考えるための道具箱

Thinking tool box

◎読書計画倒れ。

2007-04-29 00:52:23 | ◎読
とかなんとかいいながら、全然読めてない。GWは、完全に引きこもって三昧の日々かと思っていたけれど、どうもそういうわけにはいかないらしい。

[01]『村上春樹短篇再読』(風丸良彦、みすず書房)
[02]『西洋哲学史 近代から現代へ』(熊野純彦、岩波新書)
[03]『現代思想の饗宴 あるいは思想の世紀末』(河出書房新書)
[04]『ネコソギラジカル 上中下』(西尾維新、講談社NOVELS)
[05]『小林秀雄全作品 第4集 Xへの手紙』(新潮社)
[06]『脳と仮想』(茂木健一郎、新潮文庫)
[07]『トリストラムシャンディ 上』(ロレンス・スターン、岩波文庫)
[08]『右翼と左翼』(浅羽通明、幻冬舎新書)
[09]『使える現象学』(レスター・エンブリー、ちくま学芸文庫)
[10]『デリダ きたるべき痕跡の記憶』(廣瀬 浩司、白水社)
[11]『クロニクル』(松浦寿輝、東京大学出版会)(既出)
[12]『新潮』(既出)
[13]『うさぎおいしーフランス人』(村上春樹・安西水丸、文藝春秋)
[14]『文学環境論集 東浩紀コレクションL』(東浩紀、講談社BOX)

●以上、この一ヶ月程度の収穫。こうして並べてみるとたいして揃えていないというのがわかったので、急遽[14]東浩紀の『文学環境論集 東浩紀コレクションL』も加え、これらをちょっとした休日に踏ん張るということにしてみたいところではある。でも加えた、文学環境論集は、900ページもあるし、まあムリだなあ。そういえば『ロング・グッドバイ』も半分くらいで止まったままだし、絶対にダメだ。●村上春樹についての評論はどちらかというと、テキストにおいて作者が死んでいないことが多く、ある意味で、辟易しているところもあった。もう謎解きはいいや、ということだ。そういう意味で、最近ではよほど信頼できる書き手以外の評論は読んでおらず、[01]の『村上春樹短篇再読』もきっとその類ではないかとスルーしかかったのだけれど、これは少し違った。もちろん作者に寄っている部分はなきにしもあらずなんだけれど、それ以上に、全体を覆っているのは、短篇小説の技法論であり、それらはヒントとしてじゅうぶんに機能している。それは、間テキスト性のようなものであったり、たとえそこまではいかなくても、素材としての短篇小説の援用の仕方であったり。ああ、こういうふうに書けば書けるかも、という触発がたくさんある。●[02]は、読みたいなあと思ったときに、地元の大型書店で欠品しており、これは見つけたときに抑えておいたほうがよいか、ととりあえずの購入。ほんとうなら古代編から読むべきで、その礎がなければ、理解しえないようなところもあるとおもいつつも、遡る元気はあまりない。●天牛書店では、たまに[03]のような、貴重なのか、たんなる残滓なのかよくわからない本がみつかる。まるで、デリダの『弔鐘』を模したかのような、戸田ツトムとは思えない、読みにくいエディトリアルデザインを見る限りは、やっぱり残滓か。1987年のムック。大森荘蔵、廣松渉、柄谷行人、丸山圭三郎、吉本隆明らを今村仁司、中沢新一、先の熊野純彦、野家啓一、大庭健、竹田青嗣らが受けるという形。そういえば、竹田青嗣と西研で『精神現象学』を「わかりやすく」訳しているらしいので、うーん8月くらいにでるとちょうどよい感じか。●西尾維新の[04]はこれこそ、GWのために買い集めたのに、とたんに藻屑と消えた。あまり評判よくない話みたいだし、まあいいか。●小林秀雄が新潮方面で喧しいが、[05]は、たまたま天地書房で見つけたため。[05]は、小林秀雄を引き合いに出してくる意味がちょっとよくわからなかった。●同じ、天地書房で[07]を発見。重版のときに、これは読んでいる時間はないなあ、と買いそびれていたのでちょうどよかった。でも、どこかで書いていたけれど、これはやっぱり光文社古典新訳文庫でラインアップしてほしいところだ。●[12]『新潮』は、先回『カデナ』にしか言い及んでいなかったけれど、前田司郎の『グレート生活アドベンチャー』と、佐藤友哉のこれまた意図のわからないライナーノーツは読み終えることができた。前田司郎の小説は嫌いではないけれど、ちょっと反社会の感覚にリアリティが希薄だ。佐藤友哉のこの話「1000の宣伝とバックベアード」は、本編の終章にくっつけたほうがよかったような気がする。●[13]の全体をおおうエロティックさは村上春樹らしさ満載。●[14]は超大作なので、また別稿で。彼の発信量にあらためて驚かされる。「journals」のほうに掲載されている「cypto-survival notes」にいろいろと新しい発見があって面白い。1999年の論稿なので、いま彼がどう考えているかわからないが、たとえば、以下のような話。

「たとえばもしCS(カルチュラル・スタディーズ)が、もはや二つの段階(想像的同一化と象徴的同一化)に区別されない「文化的構築」、国民国家の境界を横断し、ローカルであり同時にグローバルでもあるような新しいアイデンティティの出現-いわゆる「ディアスポラ」に注目するのであれば、その研究は必然的に、ディアスポラのメカニズムを説明するなんらかの枠組み、ヘーゲルとラカンが考えた近代的な弁証法とは異なった、まったく新たな主体理論を必要とするだろう。………つまりいま必要なのは、おそらくは近代の理論(現代思想)でもポストモダンの分析(CS)でもなく、単純にポストモダンの理論だと僕には思われるのだ。

と、その答えに歩み寄ろうとしていく。1999~2007までの批評・エッセイ集のためネットの進化をあらためて感じられるところも面白いが、ではなぜ、いまこの特厚のプリント媒体が必要だったのかについては、彼自身の言葉を待つしかない。でも、この最強のオタク感は、きっとオタクからしか共感を得ることができないかもしれない。すばらしい。

◎プラクティス。何かのための。

2007-04-22 15:43:01 | ◎書
酩酊しながら文章はかけるのか。書き始めから、軌道にのるまでは結構たいへんだ。このあたりは飲み会をおえて事務所に戻って仕事を続けるのと同じで、濃いコーヒーをたっぷり飲んで、ニコチンとタールを相当量注入しないとなかなか冴えてこない。ただ少し違うのは、仕事の場合はゴールやリミットが明確なので、完成に向けての強力な引力が働くわけだが、この手の、どうでもいい文章を書くような場合は、どうでもいいから楽なのではなく、どうでもいいから、どうでもいいんじゃないの、という誘惑と戦い続けなければならない。なら、やめればいいんじゃない?ということなのだが、これは実験なのである程度までは続けてみる。今週は、だいたいにおいてビタレスト液が必要と思われるような睡眠時間だったので、もはやダメ信号が点灯しているわけだけれど。

そういった状態なので、たとえばこんなようなことを考えてみる。

いまここにはなにもないけれど、自動車つくってください、といわれたとする。費用はいくらかかってもかまわない。時間の制約もない。いろいろな資料を見繕ってもいい。人に聞くのも可能。ただし、既製の材料を使うのではなく、すべて、一からつくることが条件。そんなことなので完成品には、往来を流しているようなホンダやトヨタのような品質は求めない。とりあえず、時速60km程度の速度で走ることができれば合格。さて可能なのだろうか。

もちろんこれは可能だ。場合によっては、レクサスとか3シリーズと同じようなレベルのものだって作り上げることができるかもしれない。

しかし、同じような条件を提示されたとしても、いやもっと条件を緩くして、人の手を借りても、国家的なインテリジェンスや技術資本を使ってもいい、といわれたとしても、クワガタムシをつくることはできない。あたりまえだ。橡に群れているようなクワガタの品質は求めない、飛べなくてもいい、動ければよいよ、いや場合によっては動かなくてもいいいです、といわれったってムリだ。動かなくてよいのなら、似たようなもの成分(?)のものはできるかもしれないが、でもそれはクワガタムシではない。クワガタムシというマシンをつくる技術は、金で買うことはできない。

マシンなんていうといろいろ問題が発生しそうなので、クワガタムシのようなマシンをつくるとすれば、ということにしておく。ただし、でもクワガタムシに似たようなものではなく、クワガタムシと100%同じマシンでなければならない。そうなると、マシンについている足というパーツさえもつくることはできない。クワガタムシなんてけっこう小さいけれど、それでもムリなんだよな。まあ、蟻なんてのは細かすぎて逆にたいへんそうだけれど。

うー眠い。

さて、別の課題。あなたが今日一日知覚した情報や感じたこと考えたこと経験してきたことを、うーんそうですね、0.5秒刻み程度でよいのですべて書き出してみてくれませんか、といわれたとする。さて、どうだろう。

え、12時8分38.5秒:ティプネス京橋店Aスタジオでアドバンスエアロmax受講。メインのコリオグラフィの最後の1クール、ロッド・スチュワートのYoung Turksのカヴァーが流れてきたので、あ、今度、『Tonight I'm Yours』探そうなんて、考える。いっぽう、かなりの量の汗がでていて、これくらいの汗がでれば先週に引き続き最低体重を記録できるかもしれない、ってなことを考える。って、いやいやそんな日記みたいなもんじゃだめですよ。

ほんとにそれだけですか?たとえば、今回のコリオは簡単なんだからもっとパーフェクトにできないだろうかなんて考えてませんでした?そのときに、指の角度なんかを気にしてませんでした?それって、どのような形だったのですか?具体的な度数とかわかります?来週はそのあたりを追及しようと思い始めたけれど、とはいえ来週は来れるのかなあ、あ、撮影の仕事も始まるしなあとか、仕事のことに考えが移っていったので、来週の撮影はともかく、このエアロ中に携帯に得意先から電話入っていないか気になりはじめたでしょう、要件は、あれかなこれかなと考えたり、電話をかけてきそうな人は○○さんか××さんで顔や声なども思い出していた。でもそれだけじゃないですよね。となりでエクササイズしていた人はどんなふうだった?いやいやとなりの人だけでなく、あなたの目には、鏡を通じてスタジオの全員が写っていたはずですよね。それだけではなく、鏡越しにスタジオの外の風景も見えていませんでした?ほら、窓の外に鳥がいたじゃないですか?え、気づかなかったって?でも、確実にあなたの眼はそれを知覚して、サブリミナルにあなたの頭に刻印を焼き付けていましたよ。そうだなあ、あとはできれば温度とか湿度などの情報も欲しいところです。

ああ、書き出すのが難しそうであれば、その経験という情報をもう一度、まったく同じように、その場所で、再現して作ってもらうってのでもいいですよ。お金の話ばかりで恐縮ですけど、いくらかかってもかまわないです。もちろんそんなに厳密でなくても多少であればアバウトでもいいですよ。これなら、簡単でしょう?

……お金、アバウトっていわれてもなあ。これはちょっとたいへんだなあ。……でもね、でもあなたのなかにはすべての過去の時間に、それだけの経験と情報が蓄積されているんですよ。10年前の1秒だって、ほんの少し前の1秒にだって。こういうのって、たとえばbitなんかに置き換えるとどうなるんでしょうね。数字がでないかもしれないですね。で、同じような経験と情報は、この10秒あとにだって、3年2ヶ月後にだって起こりうる可能性は充分あるわけですよ。そして、それはあなたにだけあるものではなく、あなたのヨコで鼾かいている奥さんにだって、テレビで唄っているチャットモンチーの彼女たちにだってあるわけです。
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その塊に潜在している機能。その塊に潜在している膨大な情報量と経験。それらを損なうことへの無双の畏怖。こういったことが、しっかりイメージできるようになれば、きっと、悲劇からこっちの側に引き返してくることもできそうな気がするのだけれど、やっぱりそれはきれいごとのたてまえ上のことなのだろうか。こういった想像力を盤石にするためにこそ、科学や文学が梃子を効かせられるのではないだろうか。
でも、まあ、僕自身にも、「それはわかるけどなあ」ということはけっこうあるし、そんな危機的な状況下で、こんなこと言われても逆上するだけだろうな。

ダメ、もう限界。とりあえずタバコ、タバコ。うー。

◎落ち着きがない、とか。ながら勉強するな、とか。

2007-04-21 21:31:14 | ◎業
「授業中に落ち着きがありません」って通知表に書かれ続けた。「ラジオ聴きながら勉強できるか?」って親にしつこく言われた。そんな人は多いと思う。ようは集中しろってことだ。いまも同じような教育的指導がなされているのだろうか。

もちろん、社会にでると、集中力は大きくモノを言う。しかし、これには前置きがあって、“ノイズだらけのなかで、なんとかひねり出していく”集中力がモノを言う、ということにほかならない。

実際に、仕事の現場では、フィジカルな面だけでなくメンタル面でも落ち着きなくうろうろしながら、複数の課題にちょっとづつ噛みながら噛まれながら、物事をじわじわというかゴリゴリ進行させていくことが多いだろう。自分自身は落ち着きたくても、周りはそれを、つまりひとつのことだけに構えて集中することを絶対といっていいほど、許してくれない。ライフハックのノウハウなんかでは、朝早くきて自分だけの時間を持とうとか、人とのコミュニケーションを完全に遮断する時間をつくろうとか、すばらしい提案がなされていて、それはそれでじっさいにすばらしいのだけれど、その程度のことで問題が解消するのであれば、本質的にライフハックが必要のない人のライフハックのような気がしないでもない。

もはや、「落ち着きのなさ」とか「ながら」は全部ひっくるめて仕事になったということなんだろう。仕事というものはそのように変化したのかもしれない。10年前はそんなことなかった。じっくり腰をすえて何かムダことを考える時間は確かにあった。20年前になるとなおさらで、勉強のための勉強、みたいな牧歌的なことに割ける時間もあった。

それらのことは、いまはもう、仕事と並走してやっていくしかない。それどころか、仕事中に仕事を行うといったことはごくあたりまえの習慣になっているし、逆にそうしないと立ち行かないところもある。

案件Aのネーミング企画書と案件Bのプロモーション企画書を同時に作りながら、その間にいろいろなWEBサイトにアクセスしつつ明日書く予定の商品戦略企画書Cのイメージをつかんでいる。AとBを完成させたら、それをメールしたり、ストレージに上げている間、喫煙場に向かう途上、オフィスを散歩しながら、誰かに声をかけたり、かけられたりで進行案件の確認を行い、問題があれば解決したり、アイデアがあれば付加したりする。
現状の仕事のミーティングのその最中に明日の予定、明後日の企画を想起させ、想起することで、その材料を用いて、いまここのミーティングも発展的進めていく。もちろん、誰かの発言から思い出したことやハッと気づいたことは、この場でもっともふさわしい言い方はなんだろうか?と文脈最適化を働かせつつ声にだし、問題を凝縮させていくと同時に、新しい仕事へのヒントとして拡散させていく……もうなになんだかわからない。頭のなかはつねにポリフォニーだ。しかし、1週間たってみれば、なんだかいくつかの案件が片付いたり、1週間前にはなかった新しい仕事が構築され始めたりしている。

つまり、ひと昔まえは、忌避されるがゆえに、トレーニングすることもできなかった、落ち着きなく物事をこなしていく集中力、いくつかの思考回路をパラレルでしかもパフォーマンス高く解放していく集中力が必要になってきているんだろう。このスキルをわたしは、「じたばた力」「ながら力」と名づけたい。とりわけ、組織における上級者、部下をもつ上司は、かなり高度なレベルでこの技術を修得する必要がある。

でも、じつは、たとえば、ダイニング・テーブルでの勉強の効果なんてのも、「じたばた力」「ながら力」のレッスンになっているのかもしれない。

もっとも、案件が少なくとも「じたばた」したり、「ながら」でこなさざるをえない状態に陥っている場合もあるけれど、そういうのとはちょっと違うな。

◎クロニクル、と言うには薄いけれど。

2007-04-13 23:45:37 | ◎読
松浦寿輝の『クロニクル』の前半、文芸時評の部分を読んでいると、こんなふうに好きに小説を読んで、好きに感想をかけるのは、やはりひとつの幸せだなと思う。

松浦はそこで、現代の日本の小説に不満はあるとしつつも、ぼくのようなちょっと小説好きがよく読むようなごく普通の、しかも少し話題になっているようなわかりやすいいくつかの小説をあげ、ある側面においてはベタ褒めともいえるほどの評価を与えている。読売新聞での時評ということもあって、レベルやバランスに配慮はしているのだろうけれど、「好き」「いい」という判断までも偽ることはないだろうから、松浦が脱力したときの無垢な好みであることは間違いない。それは、矢作俊彦の『ららら科學の子』であったり、『半島を出よ』や『シンセミア』、『雪沼とその周辺』であったり、町田康の『権現の踊り子』、『浄土』、青山真治の『ホテルクロニクルズ』のいくつかの短篇であったりするのだが、あまりにもありがちなストレートな高評価なので、少し驚いてしまう。中村文則なんかについては、ぼくも嫌いではないのだけれど、そこまでの称号を与えてしまってもよいのか?というほどの賞賛だ。もっとも、クローデルや詩の話がでてくると、松浦の牙は隠し切れず、とたんに一般紙の水準を少し超えそうになるわけだが。

そこにあるのは、きっと、手軽な言葉とか、異化のない言葉に対する裁きであり、逆に言えば、少しは考えられた言葉を選択するのであれば、また、口にまかせて流れるように出てくる話言葉ではない言葉を追求するのであれば許そう、という寛容でもあるような気もする。その点で、この時評で選ばれ、具体的なタイトルが記されている小説は、瑕疵があったとしても、小説としてなんらかの価値を提供しているといういちおうの烙印であるかのようにも思える。

この寛容さには、たぶんに正しい小説というものへの布教意識が働いていて、実際に、この時評の端々に、小説(文学)への希望や、良い小説を基準のようなものを伝えていきたいという意志があらわれている。いわく、

◆「現実に入った「裂け目ちゅうもん」を直視している小説と、それには目を瞑ってとりあえず目先を凌ぎつつ生き延びようとしている小説と。読まれるべきものが前者であることは言うまでもない」

◆「中で、「誰でもそれぞれの死後を今に生きている」「あたしたち、こうして、死んでいるのね、もうひさしく」といった古井作品の言葉が、やはりそくそくと身に迫ってくる。それは「日本文学は終わった」などという柄谷行人の妄言が、ふと奇態な現実味を帯びる瞬間でもある。」

◆「文学が不振だの、売れ行きが思わしくないだの、文学に未来はないだの、長年にわたってもう嫌というほど繰り返されてきたそんな嘆き節に、いつまでも拘泥していても益はない。そんな一般論は脇に置き、自分が現今の日本の小説のどこに不満を感じているのか、ごく具体的に考えてみる」

◆「(文学が)不振と言うべきは、それらを読むことの驚きと喜びを十全に言語化するという責務を、いつの頃からか十全に果たさなくなってしまった批評の機能不全の方なのだ。」

◆「二種類の言葉がある。「内部」の平安に自足しているものと、「外部」の視座から発せられるものと。そして文学として読むに値するのは後者だけである。」

こういった言葉に続き紹介されるのであれば、また読みたくなる小説が増えてくる。そういえば、50冊に桐野夏生の『グロテスク』を入れるのを忘れてしまったなあと、しつこく再案を練りたくもなる。

もし、騙されたつもりで小説を読み始めてみようと思うなら、短いながらも『クロニクル』は、ごく最近の日本の文学の現在の全体像に近いところをあらわしているという点で、また、気前よく、だから気持ちよく褒めているという点で、最適のガイドラインになる。
もっとも、ほんとうに読み始めてみようと思うなら、おそらく書店でコーナーがつくられているであろう、ヴォネガットの一冊でも読むほうが正しいのかもしれないけれど。

◎けれども、あなた達の未来はまだ、天気のいい朝に、四時間で滅んではいないのだから。

2007-04-12 02:36:22 | ◎目次

今年に入ってからきっと初めてにちがいない宿題のない週末に、野田秀樹の「ロープ」のTVプログラムがあったのは、ほんとうに僥倖だった。新潮に掲載されていた戯曲を読んだかぎりのときは、確か、宮沢りえが、そのタマシイという役を演じられるようになったなんて、なんてすばらしいことだ、といったようなわかったふうなことを書いたような気がするが、実際に舞台に立つ彼女をみて、この迫真はとうてい文字ではわからない、あの宮沢はホンを超えている、と言ってしまうのはホメすぎだろうか。演劇というものを成立させる要素のすべての大切さをあらためてリアリティをもって感じることができたことは間違いない。
その素晴らしさはとうぜん活字だけでは感じることはできなかったし、舞台が始まってから偽装結婚のくだりくらいまで(正直一瞬、寝た)、一切そんな気配はなかったのだけれど、終盤、タマシイの独白実況が始まった途端、先日ふれた、音楽に対するものとはまた違った形で、頬や腕がゾクゾクし始めて、正確にいうと、母役に転じた宮沢りえがタマシイを託す場面まで、立毛筋の収縮が持続していた。TVのカメラは、そのか細いが力強い手の形や震えをアップで捉え、そして、エントリーのタイトルにあげた、タマシイの語り。

「けれども、あなた達の未来はまだ、天気のいい朝に、四時間で滅んではいないのだから。」

これは、漂流教室のユウたんの最後の2つのセリフと同じ迫力をもつ。
あまりにもストレートな舞台のあまりにもストレートな感想を、それでも書いておこうと思わせた力だ。ってなことでよろしかったでしょうか、Nくん。

◎今週は雑誌。

2007-04-08 01:50:45 | ◎読
▶やっぱり10分間で選ぶのには無理があるなあ。よくみると、まるで極私的なおすすめ小説なので、それを考えれば、むしろ読みきれていないものを50冊選んだほうが、無人島での暮らしも充実するってもんだ。たとえば、ルーセルの『ロクス・ソルス』、ゴンブローヴィッチの『フェルディドゥルケ』、リョサの『世界終末戦争』とか。そんなのばかりだと息苦しいので『ジョンランプリエールの辞書』(ノーフォーク)や『紙葉の家』(ダニエレブスキー)、『ウロボロスの基礎論』(竹本健治)も混ぜておく。また、同じドストなら『悪霊』、バースなら『レターズ』、オブライエンなら『世界のすべての七月』なんかのほうが場もちはするかも。って、別に無人島に行くわけではなく、ようは、溜まっている本を捨てろってことなんで、やっぱり馴染んでいる本があるほうが落ち着くね。もちろん、捨てろ、なんていわれているわけではないけれど。

▶家族が、ぼく用にと、キリストの磔が胸元に巨大にアップリケされたTシャツを買ってきた。
それを見て、ぼくはまず怯み、これを着て街を闊歩して良いものかどうか悩んだわけだが、市民の苦難というか罪を一手に引き受けた彼の聖なる姿は称えてしかるべきであり、その点では、なにかに発展するほどの誤解はなさそうな気もする。でも……。と、迷っていたときにちょうど目に付いたのが『BRUTUS』の「西洋美術を100%楽しむ方法。~キリストの生涯が分かると美術館は本当におもしろい!」。恒例の美術館(展)PR号で、今回は昨年の若冲に続き、東京国立博物館の「受胎告知」をひとつの契機として、キリスト教美術を素人でもかなり楽しめるようにわかりやすく紹介している。後半に、ゴーギャンやシャガール、藤田嗣次などさまざまな作者による磔の競演がありこれは勉強になったし、あらためて美しいと思えた。なかでも、これまで見たこともないアングルで描かれた「十字架の聖ヨハネのキリスト」は、ダリらしい夢幻に満ちていて、ナザレのイエスのその姿は、とても格好よく見えた。いずれにしても、磔はなにかの主張というより、デザインとして価値あるテーマとしてある。と考えれば、TシャツもOK。とりあえず、近所のコンビニにタバコでも買いにいくところから始めてみる。
『BRUTUS』は半ば『平凡』化しているし、『平凡』化していない号でも、あきれるほどTEXTが浅く、ブルータスよ、往年のおまえはどこに行ったのか?と嘆くことしかりなのだが、今回のように図版を綺麗にしてくれれば、買いますよ。

▶じつは、きっかけがつかめなくて、これまで『考える人』を買ったことはなかった。たとえば「戦後日本の「考える人」100人100冊」とか「一九六二年に帰る」、前号の小津特集などは、もう表面張力めいっぱいのところまできていたが、今回、ようやく閾値を超えた。特集は「短篇小説を読もう」。微妙なところもあったのだけれど、高橋源一郎と橋本治の対談というまるで小説トリッパーのようなコンテンツと堀江敏幸とラヒリの短編作品が背中を押してくれた。さまざまな識者がさまざまな形で短編をシズル感たっぷりに紹介していて、保坂和志なんかは、なんてバカなことやってんだと思うわけだが(「わたしの好きな短篇3作」で、3冊の中原昌也をあげる)、たくさんの未知の短篇は、これからの読書の愉しみを照らしてくれる。とりわけ、橋本治の短篇については高橋源一郎に騙されてみてもいいか、と思えた。まったく真面目に読んでいなかった『生きる歓び』は書架の隅からひっぱりだしてくるべきだし、『蝶のゆくえ』はおさえておきたい。でも、橋本治は賢すぎて書き飛ばすからなあ。
『うさぎおいしーフランス人』をちょうど読了したタイミングでもあったので、15の質問を受けているいささか饒舌な村上春樹には、いかがなものか、と感じたが、それでも、最後の質問に対する解なんかはあいかわらずエスプリに満ちている。町田康の梅崎春生評も、ほんとうに短文なんだけれど、滅茶苦茶面白い。こんなに充実しているなら、次号「続・クラッシク音楽と本さえあれば」も買ってみてもいいかもしれない。

▶前にも書いたけれど、池澤夏樹という人は稀代の本読み人ではあるが、小説執筆については相当キツい。たとえば、『バビロンに行きて歌え』なんてのはリアリティについての最低限の禁忌が破られていて、その違和感がストーリーを完全に喰ってしまいどうしても読み終えることができなかった。しかし、唯一『マシアス・ギリの失脚』だけは別格で、この手のマジックリアリズム的というか、コロニアル的なものを突き詰めれば、凄いものが書けるのでは、という期待感もある。それなら『静かな大地』は読めよ、ってことなのだけれど、その長さに畏れてチャンスを逸していたところ、『新潮』の新連載により、最近の池澤夏樹にふれる好機がやってきた。
「B-52の爆音とともに、「戦争」が始まる。嘉手納(沖縄)、ハノイ、東京の三都市で。1968年に。」という惹句の「カデナ」は、池澤が始めて沖縄を舞台に書く初めての小説ということで胸が膨らむ。冒頭、登場人物への憑依は、「バビロン…」を彷彿させる程度の無理があり、一抹の不安材料を孕んでいるが。
ところで、文芸誌というのは、当該の作品の新連載が始まったときは、表紙や目次で大きくとりあげて盛り上げるけれど、2号目以降は、ほとんど触れられず終息していくことが多い。これは、文芸誌の性格と役割上仕方がないことなのかもしれないが、それでも、「連載快調!」とか「佳境へ」などのプロモーションは多少あってもいいかもしれない。そんなことを、先月の『新潮 4月号』の平野啓一郎の「決壊」を読んで感じた。「決壊」は、毎号、読み手を驚かせるストーリーと言葉に満ちているが、4月号で、ひとつの大きな盛り上がりを見せた。全体のなかで、いまだどういったポジションを占めるのかが見えない登場人物である、狂気と暴力を宿す少年が、悪魔的なる観念と対面するカラオケボックスの1室に充満する言葉は、いまこの小説がリアルタイムで起きているのだ、ということを世の中にアナウンスすべき程度の凄さはある。もちろん、商業的という矮小な観点ではまったく効果は期待はできないが、知るべき必要がある人に、それが誰なのかはよくわからないが、いまその瞬間にリーチさせるべき言葉だ、と感じた。そんなことでしか、小説の力は発揮できないのだから。

▶WBに加え、有料版『早稲田文学』もとりあえず0号が出るみたいなので、まだまだ雑誌には期待できそうだ。

◎それ以外は全部捨てて、といわれたときの小説50冊。

2007-04-07 19:22:25 | ◎読
いまから10分間で、って。おいおいちょっと勘弁してよ。

【01】ねじまき鳥クロニクル(1)/村上春樹/新潮社
【02】ねじまき鳥クロニクル(2)
【03】ねじまき鳥クロニクル(3)
【04】カラマーゾフの兄弟(1)/ドストエフスキー/新潮文庫
【05】カラマーゾフの兄弟(2)
【06】カラマーゾフの兄弟(3)
【07】重力の虹 Ⅰ/ピンチョン/国書刊行会
【08】重力の虹 Ⅱ
【09】百年の孤独/マルケス/新潮社
【10】新潮世界文学41 フォークナーⅡ
 ・響きと怒り
 ・あの夕陽
 ・エミリーにバラを
 ・サンクチュアリ
 ・兵士の報酬
【11】枯木灘/中上健次/河出文庫
【12】神聖喜劇(1)/大西巨人/光文社文庫
【13】神聖喜劇(2)
【14】神聖喜劇(3)
【15】神聖喜劇(4)
【16】神聖喜劇(5)
【17】コインロッカーベイビーズ 上/村上龍/集英社
【18】コインロッカーベイビーズ 上
【19】白鯨 上/メルヴィル/講談社文芸文庫
【20】白鯨 上
【21】キャッチ=22 上/へラー/ハヤカワ文庫
【22】キャッチ=22 下
【23】パンク侍、切られて候/町田康/角川書店
【24】河岸忘日抄/堀江敏幸/新潮社
【25】偶然の音楽/オースター/新潮社
【26】プレーンソング/保坂和志/中公文庫
【27】猫のゆりかご/ヴォネガット/ハヤカワ文庫
【28】夜の樹/カポーティ/新潮文庫
【29】夜はやさし 下/フィッツジェラルド/角川文庫
【30】夜はやさし 上
【31】ガーブの世界 下/アーヴィング/新潮文庫
【32】ガープの世界 上
【33】カフカ短編集/岩波文庫
【34】夜の果てへの旅 下/セリーヌ/中公文庫
【35】夜の果てへの旅 上
【36】全集1 頼むから静かにしてくれ/カーヴァー/中央公論新社
【37】ゴドーを待ちながら/ベケット/白水社
【38】リブラ 時の秤 上/デリーロ/文芸春秋
【39】リブラ 時の秤 下
【40】Xのアーチ/エリクソン/集英社
【41】舞踏会へ向かう3人の農夫/パワーズ/みすず書房
【42】明暗/夏目漱石/新潮文庫
【43】九十九十九/舞城王太郎/講談社
【44】抱擁家族/小島信夫/講談社文芸文庫
【45】万延元年のフットボール/大江健三郎/講談社文芸文庫
【46】集英社ギャラリー 世界の文学 17 アメリカⅡ
 ・アブサロム!アブサロム!/フォークナー
 ・日はまた昇る/ヘミングウェイ
 ・南回帰線/ミラー
 ・狂信者イーライ/ロス
【47】集英社ギャラリー 世界の文学 18 アメリカⅢ
 ・その日をつかめ/ベロー
 ・酔いどれ草の仲介人/バース ほか
【48】ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ/高橋源一郎/集英社
【49】シンセミア 上/阿部和重/朝日新聞社
【50】シンセミア 下

やっぱだめです。せめて50作品まで許してくださいよ。

【01】ねじまき鳥クロニクル 【02】カラマーゾフの兄弟 【03】重力の虹 【04】百年の孤独 【05】新潮世界文学41 フォークナーⅡ 【06】枯木灘 【07】神聖喜劇 【08】コインロッカーベイビーズ 【09】白鯨 【10】キャッチ=22 【11】パンク侍、切られて候 【12】河岸忘日抄 【13】偶然の音楽 【14】プレーンソング 【15】猫のゆりかご 【16】夜の樹 【17】夜はやさし 【18】ガープの世界 【19】カフカ短編集 【20】夜の果てへの旅 【21】全集1 頼むから静かにしてくれ 【22】ゴドーを待ちながら 【23】リブラ 時の秤 【24】Xのアーチ 【25】舞踏会へ向かう3人の農夫 【26】明暗 【27】九十九十九 【28】抱擁家族 【29】万延元年のフットボール 【30】集英社ギャラリー 世界の文学 17 アメリカⅡ 【31】集英社ギャラリー 世界の文学 18 アメリカⅢ 【32】ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ/ 【33】シンセミア

【34】日の名残り/イシグロ/中公文庫
【35】口に出せない習慣、奇妙な行為/バーセルミ/サンリオ文庫
【36】緋文字/ホーソーン/岩波文庫
【37】泥の河/宮本輝/新潮文庫
【38】新潮 2005年9月号/サッド・ヴァケイション/青山真治
【39】退廃姉妹/島田雅彦/文芸春秋
【40】葬送/平野啓一郎/新潮社
【41】伝奇集/ボルヘス/福武書店
【42】ナイン・ストーリーズ/サリンジャー/新潮文庫
【43】ららら科學の子/矢作俊彦/文芸春秋
【44】四十日と四十夜のメルヘン/青木淳悟/新潮社
【45】天の声・枯草熱/レム/国書刊行会
【46】カチアートを追跡して/オブライエン/新潮社
【47】冥土/内田百/福武文庫
【48】富嶽百景・走れメロス/太宰治/岩波文庫
【49】ダブリン市民/ジョイス/新潮文庫
【50】チェーホフ全集7/ちくま文庫

やばいです。女性がひとりも入っていないので、

【51】龍宮/川上弘美/新潮社
【52】新潮 2006年7月号/その街の今は/柴崎友香
【53】旅をする裸の目/多和田葉子/講談社
【54】親指Pの修行時代/松浦理英子/河出書房新社
【55】子猫が読む乱暴者日記/中原昌也/河出文庫

まで許してもらえませんか。ついでに小説以外で50冊、なんとかなりませんかね。え、女性と言いつつ男性つっこんだからダメって。すみません…。