考えるための道具箱

Thinking tool box

文芸評論2冊。

2005-06-22 23:21:42 | ◎読
きっついなあ。仕事。まじで。クォータリーなのに期末みたい。こんなときに、なんか書いたら駄文になるね。というか、ここ最近のエントリーはすべて、そもそも駄文の極みだわ。まさに「考えないための道具箱」。んなら書かなきゃいいんだけれど。

でも書いちゃいます。とりあえず本のこと。どんどんたまっていて、この3週間ぐらいのウィークデーは、じつに20分程度しか読む時間が与えられない。それもだいたい26時~27時の間の20分なので、小説でもない限りは、頭に入っていないことをかなり自覚している。指を本にはさんだまま、照明もつけっぱなしで、気が付いたら明け方、ということがしょっちゅうあるので、これは間違いないだろう。んなら買わなきゃいんだけれど。

でも、買っちゃうんですよね。まず『『悪霊』神になりたかった男』。このあいだも少し触れたけれど、かなりスリリングな謎解き(解釈)で、遅々と進まぬ読書環境のなかでも一気に読み終わることができた。言ってしまえば、神の光をいとも簡単に完全に無視してしまい、ドスト自身のなかにも潜在するペドファイル&マゾヒズムの快楽への受容と抵抗を、スタヴローギンとマトリョーシャの関係の中にみてしまう、という仮説。なんとも印象的なのは、事ののちスタヴローギンがマトリョーシャの耳元でささやく言葉の謎解きで、これは小説中では明らかにされないのだが、亀山郁夫は見事に推理してみせた。スタヴローギンというポリフォニーを的確に捉えた推論であり、いくらドストエフスキーが多面的な読み方を許すとしても、これはこれで決定稿ではないか、と思わせるくらいの蓋然性と迫力がある。

もちろんドストエフスキーはミステリーとしても読めるわけで、『『悪霊』神になりたかった男』は、そういった読みをおおいに許し、そのことで文学の愉しみ方の幅広さを伝授している。だからといって、『悪霊』じたいはカラマーゾフや罪と罰に比べて、読みやすいかといえばそんなことはまったくなく、新潮文庫の旧版の小さい活字は26時の読書ではいささかつらい。

同じように文学の「愉しみ」方を提示するのは『現代小説のレッスン』。まさに、冒頭から主題、正しい「エンタテイメント化」のスキルこそが、現代文学、そしてエクリチュールとしてこれからの文学を支える、と唱えている。「エンタテイメント化」という言葉からは大いなる誤解をまねきそうだが、ここは、いわゆるナラティブの「物語」と拮抗するために(=話し言葉の豊かさと拮抗するために)、活字媒体がもたざるを得なかった「言葉のさまざまな位相」をいかに平板にしないか、と理解すればいいと思う(もちろん、石川忠司の論はもっと深く多面的)。「言葉のさまざまな位相」とは、「物語」には存在しえなかった、「内省/内言」「思弁的考察」「描写」を示し、これによりテキスト(小説)は「物語」とは異なる土俵で、豊かさにはなった。しかし、いっぽうでこれらのフェイズは、「物語」の進行を妨害する力をも内在し、ともすれば「かったるさ」を生んでしまう原因にもなる。同じフェイズを表現しながらも、この「かったるさ」を消去するスキルこそが、有効な現代文学の要諦だという論である。

思い起こせば、いまの小説はどんなもんかなあ、どれどれと店にならぶ文芸誌を読んでみたら、あまりのくだらなさに、「これならおれが書いたほうがおもしろい」、と立ち上がった宮本輝の頃に比べ、現代文学の幅は格段にひろがっている。自宅でどっさり発見された90年代前半の文芸誌のバックナンバーをみてみると、まだまだ「かったるい」ラインアップがとり揃えられているのだが、こと後半以降は『現代小説のレッスン』であげられているような作家たちの本質的な活動により、ここでいう「エンタテイメント化」のスキルはずいぶん向上しているようにみえる。村上龍の作品において延々と書き紡がれる「描写」に飽きることはないし、保坂和志の惑い折れ曲がり遅滞し結論を回避するかのような「思弁的考察」に同調していることはよくあるし、同じ「内言」だって舞城の四郎のようなドライブ感のあるものならぐんぐん愉しめる。もちろん町田康だって愉しめる。

こういったケースを見ると、石川忠司の仮説は納得性が高い。気になるのは小説のめざすところを「ストレートな痛快さ、明朗な喜び、しみじみとした深さなどを、活字媒体においてもふたたび」と、いわゆる「エンタテイメント」に帰着させようとするかのような表現で、とりたてて読後が「ストレートでもなく、痛快でもなく、明朗でもなく、喜びもなく、しみじみとしていなくても」なにか「問い」があればよいのではないか、と思うのだが、そうなると、やっぱり物語に負けてしまうのか。でもそもそも勝つ、負けるってなんだ?
ほとんど序章程度しか読んでいないのに、よくもまあこんなに偉そうなことがかけるなあと、われながら恥ずかしい限りなんだけれど、つまりは本論にもの凄く期待が高まっている、ということで、この続きは25時ぐらいに終業できそうな時期がきたら書いてみたい。

あ、いかんいかんマジな文章になってら。あと『声と現象』なんかも買ってんだけど、こいつはちょっと時間がかかりそうだね。20分しか時間がなかったら、毎日10行くらいしか読み進められないだろうなあ。そうこうしているうちに『小説の自由』とかまたぞろややこしい「思弁的考察」の本もでるし。そういえば、保坂と小島信夫との対談、まだ席あるかなあ。ともかく、仕事の効率をあげていこう!



Musical Baton。

2005-06-16 23:46:39 | ◎聴
id:ishmaelさんから、Musical Batonをいただきました。見てみると「id:なし」は、僕だけなので、そろそろ、マジでこちらの市民への帰化を考えつつ、せっかくいただいた時間を愉しみたいと思います。ishmaelさん、こんなことでもない限り書き出せないBLOGを書くトリガーをいただきありがとうございます。

1.Total volume of music files on my computer
コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量

じつは例の音楽容器をもっていないのです。もうそろそろサントリーさんからよい知らせがきたりしないかなあ、と思いながらも、来なければ来ないで、結論を出せねばなりません。したがって、あまり活動的に持ち出せないbitくんは[DELL LATITUDE]と[VAIO-J]であわせて11.5683GBでした。

2.Song playing right now
今聞いている曲

先々週くらいから「音楽空白の10年を埋める企画」って言うのを始めていて、そんなこともあって、いろいろ聞いてはいるのですがright nowは、BECKの「Paper Tiger」でした。夜中に職場でPower Pointを開きながら聞く、『Sea Change』は気力を与えてくれるのか、はたまた吸い出してしまうのかよくわかんないです。

3.The last CD I bought
最後に買ったCD

山ほど借りているけれど、4月の『Devils & Dust』(Bruce Springsteen)以来、買っていないことにはたと気づいた。まあこれから8月ぐらいまで、マストが目白押しなのでいいか。 たとえば、Bruceの紙ジャケ仕様再発売なんかを買ってしまうと思う。

4.Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me
よく聞く、または特別な思い入れのある5曲

(1)Death on Two Legs~Lazing on a Sunday Afternoon~I'm in Love With My Car/Queen
(2)Message in a Bottle/The Police
(3)Sky Blue & Black/Jackson Browne
(4)Ocian Beauty/浜田省吾
(5)Wreck on the Highway/Bruce Springsteen

(1)ishmaelさんとかぶってますね。最初に聞いた洋楽アルバムの最初の曲は、やはりインプリンティングされるものです。腰抜かしてましたね、きっと。この3曲の「GO→STOP→GO」のミックスダウンを1曲と解釈させていただきました。じつはロジャー・テイラーのしゃがれ声もおおいに刷り込まれています。いまやふつうのブタしゃんになっちまったけれど。
(2)きっと、もうスティングには、こんなカッコいい曲はもう作れないだろうなあ。ひょっとしたらこんな思弁的な曲もつくれないかもしれない。いまでも熱狂的に聴いてます。
(3)彼が、90年代にがんばった曲。ほんとうは「The Pretender」とか「Fountain Of Sorrow」なんかの方をよく聴いてるはずなんだけれど、がんばったので一票。いやそれだけでなく、ほんとにいい歌です。
(4)もちろんこのあとに続く「マイホームタウン」も含めて、ということで。bank bandもがんばったけれど、やっぱり「Ocian Beauty」を、はしょったらだめですね。最近では、とりわけ詞について、ことあるごとに「陳腐疑惑」が持ち上がっている浜田ですが、なかなか嫌いにはなれません。だれかライブのチケットわけてください。
(5)たまさか「レコードコレクターズ」の今月号がBOSS特集。「21世紀のスプリングスティーンは名実ともに第2の黄金期に突入している」なんてエッセイも掲載されているようだけれど、「Wreck on the Highway」は、もう20年以上も前の曲ということになる。カタルシスを求めるときに必ず聴いてます。ああ、何度求めたことか。

なんとも大衆的な選択ですが、これにてわかるのは音楽についてはgood old-fashioned dayを引きずり続けているということと、ロックンロール万歳、ということでしょうか。

5.Five people to whom I'm passing the baton
バトンを渡す五名

もし、このエントリーに気づくことがあって、お時間があれば、ぜひ。勝手にすみません。

kensukemさま
Ken-Uさま
souさま
下町貴族さま
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中村書店とタツミ堂書店。

2005-06-14 23:08:22 | ◎読
246、宮益坂上のあたりで、ほぼ並んで店をかまえる2つの古書店(※1)。職場に近いこともあって、よほど忙しくないかぎりは週に1度は顔をだすことにしている。

中村書店については、その歴史に深みもあるらしいが、そんなことは部外者には知る由もなく、またバックヤード(在庫)やリストの規模も分からないなかでは、両店とも、まあ一見すればしがない古本屋以上でも以下でもない。だから、渋谷の雑多な街なかではほとんどアピール力はない。

しかし、そこは東京だけあって、良い本のヒット率が高い。もともと古書マニアでもなんでもなく、新刊書を少しでも安く買いたいというだけの、よこしまな古書店好きにとっては、本の筋の通り方が気持ちいいとまでいえる。もちろん、ご近所のABCの帰りに寄ってみたらば、買ったばかりの『僕が批評家になったわけ』なんかが何冊も廉価で並んでいるのはショックではあるが、逆に言うと、それほどまでに僕と志向性がシンクロしているとも言えるわけだ。

中村書店は、どちらかというと乱雑で、かなり古いうえにどうでも良いような本と、新しく「これは」と思う本が混在している。そういうことなので、店頭での在庫数が少ないわりに探しにくいし、ほとんど不変でほこりたっぷりの棚などもあるが、そこに誤魔化されてはいけない。入り口から向かって右、4~5本目の棚、そして通路をはさんでその向かい側の棚に狙い目がある。
右棚については法政大学出版局、東京大学出版会、岩波書店、みすず書房、青土社などの人文・思想系の本、左棚については、国書刊行会を中心とした文学系、いずれも新刊を買う前にまず1回はここを覗くべきだといっても言いすぎではないほどの鮮度と回転だ。最近で言うなら、『フッサール『幾何学の起源』講義』『トリックスターの系譜』『デリダとの対話 脱構築入門』、レムの『高い城・文学エッセイ』『ケルベロス第五の首』といったところか。もっとあったような気もするけれど、思い出せない。

ちなみに、僕は先週、柴田教授の『アメリカン・ナルシス』を発見し(そのあとすぐにまた補充されていた)、今日は、みすず書房の新シリーズ「理想の教室」のうち亀山郁夫の『『悪霊』神になりたかった男』(※2)を購入した。後者は、まさに昨日新大阪の「ブックセンター談」で手にとっていただけに、どちらかというと幸運な感じである。いずれも新しいだけあって、半額までは崩れていないのだけれど、とにかく本をたくさん買ってしまう僕のような人間にはずいぶん助かる。

かたやタツミ堂書店も、同様に人文系・海外文学系は充実していて、一方で時期にもよるが岩波文庫、講談社文芸文庫などもしっかりしている。最近は、棚の動きがよくないようだが、それでも過去をふりかえれば、中央公論社の「世界の名著」版の『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』や、『零度のエクリチュール』『ジョンランプリエールの辞書』『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』などに遭遇している。最近では、この店の棚のおかげで、後藤繁雄を知ることもできた。文庫本で『考えるヒント』を読み直す機会も与えてくれた。

東京に居る以上、本来的には神保町に日参したいくらいだけれど、ほんとうにヒマがなくかなわない。かれこれ6年くらいここで渋谷で仕事をしているにもかかわらす、神田の古街にいったのは悲しいことにわずか2回。地理的にも、得意先の帰りに寄るというわけにはいかない場所なので、今後も記録は更新されるに違いない。その代わりといってはなんだけど『モダン古書案内―昭和カルチャーの万華鏡「古くて新しい」本のたのしみ 』(※3)なんかのマップをみながら、東京の西方面の有名どころをまわってみたいところだ。あと、京都ね。


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(※1)リンクさせてもらっているのは、「書皮のページ」。新刊書店・古書店とわず、店と店のブックカバーを紹介している。『カバー、おかけしますか?』の先駆。充実していて本屋好きならそうとう楽しめます。
(※2)『ドストエフスキー-父殺しの文学』は、少し大層かなあと思って買い過ごしていたので、これはちょうどよいサイズ。スタヴローギンの「告白」の読解をベースにしており、かなり面白そう。みすず書房の「理想の教室」シリーズは、今後の予定もライアップされていて、『『白鯨』アメリカン・スタディーズ』(巽孝之)、『リキテンシュタインで現代美術入門』(松浦寿輝)、『『感情教育』歴史・パリ・恋愛』(小倉孝誠)、『『ハックルベリー・フィン』アメリカの源泉』(柴田元幸)、『『坊ちゃん』は漱石じゃない』(小森陽一)など、なかなかに力が入ってます。
(※3)新装刊らしい。暮らしの手帖、サンリオ文庫、保育社カラーブックス、大阪万博本など、ちょっとBの入った古書・雑誌を紹介するエッセイのほか、「植草甚一」「横尾忠則」「柳原良平」「堀内誠一」などのオルタナ人物紹介コラムに、少しだけ東京と京都の古書店案内。GOOD。というか、良質の時間つぶし。つぶせる時間があるならば。


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多すぎるぞ、カシオペア。

2005-06-10 14:01:33 | ◎聴
たとえば、QfrontのTUTAYAに行くと、もの凄い枚数のカシオペアがラインアップされていて棚の前で呆然としてしまう。いったいどれを聴けばいいのか、それを判断する基準もみあたらない。僕は80年代以降、カシオペアの新譜を聞いていなかったのだけれど、90年代にいったいなにがあったんだろう。

とりわけややこしいのは「ベスト盤」と「ライブ盤」の多さだ。なかには「ベストライブ」なんかもあったりして、ややこしさに輪をかける。そこで、カシオペアこんなにあるある探検隊を呼んで調べてもらった。

2005 GIG25 【LIVE】
2004 ★MARBLE
     Live & More 【ライブ】
     ゴールデン☆ベスト 【ベスト】
2003 ★PLACES
2002 ★INSPIRE
2001 CASIOPEA "SINGLE" COLLECTION【ベスト】
     Limited Editonal Collectors Box【ベスト?】
     20th【ライブ】
     ★MAIN GATE
2000 ★Bitter Sweet
     Best Selection【ベスト】
1999 20TH ANNIVERSARY BEST【ベスト】
     ★MATERIAL
     ★be
1998 GOLDEN WAVES 【シングル】
     ★Light and Shadows
     TWINS~SUPER BEST OF CASIOPEA【ベスト】
1996 Schedir【ベスト】
     ★Flowers
     work in【ベスト】
1995 work out【ベスト】
     LIVE ANTHOLOGY FINE2【ベストライブ】
     ★freshness
1994 ★HEARTY NOTES
     ★ANSWERS
     ★ASIAN DREAMER【リメイク】
     LIVE ANTHOLOGY【ベストライブ】
     テイク・コレッジ【シングル】
     MADE IN MELBOURNE【ライブ】
     AGURI SUZUKI selected for F-1【ベスト】
1993 ★DRAMATIC
     GLORY【シングル】
     WE WANT MORE 【ライブ】
1992 MEMORY【ベスト】
1991 ★FULL COLORS
     ★active
     デイブレイク&トワイライト【ベスト】
     ウインド&クワイエット・ストーム【ベスト】
     決定版カシオペア・ベスト・セレクション【ベスト】
1990 THE CASIOPEA (1987~1989) ~LAST MEMBERS 【ベスト】
     ★PARTY
      SPLENDER 【シングル】
      BEST OF BEST【ベスト?】
     ★EUPHONY
1988 WORLD LIVE'88 【ライブ】
     BAYSIDE EXPRESS 【シングル】
     ★PLATINUM
     FUNKY SOUND BOMBERS【ベスト?】
1987 CASIOPEA PERFECT LIVE LIVE II 【ライブ】
     ★SUN SUN
1986 ランディング・トゥ・サマー 【ベスト】
     ★HALLE
1985 CASIOPEA LIVE 【ライブ】
     ★DOWN UPBEAT
1984 THE SOUNDGRAPHY 【ベスト】
     ★JIVE JIVE
1983 ★PHOTOGRAPHS
     Mint Jams 【ライブ】
1982 ★4×4 Four by Four
     ★CLOSS POINT
1981 ★EYES OF THE MIND
     ★MAKE UP CITY
1980 THUNDER LIVE 【ライブ】
     ★SUPER FLIGHT
1979 ★CASIOPEA

ネットをあちこち見ながらかき集めたらしい。なんでも、これが正解というのがなくて苦労をしたようだ。オフィシャルサイトでは、★のオリジナルアルバムしかディスコグラフィされていないようだし、ネットショップのリストを見ると再販バージョンなども重複しており腑分がたいへんなようなだ。また公式・非公式含めたReMixもたくさんでており、したがって、これでも完璧ではないと思うんですが、というエクスキューズつきだ。

僕自身は先述したように、80年代以降、正確には『PLATINUM』以降、聞いていなかったし、80年代のものもLPでしか所有していないので、そういう意味では、ある時期、カシオペアをまったく聞いていなかったことになる。そのためリハビリをかねて、どちらかというと古い曲を中心にいちばんバリエーションが充実していそうな、『20TH ANNIVERSARY BEST』というのをとりあえず借りてみた。もしあいかわらず良ければ、旧版含めて買い集めようと期待をこめて。

【002】『20TH ANNIVERSARY BEST』
■ディスク: 1/1.朝焼け 2.ブラック・ジョーク 3.ダズリング 4.ドミノ・ライン 5.ダウン・アップビート(リミックス・ヴァージョン) 6.アイズ・オブ・マインド(リミックス・ヴァージョン) 7.ファー・アウェイ 8.ギャラクティック・ファンク 9.ジプシー・ウィンド
■ディスク: 2/1.メイク・アップ・シティー 2.マリン・ブルー 3.ミッド・マンハッタン 4.ミッドナイト・ランデブー 5.ミスティ・レディ 6.サンバ・マニア 7.スパン・オブ・ア・ドリーム 8.ステップ・ドーター 9.サニーサイド・フィーリン 10.テイク・ミー 11.ザ・サウンドグラフィー

たとえ生半可なファンであっても知っている曲ばかりだ。結論をいうと、この頃のカシオペアはやはりいい(←ピンク・フロイドのときと同じ言い方になっちまった。音楽を語る語彙が少なすぎるね)。 僕はプレイヤーではないので、テクニカルなこところは「凄い」という以外にいいようないんだけれど、メロディの豊かさとか構成力みたいなものについては、聴くたびに隠し味が発見されるのがよくわかる。とりわけ、じつはファーストアルバムの「ブラック・ジョーク」や「ミッドナイト・ランデブー」があいかわらず味わい深いなのは大いなる発見だ。野呂一生が自己模倣に陥っているということを差っぴいてもあまりある。

『SUPER FLIGHT』に始まり『MAKE UP CITY』をグニャグニャになるまで聴いた中学生の頃の記憶が甦ってきた。目覚ましに、『Mint Jams』(※)をかけてたっけ。そういえば、何回もコンサートにいったなあ、あの頃はサクがまだ元気でワイヤレスのアンプで観客席を一周したりしてたなあ。「ドミノライン」のドミノ倒しのユニゾンとか、まだやってんだろうか。

『20TH ANNIVERSARY BEST』は、20周年といいつつも、おそらくレコード会社のからみなのか80年代の曲ばかりで、その点で、「新しいカシオペアはどうなんだ?」という僕の所期の目的は達成できていない。だけど、少なくとも昔のカシオペアは今でも充分に聴けるということがわかり、少し気分がよくなった。

今週末、ターンテーブルを結線して、昔のLPを聴いてみよう。それと、ライブのベストっていうのも何枚か借りてみよう。ああ、愉しみだ。まあ、壮大なマンネリズムなんだけどね。

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(※)幼い頃は、このノイズのクリアなアルバムの音源がLIVE録音からのもの、ということに感動したものだ。M(ukaiya)I(ssei)N(oro)T(etsuo)-J(inbo)A(kira)M(inoru)S(akurai)ってのは誰でも知ってる薀蓄ですね。


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高校生のため?じゃないです。

2005-06-09 20:10:00 | ◎読
たとえば、エクリチュールとか現存在という言葉・概念を、いまの高校生諸君はクラブ帰りのコンビニなどで友だちとの会話に混ぜているのだろうか。時と場合によっては「頭のなかがカオスだ」とか「性的エントロピーが増大している」とは言ったりするかもしれないけれど、「アプリオリな運動神経だよ」とか「先生、残念だけれど、その表象は過っていますね」とか「まさにポストモダン的なスポーツ飲料だね」とか「おれはパトスに襲われてる」と話したりしているのだろうか?まさか。

僕自身は、『高校生のための評論文キーワード100』(中山元、ちくま新書)に、とりあげられている概念のほとんどを、きっと高校生のときには知らなかったはずだし、知る由も、知る術もなかった。いまだって、エロス、タナトス、外延、差異といった概念を正しく理解できていないだろう。しかし、中山元によると「ここで選んだ100項目は、実際の試験で使われた文章に頻出する用語や、あらかじめ知っておかなければ理解しにくい用語を中心にしている」ということなので、まあ先にあげた例のように日常的には使わないとしても、大学入試など高校生の本分の場では乱舞しているらしい。

これは凄いことだ。この20余年の間に知は加速的に進化している。ってなことはなく、きっと僕が高校時代にもこういった思想の言葉はしかるべきろころでは舞い踊っていたに違いない。ひょっとしたら、僕自身ノートに書き写していたということもありえる。そう、たんに忘れているだけなのだ。

そりゃあそうだ。ごく普通のティーンエイジャーにとっては高校生活が自分のすべての世界であって、そこでは、思想・哲学書の言葉は必要ない。これは、たとえ学業面で優秀な高校生であっても同じだろう。ことの本質を理解できているのは、ごく一握りの思弁的な人たちに過ぎない。

しかし、社会に出でてさまざまなコミュニケーションを体験していると、たとえ日常的な生活においても、ここで挙げられているような言葉をとりあえずでも使わないと説明できないことが結構あることがわかってくる。もちろん、実際に使ったとしても受け手に認識がなくコミュニケーション不全に終わることも多いし、ときには、わかりやすい言葉を使えない阿呆な衒学野郎といったレッテルを貼られることもあるだろう。そういった意味で、ここで提起されている概念を積極的に直截に会話の言葉やドキュメントの言葉として表現することはないが、物事を考える思考プロセスにおいて、いったん哲学の概念に係留させておくと、筋道がつけやすくなり、コミュニケーションのヒントが与えられることもままある。

『高校生のための評論文キーワード100』とタイトルされてしまうと、どうしても受験の虎の巻のように思えてしまうが、じつのところはだれが読んでもいい本で、むしろなんだか最近頭の中がすっきりしない僕のような人間にはうってつけだと思えてしまう。

なにより大きなポイントは、この本は読み物として面白いということだ。筑摩のWEBの近刊予告で見たときは「また高校生のアンチョコかよ」と思って買う気もなかった。しかし、書店で手にとってみると事典としての有益性に惹かれ、実際に読み始めていると、それだけでなく、読み入ってしまっている自分に気づく。いうまでもなく中山元の筆力に負うところが大きいのだが、それぞれの用語・概念が、ハイパーリンク的で拡張的な説明に支えられており、そのダイナミズムで飽きさせないという点も見逃せない。

紹介されている概念は、上記マーキングのほか、アイデンティティ、アイロニー、アウラ、アレゴリー、一元論と二元論、エートス、仮象、カタルシス、貨幣、還元、グローバリゼーション、現象、構造(ストラクチュア)、コンテクスト、自律、贈与、テクスト、認識論、ポストコロニアリズム、模倣(ミメーシス)、民族と民俗、唯物論など。どうですか、高校生にはもったいないでしょう。


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The Wall/Pink Floyd

2005-06-08 00:21:03 | ◎聴
20代半ばから30代半ばまでの空白の10余年、つまり90年代の空白をうめるべく、しっかりと大量に音楽を聴くことにしました。よくよく考えたら渋谷のQFRONTには夜中の2:00まであいているTUTAYAがあるわけだから、もっと積極的に利用しておけばよかったんだけどね。

ただし、なにが書けるか?といえば思い出話くらいしかかけないので、どちらかというと聴いた音楽の記録ということになると思われます。通し番号とか打ってみたりして。

【001】The Wall/Pink Floyd

空白の10年の答えになっていないし、なにをいまさらと思われるかもしれませんが、これは久しぶりに聞くとやっぱりいい。一般的には出来が悪いとかなんとか言われているこのアルバムを好きだというのは少し複雑な感情ではあるれど。じつは、高校生や大学生のときにたまたま入手していた『Dark Side of the Moon』など『The Wall』以前のものはもとより、とりわけ『The Wall』直後の『The final cut』なんかはこれもまた出来が悪いといわれているにもかかわらずカセットテープがのびのびになるほど聴いていたんだけど、『The Wall』については、持ってる友人がいなかったのか、ずっとレンタルが貸し出し中だったかの理由で手元になく、じっくり聴いたことがなかったのです。

空白の10年の間も、ときおり『Another Blick In The Wall (Pt.2)』が頭のなかに囁きかけたり、あまつさえ一日中口ずさんだりすることも確かに何度かあった。でも『The Wall』全体をなんとかしようという具体的な企てにおよぶことはなく、そういった意味ではずっとおこりのような状態が続いていたわけだけれど、このたびすっきり解熱できました。

続編とも残り滓ともいわれている『The final cut』から逆行したこともあり、きわめて敷居低くPink Floydを思い起こすことができ、同時にこのことで自分は絶頂のロジャー・ウォーターズをよかれと思っていることが追認できたわけです。さらに、いわゆるコンセプトアルバムの魅力へのインプリンティングに抗えないこともよくわかりました。最後の曲が最初に戻るなんていうチープな計算にいまでも感動してしまうわけです(もちろんそれだけがコンセプトアルバム要素というわけではないけれど)。styxの『Paradise Theater』やBilly Joelの『The Nylon Curtain』とかね。邦楽でいうなら浜田省吾の『Promised Land』とか。なんとういうかコンセプトの、巧みな一貫性というものにいとも簡単に満点をあげてしまうのです。きわめて大衆的なんですけれどね。

で、よくよく見てみると詞なんかも恰好いい。

つまり
きみは
ショウでも観にいこうと
思ったというわけだ
広大な密室に繰り広げられる混沌の中で
ぬくぬくとしたスリルを味わうためにね
どうしたんだい?
いやにまごついているようじゃないか
きみが期待していたものと
あまりにも違うといういうのかい?
この冷ややかな両眼の裏に
何が隠されているのか知りたいなら
かきむしるようによじ登って
化けの皮をひっぺがせばいいのだ
(「In The Fresh」 訳/山本安見)


訳の改行とかも恰好いいんだけどね。

『The Wall』は発売が1979年で、これにて80年代が幕をあけるわけだけど、じつは始まりと同時に終わり、あとは残滓である『The final cut』が燻っているだけ、というのは、まさに80年代の時代性をあらわしているともいえ、そんなところからもなにかしら興味を持つのかもしれないなあ。ああ、やっぱり思い出話だ。


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「口コミ」は「起こせる」ものなのか。

2005-06-04 18:02:52 | ◎業
いつもの年通り、1月は行って、2月は逃げて、3月は去ったんだけれど、それだけではすまず4月は死んで、5月はご愁傷さまという状態になってしまったので、6月は碌なことにならないよう祈るばかりです。歳も歳なので、明るくなってから寝るっていうのはご勘弁願いたいところだなあ。

今週は、東京に出張中に名古屋に出張というメタ出張もあったりして、それはそれで長期キャンプ中に長距離ハイキングに行くくらいの疲労困憊感はあったわけですが、せっかくの新幹線なんで(というか毎週乗ってるけど)、車内を愉しもうと創刊以来2度目となる『Fuji sankei Business i.』なんかを買っちゃいました。文字が大きく読みやすすぎて、それが逆に読みにくいってのはあいかわらずなんですが、きっともろにDTPなレイアウトなんかも影響しているだろうなあ。それにともなう見出しのアテンション度合いの低さ、さらにそれにひっぱられてかのテクストじたいのアテンション度合いの低さ(つまり見出しが下手)も加担しているに違いない。

と、まあそんなことはどうでもよくって、紙面で見かけた不気味な広告について。まあ、こういう新聞だからそもそも不気味な広告が多いんだけど、今回見つけたのは群を抜いていた。

広告主はどこだっけ、えーっと……ちゅうかそもそもクレジットはいってないじゃん。まず、これが不気味だわ。ヘッドラインは「黒い食べ物に注目!」。メインビジュアルは……これもよくわかんないなあ。デーモン小暮閣下が表紙に登場するフリーペーパーのような雑誌が、店頭のマガジンラックのようなものに配架されたところを抑えたというきわめてメタ的な写真。で、「今巷では、黒ごま、黒豆、黒酢、ブルーベリー、ナスなど、黒い食べ物に注目」とひとしきり「黒い食べ物パワーの源泉がアントシアニン」であるといったようなことを語るボディコピー。その後本題らしきものが始まる。

「京都に黒いおたべが新登場」
さて、そんな健康にとってもよさそうな黒い食べ物だが、この春新しい食べ物が誕生した。
ニッポン放送をキーステーションに全国25局ネットで毎週月曜日から金曜日まで、夜10時から12時までオンエア中のラジオ番組「デーモン小暮ニッポン全国ラジベカズ」。その月曜日で紹介している「黒いおたべ」である。
生八ツ橋の皮には黒ごまのペーストと竹炭が練りこまれ、中身は黒ごまの食感を残した黒ごまあんを包み込んでいる。
……(中略)……
今は京都の一部の店舗とインターネットでしか購入することができないが、見た目にもインパクトがあり……(中略)……いずれ京都の人気のおみやげラインナップに上昇してくるのは間違いないだろう。
月曜日の「デーモン小暮ニッポン全国ラジベカズ」では、リスナーの意見をもとにこの「黒いおたべ」のラジオCMを製作し、オンエアした。
……(中略)……
日本最大の参加型番組「デーモン小暮ニッポン全国ラジベカズ」を、これからも楽しみにしていて欲しい。


「黒いおたべ」の話なのに、締めのコピーは、「デーモン小暮ニッポン全国ラジベカズ」の訴求?ようよう、どっちの宣伝なんだよう。よく見りゃ、文章もねじれまくってる。新聞使ってラジオ番組のしかもCMの広告ってあまりにも迂遠すぎないか。「一部の店舗とインターネット」って言ってるけど、店の名前もURLもなし。おい、食いたいおれはどうすりゃいいいんだよ…(って、食いたくないけど)。

ははあん、これって、あれだよ「口コミ」起こそうとしてんだね。きっと。ぼくはレピュテーション・マーケティングについて学習したこともないし、いま手元に「日経ビジネス」の評判特集も、ハーストーリーの本もないので、なんら偉そうに言える身分ではないんだけど、これがもし評判マーケッチングの先鋭的な手法としてラインアップされているのだとしたら、いささか寂しいなあ。こんなことじゃ、消費の塊は動かないんじゃないかなあ。ストレートにチラシみたいな新聞広告をクリエイティブしたほうがよほど効果あるよなあ。だいたい「黒いおたべ」なんていちおう珍しいから放っておいてもグルメブロガー、旅好きブロガーたちが口コミしてくれるんじゃない?

「黒いおたべ」を、ググったときに、検索トップにあがってくるとか、アドワーズとかバナーに遭遇していまうといったことがあれば、100歩でも200歩でも譲っちゃうんだけど、どうやらそんな仕掛けもないようだし。

でもこんなふうに、BLOGに書いちゃうってことが、口コミの一端を担ってることになるのかね。

じつは、こんな深い作為はなく、そもそも媒体費も安いし、たまたま枠が余ったので急場原稿を滑り込ませた、といった程度の広告かもしれないけど。

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リアルの世界で黒幕的に口コミや評判を起こそうというのは電通が巨額の費用を投じない限り、やっぱかなり無理がある。現状の企業の評判状況を調査しマネジメントしていくというのは数値化できるだろうけれど、いわゆる評判マーケティングの会社が売り物としているような「商品の口コミ」を誘引するような仕掛けについては話をきく限りでは、波及の測定までの責任は勘定に入っていないようなので、どこかしらアバウトでもある。

そこで、BLOGの登場、ということになるんだろう。デジタルデータという「書き言葉=話し言葉」的(※)仮想物体である「話題」は「保存」され続け「移動」し続ける。可視的だ。本質的なターゲットへの照射という視点からははずれるが、なんらかの「話題」に飢えているブロガーにとっては、企業からの投げかけですら、屈託なく受け入れられエントリー化される可能性も高い。もっとも、BLOGを使って評判を作為的に行おうとすることを見透かされ不買運動に陥った商品もあるくらいなので、リスクは細心の留意でヘッジしなければならないけれど、隠さず自明に行うBLOGキャンペーンであっても口コミ的にBLOGを連鎖させていく方法は、けっこうたくさん考えられそうではある。

たとえば、ようやくわかりやすいBLOGキャンペーンが登場したなあと思っているのがSANYOのインテリアエアコン「四季彩館」。インテリアにまつわるお題を投げかけ、その回答のエントリーでトラックバックしてもらい優秀なBLOGを選ぶというコンテスト形式のキャンペーン、と3行でまとめられるくらいシンプルなものである(逆に、過去のP&Gのキャンペーンなどはこんなふうには説明できないですね)。

もちろん、これにてエアコンの評判・口コミが無数に広がり拡売につながるなんてのは夢のような話ではある。しかし、もし200とか500といったユニークアクセス数を確保しているブロガーが、リンクを明解にしたうえTBを打てば、自動的に200のブロガーに口コミされるということになり、少なくともキャンペーン告知のパフォーマンスは高い。

そしてもうひとつ重要なのは、転んでも只では起きないしかけが内蔵されているところだ。インテリアの趣味にまつわるお題に対しBLOGを書きTBしてくるのは、少なくともインテリアになんらかの関心と意見と批評がある人たちであり、場合によってはインテリアカテゴリーのブログの主催者である可能性も高い。そういった人たちの定性的で大量な意見はカスタマー・インサイトのための重要な材料となる。つまり、背後では生活者のプチ・インタビューが効率よく行われているということだ。

さっきの話同様、ぼくがこんな風に紹介することも多少は話題の拡散の一助になる、ってことなんだけど、まあ、いいものわかりやすいものは、放っておいても伝わるという口コミの大前提に話が戻ったような気もしてきた。以上。


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(※)加藤典洋が『僕が批評家になったわけ』で、ビットとして定着はするがプリントアウトしない限りはつねに消失の可能性も孕んでいる電子エクリチュールを「書き言葉=話し言葉的」と位置づける。これはおもしろい。


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