考えるための道具箱

Thinking tool box

◎企画の生産性をあげるための33冊。

2012-10-14 23:17:39 | ◎業
たまたま、まとめる必要があった、若い人たちのための仕事の技術面、つまり企画仕事の生産性をあげるために役に立つ推薦図書。すでにtwitterつぶやいたものに加筆してまとめた。★はなかでも推奨。生産性、と言いつつも、冒頭からいきなりマインドセットですね。

[1]★『ドラッカー名著集2 現代の経営』
:ドラッカーは、たとえばダイジェスト版でも、図解でもいいから数冊は読む(もしも、は勘定にいれない)。ひとまず、『現代の経営』をあげてみたけれど、『創造する経営者』とか、最近編まれた『マネジメント』のアップデート版といわれている『経営の真髄 知識社会のマネジメント 上/下』( http://amzn.to/SVdKv1 )なんかのほうがキモがわかりやすいかもしれない。「強みに集中」、「企業の目的は外にある」、「業績は営業日に比例する」という核心を自家薬籠中のものに。最後のは言ってないな。

[2]★『マーケティング思考法 ―考えて行動するための実践的手引書』数江良一
:精読できていなけれど、すごい本である。すごい本というのは、地に足のついた本(教え)であるということである。たとえば「提供価値の概念化」とか「創り、伝え、届ける」「4P再考」といった章立て。SWOTや4Pはたんなる整理のために使うのではないということを明解に説きつつ、たとえわかったとしても、1回や2回試しただけでうまくいくものではない、でもちゃんとやろう、という教えが理路に基づき展開されている。

[3]『書き込み式 マーケティング戦略実行チェック99―理論を実行可能にするチェックポイント』 佐藤 義典
:差別化の基軸を「手軽軸」「商品軸」「密着軸」とシンプルに定義してみるフレームなど、いつもと違う、でも正しいフレームワークを提示したいときに使える実用書。2回ほど企画書に使いました。

[4]★『グロービスMBAマーケティング』
[5]★『グロービスMBAビジネスプラン』

:グロービスMBAシリーズは基本として目を通しておきたい。『経営戦略』とか『マネジメントブック』『クリティカル・シンキング』も。

[6]『論点思考』
[7]『仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法』
内田 和成
:スパーク…とかいう本もあったけど、それは読まなくていいか。ともかく「論点」と「仮説」について正しく言及している本は数冊読んだほうがいいかも。

[8]★★『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』 安宅和人
:言うまでもなく。「深い仮説をもつための2つめの定石は「新しい構造」で世の中を説明できないかと考えること」です。まず構造、つぎに構造、最後に構造。この本を教科書にして全編をなぞる輪読に近い(社内)研修をやりたい気分。後述する『問題解決プロフェッショナル』の後継がやっとでてきた。

[9]★『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』 バーバラ ミント
:面白くないけれど重要な本。新板はおもしろくなっているかもしれない。あと、「ワークブック」も刊行されているがこれはどうなんだろう。

[10]★★『新版 問題解決プロフェッショナル―思考と技術』
[11]★★『問題発見プロフェッショナル―「構想力と分析力」』
[12]★★『戦略シナリオ 思考と技術 』

:面白いし重要な本。フレームワークほか思考法の王道。以上の齋藤嘉則の3冊は絶対に5回ぐらい読むこと。同じようなことが書いてあるかもしれないが、同じようなことを何回も繰り返さないと身につかない。そして、実際に企画ないしは企画書につかってみて挫折する必要もある。たとえ慣れてきたとしても、ドキュメントまで巧くはまるのは10回に1回ぐらい。でもその1回の精度をあげるために、9回の失敗が必要です。ってちょうど同じようなことを山中教授も行っています。受注案件の場合は、失敗した9回もなんらかの形で着地させないといけないので、そのあたりの状況適応力とストレス耐性も身につきます。

[13]★★『戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ』三枝 匡
: 戦略というものがよくわかります。戦略というものを実行するにはどうすればよいかがよくわかります。

[14]★『リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省する』 中原 淳,金井 壽宏
:金井先生、中原先生の本は見つけたら必ず買うぐらいの勢いで。経験学習につながる「内省」の重要性、二重ループ学習など、自分自身のキャリア戦略に使えるツールと考えれば、仕事人生の見通しがすっきりします。

[15]★★『 [改訂版]マーケティング戦略ハンドブック』松下 芳生
:B級っぽい造本になってしまっていますが、フレームワークの網羅性、端的な解説はA級です。手元においておくと相当に役立ちます。私自信、いまでもボロボロになるほど使っています。

[16]★★『知識デザイン企業』紺野 登
:紺野先生、もちろん野中郁次郎先生の本も必ず読む。『ナレッジマネジメント入門(日経文庫)』(紺)、『知識創造経営のプリンシプル?賢慮資本主義の実践論」(野、紺)、『ビジネスのためのデザイン思考』(紺)などなど。
『知識デザイン企業』については、以下の引用にこの本のすべてが集約されている。私にとってクレドのような本。
<……デザインは単なるのモノのカタチを作ることではない。デザインを介在させ、企業や組織が内包する知力を解放することが本質的な課題である。デザインには、その企業なり組織なりの根源的知力を増幅する力があると考える。すなわち、これから問題とするデザインとは、分析的な思考や能力ではなく、
①社会的な見通しを経営や技術に与え、カタチにする「媒介」の役割(meditation)
②ハードとソフト、サービスなどの異質な要素を統合する「結合」の役割(connection)
③長期的な戦略や経営、市場の姿を直観的に視覚化、形態化するの「形成」の役割(formation)
を同時に成立させる能力である。
デザインの目的は、「多様で含蓄のあるコンセプトや複雑な機能・要件を、最もシンプルな構造や体系で提供・表現すること」である。デザインはただアイデアや言葉を言うだけではない。その課程を通してデザインは、モノやサービス、情報などの人工物を媒介にして、
●複雑な問題解決に確かさを与え、
●人間のための本質的な社会的便益を具現化し、
●創造的な感性を満足させる。>


[17]★『経営戦略の論理 〈第4版〉―ダイナミック適合と不均衡ダイナミズム』 伊丹敬之
:そして伊丹先生の本も必ず買う。「場」関連のやつもね。

[18]『実践知 -- エキスパートの知性』金井壽宏,楠見孝
:これは何の役に立つかというと、営業パーソンとかその他、現場のノウハウと知を構造化していくときの方法論として。もしくは、自分自身の内省?概念化の仕方として。

[19]★★『反戦略的ビジネスのすすめ/ビジネスに「戦略」なんていらない』平川克美
:ここまで並べてきた戦略的思考を推奨する本を否定してしまうようなタイトルだけれど、否定しているのは好戦的な態度・拝金的な態度だけであり、けっして思考としての戦略ではない。戦略的思考と行動は大事であるが、使う方向を間違えないよう正常な精神を保つための本。仕事の基本がここにある。

[20]『マーケターの仕事術〔入門編〕』 末吉 孝生
:フレームワーク虎の巻。これにそって(戦略)企画作業を進めれば間違いない。

[21]『顧客理解の技術 変化を先取りし、価値を創造する』 池上 孝一, 鈴木 敏彰
:デモグラフィック虎の巻。世代別のターゲット分析のベーシック。

[22]『マーケティング・メトリクス』田村正紀
:成果分析を求められたとき、なにか指標をつくってみたいときの虎の巻。田村先生は、あと『機動営業力』ですね。

[23]★★『ビジネスモデル・ジェネレーション ビジネスモデル設計書』アレックス・オスターワルダー,イヴ・ピニュール
:だれでもビジネスモデルが作れそうな気分になってしまう。が、そんなことはおそらくなくて、ここで紹介されている「ビジネスモデル・キャンバス」をいかにアレンジできるか?にかかっているような気がする。といったようなことを「いまの仕事」にあてはめながら読めるかどうか。

[24]★『自分のアタマで考えよう』ちきりん
:じつはフレームワークを解説している本。自分のアタマだけで考えるのはじつは難しいので、弁証的な議論を他者としてのフレームワークに投げかけてみる、という感覚が大切。本書では「フレームワーク」なんて言葉はひとことも出てこないわけだけれど、それゆえにフレームワークは企画書のフォーマットではなくて思考のための補助線であるということがよくわかる。

[25]『経営組織―経営学入門シリーズ (日経文庫)』金井 壽宏
:今も売っているのかな?MBWA(マネジメント・バイ・ワンダリング・アラウンド)など重要な概念はこれで学んだ。だからいまもMBWAやっているよ。

[26]『実践ロジカル・ブランディング―曖昧な情緒論から硬質の経営論へ』菊池 隆
:「ブランドはイメージではなく、何より製品やサービスそのもの」という正しい異論(=本質)を唱えた珍しい論考。支援材料として使える。

[27]『図解でわかる技術マーケティング 』ニューチャーネットワークス
[28]『技術ブランド戦略』宮崎 洋、高井 紳二
:ここで語られているのは、言葉どおりの意味での企業の「技術」をどうブランディングしていくのか?についての実務的な枠組みだけれど、製造業の商品の多くが技術による差別化を目指しているということを考えれば、地道な企業・商品ブランディングの基本でもある。

[27]『マーケティング戦略 (有斐閣アルマ)』和田 充夫,三浦 俊彦,恩蔵直人
:このシリーズは有斐閣なのに面白いから全部読みたいくらい。たとえば、『消費者・コミュニケーション戦略―現代のマーケティング戦略〈4〉』とか。ま、ポストモダン・マーケティングなんてのは、ほとんど知的喜悦のためにしかすぎないけれど。

[28]『アカウントプランニング思考』小林保彦編著
:貸したまま帰ってこなくなっていたが、ようやく古書店で発見できた(たぶん絶版)。APの職務の最も正しい定義がここに書かれている。「インサイト」なんて持ってきたの、これが最初じゃないかな。広告・販促委託先関係者に限定的ではあるけれど、自身の立ち位置を確かめるために、密林の中古なんかを見つけて読んでおきたい。

[29]★『経営学習論』中原淳
:コルブの経験学習サイクル(具体的経験⇒内省的観察⇒抽象的概念化⇒能動的実験)などはこれで学ぶ。学術書以外の『ダイアローグ
対話する組織』、『知がめぐり、人がつながる場のデザイン―働く大人が学び続けるラーニングバーというしくみ 』、『インプロする組織』も。

[30]『「差別化するストーリー」の描き方』高橋宣行
:コンセプトを考えるときに欠かせない要素である「言葉化」を忘れていないところがすばらしい。これ読んで元気だせ。

[31]『顧客・株主・社員の利益を一致させる知的資本のマネジメント』高橋俊介
:この本はもう手に入らないかもしれないけれど、高橋の組織・人材系の本は何冊か抑えたい。たとえば『人が育つ会社をつくる[新版]』とか。

[32]★『学習する組織――システム思考で未来を創造する』 ピーター M センゲ
:なんてスピリチュアル、ってなことはいわない。構造が挙動に影響を与えるんだ。

[33]★『街場の文体論』内田樹
:言葉で伝えるということの本質。彼の本意ではないかもしれないが内田は仕事にかなり役立つ。一冊読むならこれ。か『最終講義-生き延びるための六講』ないしは『他者と死者―ラカンによるレヴィナス』……うん、一冊では無理です。

最後も、というか半分くらいマインドセットでしたね。すみません。今後も足していきます。

◎チームマネジメントについて雑想。

2012-03-17 23:39:07 | ◎業
ひょっとして、学校のクラスのようなものを「チーム」って思っているんじゃないだろうな。もしくは、学校のクラスのように「許可」されることを望んでいるんじゃないだろうな。いや、まさかね。

先生のような毅然としたチームリーダーがいて、行動や、アウトプットの品質を「目に見える形で」統制・管理していく。ときには飴ちゃんをくれたりもする。いうまでもなく、そういったマネジメントが馴染む組織(業態)は、もはやそれほど多くはない。知識サービスであればなおさらだ。

たとえば、わたしが働いている部門にしたってそうだ。一般的には広告制作会社といわれるカテゴリーに分類されるが、個人的にはそういった枠に収まらないちょっと定義の難しい例をみない業務内容ではないかと感じていて、それゆえに、他からもってくるような優等生的なマネジメントは、基本的にうまくいかないと思っている。

クライアントからのオリエンテーションシートのようなものから仕事がスタートすることはほとんどない。逆に広告代理店に対するオリエン資料を作成したりもする。商品や施策の着地が未確定の段階からプロジェクト的にクライアントのマーケティングに関与する。広告もつくるが、研修のテキストもつくる。コミュニティサイトやiBookの実装も行う。よくわからない白紙に、ファシリテートしながらなんとか道筋を書きつけていく。ときに、プロセスコンサルテーションのようなことも行う。

先代から受け継いでいるものは「構え」と「プリンシプル」であり「形式化されたノウハウ」や「システム」ではない。だから、仕事の進め方に絶対的なルールはない。つねにルールを作っていかなければならない。つねにカスタマイズ。そんな仕事。
言うまでもなく、要諦は独創・自走・内省できる、「個人」である。

そういった個人を尊重するチームとはどんなチームなのか?マネジメントは可能なのか?

代替のきかない人が、代替の効かない技をもって、それまでなかった代替のない仕事を創出し、泥縄でもなんでもいいから完成させてゆく。いったん完成させればプロセスはルールとなるが、次に同じ仕事をこなすときは、そのルールをたんになぞるのではなく、超越していく。必然的にこういった仕事観が重要になってくる(といったことは何度か書いた)。

これは言い替えれば、かなりコンティンジェンシーの高いサービスであるということにほかならない。つまり、個人個人が状況適応(思考・技術)力を身につけていかなければ仕事がうまくまわらないし、逆にそういった力こそが差別化の原動力となっていくとも言える。(なにより、同じことの繰り返しなんて面白くない。)

確かに、代替の効かない人、システムに収斂されないプロセスの上に経営が乗っかっているというのは、企業のサスティナビリティにとって大きなリスクではある。状況適応の自転車操業なんて相当タフでないとやっていけない。ただただ受け入れていくしかないのか?いや、マネジメントは成立する。先日ふとそのことに気づいた。

「そういった仕事の進め方がこの会社の仕事だ」という哲学を伝承していくこと。これがマネジメントの肝になる。サスティナビリティの源泉になる。「代替のきかない人が、代替の効かない技をもって、それまでなかった代替のない仕事を創出する」ことが私たちの仕事であることを明確に宣言し、そのことの知的充実感をいかに社内に充満させるか?他にないこと、初めてのことへのアタックをいかにモチベートし、称えるか。

必要なのは制度化された統制・管理ではないし、飴でもないし、ましてやマネージャーの個我でもない。メンバー個人の「独創・自走・内省」との折り合いをなんとしてでも見つけるマネジメント。一方で、たとえ面倒でも前回のたんなる繰り返しを否定するマネジメント(それは自身の過去を強要しないことでもある)。まず、面白いか面白くないかで判断するマネジメント。未熟でも面白いなら実現を支援するマネジメント。「何がイシューかを見極め、問題の複雑さに悩み、何かを生み出そうとする本人と一緒に考える(by 中原淳 ※)」マネジメント。仕事への報償はつぎの新しい仕事であるというマネジメント。

そして、そんなことは表立ってやるもんじゃない。すべてわからないように裏でやるもんだ。って、公開したら意味ないか。



NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 自ら助くるものを助く:エドガーシャイン「プロセスコンサルテーション」

◎知識デザインについて(アップデート)

2011-10-08 19:44:52 | ◎業
「アソビ化するシゴト」というコンセプトワードに触発され、ミッションステートメントをアップデートしてみた。

#

いつも意識しているミッションは、あいかわらず「知識デザインの具体化」だ。「知識デザイン(※)」については、すでに、何度か話をしているけれど、この「知識デザイン」をアイデンティティとして確立していくことが顧客満足と競合差別化、そして自己実現につながるんじゃないだろうか。

わたしの考える「知識デザイン」とは、クライアント企業や商品のなかに複雑に重層的に蓄積されている知識を、よりわかりやすくエキサイティングにデザインして生活者に伝達していく技術で、もちろんここでいうデザインとは、単なるグラフィックデザインだけを示すものではなく、いわゆるコミュニケーション設計とかストーリーといったものを含むデザインということになる。

これまでの日常の業務も、この「知識デザイン」に極めて近い方法で取り組んでもらえていると思うが、ほんの少しばかりの矜持をもって、自覚的に、わたしたちの仕事は、「企業の知識デザインをサポートすることである」さらには「私たち自身が知識デザイン企業である」ということを目指したいと思う。

このことによって、[対外的]には、あらゆる情報の非対称をなくしていくことで、豊かで正しい(そして楽しい)消費活動、市民活動に貢献する会社であることを明確にし、[対内的]には、(むしろこちらのほうが重要かもしれないけれど)個人個人の知的好奇心(LIBERAL ARTS & TECHNOLOGY)がそのまま仕事に直結するという喜びのある会社である、ということをひとつの理想として、これが実現できる流れを作っていきたい。

この「知識デザイン」というミッション、ビジョンを私たちの利益の源泉としていくために、いつも考えていたい4つのアクション(プリンシプル)がある。

まず、知識デザインというものを端的にあらわす[商品]を開発することが必要だ。すでに現状の仕事のなかでその息吹といえるようなものは生まれているが、さらなる洗練化を目ざしたい。たとえば、「コンセプトマップ(設計図)」や「VOCクリエイティブ」、「マーケティング・エディトリアル・カタログ」。「情報戦略バイブルとしての研修テキスト」や「密着・継続コミュニティWEBサイト」なんかもそのひとつだ。いうまでもなく、これらの[商品]は、「強み」の内省(概念化⇔具体化)から生まれる。というか、そこからしか生まれない。「昨日完了した仕事」が、どうすれば「明日のプロダクツ」になるのか。つねに模索を繰り返してほしい。

ただし、[商品]は、[サービス]との両輪であることは言うまでもない。私たちはあくまでも「サービス業」なんだ、ということをあらためて強く認識し、「ここまでやるか」のCS(顧客満足)を追求していきたい。この[サービス]が2つ目の行動原則になる。

クライアントに対するコミュニケーション活動のなかで、「ああ、こいつとは話ができる(=知識を交換できる)」といったサービス評価を地道にコツコツと積み上げていくことで、はじめて「商品」が認められ、仕事がうまれるし、積み上げていくことでしか私たちの仕事は拡がらない。
もちろん、これは、「おもねる」とか「こびる」といったことではなく、あくまでも「知識提供のサービス」による顧客満足にほかならない。ときには相手に憑依するほどの慮りをもって、本質課題(オーダー)を先読みし、相手がイメージしていた以上の回答を提出していく。そういったことが、私たちのような仕事における顧客満足の理想ではあるが、ハードルはけっして低くはない。ロジカルシンキング、クリエイティブシンキング、情報の知悉に基づいた仮説力といった技術がごくあたりまえのように必要になる。確かに、キャリアが浅いと戸惑うばかりだろう。

しかし、経験を問わず、最低限の満足を提供できる方法はある。それは、クライアント企業の商品情報、市場情報などの「ファクト」とりわけ「見込客」に対するファクトへの関心と蓄積だ。これさえしっかり確保できれば、たとえキャリアが浅くてもクライアントに、満足を提供できる可能性が増える。少なくとも商品情報についてくどくどレクチャーする必要がないという、それだけでも満足度は数ポイントアップするのではないだろうか。

こういったサービスは、大げさにいえば「知識のデザイン化コンサルティング」みたいになるのだろうけれど、そんな大それた業容は、いまはまだ掲げなくてもいいと思う。「そういえば、コンサルみたいだよね」と顧客にいわれて初めてローンチすればいい。

[商品][サービス]の下支えとして重要になってくるのは、「学習」と「対話」だ。「学習」については言うまでもないが、「対話」も技術として学んでいく必要があるだろう。新しいアイデアや知恵は、他者との「対話」からしか生まれないといっても過言ではない。社内はもとより、クライアントと正しく発展的な(弁証的な)「対話」を積み重ねることによって、誰かのすぐれた考えを引き出しつつ、その発想をとりこんで自分のふところを広げていく。そんな「対話」の力は、自覚すれば必ず学ぶことができる。

どうすれば、相手の意見にうまくかぶせるかたちで自分の意見を配置できるのか?結果としてよりよいアイデアを導きだせるのか?ネガティブな思考停止状態に直面したとき、御茶らかしではない方法、愛想笑いではない方法で、会話を進行させるにはどうすればいいか。切迫的なやりとりを平和的に着地させるためにはどうすればいいのか。「打ち合わせこそが、私たちの仕事だ」ということにいち早く気づき、そうすれば、対話によるアイデアの拡散・凝縮のさせ方、コンティンジェンシー対応力(状況適応)の勘どころがわかってくるはずだ。

「知識デザインの具体化」としての「商品」「サービス」、それを支える「学習」と「対話」の技術。こういったことが面白いと思えたら、たとえ所属する組織はどこであっても、いまの仕事を長く続ける価値はある。

#

「アソビ化するシゴト」というのは、重要な問題提起だ。ただし、この言葉をみてわたしが考えたこととは、以下のリンク先の論とは微妙に異なる(通底するものは一致する)。

(Facebook、Google、Appleなどの企業では)むしろ「シゴトばかりしてないでアソビ的な発想をしろ!」とせき立てられるのではないかと察します。
なぜアソビ的な要素が大事なのでしょうか?
それは財務分析的な見地から言えばアソビ的な要素こそが利益マージンの源泉であり、差別化のカギを握るファクターであり、企業の持つアンフェア・アドバンテージだからです。
アソビ的な発想とは既存の固定観念にとらわれない自由な発想であり、ディスラプティブ(秩序破壊的)な発想です。

「仕事のなかにアソビの要素と余裕ととりいれよう」という考え方であり、これはまったく否定されるべきものではない。しかし、これに続く「これはただコツコツと勉強や仕事をやっているだけでは養えません。言い換えれば「まじめ」なだけでは駄目なのです」なんかを読んじゃうと、人によっては間違った方向に拡大解釈しそうな危険性をはらむ。「遊んでへんから、アイデア出ーへんのや」とか言われるのは鬱陶しいし、じつはそこにはなんの因果関係もない。

ということで、「アソビ化するシゴト」からわたしが想起したのはどちらかというと「ジブン化するシゴト」という言い方だ。「ジブンの生活とシゴトの境界性をどれだけグレーにできるか?それが人生を愉しむ眼目」みたいなところが考え方の根本にあって、こう書いちゃうと、「それこそが社畜のはじまり」みたいな誤解を受けそうだけれど、これは「ジブンをシゴト化」するのではなく、あくまでも「シゴトをジブン化する」ということなので本来的には社畜とは逆の発想だ(もちろん「その逆発想も結局はいいように騙されてんだ、それこそ社畜のはじまり」って意見があるのもわかる)。

つまりは、自分の好きなことと仕事を一致させる、自分のドメインに仕事をもってくる。
たとえば、言葉についてあれこれ考えることが好きだからコンセプトやコミュニケーション構造の策定を盛り込めるような仕事に着地する流れをつくるとか、デザインが好きだから企画書をデザインしてみるとか、雑誌が好きだから、ターゲット・セッティングの物差しに雑誌の分類を徹底的に活用してみるとか。

大きな企業や、職務がルーチン化しているのであれば難しいかもしれない。しかし、受注案件により取り組み方をしなやかに変えていけるような知識サービス業であれば、ジブン化できるレンジは格段にひろがる。ハードルも自由に設定できる。

このことを、わたしたちの仕事にトレースしたのが、先の声明のなかにある「個人個人の知的好奇心(LIBERAL ARTS & TECHNOLOGY)がそのまま仕事に直結するという喜びのある会社」で、これが実現できれば、いまの仕事を長く続けることができると思うんだけれど、どうだろう?


(※)何度もエクスキューズしているが「知識デザイン」とは、紺野登の『知識デザイン企業』で論じされたコンセプトにインスパイアされつつ、独自の拡大解釈を加えた発想である。

◎会社は学校じゃねーんだから。

2011-09-25 12:18:40 | ◎業
吉田松陰に対する玉木文之進の教育法のエピソードを端緒にした内田樹の定番の教育についての考え方。(『最終講義 生き延びるための六講』)

(……)では、いったい何を教えているのかというと「子どもには理解できないような価値が世界には存在する」ということそれ自体を教えているわけです。「お前が漢籍を学ばなければならない理由を私は知っているが、お前は知らない。」という師弟の知の非対称性そのものを叩き込んでいるわけです。(……)子どもに「手持ちの小さな知的枠組みに収まるな」ということを殴りつけて教え込んでいる。子どもに「オープンエンド」ということを教え込んでいる。それさえわかれば、あとは子ども自身が自学自習するから。

松陰は十一歳のときにはもう藩主に御前講義をするところまで知的成長を遂げるわけですけれど、学問を始めてわずか数年でそのレベルに達するというのは、勉強したコンテンツの量の問題ではありません。どれほど想定外の情報入力が流れこんできても、まるごと受け止めて、自分自身の知的スキームを組み替えることができるような恐るべき知的柔軟性を松陰が身につけていたということでしょう。

ふつうは感動が先で、それを「言葉にする」という順序でものごとが起こると思われているけれど、そうでもないんです。最初に言葉がある。その言葉が何を意味するのかよくわからないままに記憶させられる。そして、ある日その言葉に対応する意味を身体で実感することが起きる。神経衰弱のペアのカードが見つかったみたいな感じですね。たしかにその言葉を自分は知っていた。でも、ただの空疎な言葉でしかなかった。実感の裏付けがなかった。それが、ある瞬間に言葉が意味を受肉することができる。
ということを三浦(雅士)さんが書かれていました。これは玉木文之進の教育法にも通じると思うんです。まず言葉がある。「怒髪天を衝く」とか「心頭滅却すれば火もまた涼し」とかいうのは言葉だけいくら覚えても、十歳やそこらの子どもに身体実感の裏付けがあるはずがない。でも、言葉だけは覚えさせられる。それによって、自分自身の貧しい経験や身体実感では説明できないような「他者の身体」、「他者の感覚」、「他者の思念」のためのスペースが自分の中にむりやりこじ開けられる。そして、成長してゆくうちに、その「スペース」にひとつずつ自分自身の生々しい身体実感、自分の血と汗がしみこんだ思いが堆積してゆく。


おれはかねがね「会社は学校じゃねーんだから」と嘆いているわけだが、そこには2つの切望がある。ひとつは、目的への因果がないところで個人を縛るなってことであり、だから縛られることに身をゆだねるな、縛られることを期待するなって話。もうひとつは、仕事は正解が用意されているカリキュラムじゃないんだから、自分で正解の土俵を作れ、ってこと。
いずれの願いも、つまりは、オープンエンド(解が複数あり,多様な考え方ができる)なんだから自分の頭と身体で底まで考えてデシジョンできる技能を習得してください、ってことなんだけれど、なぜこれが「学校じゃねー」かというと、やっぱり学校教育というものが、そういった鍛錬とは真逆のところにあるという偏見に囚われているからなんだろう。
しかし、言うまでもなく、その思いこみは、本質的に正しい教育に対する大いなる誤解である。正しい学校教育は、仕事にも益する。

内田樹は、規格化・標準化をめざす功利的なものは正しい教育ではないと伝導し続けていて、一読すると「仕事に役立つような学校教育はろくなものではない」とも読める。というか、具体的にそのような提言をしている。しかし誤解してはならない。彼の意見は、あくまでも「仕事に“役立つように計算された見通しの明解な”学校教育はろくなものではない」ということであり、仕事に役立つことを否定しているわけではない。

これは、目的が明示的なものは教育ではない、ということであり、裏返せば「目的を考える力をつける」ことが教育であるということだ。もう少し突っ込んで「さまざまな関係性(無論、他者との関係)において合意を目指す目的(ビジョン)を設定し、伝達できる力をつける」ことが教育である、というところまで解釈を広げたい。

目的とかビジョンなんて書くと話が大きくみえるが、毎日の仕事は、小さい目的の提示と実行の繰り返しだ。正しい目的が設定できれば、つまり正しい問いをたてることができれば、会議も、打ち合わせも、企画も、プレゼンテーションも、交渉もうまくいく。少なくともそんなに間違ったところには落ちない。おれが「会社は学校じゃねーんだから」という言葉を借りて言いたかったのは、きっとこういうことなんだろう。

ただ、これが「目的合理主義とはちょっと違うんだよなあ……」、ということを説明するためには、もう少し言葉が必要だ。他己的に自律的に目的が考えられたらあとは非合理だってなんだっていい自分にフィットするやり方で自由にやっていいよ、ってことなんだけど、そんな話になってないよなあ。

◎コンテンツ・マーケティングについて考えてみた。(2)

2011-08-27 13:38:45 | ◎業
博報堂の『「自分ごと」だと人は動く』の「広告は「関係価値」を創る」というコラムには、以下のような記述がある。

「商品やサービスの価格や仕様、効果効能などのようなカタログスペック的な情報を、さも格好よく「言い換える」ことが広告の役割だ、と思われているとしたら、それは大きな誤解です。
(……)広告が果たす役割は「カタログやスペックだけではいい表せない意味」をシンプルにロジカルに抽出することです。つまり「この商品・サービスが生活者にとってどのような魅力的な意味をもつのか」を説明すること。商品・サービスと生活者の間に築かれる新しい「関係」をきちんと定義してみることになります。」

なんともきわめてまっとうな「広告」の定義だ。こんなファインなデファインが、彼らの言うところの「クリエイティブ」を通した瞬間に、ときにオマエモナーといさめたくなるようにアウトプットされる、そのからくりを知りたいもんだ。

いや、じつはわかっていて、ようは、[1]なんだかんだいっても一発マスやタレントに結びつけないとみんなが困る [2]商品情報・見込客情報を丹念に拾っていくなんて労働集約的な作業は超めんどくせー ってことなんだと思う。

しかしよく考えてみよう。[1]にしても[2]しても、そんなのエージェンシーの社内事情であって、逆の立場、つまりクライアントにとってみれば、看過できない最優先課題のはずだ。彼らは、[1]マスを使わずに効果的な情報発信はできないものかと日夜頭を抱えているし、[2]商品情報や見込客情報という生命線の組み合わせつまり「関係」について始終考えることが仕事だ。ここをスポイルして、「売る」ためのクリエイティブは実現しない。

このあたりが、コンテツ・マーケティングの精神世界だな。精神世界のことばかり言っててもしようがないけれど、いちおう言っとく。やっぱり、スモール・エージェンシーの仕事なんだよな。

もちろん、一発マスとタレントが必要で、商品情報と見込客情報の関係を雑駁に考えていい商品・戦略・施策もあるわけだから、そこにはコンテツ・マーケティングはあまり必要ないっす。いやホントは、そんな商品も戦略も施策もないんだけどね。いや?あるか?これは、いまの強靭すぎる流通(小売)とメーカーとそこで売られる商品種類によって整理できるね。

コンテンツ・マーケティングについて考えてみた。

2011-08-26 00:57:17 | ◎業
「コンテンツ・マーケティング」というナゾの言葉を自分の声でよどみなく語るためには、正しくわかりやすい概念化と構造化、そしてリフレクションがまだまだ足りない。だから、思いついたときに行き当たりばったりにまとめていくことにする。

最初にはっきりしておきたいのは、「コンテンツ・マーケティング」が言うところの「コンテンツ」と、日本で理解されているコンテンツとはまったく違うということだ。一般的には、コンテンツといえば、エンターテイメントであったり、リッチといった修飾語がついたりして、娯楽性という理解が濃厚なわけだけれど、コンテンツ・マーケティングにおいて意味されているのは、純粋にシンプルに「情報の中身」ということになる。少し補助線を走らせるとすれば、「マーケティングにおいて必要な情報の中身」という考え方になる。

そんなわけだから、米国でちょっとめばえつつあるコンテンツ・マーケティングは、いまはまだ、なかなか正しく翻訳輸入されていない。勘違いはもとより、ネーミングがたいそうなだけに、マーケティングのパラダイムを変えていくような思想のように受け止められそうだが、アメリカで語られている限りにおいては、じつはイノベーティブな概念でもなんでもなく、いち手法・テクニックにすぎない。もちろん、そんなに難しい話でもない。

ようは、マスメディア(paid media)がダメダメになってきて、それと入れ替わる形で自社メディア(owned media)の媒体としての自由度・価値が高まるなか、同じように、コンテンツ(情報の中身)も、質や量の制約なく自社ですみずみまでコントロールしていくべきなんじゃね?というのがそもそもの発想のスタート地点だろう。

わかりやすい例をあげるなら、ここ数年P&Gが力を入れだしている、自社編集発行の雑誌のようなものだ。

◎Ad Innovator: P&G、ビューティ雑誌Rougeをアメリカで発刊

日本でオルビスとかフェリシモとかがやっている通販カタログとどう違うん?といったところかもしれないが、「いやいやこっちは雑誌ですぜ」と言い切ってしまうところがPGであり、アメリカンではある。ただし言い切ってしまうだけの裏付けもあるんだろう。たとえば以下のような心根に違いない。

本来的には、「商品」には売るために語るべきコンテンツが山ほどあるはずなのに、ペイドメディアのフレームやコスト、ときには慣行のなかで言いたいことが満足にいえない。多様で大量の商品が、検索され比較されシェアされる世界において、情報がないこと、少ないことは致命的な弱みとなる。フラッシュ的(?)なメッセージだけに反応するようなコンシューマーは減ってきたし、そもそもそんな消費者は見込客ではない。とりわけ、検討において商品関与度の高い耐久消費財やサービスならなおさらだ。企業の哲学を対話することでロング・エンゲージメントを築いていくことこそが大切だ、なんて言われ始めたりもしていて、ていねいに言葉を費やし伝えることは、企業の存亡を左右する世の中になってきた。真の見込客に対して、コンテンツの量と質の制約を開放すべきときが来たのではないか。いまこそ、われわれ(企業)がコンテンツ・メーカーになろうじゃないか!って感じ。

つまり、多角的なマーケティングコンテンツをたっぷりと作成し、もっとも費用対効果(リーチ~アクション)の高いメディアを好きなように選択し(その選択をコレクトしながら)、「売るための」コミュニケーションを実行していく。いってしまえば、マーケティングにおいて、ごくあたり前のことが、無限のアーカイブ宇宙を前にして、そしてなんだってできるテクノロジーを前にして、ようやくマジメに議論できるようになった。そのひとつの手法がコンテンツ・マーケティングなんだ、ということになる。

こういったことを整理してみると、手法とはいったもののきわめて「重要な」手法である、とも言える。その正しさを(日本の)企業に理解してもらうために、一過性のテクニックに終わらせてはいけない。マーケティング・コミュニケーションの戦略としてこれを再概念化していく必要がある。必ずしも正しいとは言えない現在の日本のMCを正常化させるための重要なミッションでもある。

というわけで、米国での考え方を敷衍しながら、ときには勝手解釈しながら、日本でも通用するオリジナティをふりかけてみたコンテンツ・マーケティングを概念化・構造化していくスタディがこの文章ということになる。さあ、始めるよ。

説明構造的には、コンテンツ・マーケティングを構成する重要な要素は、「Content-Relevancy-Story」と言われている。Content、Storyについては、ひとまず字義どおりに理解すればいいけれど、「Relevancy」だけはニュアンスがつかみにくい。手始めに、これについての概念化・構造化にトライしてみよう。

Relevancy(もしくはRelevant)は、コンテンツ・マーケティングを定義するときにかならず用いられるワードである。たとえば、以下はCMIの定義。

Content marketing is a marketing technique of creating and distributing relevant and valuable content to attract, acquire, and engage a clearly defined and understood target audience - with the objective of driving profitable customer action.

もちろんこれを、「適切で価値のあるコンテンツ」と理解しても問題はないと思うが、どうもしっくりこない。「そんなの当たり前のことじゃん」と問われれば返す言葉もない。
そもそも、“Relevancy”“Relevant”は「関連性、適切さ、妥当性、今日の重大な社会問題との関連、検索能力」などの意味なので、「(あなたと)関係のある価値あるコンテンツ」という考え方が近いと思えるが、ここはもう一歩踏み込みたいところでもある。

そう、ぴったりの言葉がある。これだ。「自分ごと」。「自分ごとのコンテンツ」と定義すればずいぶん見通しがクリアになる。

「自分ごと」は、言うまでもなく博報堂とともに電通までもが、新しいMCの概念として提起しているワードであり、これまた言うまでもなく「ほとんどの情報がスルーされる中で、受け取ってもらえる情報は、生活者が「自分ごと」と思われる情報である」といったような解釈をされている。

企業が販売促進のために提供するコンテンツは、なんだかんだ言っても、生活者の要求・欲望・知識欲にこたえる「自分ごと」として読んでもらえなければ意味がない。触れていくうちに自分の関心ごとであると感じられるように構成されていなければ、そもそも大量のコンテンツを最後まで読み通してもらえない。そのためには、ターゲット・オーディエンスを知悉しておくことが必要になる。これが、Relevantのキモだ。知悉すべきことは、心理・思考・欲望・価値観にまでおよぶ。もはや、デモグラフィックな統計的な理解では追いつかない。「憑依」ともいえるカスタマー・インサイトが必要になる。畢竟、超細分化(マイクロターゲット)の話とも通底する。

憑依、知悉したうえで「商品・サービスと生活者の間に築かれる新しい「関係」。この関係の定義が的を射ており、かつ正しく表現されていれば、生活者から「それ欲しい!」の反応が帰って(※)」くる。

ここで再び「関係」という本来の意味に戻る。「生活者のウオンツの構造」と、「商品・サービスのベネフィット構造」。このふたつが絡みあう「関係」をどう見抜くか。これが、「relevance」の本懐であり、うまくいかなければ届くものも届かない。と、考えれば、コンテンツ・マーケティング全体に影響するキーファクターともいえ、「relevance」こそがコンテンツ・マーケティングの核心になる。

とかなんとか偉そうに描いたけど、このターゲット・オーディエンスの「自分ごとインサイト」を見抜くことは、かんたんな話ではない。そこには、システムといえるようなノウハウはない。

しかし、手順はある。コンシューマー、カスタマーにまつわるファクトをできる限り多く集め、丹念に構造化し、あとは人間理解で仮説を積み重ねる。そんな愚直な手順でよいならなんとか解説できるかもしれない。もし時間が確保できれば、次はこのrelevanceの手順について考えてみよう。あ、そのまえに、content と story の定義か。

※『「自分ごと」だと人は動く』(博報堂DYグループエンゲージメント研究会)

◎創造的緊張(クリエイティブ・テンション)について。

2011-08-16 19:42:55 | ◎業
『学習する組織』第8章自己マスタリーより引用。

●ビジョン(私たちがありたい姿)と今の現実(ありたい姿に対する現在地)のはっきりしたイメージを対置させたときに「創造的緊張」(クリエイティブ・テンション)と呼ばれるものが生まれる。創造的緊張は、ビジョンと現実を結びつける力であり、解決を求めて自然に引っ張り合う力が働くことで生まれてくる。自己マスタリーの本質は、自分の人生においてこの創造的緊張をどう生み出し、どう維持するかを学習することだ。

●ここで述べている「学習」というのは、知識を増やすという意味ではなく、人生で本当に望んでいる結果を出す能力を伸ばすという意味だ。それは生涯つづく生成的学習である。学習する組織はあらゆる階層でそれを実践する人がいなければ成り立たない。

●高度な自己マスタリーに達した人には共通の基本的な特徴がある。(……)「今の現実」を敵ではなく味方とみなす。変化の力に抵抗するのではなく、変化の力を感じとり、それと手を組んで仕事をするにはどうすればよいかをすでに学んでいる。また、探究心が旺盛で、絶えず現実をますます正確に見つめようと努力を惜しまない。他社や生命そのものとつながっていると感じている。それでいて独自性はまったく失わない。自分はもっと大きな創造プロセスの一部であり、そのプロセスには影響を及ぼすことはできても、一方的にコントロールすることはできないと感じている。

●創造的緊張に熟達すれば、「失敗」に対する見方も一変する。失敗とは単なる不足、ビジョンと今の現実の間に乖離があることを示すものにすぎない。失敗は学びのチャンスでもある――現実の把握が不正確であることについて、期待したほどうまくいかなかった戦略について、ビジョンの明瞭さについて学ぶチャンスなのだ。

●「失敗とは、その最大限のメリットがまだ強みに転じていない出来事のことである。」(ポラロイド社エドウィン・ランド)

●創造的緊張に熟達すれば、粘り強やさや忍耐力がつく。

●創造的緊張に熟達すれば、現実に向き合う心構え全体が根本的に変わってくる。今の現実は敵ではなく味方になる。強い洞察力で今の現実を正確に把握することは、ビジョンをはっきりさせることと同じぐらい重要だ。残念ながら、ほとんどの人に、今の現実の認識にバイアスをかけてしまう習慣がある。

●「本当に創造的な人は、創造とはすべて、制約がある中で仕事をすることによって成就することを知る。制約がなければ創造もない」(ロバート・フリッツ)

●意識していない構造は私たちを囚われの身のままにする。いったん構造に気づき、それに名前をつけてしまえば、その構造はもはや私たちに対し同じ支配力をもたなくなる。

もうワナビーは勘弁してよ、と感じることも多いけれど、ワナビーじたいを咎める必要はなく、ようは、そのワナビーのソリューション、ここで言うところの「創造的緊張(クリエイティブ・テンション)」を体得することが大切だということがよくわかる。
とりわけ「創造的緊張に熟達すれば、粘り強やさや忍耐力がつく。」という発見は重要なので、拡大的な解釈をしたい概念でもある。なんつーか、一定のテンションを低下させることなく「文化的知的雪かき」のような細かい思考を丹念に積み重ねていけるタレント、そしてそこから導きだされた「解」こそを讃えたい。

◎用語解説:ふたつのエンジン

2011-02-08 20:04:06 | ◎業
【わかる-ねばるエンジン】
言うまでもなく、理解するために思考をフル回転させて粘るための原動機。
わからないというのは、やはりどこかで「わかろうとすることをあきらめた瞬間」があるわけで、思考の鍛錬のためにはその「瞬間」をできるだけ先延ばしする努力が必要だ。
そこまでのプロセスが熟成されていないと(完全に煮詰まっていないと)、わからなかった知識は人に訊いてもいっさい自分のものにはならない。もちろん、粘り方にもテクニックがあるわけだが、それは場合によっては、次の用語に関係するのかもしれない。

【とらわれ-みかぎりエンジン】
とらわれない心(頭)をもって、自分のアイデアや思考の枠組みに拘泥しないこと、つまり自分の方法を潔く捨て見限るための原動機。
なんだか般若心経みたいではあるけれど、クリエイターやクリティカルシンカーにとって重要な素質。ダメなものはダメなんだからあきらめて明るく発想を切り替える。同じところをグルグルまわって凝縮していくのではなくその循環から抜け出すため、視座を高くあげてみる、別のテーブルを探してみる、テーブルを裏から見てみる。そんな思考のスイッチだ。
同じ場所でいつまで「粘って」も出てくるのは同じ答えでしかない。そんな迷走から私たちを救ってくれる便利なツールがフレームワークと言われるものだ。これは、言ってみれば、強制的に上から見させる、別のテーブルを探させるための枠組みと考えればいい。けっして企画書を賢く見せるためのツールではなく、自分の考えを他人が作った、他人の思考法に当てはめてみながら拡散-凝縮させるための地図である。フレームワークを発動させること=エンジンをかけること、かもしれない。

エンジンのネーミングがいまいちなんで考えなおしてみます。

◎『ツァラトゥストラ』を昇格課題図書に。

2011-02-04 21:05:47 | ◎業
『ツァラトゥストラ』を昇格課題図書に、というのはあながち冗談ではないんですよね。僕自身が『ツァラトゥストラ』を読みきれているのか、という問題は棚にあげておくとして、たとえ読みきれなくてもこういった「世界の考え方」が存在するということを知るだけでも意義があるのではないか、という提言です。

そういった意味では『ツァラトゥストラ』と特定しているわけではなくフーコーでも切手でも郵便でもいいわけだし、コミュニケーションと表現を生業とする仕事に限った話ではある。

たとえば、『ツァラトゥストラ』とすれば、雑駁ではあるけれどいくつかその効能について列挙してみると……。
●いまの日本のマスメディア(とくにテレビ)では、あまり目のすることのない、「考え方の枠組み」がある。
●いまの日本のマスメディア(とくにテレビ)では、あまり目のすることのない、「言葉の使い方」がある。
●「悟性⇒感性の飛躍」サンプルがある。
●受動的で画一的に行動する大衆、という存在を客体としても主体としても見る目と心が涵養できる。
●「自らの意思、価値観をもつこと」の重要性と、「意思、価値観」を明示し消すことにより見えてくる他者との距離感がわかる。
●人生の無意味さとの折り合いのつけ方がわかる。
●人生の絶望と希望がある。
●複雑と混乱に光を与える箴言、と捉えるだけでも行動を変えるヒントになる。
●パニックを片付ける論理的で合理的な順番についてノウハウが身につく。

ざっとこんなところ。いちばん最後はちょっとあやしいか。いずれにしても本質が理解できなくとも、「あれ?こんな言葉や思考のフレーム、初めて聞くなあ」ぐらいの感覚はもてるんじゃないだろうか。

これが仕事に役立つんですか?と目くじら立てて問われると、役に立つと思っているんだけどなあ、僕が目指している仕事のあり方ということに限れば……いやまあセミナーとかよりは……ということになる。おもに対話の幅のつけ方。さらに、暴力と罠と掠奪の見抜き方。ユーモア。すらすら頭に入ってこないことを解読しようとするときの持久力。危機を乗り越える冷静さ。全体観、関係性への執着。

だから別に『ねじまき鳥クロニクル』でもいいわけだが、つまり『ねじまき鳥クロニクル』でなければならないということでもあり、言うまでもなくそこで感じて欲しいのは、歴史の延長時にいまここがあるとか、暴力とか他者の定義とかそんなような話になる。
つまり、ソーシャルとか、コンテンツとかコンセプトとかコミュニケーションとかいう以上は、それらを成り立たしている大元のところについての関心が必要じゃないか、大海をうまく渡っていくための世の中のからくりについて自分の考えをもっておく必要があるんじゃないかという話。もちろん、学校じゃないんで採点なんかしません。経験と内験だけでオッケー、昇格決定。

つーか、物知りと話していたら楽しいでしょ、テレビの話されても困るよねって話かもしれないな。

◎強いヘッドライン。

2009-11-29 13:30:58 | ◎業
『プロ広告作法 Breakthrough advertising』(1967)でユージン・シュワルツが主張する「基本アイデア決定後のヘッドライン強化策38側」。結局のところ広告でもっとも効くのはこういうヘッドラインであって、それはあくまで広告は広告だからである。
サンプルとしてあげられているコピーは年代的に、法規的に、またほんとうに最適な例か?といった点で、かなり微妙なものも多いため、現在版の例を作成する必要はあるし、主張される「型」じたいももう少し構造化が必要だけれども、当座をしのぐチェックリストとしてはじゅうぶんに有効だろう。



[01]主張の大きさを測ってみせよう。
▶「わたしは29kgもやせました」
▶「たった一株から、17000ものバラの花が咲くときいた方がありますか?」

[02]主張のスピードを測ってみせよう。
▶「早く気分がよくなります!」
▶「たった2秒で、コップの中で解け始めるバイエル・アスピリン」

[03]主張を比較せよ。
▶「6倍も早く洗えます!」
▶「同クラスの低価格車よりも、300ドル安い!」

[04]主張を比喩で語明しよう。(ママ)
▶「ウオノメが消える?」
▶「みにくい脂肪を、溶かして流せ!」

[05]目指す買い手に感じさせよう。香りをかがせよう。さわらせよう。見せよう・きかせよう。そうして主張を鋭くしよう。
▶「たったいま、摘んだのと同じ味!」
▶「触れたいほどのお肌なの!」

[06]主張を証明するのに、いちばんよい例を示そう。
▶「ジェイク・ラコッタ選手(160ポンドのボクサー)でも“モノ紙コップ”をぺしゃんこにはできません。(ママ)」
▶「時速90キロ。ロールスロイスの車内で、いちばん高い音は、電気時計が時をきざむ音です!」

[07]主張か、またはその成果を、劇的に表現せよ。
▶「思いがけぬ金が50ドルだよ、グレース。ぼくには、大金のはいる道が開けそうなんだ!」
▶「わたしがピアノの前に腰を下ろすと、みんな笑いました。しかし、わたしが弾きはじめると……。」

[08]逆説として、主張を述べよう。
▶「はげ頭の理容師が、どうして、わたしの髪を救ってくれたか!」
▶「競争(レース)に勝つには、負かす相手(ルーザー)を選べ!」

[09]主張から、限界を取り除こう。
▶「手術をせずに、痔がちぢむ。」
▶「レウィットをお使いになれば、あなたの息からいやな臭いが消えます。」

[10]見込客が同一視されたいと願う価値か、または人物に主張を結びつけよ。
▶「ミッキー・マントル選手いわく、キャメルは、ぼくのノドを荒らさない!」
▶「室内装飾家10人のうち9人までが、長持ちするおとくなワンダ織りカーペットをお使いになります!」

[11]主張が、どれだけの仕事をやってのけるか、くわしく示せ。
▶「いまや、5つの酸が起こす胃病が-数秒で-楽になります!」
▶「7つの鼻腔の充血が、たちまち、楽になる!」

[12]主張を、質問のかたちで述べよう。
▶「ごしごしやらずに、もっと白く洗いたいとお望みですか?」
▶「臨時収入として、毎週25ドルお使いになりませんか?」

[13]どうすれば主張を達成できるかについての知識を提示せよ。
▶「友を獲得し、人を動かすには。」
▶「ニキビを早く取る方法があります!」

[14]主張に権威を結びつけよう。
▶「修理工のボスが、どうやってエンジンの修理費伝票をまわされないですむのかコツを教えてくれました!」
▶「医者が気分の悪いとき、処方する薬がこれです!」

[15]主張を「事前事後(ビフォア-アフター)」式にせよ。
▶「コルデーンをのむ前は、こどもは、カゼをひくと、頭がずきずき、鼻がぐずぐず、のどがぜいぜい、鼻水ぽたぽた、せきがこんこん、泣いてわあわあ、げえげえ、たんがからんで、治るのに5日もかかりました。」
▶「コルデーンをのむと、5日以内にかるく治ってしまいます。」

[16]主張の新しさ(ニュース)を強調せよ。
▶「お知らせ!ミサイル型スパークプラグ!」
▶「只今発売!熱、電気、機械不要のクロームプレート!」

[17]主張の独占性を強調せよ。
▶「当店のみ!ペルシャ産子羊毛皮が、385ドル40セント!」
▶「グリーム歯磨だけが、一度磨けば、1日歯をキレイにするGL-11含有!」

[18]主張を、読者への挑戦(チャレンジ)にかえよ。
▶「双生児のうち、どちらがトニーを使っているのでしょう?どちらが、15ドルのパーマをかけているのでしょう?」
▶「染めてるか、染めていないか?あまり自然に染めあがっているので、かかりつけの美容師さんにしかわかりません。」

[19]主張を、実例紹介(ケースヒストリー)のかたちで述べよ。
▶「ごらん、ママ!ムシ歯がないでしょ!」
▶「信じていただけましょうか-わたしはカゼをひいているのです!」

[20]主張を圧縮せよ。-君の製品と、それがとって変わろうとする他製品とを、いれかえてみよう。
▶「新発売!チューブにはいった、ピストンリング!?」
▶「注げば、新エンジンが誕生します!」

[21]主張を象徴化せよ。主張をストレートに説明したり比べたりする代わりに、同じような現実性(リアリティ)を持つもので置きかえよう。
▶「来週の火曜から、大西洋は、距離にしてわずか1/5に短縮!」

[22]機構説明(メカニズム)と主張をヘッドラインでつなごう。
▶「あなたのからだから、脂肪を流しだしましょう。」
▶「あまったガソリン蒸気を、エンジンにまた送り返そう!」

[23]機構(メカニズム)の働きについて読者の持つ既成概念に反対をとなえ、かれをハッとさせよ。
▶「<君の手で、ボールを思いきりたたけ!>と、トニー・アーマーはいうのです。」

[24]ヘッドラインの中で、必要性(ニーズ)と主張を結び合わせよ。(ママ)
▶「広告の問題には、たったひとつの解決法しかありません。適任者を探せ!」

[25]広告それ自体の中にも、役に立つ知識を提供せよ。
▶「なぜ、男はガクッとくるか?……」
▶「株や証券について、だれもが知らねばならない知識!」

[26]主張や必要性(ニード)を、実例にかえて示せ。
▶「とうとう結婚しなかったメグ叔母さん。」
▶「また、彼女は同じものをオズオズと注文します。-“チキンサラダでいいわ”。」

[27]問題か必要性(ニード)に名前をつけよ。
「昼間疲れ(daytime fatigue)でお疲れのときには、アルカ・ゼルツァーをお飲みください。」

[28]もし読者が商品を使わない場合、考えられる恐ろしい落とし穴について警告を発しよう。
▶「このガイドブックを読むまでは、あなたが苦労して手にされたお金をビタ一文でも投資なさってはいけません。」

[29]主張を二つの文に割ったり、反復したり、ことば使い(phraseology)で主張を強調しよう。
▶「あなたが頼れる男!それはクロパーマンです!」
▶「どこのどの店でも、ギンベルより安い意お店はありません!」

[30]だれにでも克服できる制約を課して、主張がどんなにかんたんに達成できるかを示せ。
▶「あなたが11枚まで数えられるのなら、計算の速度を増し、数に強くなれるのです!」

[31]ヘッドラインで、差異を説明せよ。
▶「特製ガソリンの違うところは、ずばり添加剤にあります。」

[32]これまでの欠陥がすでに解消したことを知らせて、読者を驚かせよ。
▶「あなたが、ハートマンかばんをふんづけたらどうなると思いますか?」

[33]君の商品が買えない人たちに向かっても語りかけよう。
▶「もう休暇を取っておしまいになったのなら、お読みになってはいけません!この話は、あなたを残念がらせるだけでしょう。」

[34]君の目指す買い手に、直接、語りかけよう。
▶「自分の会社の社長にならなければ、気のすまない人に。」

[35]主張のタネをつくるのは、どんなにむずかしいかを、ドラマチックに述べよう。
▶「イェンズが、このローソクたてをデザインしおえると、私たちは、まったく新しい種類のローソクをそのために発明しなければなりませんでした。」

[36]主張がすばらしすぎるといって、非難してみよう。
▶「こんなにかんたんにお金が儲かって、罰が当たらないものでしょうか?」

[37]買い手のせまい考え方に挑戦しよう。
▶「あなたは、ご自分でお考えより2倍も頭がよいのです。」

[38]主張を「問い」と「答え」の形式に変えよう。
▶「あなたはボンネットの下はどうなっているかごぞんじない。お車が快適に走っているうちは、それでもよいでしょう。でも万一、車の調子が悪くなれば、だれがあなたのお世話をすればよいのでしょうか?……ユナイテッド・デルコです。」

◎コピーライティングとビジネス・インサイト。

2009-05-10 15:35:01 | ◎業
◎Business Media 誠:郷好文の"うふふ"マーケティング:
"カタログ語"から抜け出そう――商品紹介の秘けつとは


文房具ECサイト「スミ利文具店」の藤井稔也氏のコピーライティングについての思想をまとめた記事だが、マーケティング・コピーの本質をついていてすばらしい(もちろん「スミ利文具店」の扱い商材のスタンスも文房具好きにはたまらない)。

●1個1575円のインキの商品紹介の文字数、実に2900字以上に及ぶ。
●写真撮影も「自分が消費者の立場ならこんな部分が見たい」と思う部分を掲載
●「メーカーのカタログは『品物を売るための文章』『買って欲しいための文章』『分かって欲しいための文章』ではなく、『カタログ掲載という仕事をこなすための文章』になっているものが非常に多い」
●文具のようなコアな衝動買い商品は、読みたい人は重箱の隅まで読み抜く。
●当事者ならではの真剣なメッセージを伝える
●語れない根本原因は"主語が自分じゃない"から。その商品の真ん中にあることを見抜けるか見抜けないか

「カタログ掲載という仕事をこなすための文章」になっていないか?という指摘は名言だ。さまざまな制約条件があるのはわかるが、とくに抵抗も意識もせずに「カタログのため文章」を書いていることはないだろうか。聞きなれて手垢のついたような慣用コピーをそのままスライドさせていないだろうか。埋め草のように、過去のコピーをそれこそコピペしていないだろうか(しかしあれだな、コピペという言葉は書くだけで虫唾が走る最悪の略語だ)。

肝要なのは「当事者」意識だ。どれだけ対象に近づけるか。よく「憑依」という言い方をしているが、より正鵠を射ているのが石井淳蔵が『ビジネス・インサイト-創造の知とは何か』のなかで紹介しているポランニーのくだり、暗黙に認識のために「対象に内在する=棲み込む」という機制(というか思考)だ。



『ビジネス・インサイト』は、経営全体におけるイノベーションのためのインサイトについての論考であり、そういった意味では、広告クリエイティブという局地戦について語っているわけではないので拡大解釈(?縮小解釈)になるし、以下で紹介するような「対象への棲み込み」という機制をとる目的は<眼前にある手がかりあるいは対象(つまり、近位項)に棲み込むという契機を経て、そこからその背後にある「意味のある全体」を見通す>ことなのでニュアンスは異なるが、それでも、マーケティング・コミュニケーションの有効化という観点でも充分に汎用的である。

(1)人に棲み込む
(2)知識に棲み込む(セオリーに棲み込む)
(3)事物に棲み込む

(1)(3)は、マーケティング・コピーライティングの構え・方法論としてはドンピシャだ。言うまでもなく「人に棲み込む」とは<その人の立場に立って、その人の気持ちになりきることである。その人の視線で、周囲の状況を見回してみる。その人が何に苦労し、何に楽しさを覚えているか理解できる>ことである。多かれ少なかれコピーライターはこの立場に立とうとするが、ようはどこまで自我を捨て利他的になれるか?それをファクト・ベースで徹底できるか?ということだろう。

ユーザーに喜んでもらいたいという気持ち(開発・生産)、売りたいという気持ち(販売員・営業パーソン)、一方で買いたいという気持ち、欲しいという気づきに、誠実に棲む。そのためには定性的・定量的な調査データを知悉することはもとより、凡庸だが固有の日常を疑似体験する必要がある。実際問題として疑似体験は難しいのだが、これは取材や各種メディア情報の量でカバーするほかはない(しかし、新聞の生活欄、WBS、ゆるい専門雑誌、商品レヴュー記事など疑似体験のための良質なソースはいくらでもある)。

「事物に棲み込む」は、同書においては<その事物が外からの目でもって何かと決めつけることなく、その事物のあらゆる可能性に考えを及ぼしてみることである>としているが、これはコピーライティングの作業においては、まさに「商品(製品)」に棲む、ということになる。

例として、あげられた「椅子」については、ただ座るだけのものではなく、電球を変える踏み台、ガラスを突き破るための道具……というように<その事物に即して新たな意味や可能性を見つけていくこと>とし、そうして列挙した可能性を前提として、さらに可能性を広げていくような難度の高いレベルの作業を行って初めて、「事物に棲み込む」ことになる、といった考え方だ。

開発者から提示された機能は、重要な拠り所として分解・分析するが、見込客のパースペクティブでより有効な機能を発見する、訴求ポイントをよりブレイクダウンしてみる。いちユーザーとして商品に棲み込むほどの愛着をもって、ということだ。

なお「知識に棲み込む」は、少しレイヤーが違うし、石井が言うような重い話でもないが、もしこれを「セオリー」と解釈するなら、コピーライティング、さらにマーケティング・プランニングにおいて重要な機制であることには違いない。つまり「型」「フレームワーク」。双方とも、きっと最初は使いにくい下敷きだと感じる人が多いかもしれないが、それはまだ棲み込めていないから、ということになる。

#
コピーライティングの話を端緒としたため仕方ないといえば仕方がないのだが、上記のような話は、じつは『ビジネス・インサイト』の意図を矮小化している。ほんとうに興味深いのは以下のようなポランニーの話や経営における偶有性のくだりだが、このあたりは腹に落ちてから発信してみたいと思う。いまはまだ、知識への棲みこみが足りないということだが、残念ながら時間がかかりそうだ。ポランニーの本を先に読んでしまうかもしれない。

<(ポランニーは)、暗黙の認識には、次の三つの機制があるとする(ポランニー二〇〇三)。
(1)問題を適切に認識する。
(2)その解決へ迫りつつあることを感知するみずからの感覚に依拠して、問題を追及する。
(3)最後に到達される発見について、いまだ定かならぬ暗示=含意(インプリケーション)を妥当に予期する。>

<この「暗黙の認識」の機制は……優れた経営者のビジネス・インサイト(あるいは創造的瞬間)のそれに似ている>

<(1)経営者やマーケターは、問題を認識し、その問題が「その問題自身の背後に潜んでいる構図」を指し示しているのを感じ取っていること。
(2)そのときにあっては精度の高い検証は行われるべくもないのだが、その「構図」の妥当性(正しさ)や確からしさについて、彼ら自身「確信」していること(だからそれに傾注できるのだ!)
(3)彼らが見通した「潜んでいる何か」は、たんなる空想や思いつきの産物ではなく、それが発見された以降において、経営的努力が傾注されるに見合う「価値ある何か」であることについて確信していること。>

◎Up-to-date me & you.

2009-04-21 22:45:50 | ◎業
■尊敬に値する。

部下のため、人のため、社会のため、とは言いながら、結局は自分のためのことしか考えていない人も多いこの世の中において、わたしが所属する小さい組織のメンバーは、全員といっていいくらい、組織のなかの自分以外の人たちのためについて考え、行動している。ということが、いまさらながらわかってきた。このことは尊敬に値する。高い敬意をもって讃えたい。
きっと彼らは、いやいや自分のことしか考えてないっすよ、というだろう。もちろん、ほんとうのところは私が知る由もないが、この慎みこそが、信頼の源泉だ。
人間である以上、自分を基点として、より近いものに優先順位がつけられるのはあたりまえのことで、そのことに抗うことはできない。意識、無意識を問わず、このダークサイドの存在を感じ、かつ畏れる人ほど、もっともらしいことを言わない、といえるかもしれない。
けっして狡猾ではないし、凡庸なんだろうけれど、このことを武器にする会社でありたい。Up-to-Date meにあたって、そんなことを考えた。

■武器、なんていうと物騒。

たしかに物騒だ。また「武器」であることを意識しだすとろくなことはない。よこしまな心は、さらによこしまな企てを上塗る。だから「戦略的にアピールせよ」というのとは少し違う。
ようは自然体のありのままに外部に接すればよいということだけれど、しかし、そんな弱いシグナルに気づいてくれる人は世の中にたくさんいるとは思えない。では、どうすれば、いま自分がやっていることの誠実さが、壁の高い他者に伝わるのか。その方法のひとつは、つねに偏執的ともいえる「深憂」をもつこと、その深憂を解消するために「かかわり」を徹底すること。いささか拍子抜けかもしれないが、答えはこれしかないような気がする。

■最悪の事態を心配せずにいられない。

そういうことだ。もう少しわかりやすく書くと「顧客が困っていないか、怒っていないか、送った書類が意向通りのものになっていたか、他社と新しい仕事を始めてはいないか、そんなようなことが心配で心配でしようがない。だから、とりあえず、なんやかんや用事を作って、電話してみたり、たとえわずかであっても時間をもらって訪問してみる」ということになる。そういった対話を繰り返し、コミットメント(かかわり)の機会を増やしていくことで、あなたがもっているパーソナリティは、きっと伝わっていく。逆に言えば、コミットメントすることでしか、キャラクターのもつ強みを伝えることはできない。

■まったくもってスマートではない?

確かにそうかもしれない。人によっては、俺はそんな気の小さい人間じゃない、情けない、と思うかもしれない。しかし、過去に数回行った耐久消費財の優秀営業マン調査では、確実にこの「心配性」というカテゴリーが発見できた。とりたてて交渉術・トークに長けたわけでもなく、知識が図抜けているわけではないけれど、顧客の心をつかみ優れた販売成績をあげている人たち。もちろん、「打ち解け力」「そもそも人好き」といった属人的な要素により支配される部分も大きいが、「極度に心配性」という負の性向が逆にプラスに作用している人たちがあきらかに存在する。曰く、「顧客と数日話していないだけで不安で夜も眠れない。だから、嫌がられない話材をひねりだし、できれば会えるような流れにもっていくために頻繁に連絡をとる」。なるほど、その気持ちはよくわかる。

■度合いはともかく誰にも潜在している性。

そう、こういうのは、多かれ少なかれだれもが感じる気がかりだ。そんな憂慮を、蛮勇をもって忘れてやり過ごすのか、ぐずぐず悩み続けるのか、それとも、とりあえずコマを動かさないことには何も解決しないと思い切るのか。斜に構えれば「動かさないほうが、いいときもある」なんて格好つけられそうだが、そんなので上手くいくのは、よほど高度で入り組んだ交渉の場合においてあるかないかぐらいの確率でしかない。動かしたほうがいいに決まっている。動かすことで、ダメダメになる可能性もなきにしもあらずだが、そんな失敗なら早めに学習しておいたほうがいい。たとえ細くても対話のルートさえつかんでいれば、いつでもリベンジできる。

■なんだか論理が飛躍している?

「慮る心」→「深憂」→「かかわり」と流れてきた。上手い具合に、言いくるめているような気もするが、なんとなく話はわかってもらえるだろう。そして、結局のところ、言いたかったのは「コミットメント」の大切さにつきる。言うまでもなく「コミットメント」は、「公約」でもある。とりあえず「声に出してみる」と流れはそっちに向かう。ちっちゃいプライドと我を捨てる巧いコミットメント、というものについて、思案してみるのもいいかもしれない。

◎部門目標

2009-01-19 00:40:31 | ◎業
2009年度の部門目標[※1]は、「知識デザインの具体化」です。「知識デザイン」については、ビジネスユニット内では、すでに、何度かお話させていただいたと思いますが、この「知識デザイン」を私たちの具体的なアイデンティティとして確立していく元年と位置づけたいと思います。

部内のメンバーには、繰り返しになりますが、「知識デザイン」とは、クライアント企業や商品のなかに複雑に重層的に蓄積されている知識を、よりわかりやすくエキサイティングにデザインしていく技術で、もちろんここでいうデザインとは、単なるグラフィックデザインだけを示すものではなく、いわゆるコミュニケーション設計とかストーリーといったものを含むデザインということになります[※2]。

これまでの日常の業務も、この「知識デザイン」に極めて近い方法で取り組んでもらえていると思いますが、ちょっとした矜持もって、自覚的に、わたしたちの仕事は、「企業の知識デザインをサポートすることである」さらには「私たち自身が知識デザイン企業である」ということを目指してしていただければと思います。

このことによって、[対外的]には、あらゆる情報の非対称をなくしていくことで、豊かで正しい消費活動に貢献する会社であることを明確にし、[対外的]には、むしろこちらのほうが重要かもしれませんが、個人個人の知的好奇心がそのまま仕事に直結するという喜びのある会社である、ということをひとつの理想として、これが実現できる流れを作っていきたいと思います。

もちろんビジョンだけでは、お金は儲かりませんので、この「知識デザイン」という考え方を具体的なビジネスとして私たちの利益の源泉としていくために、4つのアクションをキーワードとしてあげておきます。

まず、知識デザインというものを端的にあらわす[商品]が必要です。これについては、すでに現状の仕事のなかでその息吹といえるようなものが生まれていて、たいへん力強く感じています。それは、たとえば、「雑誌型の情報カタログ」であったり「情報を徹底して集積する教育・研修ツール」であったり「ユーザーコミュニティ型のWEBサイト」といった仕事なのですが、今年はそういったものをパッケージとしてメニュー化・体系化し、対外的にアピールできるような形として完成度を高めていければと思います。具体的な成功事例が、どうすればプロダクツになるのか、これについては、みなさんもぜひ考えてください。

ただし、[商品]は、言うまでもなく[サービス]との両輪です。私たちはあくまでも「サービス業」なんだ、ということをあらためて強く認識いただき、「ここまでやるか」のCS(顧客満足)を追求していきたいと思います。この[サービス]が2つ目のキーワードです。そういったコミュニケーション活動のなかで、クライアントからの「ああ、こいつとは話ができる」といった地道な評価をコツコツと積み上げていくことで、はじめて「商品」が認められ、仕事がうまれるし、積み上げていくことでしか私たちの仕事は拡がらないと思います。

もちろん、これは、「おもねる」とか「こびる」といったことではなく、あくまでも「知識提供のサービス」による顧客満足です。ときには相手に憑依するほどの慮りをもって、本質課題(オーダー)を先読みし、相手がイメージしていた以上の回答を提出していく。そういったことが、私たちのような仕事における顧客満足の理想ではありますが、ハードルはけっして低くはありません。情報の知悉に基づいた仮説力といった技術も必要になります。

ただし、キャリアを問わず、最低限の満足を提供できる方法はあります。それは、クライアント企業の商品情報、市場情報などの「ファクト」とりわけ「見込客」に対するファクトに対する関心と蓄積です。これさえしっかり確保できれば、キャリアを問わずクライアントに、満足を提供できる可能性が増えるはずです。少なくとも商品情報についてくどくどレクチャーする必要がないという、それだけでも満足度は数ポイントアップするのではないでしょうか。

そのために、重要になってくるのは、「学習」と「対話」です。「学習」については言うまでもありませんが、今年はもうひとつ「対話」の技術を学んでいってもらいたいと考えます。新しいアイデアや知恵は、他の人との「対話」からしか生まれない、といっても言いすぎではないと思います。社内はもとより、クライアントと正しく発展的な「対話」「議論」を積み重ねることによって、他者のすぐれた考えを引き出しつつ、その発想をとりこんで自分のふところを広げていく、といった「対話」の力、というものを自覚的に学んでいってもらえれば、と思います[※3]。どうすれば、相手の意見にうまくかぶせるかたちで自分の意見を配置でき、結果としてよりよいアイデアを導きだせるのか?ネガティブな思考停止状態に直面したとき、御茶らかしではない方法、愛想笑いではない方法で、会話を進行させるにはどうすればいいか。切迫的なやりとりを平和的に着地させるためにはどうすればいいのか[※4]。上司の状況適応技術などをしっかり観察しながら学んでいってください。

整理すると、「知識デザインの具体化」としての「商品」「サービス」、それを支える「学習」と「対話」の技術、これが、今年、みなさんと一緒に手に入れたい、と考えていることです。

今年は、よく言われるように、チェンジの年でもあり、チャンスの年でもあります。言われているだけはなく、実際にそうだと思います。しかし、なんのあてもないのに「チェンジ」、「チャンス」と虚勢をはってもまったく意味はありません。何を「チェンジ」してくのか、なにを「チャンス」としてくのか、みなさんそれぞれがクールに考えていただきたい。「知識デザイン」という考え方は、そのためヒントとなりえると思います。

一方で、当然のことですが厳しい状況に直面することも多くなってくるかもしれません。しかし、それはもう起こりえることとしてあらかじめ織り込んでいただき、状況の変化に一喜一憂することなく、しっかりと地に足をつけていただければと思います。

危機感をもって悲観的に考えつくし、楽観的に対処していく。これをひとつの行動原則としていただき、1年が終わった頃には、みなさんそれぞれが「チャンス」を捕まえ「チェンジ」できた、といえる年にしたいと思います。本年もよろしくお願いします。

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[※1]どちらかというとビジョンに近いのかもしれません。こういう話をオフィシャルにする機会はなかなかないので、あえて意図的にビジョンに近い話をさせてもらいました。なお、ここで言う「知識デザイン」とは紺野登のアイデアに触発されてはいますが、意味的には敷衍(拡大解釈)しており、彼の定義とは少し異なります。
[※2]さらに、もちろん、グラフィックデザインも重要です。構造のデザインとコンセプトのデザインは、ビジュアルと両輪です。相乗であり補完である。だから、ツールのサムネイルや企画書の制作はつねに、グラフィックデザインを意識しながら進めなければなりません。
[※3]もちろん、クレクレくんのための対話ではありません。ギブ&テイク。つまり、「だす→かぶせる」が基本、出しがいのある対話、かぶせがいのある対話を。
[※4]「あの人はああですから」という前に、ほんとうに正しく対話ができたのかどうか、いまいちど省みてください。コミュニケーションの決裂は、結果を問わず、敗北である、というぐらいの自省が必要です。

◎知的肺活量。

2009-01-18 13:47:24 | ◎業
『榊原式スピード思考術』の新聞広告。「自分の頭で考える50の方法」と題して、50のアフォリズムのようなものが紹介されていて、もうこれ見るだけで、本誌を読まなくても充分じゃないの、と思えるけれど、いままさにこのとき伝えたいと思うものがちょうど10コにまとめられたので、転載(詳細は、東京朝日1月18日掲載の広告)。

[01]何がわからないかを正確につかめ
[03]わからないことを調べろ
[05]自分で確認できないことは信じるな
[07]常に逆の立場で考える
[14]論理に感情をまじえるな
[21]知識はあればあるほどよい
[33]テレビは原則観ない、観たいものを決めろ
[42]連想をしろ
[43]あきらめるな
[50]考えて考えて、考えぬけ

とりわけ[05][07][43][50]だな。人から、入れろと与えられた情報をなんの議論も疑いもなく機械的にスライドして使うのは、もう絶対にやめたい。読み手や聞き手のことを考えない単眼的な資料は、どれだけ時間をかけてつくってもたんなる紙とインクにすぎない。がんばって考えて80%がた資料が完成したとしても、あとの20%、考えるのをあきらめてしまったおかげで、80%の努力が認められないことはおろか、10%の評価もあたえられないことだってある。知的根性、知的タフネス、内田・平川の言葉を借りれば知的肺活量。根性・タフネスといってしまうとノックアウトだが、肺活量ならトレーニングしだいでなんとかなる。

「テレビ」の話はちょっと微妙だが、ようは、今なんの目的で見ているのか、ということをつねに自覚しておくということだろう。情報収集、知的好奇心への刺激、リラックス、物語(ストーリー)の構成のヒント……。もちろん、これらのバランスも大切だが、なにより、そこでみたことをクリティカルに人に話すことができるのか(つまり、いい悪いはともかく自分の未来に向けてなんらかの形でストックされるべきものかどうか)、といったことがフィルターになるかもしれない。

◎忘れてもらっちゃこまる。

2008-11-08 23:37:11 | ◎業


近頃、ダイレクト・レスポンス広告のコピーが注目を集めているけれど、いまやマーケットプレイスで50,000円近くの値段がついているこの本も忘れてはならない。オグルビーの『「売る」広告』。まさに売る広告のための最強の教科書。ケープルズの『ザ・コピーライティング』(=『効く広告』)ですら、神田監修にもかかわらず賛否両論があるくらいだから、なかなか理解してもらえないのかもしれないが、モノが売れなければ企業は潰れる時代に、広告はエンターテイメントではない、というオグルビーの言葉に真摯に耳を傾けたい。

「ボディ・コピー:誰もボディ・コピーを、読まない」。これは本当だろうか、嘘だろうか?それは次の2つのこと次第だ。まず第1は広告されている商品に、どれだけ多くの人が興味を惹かれるか、ということである。多くの女性は、食料品についてのコピーは読むだろうが、葉巻についてのコピーを読むことはほとんどないだろう。第2に、どれだけ多くの人があなたのヘッドラインやイラストレーションの力で広告に引き込まれるか、ということである。
雑誌広告におけるボディ・コピーの平均的なリーダーシップは約5%である。これは大きな数字に思えないかもしれないが、「リーダーズ・ダイジェスト」誌の読者の5%と言えば、150万の男性あるいは女性に相当する。
しかし、読者をスタジアムに集まった群衆であるかのように扱ってはならない。人はあなたのコピーを読むときは個人個人なのだから。クライアントのために、彼ら1人1人に手紙を書いていると考えることだ。1人の人間として、他の1人の人間に手紙を書く--それは2人称単数である。」(P80)

「短いコピーか、長いコピーか?:私の経験によると、多くの製品について、長いコピーの方が短いコピーよりも、販売する力が大きい。
1.故ルイス・エンゲルは、メリル・リンチ社のために6,450語の広告を書いた。この広告は「ニューヨーク・タイムス」に1回掲載されただけで、1万のレスポンスがあった。しかも、クーポンなしで。
2.クロード・ホプキンスはシュリッツ・ビールの広告で、コピーをびっしり5ページも書いた。2,3ヶ月経つと、シュリッツは業界5位から№1にとなっていた。……」(P80)

この考え方は、もう通用しないのだろうか?
たとえば、コンサルと呼ばれるような人が、コミュニケーションやデザインについてまったくの門外漢にもかかわらず、したり顔でのたまうかもしれない。「長いコピーなんか消費者は読まない。だから、取っ払ってしまおう」と。

これは仕方のない話だ。なぜなら、彼はこの広告やカタログのターゲットでもないし、商品を買おうかやめようかあれこれ比較検討して悩んでいるわけではない。ましてや、開発に心血を注いだ当事者でもないし、使い勝手をなんとか伝えるために明日の売り場での説得トークに頭を痛めているわけでもない。もっというと、スペック一覧はどう作るかなんて考えたことはないだろうし、商品にそこまでの思い入れもない。そんな立ち位置なら、文章による情報は、紙面を汚すゴミにしかみえないのだろう。まあしようがない。

しかし、その商品を買いたいと思っている見込客は違う。目をさらのようにして、紙面に書かれた文字情報を読みとろうとするだろう。この商品を手にいれることでどんなふうに生活が便利になるのだろうか。評判はいいのだろうか。あれを選ばずに、これを選ぶことで損はしないだろうか。そういった逡巡にプラスとなるような情報をなんとか探したい。そんな構えで広告やカタログを見るのだ。

また、たとえどんな商品であれ、そこには企業の貴重な知識が、それも大量に蓄積されている。ほんとうにたくさんの人の思考と想いがこの1点に集中している。語るべきことは山ほどあるはずだし、開発者、技術者、生産者、営業マンにとってみれば、山ほど語ってほしいはずだ。企業はこのことを諦めてはならない。

モノを買うためには、モノを売るためには、もっともっと情報が必要だ。その情報の仲介にコピーライターとデザイナーは腐心しなければならない。長いコピーを、いかに退屈させないで読ませるか。いかにストレスのないデザインで読ませるか。

消費者は文字を読まない、というのはあまりにも消費者をバカにした勘違いだ。WEBページの現実、そこに大量の文字情報があふれているという現実を知らないんだ、と言われてもしかたがない。