考えるための道具箱

Thinking tool box

◎ミクロな話。

2009-02-25 00:03:53 | ◎想
新潮社の次ぐらいに買ってるかな、講談社の本。雑誌。最近なら書籍だと『ポトスライム…』、『マルクス その可能性の中心』、『探求Ⅰ』…『袋小路の男』『あやめ 鰈 ひかがみ』あれ?あんまり買ってないな。書き下ろし100冊ってのも、まあ平野啓一郎は買うだろうけれど、なんだか冴えないラインアップだ。
でも、マンガは、だいたい講談社だなあ。『バガボンド』、『ディアスポリス』、『ジナス』、『少女ファイト』、『新しい朝』…『レッド』もね。きっと『BILLY BAT』も買うだろ。小学館とか全然ダメだもんな、俺的には。
あと雑誌は、まあ『群像』は3ヶ月に一度ぐらいは買ってる。最近は、『COURRiER Japon』っていうのも、ようやく面白さが感じられるようになってきたので、この3ヶ月は連続で購ったりしてる。あ、『群像』の連載陣を考えれば、阿部和重とか龍の本、ひょっとしたら宮本輝の骸骨なんとか、ってのも買うかもしれんなあ。いずれにしてもこういうのが縮小されちゃうと、まあ楽しみは減る。ミクロな話だけれど。

べつに書籍自体は、この1年ぐらいで激減ってわけでもないだろうから(実際は7.9%減らしい)、やっぱり雑誌のしくみとか、エンタメ系に端を発するサイドビジネス系の不調なんだろう。映画とか。アニメとか。しかし、イヤな感じのシステム崩壊だなあ。なんだろう、雑誌は、いわゆる原点のようなものにもう戻ることはできないもんかなあ。それは言うまでもなく『暮らしの手帖』に戻るってことになるんだけれど。高給とりが多くてやっていけないんだろうなあ。『群像』はそもそも運び屋じゃないので別だけれど、『COURRiER Japon』なんかは、特集さえよければあと300円ぐらい値上げしても買うよ。このあたりは、『BRUTUS』とは違うな。あれが800円とかなら相当きつい。
しょうもないもんが小賢しく残って、筋はいいんだけど愚直で要領が悪いのがむなしく消えていく。そんな世界は、きっとダメだな。

◎さらに、津村記久子。

2009-02-23 00:15:48 | ◎読
いやあ『ポトスライムの舟』もおもしろかった……って、思えなかったんだよなあ。残念ながら。もちろん細かいところの表現とか、小道具の使い方とか、転調とか、百科事典好きの子どもの話とか、部分部分ではあいかわらずキマっていて、この才能はすげーなって、思うんだけど、どうもテーマに納得がいかない。これは山田詠美のいうとおり「蟹工船よりこっち」なんだろうとは思うけど、それ以上でも以下でもない。あまりにも迎合にすぎる。狙いすぎだ。なんだか、書かされた感が強い。もし、これを最初に読んでいたら、先にあげたツムラのいくつかのすばらしい小説に出会うことはなかっただろうなあ、これからこっち方向の小説ばかり書かされたらつらいだろうなあ、と思うと同時に『とにかくうちに帰ります』なら、きっと権威ある賞はとれなかっただろうから、もうそろそろ、小説についてあまり考えていない人たちは、審査の重責から解いてあげたらと思う次第である。

とはいえ『ポトスライムの舟』はともかく、ツムラへの期待はあいかわらず大きく、この書くこと好き多作のオタクに敬意を表して、『八番筋カウンシル』『君は永遠にそいつらより若い』を抑える。前者は、なかなかよさそうな感じ。
よって、次回のタイトルは、「あいかわらず津村記久子」。

◎commitment

2009-02-19 21:59:42 | ◎想
かかわること。そして、約束すること。
理想といわれていたものが、空疎な暴力に過ぎなかったことへの大いなる絶望。そこから続く、決意にも似た超然と孤立、無関心。
「書く」ことによるゆるやかなリハビリテーション、先の見えないプラクティスをただ紡ぐだけの毎日。
もう二度とかなうことはないと思われていた恢復は、ふたたび現れた理想、しかしもはや理想ともいえないくだらない虚構に縁取られた絶対悪を目の当たりにしたときにようやく動きだす。心を研ぎ、耳を澄ませることで初めて聴くことができる、そのささやきに、かかわること。そして約束すること。ていねいに。じっくりと。この軌跡こそが、人間の普遍そのものだ。すばらしい。
初夏の楽しみがまたひとつふえた。

●Always on the side of the egg | Haaretz
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

● Murakami, in trademark obscurity, explains why he accepted Jerusalem award | Jerusalem Post
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1233304788868&pagename=JPost%2FJPArticle%2FShowFull

● 村上春樹:常に卵の側に|anond.hatelabo.jp
http://anond.hatelabo.jp/20090218005155

● 村上春樹のスピーチを訳してみた(要約時点)進化版|しあわせのかたち
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090216/1234786976

●壁と卵|内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2009/02/18_1832.php

●村上春樹のスピーチ|カフェ・ヒラカワ店主軽薄
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200902180000/

●村上春樹、エルサレム賞受賞スピーチ試訳|極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/02/post-1345.html

●2009-02-16 私はあなたの小説を読んだ|東京永久観光
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090216

●壁と卵|池田信夫
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/26ca7359e6d2d15ba74bcdf9989bee56

●常に卵の側に(ハアレツに寄せられたコメント)|anond.hatelabo.jp
http://anond.hatelabo.jp/20090218205723

◎引き続き、津村記久子

2009-02-11 23:57:45 | ◎目次
いやあ『とにかくうちに帰ります』(新潮3月号)もおもしろかった。惹句には「暴風雨の日、長い長い橋をわたって<うち>に帰る。世界に在ること、世界が在ることの隠喩としての物語」とあるが、つまり、これも他者の認識と受容の物語ということになる。主人公のさえない感じのハラは、自分としては<内>のほうがはるかによくって、<内>についてなら、嬉々としてよどみなく、ほんとうに細部にわたるまで、その良さを語ることができる。ああ、こりゃほんとうによくわかってるなあ、という感じだ。

<「給料も今のままでいいし、彼女もできなくていいから、部屋でくつろぎたいんです!」オニキリの、ある種の暴露に対して、ハラの反応は鈍かった。そうか、とすら思わなかった。「部屋でくつろぐためなら、大抵のことはやります。たとえば大雨の中をうちに帰るとか!」
「そうだな」ハラは深くうなずく。「べつに愛は欲しくないから、家に帰りたい」
ほんの一瞬だけ、営業のイシイさんと千夏ちゃんのことが頭をよぎる。彼らは家に帰らない、そのことを不思議に思う。家に帰る以上の価値のあるものがこの世にあるのか。>

<景色からすると、橋はもう半分は過ぎたはずだが、半分過ぎということは、もう半分があるということで、それはこの状況では大して救いにはならないとハラは気付く。
今日のこの瞬間まで、なんでも半分を基準に生きてきた。牛丼は半分までごはんを食べたら、牛肉やたまねぎを丼のごはんがあったろところに落として進捗状況を把握しやすくし、徐々に肉とごはんにおける肉の比率を上げていく。この服屋のシャツワンピースの値段は、あの服屋の半額だからちょっと色が悪くてもこの服屋で。ミルリトンはケーキの半分の値段でミルリトンの方が大きいので、単純な味でも断然ミルリトン。消化しなければならない書類はあらかじめ全ページ数を把握して、半分まできたらお菓子を食べる。勤務時間の半分の時刻は十三時三十分、昼休みを除くと十四時、午後の半分は十五時三十分、そうやって時間を区切って、あと半分だと自分に言い聞かせてやり過ごす。>

<世界>の相対としての<内>の描写はかなり巧みだ。これこれ!これがあるから自分ひとりの思考って楽しいんだよなあと思わず共感してしまう。しかし、そこで終わらないところが、一連の津村の小説であり、いや<世界>のほうも、ちょっとわかりだすと、なかなかおもしろいんじゃない?、と思わせる「流れ」が確実に埋め込まれている。それは、<世界>ウェルカム、いままで知らなかったけど、断然こっちのほうがいいや、といった急激で強烈な転向ではなく、まだ確信はもてないけれどなんとなくいいかも、といったゆるい流れであり、まったく嘘っぽくない。

しかも、<世界>と<内>は、なにがしかの関係をもって、よい感じで、確実に繋がってんだよ、という含みも残す。たとえば、主役級のふたりが退場したあと、それまでいっさい接触のなかったサブキャラクターのオニキリと少年(名前なんだったけ?)のふたりが、偶然に出会いなんとなくわかりあう場面で物語を閉じるなんて、かなり凄い企みだと思う。そしてさらに、やっぱり<内>もいいんだけどねえ、というエクスキューズというか余韻も残り続ける。これこそが、「世界に在ること、世界が在ること」なんだろう。

津村は、こういったやっかいな隠喩を計算尽くで書いているのだろうか。そうだとすればかなりのものだし、もし無意識に書いているとしても、それはかなりのものだ。『ポトスライムの舟』には、まだとりかかれていないけれど、評判をみていると「蟹工船よりこっち」とか「平凡の人生が輝く」といったような声もあったりで、もし、そんな小説なら全然ダメだろうと思うし、これまでの流れからいって、そんな評価は正しくないんじゃないの?とも思う。今日あたりからぼちぼち読み始めてみるか。と思いつつも久々の竹田青嗣の『人間の未来―ヘーゲル哲学と現代資本主義』も、近年の彼のまとめとしてずいぶんと気が晴れるので、すぐにはむずかしいかもなあ。

◎『ミュージック・ブレス・ユー!!』

2009-02-08 00:42:27 | ◎読
たとえ箱のなかがいっぱいだったとしても、ガサガサ動かしてれば、追加で押し込みたいものが「仕事」だとすれば、なんとかあとひとつやふたつ入る隙間はうまれてくる。それ以外の些事だって、これまでならなんとか遊びはうみだせたんだけれど、いまは、よほどの熱意がない限りはちょっと難しいかなあ。しかし、バランスは大事なので、これからはフラグメントでも書き留めておく。というか書き留めておきたいよなあ。



まえに、津村記久子の『婚礼、葬礼、その他』を読んで、そのスラップスティックスの加減と、ふと差し込まれる「自分-他者」のきわめて正しいパースペクティブ、そのことにしじゅう頭を抱えていなければうまれないような見様にいたく感心したことがあった。これはいいなあ、もっと読んでみようとずっと思っていたのだけれど、ようやく『ミュージック・ブレス・ユー!!』を押し込む隙間を見つけることができた。

『とにかく相手の言うことを肯定することは大事だと、アザミは十七年の人生で体得していた。否定されるために発言する人というのはあまりいない。』

『アザミが彼女たちの言うことに一方的に納得させられてしまうのは、実は言語と文化の距離あってのことで、……その距離が立てる戸にもたれかかることは楽だった。同じ言葉を使う女の子ことがわからないのはとても辛かったが、違う言語で書く女の子の考えを理解できないことは仕方がないと思えるのだ。……
もどかしかったが、自分の言いたいことを言葉にできないのには慣れっこだった。そういう時は何も考えずに何も内容ないことを喋りまくればいいのだ。』

『さっきまで泣いていたナツメさんはすっかり消沈し、ただえずいたり、目をこすったり、やたら豪快な音をたてて洟をかんだり、なかなか人間としてのスタンバイ状態にならなかった。アザミはどうしよう、これ食べ終わったらすぐに出よかな、もうそのほうがいいよな、などと考えながら、それ自体は非常にぱりぱりして好みであるパニーニをかじった。』

『「音楽について考えることは、自分の人生について考えることより大事やと思う」』

『再び、アニーのことを思い出した。だいじょうぶなわけはないけれど、それでもだいじょうぶかと訊きたいと思った。文面ではなく、たどたどしくつっかえるであろう自分の声で。そうするためには、いったい何をしたらいいのだろう。
車窓の向こうに世界が見えた。畏れが胸を通りすぎて息をのんだが、やがて頭の中で鳴っている音楽がそれをさらっていった。』

あらすじを書くのはめんどうくさいので割愛するけれど、『ミュージック・ブレス・ユー!!』は、かなりうまい小説だと思う。雑駁が魅力な女性描き方、ドタバタの構成力(とりわけ、アザミがオギウエに食ってかかるところなんか)、機知に富んだワーディングなど、テクニカルな部分はもとより、上の引用でもわかるように、やはり『婚礼、葬礼、その他』同様に、他者との距離感、他者のことがうまく理解できずに浮き足立つ自分、しかしなんとかしたいという願いが、けっこう正しくかけている。正しくというと語弊があるので言い直すと、きわめてぼくに共感できる形で描けている。それだからアザミが魅力的に感じられるんであり、そういった女性の破滅的な言動にあるからくりのようなものがわかって、ああいいなあ、というつぶやきが自然とでてくる。もっとも、それは、柴崎、川上より、より自然で気負わない大阪弁に負うところが多いのかもしれない。

といことで、受賞第一作の『とにかくうちに帰ります』が掲載されている『新潮 3月号』はもとより、受賞作の『ポトスライムの舟』も一挙に落手。前者は冒頭を読む限り、また誰も思いつかないような些細な設定をもってくるよなあ、こいつは、って感じ。もっとも、もうどんだけガサガサしても、箱に隙間はうまれそうもないので、いつ感想をかけるかなんてまったく想像もできない。