考えるための道具箱

Thinking tool box

nanoを求めて、penを買う。

2005-09-22 01:36:52 | ◎使
久しぶりのなんば&心斎橋紀行。大型量販でも手に入らない、nanoを求めて、Apple storeをめざしたわけだけれど、どうやら市井の一般人には、4GBもしくはBlackは入手しにくくなっているようだ(※)。まあ予想通りとあきらめ、新しい心斎橋を散歩する。

なにわ遊覧百貨店「そごう」なんてのはもう散歩どころの騒ぎではなく、行列でうんざり。狭いワンフロアを14階もつみあげているから、満杯のエスカレータであがっていくには相当の時間がかかる。しかも露骨に箱貸しの印象。ほんとうは、文化の階とか屋上の劇場とかにも顔をだしておくべきなのだろうけれど、心斎橋を難波まで往復したあとでは、さすがにめげる。こりゃだめだわと、6、7階あたりで登攀を断念しBFに引き返すも、期待していた東急フードショーの幻影もなく、やっぱ大丸に行こうかと思ったがそこは諌めて、初めての小売出展といわれる「活」で串カツを求める。オープン記念サービスで特製ソースを2本もいただいたので、すべてを許し、官軍気分で退散。

で、その横のLOFTもリニューアルしたということなので、ちょいと覘いてみた。おおむねの目的は文具コーナーであることはいうまでもない。ノート売り場などはあいかわらずで新味はなかったけれど、筆記具売り場には「BiC」「STABILO」の大きなコーナーができていて、いくつか珍しいペンがおいてあったので、試し書きして良い感触のものを買ってみた。

ひとつはSTABILOの「bionic」というやつ。まるで、BiCの基調色のようなエキセントリックな軸はとっても有機的なデザイン。ゲルインクっぽいローラボールなんだけれど、その書き味もこれまた有機的でボールもスムーズ。STABILOというメーカーは、ともすればお子ちゃまっぽい商品が多く、あなどってしまいがちなんだけれど、今回、いろいろ試し書きして、ちょっと見直しました。まあ、その道ではそこそこ認められているんだろうなあ。B級っぽいのに高いのが残念だけど。早速、メインペンとして使っているけれど、これはかなり満足度が高い。しかし、軸のスペアが用意されているような感じではなかったので、消耗すれば終わりの630円はC/Pがやや悪いか。


で、あとはBiC。こちらは、なんのことはないゲルインクのボールペン「INTENSITY」を3本。なにが強烈(INTENSITY)なんだろう。それとも鮮明ってことなのかな。BiCにしては、スムーズで太めの書き味が気に入り、黒、赤、メタリックブルーの3本を購入。まあ、こちらは安い買い物です。安いだけあって、ちょっとばかしインク漏れっぽくなっています。ま、ふつうのゲルインクのペンでした。

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(※)正確に言うと、19日時点でアップルストアで持ち帰ることができるのは、白の2GBのみ。当日は「黒の2GB、ひとつだけあるんですけど」と店員が客に囁いて回ってましたが、とびつくほどの需要はなかった模様。わたしは、といえば、それならということで、ネットにて注文をすませた次第です。公表では、1~2週間後に届くらしい。刻印も入れられたし、まあいいか。でも、ほんとに、1~2週間で来んだろうな。

スタッフのみなさーん、注目してください。

2005-09-20 23:20:21 | ◎業
よい本を紹介します。まず1冊目は『顧客理解の技術』(ファーストプレス)。いま書店に行くと、くそ真面目で面白くもなんともない表紙デザインで、ひときわ異彩を放ったコーナーを形成する3冊が並んでいると思います。これは、ダイヤモンド社をドロップアウトしたスタッフが起こした「ファーストプレス」という新出版社による初めての商品です。

わたしは、まずその中の一冊である『戦略パワー・プロフェッショナル』を手に取りました。どこかで見たようなタイトルだけあって、どこかで見たような構成とエディトリアルデザイン。おい!と思ったら、著者もどこかで見た齋藤嘉則氏でした。そのときは出版社の由来も知らなかったのですが、今にして思えば、ご祝儀執筆だったわけです。内容的には、これまでの齋藤氏の著作のまんま自己模倣なわけですが、以前にも書いたようにこの手の戦略&コンセプト思想を習得するための要諦は「繰り返し」なので、学ぶ意志の強い人にはおすすめかもしれません。齋藤氏の集大成といえるかもしれません。私はといえば、先述したように出版の経緯を知らなかったので「新興の出版社がさるまねしとるわ」といった印象しかなく、あとの2冊を見逃すところだったのですが、「まあまあ」と気持ちをなだめ、もう一冊の『組織営業力』を手にとり、「ふんふんこれはちょっと新しいかな」と感心したあと、即、ショッピングカートに入れたのが先に示した『顧客理解の技術』です。

アクセンチュアを経ていまはユニシスのコンサルタント部門(ビジネス・イノベーション・オフィス)にいる天才っぽい2人が記したこの本。正直なところ、前半はまだ深読みできていないのですが、後半、第3章「参考データ集」がなかなか巧いまとまりをみせ、なにがしかのマーケティング・プランに携わる人は、そのためだけでも買って、手元においておく価値のあるものになっています。

もちろん前半部分も、ファクトを根本軸とした仮説から顧客モデルを導き出す方法論などが的確にまとめられており、これはそのあたりの技術の上澄みをすくいとって学ぶのが得意な人には最良の教科書になっているようです。しかし、その方法論を転移させようとするのはキャリアが浅いと、きっと難しい。習得できる人には習得できるが、前提とバックボーンがなければ、ただ読むだけに終わってしまう可能性もあります。

しかしながら、第3章「参考データ集」については、いままさに企画をまとめるためのホワイトペーパーを目の前にし、人口減少経済における人口動態と価値観の変化について、山ほどの資料からなんらかの結論を導き出さんと、うんうんうなっているあなたにとって、必ずや役に立つ資料となっています。

これだけ抑えておけば十分といえるほどの人口・世帯変化予測にまつわるデータ、そこに向かう世代層ごとのコーホート分析の総まとめ、さらには消費トレンド。とりわけ、消費トレンドについては、それを導き出すためのプロセスを「チェンジドライバー→背景理由」といった形で区分けし納得性の高い答えを導き出しているわけですが、それぞれの回答の是非はともかく、このロジカルなプロセスは日常的なちょっとした「意見のまとめ方」にもかなり役に立つと思われます。

もちろんそのままでは使えませんが、「バリュー・セグメント」というものを考える際のわかりやすいフレームとなっています。一方で、世代概論をつかみたいときには、この1冊さえ手元におけば、企画書の1ページ目の1/3くらいのまとめはラクラク、という考え方あります。「やっぱりおれはプランナーを目指したいなあ」と鼻くそほじっているあなたは、少なくともこの本を50回くらい繰り返して読んでください。「繰り返し読む」という、その脳の持久力(体力)もプランナーの重要なスキルのひとつです。

もう一冊は、『クリティカル・ワーカーの仕事力』(ダイヤモンド社)。副題は「ワークスアプリケーションズの問題解決型人材の挑戦」。これはもうずいぶん話題になっていると思われます。私自身は今週の朝日新聞の書評欄のベストセラーに位置していることで、初めて知り、ほとんどそのタイトルだけの直感で、早速出かけた難波のジュンク堂の平台ではないところで捜し求めたという具合なので、いささか旧聞の話かもしれません。

言ってしまえば、ワークスアプリケーションズという統合基幹業務(ERP)ソフトウェアーメーカーの成功譚なわけですが、要諦は表題にある「クリティカル・ワーカー」というものの定義づけと、そこに向かう志のあり方をまとめているところです。この発想は、私たちのような、なんやかんやのプランニングを行うような職務にこそ求められるものであーる、と共鳴したわけです。

「クリティカル・ワーカー」とは、そのネーミングから容易に想像がつく人材で、ようは既製の方法論にとらわれず、自分で考え、自分で動き、人を巻き込み、アウトプットを目指す能力をもつ人のことなのですが、まずこのワード&概念を摘出したところが素晴らしい。

そこにあるのは、言われたことをトレースするのではなく、言われたことの本質が見抜けるまで徹底して考え抜くという強い精神力・脳体力で、これはルーティン・ワーカーとはまったく違った素養ということになります。

「クリティカル・ワーカーのプロセス」という形で、求められるビヘイビアをまとめているところがわかりやすいので、その章立てを引用しておきます。

【1】目標をもつ
◎問題を放置しない(「他責NG」を貫く)
◎目標を設定する(ぎりぎり達成できる目標を設定する、「何を」よりも先に「いつ」を決める
【2】頭を使う
◎先に理想を考える(自分の頭で考える、「できない理由」を考える前に「理想」を考える)
◎「なぜなぜ思考」で考える(「なぜ」を繰り返し問い続け、理想と現実のギャップを原因分析する)
◎ブレイクスルーの方法論を見出す(「理想」を実現するアイデア(HOW)を考えつくす、先に顧客のメリットを描く)
【3】人を巻き込む「スピルバーグになる」
◎他者を巻き込む(「プロデューサー」になる、「権威」ではなく「納得」で他者を巻き込む)
◎シナリオを共有する(「ゴールから逆算」してシナリオを立てる、シナリオをチームで共有する)
【4】成果を出す
◎リーダーシップを発揮する(自ら先頭に立って実行する、チーム全体を俯瞰しながらリードする)
◎成果を共有する(継続的に成果が出る仕組みをつくる、成功の方法論を他者と共有する)

ちなみに、ワークスアプリケーションズという会社は、社長以下、完全なフラットが実現していて、年次を問わずすべての業務がそれぞれのクリティカル・ワークに委ねられているという構造になっているようです。まあ、きっとたいへんな仕事だとは容易に想像がつきますが。

上記で示した行動原則にピンときて、気がついたら鞄の中にこの本が入っていた、というあなたを私は心から応援します。ぜひ「思考体験を蓄積」してください。客観的にみて限界という解をだしたうえ「失敗するポイントまで全力でチャレンジ」してください。一緒にクリティカル・ワーカーを目指しましょう。最強のクリティカル・ワーカー集団をつくりましょう。

1滴のために、その先に進む。

2005-09-07 22:28:37 | ◎読
大きなコップにいろいろな種類の液体ををためていく。溶液はさまざまな性質と色に変容しながらコップの淵をめざすが、やがて訪れる表面張力が決壊した、まさにその1滴こそが自分の言葉だ。その1滴にたどり着くには相当量のそれも雑多な液体を注入していかなければならないし、にじみ出た1滴はどんな成分が含まれていたかすら定かではなく、もはや分解することもできない。しかし、自分を媒介としてしか発生しえない身体的で精神的な言葉であることはひとつの事実である。なーんてバカなことを考えながら生きているので、できるだけ多くのテキストを取り込むことを信念としているし、こういった場を使いながら、はたしてこの1滴がその1滴になりえるのかを検証しているわけです。

しかしながら、実感としてはその1滴が零れ落ちるにはまだまだ時間がかかりそうな気がする。とりわけ、最近は仕事が忙しく、まとまった文章を試行することはおろか、そもそもなにか(仕事以外のこと)を思考してみるという行為すら放棄する毎日が続いていて、つまりはインプットもスループットも、だからもちろんアウトプットも脆弱になってきているのが自覚できるほどだ。1週間が14日で1日が48時間があればなんて言わないけれど、せめて1日1時間は3プットにあてられれば、と思うが、これもまあいいわけにすぎない。

実際にこれまでに書いたものをみていると、やはりどうもしっくりこないものが多い。まあ、もともとたいしたアイデアを打ち立てているものではないのだけれど、「なんか小っちぇえ書き方してんあなあ」とか「ここで終わっちゃあねえ」と、慙愧に耐えない。

このあたりのことは、パラパラ見ていた『群像10月号』に掲載されている対談で、石川忠司と保坂和志により確実に整理されている。

「なんで何かを考える作業が、その何かをそのまま矮小化する方向につながってしまうのか。」という石川のなんともすばらしい発見に、保坂が、エッセイは五枚とか十枚ならすんなりと落ちるが、という例を引きながら「落としどころを通り過ぎてその先まで書かないと、本当は考えたことにならないと思うのね。五枚から十枚のこぢんまりしたエッセイというのは、本人が考えているんじゃなくて、文章の流れが考えているだけなんだよ。「考えている」っていうか「考えているふり」なんだけど。」と、「その先を考え」る重要さ、「文章に任せ」てしまうことの危うさを指摘しているが、このことは先ほど、ぼくが考えていたあいまいな不満に輪郭を与えてくれた。一気に書きなぐったそのあとからほんとうの勝負がはじまる、と解釈しても間違いではないはずだが、ようはこれまで書き連ねてきたものは、その後の、しかしそこから始まる混迷した魅惑の世界へ入山をいともかんたんに諦めてしまっていたということだ。

もちろん、そういうふうに「考え書くこと」は、保坂自身も言うように「人間」が「考えをきちんと先に進められる文章をつくりだせていない」わけだから、簡単な話ではない。結局は、時間という課題に帰結してしまうところもあるが、しかしそれでも、1年にいちどくらいは、その先を越える思考体験をしたいものだ、と思う。なにかコマをひとつ動かすことができれば状況も変わるかもしれない。そのコマは、決してBLOGのミッションとカテゴリーを見直すというコマではないと願いたい。まあ、それはそれで必要だけれど。

ちょうど1年前の今日、それまで踏ん切りがつかなかったこのBLOGをなんとか始めることができたのは、じつは『群像 10月号』に背中を押されたことが、ひとつのトリガーだったのだけれど、今日もまた助けられた。



保坂-石川対談は、じつはその部分しか読んででいないのだけれども、例によってたくさんのアイデアが提示されているようだし、そもそも全体の特集が「小説の現在」で、阿部和重、佐藤友哉、多和田葉子、星野智幸、町田康らこれまでこのBLOGでも感想を寄せてきた作家への評論が結構なボリウムで提示されていて、たいへん読み応えのある1冊になっている。小説はやっぱり愉しい。

もうジョゼに会えないなんて。

2005-09-06 23:14:08 | ◎観
「人間ってのは、どこまで睡眠時間を削減できる動物なのか」というかなり危険度の高い実験にひととおりの区切りがついたので、なんか書いてみようかなあと、久しぶりにエディターを開いてみる。ところが、どうも自分のための浮かれた文章なんて書く気になれない体質になっちまってる。不眠実験から検出された副作用のその1は、「やる気」がなくなる。やばいね。これは。まあつまりはバーンアウトということなんだけれど、そんなときに『ジョゼと虎と魚たち』なんか観てしまったもんだから、放心に輪がかかる。恢復への願いをこめて、少し言葉を集めてみよう。

その日の夕方から東京へ出張に出なければならない日曜日の午後のわずかな時間。なにをするにも中途半端なこの時間に、ぼくが選んだのはHDDレコーダーのチェック。なんだか適当に撮り貯めたものがたくさんあるような気がしたので、ちょっとザッピングしてみると、出る出てくる。『ロード・オブ・ザ・リング』の最後のやつとか『21グラム』とか『キルビル2』とか。で、まあわかりやすいやつがいいかと『ジョゼ…』を選んだわけだけど、あまりに良い映画すぎて、余韻というか余波から逃れられない。以来、ずっと妻夫木恒夫くんのこととか、もちろんジョゼ池脇のことを考えている。

演技力とかせりふの巧さなどいろいろな切り軸で評価/反評価できるところはあるのだろうけれど、私的にポイント絞り込むと、「男泣き」と「断ち切らなければならない人間関係」というところになる。

親愛の人が亡くなったときに泣くというのはわかりやすい。もちろん悲しすぎて泣けないというのはあるかもしれないけれど、一般的には悲哀のジャンルでは、いちばんだ。そして、今回の恒夫の涙がきっと2ばんめにあたるのだろうと思う。自分のなにかが損なわれ、自分により親愛の人のなにかが損なわれ、哀しいし、さびしいし、可哀想だし、ふがいないし、そしてなによりくやしい。しかし、ときがたてばきっと忘れてしまうという予感。「くそ、なにやってんだよ俺ってやつは、いまからでも戻したいけれど、なんで戻れないんだ」みたいなときに絞り出てくる野郎の嗚咽は、かなり実感的で、この恒夫の気持ちがよくわかる。『ノルウエイの森』の冒頭で、「僕」が悔恨により混乱するくだりもこういったことだろう。この重要な状況を、妻夫木恒夫は、かなりうまく演じていた。その恒夫が頭から離れない。


落涙は、「もう2度と会えない/会わない」という決意、つまり「断ち切らなければならない人間関係は確実にあるのだ」という現実に起因している。ここで生き続けている以上、「もう会わない」なんて気負って決めなくてもよいのではないか?なにも、世の中のことはふたつにひとつというわけではないんだから、これからも会ってもいいんじゃないか?と考えてしまうのだが、恒夫は思い決めてしまう。憎悪がないにもかかわらず人間関係を解消してしまわなければならないというのはやはり酷だ。勝手に「ひるんだ」、まったくもって勝手な話という見方もあるかもしれないし、逆に、悔恨と無の間にあって、決定的な悔恨のほうを選んだという見方もできるかもしれない。ジョゼの強い意志のうえに成り立った別れであることも明確だ。しかし、それでも、こういった決断をしなければならない人間関係が存在するという厳然とした事実はとても哀しいし、この物語はその厳しさを突きつけた。決してアンハッピーエンドではなく、ある種の爽快感すら感じさせる『ジョゼ…』がそれだけでは終わらず、2日3日の穏やかな時を経てもなお強い余波を残し続ける。池脇ジョゼと会えないことが、こんなにつらいことなのかと。人間ってのはなんてややこしいんだと。



といったようなことを考えると、やっぱり『メゾン・ド・ヒミコ』もみたくなっちゃうね。ゲイの父親が恋人と経営するゲイのための老人ホームで、何年も会っていなかった娘が働くって話。安易に死の涙に流れていなければいいんだけれど。『ジョゼ…』のサントラのくるりは、相当いい線いっていたけれど、今回は細野晴臣で、こちらもなかなかよいようです。