考えるための道具箱

Thinking tool box

8月30日(火)のつぶやき

2011-08-31 04:00:00 | ◎目次
12:03 from Tweet Button
「結局、人間の頭の中を理解することが必要なのではないか、私はそう思った。…そこで人間の思考の仕組み、言語の構造、意味の背景について考えるようになった」|グーグルには「社内哲学者」という役職がある|J-CAST会社ウォッチ http://t.co/e6ZoTYn
by urat on Twitter

8月29日(月)のつぶやき

2011-08-30 02:11:23 | ◎目次
21:22 from Tweet Button
商事系のアイデアに。|日本では見ることのできない『海外マクドナルドの屋外広告』がおもしろい! - NAVER まとめ http://t.co/MPjbZdR
21:47 from web
『ユリイカ』のB級グルメ特集の福田和也と千葉雅也の対談は、まったくもって他愛のない話だし、お互いのB級自慢(じつはA級自慢)の応酬でグダグダで、こってりとくどすぎるんだけど、それでも読むのをやめられない。まさにこの対談じたいがB級グルメとなってるわけだ。
by urat on Twitter

8月28日(日)のつぶやき

2011-08-29 02:11:15 | ◎目次
08:00 from Tweet Button
ナタリー - サカナクション「DocumentaLy」ジャケット&収録曲公開 http://t.co/Undp3gX
09:46 from web
やっぱり『リトル・ピープルの時代』は読んどこ。
11:12 from TweetDeck
最近のくるりはいかがなものか?ってところも多かったんだけれど、「TOWER OF MUSIC LOVER 2」を聞いていると、意外とコンセプトも一貫していて、それはそれで悪くない。ただ、『魂のゆくえ』の中のマスターピースが選ばれていないところを見ると、やっぱりいかがなものか。
11:16 from TweetDeck
またまた、「商品開発チェックリスト」みたいなものを完成させたのだけれど、このフレームになんとか汎用性をもたせて公開したいところだ。プライシングにも踏み込んでいるので、面白いんだけどなあ……。
21:48 from TweetDeck
斎藤環の書評にのせられ、結局『リトル・ピープルの時代』を買ってしまった。あと、『ユリイカ』のB級グルメ特集も。
21:56 from TweetDeck
あ、「森香るハイボール白州ミッドパークカフェ」、復活だ。営業帰りに寄りたい。9月2日~10月2日まで。 http://t.co/mAc1VQz
23:53 from TweetDeck
ジャケ買い、ってのもひとつの理由ですね。 RT @sasakiyo: 新聞の書評はなぜこうも本の購買を促進するのか・・・。悩ましいです。買っちゃいました。 @urat 斎藤環の書評にのせられ、結局『リトル・ピープルの時代』を買ってしまった。あと、『ユリイカ』のB級グルメ特集も。
by urat on Twitter

8月27日(土)のつぶやき

2011-08-28 02:11:47 | ◎目次
01:15 from web
50まえの人間にはいささかキツい旅程から帰還。手荷物検査で、大切なキーホルダーを奪われてしまった。不覚。
10:17 from Tweet Button
金持ちとか貧乏とかはどうでもよいけれど、最後の「短期的にネガティブ、長期的にポジティブ」or「短期的にポジティブ、長期的にネガティブ」は、大事な真理。|お金持ちに大量に触れて初めて気づいた8の共通点 http://t.co/v8SWlM8
10:39 from Tweet Button
この理がとおらない(ような気がする)、日本の民意、というか人間理解に。なんてめんどくさいんだ。|なるべく早く芸能界に復帰してください:日経ビジネスオンライン http://t.co/dcssef5
10:41 from TweetDeck
御意。 RT @tomo_co: 英語勉強しといてよかったなと、批評理論や言語学勉強しといてよかったなと、その方向から文学を学んでいてよかったなと思うことが、人生において多々ある。でも全部不十分すぎる。勉強しよう。
10:46 from TweetDeck
伊井直行の『岩崎彌太郎─「会社」の創造』 を買っていたのだった。『群像』連載中の「会社員小説をめぐって」も面白い。
11:01 from web
久しぶりに『COURRiER JAPON』を。「心理」の話と、「新聞どうよ?」の話と、「ゲーミフィケーションっぽい話」と、「googleの別冊広告」。
13:42 from goo
◎コンテンツ・マーケティングについて考えてみた。(2) #goo_urat2004 http://t.co/aWqlHI8
15:26 from web
煮詰まったので、とりあえずティップネスにゴー!
19:30 from web
しかしコリオが覚えられへんなあ。毎回変わるってのもの、困ったもんだ。せめて、2週続けてくれたら多少は回ると思うんだけどなあ。
by urat on Twitter

◎コンテンツ・マーケティングについて考えてみた。(2)

2011-08-27 13:38:45 | ◎業
博報堂の『「自分ごと」だと人は動く』の「広告は「関係価値」を創る」というコラムには、以下のような記述がある。

「商品やサービスの価格や仕様、効果効能などのようなカタログスペック的な情報を、さも格好よく「言い換える」ことが広告の役割だ、と思われているとしたら、それは大きな誤解です。
(……)広告が果たす役割は「カタログやスペックだけではいい表せない意味」をシンプルにロジカルに抽出することです。つまり「この商品・サービスが生活者にとってどのような魅力的な意味をもつのか」を説明すること。商品・サービスと生活者の間に築かれる新しい「関係」をきちんと定義してみることになります。」

なんともきわめてまっとうな「広告」の定義だ。こんなファインなデファインが、彼らの言うところの「クリエイティブ」を通した瞬間に、ときにオマエモナーといさめたくなるようにアウトプットされる、そのからくりを知りたいもんだ。

いや、じつはわかっていて、ようは、[1]なんだかんだいっても一発マスやタレントに結びつけないとみんなが困る [2]商品情報・見込客情報を丹念に拾っていくなんて労働集約的な作業は超めんどくせー ってことなんだと思う。

しかしよく考えてみよう。[1]にしても[2]しても、そんなのエージェンシーの社内事情であって、逆の立場、つまりクライアントにとってみれば、看過できない最優先課題のはずだ。彼らは、[1]マスを使わずに効果的な情報発信はできないものかと日夜頭を抱えているし、[2]商品情報や見込客情報という生命線の組み合わせつまり「関係」について始終考えることが仕事だ。ここをスポイルして、「売る」ためのクリエイティブは実現しない。

このあたりが、コンテツ・マーケティングの精神世界だな。精神世界のことばかり言っててもしようがないけれど、いちおう言っとく。やっぱり、スモール・エージェンシーの仕事なんだよな。

もちろん、一発マスとタレントが必要で、商品情報と見込客情報の関係を雑駁に考えていい商品・戦略・施策もあるわけだから、そこにはコンテツ・マーケティングはあまり必要ないっす。いやホントは、そんな商品も戦略も施策もないんだけどね。いや?あるか?これは、いまの強靭すぎる流通(小売)とメーカーとそこで売られる商品種類によって整理できるね。

コンテンツ・マーケティングについて考えてみた。

2011-08-26 00:57:17 | ◎業
「コンテンツ・マーケティング」というナゾの言葉を自分の声でよどみなく語るためには、正しくわかりやすい概念化と構造化、そしてリフレクションがまだまだ足りない。だから、思いついたときに行き当たりばったりにまとめていくことにする。

最初にはっきりしておきたいのは、「コンテンツ・マーケティング」が言うところの「コンテンツ」と、日本で理解されているコンテンツとはまったく違うということだ。一般的には、コンテンツといえば、エンターテイメントであったり、リッチといった修飾語がついたりして、娯楽性という理解が濃厚なわけだけれど、コンテンツ・マーケティングにおいて意味されているのは、純粋にシンプルに「情報の中身」ということになる。少し補助線を走らせるとすれば、「マーケティングにおいて必要な情報の中身」という考え方になる。

そんなわけだから、米国でちょっとめばえつつあるコンテンツ・マーケティングは、いまはまだ、なかなか正しく翻訳輸入されていない。勘違いはもとより、ネーミングがたいそうなだけに、マーケティングのパラダイムを変えていくような思想のように受け止められそうだが、アメリカで語られている限りにおいては、じつはイノベーティブな概念でもなんでもなく、いち手法・テクニックにすぎない。もちろん、そんなに難しい話でもない。

ようは、マスメディア(paid media)がダメダメになってきて、それと入れ替わる形で自社メディア(owned media)の媒体としての自由度・価値が高まるなか、同じように、コンテンツ(情報の中身)も、質や量の制約なく自社ですみずみまでコントロールしていくべきなんじゃね?というのがそもそもの発想のスタート地点だろう。

わかりやすい例をあげるなら、ここ数年P&Gが力を入れだしている、自社編集発行の雑誌のようなものだ。

◎Ad Innovator: P&G、ビューティ雑誌Rougeをアメリカで発刊

日本でオルビスとかフェリシモとかがやっている通販カタログとどう違うん?といったところかもしれないが、「いやいやこっちは雑誌ですぜ」と言い切ってしまうところがPGであり、アメリカンではある。ただし言い切ってしまうだけの裏付けもあるんだろう。たとえば以下のような心根に違いない。

本来的には、「商品」には売るために語るべきコンテンツが山ほどあるはずなのに、ペイドメディアのフレームやコスト、ときには慣行のなかで言いたいことが満足にいえない。多様で大量の商品が、検索され比較されシェアされる世界において、情報がないこと、少ないことは致命的な弱みとなる。フラッシュ的(?)なメッセージだけに反応するようなコンシューマーは減ってきたし、そもそもそんな消費者は見込客ではない。とりわけ、検討において商品関与度の高い耐久消費財やサービスならなおさらだ。企業の哲学を対話することでロング・エンゲージメントを築いていくことこそが大切だ、なんて言われ始めたりもしていて、ていねいに言葉を費やし伝えることは、企業の存亡を左右する世の中になってきた。真の見込客に対して、コンテンツの量と質の制約を開放すべきときが来たのではないか。いまこそ、われわれ(企業)がコンテンツ・メーカーになろうじゃないか!って感じ。

つまり、多角的なマーケティングコンテンツをたっぷりと作成し、もっとも費用対効果(リーチ~アクション)の高いメディアを好きなように選択し(その選択をコレクトしながら)、「売るための」コミュニケーションを実行していく。いってしまえば、マーケティングにおいて、ごくあたり前のことが、無限のアーカイブ宇宙を前にして、そしてなんだってできるテクノロジーを前にして、ようやくマジメに議論できるようになった。そのひとつの手法がコンテンツ・マーケティングなんだ、ということになる。

こういったことを整理してみると、手法とはいったもののきわめて「重要な」手法である、とも言える。その正しさを(日本の)企業に理解してもらうために、一過性のテクニックに終わらせてはいけない。マーケティング・コミュニケーションの戦略としてこれを再概念化していく必要がある。必ずしも正しいとは言えない現在の日本のMCを正常化させるための重要なミッションでもある。

というわけで、米国での考え方を敷衍しながら、ときには勝手解釈しながら、日本でも通用するオリジナティをふりかけてみたコンテンツ・マーケティングを概念化・構造化していくスタディがこの文章ということになる。さあ、始めるよ。

説明構造的には、コンテンツ・マーケティングを構成する重要な要素は、「Content-Relevancy-Story」と言われている。Content、Storyについては、ひとまず字義どおりに理解すればいいけれど、「Relevancy」だけはニュアンスがつかみにくい。手始めに、これについての概念化・構造化にトライしてみよう。

Relevancy(もしくはRelevant)は、コンテンツ・マーケティングを定義するときにかならず用いられるワードである。たとえば、以下はCMIの定義。

Content marketing is a marketing technique of creating and distributing relevant and valuable content to attract, acquire, and engage a clearly defined and understood target audience - with the objective of driving profitable customer action.

もちろんこれを、「適切で価値のあるコンテンツ」と理解しても問題はないと思うが、どうもしっくりこない。「そんなの当たり前のことじゃん」と問われれば返す言葉もない。
そもそも、“Relevancy”“Relevant”は「関連性、適切さ、妥当性、今日の重大な社会問題との関連、検索能力」などの意味なので、「(あなたと)関係のある価値あるコンテンツ」という考え方が近いと思えるが、ここはもう一歩踏み込みたいところでもある。

そう、ぴったりの言葉がある。これだ。「自分ごと」。「自分ごとのコンテンツ」と定義すればずいぶん見通しがクリアになる。

「自分ごと」は、言うまでもなく博報堂とともに電通までもが、新しいMCの概念として提起しているワードであり、これまた言うまでもなく「ほとんどの情報がスルーされる中で、受け取ってもらえる情報は、生活者が「自分ごと」と思われる情報である」といったような解釈をされている。

企業が販売促進のために提供するコンテンツは、なんだかんだ言っても、生活者の要求・欲望・知識欲にこたえる「自分ごと」として読んでもらえなければ意味がない。触れていくうちに自分の関心ごとであると感じられるように構成されていなければ、そもそも大量のコンテンツを最後まで読み通してもらえない。そのためには、ターゲット・オーディエンスを知悉しておくことが必要になる。これが、Relevantのキモだ。知悉すべきことは、心理・思考・欲望・価値観にまでおよぶ。もはや、デモグラフィックな統計的な理解では追いつかない。「憑依」ともいえるカスタマー・インサイトが必要になる。畢竟、超細分化(マイクロターゲット)の話とも通底する。

憑依、知悉したうえで「商品・サービスと生活者の間に築かれる新しい「関係」。この関係の定義が的を射ており、かつ正しく表現されていれば、生活者から「それ欲しい!」の反応が帰って(※)」くる。

ここで再び「関係」という本来の意味に戻る。「生活者のウオンツの構造」と、「商品・サービスのベネフィット構造」。このふたつが絡みあう「関係」をどう見抜くか。これが、「relevance」の本懐であり、うまくいかなければ届くものも届かない。と、考えれば、コンテンツ・マーケティング全体に影響するキーファクターともいえ、「relevance」こそがコンテンツ・マーケティングの核心になる。

とかなんとか偉そうに描いたけど、このターゲット・オーディエンスの「自分ごとインサイト」を見抜くことは、かんたんな話ではない。そこには、システムといえるようなノウハウはない。

しかし、手順はある。コンシューマー、カスタマーにまつわるファクトをできる限り多く集め、丹念に構造化し、あとは人間理解で仮説を積み重ねる。そんな愚直な手順でよいならなんとか解説できるかもしれない。もし時間が確保できれば、次はこのrelevanceの手順について考えてみよう。あ、そのまえに、content と story の定義か。

※『「自分ごと」だと人は動く』(博報堂DYグループエンゲージメント研究会)

8月24日(水)のつぶやき

2011-08-25 02:11:21 | ◎目次
00:47 from goo
◎変わらずに残されたものは「言葉」しかない。 #goo_urat2004 http://t.co/5cN8s8N
01:21 from web
カタルシスのようなものが要求されていたので、RHYMSTERの『フラッシュバック、夏。』、『The Velvet Underground』、『TOWER OF MUSIC LOVER 2』、Bryan Adamsの『Waking Up The Neighbours』を挿入。
15:35 from TweetDeck
RT @takagengen: すいません。「恋する原発」の件で。ゲラも戻したところだったんですが、「上」の判断で、急遽、掲載が見合わされることになりました。やっぱり、あの内容じゃ無理だったみたいですね。詳しくは、また。
20:06 from web
嘘を正義のように通してしまう物語構成とダーティ・ヒロイズムの作法。だれもがペラい出鱈目と知っているのに、だれも「ムカつく」以上の感想は残せない。学ぶべきところはあるが、学びたいとは思わないテクニック。そして、こういう人は程度の差はあれ、身のまわりひとりふたりいる。
by urat on Twitter

◎変わらずに残されたものは「言葉」しかない。

2011-08-24 00:43:32 | ◎読
斎藤環の責任編集として緊急復刊された『imago 東日本大震災と<こころ>のゆくえ』は、あたらしいコンセプトを提示しているのではないか、と期待のもてる内容であり、実際に以下のような彼の巻頭言や、中井久夫への質問を読む限りでは間違いはなさそうだ。

この震災は、私から大小さまざまなものを奪っていった。人間関係も少なからず変化した。震災に奪われたものは、必ず奪い返さなくてはならない。その執念だけで言葉を連ねてきた。変わらずに残されたものは「言葉」しかない。そう考える私にとって、次のツェランの言葉がほとんど唯一のよすがだった。繰り返しになるが引用しよう。

それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました。そうです、すべての出来事にもかかわらず。しかしその言葉にしても、みずからのあてどのなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした、――しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けて行ったのです。抜けて行き、ふたたび明るい所にでることができました――すべての出来事の「ゆたかにされて」(「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」『パウル・ツェラン詩集』飯吉光夫編・訳 小沢書店)。


「言葉」に自覚的すぎると、戦略的なことを意識しすぎて、ときに失語してしまうこともある。しかし、たとえそうであったとしても、言葉の多様性について熟慮すべきだ。言葉は、人を説得する機能だけをもつものではない。悪いけれど、そんな言葉には、まともには反応しないよ。

8月16日(火)のつぶやき

2011-08-17 02:04:19 | ◎目次
07:33 from web
起きてる。モーニングでも食べにいくか。どこ?
09:41 from web
ドトールのモーニング帰りに『pen』の「円谷プロ特集」と『BRUTUS』の「島暮らし特集」を。前者は、ベスト怪獣50とか、歴代の防衛軍、特捜隊のマークとかメカニックとか、ソフビとか。
19:50 from web
ぜひ理解したいコンセプト。|◎創造的緊張(クリエイティブ・テンション)について。 #goo_urat2004 http://t.co/uop03En
20:06 from web
ケーブルテレビで『怪奇大作戦』やってる。巨人戦も阪神戦もいいところだし困った。
by urat on Twitter

◎創造的緊張(クリエイティブ・テンション)について。

2011-08-16 19:42:55 | ◎業
『学習する組織』第8章自己マスタリーより引用。

●ビジョン(私たちがありたい姿)と今の現実(ありたい姿に対する現在地)のはっきりしたイメージを対置させたときに「創造的緊張」(クリエイティブ・テンション)と呼ばれるものが生まれる。創造的緊張は、ビジョンと現実を結びつける力であり、解決を求めて自然に引っ張り合う力が働くことで生まれてくる。自己マスタリーの本質は、自分の人生においてこの創造的緊張をどう生み出し、どう維持するかを学習することだ。

●ここで述べている「学習」というのは、知識を増やすという意味ではなく、人生で本当に望んでいる結果を出す能力を伸ばすという意味だ。それは生涯つづく生成的学習である。学習する組織はあらゆる階層でそれを実践する人がいなければ成り立たない。

●高度な自己マスタリーに達した人には共通の基本的な特徴がある。(……)「今の現実」を敵ではなく味方とみなす。変化の力に抵抗するのではなく、変化の力を感じとり、それと手を組んで仕事をするにはどうすればよいかをすでに学んでいる。また、探究心が旺盛で、絶えず現実をますます正確に見つめようと努力を惜しまない。他社や生命そのものとつながっていると感じている。それでいて独自性はまったく失わない。自分はもっと大きな創造プロセスの一部であり、そのプロセスには影響を及ぼすことはできても、一方的にコントロールすることはできないと感じている。

●創造的緊張に熟達すれば、「失敗」に対する見方も一変する。失敗とは単なる不足、ビジョンと今の現実の間に乖離があることを示すものにすぎない。失敗は学びのチャンスでもある――現実の把握が不正確であることについて、期待したほどうまくいかなかった戦略について、ビジョンの明瞭さについて学ぶチャンスなのだ。

●「失敗とは、その最大限のメリットがまだ強みに転じていない出来事のことである。」(ポラロイド社エドウィン・ランド)

●創造的緊張に熟達すれば、粘り強やさや忍耐力がつく。

●創造的緊張に熟達すれば、現実に向き合う心構え全体が根本的に変わってくる。今の現実は敵ではなく味方になる。強い洞察力で今の現実を正確に把握することは、ビジョンをはっきりさせることと同じぐらい重要だ。残念ながら、ほとんどの人に、今の現実の認識にバイアスをかけてしまう習慣がある。

●「本当に創造的な人は、創造とはすべて、制約がある中で仕事をすることによって成就することを知る。制約がなければ創造もない」(ロバート・フリッツ)

●意識していない構造は私たちを囚われの身のままにする。いったん構造に気づき、それに名前をつけてしまえば、その構造はもはや私たちに対し同じ支配力をもたなくなる。

もうワナビーは勘弁してよ、と感じることも多いけれど、ワナビーじたいを咎める必要はなく、ようは、そのワナビーのソリューション、ここで言うところの「創造的緊張(クリエイティブ・テンション)」を体得することが大切だということがよくわかる。
とりわけ「創造的緊張に熟達すれば、粘り強やさや忍耐力がつく。」という発見は重要なので、拡大的な解釈をしたい概念でもある。なんつーか、一定のテンションを低下させることなく「文化的知的雪かき」のような細かい思考を丹念に積み重ねていけるタレント、そしてそこから導きだされた「解」こそを讃えたい。