomi Memorial Hall
Tokyo, JAPAN
Tickets: On Sale TBD

24 November, 2008
Jackson Browne
Koseinenkin Kaikan
Tokyo, JAPAN
Tickets: On Sale TBD

ジャクソン・ブラウンは90年代後半から以来、オリジナルのスタジオアルバムを2枚しか作っていないが、ぶっちゃけたところ、それらは以前のものと比べると大きく見劣りする。いわゆる名曲の類もあまり生産されていない。私見では、"The Barricades Of Heaven"、"Rebel Jesus"、"The Next Voice You Hear"といった感じ、もう少し譲って、"About My Imagination"といったろころか。12年の間に3~4曲ではあまりにも少なすぎる。一方で、その間に出された2枚のアコースティックライブアルバム(Jackson Browne Solo Acoustic Vol. 1&2)さすがに素晴らしく、美しく、ジャクソンらしいアットホームな仕上がりになっていて、パフォーマーとしての衰えはいっさい感じさせない。

そして、6年ぶりのスタジオアルバムとバンドとしては5年ぶりのツアー。もちろん期待は大きい。直近で言えば、あいかわらず"Sky Blue And Black"のような曲が聴けるよう望みたいし、たまには、"The Load Out~stay"ではないアンコール、うーん"Hold On Hold Out"とか?を聴いてみたいと思う次第である。地の利を生かして、11月22日、24日の2つのステージに行くって考え方もあるな。ところで、Geijutsu Hallってのは厚生年金の芸術ホールのこと?いまのところプロモーターは未定か。

◎夏休みログ。

2008-08-15 00:01:20 | ◎想
この夏は、がんがん寝っころがって、ぐんぐん本を読もうと思っていたけれど、そうはいかないしがらみ。
仕事に家事に行事に些事と、いつもの事に北京が加わる。飽きもせず空の写真なんかも撮ってるし。よって、これもまたいつものように、溜まっている本がいっこうに消化されない。一冊ぐらいは読み通して、しっかり批評したいもんだ。(数字は進捗率)



『宿屋めぐり』町田康:6%
6%の段階で、一発クライマックスがあってすでに条虫の腹ン中ってのがすごい。きっと、こんなに長い話になるなんて後先のこと考えずに展開したんだろうけれど、そんなふうにスタートを切ってしまった話を、石ヌとか珍太とかこの世の中に仰山いる本質的な悪玉でぐいぐい引っ張って、挙句の果てに600ページに達するんはまさに既知外沙汰。ちゅうか、6%程度なので本質的な悪玉かどうかはわかんないけど。
しかし、町蔵がずっともち続けている、この世界以外にある世界という観念、それがおれには観得ているという確信は、多かれ少なかれ誰もが感じているわけだけど、言語化するとこれほど凄まじい阿呆物になるわけなんだな。世界と自分と他者に対する高い水準の思弁。6%なんでそんな話になっていくのかどうかもわからないけれど。

『われらが歌うとき』リチャード・パワーズ:12%
いまここはまぎれもなく歴史の先端であるということの大切さをしっかり刻んでくれる。「抜群のリーダビリティ」は過言ではなく、前にも言ったようにまるでアーヴィングと見紛うばかりのストーリー・テリング。そして、音楽は素晴らしい。

『ディスコ探偵水曜日』舞城王太郎:0%
下巻の完結編から読めばよいような気もするが、おおむねのことは忘れていると思われるので、順を追う必要がある。ログによると、ずいぶん検索アクセスが多く、なんだかんだいっても舞城の人気の高さがうかがえる。ところで、もう舞城が執筆することはないだろう『ファウスト』が、1年以上も遅れてようやく発売されているが、あんなに待ったのに、実物を手にしたところでこれはもうおれの読む雑誌じゃないやと思ってそのまま棚に戻した。いったい佐藤友哉はなにをぐるぐる回ってんだ、というところか。

『ゼロ年代の想像力』宇野常寛:80%
個々の話には納得できる部分が多いが、統合してみた最終的な結論のひとつがコミュニケーションというのは、なんとなく無理から感が漂う。あとがきの献辞・謝辞に並ぶ人たちをみる限りでは、どうもコミュニケーションについての拡大解釈があるんじゃないだろうか。あいかわらず、全体的に、(サブ)カルチャーへの愛情が漲っていて此岸の人間にとっては、読んでいて気持ちいい評論に仕上がっているんだから、吹っかけて、相手を無理やり巻き込んでいくっていう強引な方法はもう取らなくてもいいんじゃないか、と思う。

『閉塞経済-金融資本主義のゆくえ』金子勝:30%
朝日のサンヤツの増刷告知で発見。なんだか、もやもやしていることに、解答を与えてくれることに期待はできないとしても、正しいアイデアは示されているのだろう。とりわけ「構造改革の経済学」と「格差とインセンティブの経済学」。身近な人たちが、なんの疑念もなくピュアに経済の発展を讃えているので。

『社会学入門-人間と社会の未来』見田宗介:2%
06年の本なので古書を探していたけど、あきらめて新本で。私がこういった本を読みたいと思うモチベーションをもう少し明確にするために。

『ニーチェと哲学』ドゥルーズ:0%
こればっかりは、いつ読み始めることができるのかまったく予想できない。老眼が加速する前に、なんとかしたいと思う次第。

『バガボンド』井上雄彦:#24,#25,#26,#27,#28
ブックオフでも古本市場でもなかなか見つからないので、#19~23は飛ばして、つまり清十郎の話は飛ばして、凄まじい後半を先に読む。人間が単純なので、すぐに武道なんかに関心をもってしまう。これまではどうも格闘的なスポーツは苦手だったんだけれど、合気道の演舞を見たり、『バガボンド』を通して読んだりしているうちに、そこで手に入れることができるコンセントレーションがとても気になってきた。

■『AERA 08.9.18』:70%
「女性こそがローソンの開拓者」:ダイエーが経営母体だった頃、新浪体制に移った直後。思えばローソンをずいぶん批判してきた。実際に、その頃のローソンは、相当ひどかった。欠品はあるにもかかわらず、配荷された大量の商品や在庫が通路をふさぐ。店員に漂う適当な感じ。もはや客商売とはいえない乱雑。しかし、あれからローソンはずいぶん変わった。店だけでなく商品にもアイデアが満ちている。コンビニ研究の大家が言うのだから間違いはない。記事で紹介されている女性スタッフの自律的な活躍は、ローソン全体のほんの一部に過ぎないと思うが、そういった話が記事になるほど社内が変わったということなんだろう。この記事でわかった重要なことがあるが、それはここで書くような話ではないので、自分の胸に収めてしっかり鍛錬していこうと思う。
「サザン 終わらない夏」:きっとサザンオールスターズとしてはもう音楽活動を復活させることはないのだろう。こういった桑田のインタビューを読めば読むほどその思いが強くなる。そこまで露骨にモニターを見なければ唄えない桑田はあまりにも歳をとりすぎた。

『歌うたい15』SINGLES BEST 1993~2007斉藤和義
アルバムとは違うバージョンの曲も結構入っているので楽しめる。

『"HOME" TOUR 2007~in the field~』 Mr.Children
昨年のライブからもう1年になるんだ。しかし何度みても、イマジン~CENTER OF UNIVERSE~Dance Dance Dance~フェイクの流れは素晴らしい(DVDでは途中で切れていたけれど)。やはり、音楽はこうでなくっちゃ。

明日から東京。

◎青空。

2008-08-14 00:23:05 | ◎想
まぎれもなく、わたしが子どもだった頃の夏の空。
人も社会も、少なくとも表面上は鈍く、イノセントだった。





そして、世の中は変わった。
金貸しは、自分たちの利益を削って大金を投じた宣伝で「ほんとうに今お金が必要ですか?」と、困っている消費者のことを親身に考えてくれる。渋谷のど真ん中では、タレントのブログが多い会社が誇らしげに看板を出してまでして、総表現社会の民のための場を盛り上げてくれる。
ああ、世界は素晴らしい。

◎私たちの仕事は……。

2008-08-12 22:29:14 | ◎目次
ミッションというよりどちらかというとバリュー、もしくは、そんな言葉があればサブ・ミッションということかもしれないけれど、以下は、今まとめようとしている私たちの会社の心得のようなものの抜粋。

私たちの仕事は、
読み、書き、聴き、学ぶ/真似ぶこと。

私たちの仕事は、
誰かに言われたからやるようなものではない。

私たちの仕事は、
仕事を楽しむ方法を考えること。

そして、最高の倫理観をもって
物事に、謙虚で、オープンで、正直であること。

いまはまだダメだな。言葉もむちゃくちゃだ。しかし、ここに書かれたようなことは、ぜひ構えとして明文化しておきたいと思う。もちろん、この話の前半部には具体的なドメインとか目指すべき姿、そのための方法論を示す信条があるわけだけれど(それはまた別の機会に譲るとして)、たとえその部分が変わることがあったとしても、少なくともこれらの考え方については、不変のものとして心に留めておきたい。
もっとも、完成度としては、まだまだ補足説明がないと成り立たないような代物なので精度を高める必要はある。とくに「仕事を楽しむ」なんてのは何かと誤解を生みそうで、「仕事を楽しむためには……」というこの後に続く能書きも込み込みで、なんとか短い訓示にまとめたいと苦戦している。

少しその「仕事を楽しむ」の部分だけ深く考えてみると、結局は、公私のボーダーをなくす、というところに行き着く(もちろん、イヤな仕事でも楽しめる方向に企画していくという心意気を学ぶっていうのもあるけれど)。しかし、このことを正確な言葉で表そうとすると、いささか難しくてどう書いても誤解を招いてしまいそうだ。
「いつも仕事のことを考えておくこと」というのも少し違うし、「趣味や生活を仕事に取り入れる、仕事と関係しそうな趣味をもつ」というのも違う。やはり何度かふれているが「切り替えが自在な公私2つのモード/回路をもつ」という言い方が一番近い。「オリンピックとか、おおむねの人が忘れそうになっている巨人×阪神戦は見たいけれど、ウェイティングの時間までTVモニターの前に寝っころがってダラダラするのもなんなので、PCをリビングに持ってきて仕事しながら見よう。ひょっとしたらTVの中に、カラースキームとかキャッチフレーズのヒントが見つかるかもしれないし」とか「まあとりあえず仕事しよ。飽きたら『宿屋めぐり』なんか読んでみて、そんで感想でもブログに書いて、飽きたらまた合間みて仕事したらいいやん」。たとえば、こんなようなことか。
ただ、こういったことを上手くやるには、緊張/弛緩、集中/拡散のそれぞれの深みに一気に入っていけるという能力が必要になるんだろう。なんだか、『バガボンド』の24巻、25巻あたりの武蔵と小次郎の戯れあたりが大いに参考になりそうだ。

◎わかりやすい文、という免罪符。

2008-08-06 20:30:08 | ◎業
わかりやすい文を書くのはとても大切である。とりわけ、ビジネスやマーケティング・コミュニケーションの現場において消費される文章。そこでは、論理構造と優先順位が要諦となり、とりあえず、工夫や美文といったスキルは不要なものとされる。正論。日経アソシエなんかが毎号のように特集している。

しかし、ここでも原理主義は危険だ。「わかりやすい言葉」は「つきなみな言葉」とは違う。「わかりやすい言葉」にもさまざまなバリエーションがある。そこをつきつめていかないと、あまりにも普通すぎて、そこに存在することすら気にもとめられないメッセージになってしまう。いつもと同じ。そんなヘッドラインやリードは悲しい。あるだけでノイズとなり、じつは総合的なリーダビリティを損ねていることにそろそろ気付かないといけない。

では、「つきなみではない、わかりやすい言葉」を書くために、どんなトレーニングをつめばよいのか。

まず大切なことは、精神論的で申しわけないけれど、「なんか言い換えてやろう」という意志をつねにもつことだ。少なくとも、「これまでと同じ言い方」、「もらった資料そのままの書き写し」は、かなり恥ずかしいことだと思わなければならない。ツールをつくっているのではなく、コンテンツをつくっているのだ、という自覚があれば、間違ってもそんなふうな文章はかけないはずだ。
この「なんか言い換えてやろう」という意志を空回りさせないために、つまり正しい方向に向けるためには、いくつかの学びの方法がある。

ひとつは、雑誌の記事のタイトル、ヘッドラインをパクることだ。パクる、なんて言うと聞こえが悪いので言い換えると、雑誌のタイトルやヘッドラインを収集し、型(テンプレート)を見出し、あてはめて活用すること。もちろん、ワード・ハンティングも必要だが、なによりまず型だ。「西洋美術を100%楽しむ方法」「言葉の力」「海外長篇小説のベスト100」「神田神保町の歩き方」「読書計画2008」「寝不足肌のための美肌メソッド」「お金の才能を鍛える」「居住空間学2008「文房具が教えてくれたこと」……。ちょっと部屋を見渡しただけでも使えそうな型がみつかる。雑誌はそのものが売れなければ死活問題なだけに書き手も旗を立てるのに必死だ。そこに多大なノウハウと言葉への思いがある。メジャーな雑誌のバックナンバー一覧をネットかなにかで調べて、特集や記事のヘッドラインをコピー保存しておくと結構使えるハックツールになる。
もちろん、書籍のタイトル・作品名についても同じようなことがいえる。小説や思想書にだってヒントはある。その場合は、たとえば『存在と時間』、『罪と罰』といった「と」一文字によるコントラストの妙のようなものに敏感になれるかどうかがポイントになる。

しかし、これはあくまでも「どう言うか」の問題であり、本質的な答えにはなっていない。そう、本質的に重要なのは「なにを言うか」だ。しかし、残念ながら「なにを言うか」は、ごくまれな場合をのぞいて、書き手本人からは生まれることはない(もちろん、ビジネス・コミュニケーションに限っての話)。
では、どこから生まれるのか。言うまでもなく「他者の言葉」である。マーケティング・コミュニケーションの場合、端的なのは、取材などで手に入れた、生活者・ユーザーの声ということになる。基本中の基本だ。たとえば、「その部屋をつくったことによって、家族が活き活きとコミュニケーションできるようになった」なんて文章は机上でも作ることができるが、「その部屋をつくったことによって、家全体のバランスがよくなった気がする」といったよう言葉は、そこで暮らしてみない限りはとうてい出てこない。これに肉付けをしていけば、決してエキセントリックではない工夫ある文章がうまれてくる。他社の言葉を使う、というのはそういうことだ。もちろん、開発者の言葉、販売員の言葉も、同じように重要なヒントとなる。ただし、彼らが発したすべての言葉を、なんの分別もなく過信して、まるで玉稿のように扱うのは禁物だ。「たいしたこと言ってないなあ」という判断力をたくさんの他者の言葉通じて学習していくしかない。

いずれにしても、言葉を収集するという習慣は必要だ。ということで、わたしはこれから、わかりにくい文章に対して抗議し、あんまり考えていない文章に対して逆上すると同時に、面白くない文章に対して怒髪で天をつくことにします。

◎赤塚不二夫、というより『GQ Japan』。

2008-08-03 00:53:07 | ◎書
訃報を聞いたので、家になんかあったっけかと思って探したけれど、おそ松くんが1冊と『天才バカボンのおやじ』しかなかった。アニメの『もーれつア太郎』で、親父さんが地獄に行く話は恐ろしかったなあとか、『まんが№1』は一度は読んでみたかったなあ、なんて考えていて、ふと思い出した。『GQ Japan』2000年9月号、特集:赤塚不二夫の脳みそ。養老のおやじ、金井美恵子、福田和也などの書き手をそろえたうえ、英語版『osomatsu-kun』に、呉智英による本人インタビュー。なんともCOOL!





この頃の『GQ Japan』は、偏りはあったもののかなり面白かった。「フェリーニの誘惑」「マイルスしか愛せない」「JAZZトランペッター不良論」「ボブ・マーリー」「007ジェームズ・ボンド」「ロックの殿堂」「音楽はドラムだ!」……特集はざっとこんな感じ。才知全開の白承坤と野口さんのアーディレクションもそうとうイケている。念のために言っておくと、いまの"意欲的に生きる男性のためのクオリティ・ライフスタイル誌"『GQ Japan』とは、出版社もパースペクティブもADもまったく別もの。なんで、こんなことになってしまうんだろうな。だいたい、クオリティ・ライフスタイルってなんなんだ。

日本版『月刊PLAYBOY』は、往年の『GQ Japan』の方向に近かったので、この路線でまい進すれば存続できたかも、と思うけれど、そんなおれですら1回も買っていないので、やっぱりダメだったんだろうな。偏っているのが雑誌というメディアの大きな強みだったのに、いまや偏っているということが重大な瑕疵になっている。ビジネスモデルの視点でいえば、「TVの終焉」とか「雑誌は終わった」なんてなんの自覚もなしに、鬼の首でもとったかのように言えるんだろうけれど、なんか悲しい。広告モデルという思想を抜いたあとに残るコンテンツはまだまだバリューのあるものも多いし、ネットではハンドリングの悪いものだってたくさんある、と思うんだけれどなあ。そうだ!なにも、衆知を活かすことができるのはネットだけじゃないんだよな。佐々木敦なんか始めている『エクス・ポ』なんかの同人誌なんかがちょっとしたヒントになるかもしれない。コンテンツの互酬。意外と面白いことになるかも。というか、なってるか。

◎自分がやりたいこと。まず、それが仮説だ。

2008-08-02 15:47:53 | ◎業
もちろん、最終的にそれが実現できるか、どうかはわからない。むしろ、実現しないことのほうが多いと思う。しかし、それをとりあえずの端緒としないとなにも始まらない。

得意先から与えられた、プロモーションなりコミュニケーション・プランの課題解決に対して、まずはつきつめて考えなくていい。とにかく、自分が(ふだんから)やりたいと思っていることを、今回の企画で実現するとすれば、そのやりたいことをどんなふうにアレンジすれば成立するのかを考えてみる。

雑誌風のカタログが実現したいのならどんなタイトル・編集方針にすればよいのか。あのホテルから送られてきたような豪華DMを実現するにはどんな体裁・デザインにすればよいのか。ネットで発見した面白いブログパーツを与えられた商品で実現するにはクリックでどんなアクションを起こせばいいのか。

そのうえで、発想を巻き戻してみる。ひとつは、ほんとうにそれらのアイデアを実行することに必然性はあるのか?という検証。

もし、すでにある程度、顧客と企業と競合についてのファクト・ファインディングがなされているのなら、自分のアイデアとそのファクトの間が結びつくのかつかないか?つまり2つの事柄に「関係性」の筋が立つのかを考えてみる。AだからBが必要。BをコミュニケーションするにはCのような要素が必要。Cを具体的な形にすれば「やりたい」アイデアになるはず?……いやいやAだから必要なのはDなんだ。Dは、こっちのEと結びつけるとFとしてまとまるよな、そうするとFをコミュニケーションするためには……などなど。考えつくしたところで、巧くつながる場合もある。

しかし、たいていはつながらない。そこで、最初に思った「やりたいこと」にアレンジを加えてみる。ブランドネームは刷新してしまうべきだ、と思っていたけれど、残してサブネームでカバーしたほうがいいなあ、とか、雑誌風というよりは参考書風のカタログだなあとか。そして「変更やりたいアイデア」でもう一度、必然性を検証してみる。この繰り返しでなんとか捻出でたきたものこそが、真のアイデアだ。

巻き戻しのもうひとつは、そのアイデアを認めてもらうためには、どんなファクトが必要なのか?どうすれば説得力が増すのか?といったことを顧みて、そこでほしい情報・データを集めてみるということだ。

たとえばDMを実行したいと思ったら、集めるべき情報はたくさんある。まず、DMのサンプル。あのホテルのようなDMをやりたいとは思ったけれど、その他の高級商材のDMはどんな事情になっているのだろう?といった視点。DM、DMって言うけれど、最近の返信率はどんなもんだろう?競合他社はDMを使っているのだろうか?最近、得意先企業のブランチではDMは使われなくなったと聞いたけれど、明確な理由はあるのだろうか。WEBとかメールマガジンに移行しているからなのだろうか。でも、おれ自身メールマガジンなんてたくさん受信しているけれどほとんど読んでないしなあ。あ、でも、ソニーからのメルマガは読んでるな、なぜだろう。でも、ターゲットを考えたらやっぱりDMだなあ、ほら通販生活とかもあるし……ターゲットの消費行動のベースとなるデータなんてなかったかなあ……などなど、ちょっとした疑問と不明を連鎖させていろいろと必要なものを考えてみる。

その結果、もし、確固としたファクトが見つからないとすれば、残念ながら、今回のアイデアは間違っていたということになる。そこで、発想転換。この過程で集めようとしたファクトから、あらためて必要と思われるアイデアを考えてみる。ファクトが集まっているので、少しは考えやすくなっているかもしれない。

この思考プロセスのポイントは、「関係あるのか、ないのか」を始終考え続けるということだ。前提としてもつべき「やりたいアイデア」だって漫然と過ごしていたら蓄積されない。どこかでみたものが、自分の担当商品サービスで使えないか、という関係性のアンテナをつねに全開にしておく必要がある。アイデアを収斂させていくにいたっては、とりあえず入口と出口をフィックスさせておいて、いまはまだブラックボックスになっている2つの間の関係の糸をつなぎほぐすことが大切になる。出口しか決まっていないなら、なんか関係ありそうなものを、与件資料やグーグルから連想させる、ということになる。

まず、2つのテーマを頭の中にたてる。そして、その2つがなんとか関係づけられないか、と考えてみる。最初は多少、無理目でもかまわない。何度、関係推定を繰り返していると、無理目かどうかは、人に指摘されるまでもなくだんだんわかってくる。飛躍しているといわれたら、距離をもう少し細分化してみて、まずは近接する2つの事柄の関係だけを盤石にし、それをくりかえし積み重ねていけばいい。