「コンテンツ・マーケティング」というナゾの言葉を自分の声でよどみなく語るためには、正しくわかりやすい概念化と構造化、そしてリフレクションがまだまだ足りない。だから、思いついたときに行き当たりばったりにまとめていくことにする。
最初にはっきりしておきたいのは、「コンテンツ・マーケティング」が言うところの「コンテンツ」と、日本で理解されているコンテンツとはまったく違うということだ。一般的には、コンテンツといえば、エンターテイメントであったり、リッチといった修飾語がついたりして、娯楽性という理解が濃厚なわけだけれど、コンテンツ・マーケティングにおいて意味されているのは、純粋にシンプルに「情報の中身」ということになる。少し補助線を走らせるとすれば、「マーケティングにおいて必要な情報の中身」という考え方になる。
そんなわけだから、米国でちょっとめばえつつあるコンテンツ・マーケティングは、いまはまだ、なかなか正しく翻訳輸入されていない。勘違いはもとより、ネーミングがたいそうなだけに、マーケティングのパラダイムを変えていくような思想のように受け止められそうだが、アメリカで語られている限りにおいては、じつはイノベーティブな概念でもなんでもなく、いち手法・テクニックにすぎない。もちろん、そんなに難しい話でもない。
ようは、マスメディア(paid media)がダメダメになってきて、それと入れ替わる形で自社メディア(owned media)の媒体としての自由度・価値が高まるなか、同じように、コンテンツ(情報の中身)も、質や量の制約なく自社ですみずみまでコントロールしていくべきなんじゃね?というのがそもそもの発想のスタート地点だろう。
わかりやすい例をあげるなら、ここ数年P&Gが力を入れだしている、自社編集発行の雑誌のようなものだ。
◎Ad Innovator: P&G、ビューティ雑誌Rougeをアメリカで発刊
日本でオルビスとかフェリシモとかがやっている通販カタログとどう違うん?といったところかもしれないが、「いやいやこっちは雑誌ですぜ」と言い切ってしまうところがPGであり、アメリカンではある。ただし言い切ってしまうだけの裏付けもあるんだろう。たとえば以下のような心根に違いない。
本来的には、「商品」には売るために語るべきコンテンツが山ほどあるはずなのに、ペイドメディアのフレームやコスト、ときには慣行のなかで言いたいことが満足にいえない。多様で大量の商品が、検索され比較されシェアされる世界において、情報がないこと、少ないことは致命的な弱みとなる。フラッシュ的(?)なメッセージだけに反応するようなコンシューマーは減ってきたし、そもそもそんな消費者は見込客ではない。とりわけ、検討において商品関与度の高い耐久消費財やサービスならなおさらだ。企業の哲学を対話することでロング・エンゲージメントを築いていくことこそが大切だ、なんて言われ始めたりもしていて、ていねいに言葉を費やし伝えることは、企業の存亡を左右する世の中になってきた。真の見込客に対して、コンテンツの量と質の制約を開放すべきときが来たのではないか。いまこそ、われわれ(企業)がコンテンツ・メーカーになろうじゃないか!って感じ。
つまり、多角的なマーケティングコンテンツをたっぷりと作成し、もっとも費用対効果(リーチ~アクション)の高いメディアを好きなように選択し(その選択をコレクトしながら)、「売るための」コミュニケーションを実行していく。いってしまえば、マーケティングにおいて、ごくあたり前のことが、無限のアーカイブ宇宙を前にして、そしてなんだってできるテクノロジーを前にして、ようやくマジメに議論できるようになった。そのひとつの手法がコンテンツ・マーケティングなんだ、ということになる。
こういったことを整理してみると、手法とはいったもののきわめて「重要な」手法である、とも言える。その正しさを(日本の)企業に理解してもらうために、一過性のテクニックに終わらせてはいけない。マーケティング・コミュニケーションの戦略としてこれを再概念化していく必要がある。必ずしも正しいとは言えない現在の日本のMCを正常化させるための重要なミッションでもある。
というわけで、米国での考え方を敷衍しながら、ときには勝手解釈しながら、日本でも通用するオリジナティをふりかけてみたコンテンツ・マーケティングを概念化・構造化していくスタディがこの文章ということになる。さあ、始めるよ。
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説明構造的には、コンテンツ・マーケティングを構成する重要な要素は、「Content-Relevancy-Story」と言われている。Content、Storyについては、ひとまず字義どおりに理解すればいいけれど、「Relevancy」だけはニュアンスがつかみにくい。手始めに、これについての概念化・構造化にトライしてみよう。
Relevancy(もしくはRelevant)は、コンテンツ・マーケティングを定義するときにかならず用いられるワードである。たとえば、以下はCMIの定義。
Content marketing is a marketing technique of creating and distributing relevant and valuable content to attract, acquire, and engage a clearly defined and understood target audience - with the objective of driving profitable customer action.
もちろんこれを、「適切で価値のあるコンテンツ」と理解しても問題はないと思うが、どうもしっくりこない。「そんなの当たり前のことじゃん」と問われれば返す言葉もない。
そもそも、“Relevancy”“Relevant”は「関連性、適切さ、妥当性、今日の重大な社会問題との関連、検索能力」などの意味なので、「(あなたと)関係のある価値あるコンテンツ」という考え方が近いと思えるが、ここはもう一歩踏み込みたいところでもある。
そう、ぴったりの言葉がある。これだ。「自分ごと」。「自分ごとのコンテンツ」と定義すればずいぶん見通しがクリアになる。
「自分ごと」は、言うまでもなく博報堂とともに電通までもが、新しいMCの概念として提起しているワードであり、これまた言うまでもなく「ほとんどの情報がスルーされる中で、受け取ってもらえる情報は、生活者が「自分ごと」と思われる情報である」といったような解釈をされている。
企業が販売促進のために提供するコンテンツは、なんだかんだ言っても、生活者の要求・欲望・知識欲にこたえる「自分ごと」として読んでもらえなければ意味がない。触れていくうちに自分の関心ごとであると感じられるように構成されていなければ、そもそも大量のコンテンツを最後まで読み通してもらえない。そのためには、ターゲット・オーディエンスを知悉しておくことが必要になる。これが、Relevantのキモだ。知悉すべきことは、心理・思考・欲望・価値観にまでおよぶ。もはや、デモグラフィックな統計的な理解では追いつかない。「憑依」ともいえるカスタマー・インサイトが必要になる。畢竟、超細分化(マイクロターゲット)の話とも通底する。
憑依、知悉したうえで「商品・サービスと生活者の間に築かれる新しい「関係」。この関係の定義が的を射ており、かつ正しく表現されていれば、生活者から「それ欲しい!」の反応が帰って(※)」くる。
ここで再び「関係」という本来の意味に戻る。「生活者のウオンツの構造」と、「商品・サービスのベネフィット構造」。このふたつが絡みあう「関係」をどう見抜くか。これが、「relevance」の本懐であり、うまくいかなければ届くものも届かない。と、考えれば、コンテンツ・マーケティング全体に影響するキーファクターともいえ、「relevance」こそがコンテンツ・マーケティングの核心になる。
とかなんとか偉そうに描いたけど、このターゲット・オーディエンスの「自分ごとインサイト」を見抜くことは、かんたんな話ではない。そこには、システムといえるようなノウハウはない。
しかし、手順はある。コンシューマー、カスタマーにまつわるファクトをできる限り多く集め、丹念に構造化し、あとは人間理解で仮説を積み重ねる。そんな愚直な手順でよいならなんとか解説できるかもしれない。もし時間が確保できれば、次はこのrelevanceの手順について考えてみよう。あ、そのまえに、content と story の定義か。
※『「自分ごと」だと人は動く』(博報堂DYグループエンゲージメント研究会)